日記帳|2001年6月

6月1日(金)

 6月に入った。衣替えである。それはそうと、ここ数日、ちょっと困っていることがある。それは、家の中にあるガス漏れ探知機のことだ。先日、トースターでパンを焼いていたら、突然、探知機が鳴り出した。一切ガスを使っていないのに、「ガスが漏れていませんか、ガスが漏れていませんか……」と連呼する。どうやら、パンの中に含まれているガスがトーストすることで放出され、それに反応しているようだ。あまりにうるさいので、4回連呼するとすぐにコンセントを引き抜いた。しかし、コンセントを抜いたままでは、いざというときに意味がない。そこで、パンを食べ終わってから、コンセントを繋ぎ直してみた。するとまた、「ガスが漏れていませんか……」。まだ、部屋にガスが残っていたのだろうか。また、コンセントを抜いた。次の日の朝、コンセントを繋いでみたら、今度は何も言わない。そこで、その状態でパンをトースターにかけてみると、また「ガスが漏れていませんか……」。やはり、パンの中のガスに反応しているようだ。またまた、コンセントを抜いた。そして、今朝。コンセントを繋いでみると、「ガスが漏れていませんか……」。おかしい。ガスなんか、漏れてねーよ。そんなわけで、いまガス探知機のコンセントは抜いてある。普段、探知機が作動していることを意識したことは無かったが、こういうことがあると、作動していないことにいらいらする。
 さて、今日は、1時から日本ペレットクラブ準備会の打ち合わせがあったので、四谷にある木質バイオマス利用研究会の事務所を訪ねた。一緒に行ったのは十文字さん。先方は、小島さんと酒井くん。この会合の席で初めて知ったのだが、小島さんは僕と同じくドクター2年生であるそうだ。小島さんは、木質バイオマスエネルギー分野の日本における第一人者で、世界の情報にも明るい。また、産官学の繋ぎ役として懸命に働いている。しかし、資金繰りは苦しそうだ。こういう若くて有能な人が、冷遇される社会ではまずいよな。
 夜、友だちと食事をする。この友だちは、ここに書き連ねている日記を読んで、僕の沖縄での暮らしぶりに感動し、今秋、沖縄に行こうと決意したそうだ。それで、何か話を聞かせてほしいと連絡があり、今日、会うことになったのだ。理由はなんであれ、友だちが沖縄に行くのは嬉しい。なぜなら、沖縄を話題に話ができるから。もちろん、八重山ならば、なお嬉しい。

6月2日(土)

 不定期ながら、最低でも月に1度は訪れる恩田の谷戸ファンクラブの活動日である。自転車を漕いで10時に谷戸に行く。今日の参加者は少ない。ファンクラブの会員が10名弱。それと、NHKの人が1名。また、活動内容が肉体労働であるためか、今日の年齢構成は30~40代の男性が中心だ。
 作業内容は、ホトケドジョウのためのビオトープづくり。要するに、湧き水が枯れずに流れるように、伏流を防ぐため、水路の下にビニールシートを敷くのだ。まずは、水路をいったん深く掘る。そこに、ビニールシートを敷いてから土を被せる。このとき、ベントライトと呼ばれる細粒土壌を入れて止水層をつくりながら、土を少しずつ入れてゆく。最後に、水路に水を入れておしまい。こうやって、要点だけを言葉にすると、きわめて簡潔に書けるが、11時~夕方5時まで、昼食休憩をはさみつつも、ひたすら作業に専念する。その結果、素晴らしい(と思われる)ビオトープを完成させた。高見さん、須藤さん、久保さん、福田さん、高橋さん、1日ごくろうさまでした。
 夜はサッカー。7時からテレビを点け、「日本×カメルーン」を観戦。そして、2対0の快勝。今日の日本代表は、過去最高のパフォーマンスを見せて呉れた。ファンタスティックだった。やはり、ホームで戦うということは、きわめて有利な条件なのだろう。
 昨日から、東京ディズニーランドで、エレクトリカルパレードが復活した。僕は、このパレードの曲がお気に入りで、学部生の頃にCDを買った。夜、久しぶりにそのCDを取り出して、聞いてみた。かつて、一緒にTDLでパレードを見たあの人を思いだした。

