日記帳|2001年11月

11月1日(木)

 11月スタート。今年もあと2ヶ月しかないのか・・・。
 実家にて8時過ぎに起床。食事をしてから、10時過ぎに実家を出て、我が家に向かう。帰りの電車で、宜志政信の『赤瓦と芭蕉布とB軍票』読了。タイトルと表紙に惹かれて買ったけど、ぶっちゃけた話、いまいち。でも、両親のことを書いた「芭蕉布とB軍票」は良かった。涙もろくなっているのか、車内で涙してしまった。いかん、いかん。
 帰宅して、メイルチェック、サイトの更新などしていると、思いのほか時間があっという間に過ぎる。弟の歌集『駅へ』の衝撃が大きくて、日記を書くのに手間取ってしまったのだ。そうこうするうちに夕方になり、風呂から上がると5時。すぐに着替えて、表参道に向かう。
 6時半、表参道の富士銀行前で広島県庁の山場さんと待ち合わせ。山場さんとは、2年前(だったかな?)の「森林と市民を結ぶ全国の集い」で初めて会ってから、ときどき思い出したようにメイルのやり取りをしている。お互いに森林(里山)ボランティアをテーマに調査研究していた/ているという仲だ。
 山場さんから、僕の里山ボランティア論についてコメントがあったのは約2週間前のこと。その後のメイル交換で、短い文章では説明できないことがあるから会って話をする機会があると良いですね、とメイルを送っていた。すると、今日・明日の日程で東京出張があるというので、今晩会うことになったのだ。
 すっかり都心から足が遠のいているので、表参道に来たのは久しぶりだ。かなり気後れする。6時40分、山場さんが見えないので携帯に電話すると、すでに待ち合わせ場所に来ていた。お互い久しぶりなので気が付かなかったのだ。すぐに、近くの「東方見聞録」に入り、食事をしながら話し始める。基本的には、山場さんの質問に対して、僕が考えていることを披露するという形をとったが、最近、里山ボランティアについて考える時間がなかったので、うまく整理して話せなかった。しかし、話し相手としての山場さんは、とても話しやすかった。ちょうど年齢も近いだろうし、また、類似の問題意識を抱えているからだろう。僕にとっては貴重な話せる人だ。
 11時過ぎまで話をして店を出る。表参道で山場さんと別れ、僕は千代田線と小田急線を使って、12時30頃に帰宅。

11月2日(金)

 朝、というより昼近くに起床。おかしい。調子が悪い。喉が痛い。風邪を引いたか。
 12時過ぎに家を出る。今日はNEDOの説明会に出席するため、池袋のサンシャインへ。神奈川森林エネルギー工房が、NEDOの新エネルギー草の根支援事業に応募したところ、補助金申請をパスしたので、事業実施にあたっての注意事項などを聞きに行ったのだ。実績報告に必要な証憑類について、契約・発注方法、旅費・飲食費など規定について、事細かく説明される。まあ要するに、NEDOのお金とは、すなわち国のお金。だから、その使い道については説明責任が求められ、会計検査院に説明できないようでは困る。NEDOの言いたいことは、このいうことだ。非常に堅苦しい話ではあるが、NPOとしては当然やらなければいけないことだろう。だから、NPOの事務はプロフェッショナルであることが求められるのだけれど、実態は・・・。
 4時頃、説明会終了。NEDOの職員と名刺交換してから、サンシャインを後にする。久しぶりに池袋に来たので、お気に入りのジュンク堂書店へ。ここは、専門書の数が多いので良い。都内で最も好きな本屋である。ちなみに僕のベスト3は、ほかに東京の八重洲ブックセンターと新宿の紀伊国屋書店である。2時間くらい店内を見て回る。結局、全部で6冊の本を購入。毎月、かなり本代がかかるなあ。
 6時過ぎにジュンク堂を出て、研究室に向かう。7時頃、研究室に到着。買ったばかりの本を置いてから、学割証を取る。明日は、気仙沼で環境社会学会のセミナーがあるので、学割証を取ったのだ。しかし、どうも体調が優れない。学割証を取ってから、自分の風邪の具合と相談して、結局、参加を取りやめることにした。9時、研究室を出て、家に帰ったのが10時過ぎ。それから、セミナーの事務局を努めている鬼頭先生に、急遽キャンセルすることをメイルで伝える。早く風邪を治そう。

11月3日(土)

 起きると11時頃。当初の予定だったら、今頃は岩手の一関辺りにいたかもしれないと思うと、不思議な気がした。12時過ぎに、鬼頭先生の携帯に電話。メイルが届いているか心配だったので、あらためてセミナー参加を中止したことを告げる。
 さて、症状はというと、昨日よりは良いが全快ではない。今日は丸一日寝ることにする。ベッドに横になりながら、Jリーグ「鹿島×横浜」を見たり、本を読んだり、寝たりしていたら夜になる。6時過ぎ、小浜島ファームで一緒にキビ刈りをやったユウタから電話。ユウタとはときどきメイルのやり取りをしているが、電話は久しぶりだ。風邪を心配して掛けてくれたらしい。心優しいユウタらしい。ユウタによれば、ファームのほかのメンバーは次のとおり散らばっているという。マサさんとタカさんは北海道で鮭バイ。タクちゃんは長野のホテル、カズさんは熱海のホテルで仕事。ナリちゃんは、日本海側を南下中で、現在、新潟にいる。そして、ユウタは平泉にいて、11月中には日本一周を終えて、横浜に帰ってくるらしい。ナリちゃんとユウタは、自転車の旅だから、とても寒そうだ。呉々も体に気を付けてほしい。そして、事故がないようにと願う。
 悠太の電話でベッドから出てみると、空腹であることに気付く。今日は、朝から何も食べていない。しかし、トマトジュースと卵2個以外、家には何も食べるものがない。これでは腹に貯まらないので、歩いてスーパー三和へ買い物に行く。肉、野菜、牛乳、ヨーグルト、納豆、パンなど約3,000円分を買ってから家に戻る。帰宅するやいなや、簡単に料理して食事を済ませる。夜9時から、テレビ放映されていた『猿の惑星』を見る。一度、六本木の映画館で見たことがあるので、今回が2回目だった。ラストシーンのインパクトは、もう味わえなかったけど、やはり面白かった。
 ベッドのなかで、石川徹也の『日本の自然保護』を読了。言おうとしていることは正しいが、すでに言われていることを言っているだけでもある。NACS-Jの自然保護活動を中心に描いているのは、バランスが悪い。そして一番の疑問は、筆者の経歴のところに「現場に踏み込んで社会学的視点から分析するルポを発表してきた」とあるのに、どこが「社会学的」なのかちっとも分からないところ。とは言え、日本の自然保護運動を概観するには便利な本だと思う。また、林野行政をめぐって、富山和子さんとの対立点が鮮明なので、比較すると面白い。

11月4日(日)

 朝、起きる。風邪が治っているかどうか確認すると、治っていない。昨日よりは、だいぶ良くなっているが。
 昼過ぎ、親父から電話があった。今週末、親父と弟と3人で山登りをするのだが、その待ち合わせ時間と場所について話し合う。親父とは弟の歌集の話をしなかった。どんな風に読んだのか、気に掛かる。
 夕方、パジャマから着替えて、スーパーまで買い物に行く。昨日買えなかった豆乳を購入。今朝、切らしてしまったクッキングシートも買おうとするが売り切れ。帰宅してから夕食。
 加茂直樹の『社会哲学の現代的展開』を読了。論文集なので、まず、主張の重複している部分が多いことに閉口。また、理論的にも常識的なことで済まされたり、説得力のないことを主張していたりで、全体的に今ひとつの印象。逆に、この程度のものでよいのなら、すぐに論文が書けるような気がした。来年1月のゼミで、土場先生から「リベラリズムと環境倫理」というテーマで発表するよう言われている。この課題は、社会哲学のメイン・イッシューであるが、意外なほど理論的に深化していない。「リベラリズムと環境倫理」。これまで思っていたよりも、面白いテーマなのかもしれない。

11月5日(月)

 まだ、風邪が治らない。昨日と同じ感じだ。症状からすると十分に外出できるけれど、わざわざ外に出て風邪を酷くしてもいけないと思い、今日もベッドで寝ていることにする。
 そして、実際、今日は丸一日寝ていた。ときどき起きて、食事を取ったりしていたが、トータルで換算すれば、おそらく20時間くらい寝ていたように思う。これだけ眠ることができるとは自分でも驚きだ。夕刊を取りにポストへ行っただけで、まったく外出もしなかった。こんなに体を労っているのに、風邪が治らないなんて。明日は、外出しなければ行けない用事があるので、じっと安静するのは今日限り。明日からは、アクティブに行くことにしよう。

11月6日(火)

 8時頃、起床。風邪は治っていない。2度寝して起きると10時。もちろん、風邪は治っていない。
 食事を取り、朝風呂に浸かり、11時頃に家を出る。まずは、近くの郵便局に行って、恩田の谷戸ファンクラブと日本生態系協会の年会費を振り込む。次にクリーニング店に行き、預けてあったシャツなどを受け取る代わりに、セーターを2着出す。そして、電車に乗り込み、研究室へ。12時過ぎには到着。1時半から矢野土場研のゼミに出る。これが4時頃まで。その後、6時過ぎまで時間があったので、博士論文の構想などを考えてみる。とか言ってみるものの、そんなに真剣に考えているはずもなく、キノピーと喋っている時間の方が長かったかも。
 今日、キノピーがこんなことを言っていた。僕の日記に名前が載ったのが嬉しかった、と。前に東文研の太田さんや、ジローラモも前にそんなことを言っていたなあ。どういう風に嬉しいのか、よく分からないけど、人が喜ぶようなことに貢献できているのなら嬉しい。あなたが嬉しいならば、僕も嬉しい。
 この日記の目的は何だろう。急にあらためて考えてみても、特に何もない。公的な説明としては、NPP(non profit person)である僕の情報公開。つまり、新聞に載る「首相日記」のようなもの、と説明できる。しかし、誰かの役に立てれば、それに越したことはない。だから、名前が載っていて嬉しかったと、一声掛けてくれれば、こちらも嬉しいのだ。そんな他愛もない喜びが、僕と周りの人とで分かち合えれば、日記を書いていて良かったと思える。
 キノピーついでに、もう1つ。キノピーが孤独死のことを話していた。私が室内で死んだら、いつ頃発見されるだろうか、かなり日にちが経たないと発見されないだろうという話だった。寂しい話ではあるが、都会のマンションの一室で何が起こっても、誰も気づきはしないだろう。僕の場合、こうやって日記を書いているのは、突然死んだときに、長い間、日記が更新されていないからおかしいと気付いて欲しいからなのかもしれない(物騒な話で、ご免なさい)。
 7時、横浜にある神奈川県民活動サポートセンターへ。今日は、月に1度の神奈川森林エネルギー工房運営委員会の日。しかし、到着していたのは十文字さんだけ。聞けば、ほとんどの運営委員はお休みとのこと。すぐに辻本さんが来て、8時頃、佐々木さんが来たが、結局、4人しか集まらなかった。会議では、NEDOの補助金の対象となっているバイオマスサロンとシンポジウムについて話し合ったが、4人での話し合いだと盛り上がりに欠ける。もっと、実働部隊を増やさないといけないなあ。十文字さんも、3月には佐渡に引っ越してしまうし。そうそう、十文字さんがサロンとシンポジウムを宣伝するためのチラシを印刷して下さった。十文字さんは、ささっとチラシなんかを作り上げるところが見事だ。どうもお疲れさまでした。
 打ち合わせ終了後、辻本さんと佐々木さんと「横浜家」でラーメンを食べる。このとき、辻本さんに弟の歌集『駅へ』を購入していただいた。辻本さんは、心が優しいところが素敵だ。本当に有り難うございました。
 すっかり忘れていたが、今日はお袋の誕生日。しかも、還暦のお祝いだ。Happy Birthday to Mother!

