日記帳|2001年12月

12月1日(土)

 師走に突入。今年も残り1ヶ月となった今日は、ビッグニュースが盛りだくさんだった。ジョージ・ハリスンが亡くなった。皇太子の子供が産まれた。W杯の組み合わせが決まった。
 世の中は動いているようだが、僕は1日中家に居た。動くと金が出るので、最近はなるべくじっとして、家の中でやれることをやっている。今日も、昨日に引き続き、僕のサイトのマイナーチェンジ、および神奈川森林エネルギー工房の事務仕事に時間を使う。昼頃起きて、午後はずっとPCの前で作業。先月、僕のサイトにアクセスカウンタを設置したのに続き、今日、エネルギー工房のサイトにもカウンタを設置した。今のところ、僕のサイトには1日約25件のアクセスがあるが、エネルギー工房には、いったい1日何件くらいのアクセスがあるのだろうか?
 神奈川森林エネルギー工房の事務仕事をやっていて思うことは、けっこうやるべき仕事が多いことだ。バイオマスサロンの宣伝、申込み受付、データベースへの入力。頒布出版物の宣伝、申込み受付、データベース入力、出版物の発送。ホームページ、メイリングリスト、メイルマガジンのメンテナンス。運営委員会の議事録作成。助成金の申請。寄せられる質問・意見に対するコメント、など。1つひとつの作業量は多くないけれど、積み重なると半日や1日掛けて仕事することもある。今は、十文字さんが代表を務めているので、その分、まだ仕事量が少ないけれど、来年3月に十文字さんが佐渡へ引っ越したら、どうなってしまうのだろう。残ったメンバーでやり繰りしなければいけないのだが・・・。とはいえ、会計は辻本さんにお願いしているし、助成金の申請や細々とした事務仕事は土屋さんが引き受けてくれるので、大いに助かっている。今後は、会員の中で、もう少し広く仕事を分担した方が良いのだろう。
 夜、加藤尚武編の『共生のリテラシー』を斜め読み。環境倫理の本なので読んでみた。数編の問いの立て方に興味引かれる部分があったものの、その答えには満足することができなかった。もっと明快な、すっきりと僕を納得させるような議論はないものか。

12月2日(日)

 10時半、電話が鳴ったので起きる。お袋からだ。今日の7時半、弟に子供が産まれたらしい。男の子だと言う。これで、僕も伯父さんである。今日の満潮が8:24なので、やはり潮が満ちる時間帯に出産したのだ。こんなときに、ご託を並べても仕方ない。千栄さん、よくやりましたね。ご出産、おめでとうございます。
 昼食を取り、シャワーを浴びて、1時に外出。玉川学園前→町田→長津田→あざみ野→中川という、クエスチョンマークの鏡像のようなルートを辿り、中川駅近くにある西地区センターに行く。今日は、久しぶりに日本の竹ファンクラブの集まりに出席するのだ。2時過ぎ、センター内の会議室に入ると、比屋根さんがノートPCで何か作業している。大久保さんは、心地よい午後の日差しを浴びて眠そうにしている。しばらくすると、平石さん、唐戸さん、溝口さんも現れた。まず、代表の平石さんから、3月21日に開催するシンポジウムの準備状況について説明があった。その後は、来春に刊行予定の『日本の竹名鑑』の入力チェックに2時間近く時間を費やし、5時には会議室から撤退する。打ち合わせ終了後は、平石さん、溝口さん、比屋根さんと4人が残り、駅前の「天狗」で飲む。この宴会の席で、これまで『名鑑』作りにタッチしていなかった僕にも仕事が振られた。数ページ分の文章を書くことになった。
 一足先に比屋根さんが帰り、残りの3人も9時にはお開きになる。行きの交通費に670円掛かったので、帰りはもっと安く帰るため、次のルートを使用した。中川→あざみ野→新百合ヶ丘→玉川学園前。これだと590円なので、80円の節約になる。せこい。たしかにせこいが、このルートには経済的なコスト削減だけでなく、精神的なメリットもある。それは、あざみ野→新百合ヶ丘でバスを使うので、楽しいのだ。普段、交通機関といえば電車しか使わない人間にとって、たまにバスを利用すると少し嬉しかったりするものだ。
 10時半頃、自宅に到着。すぐにPCの電源を入れ、神奈川森林エネルギー工房のサイトにアクセスしてみると、カウンタが20となっていた。休日にこれだけのアクセスがあるのだから、平日は1日当たり30件くらいアクセスがあると思う。また、僕のサイトには、学会発表の時に使ったスライドをサイトにアップしてみた。これに自分でアクセスして、1人で感動する。自閉している。世界中に広がっているインターネットの世界の中で、極めてクローズドな世界を作り上げていることに一人で苦笑。これも自閉している。果てしなく続く自閉化の輪。その輪が同心円を描きながら狭まってくる。その引力の中心にいる僕。なんてことを想像している自分はやはり・・・。

12月3日(月)

 今日も、昼から夕方まで、神奈川森林エネルギー工房の事務仕事をして潰してしまった。1月に開くバイオマスサロンの講師依頼、頒布している報告書の発送、メイルで届く問い合わせへの返信、サイトのマイナーチェンジ、データベースへの入力など。1つひとつの仕事量は多くないけれど、積み重なると膨大な時間を費やしている。単に要領が悪いだけか。
 5時過ぎに家を出て町田へ。リブロで本を2冊購入してから横浜へ。7時から神奈川森林エネルギー工房の運営委員会に参加する。バイオマスサロンのこと、地球の学校事業のこと、来年度の組織体制についてなどを話し合う。十文字さんが佐渡に引っ越した後、誰を代表に据えるかが懸案となっている。人は僕にやれと言うけれど、正直言って荷が重い。自分がバイオマスで食っていくという覚悟があればできると思うけれど、他に勉強したいことが山ほどあるし・・・。
 9時半頃、運営委員会は終了。町田で夕飯を食べて、11時過ぎに帰宅。どうせやらなければいけない仕事なので、運営委員会の議事録を作成。深夜、長崎浩の『思想としての地球』を適当に頁を飛ばしながら読み終える。環境倫理の部分に興味を引かれて読んだのだが、言いたいことは分かるけれど、論理の組み立て方がいま1つ。

12月4日(火)

 10時起床。1時半過ぎに大学に到着。研究室のゼミに参加。今日は、陳さんとカルロスの発表があり、それぞれ母国の中国とコロンビアの話をされたので有意義だった。陳さんの日本語で書かれたレジュメは、ほとんど文法上の誤りがないパーフェクトなものだった。素晴らしい。またそのレジュメには、包括的に中国の高等教育機会に関わる生データが記載されていて興味をそそった。カルロスのプレゼンも簡潔に要点がまとまっていて聞き応えがあった。プレゼンの内容よりも、自然の多様さに目を奪われた。遊びに行ったら楽しいだろうなぁ。
 4時半、ゼミが終わり、研究室に戻る。橋本さんが帰り際、実家から送られてきたものの余っているからと言って、リンゴを1個呉れた。5時までに厚生課に出さないといけない資料があったので、リンゴは直ぐには食べず、ひとまず研究室を出て厚生課に行く。ついでに、図書館にも行って本を借りてから研究室に戻った。机に座ろうとすると、リンゴに女の子の落書きがある。「松村リン子」という名前まで書かれている。隣りにいるキノピーのイタズラだった。最近、イタズラすることもイタズラされることも無かったので新鮮だった。まさしく一服の清涼剤。皮を剥いて食べたリンゴも、非常に美味しかった。橋本さん、ありがとう。
 10時過ぎ、帰宅。サイトのカウンタが「1230」になった。明日中には「1234」に達するだろう。だから、何だって尋ねられると答えに窮するけれど・・・。

12月5日(水)

 12時頃、お袋が我が家にやって来た。最近、障害者介助の仕事が休みの時は、こちらに来ることが多い。20年近く玉川学園に住んでいたので、この辺りには彼女の知人・友人が多い。だから、僕の家を拠点にして知人・友人を訪ね歩き、得意の料理や果物などを配っているようだ。こういうフットワークの軽さと、いやらしい計算をしない人の良さが、お袋の魅力である。この点は非常に尊敬できる。
 お袋のことを一歩引いて見れば、このように評価できるのだが、身内として常に近くにいると、それが苦痛になることがある。なぜなら、僕はお袋のようにはなれないから。そうなれれば良いなぁ、そのようだったら良いのに、と思いながらもなれないので、自分を肯定することができなくなってしまうのだ。僕にはお袋が立派すぎるのだ。
 これは、お袋に限った話ではない。誰かと親しくなった場合、たいていその人は素晴らしい素敵な人だ。その点はとっても尊敬できるけれど、だからこそ側にいると自分が苦しくなってしまう。そうやって素敵な人から逃げ惑い、いつしか誰もいなくなった。もう、ほんの少しでも、気の利いたヤツだったら良かったのに、と思う。単に努力不足なんだけどね。
 お袋が彼女の知人宅から3時過ぎに戻ってきた。一休みすると言ってベッドで休んだかと思うと、1時間もしないうちに起きてきた。新百合ヶ丘にある豆腐料理の店「梅の花」を5時に予約してあるので、出掛けると言うのだ。お袋の友達の退院祝いをするとのことだった。その友達のことを僕も知っていたので、ついでだから一緒に夕飯を食べようということになり、車に乗って新百合ヶ丘に向かった。
 4時50分、新百合ヶ丘着。お袋の友達と合流し、「梅の花」にて3人で食事。腹がふくれるまで、豆腐料理をいただく。7時過ぎにお袋らと別れて、家に戻る。多少アルコールを嗜んだので眠たくなり、ベッドでしばらく仮眠を取る。
 12時前に起床。NHK「にんげんドキュメント」の再放送を見る。今回は、剣岳・仙人池ヒュッテのおかみさん(志鷹静代さん)をフィーチャーしたものだった。実は、すでに先週見ていたのだけれど、再び見てしまった。なぜか。これを見ると八重山のおばぁたちのことを思い出すからである。
 ところで、僕はおばぁと話をするとき、「おばぁ」と呼ぶことは稀である。たいてい「おかあさん」と呼んでいる。お袋のことを「おかあさん」と呼ばなくなって、すでに20年は経過している。中学に入った頃から最近になるまで、この言葉を口にすることは皆無だった。昨年、八重山の調査を始めるようになってから、再び使い始めたのだ。都心では「おばさん」あるいは「おばあさん」と呼んでいるような女性に対して、八重山では「おかあさん」と呼んでいる。おそらく、どこかに「おかあさん」と呼びたいという衝動があったのだと思う。尊敬と愛情を込めて、この言葉を言いたかったんだと思う。
 深夜、最近文庫化された宮台真司の『野獣系で行こう!!』を読む。うーん、なんで買ってしまったんだろう。だいたい書いてあることは予想がついていたのに。7時過ぎに就寝。
 書き忘れていたことがあった。弟の息子の名前は、遼太に決まったらしい。司馬遼太郎の遼太である。歌人の息子の名前だから、遼太という名前に込められている意味があるように思われるが、1ヶ月後に会えるから、そのときに聞くことにしよう。

12月6日(木)

 12時前に起床。昼食を取って、2時に家を出る。3時に土場ゼミ(公共性の社会学・上級コース)に出る。今日は、ずっと黙って土場先生の話を聞くだけだったので退屈した。人の話を聞くだけだったら、退屈しない方がおかしい。でも、東工大の学生は総じて大人しい。退屈だと寝てしまう学生がほとんど。退屈だから俺に喋らせろ、なんてヤツは見たことがない。はっきり言ってしまうと、東工大生が大勢いるから、大学がつまらないのだ。だから、キャンパスまで足を運ぼうという動機が薄れてしまうのだ。もっと、他の大学とか留学生とか近所の人だとかをキャンパスに入れて、純粋東工大生の比率を下げないと、大学はつまらないままだろう。
 4時半にゼミが終了。5時過ぎ、隣の部屋にいるコロンビアからの留学生・カルロスを訪ねる。彼は2ヶ月前から研究生として来ていたのだが、きっかけがなくて、今日までまともに話をする時間が取れなかった。一昨日、カルロスがコロンビアの概況と社会指標についてプレゼンして呉れたので、それに対して質問することをきっかけに少し親睦を深めたいと思い、隣の部屋をノックしてみた。
 カルロスはとても気さくなので、英語に不自由な僕でも、リラックスして話をすることができた。また、関心領域が僕と重なるところがあるので、話をしていると興味深い話題が次々と出て来るので、話をするのが楽しかった。先住民が希少動物であるウサギの一種を食べるという話は、西表島の事例と類似した部分があった。また、エコツーリズムについて尋ねると、治安の悪さが問題となっているため、エクアドルやベネズエラの方が盛んとのことだった。コロンビアでは、頻発する誘拐、横行する麻薬取引が頭の痛い問題であるようだ。「どうしたら、そういう問題を無くせるだろうか?」とカルロスの意見を聞くと、教育が大事と答えて呉れた。教育に対する思い入れの強い彼の問題関心が、そういう考えにもよく現れていた。
 こうした少し堅めの話から、家族の話、趣味の話、料理の話、日本語学習の話などなど、多岐にわたって話して呉れた。話の途中、唯一のきょうだいである妹さんがアメリカに留学していると聞いたとき、一緒に話をしていたサエちゃんが、「それなら、お母さんはコロンビアで一人で暮らしているの?」と尋ねた。このとき、彼は遠い故郷に一人でいる母を思い出したのか、切なそうな複雑な表情を見せた。こういうとき、僕には何も話し掛ける言葉を持ち合わせていない。ただ、彼の気持ちを慮ることしかできない。
 10時過ぎに帰宅。玉川学園の商店街はクリスマス用の電飾が光っている。このように郊外でもクリスマスムードが高まっているのだから、都心ではもっとクリスマス色が強まっているのだろう。今晩は、ナット・キング・コールとビーチ・ボーイズのクリスマス・アルバムを聴いて寝ることにしよう。アンドリュー・シスターズも捨てがたいが。