6月3日(日)

 昼過ぎ、武蔵小杉駅近くのホールで開かれていた東京竹富郷友会の総会に参加した。昨年に引き続き、2回目の参加だ。総会といっても、僕が行った頃には、会議は終了しており、その後の芸能が行なわれていた。昨年とは異なり、知っている曲が増えたので、見ているだけでもそれなりに楽しめる。また、島に行く度にお世話になっている阿佐伊公民館長が上京して参加していたので、こちらから挨拶し、秋に島に行くことを約束した。ほかに、受付で会費を免除してもらったので、少しはお金を使って竹富島の人に貢献しようと、サータアンダギーと黒砂糖を購入(だけど、島ではサトウキビを栽培していないんだよな)。そうこうしていると、4時半になり、総会のプログラムも最終章を迎える。それは、定番の巻き踊り。昨年の総会のときに、初めて体験した踊りだ。その後、島で2回体験したが、まだ踊れないところがある。今日も、見よう見まねで踊る。
 総会終了後、研究室に行く。なんとなく、また徹夜してしまいそうだったので、意志を強く働かせて、終電の2つ前の電車で帰宅。しかし、神奈川森林エネルギー工房の事務仕事(HPの更新とMLの設定など)をしていたら、明け方に。結局、徹夜してしまった。朝、この間まで毎日聞こえていたカッコウの鳴き声が聞こえない。ホトトギスの鳴き声も2日間聞こえたことがあったけど、もう聞こえないようだ。きっと今頃は、高原で気持ちよくさえずっているのだろう。

6月4日(月)

 起きたら2時過ぎだった。夕方から、経堂にある実家に行く用事があったので、それまで家で掃除・洗濯などをする。4時過ぎに家を出て、5時過ぎに実家に到着。箪笥・洗濯機の移動を手伝うほか、お袋が今日購入した携帯電話の使い方を説明する。夕食をたらふく御馳走になり、7時からは「日本×ブラジル」をテレビ観戦。その後、雑談をしていると11時になったので帰宅する。
 そうそう、夕方、テレビを点けていたら、過眠症という病気について放映していた。過眠症とは、しばしば他人からは覇気がないだとか、根性が足らないと誤解されるけれど、いつも眠たくなってしまうという立派な(?)病気であるという。もし病気ならば、薬を飲んで治すことができる。ただし、単に根性がないだけならば、薬を飲んでもどうにもならないだろう。いつも眠たい僕は、過眠症なのか、それとも・・・。

6月5日(火)

 今晩は、神奈川森林エネルギー工房の運営委員会がある。僕が議事録を付けるので、ノートPCを携えて、11頃家を出る。自由が丘に12時頃着いたので、昼飯でも食べようと改札口を出た。が、財布を忘れた。ノートPCを持ち運ぶために、いつもと違ってデイバッグを背負って来たのが災いした。財布はいつもの鞄の中だ。飯を食えないまま大学に行き、1時半からのゼミに参加する。ゼミ終了後、明日返すからと約束して、マルチネスから2,000円を借りる。6時前に研究室を出て、横浜へ。7時から、かながわ県民活動サポートセンターで、エネルギー工房の運営委員会に参加。9時過ぎに終了。いつもは、打ち合わせの後に飲みに行くが、今日は、あまり人が集まらなかったため、そのまま帰宅。
 家に帰ってからメイルをチェックすると、アリスセンターから「らびっとにゅうず」の原稿が届いていた。この「らびっとにゅうず」は、毎月5日・15日の2回発行するもので、主に神奈川県内における市民活動の情報が満載のメイル・マガジンだ。僕は、これの編集・発行を担当している。また、この「らびっとにゅうず」とアリスセンターのHPは連動しているので、今月からHPの更新作業も手伝うことになった。原稿を受け取ってからすぐに「らびっとにゅうず」を編集・発行しないと、情報が古くなって役立たなくなることがあるので、今晩中にやらないといけない。と、そのように言われているので、そのようにしてから就寝。