11月7日(水)

 8時頃、いったん起きて再び寝る。起きると2時!あっちゃー、もう1日のうちの半分を過ぎてしまった。
 昼食を取ってからは、神奈川森林エネルギー工房のサイト更新作業に時間を費やす。今日も、風邪が治る気配を見せないので、自宅での作業だ。昨日の打ち合わせで、バイオマスサロンおよびシンポジウムにかかわる情報が固まったので、その情報をアップした。また、都市における重要な木質系廃棄物である解体材の燃焼利用について調査・検討した報告書『解体木材からエネルギーを!? 11の提案』の宣伝も行なう。こんなことをやっているだけで、夕方になる。
 7時から、サッカー「日本×イタリア」のテレビ中継を見る。柳沢のアウトサイド・ボレーは美しかった。ピッチ・コンディションが良くなかったようで、試合はあまり美しくなかったけれど。結果は1-1。結果が引き分けだったためか、7人も交替できるという変則ルールで、後半は人がころころ変わったためなのか、見終わってもすっきりしなかった。
 布団の中で、盛山和夫の『権力』を読了。現在の権力論に対する盛山さんの不満が、全体的に色濃い。特に、個人主義的権力論の限界を説くところには、尋常でない力みを感じる。なぜ、この人は、こんなに気合いが入っているのだろうか。そんな違和感を覚えながらも、フーコーを援用したフェミニズム(個人的にはスミス)への批判には素直に納得する。そして、僕が環境社会学でやろうとしていることが、どのような権力論であればよいのか、おぼろげながら分かった。

11月8日(木)

 11時に電話が鳴った。お袋からであった。弟の歌集を取りに、昼過ぎに訪ねに来ると言う。特に用事があるわけでもなかったので、洗濯などをしながら、お袋の到着を待つ。
 1時頃、お袋が家にやって来た。わざわざ作って来てくれた巻きずしを頬ばりながら、先週に続いて弟の歌集『駅へ』について1時間程度話をする。その後、お袋は近所を車で訪ねて、いつもお世話になっている方々や友人に『駅へ』を配りに行った。配り終えて帰って来たのが4時前。すると、お袋がファックスを買いに行くというので、町田のヨドバシカメラに付いて行く。しかし、想像していた以上にいろいろなファックスの種類があるために、その場では決められず、結局カタログだけもらう。5時、ヨドバシカメラでお袋と別れて、JR横浜線に乗って横浜に向かう。途中、本屋に寄り道などをしたので、かながわ県民活動サポートセンターに到着したのが6時半。ストップ温暖化ネットワークの実行委員会に出席するためだ。定例化では、主として12月16日に開かれる「かながわ地球環境賞・実践活動交流会」について話し合った。この実行委員会には、ストップ温暖化ネットワークの構成団体と、関係する神奈川県の関係部署の職員が参加しているので、いわゆる行政とNPOによるパートナーシップの一形態と言える。僕自身は、あまり行政との協働事業を積極的に進めたいという意向はないが、経済的な支援をしてくれることもあって、やはり関われるところとは関わった方が良いようだ。また、県職員の深川さんの人柄に救われている面もある。
 8時半過ぎに実行委員会は終了。ソフトエネルギープロジェクトの佐藤さんに一杯飲んでいかないか誘われたが、明日から旅行なのでお断りする。佐藤さんとは久しぶりだったので、できれば付き合いたかったが。
 帰宅してメイルしてメイルをチェックすると、昨日更新したばかりの神奈川森林エネルギー工房のサイトを見て、さっそく調査報告書の問い合わせがあった。皆さん、けっこうサイトを見ているんだなあと関心してしまう。いったい毎日、どのくらいのアクセス数があるのだろうか。そろそろ、カウンターを付けてみようかね。久しぶりにメイルを呉れた人への返事を書いたり、一昨日の打ち合わせの議事録を作ったりして、3時過ぎに就寝。

11月9日(金)

 今日と明日は、親父と弟と3人で四国・愛媛へ1泊2日の旅行である。毎年恒例の、父子登山である。
 6時半に起床。シャワーを浴びて、ヨーグルトを食べ、朝刊に目を通し、パッキングをして、8時に家を出る。8時25分、新百合ヶ丘駅に到着。すでに、親父が改札口の前で待っていた。8時35分に駅を出る京急バスに乗って、羽田空港へ向かう。途中、僕は腹の具合が悪くなり、猛烈に顔色を青白くなりながらも、8時50分に空港到着。バスが止まるやいなやトイレへ駆け込む。用が済むと、それまでの不調は嘘のようになくなり、快適な気持ちで(まだまだ風邪は引いているが)チェックイン。そして、JAL163便に乗り、定刻より15分遅れて10時45分に出発。いざ松山へ。
 12時5分、松山空港到着。すぐに、予約してあったニッポン・レンタカーに連絡して、空港に迎えに来てもらう。空港の近くにある営業所に着き、必要な手続きを済ませ、JR松山駅まで弟を迎えに行く。弟と合流したのが12時40分くらい。弟は、大阪から夜行バスに乗って、今朝の6時に松山に着いていたので、だいぶ待たせたことになる。駅で弟を拾うとすぐに、車は国道56号線を南西に向かう。旅行初日の今日は、歴史的町並みが保存されており、木蝋の生産でも名高い内子町の見学がメインなのだ。
 約1時間、車を走らせると内子に到着。まだ、昼食を取っていなかったので、町並みを散策しながら、ランチに適当な場所を探す。結局、築後130年の旧家で、石臼引きの蕎麦を食べさせてくれる「下芳我邸」に入り、昼食を取る。ギャラリーを併設したこの店は、雰囲気が良い上に、料理の1つ1つが丁寧に作られていて気に入った。昼食後、「内子座」という芝居小屋、大正時代の薬屋の日常生活を再現した「商いと暮らし博物館」、木蝋生産の様子を知ることができる木蝋資料館「上芳我邸」を見学。どれもなかなか良かったが、特に木蝋資料館は、資料展示に工夫が凝らされていて良かった。ハゼの実から和蝋燭が作られるまでの工程が、分かり易く展示してある上に、映像も充実していた。
 これまで、現在フィールドとしている竹富島をはじめとして、京都祇園、妻籠、飛騨高山、大内宿、竹原など、いくつか歴史的町並みに行ったことがあるが、それらと比較しても内子はかなり上位にランクされよう。好印象を覚えたのは、少しでも興味を持って見学すれば、江戸末期から明治末期まで、木蝋の生産で栄えたこの町の様子が分かるようになっているからだ。また、現在でも木蝋や和傘の生産をしている家が残っているところも良い。さらに、家の軒先で、地元のみかん、柿、ゆず、唐辛子などを、きわめて安くさりげなく販売しているところも気に入った。残念だったのは、内子町で唯一の和蝋燭職人がいる「大森和ろうそく屋」が、定休日で休みだったこと。お土産に和蝋燭を買おうと思っていたのに・・・。
 駆け足で内子見物を終え、5時前に出発。今度は、来た道を戻り、さらに北東へ進み、今晩泊まる鈍川温泉へと向かう。6時40分、鈍川温泉ホテルに到着。松山の奥座敷と言われる鈍川温泉であるが、不況のためか活気が感じられない。このホテルも、休前日というのに宿泊客は少ない。
 風呂に入り、7時半から夕食。食事は、質・量とも満足できるものだった。イノブタ鍋にしても、串揚げにしても、それぞれに工夫があって楽しめる食事だった。食後、再び風呂に入る。風呂はいまいちだが、お湯はなかなか良い。入浴後、アリスセンターのアルバイトとして「らびっとにゅうず」の編集・発行を済ませる。11時過ぎ、親父と弟との間に入り、3人、川の字になって就寝。

11月10日(土)