12月7日(金)

 12時過ぎに起床。風呂に入り、納豆スパゲッティを食べ、PCに向かう。僕のサイトと神奈川森林エネルギー工房のサイトを比較すると、僕の方が倍くらいアクセス件数が多い。エネルギー工房のサイトは、他のいくつかのサイトからもリンクが貼られているし、本にも紹介されているので、もっとアクセスがあっても良いはずだと思い、いま1つアクセス件数が増えない理由を考えた。理由は2つ考えられる。1つは、更新頻度が高くないこと。もう1つは、Yahoo! Japanに登録されていないこと、である。エネルギー工房のサイトでは、事務局日誌でも載せない限り、今以上に更新頻度を上げることは難しい。そこで、登録されることが困難と言われるYahoo!に載せるよう働きかけることにした。
 僕のサイトがYahoo!に登録されたのは偶然だった。たまたま、Yahoo!のスタッフが「環境社会学」というカテゴリーを新たに作ろうとしていたとき、僕のサイトを発見したらしく、ある日突然、「貴サイト登録のお知らせ」というメイルが舞い込んで、知らぬうちに登録されていたのだ。だから、審査登録型のサーチエンジンとは、こういう風にして登録されるのか、と思っていた。しかし、少し調べると、サイトを登録してもらいたいときには、こちらからYahoo!にサイトの推薦・依頼を行なうことができることが分かった。そこで、Yahoo! Japanのサイトから「サイトの推薦・依頼」にアクセスし、「自然科学と技術 > エネルギー > バイオマス > 団体」の中に登録されることをねらって、フォームに必要事項を記入した。僕のサイトでさえ登録されているのだから、公共性の高いエネルギー工房のサイトは登録されて良いはずだ。とは言え、ある登録代行サービスによるYahoo!評には、「他のサーチエンジンすべてのアクセス数を合算した数字をも越える格段のアクセス数を誇る。しかし、その掲載には『奇跡的』と囁かれる程の超難関をも誇る」と書かれている。どうなることやら。また、Yahoo! Japanに飽きたらず、登録代行サービスを利用して、いくつかのサーチエンジンにエネルギー工房の登録を済ませる。アクセス件数が増え、会員やイベントへの参加者が増え、収入が増えて事業規模が大きくなり、専従スタッフを雇って・・・、というように上手くいくことはないのかねぇ。
 3時頃、図書館で借りてきた『台湾先住民の文化 伝統と再生』(国立民俗学博物館)を読了。八重山と台湾は近いけれど、衣装には大きな違いがある。大陸から木綿が多く入ってきたためか、特に儀礼用衣服のデザイン・質感は全く異なる。武器が発達しているのは、狩猟はもちろん首狩りを行なっていたためだろうか。全体的に文化要素については、東南アジア・オセアニアと類似点が多いようだ。バスケット(籐製のかご)に、僕が欲しいものがありそうだ。
 台湾は、オランダ、清、日本の支配を受けてきた歴史がある。日本との関係で言えば、霧社事件のようなこともあった。もちろん、そういう面に目を背けているわけではない。台湾へ旅行に行けば、そのことを今よりももっと考えることになるだろう。でも、逆に台湾はそうした大きな物語に回収されてしまいやすいため、台湾に住む人びとの生活がクローブアップされることは少ないように思う。だから、台湾先住民の文化に焦点を当てて、こういう本は重宝する。
 夕方、日本の竹ファンクラブが作る『日本の竹名鑑』の原稿を書く。平石さんから依頼されたのは、アンケート結果をまとめる作業だった。すぐに書き上げるつもりだったが、実状をあまり知らないことについて、アンケートの文面から筆を滑らせないように書くことは案外難しかった。結局、今日中に終えるはずだった作業を7割くらい済ませて中断する。
 7時、家を出て、8時に横浜駅到着。先週に引き続いて、今日も小浜島ファームでキビ刈りをした友達との飲み会があった。今日は、アツシさん、タカさん、ユッコさん、ユウタが集まった。アツシさんが撮った八重山と小笠原の写真を見ながら、12時過ぎまで飲み、男連中はそのままユウタの家になだれ込む。ユウタの家に着くと、すでに僕らが泊まることが予想されていたらしく、アツシさん、タカさん、それに僕の分の布団が敷かれていた。4時過ぎまで飲み、用意された布団で就寝。

12月8日(土)

 10時半に起床。ほかの3人は寝ていた。アツシさん、ユウタ、タカさんの順に起きるが、全員起きたのは1時頃。昼食をいただき、NHK「北条時宗」の再放送を見てから、ユウタの家を出る。相鉄線と小田急線を乗り継ぎ、自宅に到着したのが4時過ぎ。ベッドに横になりながら、浜田久美子さんの『木の家三昧』を読了。
 僕が浜田さんを知ったのは、一昨年のことである。「よこはまの森フォーラム」を通じて、当時「桜ヶ丘・森の仲間たち」を引っ張っていた浜田さんと知り合ったのだ。そのときにはすでに浜田さんは『森をつくる人びと』を著しており、ちょっとした有名人だった。昨年、浜田さんは横浜から長野県の伊那に引っ越してしまったので、最近は会う機会に恵まれていない。
 『木の家三昧』は、浜田さんが木をたっぷり使った家を建てた顛末記と、「木の家」建築に当たっての専門家へのインタビューから構成されている。浜田さんの木への愛情がぎっしり詰まった素敵な本である。しかし、木の家はもちろん、自分の家さえ建てようという気持ちがない(そんな経済力は微塵もないし、将来的にも可能性が感じられない)僕には、かなり縁遠い話だった。
 7時から、NHKでチャンピオンシップ「鹿島アントラーズ×ジュビロ磐田」を観戦。ともに、けっして大きくない町をホームタウンとしている両チームが、日本のサッカーを牽引していることは非常に面白い事実だと思う。結果は、1-0でアントラーズが延長Vゴール勝ち。アントラーズ・ファンの僕として嬉しかったけれど、名波のいないジュビロに勝っても、嬉しさは中くらいかな。
 続いて、チャンネルをフジに変え、「K1グランプリ2001」を見る。今年の冬にサモアへ行って以来、サモア・ファンになっている僕は、当然のごとくサモアの怪人=マーク・ハント(ニュージーランド)を応援。準々決勝で本命のジェロム・レ・バンナを倒したマーク・ハントは、見事、初優勝。やったね。
 優勝が決まったとき、クィーンの“We Are the Chanpion”が流れていた。その1時間半前、小笠原のフリーキックがゴールに突き刺さり、アントラーズの優勝が決まったときにも流れていた。チャンピオンに最も相応しい曲なんだろう。僕が音楽を聴き始めたとき、すでにクィーンは全盛期を過ぎており、フレディー・マーキュリーはソロで、“I Was Born to Love You”なんかを唄っていたなぁ。その彼も、すでに天に召された。しかし、曲は残った。“We Are the Chanpion”は、勝者を称える名曲として、今後も唄われ続けるだろう。

12月9日(日)

 昼過ぎに家のインターホンが鳴る。誰だろうと思って出てみると、朝日新聞の人だった。一昨日、新聞購読を止めたいと電話連絡したので、販売所の人が引き止めに来たのだ。
 最近、本当に金欠で困っているので、一昨日、毎月の経費を見直してみた。ADSLを導入したのをきっかけに不要な経費を削ることにしたのだ。たとえば、キャッチホンを止めたりとか、カードを解約したりとか。そのうちの1つで、最も金額的に大きいのが新聞を止めることだった。インターネットで事足りるだろうと思っての決断だった。
 販売所の人は、次のように僕を説得にかかった。すなわち、いったん契約したものが解約されることを「崩れ」と言う。これは、販売員の成績にモロに響く。僕との契約を交わした販売員は、非常に頑張っているので、どうか思いとどまっていただけないか、というものだった。僕は、冷たくこう言った。毎月100円しかかからない電話サービスを解約しているような状況であるので、人のことを構う余裕はない、と。ごめんね。僕にお金があったら、新聞を購読するくらい訳ないのに。貧乏人は、人を喜ばせることが難しい。
 3時頃、日本の竹ファンクラブの仕事をやる。一昨日の続きで、『日本の竹名鑑』の原稿書きだ。全国の市町村から回収したアンケートの結果をみて、適当な文言を書き連ねるという単純作業なのだが、これが結構疲れる。フィールドワークをやるようになって、アンケートだけから文章を書くことにためらいを感じるようになった。だから、アンケートから、えい、やーと、適当に書くのは、精神的に苦痛なのだ。
 5時前、平石さんに電話する。そして、今日の5時から横浜市営地下鉄中川駅近くの天狗で、日本の竹ファンクラブの会合があったのだが、これを欠席させてもらった。理由は、打ち合わせ場所まで往復2時間以上かかるうえに、もし参加して、これ以上仕事を振られたら、やりこなす自信がないからだった。
 夜、布団に潜りながら、数土直紀さんの『自由の社会理論』を読み終える。一部、分からなかったり(特に数学的付録の部分)、論証に納得できない部分があったが、全体的には面白かった。「自由であること」と「社会があること」を対立的に捉えずに論じていくことに共感した。特に、自由と権力を論じる部分は参考になった。また、批判の対象として、無視される対象として、あるいは導きの糸として、いろんな偉い人が出てくるので、社会理論の大ざっぱな見取り図を得るのにも便利。

12月10日(月)

