6月1日(日)
この1週間、平日に寝不足したため、今日はなかなか起きることができなかった。10時半頃、起床して、朝食をとる。今日は、1時半からエコハマ市民大会「地球温暖化防止スタートダッシュイベント~ヨコハマからエコハマへ」というイベントに出席するので、1時頃には会場に着くよう12時頃に部屋を出る。
今日のイベントは内容が盛りだくさんで、基調講演、温暖化防止アクションプランの公表、パネルディスカッション、市長からの環境行動都市アピールなどのほか、第11回ヨコハマ環境保全活動賞の授賞式もある。このたび、僕が代表を務めている神奈川森林エネルギー工房が、この賞を受賞することになったので、このイベントに出席することになったのだ。
1時過ぎ、桜木町駅から歩いて5分ほどのところにあるヴィアマーレ(はまぎんホール)に到着。受付で神奈川森林エネルギー工房の代表であることを告げると、お待ちしていましたとばかりに係のスタッフが素早く僕を静かなところへ連れて行き、授賞式の段取りを忙しなさそうに説明する。どうやら、受賞者は少し早めに来ることになっていたらしい。実際、後で確認したところ、集合時間が12時半と決まっていた。まあしかし、説明の内容は、授賞式の段取りだけで、1分もあれば十分に理解できる内容だったので、遅刻しても何も困らなかった。この程度の説明をするために、開演の1時間前に集合時間を設定する必要はないと思うのだが。
さて、イベントの方であるが、これが予想以上に盛り上がっていた。推定入場者数は400名程度。大盛況であった。おそらく、中田宏横浜市長がパネルディスカッションに参加することを聞きつけて、やって来た人も多かったことだろう。実際、中田市長の発言は勢いがあるためか、行動主義・決断主義的な発言のたびに拍手喝采を浴びていた。見たところ、けっこうオジさん連中の心を掴んでいるように思う。それはさておき、ヨコハマを環境行動都市とするという市長の熱意はよくわかった。
授賞式では、市長から直々に賞状と立派な盾をいただいた。何の気なしで応募したのに、こんな大それたことになってしまうなんて。でも、表彰されても、あまり嬉しくない。そのことを誇りに思えるわけじゃない。受賞したことで、活動を拡げるために動きやすくなるのならよいのだが。
イベントは4時半で終了。5時に横浜の本屋で友だちと待ち合わせ。6時半頃までぶらぶらしてから帰宅。夕食をとり、10時からWOWWOWで『武蔵』を見て、就寝。
6月2日(月)
8時、起床。10時、NORAに到着。まずは、土曜日に開催したシンポジウムの後片付けが残っていたので、これを済ませる。また、シンポジウムの出席者名簿を作ったり、いくつかの製品のユーザー登録をしたり、まあクールダウンのような仕事をやった。
遅い昼食後、2時前に事務所を出て大学へ急ぐ。3時、研究室に到着。5時から受け持つ1回限りの講義の準備をする。5時、Lゼミ「フィールドワーク入門」を始める。今年は、準備に時間をかける余裕がなかったので、昨年とほとんど同じ内容・形式となってしまった。それでも、フィールドワークで大切な点は、まあまあ押さえられたのではないかと自負している。
しばらく研究室に現れていなかったので、その間に届いた郵便物に目を通し、院生とトークするなどして、9時前に出る。自由が丘の「ブラームス」で、久しぶりにオムライスを食べる。10時頃、帰宅。
6月3日(火)
いつもどおりに起きて、10時、NORAに到着。のはずだったけれど、JRに遅れが出たために、15分くらい遅れる羽目に。朝から、どこかすっきりしない感じだ。
NORAに着くと、通常どおりの事務作業が待っている。横浜市環境にやさしいまちづくり課に対して、神奈川森林エネルギー工房の活動実績を送ったり、木質バイオマスエネルギーに関する資料を読み込んだり、なぜか共有できないネットワーク・ストレージの設定を変えてみたり。
ところで、土屋さんから教えてもらった話で、東京の森づくりフォーラムがボランティアにランク付けをするかどうか議論しているという話に興味を引かれた。森づくりフォーラムでは、けっこう事故が起きているらしい。林業的なボランティア活動をおこなう場合、安全性を高めるために、資格制度というかランク付けをしたくなる気持ちはわかる。しかし、森林ボランティアは何を目的としているのだろうか。林家の補完、言うなれば、援林なのだろうか。そうではないだろう。ならば、何のためのボランティア活動なのか。このあたりのことについては、3年以上前に検討し、修論でまとめたので繰り返さないが、こういう議論が出てくること自体にも関心がある。セキュリティを強化するために、ますます環境管理を高めていくという方向性が、先日、読んでいた東浩紀・大澤真幸『自由を考える』の主題とも関わるようで・・・。
ところで、NORAで働くようになってから、本を読む時間が取りにくくなっている。平均的に睡眠が不足しているようで、本を開けるとすぐに舟を漕いでしまうのだ。だから、最近、読んだ本といえば、小室直樹『論理の方法』、堺屋太一『東大講義録』、姜尚中,・森巣博『ナショナリズムの克服』など、本屋で平積みになっていた一般向けの本ばかりだ。読みやすい本ばかり読んでいても、あまり面白くないんだよね。
9時前にNORAを出て、10時頃、帰宅。いくつかメールを書く。そのうちの1つでは、原口さんから誘われた故飯島伸子先生の文庫設置作業に対して、ぜひ参加させてほしいと返事を書いた。この作業は、8月上旬に2泊3日で、富士常葉大で行なわれる予定。たまには、勉強のために合宿するのも良いでしょう。
最後に豆情報。僕が前にいた会社の元副社長は、富士常葉大学で教鞭を取っているのだが、その妻が山本リンダなのである。
6月4日(水)
虫歯予防デーである。先月、歯医者にかかってみて、虫歯を放っておくと本当につまらないことになるということを嫌というほど味わったので、最近は、けっして虫歯になるまいと思いながら、歯みがきをしている。みなさんも、虫歯に気を付けるとともに、定期検診に行きましょう。
さて、今日の午前中は家にいた。洗濯をしたり、汚れ物をクリーニング店に出したり。また、友だちにメールを書いたり、神奈川森林エネルギー工房のMLに投稿したり。土日に仕事が入るので、平日に少し休みをとらないと、生活が貧しくなってしまう。
1時過ぎに家を出て、2時半、NORAへ到着。2時間ほど仕事をして、4時半に事務所を出る。5時、かながわ県民活動サポートセンターへ。環境情報コーディネーターの仕事について、県環境計画課の小川さん、山田さんと、NORAの前田くんと打合せした。1時間ほどで打合せは終了。三和で買い物をして、7時半に帰宅。夕食後、9時に就寝。
6月5日(木)