6月6日(水)

 棒が1本あったとさ/葉っぱかな/葉っぱじゃないよ、カエルだよ/カエルじゃないよ、アヒルだよ…の日である。かわいいコックさんが、誕生する日である。それはそうと、昨晩、編集した「らびっとにゅうず」に不具合があったので、これを修正する。なぜかいつものようにできずに、午前中いっぱいかかってしまう。午後から研究室に行くが、6時前には出て、昨日に続いて横浜へ。ストップ温暖化ネットワークの実行委員会に出席するため、かながわ県民活動サポートセンターへ向かったのだ。打ち合わせでは、今月16日(土)-17日(日)に横浜駅西口で開かれる「環境に優しい暮らし」展(恥ずかしいイベント名だこと・・・)について、詰めの協議があった。これが、9時近くまでかかり、終了後、再び研究室に戻る。
 日本財団の助成金申請が8日(金)締切なので、これを書き始める。しかし、募集要項をきちんと読んでみると、申請したい事業内容が、助成対象となっていないことに気づく。労力を費やしても、助成金を獲得できないのであれば無駄なので、いったん保留し、夜が明けてから十文字さんと協議することにした。しかし、すでに真夜中を過ぎ、終電はない。今日もまた研究室で世を明かすことにした。

6月7日(木)

 朝、十文字さんに連絡して相談した結果、日本財団の助成金を申請しないことに決定。仕事が減って少し楽になった。
 ところで、今週末、僕は京都に行く。環境社会学会に参加するためだ。以前、研究室内に貼ってあった生協の広告によれば、なんと東京~京都間を片道5,000円で運んでくれる長距離夜行バスがあるという。そこで、明日出発するバスのチケットを購入するため、生協に行ってみた。しかし、チケットは売り切れ。仕方なく、JRの夜行バスを利用することにした。これは、片道約6,500円。悪くはないけど。今は金がないから、少しでも節約したかった・・・。
 3時から土場研の上級ゼミがあるが、昨晩徹夜したので、体のことを考えて休養することに。昼頃、帰宅して一休みする。3時過ぎ、電話が鳴ったので跳び起きる。小浜島で一緒に働いたマサさんからの電話だった。今週末、マサさんの地元で祭りがあり、御輿をかつぐから見に来ないかという誘いの電話だった。せっかく誘ってもらったのに、今週末は京都なので見に行けない。残念だ。また、一緒に飲もうと言って電話を切る。次に起床したのは5時。サッカー「日本×オーストラリア」をテレビ観戦するためだ。かなり攻め込まれたが、不思議に負ける気がしなかった。1対0で辛勝。そのまま、また寝る。その次に起床したのが11時。届いたメイルに返事を書き、一昨日、昨日と2日連続してあった打ち合わせの議事録を作って、MLに流してから就寝。

6月8日(金)