 昼過ぎ、十文字さんから電話が入る。風邪を引いたので、今晩のバイオマスサロンには出られないとのこと。
 さて、いよいよ八重山~台湾旅行が明後日に近づいてきた。今回は、3週間の旅となる。出発前にやらなければいけないことと言えば、冷蔵庫の食品を全部平らげること。まだ庫内には、卵、納豆、牛乳、ハム、レタス、大根などが残っている。これを明後日までにきれいに食べなければいけない。取りあえず今日は、BLTサンドと納豆スパを食べる。大根はツナスパに使えば良いし。明日もBLTサンドを食べて、牛乳を飲めば、だいたい無くなりそうだ。あとは、生ゴミを捨てることさえ忘れなければ、家に帰ってきたとき異臭に困ることはないだろう。
 4時に家を出て郵便局に行き、購入依頼のあった『解体木材からエネルギーを!?11の提案』を冊子小包で送る。また、旅行に向けて、隠れ貯金である生保の据え置き金を引き出す。だいぶ隠れ貯金も減ってきた。大きな怪我や病気には気を付けよう。
 4時半、町田駅下車。ヨドバシカメラで、リバーサルフィルムと単3・単4電池を購入。6時、横浜駅下車。かながわ県民活動サポートセンターへ直行。今日は、第4回バイオマスサロンの日である。講師は、東京都の真田勉さんで、テーマは「東京都・木質ペレット事業化の展望」。東京都が、再来年度に木質ペレットの生産プラントを稼働させるよう計画しているので、その事業化に向けての展望を話してもらうという内容である。風邪のため十文字さんが不在なので、佐々木さんに受付をお願いし、僕が進行と記録を担当することになった。定刻5分遅れの6時35分からバイオマスサロン開始。話題性のある木質ペレットがテーマだったので、参加者は20名と普段よりも多かった。中には、かつての会社の同僚もいたりして。
 真田さんには約1時間まとめて話していただき、休憩を5分挟んで、質疑応答というスタイルを取った。サロンと言うよりも勉強会という感じだったが、9時には無事終了。話を聞いた感じでは、木質ペレッのト需要を喚起することが最大の課題と思われた。また、一般市民への説明責任を果たすことの重要性も感じた。まだまだやるべきことは多い。
 サロン終了後、近くの居酒屋で懇親会を催す。会員、一般合わせて11名が参加。懇親会に足を運んで下さる一般の方が多かったので、一安心。だって、サロンが終わって、すぐにそそくさと帰られたら、寂しいでしょ。せめて、一杯でもいいから付き合っていただけると、サロンを開いている意義があるような気がする。
 11時前に懇親会はお開き。真田さんとは帰る方向が同じなので、途中まで話ながら一緒に帰る。真田さんは人柄が良い。また、けっこうロマンティストで素敵だ。仕事に誇りを持っている真田さんのような役人は尊敬できる。
 しかし、僕はアナーキーな方なので、一般的にあまり役人とは性が合わない。だいたい、日本の市民活動の現状を見ると、(良識的な)役人が活動を引っ張っていることが多すぎる。これは、あまり面白いことではない。もっと普通に多様な人が政治に関わる仕組みを作らないといけない。それには、働く時間を減らさないといけない。また、お金の流れる仕組みも変えないといけない。ハードルは高いけど、このお金の流れを変えることは、やってみる価値があると思う。
 帰宅すると、お袋からメイルが入っていた。最近の日記に、お袋に対して冷たく書いたことがあった。それで気を悪くしているか心配していたので、読み始める前に緊張した。でも、書かれてあった内容は、上手く言えないけど、良かった。お袋はキー入力が上手でないので(それでも、還暦を目前にしてPCに取り組み、今となっては不自由なくメイルを打てることを凄いことだと思う)、ところどころに入力ミスがあったけれど、言いたいことが良く伝わる内容だった。親父もメイルが打てるようになると良いのに・・・。

12月11日(火)

 昼過ぎに家を出て、町田のヨドバシカメラへ。留め具がいつの間にか紛失していたサングラスを治してもらう。当然、有料だと思っていたら、サービスしてもらえた。気を良くして横浜線に乗り込み、関内へ向かう。2時頃、アリスセンター到着。久しぶりにアリスに来てみたが、知らない人が増えていた。聞けば、政府の緊急雇用対策で2人を雇ったと言う。不景気な今、雇用の受け皿としてNPOは期待されている。これは、NPOの職員やアルバイトの給料が低いから、政府がそこに余剰人員を押し込もうとしているのだ。こうした政策によって、NPOの給料が安値安定となってしまうことを危惧する。
 アリスに来た理由は、旅行を前に弟の歌集を買ってもらうことだった。結果、綿引さんには2冊購入していただき、勝野さんには1冊購入の約束を取り付けた。心優しい方に囲まれて生活していることに感謝。
 桜木町から東横線に乗り緑が丘を目指す。4時、研究室に到着。キノピーと1週間ぶりのお喋り。キノピーの友達が、この日記を読んでいるという話になる。その人は、全然、見ず知らずの人の日記を読んでいるわけだが、それってどんな気持ちなのだろう。想像すると、不気味だ。そういう人が、BBSに何か書いて呉れると、僕にとってもこのサイトが面白くなるのだけれど。
 8時、丸ちゃん、ジローラモ、池ポン、タバティと5人で「丸福」に行き、夕飯を食べる。最近、僕が引きこもっているのは、大学に嫌気をさしたからだという話題になる。おそらく、数日前に書いた日記のせいだろう。でも、その認識は間違えている。単に、定期券が切れているので、お金を節約するために移動しないだけだ。もし定期券を購入すれば、せっかく買ったのだから研究室に行かないと損だという気持ちになり、足繁く通うだろう。
 5人トークが長引き、店を出たのは10時過ぎとなった。帰宅したのが、11時半頃。まだ、旅行の準備はまだ全くできていない。でも、明日の出発は1時40分だから、まだ余裕こいていられるのだ。明日、やればいいさ。

12月12日(水)

 8時過ぎに起床。風呂に入り、朝食を取り、荷造りを始める。急いでいたためか、保険証が見つからない。仕方ない。病気・怪我に注意すればよいだろう。11時頃、家を出る。小田急線、南武線、京急線を乗り継いで、羽田空港駅には12時40分頃到着。チェックインを済ませた後、花園饅頭で東京土産を調達。13時40分、JTA73便にて羽田発。
 機内を見回すと、客席は半分も埋まっていない。今日は、バーゲン割引が適用されているにもかかわらず、客が少ない。アメリカの同時テロ以後、沖縄を訪れる観光客が減少していると聞いていたが、その影響かもしれない。現在、沖縄観光を盛り返すため、県をあげて「だいじょうぶさー沖縄」キャンペーンを展開中である。しかし、客席の埋まり具合を見て、だいじょうぶか?沖縄、と思ってしまった。
 客が少なかったことが幸いして、前方窓際の席が取れたので、離陸からしばらくは、窓から見下ろせる風景を眺めて過ごす。極めて天気が良かったので、三浦半島、富士山、箱根カルデラなどがよく見渡せた。伊豆半島を過ぎ、機体が本州から離れ、御前崎が遠くに見えにくくなったので、風景鑑賞を諦める。その後、新聞、機内誌、それに持ち込んだ書類などに目を通すなどして、3時間のフライトを過ごそうとするが、時間を持て余し、普段は聞くことのない機内ラジオを聴く。沖縄の音楽を聴かせる番組にチャンネルを合わせ、「てぃんさぐの花」「さとうきび畑」などを聴く。5時、石垣空港到着。
 飛行機を降りると、そこはまだ夏だった。着ていたフリースを脱ぎ、長袖のTシャツ1枚になるが、これでも暑い。半袖のTシャツと短パン、それに島ゾーリでちょうど良いくらいだ。5時半、空港発のバスに乗り、桟橋前まで。6時頃、民宿「楽天屋」にチェックイン。荷物を下ろし、まずは「むゆる館」で『八重山手帳2002』を購入。僕の場合、2000年版から使っているので、まだ3冊目。何冊になるまで八重山に通い続けるのだろうか。
 6時半、「南ぬ島」でゴーヤチャンプルーとライスを食べる。缶ビールを2本買って民宿に戻り、それを飲み干して横になると、そのままぐっすり。11時頃、いったん目を覚ましてコンタクトレンズを外し、届いているメイルを確認してから、あらためて就寝。

12月13日(木)

 8時起床。昨日はシャワーを浴びずに寝たので、朝シャンしようと浴室に向かうと、すでに先客がある。しばらくして、この先客が出た頃合いを見計らって再び浴室に行くと、別の人が入っている。さらに、浴室のそばに待ち人もいる。この待ち人が出てくるまで待っていられないと思ったので、シャワーを浴びずにチェックアウトする。
 10時、県立図書館八重山分館に入る。ここで、12時まで本を読んで過ごす。お昼を周り、県立図書館から近い「旅の宿」にチェックイン。荷物を置いて、「ゆうくぬみ」で日替わりランチ(700円)を食べる。店の人から、「髪伸びたから、最初分からなかったさぁ。色、白くなったねぇ。それに、やせたんじゃない?」と声を掛けられる。たしかに、東京ではあまり屋外にいないので、肌の色は落ちただろう。もともと、色は白い方だから。一方、体重については、10月に帰京した直後より4キロほど減っている。なあに、八重山で美味しい料理を食べていれば、また肥えるだろう。
 2時、有村産業を訪ね、台湾行きの船のチケットを購入。学割を使って、ちょうど10,000円。乗船券を買って、やっと自分が台湾に行くのだという実感が湧き始めた。
 2時半、石垣市立図書館に行く。ここ最近の八重山の動向を知るために、古新聞をまとめて読む。これは、僕が八重山に来るときに楽しみにしていることの1つである。関心のある記事をチェックしておき、そうした記事をまとめてコピーする。これを終えると、2階の郷土資料コーナーに行き、担当の飯田さんと再会する。
 飯田さんとは、図書館サービスの提供者と利用者の関係であるが、今年は、小浜島の旧盆のときに同じ家で寝泊まりするなど、一介の図書館利用者として以上に親しくしている。その飯田さんから2ヶ月前、ご自身が編集している「あかがーら」に掲載する記事を書くよう依頼されたので、「ささやかな願いを叶えるために」という西表島に関する小さな記事を書いたことがあった。こうしたことがあったので、挨拶するとすぐに飯田さんは、記事が載っている「あかがーら」の17号を10冊持ってきて、僕に呉れた。ありがとうございました。さらに、ちょうどそのときに資料コーナーで真剣に調べものをしていた研究者を紹介して呉れた。その人は、郷土史の研究者で、八重山の戦争や戦後史などの非常に詳しい太田静男さんだった。せっかくの機会だったので、太田さんから研究上のアドヴァイスをいただいてから、4時半頃、図書館を出る。町役場の農林水産課で統計資料をゲットした後、いくつか本屋を回り、購入したい本をリストアップ。本は、買うと荷物になるので、石垣を出る前にリストからさらに厳選して、まとめて買うつもり。
 6時、郷土料理店『磯』で磯定食(700円)を食べる。その後、『串や』に場所を移し、昨日と今日だけ特別サービスで全品1串100円となっていた串焼き・串揚げを頬張り、満腹状態で宿に戻る。かなり食い過ぎ。

12月14日(金)

 8時起床。昨晩は、部屋に蚊が入り込んでいて、かゆくてうるさかった上に、一昨日とはうって変わって冷え込んだので、毛布1枚では寒くてよく眠れなかった。いまいち、すっきりしないまま、9時にチェックアウト。すぐに、町史編纂室を訪れ、竹富町内の島ごとの統計資料を探してみたものの、見当たらない。続けて、八重山観光フェリー、県立図書館を訪ねてみても、欲しい資料が見つからない。今回の旅行は調査が目的ではないので、資料探しを簡単に諦め、11時の船に乗って竹富島に向かう。
 10分ほど船に乗ると、島に到着。港まで迎えに来ていただいた正聖さんが運転する送迎車に乗って、定宿としている「内盛荘」へ。荷物を置き、スミさんに東京土産の甘納豆を差し上げてから民芸館に行く。この民芸館は、10月初旬に中筋部落から引っ越して新しくオープンしたものだ。取りあえず、館内をゆっくり1周してみたが、なかなか素敵な感じだった。民芸館を出ると、次は昼食を取るために「やらぼ」に行く。食べたのは、もちろん「フーチバジューシー」(600円)。竹富島に来たとき、必ず食べたくなる味だ。美味しくいただいた後、1時に店を出て、隣の「とも倉」へ。そこで1時間以上、店番の次子さんから竹富島の芸能について話を聞いた。
 3時頃、中筋部落を歩いていると、家の工事をしている最中のウシオさんに出会う。少し立ち話をしてから、ウシオさんが「コーヒーでも入れましょうか?」と言うので、家にお邪魔して遠慮なくいただくことにした。ウシオさんは、島で見つけた木の実や貝や流木などを使って、アクセサリーなどを作ったり、オリジナルのTシャツを作ったりなどしている。潮さんの創作物は、首里王府の影響下にある高級でかしこまった感じとは異なり、土着的で勢いがあり、アニミズム信仰とも近しい印象を受ける。いろいろ話をしてみると、岡本太郎や柳田国男の見方も共鳴するところが大きいと分かり、彼の創作意欲がどこにあるのか自分なりにつかむことができた。なんだかんだと5時半頃までの長話となったのでお暇する。
 6時から夕食。今日の宿泊客は、素泊まりを除くと4人だった。いつもの大勢集まる夕食が当たり前となっていたので、少し寂しい夕食だった。8時頃からユンタク開始。今日は寒いため、外で飲むのは辛いだろうということで、食堂にて泡盛のお湯割りを飲みながらお喋りする。宿泊客4人で1時半まで。

12月15日(土)