友だちからの電話で、12時に起床。今さらながら、先月のバイオマスサロンの議事録をまとめたり、今晩、開催するバイオマスサロンの資料を作るなど、夜を徹して神奈川森林エネルギー工房の仕事を片付ける。また、たまっていたメールに返事を書く。
明け方、少し寝ようかと思ったが、わりと元気だったので、朝食をとって9時に外出。10時、NORAに到着。11時頃から、木曜恒例のスタッフミーティング。最近の事業経過と近日中の事業予定を報告してから、NORAの今年度の活動目標について話し合った。議論となったのは、新治を活動拠点と想定した場合の、人的・物的資源のポテンシャルであった。循環型社会のモデルを作ることを、差し当たっての目標とした場合、そのフィールドとして新治が最適かどうかということである。このことは、今年1年間の事業の中で、おいおい明らかになることだろう。
1時前にミーティングは終了。PCに向かったとき、ネットワーク障害が見舞われたが、場当たり的な対応でしのぐ。ネットワーク関係のトラブルは、けっこう多い。せっかく、プリンタとサーバを導入したのに、いま1つ機能していない・・・。
午後、宮地さんが来所したので、5月分の給料をいただく。4月分をもらっときは、それまで無償で活動していたので、こんなにもらっていいのかなと思ったのに、今日、5月分をもらっときには、少ないものだなと思ってしまった。金銭感覚とは、慣れによって、ほとんど決まるようだ。
また、宮地さんから、彼女がすすめる杏仁豆腐の作り方を教えてもらう。その話の中で、伊那食品の「寒天ぱぱ」が良いという話を聞き、以来、「寒天ぱぱ」が気になって仕方なくなる。
2時半頃、浦戸さん来所。卒論で木質バイオマスエネルギーの普及に関して研究する浦戸さんには、彼女自身の勉強を兼ねて、神奈川森林エネルギー工房が所蔵している資料を整理してもらうことにしている。具体的には、木質バイオマス専用のデータベースを作ってゆくことになるのだが、今日はその作業に着手してもらった。少ない時間でも、かなり整理できたので非常に助かる。
夕方、今晩の会合に使用する資料を作る。1時間半ほどでA4にして1枚のペーパーを書き上げ、6時半にNORAを出る。
7時、かながわ県民活動サポートセンター8Fのパートナーシップルームへ。今晩は、「新アジェンダ21かながわ(仮称)」骨子の出前説明会を開催してもらった。骨子の意見討論集会は、これまで県内で10ヶ所ほど開催されたが、個別の団体を対象とした出前説明会は、今回が初めてだという。そのためか、それとも異動になったばかりだからか、わざわざ地球環境問題対策担当課長にもお越しいただいた。県からは、環境計画課地球環境班と科学技術振興課地域エネルギー班の担当職員の方合わせて6人が出席。ほかに、新アジェンダ21検討委員会からは、鏑木さんと佐藤さんの2人。神奈川森林エネルギー工房からは、僕を含めて7人が出席した。ここに来る前の短い時間ではあったが、一通り骨子に目を通し、意見書をまとめておいたこともあって、かなり活発に意見が交わされたように思う。今後、こういう社会計画作りに、個人的に、または会として、どのように関わっていくのかは不透明であるが、自分たちが社会のルールを作るという気持ちは持ち続けたいと思う。
出前説明会は、9時に終了。その後、30分ほど通常のバイオマスサロンをおこなって、最近1ヶ月の活動報告と今後の活動計画を立てる。9時30過ぎから、近くの「いろはにほへと」で夕食。11時に夕食を終え、12時過ぎに帰宅。24時間起きていたので眠くなった。明日の朝の打合せに使う資料を作りたかったけれど、眠気を抑えられず就寝。
6月6日(金)
「棒が1本あっととさ」で始まる歌によれば、「雨ザーザー降って」くる日である。
7時半、起床。10時からの打合せに向けて資料を作り始めるが、頭がぼーっとしているため、考えてもうまくまとまらない。結局、思考プロセスをだらだら書いて、それを打合せ資料とさせてもらう。
9時、家を出る。10時前、横浜市役所に到着。10時から、NORAスタッフ4人+緑政課2人で打合せ。今日は、6/22から始まる里山ボランティア講座〈計画コース〉の進め方、8月から始まる〈夏コース〉の概要について確認し、そろそろ始める里山バイオマスの活用研修会について企画を出し合った。僕が企画案をまとめる活用研修会については、今回は意見を出し合っただけだったので、その議論を踏まえて、次の打合せでまとめておくことになった。
12時に打合せは終了。関内に出ていたので、カレーミュージアムで昼食をとることに。昼食後、事務所に戻るなら地下鉄よりもバスを選んだ方が早いので、バスに乗り込む。すると睡眠不足からすぐに熟睡し、事務所に最も近い「宮元町1丁目」というバス停に着いたときには、土屋さんと吉武さんに起こされる始末だった。
NORAに戻り、夕方まで仕事して8時に帰宅。「三和」で買ってきた「寒天ぱぱ」を使って、初めて牛乳カンを作る。レシピと比べて、水と砂糖を少な目にしたためか、これじゃ単なる牛乳でしょう、という代物になってしまった。1キロほど作った牛乳カンを夕飯代わりに食べてから、久しぶりに神奈川森林エネルギー工房のサイトを更新するが、疲労を覚えたのでマイナーチェンジで済ます。寝不足のためかぼーっとしているので、何事もはかどらない。生産性が悪いので眠る。
6月7日(土)
7時半、起床。8時半過ぎに家を出て、湘南台経由で相鉄線の弥生台駅で降りる。駅から10分ほど歩き、西が岡公園少年野球場へ。今日は、土屋さんの代わりとして、泉区社会福祉協議会からの受託した仕事のためにここへ取材に来たのである。取材するのは、ふれあい”ザ”いずみ「軽スポーツ大会」というもので、簡単に言えば、さまざまな障害をもった人たちの運動会である。この大会が特徴的なのは、ボランティアとして区内全校の中学生が参加していることにある。
9時半過ぎ、社協の内田さん、石井さんにご挨拶し、今日の取材の進め方について打ち合わせする。開会式典を終え、さっそく、実行委員長へのインタビューを皮切りに、昼食を挟んで、副委員長、中学校の教員と生徒、障害者の施設・団体に関わる人びと、裏方をつとめる人などに話をうかがった。もっぱら話を聞いてばかりだったので、障害者と中学生が一緒になって競技するところをじっくり見る余裕がなかったのは、もったいなかった。
3時頃、大会は終了。あわただしく会場の撤収が始まるなか、駅へと戻る。4時、玉川学園駅に到着。古本屋、八百屋、スーパーで買い物をしてから家に戻る。昨日は、あまりおいしくない牛乳カンをつくったけれど、今日はアーモンドエッセンスを買ってきたので、杏仁豆腐作りにチャレンジしてみた。そこそこ食べられるものではあったけれど、美味しいとは言えない。甘みが足らないようだ。やはり砂糖をケチったのがよくなかったのか。とくにシロップは、できそこないの砂糖水みたいでまずかった。次回からは、分量どおり計って作ることにしよう。