 5時半、目覚まし時計のベルで起床。身支度を整え、6時にホテルを出発。あいにく朝から雨模様。天気が悪いけれど、山に登るかどうかは、登山口まで行って決めることにし、とりあえず西条・新居浜方面に車を走らす。7時30頃、新居浜のローソンに寄って、朝食と昼食を購入。車内で、朝食を済ませてから、別子方面に上がってゆき、今日登る西赤石山の登山口に向かう。8時20分、日浦登山口に到着。すでに、登山口前の駐車場には、20人ほどから成るパーティーが来ていた。山の上の方にはガスがかかっていたが、雨は止んでいたので、大パーティーが記念写真を撮ったりしているのを尻目に、登山口から登りはじめる。
 登りはじめるとすぐに、かつて日本3大銅山の1つとして数えられた別子銅山(1973年閉山)の繁栄を物語る歴史的遺産が目に入る。たとえば、かつての学校後、劇場後、接待館跡、造酒所跡、そして集落跡など。今となっては、ここでどうやって人が住んでいたのか、想像することさえできないような急峻な山の中に、かつては多くの人々が住みついていたことに思いを巡らせる。そして、現在フィールドとしている西表島でも、ここと同じように今となっては人が住んでことを信じられないような深いジャングルの中で、石炭を掘って暮らしていた人が大勢いて、当時はいくつもの集落があり、映画館や芝居小屋などもあったことを思い出す。
 ところで、今回、西赤石山を登ることに決めたのは弟である。四国の山と言えば、石鎚山や剣山が有名であるが、弟はこれらを登ったことがある。そこで、近代化遺産に興味を持っている弟は、別子銅山に近い西赤石山を登ることにしたのだ。この山は、夏期の高山植物が有名らしいが、秋の紅葉も良いらしく、今回はそれを楽しむために登山するという目的もあった。しかし、残念ながら天気が悪くて、紅葉を楽しむことはできなかったが。
 8時半過ぎから登り始めて、1時間足らずで銅山越という鞍部に出る。それから尾根沿いを約1時間進むと早々と西赤石山(1626.4m)の山頂に着く。ガイドマップなどに書かれている時間から計算して、登り始めて3時間くらいかかるだろうと思っていたのに、意外に早く山頂に着いてしまった。山頂では少しだけ休憩を取って、そのまま尾根沿いに東へ。物住頭(1634.3m)を越え、前赤石山(1640m)を巻いて行く。この辺りは、岩場が多く、日本アルプスに来たような雰囲気を楽しめる。そして、12時過ぎに赤石山荘に到着。ここで、昼食を済ませてからは、ひたすら下る。ずっと下り続けるので、しまいには踏ん張りが十分に利かなくなりながらも、2時30分に筏津の登山口に出る。ここから、車を置いてある日浦登山口までは、県道沿いを4km歩いて登る。日浦登山口に着いたのが3時20分。車に乗り込み、近くにある温泉に直行しようと思ったら、親父が筏津登山口にストックを忘れてきたというので、いったん取りに引き返す。そして、ストックを回収し、温泉に向かう。4時10分、マイントピア別子という旧別子銅山の跡地を利用した施設に到着。ここに温泉というか、クアハウスが併設されているので、さっそく入って疲れを癒す。やはり山に登ってから、温泉に入るのは気持ちが良い。できれば、雰囲気のある一軒宿が良いけれど、クアハウスだって気持ちが良いのだ。露天風呂、打たせ湯、泡風呂、ミストサウナなど、短時間で次々に入り、5時にはマイントピア別子を出る。仕方がないことだが、帰りの飛行機に乗り遅れるといけないので、十分に余裕を持って風呂から出ることにしたのだ。
 車は、新居浜ICから松山自動車道に入り、松山ICまで。インターを下りると、松山市街の渋滞に巻き込まれないようにしながら、弟のナビによって空港へ。松山空港に到着したのは、ちょうど7時。ここで弟とは別れ、親父と2人になる。そして、7時55分出発のJAL168便で羽田へ。9時15分頃、羽田空港着。9時40分に空港発の京急バスで新百合ヶ丘駅へ。10時45分、新百合ヶ丘駅着。夕食を食べていなかったので、駅ビルにある魚民で親父と食事を済ませる。12時過ぎに新百合ヶ丘駅で親父と別れ、12時30分、帰宅。

11月11日(日)

 今日は世界平和記念日らしい。午前11時11分に、John LennonのImagineを世界で流そうという企画があるらしい。僕は、こういう運動に対して、どのように距離を取ればよいか分からない。
 11時に起床。ももに筋肉痛を覚える。相変わらず、風邪は治っていない。登山の最中には、ほとんど咳をしなかったのに。どうも、空気が悪いといけないようだ。鈍川温泉ホテルで泊まったとき、僕は夜の間、ずっと咳き込んでいたらしい。横で寝ていた親父は、僕があまりに咳き込むので、気になって寝られなかったそうだ。今日も、朝起きた瞬間は、風邪が治ったような感じだったが、すぐに咳き込み始めた。
 風邪を引いている上に、昨日の疲労も残っているので、今日は丸一日眠っていた。ここ1週間は、本当によく眠った。それなのに、一向に風邪は治らない。また、悪化するわけでもない。咳ばかり、ケホケホやっている。コンコン咳している。
 夜12時過ぎ、ユウタから電話があった。今、茨城に居て、アツシさんと一緒に飲んでいるところだと言う。久しぶりにアツシさんとも話をした。用件は、12月上旬に、小浜島ファームで一緒に働いたメンバー同士、横浜あたりで集まろうという誘いだった。もちろん、特別な事情がない限り、その集まりに喜んで参加すると伝えた。ユウタらメンバーと会えるのは楽しみだ。
 さて、いよいよ再来週末の学会発表が近づいてきた。毎日、ただ惰眠を貪っているわけにもいかない。そろそろ、風邪を押して発表の準備をせんといかんなあ。

11月12日(月)

 風邪を引き始めて10日になる。症状に変化が見られない。下手に外出して、余計に悪化させても良くないので、今日もベッドの中で過ごす。薬を飲んでいるため、ベッドにいるとすぐに眠くなる。こんなことを、ずっとやって過ごしている。
 昼に餅を食べ、食材らしい食材を切らしてしまう。紅茶、コーヒー、ココア、日本茶、ウーロン茶、ゴーヤー茶、甜茶、お吸い物、中華スープ、うどんの汁など、飲み物ならばいくらでもあるが、食べ物がない。夜、空腹感を覚えたので、9時過ぎに家を出て、駅の近くまで買い物に行くことにする。しかし、家を出てみると、買い物してからわざわざ戻って料理を作るのが面倒臭く思えて、外食することにする。駅の近くにあるイタリア料理店でスープスパを注文。腹が減っていたので、大盛りを注文したら、直径20cm、深さ5cmくらいの大鍋にいっぱいのスープスパが出てきた。これは、4人くらいで取り分けるべきだろうというくらいの大盛りだ。一瞬、あまりの量にたじろいだが、これを残してはプライドが許さないと思い(?)、汗を掻きながら、舌を火傷しながらも無心で平らげる。アスパラ、玉ねぎ、ニンジンなど、普段、不足気味な野菜を大量に取れたのが良かった。体も温まったし、家に帰って直ぐに寝れば風邪が治る気がすると思い、家に帰るとあっという間に就寝。しようと思ったものの、テレビでニューヨークにおける航空機墜落のニュースを流れていたので、それを見る。事故の可能性が高いらしいが、信じがたいよなあ。

11月13日(火)

 昨日のスープスパの効き目もなく、朝起きると咳が出る。通常の火曜日は、午後からゼミがあるので研究室に行くのであるが、今週は休講なので研究室に行く用事がない。したがって、今日も引きこもりである。
 寝てばかりなので、ここに書くべきことも思い浮かばない。だから、あっという間に夜になる。9時15分から、NHKの「プロジェクトX」を見る。毎週見ているわけではないが、屋久島や白神山地の保護運動の物語は見た。白神山地を取り上げた放送分については、主に秋田県側の運動を取り上げたため、青森県側の人々が抗議したというニュースも聞いたけれど・・・。それはさておき、今日は沖縄のウリミバエ絶滅に取り組んだ男たちの物語だった。
 多くの人々の命を奪ったマラリア原虫、牛に被害を及ぼしたオオシマダニ、ゴーヤーなどの野菜や果物に被害を及ぼしたウリミバエ。これらによって、かつて沖縄の人々は大いに悩まされた。現在では人間の力によって絶滅に追い込まれているが(マラリアについては、いまだ原虫を媒介するハマダラカが棲息しているので、予断は許さないが)、そこに至るまでには多大な労力が費やされた。そのことを知っていたものの、どのようにして絶滅させたかは知らなかったので、今日のウリミバエを根絶させた物語は興味深く見ることができた。45分間の番組なので物足りなさも残ったが、見て良かった。まあ、僕の場合、沖縄の風景・人が出てくる番組ならば何でも良かったりするのだけれど。

11月14日(水)

 風邪は少しずつよくなっているようだ。相変わらず夜になると咳が出るが、それでも毛布をかぶって寝ているほど調子が悪いわけではない。かといって、外出して風邪を悪化させ、快方ムードに水を差すのもどうかと思う。というわけで、今日は家のPCの前に座って過ごすことにした。それも、ほとんど神奈川森林エネルギー工房の事務仕事に時間を費やした。しばらく休止していたバイオマスサロンが、今月から始まるし、来年2月には大きなシンポジウムを打つ。また、調査報告書を売らないといけないし、「地球の学校」という事業も始まりそうだ。こうした情報を広報・宣伝するためには、メイルを流したり、メイルマガジンを発行したり、細々としたことをやらないといけない。そんなことをやっていると、あっという間に太陽は西に傾く。気が付けば4時。腹が減ったので、買い物でもしようと外出する。
 夕方のスーパー「三和」は、非常にジェンダーバランスが悪い。100人の客のうち、男は数えるほどしかいない。そういう環境で買い物をするのは、ちょっとした異文化体験のようで楽しい。僕は、あまり米を買わない。食べたいときにすぐ食べられないからだ。冷凍しておくという手があるけれど、冷凍した米をレンジで温めて食べるのは好きではない。このため、餅を焼いたり、パンを焼いたり、パスタやそばやうどんなどを茹でたりすることが多くなる。しかし、餅を食べるのには飽きてきたので、今日は大量にうどんを購入。また、スタミナを付けるために、ニンニクと牛肉を買う。そう、ガーリックステーキを食べようという魂胆だ。
 買い物ついでに散歩をしたので、帰宅したのは6時過ぎ。それから、すぐにガーリックステーキを食べ、キノコうどんを食べる。体が温まり、元気になった気がする。明日は全快しているかも、と淡い期待を抱かせる。しかし、部屋が寒くなってくると、少し咳が出てくる。栄養のある食べ物を食べたからといって、そう易々と風邪が治るわけもないか・・・。
 夜、親父に電話する。山登りから帰ってきた翌日に電話があったとき、筋肉痛が酷いと聞いていたので、その後どうなったか尋ねてみたのだ。聞けば、昨日までは階段が下りられないほど筋肉痛が酷かったらしいが、今日はほとんど痛さを覚えることがなかったと言う。親父の歳からすると、たしかにきつい登山だったかもしれない。でも親父は、僕ら兄弟の足を引っ張ることのないよう、登山の日程が決まった日から、エレベーターを使わずに階段を登ったり、休日は5kmほど散歩したりと訓練していたらしい。訓練していなかったら、どうなっていたことか・・・。しかし、親父の名誉のために書いておくが、登りの時の親父のスピードは、とても還暦過ぎとは思えないくらい速かった。僕が普段道を歩くスピードよりも速かったくらいだから。

11月15日(木)