 8時45分起床。朝食の時間は8時なので、完全な寝坊である。慌てて顔を洗い、残して置いてある食事をいただく。朝食を終えると、集落内をぶらぶら散歩する。まず、粟を植えるために畑を耕していた大山夫妻にご挨拶。次に、道ばたで公民館長の奥さんにお会いして立ち話。しばらく話し込んだ後、波照間の黒糖を下さると言うので、お家まで場所を移動して、お土産に2袋をいただく。
 このいただいた黒糖は、ただの黒糖ではない。波照間島では、すでに製糖工場が今月7日から動いているが、その工場の初釜から取れた黒糖なのである。初釜の黒糖は、島外には持ち出さないものと決まっているので、普通、これを手に入れることのできる島外の人は少ない。それが、奥さんは波照間出身なので、数日前に帰京したときに入手できたのだと言う。そんな縁起物を、2袋も下さったことへ感謝。
 思いがけないお土産を手に、その後は、正玄さんの畑を訪ねたり、正子おばぁを訪ねたりして、1時半まで過ごす。1時45分、竹富発の船に乗る。2時から始まる柳田国男歌碑建立記念講演を聞きに石垣市民会館に向かったのだ。2時ちょい過ぎ、会場に到着。さいわい、まだ講演が始まっていなかった。5分くらい経って、やっとスタート。今回ののプログラムは、日本民俗学の大御所・谷川健一さんによる基調講演「柳田国男の民俗学」と、山下欣一・岡谷公二・来嶋靖夫氏を交えたパネルディスカッションの二部構成。谷川さんは、最近、岩波新書から出した『柳田国男の民俗学』の中から、特に柳田の『海上の道』に関するところをメインに話された。小1時間の講演だったものの、小さなもの、日常的なささやかなものに目を向け、耳を傾ける民俗学への拘りと誇りを強く感じた。パネルディスカッションについては、それぞれのパネラーが自分の研究分野における柳田を語っただけで、有効の議論はできなかった。しかし、岡谷さんは詩人であった柳田について、来嶋さんは短歌を詠む文学者としての柳田について、山下さんは奄美・八重山研究を生んだ柳田について、それぞれ簡潔に魅力をお話しになったので、興味深く拝聴した。
 4時半頃、記念講演は終了。最終便まで時間があるので、「ゆうくぬみ」でぜんざい抹茶セット(500円)を食べる。そして、5時半の最終便にて竹富島に戻る。
 6時に夕食。7時からは、食堂でお茶を飲みながら、宿泊客とトーク。9時から11時近くまでは、正玄さんの話に耳を傾ける。話題は多岐にわたったけれど、正玄さんとスミさんとの馴れ初めがユイマールと深い関わりがあるという秘話を伺うことができたのが良かった。11時過ぎ、久しぶりに星空となったので、散歩しながら星を眺める。11時半過ぎに宿に戻り、就寝。

12月16日(日)

 8時に起きて朝食。今日は4日ぶりに好天だったので、島内を散歩する。コンドイ浜、カイジ浜は人影もまばらで、それでいて海は青く澄んでいて、最高の一言に尽きた。カイジ浜にエイタツを訪ねたが、今日は休みだったため、スタッフによろしく伝えるようお願いして立ち去る。その後、井上さんの畑をお邪魔し、今後の栽培計画などを拝聴する。12時半、「たきどぅん」に勝おばさんを訪ね、サータクンコーを買う。昼食には、このサータクンコーを食べてから、1時15分の船で竹富島を出る。
 1時半、石垣島到着。桟橋近くの土産物屋に入り、ちゅらさんグッズをお土産として購入。2時に出発する小浜島行きの船に乗ろうとしていたので、無料インターネットコーナーを利用して、自分のサイトの掲示板に書き込む。その最中、たまたま谷中先生が現れたので、1時間、出発を遅らせて、40分程度話をする。3時、石垣島を出発し、小浜島に向かう。船の中で、知り合いの小学校の先生と出会ったので、小浜島に到着するまでずっと話し続ける。
 3時半、小浜島到着。送迎車に乗って、民宿「みやら荘」へ。近くの構造改善センターで、老人クラブ、青年会、婦人会による交流ゲートボール大会が開かれていたので、すぐに足を運ぶ。研にぃファミリー、キヨおばぁ、ヤスおばぁ、ユキおばぁ、英光おじぃらにご挨拶。洗濯を済ませてから、昭おばぁを訪ね、約1時間ユンタク。宿に戻り、シャワーを浴びていると、ヒデミツさんから「松村!」と声が掛かる。慌ててシャワーを済ませ、声のする方へ行くと、焼き牡蠣が用意されていた。これに舌鼓を打った後、夕食も美味しくいただく。
 8時過ぎ、研にぃの家にお邪魔する。昨日、竹富島でもらった波照間島の黒糖をお土産として差し上げると、喜んでいただけた。研にぃもサトウキビを作っているので、他の島の黒糖が気になるようだ。
 10時近くから、子ども達と一緒にビデオ『もののけ姫』を見て、12時近くにお暇する。帰り際、ナオから折り紙付きの色紙をもらえたのが嬉しかった。突然の訪問をいつも快く受け入れていただいている研にぃ、マリコねぇ、いつもありがとうございます。それと、ユウマ、タクマ、レイマ、ナオ、(ヒロナ)、いつも楽しませてくれてありがとう。

12月17日(月)

 8時、朝食。9時過ぎ、クバマコーポレーションにイシさんを訪ね、今晩、石垣島でナリちゃんと会う約束をする。その後、アールムティに向かって散歩。「はいむるぶし」で、お土産に「ちゅらさん」Tシャツを購入。それから、先月、仮オープンした南西楽園のゴルフ場を視察。部落に戻ってくると、すでに12時。「シーサイド」に入り、野菜そば(500円)を食べる。
 昼食後、機織りしているユキおばぁを訪ね、しばらくユンタク。2時、「みやら荘」に戻り、1時間程度、昼寝する。3時20分、杉ちゃんに民宿から港まで乗せてもらい、3時半に小浜を出発する船で石垣へ。
 4時、石垣島到着。すぐに、「旅の宿」にチェックイン。ナリちゃんに電話し、6時過ぎに桟橋で会うと決める。5時、美容室に入り、髪を切る。5時40分、文教図書にて『竹富町史』2冊を購入。6時、離島桟橋に行き、ナリちゃんと再会。小浜島でキビ刈りしていたときに坊主にして以来、全く髪を切っていないというだけあって、髪の毛が伸び放題になっていた。ほどなく、小浜島からの最終便で石垣島に戻ってきたイシさんと合流。元ファームの3人で再会を喜ぶ。
 イシさんの案内により、アジア料理店、喫茶店、居酒屋をはしご(店名はすべて不明)。泡盛飲んで、馬鹿話に興じ、八重山最後の夜を満喫。イシさん、ごちそうさまでした。ナリちゃん、小浜でのキビ刈りはしんどいだろうけれど、最後まで怪我しないで無事にやり遂げてください。

12月18日(火)

 7時に起床し、サイトの更新、メイルの受送信。9時、「旅の宿」をチェックアウト。郵便局に行き、台湾に持って行かなくてよい荷物をまとめて郵送。さらに、1月のバイオマスサロンに関して、十文字さんと小川町自然エネルギー研究会の桑原さんに連絡。
 10時15分、乗船のためフェリー乗り場に行くが、フェリーがない。有村産業を訪ねると、フェリーの到着が遅れているとのこと。30分程度遅れて、10時45分にフェリー到着。石垣島で降りる客を待って、11時頃、乗船。受付を済ませ、2等船室に案内される。同室となったのは、男性2名。1人は、台湾からタイ、最終的にはインドを目指している旅人。もう1人は、料理を目当てに台湾に渡ろうとする人(池田くん)だった。
 12時頃、石垣島を出港。天気は曇りだったが、比較的暖かかったので、デッキに出てみる。すると、同室の池田くんがいたので、小1時間、海を見ながらトーク。しかし、次第に天気が悪くなり、寒くなってきたので、客室に戻る。ベッドに横になりながら、ガイドブックを眺めていると、いつの間にか寝てしまう。起きると、外は雨が降り、波は荒れ、船は激しく揺れていた。デッキに出られるような状況にないので、ベッドで映画『ペイ・フォワード』を見る。放映終了後、軽い船酔い状態を覚えていたので、毛布を被って寝る。再び起きると、池田くんから「着きましたよ」と声。部屋を出て外の様子を見ると、船はすでに基隆(ジーロン、英名:キールン)港に入っており、着岸態勢に入っていた。現地時間6時頃(日本時間7時頃)、基隆港到着。ほどなく下船し、ターミナルで入国検査を済ます。また、両替(1円=0.25NT$)も行なう。
 当初は基隆からすぐに台北に行こうかと考えていたが、池田くんの勧めで、基隆にツウィンルームを借りることにした。雨の中、大きな荷物を背負って移動するのが面倒だったからだ。お互い安宿に拘っていなかったのでホテルを探し、「北都(ベイドゥー)大飯店(ダーファンディエン)」で台湾最初の夜を過ごすことにする。シーズンオフだったためか、普段は2,500NT$以上する部屋が1,580NT$だった。荷物を下ろすやいなや外出。四川料理が好きだという池田くんに合わせて、四川料理店を探すが見当たらない。商店街のおばさんに筆談で訪ねると、そのおばさんは私に付いてきなさいという仕草をして、道案内して下さる。約10分歩き、義一路沿いにある四川料理店(「四川菜館」だったか?)に到着。親切なおばさんに礼を述べて別れ、店に入る。茹で豚のニンニクソースかけ、田ウナギの炒め物、麻婆豆腐、白菜のスープ煮を食べる(計684NT$)。2人で4品は多すぎたため、かなり満腹。
 8時半頃に店を出て、基隆の町を約1時間散歩。夜市で食べられるほど胃袋に余裕がないので、口をさっぱりさせるためにスイカを購入(50NT$)。それと台湾ビールを買って、ホテルに戻る。テレビを点けると、台湾、アメリカ、日本の番組がごちゃまぜに流れている。そのうちの1つのチャンネルでは、1975年頃の全日本プロレスが流れていた。ここ台湾で、亡くなったジャイアント馬場やジャンボ鶴田が元気に戦っている姿を見られるとは嬉しい。12時頃、就寝。

12月19日(水)

 7時半頃、起床。朝粥でも食べようかと思い、8時に池田くんと外出。今日は朝から雨が降っている。しばらく朝粥の店を探すが見つけられないので、池田くんの勧めでタクシーを拾い、粥の美味しい店に連れて行ってもらうことにする。ただ粥とだけ書いた紙を見せ、タクシーに乗り込むと、夜市で賑わう廟口小吃(ミアオコウ・シアオチー)で降ろされた。しかし、そこには粥の店は無かった。でも、さらに探すのも馬鹿らしいので、豚肉そぼろご飯と豆麺(計70NT$)を食べる。ホテルに戻り、9時過ぎにチェックアウト。僕は『非情城市』のロケ地となったジウフェンに行くと言うと、池田くんも一緒に行くことになった。ホテル近くの停留所からバスに乗ると、瑞芳駅を通って、約30分かけてジウフェンのバス停に着く(40NT$)。
 ここジウフェンは、9月~翌年3月まで長い雨期があり、年間雨量が5,000mmを越えるようだ。雨足はますます強くなっている。まずは交番に入り、宿を案内してもらうが、英語や日本語が通じず要領を得ない。仕方なく、バス停近くの縁木坊というホテルにチェックイン(800NT$)。後で分かったことだが、この辺りの安い住宿(民宿)ならば400NT$くらいで泊まれたらしいが。
 メインストリートの細い階段を上がり、少し散歩する。しかし、風雨が激しいので、11時半頃、「ジウフェン茶房」に入り休憩。池田くんと一緒に香清翠茶を飲む(160NT$)。茶葉(400NT$)の残り分は、2人でお土産として分けた。
 1時頃、『非情城市』にも登場したという「ジウフェン老麺店」でワンタン麺(25NT$)を食べる。店を出るが、台風並の風雨になってきたので散歩を取りやめ、旧道口バス停近くの喫茶店に入る。3時頃、一向に雨足が弱まらない中、タクシーで基隆に向かう池田くんと別れる。
 一方の僕は、風雨が強いので宿に戻ることにする。その帰り道、ジウフェン名物の芋圓を注文。これは、タロイモと小麦粉の団子から作った団子で、お汁粉のようにして食べる。30NT$と安いのに、量が多くて、けっこういける。3時過ぎ、宿に戻り休憩。6時過ぎまで寝る。起床後、シャワーを浴び、日記を付けたりする。8時過ぎ、少し腹が減ったので、雨の中を外出する。ところが、ほとんどの店は閉まっていたので、大きな焼き芋(45NT$)などを買って宿に戻る。しばらく、ガイドブックを眺めたり、持ってきたCDを聴くなどしてから、1時に就寝。

12月20日(木)