 朝、10時半に家を出て、熱海方面に向かう。今日は、12時半に東海道線の函南駅(熱海の1つ西の駅)に着かなければならない。小田急線で小田原に行き、東海道線に乗り換えて函南へ。前日、JORDANの乗換案内で調べた甲斐があって、オン・タイムで待ち合わせ時間に到着した。駅につくなり、待ち合わせ相手の中島さんが出迎えてくれた。こちら神奈川森林エネルギー工房からは十文字さんと僕の2人だ。
 今日の打ち合わせは、6月16-17日に横浜駅西口でペレットストーブを燃焼実演するため、先方からストーブ借用する約束を取り付けるためのものだ。駅から車で案内された打ち合わせ場所は、別荘地にあるしゃれたイタリア料理店。店内には、中島さんが扱っているカナダ製のペレットストーブが置かれていた。席に着くと、話し合いが始まる。中島さんは、これまでペレットストーブのためにいかに投資してきたかを語り、もう後には引き下がれないという。覚悟を決めているのだ。これを聞いて、僕もできることはやらないといけないと強く思った。僕らとしては、ペレットストーブを買う人・団体をなるべく多く見つけないといけない。
 かなり重要な情報についてもやり取りがあった後、ストーブを借らりれることになった。有り難い話だ。昨年、借用していたアメリカ製と比べて、今度借りるカナダ製は使いやすいのだろうか?早くストーブを燃やしてみたい。
 打ち合わせが4時半頃終わり、函南駅から東海道線に乗る。横浜で下りて東横線に乗り換え、7時頃研究室に着く。それからしばらく、研究室に残っていたマルチネス、オカベティ、イコマロ、モアイと、ゼミ合宿についてだべる。9時半になったので研究室を出て、東京駅八重洲口へ。そして10時50分。京都行きの高速夜行バスに乗り込む。
 ところで、このバス、これまで乗った夜行バスの中で最低だった。まず、2階建ての1階部分に無理して作った席に座らされたので、スペースが極端に狭い。隣の人と密着状態だし、足を投げ出すスペースもない。ヘッドレスト・フットレストもないし、ラジオは故障で聞こえないし、読書灯は暗くて本が読めない。何もかも最悪。学割で買ったからって、サービスの質を下げるな!

6月9日(土)

 朝、6時半頃、バスが京都駅に到着。30分ほどぶらぶら歩いて時間を潰し、7時になるとすぐに京都タワーの地下にある銭湯に行く。入浴料が750円と、ちと高いが、夜行バスから降りて間もなく風呂に入れるのは最高に幸せだ。風呂に入るのは何ヶ月ぶりだろう。いつもシャワーを浴びるだけなので、久しぶりに入る風呂の気持ち良さに体が喜ぶ。8時過ぎに風呂を出て、朝食を済ます。それから、地下鉄で烏丸御池まで行き、集合時間の9時半に、集合場所である京都景観・まちづくりセンターに着く。
 10時まで京町屋のガイダンスがあり、その後3グループに分かれて、京町家を見て回る。僕は、祇園コースに振り分けられたので、12時過ぎまで祇園に残る京町家をグループ見学。沖縄のプロジェクトのメンバーである関さんも、同じグループだった。コースの途中、祇園新橋にある「望月」というお茶屋に入る機会があった。このとき、生まれて初めてお茶屋という処に上がった。思っていたより庶民的に思えたのは、昼に伺ったからだろうか。しかし、おそらく今後上がることはないだろう。
 昼食はめいめい適当に食べるように指示されたので、四条通沿いにある天ぷらや穴子丼を食べ、食後には鍵善にて「くずきり」を食べる。水上勉は、鍵善に来ると「くずきり」をおかわりするそうだ。僕もおかわりしたいくらいだったが、あまり時間がないので止めた。
 2時からは、京町家再生研究会と京都景観・まちづくりセンターの主催によるシンポジウムに参加した。パネラーは、京町家を実際に再生している大工の棟梁が4人。発言の端々に大工用語が出てくるので、分からないところも少なくなかったが、けっこう楽しめた。ポイントは、阪神大震災以降、木造家屋の耐震性が問題視されており、京町家を再生していくためには地震に耐えられる構造であることを示していく必要があるということ。建築基準法に基づく耐震診断によれば、町家に耐震性はない。しかし、これまで地震によって町家が崩壊したことはないという。つまり、経験的には耐震性がある。だから、再生に取り組んでいる人たちは、町家が地震に耐えうることを立証しようと務めている。そして、杓子定規を当てて、耐震性を診断するやり方に疑問を投げかけている。あまり関心がなかった分野だったために、聞くこと1つひとつが耳に新しかった。でも、今、京都は町家ブームであるそうだ。町家を利用したレストランやギャラリーなどは、女性を中心に大人気。また、外国人からの関心も高く、西陣辺りには外国人が集住しているエリアもあるという。京町家の持つポテンシャルの大きさを知った日であった。
 セミナー初日のプログラムは6時にすべて終了。そのまま弟夫婦の家に直行する予定だったが、地下鉄の駅でセミナー中に知り合った都立大の原口さんと法政の湯浅君と遭ったので、一緒に河原町四条付近で夕飯を食べる。これまで、環境社会学を専門にしている若手研究者とほとんど面識がなかったので、この夕食は研究者のネットワークを広げる良い機会になったと思う。
 9時過ぎに2人と別れて、弟夫婦が暮らすアパートに向かう。彼らの住まいは、京都からJR奈良線で3つめのJR藤森が最寄り駅だ。弟に駅まで迎えに来てもらい、歩いて3分程度のところにある彼らの部屋に着く。着いてまず抱いた感想は、部屋がきちんと整頓されていて、感じが良いなあこと。書棚には、短歌関係の本だけがずらりと並んでいる。夫婦とも歌人であることを反映して、部屋が完全に歌人のアトリエになっている。暮らしは質素であるだろうが、部屋には暖かみがあり、豊かさを感じさせる雰囲気があった。弟も堂々としており、自信にあふれる表情をしている。素敵なパートナーに巡り会えて良かったと思う兄であった。