 今日で、11月も半分が過ぎ去った。この2週間は実によく睡眠を取った。これまでの人生のうちで、もっともよく寝た2週間だったかもしれない。
 それにしても、しばらく研究室に顔を出していないなあ。先週末に行った四国・松山のお土産を買ってあるのに、このままだと腐らせてしまう。そろそろ、研究室にも行かないと。それとも、お土産を独り占めするか?
 今日の昼飯は、昨日の晩飯の残り。つまり、ガーリックステーキとキノコうどん。これを食べてから、5日ぶりに電車に乗って、隣り駅の町田まで行く。古本屋を数軒回るものの、今ひとつ買おうという気になる本が起きないまま、ぶらぶらと散歩する。東急の上に新しくできた三省堂書店にも足を運ぶが、いまいち。潰れる前のビーミー(大丸)の上にあったときは、けっこう充実していたのに、全然面白くない本屋になってしまった。町田には本屋がいくつかあるが、まともな本屋はリ西友の上にあるブロしかない。もちろん、池袋のリブロの方が良いけれど、町田だから贅沢は言えない。というわけで、リブロに行く。結局、リブロで3時間くらい長居してから、6冊の本を購入して店を出る。
 神奈川森林エネルギー工房の事務局(=僕)宛てには、かなり頻繁にメイルが届く。意外に多くの人がアクセスしているらしい。そこで、そろそろアクセスカウンタでも付けようかと思ったが、まずは練習台として僕のサイトに付けることにした。僕のサイトの場合、アット・ニフティというサービスを利用しているので、CGIの知識がなくとも、アクセスカウンタを瞬時に付けることができた。初期値は任意に決められるが、0では恥ずかしいので719にした。誕生日の7月19日から取ったのである。興味本位にさっきアクセスしたら、730になっていた。1日のべ10人くらいのアクセスがあるんですね。この日記を読んでいるかは分かりませんが、今後ともよろしくお願いします。
 夜、寝る前にテレビを見ていたら、TBSで「Concert for N.Y.」というライヴ番組が放映されていた。これは、9/11のテロによってなくなった犠牲者を追悼し、遺族を支援するために10月20日頃行なわれたライヴだった。番組の途中から見始めたのだが、驚いたのは集まったアーティストの豪華さ。よくもまあ、大御所が揃いも揃ったものだと感心した。トリを務めたポール・マッカートニー、お馴染みの共演となったエルトン・ジョンとビリー・ジョエル、ライヴを最も盛り上げたミック・ジャガー&キース・リチャーズ、完成度の高いパフォーマンスを魅せたザ・フー、ギターの神様エリック・クラプトンなどなど。ジェイムス・テイラーやジョン・メレンキャンプも大御所ではあるが、ビッグ・ネームの前では影が薄かった。ところで、このライヴであるが、「N.Y.のため」とあるのに、N.Y.らしいアーティストが出演していなかったのが寂しかった。たとえば、ルー・リード、パティ・スミス、トム・ヴァーレイン(テレヴィジョン)、ディヴィッド・バーン(トーキング・ヘッズ)、ラモーンズなど。ポールやミックの元気な姿を見るのも良いけれど、イギリス人だからねえ。
 このライヴが流れているとき、テレビ東京では相米慎二の「お引っ越し」を放映していた。学部生時代に見た映画だ。田畑智子のデビュー作である。両親役が中井貴一と桜田淳子。田畑智子は、この演技で新人賞を総なめにしたという記憶がある。当然だが、小学生だった田畑にしかできない演技をしていた。子どものときにしかできないことがある。これは、社会の財産だと思う。

11月16日(金)

 昼飯として、うどんとアスパラガスを食べてから外出。今日は、自転車に乗って町田まで買い物だ。往復の交通費260円を節約しようという魂胆。こうやって節約しても、それ以上の予定していなかった買い物をしてしまうから意味がないんだけれど。
 2時に町田に到着。まず、折り畳み傘を買う。沖縄で紛失して2ヶ月ほどになり、不便を感じていたからだ。次に、格安航空券を扱うH.I.S.に行く。年末に台湾から戻る航空券を買おうと思ったのだ。年末の台湾旅行は、船で行って飛行機で帰る予定にしているが、帰りの航空券を持っていないと台湾に入れないので、事前に帰りの航空券を用意する必要があるのだ。しかし、H.I.S.では台北発の片道航空券は扱っていないと説明される。仕方ない。別口を探そう。
 H.I.S.を出て、昨日、立ち寄らなかったブック・オフに行く。町田の古本屋と言えば、在庫が多く専門書にも割と強い高原書店が有名である。しかし高原書店は、場所が移転してから敷地が狭くなって、本を選ぶ楽しみが減った気がする。昨日もそう思った。その点、ブック・オフは広くて快適。専門書は少ないけれど、もしあれば安く手に入るところが良い。特に、町田のブック・オフは大きいので、思わぬ掘り出し物に出会えることがある。たとえば今日も、これまで高くて買うのを諦めていた7,000円のテキストが、なんと950円で売られていたので即購入した。しかし、良いことばかりではない。逆に肩の力が抜けるときもある。先日取り寄せたばかりの1,800円の本が100円で売られていた。もう少し早く来ていれば良かったのに、と後悔。しかし、悔やむのも古本屋に来る楽しみの一つである。
 帰宅するとすぐに、台北発の航空券を購入すべくネットで検索する。いくつか、直接、航空券を購入できるサイトがある。が、けっこう高い。そこで、1月1日の那覇→羽田を超割で予約しておき、台北→成田/那覇の両面作戦に出ることにするが、今日は断念。明日以降、航空券の購入にトライしよう。
 10時頃だったか、お袋から電話があった。毎年、正月は実家に戻ることにしているが、今年は旅行することに決めていた。その場所を決めたからという知らせの電話だった。場所は湯西川温泉。奥日光の辺りらしい。正月早々、温泉三昧とは悪くない。
 昨日、アクセスカウンタを取り付けたついでに、今日は掲示板を設置することにする。これも、アット・ニフティのサービスを使えば簡単。ただし、あまり目立たないように、トップページの片隅に置いておいた。
 昨晩の「Concert for N.Y.」に刺激され、今日はお気に入りの『マーキー・ムーン』(テレヴィジョン)と『ストップ・メイキング・センス』(トーキング・ヘッズ)を聴いた。音楽好きだった高校生の頃、トム・ヴァーレインとディヴィッド・バーンはとても格好良く思えた。今でもそう思う。
 深夜、ギデンズの『暴走する社会』を読了。小冊子であるが、一般向けの現代社会分析としては好著であろう。特に新しいことを言っているわけではないが、ギデンズの提唱する「第三の道」の方向が分かり易く書かれている。『第三の道』を読むよりも、こちらの方が良いかも。

11月17日(土)

 今日は、タイワンな日だった。昨日の続きで、台湾から日本に帰る航空券をゲットするために、ネットを検索して調べていたら、午後は潰れてしまった。いろいろと情報を総合すると、台湾からの復路は次の3通りで手配できるようだ。(1)石垣から台湾行きの船券を往復で購入。現地の旅行代理店に出向いて帰りの航空券を調達。現地の事務所で復路船券のキャンセル申請をし、帰国後に払い戻し。(2)現地の旅行代理店と連絡をとり、復路航空券を事前に手配し郵送してもらう。(3)国内で復路の片道切符(台北→沖縄)を販売してくれる日本アジア航空で正規料金の航空券を購入。(4)中華航空も国内で片道切符を購入できるが、台湾で買う方が安いので、この場合、いったんダミーの航空券を購入して台湾入りし、現地で改めて航空券を購入。帰国後に払い戻し。
 相当の時間を費やして、このことが分かった頃、一通のメイルが舞い込んだ。昨日、ネット上で僕と同じような方法(行きは船、帰りは飛行機)で台湾へ旅した経験者を見つけて、どのように復路便を手配したか尋ねたところ、その返事が届いたのだ。それによると、その人は(1)で台湾に行ったが、(2)が良いだろうということだった。いやあ、昨日の段階では、どうしてよいやら検討がつかなかったことも、ネットを利用するとすぐに分かるんですねえ。全然、会ったこともない人からアドヴァイスをもらうこともできたし。すごい時代になったものだ。
 あちらこちらへとネットサーフィンしていたら、高校時代の同級生・星野が、ネットを活用した激安海外旅行術について、各種メディアで情報発信していることを知った。皆さん、頑張ってますなあ。
 そんな風に感心していた矢先、朝日新聞の夕刊に、学部生時代の知人で作家の佐藤亜有子(僕の記憶の中ではアユちゃん)がエッセイを載せていた。彼女は『ボディ・レンタル』で文芸賞優秀作を受け、その後、作家として活躍している。そのことは知っていたが、一度も文章を読んだことがなかったので、「海辺の古びたホテル」という彼女のエッセイを読んだみた。もう10年も会っていないが、今はどんな風なんだろうかと想像してみた。あまり変わっていないような気がする。
 彼女とは同じ年に大学に入り、違う劇団であったが、共に芝居をやっていた。アユちゃんの劇団「関東中央劇団」には、当時親しくしていた同級生も入団していたので、彼女らの初芝居を観に駒場小劇場に行ったこともある。正直、アユちゃんの芝居はよく覚えていないが、芝居自体は感動的だった。今でも、僕が観た芝居の中では、ベスト3に入るくらいの素晴らしい芝居だった。その後、「関東中央劇団」は発展的に解消したが、当時の主宰は今でも芝居を続けている。僕が在籍していた劇団「どどど企画」は解散した。しかし、主宰は今でも芝居を続けていると聞く。たまには、芝居を観に行くかねえ。
 今日は、神奈川森林エネルギー工房のメイリング・リスト開設1周年の日。会員相互の情報交換ツールとして、欠かせないものとなっている。今となっては、それ以前どのようにやり取りしていたのか思い出せないくらいだ。弱小NPOにとって、電子ツールの利用はコスト削減のために不可欠となっている。こうやって出費を抑えることはできるけれど、収入を増やすことは難しいんだよなあ。

11月18日(日)

 早朝、自分のサイトの掲示板をチェックすると、なんと書き込みがあるではないか。かなりの驚き。アクセスカウンタで777をゲットしたので、わざわざ投稿してくれたらしい。ありがとう、ニョルさん!(ところで、なんでニョルなの?)
 朝、うかつにもパンツをすべて洗濯してしまったので、水泳用パンツをはいて1日を過ごした。変な感じ。
 渡部重行の『共生の文化人類学』を読了。思いっきり環境問題に関わる本だったので、どこに文化人類学らしい視点があるのか不明だった。書かれている内容も、在地の知識(ローカル・ナレッジ)、適正技術、虫瞰と鳥瞰の往復運動、土人間と風人間など、すでに誰かが言っていることばかり。オリジナリティが感じられない。そう言う意味では、新しい発見がほとんど無かった。唯一の救いは、充実した文献リスト。文献を渉猟していることは分かりました。
 変な時間に寝たり起きたりしていたので、3時頃から昼寝を始める。夜10時半、電話が鳴ったので跳び起きる。受話器を取ると、ユウタからだった。なんと、今日、自転車での日本一周旅行をゴールしたと言う。しかも、ちょうど今日が20歳の誕生日に当たるそうだ。おめでとう、ユウタ!でも、ようやっと20歳なんだね。これから、どんな風に成長するのか楽しみだ。
 深夜1時過ぎから、日テレの「ドキュメント’01」を見る。この番組は、ときどき面白いところを取材する。今日は、「東京の木で家を造る会」を取り上げていた。事務局長の稲木さんがフィーチャーされていた。活動内容については、おおよそ知っていたので、僕にとっては特別に面白い番組内容ではなかったものの、広く一般に情報を知らせるためにはこういう番組も必要だろうと思う。国産材で家を造れるならば、それに越したことはないけれど、収入のない身には、今のところ、別世界の話としか思えない。そもそも、持ち家に住んだことがないので、自分の家に住むということがどういうことかよく分からないのだ。定職に就き、家庭を持つようになったら、マイホームが欲しいと思うのだろうか?当分先の話だろうから、考えようという気が起こらない疑問だ。 
 寝る前にベランダから獅子座流星群を見るが、曇っていたので、10秒ほど空を見上げただけで断念して、就寝。