 7時半頃、起床。今朝も、雨がしとしと降っている。シャワーを浴びて、8時頃にチェックアウト。ジウフェンバス停で基隆方面のバスを待っていると、10分ほど経って1人の老人がやって来た。日本語で「もうすぐバスは来ますか?」と訪ねると、「はい」と答える。それからその人と話し始め、5分ほどして基隆行きのバスは到着。バスに乗ってからも話し続け、30年ほど前に横浜で土木技術の研修をしたことや、最近退職して台北から故郷のジウフェンに戻ってきたこと、今日は散髪のために基隆に行くことなどを聞く。1人旅は危険だから気を付けなさいと何度も注意され、僕は瑞宝(ジュイファン)駅前でバスを降りる。
 朝食を探すために駅前の市場を歩いていると、自助餐と書かれた看板があったので、そこに入る。自助餐とはビュッフェ式食堂のこと。ここで、茄子炒め、苦瓜炒め、三枚肉の煮物、それに粥を食べる(55NT$)。9時15分頃、駅に戻る。17分に瑞宝駅を出る自強(特急)に乗って、花蓮(ホアリエン)へ行こうと切符を購入。急いでホームに行き、やって来た列車に飛び乗る。全席指定なので、自分の席である4号車の44番に向かうと、すでに女性が座っている。話し掛けると何やらまくしたてる。そのうち、「タイペイ」という言葉だけが聞き取れた。どうやら、反対方向の上りの列車に乗ってしまったらしい。やっちまった、という顔をしていると、近くに座っていたちょっとおしゃれな男性がやって来て、時刻表を僕に見せながら、中国語か台湾語、それと片言の日本語・英語でにこやかに話し掛けてくれる。要するに、八堵駅で降りて、下りの列車に乗り換えなさい、ということだった。しばらくすると、八堵駅に着いたので、その男性に礼を述べて、列車を降りる。駅員に列車を乗り間違えた旨を告げ、この切符で次の列車に乗っても大丈夫かと尋ねると、問題ない、空いている椅子に座りなさいと応える。ほぼ定刻通り、9時36分に八堵駅に急行列車がやって来たので、これに乗り込む。
 この東部幹線は、瑞宝の先まで基隆港へと流れる川沿いに走る。車窓には、照葉樹林に木性シダやヤシが混じり、自給用と見られる小さな野菜畑や竹林などが見える。ところどころに、枝を落とした竹が束ねられているのは、竹材として利用するのだろう。いくつかのトンネルを抜け、1時間ほど走ると、海沿いに出る。洗濯板のような岩が並んでいる。線路脇にはクロトンのような観賞用植物が申し訳程度に植えられている。車窓景観に配慮してのことだろうか。駅の近くには、高層マンションが建ち並ぶ。一軒家は少ない。頭城(トウシェン)駅に着く頃から、雨が小降りになる。この辺りは水田が広がり、養魚場なども見られる。まれに、鶏や牛が飼われているが、頭数は少ない。海岸は砂浜となっており、夏は海水浴場として利用されるようだが、この時期は人影がまったくない。炭酸冷泉で有名なスーアオを抜けた頃、ようやく雨が上がる。ちょうど12時頃だ。この辺から花蓮までは、トンネルを何回もくぐりながら、ほぼ海沿いを走る。山側には、いくつかの大きな採石場がある。大型のセメント工場が見られることから、石灰岩を採掘しているのだろう。また、大理石を採っているところもあるようだ。山側は常緑樹に覆われて、人が住んでいる気配はないが、列車が走る狭い平地には、低層住宅が点在し、ヤシ、バナナ、パパイヤ、竹、パンノキなどが植えられている。畑には野菜、サツマイモ、トウモロコシなどが見られる。墓には十字架が立てられ、教会もあるところから、キリスト教が普及しているようだ。1時、ようやく花蓮駅に到着。定刻より約15分遅れだった。
 列車を降りると、駅前にホテルが2棟並んで立っている。そのうちの1つ、「仟台(シャンタイ)大飯店」に泊まることにする(600NT$)。1時半、ホテルを出て、中心街のある旧駅跡周辺まで約2km歩く。途中、「甘蔗汁」と書かれた屋台があったので、近づいてみると、サトウキビジュースを売っていた(20NT$)。沖縄のものと異なり、皮の色は赤いが、飲んでみると同じような味がした。市場を見て回ったりしながら適当に歩いていたら、腹が減ってきたので、「公正包子店」で茹で餃子1籠(30NT$)と小龍包3個(15NT$)を食べる。タレが絶妙で美味かった。店を出ると、風が冷たく感じ、天気が悪くなりそうだったので、いったんホテルに戻ってみる。しかし、曇りのままそれ以上悪くならないようなので、4時前に再びホテルを出て中心街に向かう。その途中、街角の屋台で加蛋(卵付き)葱油餅を買う(15NT$)。かなりオイリーだが、いける味。屋台のおじさんは、今年の10月に旅行で日本を訪れ、日光に行ってきたことを話してくれた。次に、中華航空を訪れ、帰りの便の変更を依頼する。帰りは、12月31日の早朝便を購入したのだけれど、朝起きるのに苦労しそうなので、同じ日の夕方5時頃に出発する便に変えてもらった。中心街にたどり着き、本屋に立ち寄ったりしながら、海に向かって歩いて行く。そして、パイナップル1袋(25NT$)を買って、南浜公園(ナンピン・ゴンユエン)へ。パイナップルをつまみながら、海をしばらく眺める。約30分の休憩を取り、中心街に戻る。「戴記扁食店」で扁食(ワンタン)を食べる(50NT$)。これも美味。店を出て、先ほど立ち寄った本屋を探すが見つけられない。交番に行き、日本語と英語で本屋はどこのあるかと尋ねるが通じない。そこで「何処書店?」と書くと、警官同士が中国語か台湾語で話し合った挙げ句、わざわざパトカーで僕を本屋まで送り届けてくれた。本屋では、台湾省地図を購入したが(120NT$)、観光用ではないので、いまいち使えなかった。本屋で面白かったのは、温泉関係の本が多いこと。日本の影響で、台湾でも温泉がブームになっているらしい。台湾の温泉にとどまらず、日本の温泉のガイドブックまであるのには驚いた。本屋からの帰りには、「大花蓮」で、豆腐をデザートにしたような豆花(ドウホア)の一種を食べる(25NT$)。これは少し甘いけれど、ヘルシーで良い。豆花を食べているとき、お店に来ていた女の子が宇多田ヒカルは良いねと英語で話し掛けてきた。台湾では、よく宇多田ヒカルや浜崎あゆみの曲がかかっている。彼女には、僕も宇多田ヒカルのファンだと応えた。嘘も方便。9時前にホテルに戻り、10時頃には就寝。

12月21日(金)

 8時頃、起床。今日も曇天。シャワーを浴びる。8時半頃にホテルを出て、花蓮の市街地へ。明日と明後日は銀行が休みなので、今日中に両替を済ませておこうと考え、銀行を探す。9時、彰化銀行に入る。10分後、今日のレイトが動きだし、1円=0.2663NT$で両替する。昨日、食べた茹で餃子が美味しかったので、「公正包子店」に再び入り、茹で餃子(30NT$)と肉入り米粉(20NT$)を食べる。また、チェーン店の「A’RE」でピンクと白の小さな玉が入ったお汁粉を飲む(?)。10時、ホテルに戻って、しばらく日記を書く。11時過ぎ、急かされてチェックアウト。花蓮駅で、11時46分発の急行列車の切符を購入。今日は、瑞穂(ルイスイ)近くの紅葉温泉(ホンイエ・ウェンチュエン)に宿泊することにしたので、瑞穂駅まで買った(112NT$)。列車の到着まで間があったので、売店で牛乳を買う(25NT$)。この牛乳パックには「瑞穂牛乳」と書かれてある。おそらく、瑞穂では乳牛の飼育が盛んなのだろうと予想する。12時10分、急行列車が花蓮駅を出発。
 花蓮を出ると、列車は両側を山脈に挟まれて南下する。田畑が広がり、典型的な農村景観が見られる。台湾北部と比較すると、高層住宅は非常に少ない。ときどき、広いサトウキビ畑がある。ヤシの木が多くなり、畑の畔に列植されていることもある。川はどれも水量が少なく、礫が露わになっており、荒涼としている。伏流しているのだろう。日本では稀にしか見られないオウチュウらしき鳥が電線に止まっている。大富(ダーフー)付近には、広大なサトウキビ畑が広がっている。つい、西表島の大富集落を思い出してしまう。しばらくして、うとうととしてきたとき、隣りに座っていた人が降りるために立ち上がったので、目が覚めた。外を見ると、「瑞穂」と駅名が記されている。あわてて、荷物をまとめて列車から飛び降りる。あやうく、乗り過ごすところだった。1時50分、瑞穂駅着。
 いつの間にか、霧雨が降っている。駅前の通りを少し歩き、昼食を取るために店に入る。切仔麺に卵を1つ付ける(40NT$)。微妙にパクチーが効いて美味い。食後、紅葉温泉に向かうバスに乗るためバス停へ。時刻表を見ると、次のバスが出るのは約2時間後の4時20分。タクシーでも200NT$程度で行けるらしいが、急ぐ旅でもないので、バス停でしばらく過ごすことにした。バス停にいた高齢の男性に、日本語で声を掛けてみると、意味が通じるようなので、温泉の評判などについて尋ねた。一方その人からは、どこから来たのか、どこへ行くのか、職業は、などと尋ねられたので、丁寧に応えていた。ところが、突然、その老人は、日本人はもともと台湾人と同じく中国人だったのに、戦時中、台湾人をいじめたなどと言い出したので、話をやめた。バス停近くのセブン・イレブンに行き、明日の朝食用として、菓子パン(33NT$)と緑の野菜ジュース(25NT$)を買う。
 4時、地元の中学生たちがバス停に集まってきた。多くの生徒は先住民の血が入っているらしく、色黒で精悍な顔立ちである。4時20分、家に帰る生徒たちと共にバスに乗る。昼に飲んだ牛乳に「瑞穂鮮乳」と書かれてあったように、乳牛を飼育している牧場が車窓から見える。車内では、とんねるずの「ガラガラヘビがやって来る」とガゼボの「雨音はショパンの調べ」の中国語(台湾語?)バージョンが流れていた。台湾では、今、これらの曲が流行っているのだろうかと不思議に思いながら、終点の紅葉で降りる(19NT$)。降りたバス停から温泉までは約1kmある。一緒に降りたおじさんが、この人もまた日本語のできる人だったので、喋りながら温泉まで歩く。5時前、紅葉温泉に到着。安い部屋をと注文したら、畳敷きの6人部屋を案内された(350NT$)。
 部屋に荷物を置くやいなや、風呂に入る。ここ紅葉温泉には、露天風呂はない。ならばと、大浴場へ行く。ガイドブックによると、台湾の温泉では水着を着用するようにと書かれてある。しかし、自分以外に誰もいなかったので、丸裸で浴槽に浸かる。やはり、温泉は気持ちよいと感激していると、後から2人が入ってきた。彼らはパンツを脱がずに体を洗い始めたので、念のために持ってきた水着を、こっそり浴槽の中ではく。ああ、面倒くさい。水着を着用して温泉に入ると、温水プールに浸かっているようで、気分が出ないのだ。すぐに、風呂から上がることにした。
 部屋に戻り、布団を敷いて横になると、寝にくい。やはり安いだけのことはある。枕カバーには、カビが生えている。体が休まらないので、夕飯を食べることにする。備え付けのレストランで、猪肉と山菜の炒め物、青菜の炒め物、ハマグリのスープを食べる(370NT$)。宿泊費よりも多くの額を払っただけあって、美味しかった。
 食後、再び風呂に入ろうとするが、満員でしばし待つことになる。地元の人たちが、一風呂浴びるために集まってきたようだ。30分ほど待って、今度は個人風呂に入る。これならば、誰にも邪魔されずに丸裸で浴槽に浸かることが可能だ。開放感はないものの、気持ちが良い。夜はかなり冷え込みそうなので、体が十分に温まってから風呂から上がる。9時には就寝。

12月22日(土)