昨夜は、一気に1キロの牛乳カンを食べたので、それだけで満腹となってしまった。その経験を生かして、今夜は半分だけ食べて、ほかにも夕食をとることにした。牛乳カンや杏仁豆腐だけの夕食では、さびしい。しかし、杏仁豆腐のほかに食べたものが、納豆とトマトサラダだから、まったく夕食らしくない。独り暮らしの食生活とは、こんなもんなんでしょうか。
6月8日(日)
9時半、起床。朝食後、11時頃から1時間半ほど、熱心にメールを書く。1時、友だちと一緒に外出して横浜へ。高島屋の地下で、少し贅沢な食材を購入し、3時頃、友だちの部屋へ。ほっとしたのか、それから2時間ほど、床に転がって、うたた寝。6時過ぎから夕食をとり、7時からはサッカー「日本×アルゼンチン」を観戦。試合は、1-4でこてんぱんにやられたけれど、注目のアイマールとサビオラが華麗に活躍するし、途中出場したハンブルガーSVのロメオが点を取ったので面白かった。バティ、クレスポ、ベーロンなどの下の世代のアルゼンチン勢が好きな僕としては、けっこう楽しんでしまいました。
9時からは『武蔵』。視聴率が悪いらしいが、その理由はわかる。あまり面白い話ではないのだ。だからこそ、そこに面白さを発見するのが面白いのである。城太郎さんは、もう出ないのだろうか。
アイマールや城太郎が好きなので、一緒にいた友だちは僕のことを、「プチ・ホモ」の気があると診断した。たしかに、精神的にはそういうところがあるかも。
6月9日(月)
いつもどおり10時にNORAへ。ほかのスタッフ3人は、午前中休みだったり、打合せに出ていたりしたが、山田さんが彼女の休日を利用して、事務所内で仕事をしていた。先日5/31に開催したシンポジウムの議事録をまとめるためだ。山田さんによれば、当日、議事録をまとめるだけのつもりで引き受けたのに、後処理まですることになって不満を抱えているようだった。ボランティア・コーディネーターは、仕事の範囲を明確にしてボランティアに依頼しなければいけない。そのように諭されました。僕が仕事をお願いしたわけじゃないけれど、おっしゃるとおりです。
昼食は、近くにある「ウトポス」で、山田さんと一緒にとった。昼食後、「市民による里山学」に関する調査研究をすすめるために、ヒアリング調査の依頼書を作成し郵送した。また、土曜日に取材した内容をまとめるために、インタビューして聞いたことをバラ打ちした。
7時、NORAを出て、8時半に帰宅。半分残っている杏仁豆腐を食べるが、日を置いても、やはり美味しいとは言えない。その代わり、一緒に食べた回鍋肉は、過去最高の出来だった。よく寝て、よく食べて、よく人を愛す。これだけで良いんだと思うと、けっこう気楽なもんだ。
6月10日(火)
10時にNORAへ。午前中は、1人事務所で仕事である。最近、こういうシチュエーションが多い。1人だから、無駄口を叩かずに済むので、仕事がはかどるかと思うと、そうではない。すべての電話に応対しないといけないから、思うように仕事を進められないのである。
さて、今日は眠かった。昼休み中は、仕事に突っ伏して寝た。そういえば、昔、会社員だった頃は、昼休みを睡眠にあてていたことが多かった。いつかは、昼休みを1時間もオーバーして、2時まで寝ていたこともある。なんで起こしてくれなかったですか?」と尋ねたら、「あまりに気持ちよさそうに、すやすやと眠っていたから」と笑いながらこたえられたこともあったっけ。
3時過ぎ、宮地さんが会計の仕事をするために登場。杏仁豆腐を美味しく作れなかったことを話すと、杏仁霜を使って作ることをすすめられた。今度、杏仁霜を持ってきてくれるというので、それでチャレンジしてみたい。
7時半、事務所を出て、町田の西友で買い物をしてから帰る。火曜日は、西友で「得の市」をやっているので、つい町田で寄り道してしまう。帰宅後、夕食をとり、神奈川森林エネルギー工房のサイトを更新してから眠る。
6月11日(水)
10時に玉川学園前駅へ。ここで、恩田の谷戸ファンクラブの高橋さんと待ち合わせ。高橋さんの車の乗せてもらって、モスバーガーへ。ここで、最近約2ヶ月分のお金の出し入れを清算するとともに、夏塾関係の資料をいただく。夏塾とは、横浜市民活動支援センターの事業で、夏休みの間にボランティア活動を体験したい学生を、市民団体へと送り出すというものである。昨年は、神奈川森林エネルギー工房が神奈川大の学生を受け入れたが、今年は、恩田の谷戸ファンクラブが学生を受け入れようというのである。そして、その担当が僕ということになっているので、資料をまとめていただくことになったのだ。
11時半過ぎに、打合せは終了。高橋さんに長津田駅まで送っていただき、そこから横浜線を南下。12時半過ぎに横浜駅に到着。1時から、かながわ県民活動サポートセンター11Fにて、環境情報コーディネーターの仕事を始める。
今日は、毎月2回発行するメルマガ【KEI】の原稿を仕上げる日である。今日までに5割程度は完成させてきたが、午後の時間を使って、きっちりまとめあげないといけないので、けっこうプレッシャーがかかる。特に今回は、集まってきた情報が少なかったので、誌面作りに苦労した。いまさらながら、『もっともっともーっと神奈川!』を宣伝するなどして、反則気味の技を使い、なんとか5時頃には原稿を完成させる。ふー、毎回、気が抜けないぜ。もっと、情報を送ってくれると楽なんだろうが・・・。
6時に県サポを出て、7時前に友だちの家へ。サッカー「日本×パラグアイ」を見る。この間のアルゼンチン戦よりも元気に戦っていたけれど、結局、0-0。スコアレス・ドローってのは、徒労感を覚える。大久保の若々しい動きに、光明を見てはいけないだろうか。
6月12日(木)
10時前、NORAに到着。ところが、事務所内に入ることができない。鍵を忘れたのだ。昨日、遊びに行った友だちの家に置いてきてしまったらしい。雨の中、事務所の周りをぐるぐるとまわっていると、前田くんがやってきたので、事務所に入ることができた。これが、一昨日のように、僕1人しか事務所に来ないときだったら大変だった。
最近、木曜日の午前中にスタッフミーティングを開くのが定着しつつあるが、今日も11時頃から打合せをやった。ここ1週間の活動報告のあと、NORAの中長期目標などについて議論した。中長期目標は何かと尋ねられても、自分の行く先が不透明なので、きちんと考えることができない。あまり先のことを考えて生きていないからなあ。遠い将来を見越して、今なすべき活動を考えるという思考法には、馴染むことができないようだ。