11月19日(月)

 8時に起床。9時に自宅から最も近い郵便局に行き、2ヶ所にお金を振り込む。それから、久しぶりに小田急線の上りに乗って、代々木上原へ。車内では、川北稔編の『ウォーラーステイン』を読了。その後、千代田線に乗り換えて大手町で下車。JAビル9Fにあるホールへ向かう。10時に開演するワークショップ「里山の自然をまもり育てる-里地・里山の評価とその保全に向けて」(ニッセイ緑の財団主催)に参加するためだ。15分遅れで会場に到着。定員450名のホールには参加者がぎっしり。財団の人の話では、官公庁職員、研究者、NPOメンバーに声を掛けて、これだけ集めたという。そう言えば、昨年のワークショップも大盛況だった。今回のワークショップは、特に午後のメンバーが東大の竹内和彦・鷲谷いづみ先生、明大の倉本宣先生、神奈川県の中川重年さんと非常に豪華なので、昨年以上の盛り上がりを見せていた。
 僕は、これまで午後に講演するメンバーから何度か話を聞いたことがあったし、また、研究成果が『里山の環境学』としてまとめられていることから、午前中のみの参加とした。午前中のメンバーからは、万博の候補地として注目された海上の森近くの里山における生態学的調査の報告があった。12時となり午前中の報告が終わったので帰ろうと思ったら、会場の入口で、十文字さん、土屋さん、吉武さん、辻本さんというNORA(よこはま里山研究所)界隈のお馴染みのメンバーにばったり遭遇。ほかにも、恩田の谷戸ファンクラブの小原さんや、ナチュラリストの北川さん、横浜自然観察の森の松田さんなど、数え始めればきりがないくらい多くの知人が参加していることに気付く。ちょうど昼飯時だったので、NORA界隈のメンバーと共に食事を取り、1時前に皆と別れた。
 JAホールに来たときに楽しみにしているのは、JAビルの地下にある本屋を訪ねることだ。この本屋には、1次産業に関わる本がずらり取り揃えられているので、たまに来るとわくわくしてしまう。今日も、いろいろと買いたい本が会って迷ったが、結局、全国林業改良普及協会(全林協)から出ている『森のバイオマス利用アイデア集』という本を1冊だけ購入した。これは、今日のワークショップでも講演した中川さんが監修している本だ。最近、全林協から相次いで出版されている中川さん絡みの本はすべて、とても親しみやすい上に大事なことがきちんと書かれている。神奈川森林エネルギー工房事務局を務める僕としては、今日買った本と『森のバイオマスエネルギー―地域資源で快適・おしゃれなあたたかさ』は、木質バイオマスに感心がある人に是非読んで欲しい本である。
 2時過ぎに本屋を出て、大手町から丸の内線、日比谷線、東横線、大井町線と乗り継ぎ、研究室に到着。席に座る間もなく、先々週の週末に旅行したときに買った松山銘菓「一六タルト」を、研究室のメンバーに配る。食べたことがなかったので美味しいかどうか不安だったが、比較的好評だったので安堵した。机の上を乱雑にしたまま、およそ2週間ぶりに研究室に来たので、どこに何を置いたか分からず、必要な資料を探すのに相当手間取ってしまう。このため、ほとんど何もすることなく、ただ探し物をしていただけで、日が暮れてしまった。その後、大部の資料をダウンロードして印刷するなど、家のPC環境ではパワー不足でなかなかできない作業に時間をかけていたら10時になったので、研究室を出る。
 11時過ぎに帰宅。メイルをチェックすると、台湾の旅行代理店から航空券の予約手続きが済んだとメイルが届いていた。明日にでも、確認の電話を入れることにしよう。ほかにもいろいろとメイルが来ていたが、その中に最近まで東大東文研で働いていた太田さんからのメイルがあった。そのメイルには、太田さんが僕のサイトから弟の歌集を申し込もうとしたのに、メイルが届かなかったという指摘があった。そこで確認してみると、確かにメイルアドレスが間違えていた。これでは、メイルが届かないので、すぐさま修正しておいた。ありがとう、太田さん!
 というわけで、今晩からは、サイトから歌集の申込みができます。在庫は山ほどあるはずなので、お申し込み下さいませ。

11月20日(火)

 1時頃、大学に到着。研究室の扉を開けると、キノピーがダッフルコートを着たまま机に突っ伏していた。聞けば、体調が悪いそうだ。2週間ほど前には、自分はバカだから風邪を引かないと豪語していたのに。呉々もお大事に。
 そんな具合の悪いキノピーが、唐突に弟の歌集を買って呉れると言う。詩に凝っている友人がいるので、その人にプレゼントするそうだ。歌集がもとで、友情にヒビが入らないとよいけれど。これで、研究室関係の人では、事務の岩井さん、矢野研助手の粒来さん、そしてキノピーと、これまでに3冊をお買い上げいただいた。ここに記して、感謝の意を表します。
 1時半から研究室のゼミに出席、3時過ぎには終了。その後、研究室にある自分の机に座っていたら、突然、1人の女性が室内に入ってきた。何かと思えば、訪問販売、悪く言えば押し売りにやって来たのだった。一応話を聞いてみると、普段は3,000円で販売しているラジオ付きライト(それとも、ライト付きラジオ?)を、今日のところは500円で出血サービスするという。あいにく、ライト付きラジオは持ち合わせているので、丁重に、多少からかいながらお断りしたら、その女性は次の手を出してきた。それは、クマのプーさんのぬいぐるみである。しかも、そんじょそこらのクマプーではない。なんと、クマプーの絵本付きで、しかも、その絵本をぬいぐるみが話して聞かせてくれるという代物なのだ。ぬいぐるみの両手には、番号が1~6(5だったかな?)まで付いており、その番号の書かれている部位を押すと、絵本の該当ページを英語で読んでくれるのだ!正直、少し食指が動いた。しかし、お金に余裕のない僕にとって、2,000円という値段は高く感じた。そこで、ラジオ付きライトを3,000円から500円に値引きできるのならば、絵本付きクマプーは2,000円のところを400円に負けられないか交渉してみた。すると、相手は頑なに値下げを拒み、明らかに声を掛ける相手を間違えちまったという表情を浮かべ、足早に立ち去った。喋り方が山川恵里佳に少し似ていたその女性が、いったいどうして東工大のはずれにある無機質なビルの4階まで上がり、暗くて狭い研究室に足を踏み入れ、クマプーのぬいぐるみを売りに来たのか。彼女はどういう組織と関わりながら、この訪問販売を行なっているのか。そもそも、どのようにしてそういう職に就いたのか。考えようと思えば気になる題材であるが、都会にはこういう人が少なくない。いちいち考えていたら一生潰れてしまう。逆に言えば、いちいち考えないから、不思議な人があちらこちらに存在するのかもしれない。
 6時過ぎ、研究室を出て渋谷に着いたのが6時40分。7時に表参道で待ち合わせているが、それまで20分の時間があったので、電車賃を浮かすために歩いて表参道に向かう。待ち合わせ場所に到着したのが、7時5分前。ほどなく、待ち合わせした相手が現れる。今日の相手はハルヲさんである。歩きながら店を探そうとすると時間が掛かりそうなので、今月1日にも利用した「東方見聞録」で食事することにした。
 ハルヲさんと初めて会ったのは、僕が大学1年生の時だから、もうかれこれ13年の付き合いになる。当時は、ほぼ1日おきに顔を会わせていたが、ここ10年ほどは1年に2回くらいしか会っていない。このため、僕の記憶の中では、初めて会ってから1年の間のこと、つまり12年も昔のことをよく覚えている。当時、大学4年生だったハルヲさんは、品が良くて目利きの店主がいる古本屋で働くのが理想だと言っていた。僕は、その夢が実現されることを願っていた。
 卒業後、ハルヲさんは自動車メーカーに勤めた。僕は、自分の理想を語りながらも、そのとおりに歩まないハルヲさんを理解した。でも、いつかは古本屋で働くのではないかと密かに期待していた。それは今でも変わらない。
 ここ数年、ハルヲさんと話をしても、お互いの近況報告ばかりで時間が過ぎてしまうことに、僕はいらいらしていた。最近では、ペレットストーブのこと、竹炭・竹酢液のこと、沖縄や八重山のことなどを懸命に話をしても、何か伝わらないもどかしさがあった。だから、今日は素直の言ってみた。「僕は、ハルヲさんの勤める古本屋で本を買うのが夢なんだ」と。そして、こう付け加えた。「でも、これは僕の夢、願いだから。叶うことの方が難しいことも分かっているつもり。」ハルヲさんは、こう応えた。「分かった。それじゃあ、長生きしてね。」僕は長生きししようと思った。
 10時半過ぎに店を出て、表参道でハルヲさんと別れた。僕は、酔いを醒ますために秋の表参道を原宿に向かって歩いた。しかし、酔いが醒めるためには、表参道は短すぎた。結局、酔い醒めと地下鉄の電車賃節約のために、代々木公園の脇を抜けて、小田急線の代々木八幡駅まで歩くことにした。そこから電車に乗って、12時過ぎに帰宅。昼間にキノピーが豆乳好きだと話していたことを思い出し、僕も温めた豆乳を飲む。そして就寝。

11月21日(水)

 起きて直ぐにやらなければいけないことがある。そういうときは、なかなか起きたくないものだ。だから、布団の中で粘った末に、1時過ぎにやっと床から出る。
 いよいよ迫ってきた。今週末の土曜日に、大塚プロジェクト全体会での調査報告と日本社会学会における学会発表がある。午前中は東大で、午後は一橋大で発表することになっている。先週からずっと、やらなければいけないと思いながらも、何もせずに今日まで来てしまった。しかしいい加減、今日から準備に取りかからないといけない。そういうわけで、今日は家で一日(半日?)、週末の発表に向けて準備することにした。
 さあ取りかかろうかと思ってPCの前に座るものの、今ひとつやる気が起きない。まずは腹ごしらえと、ツナ入りスパゲティを作る。ここ3日連続して、ツナ・スパゲティを食べている。簡単に作れる割に美味しいからだ。これを平らげると、今度は家にいるときも体を清潔にしようと風呂に入る。しかも長風呂。風呂から上がり、やっとPCの前に座ったかと思えば、今度は届いているメイルへの返事を書いて時間を潰す。なんだかんだで時間を稼いで、なかなか腰を落ち着かせることができない。挙げ句の果てには、これから発表直前までの体力勝負になるはずだ、今のうちに睡眠を取っておくべき、と自らを納得させ、夕方から寝てしまう有様。
 起きると10時。時間は、刻一刻と少なくなっている。ネットサーフィンに興じ、やっと12時頃から発表準備を始める。明らかに遅過ぎる。後悔後に立たず。今日1日は、いったい何だったんだあと叫びたくなる。が、叫んでいても仕方がない。こういうときこそ、ホットココアを飲んで、心を落ち着かせる。そして、サモアを思い出して、またまた現実逃避・・・。