6月10日(日)

 7時に起床し、8時頃、弟の家を出る。京阪と叡山電車を乗り継いで、9時に京都精華大学に着く。まずは、「歴史的環境の社会学」の合評会。大塚プロジェクトで一緒に研究している鬼頭先生、竹富島で偶然同じ宿に泊まった家中先生が、まず批判的に評して先制パンチを浴びせたのに対して、テキストの編者らが後からその批判に応じ、次第に攻守入り乱れてバトルが展開した。議論はいまいち深まらなかったが、そこそこ盛り上がった。きちんと用意してやれば、合評会も面白いかもしれない。
 11時過ぎから、環境社会学会の総会があり、会長、事務局長、運営委員などが選出された。昼休みを挟んで、1時からは、環境関連6学会(環境法政策学会、環境経済・政策学会、環境社会学会、環境教育学会、環境科学会、廃棄物学会)主催の合同シンポジウムがあった。個人的には、高校生の頃から著作を読んでいたエントロピー学派の室田武先生の話が聞けたのが良かった。室田先生は、循環型社会を構築しようと思ったら、まず、マスとしての貿易収支バランスを取るよう努めるべきであり、さらに、放射性廃棄物を出す原子力発電所をエネルギー政策の根幹から外すべきであることを主張した。相変わらず、主張が本質的で、エントロピー学派の本を熱心に読んでいた20歳頃を思い出した。
 5時になったので、シンポジウムを途中退出して、弟の家に向かう。コンフェデ杯の決勝「日本×フランス」を見るためだ。夕食にハヤシライスを御馳走になると、ちょうど試合開始の時間。弟と一緒にテレビに集中する。しかし、結果は予想通りの敗戦で、スコアは0対1。仕方がない。明らかに、力はフランスに劣るのだから。
 試合終了後、弟の家を出て京都駅へ。11時に出発する夜行バスに乗り、いざ東京駅へ。行きと違って、帰りは2階の席だったので、それほど窮屈でなかった。帰りも1階の席だったら、間違いなく2度と夜行バスなんて乗るものかと思ったに違いない。。

6月11日(月)