打合せを終えると、「市民による里山学」に関する文献をあさったり、ヒアリング調査対象団体に連絡して、日程を調整したり、押しつけられた泉区社協の仕事を土屋さんに押しつけ返したり、ほのぼのと仕事する。
7時にNORAを出て、横浜のビッグ・カメラでコードレス電話の電池を購入。その後、久しぶりにリンガーハットに入って、夕飯に長崎ちゃんぽんを食べる。ここで驚いたのは、野菜を炒めるときに、自動的に回転する鍋を使っていたこと。中華鍋を振る部分を機械に任せ、人件費を削り、コストを落とそうとしているのだろう。人間のバカ知恵に対して、妙に感心してしまった。
8時半、昨夜遊びに行った友だちを訪ねる。案の定、NORAの鍵は室内にあった。冬に沖縄に行ったときも、ホテルに鍵を落としたっけ。相変わらず、注意力散漫。学習をしない松村であった。
6月13日(金)
10時、NORAに到着。今週は、水曜日をのぞいて、朝からきちんとNORAに来ている。すっかり規則正しい生活にも慣れてきたようだ。
さて、今日は時間的に余裕があったので、木質バイオマスについて時間をかけて勉強してみた。これまで何気なく見過ごしてきた部分にも、重要な数値が書かれてあることなどを発見できたので楽しかった。やはり僕は、これまで知らなかったことを知るのが、一般的に好きらしい。ほかに、昨日に続いて、ヒアリング調査対象団体と連絡調整したり、来週月曜日の打合せ資料を作ったり。
夜7時頃、路川さんが事務所へやって来た。吉武さんのPCの具合が悪いので、診てもらったところ、データを別のマシンに移しかえた方がよいと言われ、すぐさま移植手術を始めてもらう。8時頃、NORAを出て、9時半に帰宅。
夕食後、神奈川森林エネルギー工房のMLに情報を流し、いつも通り2時に、いや3時半に寝る。
6月14日(土)
9時半、起床。朝食をとり、洗濯機を回し、4日分の新聞を読み、1週間分の日記を付けると午後3時。4時に友だちを訪ね、持参したノートPCでバイオマスサロンの議事録を作成する。
仕事を終え、夕食をとり、うたた寝してから睡眠。
6月15日(日)
10時半、横浜市民活動支援センターへ。今日は、横浜市環境保全活動団体成果発表会にスタッフとして参加した。ところが、スタッフとして呼び出されたものの、ほとんど仕事らしい仕事がない。スタッフ用の弁当を買い出しに行ったことくらいか。
1時から、発表会はスタート。開会の後、日本の竹ファンクラブ、恩田の谷戸ファンクラブ、市沢・仏向の谷戸に親しむ会、ふるさと待従川に親しむ会、いかだで遊ぼう谷本川など8団体が、活動の成果を発表。3時からは、「環境保全活動せり市・はないちもんめ」、成果発表団体の表彰と続き、4時半に閉会した。
5時に会場を後のして、6時に友だちを訪ねる。夕食後、8時から『武蔵』。今日の『武蔵』は、病気になった武蔵が、これまでの道のりを回想するというもので、前半戦の名場面集という感じだった。こんな作りってあり?
6月16日(月)
10時、新治の旧奥津邸前へ。ここで、横浜市緑政課の職員2人と新治市民の森愛護会の会員3人、NORAのスタッフ4人が集合。22日(日)から始まる里山ボランティア講座の計画コースの下見をおこなう。しかし、フィールドの画定に手間取り、下見するだけで昼過ぎとなってしまった。このため、下見の後に里山資源の活用研修について打合せする予定だったけれど、時間切れとなった。旧奥津邸で遅い昼食をとり、最近、発見した新しいルートを使ってNORAに戻る。
横浜線から京急線、あるいは京急線から横浜線に乗り換えるとき、これまでは横浜駅で乗り換えていた。横浜線は横浜駅まで行かず、東神奈川駅止まりとなることが多いので、町田方面からNORAへ行く場合は、しばしば東神奈川駅と横浜駅と2回乗り換えなければならない。これは、とてもいらつくことで、横浜線という名前なのに横浜駅に乗り入れないことに対して、悪態をつくこともしきりだった。ところが、乗換案内のサイトを通じて、東神奈川駅で横浜線から京急線に乗り換えられることを知った。京急線の駅名が仲木戸だったのでわからなかったけれど、東神奈川駅と仲木戸駅はくっついているので、横浜駅で乗り換える必要はないのだ。この事実を知っている人は、どの程度いるのだろうか。自分では大発見だと思っているけれど、常識の範囲内だったりして。
3時半、NORAに到着。「かながわ新アジェンダ21(仮称)」骨子に対する意見をまとめたほか、里山ボランティア講座の名簿を整理するなどして、6時に事務所を出る。久しぶりに「錦」で夕食をとってから、7時過ぎ、研究室に到着。久しぶりに丸ちゃんと会ったので近況報告し、必要な書類をコピーして、9時に研究室を出る。
10時過ぎ、自宅に戻る。杏仁豆腐を作ろうと思ったら、冷蔵庫に牛乳がなかったので断念。明日、牛乳を買うことにしよう。
6月17日(火)
目覚し時計によって、一瞬、6時に目が覚める。午後、都立大で研究会があるので、レジュメを作ろうと思って早起きしたのだ。しかし、どうにも眠くて何もできない状態だったから、二度寝して8時半に起床。それから、資料作りを始めるが、頭がぼーっとして整理できなかったので、結局、かつて書いたものを資料とすることで乗り切ることにした。そうなると、午前中に余裕ができたので、返事を出すのが遅れているメールを10通ほど送信する。また、河西さんと連絡を取って、来月のバイオマスサロンでゲスト・スピーカーとしてお招きすることを了承していただく。
1時、自宅を出て、新百合ヶ丘、多摩センターと経由して南大沢駅で下車。2時前、都立大に到着。当初予定していた部屋が借りられなくなったので、小さな部屋を探して、そこで地域環境主義研究会(仮称)の2回目を開催した。今日も初回と同様のメンバーが集まった。発表者は、都立大の高木くんと僕の2人。高木くんは、吉野川河口堰建設に関する住民投票のことを、僕は大富の農地開発を研究対象とした問題意識を発表した。
5時半に研究会は終了。故飯島先生地域環境主義に触れられた論文をコピーしてから、駅前に移動して夕食をとる。この間、原口さんから、アメリカの環境正義運動について教えてもらう。とくに、最近の調査で原口さんが追いかけている問題、つまり、排出権取引にともなって環境負荷の格差が拡大しているという問題について、最新の動向を熱くお話しいただいた。
7時半頃、夕食を終えて、8時過ぎに帰宅。牛乳を購入して、杏仁豆腐を作ってみる。分量は、牛乳400ml、寒天ぱぱ2g、杏仁霜大さじ2杯、砂糖大さじ1杯。これをかき混ぜながら沸騰させ、寒天をよくかき混ぜる必要がある。寒天を溶かすためには沸騰させる必要があるが、牛乳はあまり沸騰させない方がよい。この矛盾したことを同時にクリアしないといけないのだが、今日は寒天をきちんと溶かしきれず、ダマになってしまった。味は、これまで作ったものより美味しかったけれど、歯触りが今ひとつのできだった。