11月22日(木)

 徹夜して9時まで起きていた。頭の中が整理できていないので、長時間PCに向かっても作業が捗らない。息抜きに書くメイルや日記ならば、いくらでも筆は進むのに・・・。
 体が冷えてきたので、風呂に入った。そのまま湯船に浸かりっぱなし。ぬるいお湯に浸かりながら、明後日のことと全く関係のないことに考えを巡らす。面白いことをやって、金を稼ぎたい。そのためにどうするか。ずっと、そんなことを考えていた。ATプロモーター、援農マッチング、日常科学・・・。とりあえず、考えついたキーワードをここに記しておく。これが、どんな意味なのか、これにどんな意味を持たせようとしているのか、予測不能だ。自分1人でできる仕事は少なすぎる。その少ない仕事さえ、満足にできないくせに。
 たぶん、風呂の中で眠っていたのだろう。風呂から上がると、11時を回っていた。なんと2時間以上も湯船に浸かっていた計算になる。少し疲れたので眠る。
 12時過ぎ、お袋が自宅にやって来た。彼女の友人が近くの病院に入院しているので、その見舞いに来たついでに、弟の歌集を取りに来たらしい。お袋は、自分でこしらえた料理を、しばしば友人に振る舞う。今日も、数本の太巻きを手にしてやって来た。そのうちの1本を、昼食として御馳走になる。また、豚カツも美味しくいただいた。食後、正月に行く家族旅行の行き先をどうするか2人で話し合う。いったんは湯西川温泉へ行くと決まっていたのだが、僕が他の候補を挙げて、もう一度考え直そうと提案したからだ。結局、峩々温泉に行くことに仮決定。念のため、弟の了承を得て本決定とすることにした。
 お袋は、太巻きと弟の歌集を届けに、近隣に住む知人の家を訪ねていたようだ。夕方5時頃には経堂の家に帰った。
 夜、弟の電話し、正月旅行の行き先を峩々温泉に変更したい旨を告げ、それを了解してもらう。電話の最中、奥で千栄さんの声がした。来月、出産の予定だから、だいぶお腹も大きくなっているだろう。安産であるよう小さく祈る。
 発表用のOHPを作る。集中力が切れたときは、ベッドで横になってテレビを見る。すると、意外なめっけもん。ここ数日、知りたくて気になっていたことが分かったのだ。それは、数日前の深夜に何気なく見ていたテレビで流れていたカッコイイ曲が、「ここがヘンだよ日本人」のエンディング・テーマとなっていて、どうやらノーナ・リーヴスの“I Love Your Soul”という曲らしいこと。I Love Your Soul。あなたに言ってみたいねぇ。
 12時になった。まだ、準備は全然完成していないが、なんとかなるだろう。なんくるないさぁ。僕の好きな沖縄の言葉だ。

11月23日(金)

 3時半起床。TBSでチャンピオンリーグ「リヴァプール×FCバルセロナ」を見る。日本代表の試合は欠かさず見るようにしているが、僕は決してサッカーフリークではない。外国のクラブチーム同士の試合には、それほど大きな関心を払っていない。それなのに、他にやるべき事があるときに限って、睡眠時間を削ってまで見てしまうのはなぜなのだろう?まあ、疑問は疑問のまま残しておこう。結果は、バルサが3-1で勝利。巧いプレイヤーが揃ったフットボールゲームほど、美しいスポーツはない。
 試合が終了して、7時まで仮眠を取る。起きてから10時過ぎまでは、明日の発表のOHPを準備する。おおよそ完成。プリントアウトとコピーは研究室で行なうので、作ったファイルをメイルで研究室に送る。風呂に入った後、11時頃に家を出る。小田急線で新宿まで出て、中央線に乗り換えてお茶の水へ。それから、東大構内行きのバスに乗り、12時半に到着。大塚プロジェクトの研究会が開始するのは1時半からなので、それまで本を物色しようと生協の本屋に行くと、あいにく休み。このとき、はじめて今日が勤労感謝の日で休みだったことに気付く。東大(本郷)の生協書籍部は、僕のお気に入りの本屋なので、期待してきたのに・・・。
 小1時間ほど時間が空いたので、大学の外で暇つぶしをすることに決める。正門に向かって歩くと、安田講堂前に出て、ちょうど黄色に色づいているイチョウ並木に目を奪われる。雲一つない青天を背景にして、鮮やかに色づいたイチョウをデジカメで撮影。カシャ。
 正門を出ると、ケーキ屋さんの近江屋に直行。ここは、学部生時代からのお気に入り。お目当てはもちろん、飲み放題のドリンクサービス(400円)だ。朝から何も口にしていなかったので、まずは温かいボルシチ、次にパンプキンスープを飲む。これである程度の食事は済んだので、それからは冷たい飲み物を飲む。野菜ミックス、バナナミルク、グレープフルーツ。最後の締めはホットコーヒー。これだけ飲んで、400円は安いと思う。
 1時半、東大構内にある山上会館へ。すぐに、ソロモン班の調査報告が始まる。報告を行なった4人の院生は、それぞれ別々の村で長期にわたるフィールドワークを行なっているので、内容に相応の迫力があった。調査に入って間もない頃は、言葉が通じないで苦労しただろうが、その段階から次第に友好的な関係を築いていくのは代え難い経験だったろうと思われた。そういうフィールドワークもやってみたい。
 ところで、このソロモン班の調査報告は、僕を多少ならず当惑させた。具体的には、報告の中に頻繁に個人名が出てくることや、調査方法として栄養状態を調べるために食事の量を計量ししたり、果てには排泄物を計量し分析することに驚いた。人類学者には言い分があるだろうが、僕は性格的にこういうことができないだろう。
 5時に初日の研究会が終了。それから、沖縄班だけ集まって、夕食を済ませた後に東洋文化研究所に集まる。明日の沖縄班の報告を前に、広島大院の荒木さんと佐賀大院の高山さんが予行練習を行なうためだ。荒木さんは泡瀬干潟の埋立問題、高山さんは読谷村の農業景観の変化と土地改良の問題などの調査結果を発表した。2人は緊張しながらも無難に報告をまとめたので、8時過ぎには無事に終了。僕を除いたメンバーは、その後も話し合いがあったようだったが、僕だけ明日の報告準備のために、一足早く東文研を後にする。
 地下鉄丸の内線・南北線、東急目黒線・大井町線を利用して緑が丘駅へ。9時半ちょうどに研究室へ到着。朝のうちに家から研究室に送っておいたファイルを開き、プリントアウト。それからOHPを作り、また、ハンドアウトは人数分コピーする。明日は、午前中に大塚プロジェクトで20分、午後は日本社会学会で15分、ほとんど同じ内容を発表することになっている。11時過ぎ、とりあえず資料は用意できた。残りの作業は、時間内に収まるように話をする練習をすること。これは、帰宅してからやることにして、11時半に研究室を出る。1時頃に帰宅。腹が減ったので、お湯を沸かしてスパゲッティを茹でる。この間、15分くらい時間があったので、本番にどういう感じで報告するのか口に出して練習する。食後、料理中の練習でうまく話せなかったか所を修正するため、さらに15分程度練習を重ね、3時に就寝。

11月24日(土)

 7時に起床。朝風呂に入って、8時に家を出ようとするが、鍵がないことに気付く。5分程度探したが見つからず、結局、家の鍵を閉めずに出る。今日は、午前・午後と2回発表しなければならず、非常に緊張が強いられる日なのに、朝から不安な予感。小田急線と大江戸線を利用して本郷三丁目へ。昨日と同じく、山上会館に向かう。
 9時半、大塚プロジェクトの研究会が始まる。午前中は沖縄班の報告だ。トップバッターは関さん。それから、佐治さん、高山さんと続く。関さんは、海中道路建設・CTS建設に伴う暮らしの変化について、佐治さんはCTS建設に伴う伝統的宗教世界の変容と持続について、そして高山さんは泡瀬干潟の埋立問題について、それぞれ報告した。ティー・ブレイクの後、いよいよ僕の発表。西表島のエコツーリズムについて報告した。大きな波乱もなく無事に終えることができ、一安心。僕の発表の後は、高山さんが土地改良について、小松さんは沖縄の農業史について報告した。一通りの報告が終わってから、討論が始まるが、討論が終わる前に、僕は日本社会学会大会が開かれている一橋大に向かう。
 山上会館を出たのが12時半。午後の報告は2時50分からなので、まだ時間的な余裕がある。大江戸線で新宿に出て、ここで昼食を取り、国立にある一橋大に到着したのは2時半。受付を済ませ、発表会場に着くと、ほとんど人が来ていない。人気のないセッションだなあと思いながら席に着き、定刻が来るのを待つ。すると、次第に少しずつ席が埋まり始め、ようやく30人強の人が集まった。北大の宮内先生や、都立大の原口さんなど、何人かの知った顔も見える。ところが、定刻が来ても、一向に始まる気配がない。すると、主催者側のスタッフがやって来て、昼の会議等が長引いているので、今しばらく待つよう指示される。3時10分、やっとセッションの司会を務める愛知学泉大の中田先生が会場に到着。僕を含めた発表者との名刺交換の後、セッション「環境2」が始まった。1番目と2番目の報告は、東北大の海野先生のグループによる発表で、リサイクル行動を行なう要因などについて分析結果が報告された。これは、前に土場研に所属していた小坂さんが修士論文と似たテイストの研究だった。今の僕にはあまり関心がない。3番目は、水俣病の病名変更請求の歴史について調べた報告だった。目の付け所は悪くないと思うが、フォーカスが曖昧だし、プレゼンの仕方も悪かった。2番目に発表した海野先生へは質問がいくつか飛んで、多少実りのある議論ができたが、1番目と3番目の発表については、ほとんど質問の手が挙がらず、司会の中田先生が自分で質問するなどして、かなり時間稼ぎに苦労されていた。発表者が4人で、時間は全部で3時間。1人当たりの発表時間は15分なので、討議の時間は、1人当たり30分あることになっている。だから、討議の時間が少ないと司会者は大変なのだ。
 さて、僕の報告の番だ。すでに午前中に話をしているので、喋る内容については混乱を来すことはなかった。しかし、発表時間が15分と短く、急いで話さなければならなかったので、午前中よりも緊張した。報告を終え、いざ質問を待ち構える。これまで、あまり質問が出ていなかったので、適当に答えれば切り抜けられるだろうと安穏としていたら、これが大間違い。およそ1時間近く、集中砲火を浴びてしまった。僕が話した内容は、研究者でなくとも理解できる分かり易い内容だ。水曜日にハルヲさんに概要を説明したときも、よく理解してもらえた。それがいけなかったのか、事実関係を質す問いから、研究者の僕が社会問題を構築しているのではないかというありがちな(そして、いかにも社会学者らしい)質問や、エコツアーのあるべき姿を外在的に想定していないのかとか、逆にそうした姿はないのかとか、さまざまな質問が出る。でも、社会学を専門にしている人の質問は分かり易い。僕に地雷を踏ませようとしているのだ。そういう地雷を避けながら、一つひとつの質問に紳士的に(?)答える。社会学って疲れるなあと頭の片隅に思いながら。
 5時50分、質問が出尽くしたと同時に定刻を迎え、セッションは終了。数人と名刺交換してから、急いで再び本郷に向かう。6時から大塚プロジェクトの懇親会が始まっているのだ。国立で中央線に乗り、それからお茶の水まで行くつもりだったのが、椅子に座ると1日の疲れがどっと出て、東京駅まで乗り過ごしてしまう。慌ててお茶の水駅まで引き返し、丸の内線で本郷三丁目へ。7時に懇親会の会場となっている「炭火焼 だん」に到着。席に着くなり乾杯し、会費を3,000円分支払っているので、がつがつ飲み食いし始める。あっという間に1次会は終了。それから、大塚先生の所属する人類生態学研究室に行き、2次会が始まる。このとき、東大で助手を務めている梅崎さんや神戸大院の石森くんから、報告内容が面白かったと言われて嬉しかった。10時頃だっただろうか、隣りに座っていた松井さんが帰ると言って席を立つと、沖縄班のメンバー全員が席を立ったので、僕もつられて席を立ち、宴会場を後にする。僕は全然知らなかったが、松井さんの家で沖縄班による3次会があることになっていたようだ。そこで僕も、ほかのメンバーとともに松井邸に移動することにした。松井邸では11時半まで飲み、終電がなくなりそうだったので早めにお暇する。田端から山手線に乗り、新宿駅に着いたのが12時20分。ぎりぎり小田急線の終電(12時25分発?)に間に合った。家に到着したのが1時半。メイルが何通か届いている。23-24日と、竹富島では種子取祭が行なわれているので、友達から現地リポートも届いている。返事を書きたいけれど、酔っぱらっているので、今日は寝ます。