 7時、起床。もちろん、朝風呂に入る。風呂から出て、昨日買った菓子パンを食べる。ジュースは口に合わなかったので、ほとんど捨てる。8時半、宿を出て、2kmくらい離れている瑞穂温泉に向かって歩く。途中、親切な若者が車に乗せてくれるというので、断るのも悪いと思い、約1km車に乗って瑞穂温泉に到着。入浴のみは80NTドルで、露天風呂か個人風呂が選択できる。露天風呂では水着を着用しなければいけないので、仕方なく個人風呂を選ぶ。それでも、ここのお湯は黄濁色で効能はありそう。また、小さいながらも浴槽の雰囲気は良い。昨日、紅葉バス停から一緒に歩いたおじさんは、紅葉温泉を内温泉、瑞穂温泉を外温泉と呼び、外温泉はぬるいと言っていたが、そんなことはなかった。どちらの温泉も適温であった。
 9時40分、温泉から出て、瑞穂駅まで歩く。バスで通った感じでは、3km強の道のりだから、大した距離ではない。途中、喉が渇いたので、水(「花蓮真水」)を買って(10NT$)、飲みながら歩く。写真を撮りながら約1時間歩くと、駅に着いた。駅では臨時の健康相談コーナーのようなものが設置されていた。基隆でも花蓮でも、街角で血圧の検査および健康相談が行なわれていた。主に若い女性が利用しているようだ。台湾でも成人病等が増えているのかも。駅前で豆乳を購入(10NT$)。豆乳は砂糖入りなのが玉に瑕だ。台湾では、甘くない飲み物は少ない。
 ほぼ定刻通り、11時11分瑞穂駅発の急行列車に乗って台東へ向かう。車窓からは典型的な農村景観を眺めることができる。一面に田んぼが広がっている。玉里(ユーリー)近くでは、菜の花が広く植えられていて、美しい景観が見られる。サトウキビ畑も目立つ。八重山で一般に植えられているものよりも葉が密に生えているので、脱葉するのに苦労しそうだ。12時50分、台東新駅に到着。駅前のロータリーは大きいが、付近に建物が少ないので寂しい感じがする。早速、宿を探すために歩き始めるが、なんかおかしい。一向に繁華街に近づかない。降りる駅を間違えたかと思い、駅に引き返すが、そんなことはない。ガイドブックを取り出して地図を確認すると、ホテルがあるのは台東旧駅周辺と書かれてある。新駅と旧駅は約6km離れていて、タクシーを拾うと150NT$程度かかる。しかし、ロータリーに停まっていたバスの行き先を見ると、「往台東」と記されてあったので、これが中心街に向かうのだと悟る。バスの運転手に台東までいくらかと尋ねると、19NT$という答えだったので、これに乗ることにする。2時、バスは台東新駅を出発。20分程度で、旧駅近くのターミナルに到着。バス停の近くにあった「金安旅社(ジンアン・リュイショー)」に泊まることにする(600NT$)。
 2時半、部屋に荷物を置き、宿を出る。中心街は宿から近い。串刺しにしたおでんのようなものを立ち食いしてから(15NT$)、台東県立文化センターに行く。台東県内に住む6種族(ヤミ、アミ、ブヌン、ピュマ、ルカイ、パイワン)についての解説と、儀礼用の衣装、日用品、工芸品などの展示があった。広くないけれど、コンパクトできちんとした展示に好印象を覚える。4時、店に入り、牛肉入りスープ鍋を食べる(130NT$)。鍋に付いてくる加糖紅茶は、思いっきりシェイクしてある。なぜ、紅茶をシェイクするのか、不思議だ。
 腹ごなしを終え、海に向かって歩く。花蓮と同じように、台東にも海浜公園がある。ここで、しばらく海を眺める。冬なので、海岸には人が少ない。海はきれいなのに、波が荒くて、人を寄せ付けない感じだ。海岸沿いに歩くと、テトラポットの陰に隠れて、高校生くらいの男女が肩を寄せ合っているのが見える。いじらしくてかわいい。
 辺りが暗くなってきたので、中心街に戻り、肉まんの具が草餅に包まれているようなものを買う(15NT$)。油がきついけれど、とても美味い。挨拶以外の中国語で話せるのは「いくらですか(多少銭)?」だけなので、これが通じることを確かめるために、やたらに立ち食いしているようなところがある。別の場所では、メロン1袋を購入(35NT$)。夕飯には、牡蠣入り粥(30NT$)を食べ、7時前に宿に戻る。
 しばらくくつろごうと思ったが、道路に面しているため、ちょっとうるさい。気持ちが落ち着かないので、9時半に宿を出て、街をうろつく。トマトジュース(20NT$)とリンゴ1袋(30NT$)を買う。もちろん、トマトジュースも砂糖入りだった。10時過ぎに宿に戻り、買ってきたトマトジュースとリンゴを平らげ、就寝。

12月23日(日)

 7時30分、起床。シャワーを浴びようとするも、熱いお湯が出ない。トイレの水も流れない。昨日までの腹づもりでは、今日は日帰りで知本(シーベン)温泉に行き、台東でもう1泊して、夜市を楽しもうと思っていたが、計画変更。9時前にチェックアウトし、高雄(カオシュン)へ向かうことにする。
 宿の近くで、虱目魚(サバヒ)のスープ(60NT$)と肉燥飯(挽肉の煮込みをかけたご飯)(20NT$)を食べる。少し街中を歩き、10時に台東旧駅前の鼎東客運ターミナルから台東新駅行きのバスに乗る(19NT$)。20分ほどして、台東新駅に到着。バスから降りると、帽子をなくしていることに気付く。朝食を食べた店か、バスの中へ置いてきたようだ。
 台東は別名フルーツ天国と言われるほど、果物の豊富なところである。数ある果物の中でも、特にシャカトウが有名らしく、駅前にはこれを売る車が数台並んでいる。そして、台東新駅で列車を待つ人々の多くは、シャカトウを買っている。僕は、西表島でシャカトウを食べたことがあるが、そのときは、甘すぎるので大量には食べられないと思った。しかし、台東で売っているシャカトウは、西表島で食べたものよりも直径で倍以上ある。ひょっとしたら、ここで売られている品種はそれほど甘くないのかもしれないが、1人では食べきれる量ではなかったので、買うのを諦めた。
 11時12分に台東新駅を出る急行に乗る。台東を出ると果樹園が広がる。シャカトウには1つひとつ袋掛けされている。遮光して栽培している作物があるのは、なんだろうか。かなりの作付け面積を誇っているので、何が植えられているのか気になる。太麻里(タイマーリー)付近では、山の中腹までも手が入っている。果樹を栽培しているようだ。焼畑も行なわれているのだろうか。海に目を転じれば、天然の砂浜が長く続いている。海水浴場として向いているように見える。次第に、ヤシの大木が目立つようになり、南の島という雰囲気を醸し出している。海と別れて山に入って行くと、トンネルの連続となる。いくつものトンネルを抜け、再び海に近づいた頃には、赤茶色の花を付けたマンゴーの果樹園が広がる。養魚場も目立つ。ヤシの栽培も盛んだ。一方で、高雄が近づいてきたため、家屋が多くなる。気が付けば列車は満員で、立っている人もいるほどだ。今日は日曜日だから、高雄に出掛ける人が多いのだろう。また、いつの間にか、天気は晴れわたっている。台湾に来て、初めての晴れ模様だ。1時半、屏東(ピントン)に着く。ここはかなり大きな街で、高雄へと向かう電車が走っている。高層マンションも現れるようになった。郊外の空き地では、バナナやパイナップルを栽培している。1時55分、列車は高雄に到着。
 駅から高雄の中心街までは遠いので、駅の近くにある「國星(コウシン)旅館」に入ってみた。従業員の反応を見ると、どうやらラブホテルだったようだが、1人でも泊めてくれるというので、泊まることにした(800NT$)。部屋に案内されると、設備は整っているし、内装も豪華だ。フロントの人から、蓮池潭風景區(リエンチータンフォンチンチー)へ行くように勧められたので、駅前からバスに乗ってゆく(片道12NT$)。到着してみると、井の頭公園を10倍くらいにしたような感じのところだった。龍の口から入って虎の口から出たり、高い塔に登ったりしながら、一通り散策した後、高雄駅までバスで戻ると5時を過ぎている。本屋に立ち寄ったりしていたら6時前になったので、六合夜市(リウホー・イエシー)に行く。夜市では、茹で餃子(10ヶ30NT$)、担仔麺(25NT$)、エビ入りあんかけ飯(70NT$)、魚丸湯(魚団子スープ)(40NT$)、肉まん(20NT$)、生花豆花(ピーナツ入り豆腐プリン)(30NT$)、パパイヤ牛乳(25NT$)を、ハシゴしながら食べる。日曜日だったためか、夜市は非常に活気があった。その勢いに乗せられて、食べてしまった感じだった。9時過ぎにホテルに戻り、12時頃に就寝。

12月24日(月)

 7時30分、起床。9時過ぎにチェックアウト。ホテルから近いお店で、エビ入りワンタンを食べて朝食とする(50NT$)。高雄は大きい町なので、歩き回っても歩き尽くせない。だから、中心街へは足を運ばずに駅前をうろつくことにする。昨日も足を運んだ「金石文化広場」で本を見て回る。
 自分の関心があるところで、まず環境系の本は意外に充実している。工業化の著しい台湾では、工学系の専門書が多く並んでいるだけでなく、公害防止に関わる専門書も多い。また、自然保護への関心も高いようで、かなりのスペースが割かれている。『生態観光・永続発展』という本があったので開いてみたら、僕も持っている“Ecotourism and Sustainable Development”の訳書だった。こういう本が、いち早く翻訳されているところからも、自然保護と観光への関心の高さが感じられる。
 次に社会学の本であるが、これも少なくない。しかし、そのものずばりの『社会学』や『○○社会学』といったタイトルの厚い教科書の類が多く、社会学の研究書は少ないようだ。一方、先住民研究はかなり多い。各先住民ごとにシリーズ化されている本もある。また、日本統治時代における先住民の抗日抗争を扱ったものや霧社事件の証言集まであった。
 ところで、日本人の物書きで最も注目を浴びているのは、小林よしのりだ。『台湾論』関係のや本が平積みされている。作家では、村上春樹、吉本ばなな、渡部淳一の著作が、まとまって翻訳されている。漱石、鴎外、芥川、太宰などの古典もある。
 本屋を出て、11時25分に高雄駅を出発する急行列車で台南へ(83NT$)。途中、石油精製工場やセメント工場などの大きな工場や、広いサトウキビ畑を見つつ、12時10分頃、台南に到着。駅前の「嘉樂斯(ギャラクシー)賓館」に宿を確保する(500NT$)。荷物を降ろし、少し休憩してから外出。1時半、台南に来たからには、名物の担仔麺を食べないとと思い、有名店の「渡小月」で、煮卵や肉団子をトッピングした担仔麺(90NT$)を食べる。その後、買い食いしながら、台南市街を散歩。甘い春巻(30NT$)、サツマイモからできた小さな団子(青蛙)が入ったヘチマ茶(25NT$)を飲み食いする。ちょっと期待して台南市民族文物館に入ったが(40NT$)、3フロアの内2フロアが閉じられていて残念。時間があったので、オランダを駆逐した鄭成功を祀っている延平郡王祠(イェンピンチンワンツー)や、台湾最古の孔子廟(コンツーミャオ)なども見学。5時に、駅前でパパイヤ牛乳(25NT$)を買って、いったんホテルに戻る。6時半頃、ふたたびホテルを出て、徒歩で小北観光夜市へ向かう。手許の地図に乗っていないところにあるようなので、街の角かどで人に尋ねながら歩くと、30分ほどかかって巨大アーケードを発見。しかし、昨日の高雄の夜市と比べると人が少なく、活気に乏しい。そのためか、今夜は昨日より少な目で、田ウナギのあんかけうどん(60NT$)、肉入り炒飯(50NT$)、つみれ入りスープ(●?)(40NT$)、焼仙草(20NT$)を食べた。
 帰り道、同じ道を引き返すのは馬鹿らしいので、ホテルの方角に検討を付けながら適当に歩く。15分くらい歩くと、だんだんホテルから遠のいているような気がしてきたので、街角の軽食店で買い物をしていた女性に、「駅はどこですか?」と英語で尋ねてみた。うまく伝わらなかったので、筆談で「火車站」と書くと、その角を右折する方角を指さして呉れた。しかし、続けて中国語か台湾語で何か喋り続けている。その心配そうな表情からすると、きっと、この場所から歩いて帰るには遠いのだろうと思った。でも、どうしてもコミュニケーションが図れなかったので、歩くのは平気だよ、とジェスチャーで示し、お礼を言って大股で歩き始めた。1~2分歩いていると、スクーターが近づいてきて僕の横に止まった。見れば、先ほど道を尋ねた女性だった。後ろに乗って、とジェスチャーするので、彼女のスクーターに乗せてもらうことにした。
 台湾の各市街地を散歩していると、スクーターで二ケツしているカップルが目に付く。それを、ちょっと羨ましく感じながら見ていた僕にとって、この思いがけない厚意で願いが叶ったわけだ。昼間、孔子と鄭成功をお詣りしたのが奏功したのか。
 スクーターで10分弱走って、台南の駅前に着いた。彼女は僕を降ろすと、お礼のお金を受け取らず、はにかみながら手を振ってスクーターを走らせた。僕は手を振って彼女を送ったが、すぐに夜のロータリーに集まる車やスクーターの波に消えてしまった。爽やかな風が僕の心を通り過ぎた。これが、2001年のクリスマス・プレゼントだった。なんてね。