9時半から仮眠。12時過ぎに起きて、ウェブサイト『KEI-net』のリンク集に載せるべきサイトを探すなどしてから4時に就寝。
6月18日(水)
8時起床。9時前に家を出て、10時にNORA。恩田の谷戸ファンクラブの名簿データベースを更新し、ラベル印刷。12時半頃、事務所を出て、かながわ県民活動サポートセンターへ。1時から、環境情報コーディネーターの仕事を始める。
今日も、例によって例のごとく、相談のために来訪する人がいなかった。そこで、来週発行するメルマガ【KEI】の誌面作りに励むとともに、昨晩あちこちネットサーフィンして探した環境関係のサイトについて一言コメントを付け、ウェブサイト『KEI-net』にアップする予定のリンク集の原稿を作る。
次号のメルマガの原稿を半分くらいまで完成させて、今日の仕事はおしまい。6時過ぎに横浜駅へ。三和で買い物してから、8時頃、帰宅。10時半頃から仮眠。12時過ぎ、友だちの電話で目を覚まし、深夜1時から、コンフェデ杯「日本×ニュージーランド」をテレビ観戦。3-0での勝利を見届け、3時過ぎに就寝。
6月19日(木)
10時、NORA。午前中は、スタッフミーティング。NORAとしての短期・中長期目標を話し合う。吉武さんが、NPOとしての組織がやるべきことと自分のやりたいこととの折り合いがうまくゆかないとおっしゃるので、それに対し、組織に個人が縛られるのではなく、個人の幅が組織の活動を拡げるという考え方をしてゆくことを提案。個人のやりたい活動をNORAという組織を使ってやればよいと思ったのだが、こういう考え方は無責任だろうか。
この吉武さんの発言を皮切りに、スタッフそれぞれが理想の里山像について述べることになった。僕はそういうものを持ち合わせていないので、自分が里山にこだわっている理由を述べた。人と自然とのかかわりと環境的不公正への関心、および近くの里山が失われていったという状況が、その理由だ。里山にかかわる言説は、予定調和的、浪漫主義的、自閉的で、いい加減なものが多い。これらに対して、もう少しまともな言い方をしたいと思っていたら、いつの間にやら、深く関わるようになってしまったというだけなのだが。
ミーティング終了後、ランチに出掛ける。今日は、最近できた中華粥の専門店に行ってみた。まあまあ。この辺りでは標準的な中華料理店という感じ。
昼食後、事務所に戻って仕事を再開。「よこはまの森ニュースレター」の掲載記事を集めるために、横浜市内の森づくり市民団体へFAXを送る。また、里山バイオマスの概算方法を調べるが、肝心なところの計算の仕方がよく分からず、課題が残った。
仕事の途中、6/7(土)に僕が取材し、それを土屋さんがまとめた泉区「軽スポーツ大会」の記事を読ませてもらった。殴り書き程度の取材メモをもとに土屋さんに記事を書いていただいたのに、あたかも実際に見てきたかのように、生き生きと書かれている。しかも、自分が書くとしたら、こうやってまとめただろうというように記事がまとまっている。取材の仕方が良かったとは思えないので、土屋さんの文章をまとめる力が凄いのだろう。
7時過ぎまで仕事して、9時に家に戻る。夕食に回鍋肉を作る。お店で食べる回鍋肉とは全然味が違うので、中国人に食べさせたら、「これは回鍋肉ではない!」と怒られるだろう。まあ、本人が美味しいと思っているから、どんな味でもOKでしょう。
6月20日(金)
10時にNORAへ。明後日から、新治で里山の計画コースが始まるので、受付名簿を印刷するなど、そのための準備を整える。11時半頃から浦戸さんが来たので、神奈川森林エネルギー工房が集めた木質バイオマス関連の資料整理、およびデータベースへの入力作業を手伝ってもらう。昼食は、オリジン弁当。おふくろ弁当に総菜を付けたら700円ほどになった。弁当だからといって安くない。
3時過ぎに、浦戸さんが帰ったので、データベースへの入力を引き継ぐ。この作業は、軌道に乗りつつあるので、データベースができたら、ウェブサイト上にアップしようと思う。5時過ぎ、かながわ環境活動情報支援プロジェクト『かながわNPOナビ』環境情報編集部の杉浦さん、堀内さんら4人がお見えになる。プロジェクトの進捗状況について説明していただいたが、僕ら環境情報コーディネーターが、どのように関わってゆくべきなのか判断できない。現時点では、これ以上、仕事を増やせないのが実状だから。
7時過ぎに事務所を出て、9時に帰宅。夕食後、11時からはNHK『にんげんドキュメント』を見る。今日は、足の上でふすまを扱う足芸というサーカス芸に挑戦する27歳の女性の話だった。彼女が、かつて日本一の足芸で人気だったコトミ姉さんのもとに住み込んで修行し、初舞台に挑んだ様子を追ったドキュメンタリーだったが、日頃、知らない芸人の世界についつい引き込まれて見てしまった。2週間前は、サックス奏者の渡辺貞夫が、高校を卒業したばかりの新人をドラマーに採用して全国ツアーをおこなう様子が、この番組で放映されていたのを見たけれど、ともに芸や技を伝承することについて考えさせられてしまった。
明朝は、コンフェデ杯を見るので早く寝るつもりだったのに、寝たのはいつもどおり2時過ぎだった。
6月21日(土)
4時、起床。コンフェデ杯「日本×フランス」をテレビ観戦。不運なPKによる失点を、俊輔のファイン・ゴールで追いついたときには、ボール・ポゼッションに優っていた日本が、フランスと引き分けられるかもと淡い期待を寄せたが、結局、一瞬のスキを突かれて1-2の惨敗。好試合だっただけに、引き分け以上の結果を残せなかったことを残念に思う。今年予定されている日本代表の試合は、あとは親善試合ばかり。SARSの影響で延期となっている東アジア選手権をやってくれないかなあ。
1時間ほど仮眠して、朝食後、シャワーを浴びて、8時過ぎに家を出る。高橋さんに、『恩田の谷戸ファンクラブ通信』用の印刷ラベルを郵送してから、9時、新治の旧奥津邸に到着。今日は、休日の暫定利用のためにスタッフとして旧奥津邸へやって来たのだ。主屋に入り、雨戸を開け、玄関を開けるまでは良かった。長屋門の部屋を開けるときに、失態を演じてしまったのである。
旧奥津邸にはセコムがかかっているので、侵入したら速やかにコントロールバーを挿入しないといけない。これは、主屋だけでなく、長屋門もそうである。それなのに、長屋門を開けるときにコントロールバーを持っていなかったので、侵入してから主屋までそれを取りに戻らなければいけなくなった。その間、コントロールバーの挿入が遅くなってしまい、激しく警報音が鳴り響いた。遅ればせながら、コントロールバーを挿入すると警報音は鳴りやんだので、事なきを得たように思ったが、実はそうではなかった。それから30分後に、セコムがやって来てしまったのだ。ただ単に、手順が遅くなっただけなのに、わざわざ来ていただいたセコムの人には申し訳なかった。さらに後から知ったことであるが、セコムから旧奥津邸を管理している横浜市の公園部にも通報が届き、あわてて職員が事務所まで駆けつけたのだという。ここに、重ねてお詫び申し上げます。