11月25日(日)

 7時に起床。が、2度寝してしまって、次に起きたのが7時50分。あらら。結局、家を出たのは8時15分。8時23分発の電車にもうちょっとのタイミングで乗り遅れる。次の電車が到着するまで12分もあったので、下り電車で町田まで行ってみる。町田駅にはロマンスカーが止まるので、運が良いとこれに乗ることができるからだ。8時25分発の電車で町田駅へ。すると、ラッキーなことに上りのロマンスカーがすぐに到着したので、これに乗り込む。疲れているときは、全席指定で新宿にノンステップで到着するロマンスカーは有り難い。410円の特急料金を払っても安いと思える。こうやって急いだものの、研究会の会場となっている山上会館に到着したのは9時45分。15分の遅刻でした。
 今日は、まず、東大の中澤さんが中心になって作成するマニュアルについて検討した。開発に関与するエイジェントの意志決定によって、どのように環境が変化するかをシミュレーションするらしい。システムダイナミクス・モデルを使うらしいが、僕にはその意味するところがよく分からない。取りあえず、来年3月までに、僕の調査地において発生した開発事象5件分をイベント集としてを整理すれば良いらしい。
 マニュアルの討議の後、締めとしてプロジェクト・リーダーの大塚さんから、全体的な説明があった。具体的には、遅くとも来年の夏休み終了時までには、フィールドワークを終えて、その後は論文の執筆などに取りかかるよう指示された。また、最終報告は、4巻分の本として出版する方向で考えられているらしい。僕にとっては、全体で3年間のプロジェクトのうち、半分の1年半が過ぎただけだという実感しかないが、来年度末までにお金を使うことを考えると、来年の夏休みまでしか時間がないと思った方が良さそうだ。
 大塚さんの話が終わり、プロジェクト・メンバーがそれぞれ一言ずつ今回の研究会の感想などを述べた後、3日間の研究会が終了した。終了間際、1つの発見があった。それは、海南島班のメンバーに、前に同じ会社で働いていた人がいたことだった。その人の名は宮崎さん。どこかで見たことがある人だなあと思って確かめてみると、95年頃にプレックで働いていたことがあると言う。現在は、農工大の研究生らしい。世間は狭いね。
 研究会が終了したのが1時だったので、それから松井さんを除いた沖縄班は揃って昼食を食べることにした。入った店は(名前は忘れてしまったが)、普段は甘味処で、ランチには2種類の雑炊を用意している可愛いお店だった。昼食を取りながら3時までくつろぐ。その後、本郷三丁目から丸の内線に乗って新宿へ。新宿に向かうのならば大江戸線に乗る方が近いけれど、他のメンバーが東京方面に向かうので、一緒に乗る。東京駅で佐治さん、小松さん、高山さん、荒木さんと別れ、日比谷駅で関さんと別れ、僕は新宿に出て、紀伊国屋書店を訪ねた。2時間ほど物色した末に、小林よしのりの『台湾論』を購入。来月、台湾旅行を控えているので、興味本位で反面教師として読んでみることにしたのだ。
 小田急線に乗って玉川学園駅に着いたのが7時前。スーパー三和で買い物をする。ここで買い物をするときに不満に思うのは、成分無調整の豆乳が500mlのものしか売っていないこと。1lサイズは調整豆乳しか売っていない。無調整と調整を比較すると、味に大きな隔たりがある。断然、無調整の方が美味いのだ。是非1lサイズを売って欲しい。だって、500mlサイズだとすぐに無くなってしまうから。
 BSE騒動が喧しいが、こういうときこそ牛を食べたくなるのは、あまのじゃくだからなのだろう。夕飯には、最近お気に入りのガーリックステーキを食べ、就寝。その後、1時に起きて、セリエAの「ACミラン×パルマ」を見る。結果は、1-0でミランの勝ち。再度、就寝。

11月26日(月)

 嵐のような3日間が過ぎた。今日はゆっくりできる。
 午前中、宅急便が届く。ADSL接続に必要なモデム等のセットが送られてきたのだ。いよいよ、明日からADSLが使用できる。楽しみだ。
 午前中にもう1つ荷物が届く。見れば、台湾の旅行代理店からの荷物だ。開くとそこには、メイルで注文した航空券が入っていた。あと2週間で、また旅が始まる。これも楽しみだ。
 午後、3連休の間の日記を付ける。これをやっているだけで、たっぷりと時間を食ってしまう。5時、家を出て、横浜の県民活動サポートセンターへ向かう。バイオマスサロンに参加するためだ。6時半、(有)ダイアテックの松尾さんをお招きして、サロン開始。テーマは「バイオディーゼル普及における課題」。松尾さんは、横浜市青葉区内で廃油回収を行なっている方で、かつては自らバイオディーゼル燃料化して、給油所の運営にも取り組まれた。しかし、現在はバイオディーゼル燃料化を止めている。松尾さんからは、そのように至った経緯などについて、たっぷりと経験に基づいた話をしていただいた。素人考えでは、廃油を回収して、バイオディーゼル燃料にし、自動車を走行させられたら、面白いと思う。しかし、実際にやってみると、細かいところに問題が発生するらしい。講演内容については、報告書にまとめるので、ここには書けないが、松尾さんの話は非常に有意義だった。話を聞いてみて、つくづく新しいものが普及するためには、ディテールまで目を配らないといけないと思った。意外なところに、ぽっかり大きな穴が空いていて、足元を救われるのである。
 9時にサロンは終了。それから、松尾さんを囲んで、十文字さん、辻本さん、橋本さんのほか、サロンに参加していただいた小寺さん、森さんとともに飲む。出版社にお勤めの森さんには、弟の歌集を買っていただいた。有り難うございました。11時に懇親会終了。12時過ぎに帰宅。僕のサイトをチェックすると、カウンタが1000を越していた。初期値が719だから、1000という数字に意味はないけれど、めでたい(?)ことだ。また、掲示板をチェックすると、そこには丸ちゃんからのメッセージが入っていた。ここ10日くらい誰からの投稿もなかったところだったので、丸ちゃんのメッセージはとても嬉しかった。

11月27日(火)