12月25日(火)

 7時30分、起床。8時、チェックアウト。8時13分台南発の急行列車で北上する。車窓からは、農地と工業地が混在する風景が見える。サトウキビ畑が多い。水田では田植えをしているところがある。多くの休耕田では菜の花が咲いている。白煙を上げている工場には、ISO14000取得と書かれてあったりする。公害防止に気を遣っているようだ。40分ほど列車に揺られていると、新營(シンイン)に着く(69NT$)。
 ここからバスで關子嶺(グアンズーリン)温泉に行こうと思い、ターミナルに向かう。そこにタクシーの運転手がやって来て、921集集大地震(1999年)の影響でバスは温泉まで行かないと注意する。確認のため、ターミナルの事務員に「バスで温泉へ行けますか?」と尋ねると、「ダメだ」との答え。そこで、声を掛けてきた人と違うタクシーの運転手と値段交渉し、往復700NT$で決定。9時20分、タクシーで關子嶺温泉へ向かう。駅から温泉まで約23kmの道のりを約30分走り、目的地に到着。タクシーが停まったところの前にあった「仁惠山荘」で入浴する(200NT$)。
 この温泉は、泉質が素晴らしかった。黒濁して強いぬめりがあり、阿蘇の地獄温泉を彷彿とさせる。もし再び来ることがあったなら、絶対泊まって、思う存分この泉質を味わいたいと思った。
 30分ほど入浴した後、乗ってきたタクシーで駅まで送ってもらうと11時過ぎ。11時9分に新營発の急行列車に乗り込み、20分だけ乗って、嘉義(ジアイー)へ到着(41NT$)。この駅から、阿里山(アーリーシャン)森林鉄道に乗ることを楽しみにしていたのだ。ところが、駅前で待ち構えていた地元の旅行関係者によれば、大地震の影響で鉄道は動いていないと言う。このため、バスを利用するより他に手段はないのだそうだ。しかし、そのバスの次の出発時刻は3時ときている。だいぶ待つことになる。それでも、何人かでタクシーをチャーターすると600NT$かかるので、この方法は取らなかった。
 駅を離れ、まず両替をする(1円=0.02629NT$)。すると、ちょうど12時になったので、ビュッフェスタイルのお店で、各種炒め物とライスとスープという昼食を済ます(75NT$)。12時30分、駅前でホテルの勧誘をしていた女主人に捕まり、今晩のホテルの契約をする。また、早めに阿里山までのバスのチケットも購入する(156NT$)。1時過ぎ、「Dante」という喫茶店でブレンドコーヒーを注文(35NT$)。ここで、本を読んで時間を潰す。3時にターミナルに行き、阿里山行きのバスに乗る。海抜30mの嘉義駅から2,000mを越える阿里山のバスターミナルまで、2時間半掛けて登ってゆく。標高が高くなるにつれ、ヤシが消え、茶畑と製茶所が増え、さらに高くなると、スギやヒノキが目立つようになる。途中、いくつも大規模な崖崩れの跡を認めることができ、地震の影響の甚大さを思い知った。ターミナル手前の料金所でバスはいったん停止し、乗客は入山料150NT$を払わされる。そして5時半頃、バスはターミナルへ到着。すぐに、駅前で契約した「美麗亞山荘」にチェックイン(1,000NT$)。荷物を置いて外出。鶏肉飯(50NT$)、白菜と豆腐のスープ(80NT$)、焼仙草(30NT$)を食べる。ホテル代や飲食代が高いのは、高山だから仕方ない。7時に宿に戻り、明日の日の出を見るための行程を説明してもらう。鉄道が使えないので、宿の前からバスが出るらしい。そのバス代として300NT$を支払う。明日は早起きして日の出をみるから、今日は早寝しておこう。

12月26日(水)

 4時45分、起床。4時50分にモーニングコールがあり、起きていることを伝える。5時30分、宿の前からワゴンに乗る。同乗した観光客は僕を含めて8人。僕以外はみんな台湾人なので、中国語か台湾語でガイドから車窓の説明がある。7時、ご来光を迎える眺望地点に到着。
 大地震の影響で、阿里山観光のメインである祝山(シューシャン)からご来光を拝むことができなくなっている。このため、今日は玉山(「ニイタカヤマ、ノボレ」の新高山)がよく見える場所に車を停め、玉山付近から昇る太陽を待つことになった。
 しばらく、寒さに震えながら、台湾人の方にワサビチップスを戴いたりて、辛抱強く待つ。待つこと約30分。7時35分、稜線からやっと太陽が顔を覗かせた。幸い快晴に恵まれたので、見事な日の出を眺めることができた。
 日の出を見終わって再びワゴンに乗り、8時40分、宿まで戻る。ワゴンを降りたとき、ワサビチップを下さった男性が、片言の日本語で話し掛けてきた。要約すると、「私は台中に住んでいますが、もしあなたがこれから台中に行くのならば、歓待したいので、夜の7時に自宅へ電話をして下さい」ということだった。こう言って、僕のメモ帳に名前・住所・電話番号を書き記してから、その男性と別れた。
 9時、阿里山の遊歩道をゆっくり歩き、森林浴を楽しむ。10時半に歩き始めた場所に戻り、キノコ入りスープ(50NT$)を飲む。11時、宿に戻り、風呂に入る。12時前にチェックアウト。ターミナルで12時発の嘉義行きのバスに乗る(156NT$)。2時頃、嘉義駅に到着。2時10分嘉義発の特急に乗って台中へ向かう(225NT$)。車窓からサトウキビ、葉野菜、タケ、果樹などの畑を眺めながら、3時20分、台中に到着。
 ところで、台中までの特急券を購入したとき、2種類の切符をもらった。1枚はJRのような大型の切符。もう1枚は私鉄のような小型の切符であった。小型の切符には、「休息時使用」と書かれてある。どういうことなのだろうかと思って列車に乗ってみると、やっとこの切符の使い方が分かった。前の椅子の背もたれのところに、小型切符がちょうど入る「票挿」と書かれた金具が設置されている。普通、乗客が眠っているときに車掌が検札に来ると、起こされることになるので、それを防ぐため、乗客は眠るときに小型切符を予め「票挿」に差し込んでおくらしい。
 いつもどおり、まず本屋に行く。ここ台中でも「金石文化広場」に入る。この店は、花蓮、高雄、台南にもあったもので、いつもお世話になっている。ざっと本屋を眺め終わってから、バスの時刻表を確かめるために、各バス会社のターミナルに足を運ぶ。その結果、また残念なニュースを知ることになった。すなわち、台中からバスで中部横貫公路(ジョンブー・ホングアン・ゴンルー)を通り抜け、太魯公峡谷(タイルーゴー・シアグー)を見るつもりだったのに、これも大地震のために行けなくなっていたのだ。4時半、TORONTOでブレンドコーヒーL(45NT$)を注文し、この喫茶店でしばらく粘る。
 7時、台中駅から阿里山で会った男性(游さん)の家に電話を掛ける。およそ10分後にスクーターで迎えに行くというのでしばらく待っていると、游さんがやって来た。スクーターで10分弱の距離を乗せてもらい、游さんの家に到着。いざ玄関から一歩足を踏み入れると、ご、ご、豪華な作りだ。游さんの奥さんとさらに2人の女性に迎えられ、お家にお邪魔する。中には、さらに2人の赤ちゃんがいた。2人の女性のうちの1人(ハイディ)が英語を流暢に話すので、もっぱら彼女を通じてコミュニケーションを図る。すでに、游さん一家は夕食を済ませていたので、その残りを御馳走になる。もちろん、台湾の人々が日常に食べている家庭料理だ。游さん家の食事は薄味で油っぽくなく、素材の味を生かしている。日本人の僕には、とても向いていた。
 8時頃、游さんの三男・ロジャーが帰宅する。ロジャーは帰宅するとすぐに出掛けた。が、ロジャーは家を出る前に、自分は10時頃に再び帰ってくるので、そうしたら一緒にお茶を飲みに行こうと誘ってくれた。
 9時、今度は次男のマックスが帰宅。マックスもロジャーも、ほとんど不自由なく英語を話すので、コミュニケーションを図るのは容易。10時、ロジャーが再び帰宅。彼は、自分がすすめる台湾の場所について、彼が撮った写真を僕に見せながら説明してくれた。およそ30分後、ロジャーのスクーターに乗せてもらい、「台中のシャンゼリゼ」と呼ばれるカフェストリートへ。そこで最も有名な喫茶店に入る。ロジャーは珍珠入りミルクティを、僕はバラのハーブティを飲んだ。ロジャーによれば、台湾名物・珍珠入りミルクティの発祥の地が、ここ台中のカフェストリート(喫茶店横町)であるとのことだ。
 ロジャーは快活なナイスガイだ。いまはホテルで働いている。台湾のホテルには日本人が大勢やって来るので、彼は日本語の勉強をするために、近い将来、日本に行きたいと熱く語った。そして、日本で生活すると費用がどの程度かかるのか、高い生活費を抑えるためにはどうすればよいか、実際に住むとなるとどういう部屋に住むことになるのかなどを説明した。一方の僕は、ロジャーがアウトドア派の温泉ファンなので、台湾の温泉はどの場所が良いかなどを尋ねた。12時頃、ロジャーのスクーターで家に戻り、彼のダブルベッドで一緒に寝る(断っておくけど、別に変な意味じゃないよ)。

12月27日(木)

 8時、起床。9時、ロジャーの友達・リーが車で迎えに来た。リーの車に乗り、途中でリーの彼女・アンを乗せて鹿港(ルーガン)へ。鹿港は歴史のある街だ。清の時代には、台南、萬華(台北)と並ぶ3大貿易港だったと聞くが、いまは観光客がほとんど訪れることのない小都市である。しかし、平日にもかかわらず、狭いストリートは大勢の買い物客によってごった返している。非常に活気がある街だ。有名な天后宮(ティエンホウゴン)を訪れたほか、ロジャーらとともに屋台をハシゴする。龍山麺、芋団子、スープ入り肉だんご、団子のスープ、2種類の餅菓子、タロイモと緑豆の揚げ団子、巻き貝などを食べ、珍珠入りミルクティを飲む。その後、台中港へと場所を移し、ここでは焼きイカ、刺身、茹でたエビ、魚の白子の炒め物を食べる。
 2時45分、リーの車で游さんの家に戻る。ロジャーは夜の仕事に備えて睡眠を取る。彼は通常、夜8時から朝6時までホテルで働いているのだ。今日も夜8時から仕事があるので、それまで休憩する。僕はママ(ロジャーのお母さん)の勧めにしたがって、居間でテレビを見る。5時、暇そうにしていた僕を見かねたのか、ママは僕をスクーターに乗せ、国立自然科学博物館近くへ連れて行く。ママの勧めにしたがい、しばらくその辺りで散歩する。6時半、ママが再びやって来て、僕を家まで運んでくれる。到着すると夕食が出来上がっていた。今日は、焼きアヒル、青菜の炒め物、豆腐のトマト煮、魚の唐揚げ、それとちょっとしたスープであった。これらを、游さん一家と一緒に食べる。食後、シャワーを浴びる。その後、手作りハーブティをいただきながら、マックスの奥さん(フェンリン)とコミュニケーションを図り、互いの家族構成を説明し合う。この時になってやっと、游さん一家の家族構成が正確に把握することができた。
 游さん一家は、パパとママ、その間にこどもが3人いる。上から、スティーブ、マックス、ロジャー。スティーブの妻がハイディ、マックスの妻がフェンリン。それぞれ、幼い女の子が1人ずついる。夫婦は別性で、子供には父方の性が付けられる。だから、ハイディとフェンリンの性は游ではない。ちなみに、スティーブやらロジャーなどの英語名はニックネームである。中国名は外国人にとって発音するのが難しいので、外国人と話す機会があるような人は必ず英語名を持っている。こういうことを確認してから、今度は僕の家族について説明するが、弟の職業(=歌人)をうまく伝えられなかった。また、「なぜ結婚しないのか?」と質問され、「いやー、縁がなくて」と答えると、「台湾で良い人を探してあげよう」と話が展開してしまい、このままずるずると先に進んでしまうのを恐れ、適当なところで話を終わらせる。9時半、ロジャーのベッドで就寝。