さて、今日の旧奥津邸は、暇なような暇じゃないような1日だった。1時間に3~4人程度が訪ねてくるので、パンフレットを差し上げるとともに、今後のここの利用方法についてアンケートをとる。また、話をよく聞いてくれる人には、8月から始まる旧奥津邸活用検討会議(仮称)への参加も呼びかけるなどして対応する。来訪者が現れないときは、ノートに記録を取ったり、持参した本を読んだり。今日は、SDG『森林バイオマス』を読んでいた。最近読んだ本は、室田武ほか『環境経済学の新世紀』、小坂国継『環境倫理学ノート』、東京の林業家と語る会『聞き書き 山の親父のひとりごと』などだが、どれも通り一遍のことしか書いていなかった。赤坂憲雄『一国民俗学を越えて』は面白かったけれど。
3時頃、吉武さんが応援にいらっしゃった。4時頃、来訪者が途絶えたので、1時間ばかり活用検討会議について打合せをした。夕方は、散歩に訪れる方があったので少し忙しくなった。6時に閉館して、6時半頃、旧奥津邸を出る。7時半に帰宅。
朝が早かったので、夕食後、いつもよりも早めに就寝。
6月22日(日)
6時、起床。朝っぱらから、ネットで古本を2冊注文。また、横浜市民活動支援センターへ、夏塾の塾生受入団体として恩田の谷戸ファンクラブの情報を送信する。
8時過ぎ、家を出て、9時に旧奥津邸へ。今日は、里山の計画コース・初級編の第1回目。この講座は、今日からの3回シリーズで、里山の手入れにあたって必要な施業計画の作り方を学ぶというものである。講師は、西多摩自然フォーラムの久保田さん。自分自身も、どんな講座になるのか期待しつつ、スタッフとして参加した。
NORAと横浜市のスタッフが集合し、受付の準備をしたり、今日の資料の用意をしたりしていると、受講生が20人ほど集まる。10時、いよいよ講座スタート。最初は、施業計画を立てるフィールドへ出向き、地形図、工図の見方や、境界木や杭から敷地境界を見る方法などを学ぶ。これが終わると、受講生を3班に分け、それぞれが担当する林班の特徴を見て回るとお昼になる。昼食を挟んで、午後は久保田さんによるレクチャー。久保田さんは、講義のはじめに、スギ・ヒノキの人工林や竹林と違って、雑木林で施業計画を立てることの難しさを説明し、何に利用するかを考えて計画を立てることを提案された。また、多様な利用の仕方が考えられるだろうから、それらをモザイク上にパッケージするという考え方も示された。ともに、実践活動が生まれた考え方だと思って感心した。
3時、好評のうちに1回目の講座は終了。NORAスタッフは、その後も残り、全員で家の中を掃除してから、今後の仕事の人員計画について打合せした。5時過ぎに打合せが終わったので、浅羽さんと前田くんを残して、土屋さんとともに一足先に帰ることにした。
町田のデパ地下で買い物してから、7時過ぎに玉川学園前駅で落ち合った友だちとともに帰宅。一緒に夕食をとり、8時から『武蔵』を見る。今週も慌ただしく一週間が過ぎ去った。
6月23日(月)
4時、起床。コンフェデ杯「日本×コロンビア」をテレビ観戦。コロンビアにチャンスらしいチャンスをほとんど作らせない良い展開だったので、引き分けは堅いと思って観ていたのだけれど、DFのミスを突かれて0-1の敗戦。悔やんでも悔やみきれない。引き分けでも、後2試合できたのに。
試合終了とともに、再び床に就き、9時に目覚める。午前中はうだうだと過ごし、12時半過ぎ、自宅を出て大学に向かう。2時、研究室に到着。今日は発表するので、今年になって初めてゼミに出る。
ゼミの前半は、丸ちゃんが発表した。博士論文の1章となると同時に雑誌論文にもしようと思って、障害者政策の歴史的変遷を調べたようだが、土場先生からは投稿できるような独創性を出すことは難しいと判断され、軌道修正を求められた。お気の毒に。一方の僕は、すでに『開発と環境の文化学』に収めた論文の内容について発表した。先生からは、モノグラフの部分を省略して、アイデアの部分を脹らませて投稿論文にすることをすすめられた。書きたいのはやまやまだけど、そんな時間はあるのだろうか。
4時半頃、ゼミは終了。カモちゃんとトークしてから、6時過ぎに研究室を出る。6時半、自由が丘にある美容院「green hill」へ。3ヶ月ぶりにカットしてもらう。前回カッとしたときと同様に、美容師さんから、せっかく流行の技法を取り入れてカッとしているのだから、3ヶ月も髪を伸ばさないように注文される。おっしゃる通りである。美容師さんからすれば、僕のヘアスタイルでさえ、1つの作品なのだろう。それが無惨に見る影もなくなっている様を見るのは辛いに違いない。帰り際、次回は長くならないうちに訪れることを約束して、すっきりした髪型となって店を後にした。こうやって諭されてしまうのは、ちょっと癪なんだけど、周りの友だちも、髪を短くしていた方が良いというので、ここは素直に美容師さんの声に従うことにしよう。
9時頃、玉川学園前駅に着く。ペンネ・アラビアータを食べようと思って、駅前のイタリア料理店を訪ねるが、お休み。仕方なく、帰宅してから自分でパスタを作る。ビールを飲むと良い気持ちになったので就寝。
6月24日(火)
9時に家を出て、自宅近くの郵便局へ。ここで振込手続きなどをしてから、事務所へ向かう。10時半、NORAに到着。メールチェックなどして、11時半に外出。南太田駅から京急で横浜駅に出て、快速アクティに乗り換えて、平塚駅で下車。12時45分頃、駅から歩いて10分強のところにある平塚市立博物館へ。
今日、この博物館へ来たのは、学芸員の浜口さんを訪ねるためだった。市民参加型の調査を長年実践されてきた浜口さんの経験は、これからNORAでやろうとしている里山の管理計画に資する調査を設計するために、必ず役立つに違いない。そう確信して、はじめて1対1でお話を伺う機会を得た。
これまで面識がなかったにもかかわらず、僕の質問に対して浜口さんは、とても真摯にお答えくださった。また、途中、市民から浜口さんを頼って電話が入ってきたので、何度か問答が中断されたけれど、そのたびにきちんと対応される姿を見て、その人柄に心を打たれた。このヒアリング調査のために、浜口さんの著書である『放課後博物館へようこそ』を読んで臨んだのであるが、『生きもの地図が語る街の自然』も読んでおけば、もっと深くお話を伺うことができたかもしれない。