 11時頃、電話が鳴る。受話器を取れば、冨山の薬売りの人だった。今から自宅を訪問して良いかと訪ねられたので、承諾。10分ほどすると、薬屋さんがやって来た。今月の上旬に風邪を引いたとき、風邪薬を2箱使った。その分の料金を取られた。たかだか2,000円弱ではあるが、健康だったら払う必要がなかったのにと思う。健康第一。安全第一。レディ・ファーストである。
嵐のような3日間が過ぎた。今日はゆっくりできる。
 12時半に家を出て大学へ。1時半に始まる研究室のゼミに参加する。久しぶりに聞いた廣田さんの発表に刺激を受ける。インフォーマントに写真を撮影してもらい、その写真をもとにしてインタビューを行なうという彼女の調査法を面白いと思った。京都精華大の嘉田さんが提案されている「資料提示型インタビュー法」と野田正彰さんの「写真投影法」の微妙で絶妙なミックスかもしれない。
 ゼミ終了後、土場先生に少し時間を割いていただき、1月17日のゼミで僕が話す内容について説明した。先生からは「リバタリアニズムと環境倫理」というテーマをいただいているので、このテーマに即して1時間ばかりフリートークを楽しんだ。話の中でポイントとして残ったのは次の3点。リバタリアン的な世界を議論するためには、環境の所有権について考えておく必要があること。現在世代と将来世代との間の公平をどのように保つかをきちんと議論しなければいけないこと。ニーチェ的な道徳観に対して、環境倫理が何を言えるかを詰める必要があること。また、新たな発見として、大澤真幸さんの「第三者の審級」(精神分析で言うところの「父」と言っていた)と松井さんの「自然の本源的な優越性」が親和的かもしれないと気付いた。最近、先生と話をする機会が少なかったが、非常に密度の濃い議論ができたように思う。去り際に、数土直紀さんの『自由の社会理論』を先生から借用。
 6時半に研究室を出て、自宅へ向かう。が、夕飯を食べて、再び研究室に戻る。7時キックオフのトヨタカップ「バイエルン×ボカ」を見るためだ。僕の研究室にはテレビがないので、隣の研究室に行って見始める。双方とも負けられない試合なので、スペクタクルに欠けるのは仕方ないのか。
 前半の終了間際、ボカの選手が退場になったところに、イコマロからカキを食べないかと誘われる。このカキは、イコマロの実家がある仙台の方から、クール宅急便で届いたものらしい。いざ、部屋を出てみると、研究室の男連中が非常階段の踊り場でバーベキューの準備をしていた。鉄板の上に炭を置き、その上に網が敷かれてある。網に載せる食材としては、カボチャ、アスパラ、エリンギ茸といった小物。そして、サケ、アジといった大物。さらに、イコマロからのお土産で、カキとホタテ。もちろん、ビールや日本酒も用意してある。見るからに美味しそうで、楽しそうだ。このような研究室によるバーベキューは、僕にとって初めての経験だったが、これまで数回行なわれたようだ。いつも、調査に行っていたりして不在だったため、今回が初参加となった。すっかり、この踊り場でやるバーベキューに嵌ってしまって、気が付くと9時を大きく回っている。あっがやー(八重山方言)。トヨタカップは終わってもうた、と思ってテレビを点けると、延長戦に突入しているではないか。わざわざ研究室に引き返してまで見ようとしていた試合だからと思い直し、延長戦を最後まで見る。結果はバイエルンが1-0で勝利。ボカは退場者を出してから、超守備的な布陣で望んだため、面白くない試合だった。
 試合終了後、再び踊り場へ。次第に寒くなってきたので、炭火で暖を採りながらのバーベキューである。アルコールも、最初はビールだったが、燗した日本酒へと移る。11時頃、ウィンナー、豚バラ、玉ねぎを買い足す。いろいろ食べたが、やはりカキとホタテは絶品だった。有り難う、イコマロ。もちろん、他の食材も美味しかった。サケとアジも美味かったねぇ。
 12時を回ったので、終電に乗り遅れないように12時16分緑が丘駅発の電車に乗って帰宅。帰りの電車で、小林よしのりの『台湾論』を読んだ。軽い台湾入門として読むのならば、そんなに害はない。勉強させてもらったところもあったからね。

11月28日(水)

 3時までベッドにいた。寝たり、起きて本を数頁繰って、また寝たり。何やってんだろう。
 ベッドから出て、ツナ・スパゲッティを食べ、シャワーを浴びて外出。町田のヨドバシカメラに行く。今晩、ADSLに接続するので、そのために必要なLANカード、ケーブルを購入するためだ。店員さんからの説明を聞いて、買うLANカードは決まった。しかし、問題が1つある。LANカードのドライバがフロッピーに入っているのだが、自宅で使用しているノートPCではフロッピーディスクが使えないのだ。すると、店員さんが助け船を出してくれて、CD-ROMを1枚購入するならば、ドライバをそちらにコピーしてくれると言う。有り難いサービスなので、そのようにしていただいた。
 5時過ぎに町田を出て横浜へ。かながわ県民活動サポートセンターに行くのである。今日は7時から「もっかな探検隊」の集まりがある。到着してみると、すでに土屋さんが椅子に座り、お弁当を食べていた。「松村君、ご飯まだ?」と尋ねられ「はい」と答えると、「これ、上げる」と言って、おにぎりを差し出された。遠慮なくいただく。ありがとうございました。それから、土屋さんに弟の歌集を見せ、1冊買っていただく。二重にありがとうございました。
 7時前にテンメイくん(姓が加納だかららしい)、金ちゃん(姓が遠山だかららしい)が現れ、それから、吉成さん、川嶋さん、8時過ぎに杉さんが集まる。吉成さんには、歌集を買っていただく。ありがとう。そして、主として来年3/3に予定されている「ハーベスト・ムーン・ライヴ~もっともっともーっと祭り」について、10時まで話し合う。打ち合わせ終了後、家に直行。11時半頃、自宅に到着。それから、料理をしながら、ADSLの接続作業に取りかかる。夕飯を挟んで2時には、すべての作業を終了。これで、我が家も快適なインターネット環境になった。でも、8Mの割には遅いなぁ。研究室の環境とあまり変わらないけれど、こんなものなのかねぇ。

11月29日(木)

 昼食を取り、風呂に入ってから1時過ぎに家を出る。2時過ぎ、四谷にあるペレットクラブ準備会の事務所に到着。すでに、ペレットクラブ準備会事務局長の小島さんと十文字さんは座って話し込んでいた。2時半頃から、事務局会議が始まる。
 今日は、12/2-8の日程で行なわれるライフスタイル見直しフォーラムについて、今後の体制作りについてなどを話し合った。とりわけ、いつ準備会の名称を外すのか、代表を誰にするのかなどの懸案についても、時間をとって議論した。しばらく、僕は事務局会議に出ていなかったので、久しぶりの参加となったが、有象無象が集まっているペレットクラブ準備会をまとめていくことの難しさを痛感した。将来できるであろうペレットクラブは、ロビー活動を積極的に行なうようなアドヴォカシー団体になるのではなく、主たる活動は年に1度のイベント開催で、通常は情報センターとして機能するというのが適当のように思われる。4時間近く話し合い、問題点をかなり整理することができたものの、何かが解決されたわけではなかった。
 6時、十文字さんとともに事務所を出る。6時半、品川駅着。今晩は、春にキビ刈りをやった小浜島ファームの連中との飲み会があるのだ。品川駅に着き、飲んでいる店を案内してもらうためにユウタに電話すると、マサさんが駅まで迎えに来るというので、駅で待つことになる。待つ間もなく、マサさんが駅に来て、再会を喜ぶ。ライダーのマサさんは、夏に北海道へ行き、秋には鮭バイをしてお金を稼ぎ、最近までタイへ旅行に出掛けていたらしい。そして、明後日に北海道へ戻り、スキー場で働くそうだ。そんな話を聞きながら、駅から歩いて2分ほどのところにある店に着くと、すでにマサさんを含めて4人集まっていた。ユウタ、カズさん、アツシさん。ユウタとアツシさんは直ぐに分かったが、カズさんは「まっちゃん、俺だよ。」と声を掛けてくれるまで分からなかった。今は熱海のホテルで働いているというカズさんは、髪を短くし、髭もきれいに剃っていたので、別人のように見えたのだ。アツシさんは、髪を赤く染めていたが直ぐに分かった。またユウタも、髪が伸び、髭をはやしていたが、直ぐに分かった。でもユウタがまだ二十歳だと聞くと、とてもそのように見えない風格に改めて驚かざるを得なかった。一方、ほかのメンバーから見れば僕も、キビ刈りをやっていたときはメガネを掛けていたので、だいぶ印象が異なったみたいだけれど。
 4人は5時から飲んでいたので、すでに出来上がっていた。マサさんが、旅の途中で撮った写真を持ってきていたので、それを皆で回しながら話をした。時間が経つにつれて、沖縄の、小浜島の話になった。沖縄に関わりを持った連中が集まると、酔ったときに必ずこういう展開になる。或る者は、沖縄の人は冷たいと言い、国に甘えていると言う。それに対して別の者は、沖縄の人には先々を計算しない純粋さがあり、なんくるないさぁの図太い精神とお互いを助けるネットワークがあるなどと言う。この議論はエンドレスだ。だって、この場にはウチナンチューが一人もいないのだから。ナイチャーが、場末の飲み屋で騒いでいるに過ぎない。でも、この議論を延々と続けられるほど、沖縄が好きなのだ。
 10時半頃だったか、仕事帰りのミナさんが合流。小浜島で撮ってくれた写真をもらう。見送り時に港からダイビングしたときの写真があったので、嬉しかった。どうもありがとう。
 12時過ぎになった。ユウタが家に泊めてくれるというので、ミナさんを除いた男4人で保土ヶ谷にあるユウタの家に向かう。東海道線と相鉄線を使って30分くらいかけて星川駅に到着。コンビニでつまみを買い足し、駅から歩いて5分のところにあるユウタの家にお邪魔する。八重山の泡盛・八重泉を飲みながら3時頃まで飲んでいたが、だいぶ眠くなったので、ごろんと横になって寝る。

11月30日(金)

 朝6時過ぎに起床。カズさんは、10時から熱海で仕事だ。7時頃にユウタの家を出ないといけない。マサさん、アツシさんもカズさんと一緒に出るので、僕も合わせて出ることにした。7時、ユウタの家を出る。このとき、ユウタのお父さんが玄関まで来られた。どうもお邪魔しましたと挨拶して、一同、星川駅へ向かう。駅に着くと、カズさんとマサさんは横浜方面へ、僕は大和方面へ、アツシさんはユウタと共に駅前のデニーズで朝食を食べるので、しばらくそこに残ることになる。4人と別れて、僕は大和方面に向かう相鉄線に乗り込んだ。
 相鉄線と小田急線に乗って自宅に向かう。途中、相模大野で気分が悪くなったので、電車から降りてベンチで休憩するなどして、玉川学園前駅には8時半に到着。家にたどり着くやいなや寝間着に着替えてベッドに倒れる。
 12時過ぎに起きる。今日中に助成金『ソニーマーケティング 学生ボランティア ファンド』を申請しなければいけないので、応募用紙に必要事項を記入して、郵便局から郵送する。家に戻り、このサイトのリンクを1つひとつチェックする作業に取りかかる。ADSLを導入したので、こういう作業を効率良くできるようになった。5つに1つくらいはURLが変わっているので、地道に修正する。この作業中に、自宅からだとWebcatやnacsisにアクセスできないことを知る。忘れていたが、大学関係者だけしか使えないのだった。これは全く理解不能。なぜ、税金を使って構築したデータベースが利用できないのか。早急に改めて欲しい。
 夕方になり、ツナ・スパゲッティを食べると眠くなったので寝る。10時半に、今日3回目の起床。武内和彦・鷲谷いづみ・恒川篤史編の『里山の環境学』を読み終える。里山の専門家として錚々たる顔ぶれが揃ったにもかかわらず、内容は平凡。迫力がない。すでに知っていることを確認することが多かった。武内さんの『地域の生態学』、鷲谷さん(と矢原徹一さんの)『保全生態学入門』は、読んでいてエネルギーを感じたのになぁ。
 今日で11月もおしまい。今月は、日記に多くのことを書いた。読み返すと恥ずかしいことも、たくさん書いたように思う。最初はサイトの更新速度を速めるために付け始めた日記が、このような形に変わっていくとは予想だにしなかった。
 人間は変わり続ける。自分で自分を制御できないこともある。それが、楽しいところであるし、怖いところでもある。しかし、自分がどのように変わろうとも、辿ってきた道のりは変わらない。つまり、昔の自分と今の自分はつながっている。ときどき、そのことを確認しないと不安になる。

TOP(日々の表現)雑記日記(2001/2/8-2003/8/25)

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