12月28日(金)

 7時、起床。パパの勧めで、居間で暖かい豆乳を飲みながら、テレビと新聞を見て時間を費やす。このときパパは僕に対し筆談で、21世紀は中国の世紀となるだろうから、中国語を勉強したらいいと勧められる。まったくその通りだと思う。
 9時30分、パパとママ、まだよちよち歩きのマックスの子、それに阿里山にも一緒に来ていた游さん一家の友人2人と一緒に車で埔里(ブーリー)へ向かう。今日のメンバーは英語を話さないので、車中では眠気が襲ってきて、つい寝てしまった。11時過ぎ、まだ落成して間もない中台禅寺に到着。この寺は、なんと50億円をかけて作ったものだそうで、大きさは巨大だ。建物が大きいので、中にある仏陀や四天王もでかい。もちろん、こういう場所に外国人観光客は来ていない。しかし、台湾の人々は、最近できた大きな寺を一目見ようと大型バスで観光拝観に訪れている。ママはとても感動したようで、しきりに僕に片言の日本語で、「大きいね」「きれいね」を連発する。
 12時近くになったので、寺の中で食事を取る。これは、寺が用意した簡素なもので、中身は麺とスープだった。精進料理の台湾版といった感じの食事である。昼食を済ませると、今度は台湾で最も大きい湖・日月潭(リーユエタン)に車を走らせ、1時過ぎに到着。ここで湖を眺め、紹興酒のアイスとトウモロコシを食べる。2時頃、日月潭を離れ台中へ戻るために、山間地を通り抜ける。この辺りは、2年前の大地震の影響が非常に大きく、あちらこちらで崖崩れの跡を見ることができた。5時前に游さんの家に到着。ママとフェンリンは食事の支度に忙しいので、僕は2人の子供の相手をして遊ぶ。7時頃、ハイディが仕事を終えて、家に立ち寄る。9時過ぎ、マックスが帰宅。僕は、食後すぐにシャワーを浴び、居間で少しの間、マックスらと話をした後、10時過ぎに就寝。いつもどおりロジャーは深夜の仕事なので、今日もロジャーのベッドで寝かせてもらう。

12月29日(土)

 6時半、起床。身支度を整えていると、7時に仕事を終えたロジャーが帰宅。すぐに、彼の運転で出掛けることになる。今日の行き先は谷関温泉である。車で2時間近く走り、9時前に温泉到着。いくつかの温泉宿の中でも、ロジャーが自信を持って勧める「伊豆日式泡湯」に入る。日式泡湯とは、日本式の温泉スタイルだということで、伊豆とは温泉で有名な「伊豆の踊子」の伊豆である。だから、ここは日本の温泉に似ている。台湾にある一般の温泉と異なり、男女別の露天風呂があるため、水着を着用することなく温泉に入ることができるのだ。これまで入った温泉は、いずれも裸で露天風呂に入ることはできなかった。そうした鬱憤を晴らすことができて爽快だった。泉質も良く、また温泉に浸かりながら眺めることのできる景色もなかなか。万人にお勧めできる温泉である。
 ロジャーと一緒に約1時間くらい温泉に浸かり、10時頃に上がる。そして、山間部の名物である竹筒飯(70NT$)と猪肉を食べる。猪肉は、生のニンニクと一緒に口に入れて食べるのが美味いとロジャーに勧められたので、その通りに食べると確かに美味い。食べ終わり、車で家に戻ると12時を少し過ぎていた。
 家に上がると、3人兄弟の中で会ったことのなかったスティーブが居た。平日、彼は台北で働いており、休日に台中へ戻ってくるため、今日になって初めて会うことができたのだ。スティーブも、マックスやロジャーと同じように快活で穏和な人当たりの良いヤツだ。同時に、アメリカで働いたり、日本に研修で来たことがあったりと、世界で仕事をしているという感じのエリートでもある。スティーブと語らいながら、昼食をいただく。献立は、高山鶏のスープ、苦瓜など野菜の炒め物、焼き魚、浅漬だった。この高山鶏のスープは、深い味わいのするもので美味しかった。
 2時、ママとパパ、ロジャー、フェンリンらと最後のお別れをし、スティーブのスクーターで国立自然科学博物館まで乗せていってもらう。すぐに博物館に到着し、そこでスティーブと別れる。ロジャーからスペース・シアターに行くよう勧められていたので、まずそこに足を運ぶ(100NT$)。ここは、ナショナル・ジオグラフィックが撮影した映像を、巨大スクリーンで見ることができる優れものだった。僕が見たのは、ガラパゴス諸島の映像。ナショナル・ジオグラフィックの映像は、本当に美しい。次に、展示室に入ると(100NT$)、ここがまた素晴らしい。生命科学館、中国科学館、地球環境館と3つに別れており、いずれも質の高い展示物を見ることができる。また、ちょうど開催されていた特別展示の「南島語族的家」も良かった。
 4時半、博物館を出て、タクシーを拾って台中駅へ(125NT$)。土曜日なので、次に来る台北行きの特急は満席。列車を1本待つことにする。その間、今晩の台北の宿を確保しようと電話するが、どこも満室。台北に着いてから宿を探すことを覚悟して、5時45分台中駅発の特急列車に乗る(375NT$)。外は真っ暗なため車窓観察はできない。8時に台北駅に到着。駅を出て北側に出て、安宿を探す。ラブホならばすぐに見つかったが、今回は泊まらない。「宮林旅社」というところに泊まることにした(600NT$)。
 8時半、夕食を取るために、外出。適当にぶらつき、茹で餃子(10ヶ50NT$)、醗酵させた豆腐(40NT$)、鶏腿のスープ(100NT$)、うどん(55NT$)を食べる。茹で餃子は美味しかった。台湾の屋台を歩くたびに気になっていた臭豆腐(醗酵させた豆腐)も、まあまあ。しかし、他の2品は今ひとつだった。あまり美味しくない食べ物で腹を満たしてから、10時頃に宿に戻って就寝。

12月30日(日)

 7時半に起床。宿はけっして良くなかったけれど、新たに宿を探すのが面倒くさく思えたので、連泊する(600NT$)。9時に外出し、台北駅近くのバス停で故宮博物院行きのバスを待つ。待つことおよそ30分、やっとバスはやって来て、9時40分に博物館に到着(30NT$)。早速、4大博物館に数えられる故宮博物院に入る(100NT$)。まず、ミュージアムショップで、収蔵品の解説書を購入(850NT$)。このとき、何を勘違いしたのか、850円だと思って買ってしまった。850NT$(3,000円強)もすると分かっていたら、購入しなかったはず。
 さて、展示物は、青銅器、亀甲文字、陶磁器、名書、絵画、玉器、玩具など、専門家が見ればため息が出るものばかりだそうだ。。どれも中国文化を間近に感じることのできる展示だったが、僕は亀甲文字と名書以外は感心しなかった。2時間強の時間を掛けて見学し、12時過ぎに博物館を出る。続いて、順益台湾原住民博物館(シュンイー・タイワン・ユエンジューミン・ボーウーグアン)に入る(学割:100NT$)。ここは、私設の博物館であるけれど、侮れない。僕には、こちらの博物館の方が楽しかった。日本人の団体客が来ないので、ゆっくり自分のペースで見て回れるところも良かった。1時間ほど見学した後、パンフレットを購入して(250NT$)、退出。手許のお金が無くなったので、いったん宿に戻るため、バスに乗って台北駅へ(30NT$)。宿でお金を得て、3時に再び外出。台北の地下鉄・MRT(捷運)に乗り、公館(コングアン)に到着(20NT$)。
 公館は台湾大学があり、いわゆる学生街である。また、ファッション、グルメの街としても知られているようだ。僕は、台湾や先住民に関する書籍・民芸品などが置いてあるショップ(タイオアン・エ・ティアム)に行きたくて、ここにやって来た。このショップで、『植物動物與民俗』(450NT$)、森丑之助『台湾蕃族志』(1,000NT$)、『台湾原住民族映像』(640NT$)を購入。しかし、昨日、国立自然科学博物館で発見した『二十世紀台灣住民生活竹器』を買おうと思っていたのに、販売されていなかった。日本の竹ファンクラブの資料として有益だと思っていたので、買っておけばよかったと後悔。
 5時頃にショップを出て、水源市場内で、今日初めての食事として排骨飯を食べる(65NT$)。また、龍潭豆花という店で豆乳プリンを食べる(25NT$)。ここの豆花(豆乳プリンは、これまで食べた中で最高だった。最もオーソドックスな花生(ピーナッツ)豆花だけしか売っていないのに、客足が途絶えることがないのも肯ける美味しさであった。
 6時前、公館駅からMRTに乗り、士林(シーリン)へ向かう(30NT$)。お目当ては、台北最大の夜市である。さすがは台北、これまで訪れたどの夜市よりも、人がわんさか集まっており、非常に活気がある。狭い通りが異常なほど込み合うので、歩きにくいことこの上ないが、その中を歩いていると、なぜだか自分にもパワーが湧いてくる。およそ3時間、士林夜市にいる間、牛肉麺(80NT$)、糯米粥(30NT$)、きな粉餅(50NT$)、ネギ焼き(35NT$)、小龍包(5ヶ30NT$)、野菜まん(10NT$)、愛玉ゼリー(30NT$)、イチゴ牛乳(30NT$)、珍珠入りミルクティ(25NT$)を飲み食いする。ただし、糯米粥は口に合わず、半分くらい残した。
 今日で夜市で食事をするのも終わりだ。屋台料理はけっこう食べたので、食べ飽きてしまった。次に台湾に来るときは、誰かを誘って、本格中華料理を食べたいものだ。9時半頃に宿に戻り、就寝。

12月31日(月)

 大晦日である。7時半に起床して、シャワーを浴び、日記を書く。9時半、荷物を置いたまま宿を出て、MRTで台北から忠孝敦化(ジョンシアオ・ドゥンホア)へ(20NT$)。誠品書店(チョンピン・シューディエン)というちょっと洒落た本屋に入る。日本統治下の歴史・民族学の資料がいくつかあって、『台湾統治概要』(1,200NT$)、竹越與三郎『台湾統治誌』(800NT$)、矢内原忠雄『帝國主義下の台湾』(600NT$)を購入。11時半にMRTで宿に戻り(20NT$)、12時にチェックアウト。台汽客運・東ターミナルまで歩いて行き、12時20分頃のバスで中正国際空港へ(110NT$)。1時15分、空港に到着。すぐに搭乗手続きを済ませ、空港内のレストランで烏龍麺(高い!130NT$)を食べる。それから、今晩の那覇での宿を確保するため、数日前は予約で一杯だった「新金一旅館」に電話する。ラッキーなことに、1部屋空いていたので予約を入れる。買ったばかりの本に目を通すなどして時間を潰し、出発を待つ。4時20分、中華航空122便に搭乗、4時50分(日本時間5時50分)出発。約1時間のフライトながら、軽い機内食が出る。7時、那覇空港に到着。バスで県庁前まで行き(200円)、パレット久茂地内にある文教図書で安間繁樹『琉球列島』(2,000円)ほか郷土本を計3冊購入。8時過ぎ、「新金一旅館」にチェックイン(3,150円)。すぐに外出して、「三角屋」にて沖縄そば定食(650円)を食べる。年末には年越しそばを食べないとね。
 食後、大晦日に那覇にいるのだから、東京にいてはできないことを体験しようと思い立つ。9時前、国際通りの牧志バス停から知花行きのバスに乗り、真志喜へ(450円)。そこから歩いて間もないところにあるライヴハウス「島唄」に入る。ここは、知名定男がオーナーを務めるところで、ネーネーズのライヴが聴けるところとして有名である。9時過ぎに入ると、客席はほぼ埋まっており、すでに第1ステージのネーネーズのライヴも始まっていた。第1ステージが終わり、10時10分からの第2ステージには初代ネーネーズの吉田康子らが唄った。11時過ぎから始まった第3ステージには、カウントダウンのために集まったゲストたちが代わる代わるステージに上がった。たとえば、笑築過激団の玉城満、ゲンちゃんこと前川守賢、ほかに若手の芸人などが唄い踊り喋り、いよいよ12時を迎える。そして、ネーネーズが中心となってカウントダウン。年が明けると、座開きとして「鷲ぬ鳥節」などが披露され、最後に島唄オールスターズで「黄金の花」が演奏され、カチャーシーで締めた。これで2,000円は安い(ほかに、お通しとビール代800円)。帰りはバスがないので、タクシーを拾って帰ったけれど(2,070円)、その費用を補って余りあるライヴだった。終わりよければ全て良し。今年は良い年だった。

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