浜口さんと直接話ができた喜びを抱え、平塚駅まで歩いてくると、急に空腹を覚えた。昼食を抜いたせいだろう。小腹を満たすために、駅周辺に適当な店を探すが、これはというところを発見できず、ブルーベリージュースを買っただけで、平塚を後にする。
5時、NORAに到着。横浜市から環境保全活動助成金の交付決定通知書が届いていた。助成金額は、20万円弱。申請金額30万円と比べると約2/3だが、活動を展開する上では役に立つだろう。
7時半まで仕事して、8時に横浜へ。ここで友だちと待ち合わせして、夕飯の材料を買い物する。9時、友だちの家に到着。一緒に夕食をとり、今晩は泊まらせてもらう。
6月25日(水)
いつもどおり、10時にNORAへ。今日は第4水曜日なので、メルマガ「かながわ環境インフォメーション」の原稿を完成させないといけない。先週中に、半分ほどの原稿を集めたけれど、まだ「すぽっとらいと」と「PRコーナー」の記事ができていない。これらのコーナーは、投稿記事によって埋めるのが理想なのだけれど、まだまだ原稿が集まるような仕組みができていないので、僕が情報を集めてこないといけない。今号は、「すぽっとらいと」に日本の竹ファンクラブの活動紹介を掲載紙、「PRコーナー」では、『もっともっともーっと神奈川!』でお世話になった夢工房の新刊を案内することにした。毎度、僕の周辺の環境情報しか載せられないというこのメルマガの限界を超えるために、もっと工夫しないと。
昼食後、1時半に事務所を出て、2時、ヨコハマプラザホテルへ。マルチライフ地域推進協議会の委員として、話し合いに参加したのである。この協議会は、勤労者マルチライフ支援事業(厚生労働省)の中に位置づけられているもので、神奈川県の場合、神奈川県経営者協会、神奈川県社会福祉協議会、それにNPO法人アリスセンターの三者がパートナーシップを組んで推進している。そもそも、この事業は、勤労者がNPO(非営利組織)やボランティア活動に参加して、多様な生き方をしてもらおうというもので、平成13年度から本格的実施に入っている。現役・OB・OGを含め、企業で培ったキャリア(経験)とスキル(技術)をボランティアの場で生かしてもらい、生きがいと地域社会での人脈づくりを築いてもらうことがねらいであるという。聞くところによれば、今後、団塊の世代が定年を迎えると、会社で働く以外の生き方を知らない退職者が、数百万人の規模で家に引きこもると言われているらしい。この事業は、そのように引きこもることを防ぐために、勤労者にマルチライフをすすめようという国の思惑が働いているのかもしれない。しかし、そんなことまで社会の問題として扱わないといけないことに、僕はとても疑問を感じる。大きな会社でも倒産するような先が不透明な時代に適応するためには、リスクを減らすためにも、マルチな生き方を模索することが当然だと思う。こういう考えだから、この推進委員という役目は、僕にはまったく向いていない。でも、謝金が出るから、まっいいか。
4時に打合せは終了。NORAに戻り、メルマガ【KEI】の7号案を県環境計画課に送信。7時過ぎ、事務所を出て、9時前に帰宅。
6月26日(木)
6時半、起床。一昨日、伺ってきた浜口さんの話をまとめる。朝食後、9時過ぎに家を出て、小田急線を上る。成城学園前駅で下車し、10時、神明の森三ツ池に到着。今日は、3年ぶりに「せたがや自然環境保全の会(SNECS)」の活動に顔を出した。修士論文を作成するときにお世話になった人たちは、相変わらず元気に活動を続けていらっしゃる。また、コーディネーター役のせたがやトラスト協会・小出さんも元気そうだ。小出さんの説明のよれば、この三ツ池の活動は、SNECSの会員と地元住民とが協力してできた「三ツ池を育てる会」として実践するかたちになったとのこと。僕が関わっていたときよりも、さらに多彩な人材を得て、さらに多様な活動を活発に展開しているようだ。
長期にわたってごぶさたしていたのに、あらためてSNECSを訪れたのは、こういう理由からである。すなわち、横浜市内の森づくり市民団体を見ていると、どこも管理活動が中心となっていて、その効果を計測するような調査があまりおこなわれていない。このため、ボランティアによる管理活動が、どの程度意味があるのか、ないのかがはっきりしないまま、美観がよくなったかどうかで評価されている。こうした状況が気になりはじめたとき、綿密な調査を地道におこなっているSNECSの活動が、オーソドックスではあるゆえに基本的な方向性を指し示しているものと感じられた。そこで、再び成城まで足を伸ばすことにしたのである。
3年ぶりの訪問だったので、いきなりインタビューを敢行するようなことはせず、まずは長いごぶさたを陳謝して、体を動かす仕事をお手伝いしたいと申し出た。すると、この4月から新たに管理することになったA地区で、橋を架ける作業があるというから、そこに行って力を貸すことにした。
蜂矢さんの案内によって、三ツ池をぐるりと一周しながら、主に3年前と変わった点について説明を受ける。橋を架ける予定のところへ着くと、すでにSNECS代表の木村さんや「三ツ池を育てる会」代表の中川さん、さらにトラスト協会の新人・松田さんなどが、作業に取りかかっていた。そこで、その輪に混ぜてもらい、太い木の柱を4本架けるだけの小さな橋を一緒に作った。2本目の橋を架ける作業に取りかかった頃、12時となったので、昼食休憩となった。明日の打合せ資料を作る必要があったので、今日は午前中のみの参加とした。来週のSNECS定例会のときに、あらためて修士論文を持参することを約束して、三ツ池を後にした。
成城学園前駅まで歩き、そこからバスに乗って二子玉川駅へ。東急ストアで買った豆乳を一気飲みしてから、大井町線に乗り換え、1時過ぎ、大学に到着。最近、研究室で購入したというホンダの電動アシスト付き自転車に乗って生協へ行き、文具を購入。このとき、初めて電動自転車に乗ってみたけれど、とても乗りやすくて快感だった。来週、SNECSの会員の方々に差し上げる論文を4冊製本し、机周りを整理してから、NORAに向かう。
4時頃、NORAに到着。明日の打合せ資料を作ろうと思って事務所に来たものの、ほかにやらないといけない雑用が多いので、家でやることにする。9時、帰宅。夕食にビールを飲んだためか、食後すぐに眠くなり、横になった途端にグーグー。
6月27日(金)
5時過ぎ、起床。今日の午後、横浜市役所で開かれる打合せ資料を作り始める。旧奥津邸の活用検討会議を、どうやって進めていくかを提案する資料作りである。これを2時間近くかけて作り、さらに、NORAのスタッフミーティング用の資料を作ってから、家を出る。