 7時前に東京駅に到着。大手町から都営三田線・目黒線・大井町線と乗って緑が丘にある研究室へ。バスではぐっすりと眠れなかったので、かなり眠い。このため、作業能率がまったく上がらない。仕方がないので、ときどき仮眠をとりながら作業するが、やはり駄目。頭を動かさずに体を動かした方が良さそうだ。そう思って、生協に行っていくつかファイルを購入し、資料整理を行なう。が、スペースが狭いこともあり、十分に資料を整理しきれない。次第にやる気を失って、中途半端なまま終了。
 夜の9時頃、気が付けば外は土砂降り。研究室を出て、帰路を急ぐ。武蔵小杉で東横線から南武線に乗り換えるとき、駅構内のCD販売所からJ.B.トーマスの「雨に濡れても」が聞こえてきた。もちろん、「明日に向かって撃て!」の主題歌だ。僕の梅雨時の主題歌でもある。梅雨入りを宣言しておこう。

6月12日(火)

 午前中はサイトの更新、メイルの送信などで時間を過ごし、昼過ぎに研究室へ。1時半から矢野土場研のゼミに参加。終わると夕方。6時半に研究室を出て、自由が丘の「宴」という料理屋に行く。今晩は、土場研の飲み会なのだ。この飲み会の名目は、数理社会学会編集事務局の仕事を務められた助手の橋本さんの慰労会である。まあ、名目は何でもよい。なぜなら、土場先生がおごってくれたので、タダ飯を食えたからだ。5,000円程度の出費を覚悟していたので、ラッキーだった。2次会はアイリッシュ・パブへ。洒落たところで飲むのもよいが、やはり夜風に吹かれながら飲むのがいいよね。

6月13日(水)

 昼前から動き出す。まずは、今週末、神奈川森林エネルギー工房が出展するイベントに向けて必要なものを買う。このイベントは、エネルギー工房が加盟している「ストップ!温暖化ネットワーク」が神奈川県などと共催する形をとっている。このため、必要経費は県が出してくれる。それならば、ということで、この際、必要なものをまとめ買いする。昼頃、町田市立図書館に行き、本を4冊借りる。そしてNORAへ。週末のイベントに展示するパネルや、配布するチラシの原案を作ってみたりして、夕方まで仕事をする。
 6時半になり、「NORA・サロン」が始まる。このサロンは、NORA=よこはま里山研究所が主催するもので、月に1回のペースで続けていくそうだ。神奈川森林エネルギー工房の「バイオマス・サロン」と同じ感じだ。今日のサロンの話題提供者は、浜田久美子さん。前は横浜の「桜ヶ丘・森の仲間たち」で森林ボランティアとして活躍されていたが、今は長野に国産材の家を建て、そこにいらっしゃる。『森をつくる人びと』『木の家三枚』などの本も出している人だ。顔なじみなので、話を聞くというより、久しぶりの再会を楽しむという感じだった。サロンの食事として、NORAの代表・吉武さんが作ったクレープや、十文字さんお得意のベーコンなどが供され、美味しくいただく。特に、ベーコンはお気に入りなので、十文字さんから購入し、家で毎日食べることにする。
 11時を回ったので、NORAを出る。蒔田駅から横浜市営地下鉄で新横浜へ。それから、R横浜線に乗り換えて町田へ。ところが、すでに町田から新宿方面に向かう電車は走っていない。自宅までタクシーで1,500円程度であるが、金が惜しいので、40分程度歩いて帰宅する。届いたメイルへの返事、サイトの更新などの作業をしていると5時。また寝るのが遅くなった。

6月14日(木)

 起きると11時頃。洗濯したり、食事を摂ったり、「ちゅらさん」を見たり、シャワーを浴びたりして、1時過ぎに家を出る。研究室には3時前に到着。すぐさま、土場ゼミ(基礎編)に出席する。終わると5時前。大学の図書館に行って、申し込んでおいた複写した文献を受け取る。
 それはそうと、今日、環境社会学会の編集委員会から封書が届いた。その中身は、投稿した論文が、「環境社会学研究」の次号に掲載できないというものだった。半ば予想していたので、あまりショックはなかったけれど、次に投稿するまで1年待たないといけないのがつらい。
 夕方から夜の12時頃まで研究室で作業。終電に間に合うように研究室を出て、1時半に帰宅。メイルを書いたり、神奈川森林エネルギー工房のチラシを作ったりしていたら4時を回ったので、床に就くことにした。