10時、NORAに到着。すぐに、ミーティングが始まる。先週与えられた宿題は、各自、理想の里山像、NORA像を考えてくるようにというもの。僕は、今朝の短い間で考えたものの、まったく明確なものとならなかったので、3月に構想した事業案をあらためて提出した。自分の場合、運動的におこなう事業ばかりで、収益事業となるようなものを提案できないところに弱さがある。
12時過ぎ、スタッフミーティングは終了。午前中から事務所に来て、木質バイオマス関連の資料を整理していた浦戸さんとともに昼食をとる。食後、吉武さんと2人で、横浜市役所へ。1時半、旧奥津邸の活用に関わる担当課のスタッフによる打合せが始まる。今回の打合せから、農政の職員も加わったので、正式に公園、緑政、農政が協力する三位一体プロジェクトとなった。今後は、この体制のもとに、従来の各課の仕事を越えて、利用者にニーズに応えられるような仕組みを作れればと思う。しかしながら、今日の打合せは不毛だった。1時間半話し合ったのに、各課の思惑が錯綜して、ほとんど何も決めることができなかった。もっとしっかり庁内調整をやってもらいたいもんだ。
3時、旧奥津邸に関する打合せは終了。それから場所を緑政課に移し、田並さん、中村さんとともに、バイオマス活用に関する研修会について話し合った。小1時間程度、話し合ってから市役所を出て、NORAに戻ったのは4時半。浦戸さんに作業の進み具合を尋ねると、やっとデータベース作りが一段落ついたところだという。神奈川森林エネルギー工房として、ぜひやっておきたかった仕事を終えることができて、非常に助かった。これが、浦戸さん自身の卒論研究にも役立つと嬉しいのだが。
8時半頃、NORAを出て、10時に帰宅。疲労して帰ってきたので、川嶋さんに依頼されたアリスセンターのサイト更新作業は明朝に持ち越して、寝てしまった。
6月28日(土)
7時半、起床。昨晩やり残したアリスセンターのサイトを更新する仕事を始めようとするが、パスワードを変更したのか、サーバに入ることができず断念。その旨を、川崎さんに伝えておいた。少し暇になったので、最近、メールをもらったのに返事を出すことができずにいた人の対して、まとめて10通ほどメールを送る。
12時過ぎに自宅を出て、小田急線を上り、新百合ヶ丘駅で多摩線に乗り換え、小田急永山駅で下車。そこからバスで聖蹟桜ヶ丘駅方面に向かい、養護学校前のバス停で降り、都立桜ヶ丘公園に行く。1時半、管理事務所に雑木林ボランティアの麻生さんを訪ねる。
この桜ヶ丘公園には、かつて倉本先生がコーディネーターとして常駐し、「やりながら考える」という管理のやり方を実践していた。しかし、倉本先生が離れてからは、レクリエーション的な活動に重心を移してきたため、少しずつ手を入れ、モニタリングしながら順応的に管理していくという方法は形骸化していた。そのことに疑問を抱いた麻生さんは、当初の管理方針にかなうようにと、独自で調査を進めて、新たな管理計画を作った。こうした経緯に興味を持っていたので、今回、麻生さんとアポを取って、話を伺う機会を設けたのだ。
前に一度、造園学会のシンポジウムで発表されたのを拝聴したことがあるが、麻生さんと1対1で話をしたのは初めてだった。話し方は控えめであるけれど、やっている調査の内容は緻密かつ膨大で、そのやり方の徹底ぶりには圧倒される。けっして大声で怒鳴るタイプではなく、静かに闘志を燃やすタイプなのかもしれない。2時間ほど話をお伺いし、公募型の公園ボランティアの限界、組織づくりの重要性などについて、新たな見解を得ることができた。やはり、自分1人で考えていてもダメだ。今日のヒアリング調査でも、他人の意見に耳を傾けることが大切であると思い知った。
一通りお話いただいてから、30分程度、ボランティアの方が管理されている区域を案内していただき、4時に公園を後にした。その後、町田に移動して、コンタクトレンズの洗浄液を6ヶ月分購入。玉川学園に戻って、オーオカヤマと三和で買い物をしてから6時頃に帰宅。軽く夕食をとり、8時半に外出。9時半、友だちの家に遊びに行き、そこでも軽く夕食をとる。暖かいトマトのスープが絶品だった。
6月29日(日)
9時前、新治の旧奥津邸へ。スタッフの中でもっとも早く到着したので、まずは主屋と長屋門を開けた。ほどなく、スタッフが集合し、里山の計画コースの2回目準備を始める。
準備中に、受講生の1人が散歩中のイヌに噛まれるというトラブルがあったが、大事には至らなかった。定刻10時には、池ぶち広場に20名弱の受講生が集まり、今日の講座がスタート。午前中は3班に分かれ、担当する林班内にコドラートを設けて、毎木調査をおこなうとともに、林班の植生概況調査もおこなった。昼食をはさんで午後は、午前中の調査結果をもとに、それぞれの林班の施業計画を立てた。僕がスタッフとして関わった1班は、新治市民の森愛護会の野田さん、若杉さん、山本さん、西村さん、ほかに長谷さん、細田さん、というメンバーで、良識的で社会的な人ばかりだったので、滞りなく施業計画を立てることができた。1時半ほど議論した後に、各班の発表があり、それに対して久保田さんがコメントして、3時に講座は終了した。
その後、NORAのスタッフは残って、主屋内を掃除。さらに、スタッフ間で8月の勤務シフトを定める。これが終わると、スタッフ6名がいても仕方がないので、浅羽さんと僕以外は帰ることになった。夕方は来訪者がなかったので、浅羽さんの娘さんが書かれた『殻島調書』という小説を読むことができた。殻島という調査員が、空想的な4つの町を訪れるというストーリーで、けっこう楽しめた。
6時、浅羽さんとともに旧奥津邸を出る。十日市場駅で浅羽さんと別れ、横浜線に乗っていると、携帯電話が鳴った。土屋さんからだった。明日から、NORAの研修旅行として伊那を訪ねる予定だったけれど、お世話になる予定だった人の身内に不幸があったため、急遽、中止することになったという連絡だった。
7時過ぎに帰宅。8時から『武蔵』を見て、見終わってから夕食をとる。10時過ぎ、友だちが遊びに来たので、一緒に枝豆&ビール。
6月30日(月)
今日と明日の2日間、伊那へ出掛ける予定だったところ、急に予定がぽっかり空いた。せっかくだからと別のところへ遠出するのも悪くないが、最近、家に引きこもることが少なかったので、今日はゆっくり休むことにした。
9時に起床するが、ふたたび床に就き、次に起きたら2時過ぎ。その後、洗濯機を2度回し、アヒルを食べてから、4時半頃に外出。夕食の買い物を済ませて、6時頃帰宅。夕食をとったり、雑誌に目を通したりしてから、2週間分の日記を書き始める。9日分を書いた頃、飽きてきたのでやめる。忙しかった6月も、最終日はゆっくりと過ごしましたとさ。