6月15日(金)

 気が付くと朝の11時頃。ベッドの上で微睡んでいたら、電話が鳴った。お袋からだった。近くに来ているので、家に来るという。拒むわけにもいかずに電話を切ると、すぐにやって来た。何故この辺りまで来たのかと訪ねると、僕の小学校時代の同級生の妹が近く結婚するので、その彼女に贈り物を届けに来たという。お昼を一緒に食べようというので、これも拒むわけにもいかず、近くの家庭料理店に行く。店の名前を「メシヤ」という。初めて入ったけれど、なかなか素敵な店で、料理も美味しかった。
 食事を済ませてから研究室に向かう。到着が3時頃。それから、同室のキノピーと、まとまった時間、話をしたりしながら、夜の12時近くまでなんとなく居続ける。帰宅したのが1時頃で、それから、神奈川森林エネルギー工房のパネル作りにとりかかる。終わったのが5時。明日はイベントなので、少しでも寝ようと、すぐさま床に就く。

6月16日(土)

 今日・明日は、JR横浜駅西口イベント広場で、神奈川森林エネルギー工房として、木質ペレットストーブの燃焼実演をやる。このために、一昨日、昨日と明け方まで作業をしていたのだ。ところが、7時半に目覚まし時計を掛けていたのに、鳴ったことにまったく気が付かず、起きたら9時半。10時には会場に到着する予定だったのだが、これではどんなに急いでも10時半になってしまう。慌てて十文字さんに電話して、早めに会場に行ってもらうことにした。
 10時半にイベント会場に到着。すでに、いろいろと準備がすすんでいた。当然、十文字さんは来ていた。また、ペレットストーブを貸していただいた会社の方もお見えになっていた。イベントの開始時刻が11時なので、荷物を置くとすぐに、明け方作ったパネルを展示し、一昨日作ったチラシをセットする。11時前、ペレットストーブを着火。昨年、借用していたアメリカ製と比較すると、今回借りたカナダ製の場合、着火の際にはボタン1つ押せば良いのが利点だ。カナダ製の方が、少しお利口らしい。
 昼頃、十文字さんはお役ご免ということで会場を離れ、それ以降4時過ぎまで、1人で客の応対をする。ただし、隣に出展していたソフトエネルギープロジェクトのメンバーが、忙しいときに対応を手伝っていただいたので、現場が混乱しないで済んだ。ソフエネの皆さん、どうも有り難うございました。
 5時頃横浜を出て、6時頃町田に着く。本屋と古本屋をいくつか回る。高原書店という大きな古本屋に入ろうとすると、あいにく店が閉まっている。休みかなと思っていると、店が移転した旨を知らせる貼り紙が目に入る。なるほど、移転したらしい。しかし、移転先は、元の店の位置から徒歩3分程度のところにあるので、そちらの方へ足を延ばしてみた。これまでは、広い1フロアに収まっていたのが、狭い4フロアに分割されている。前の場所の方が、開放感があったし、また本も見つけやすかったような木がする。なぜに、高原書店は移転したのかい?
 時計を見ると8時。いつの間にか、町田駅周辺でを2時間程度うろうろしていたことになる。腹が減った。何か食べよう。そう思った途端、ホルモン焼きが食べたくなった。今週の火曜日、土場研のメンバーが、先生のおごりで食事を楽しんでいたとき、矢野研のメンバーはホルモン焼きを食べていたそうだ。そのことを聞いたときからずっと、ホルモン焼きを食べに行きたいという衝動が食欲の底を流れていたのだ。昨日、長い間待たされていたけれど、立て替え分がやっと入金され、懐も少しばかり暖かい。さあ、行くぞ、ということで、駅からほど近い「いくどん」という店に入る。いつも混んでいる店で、2人以上では待つような状況だったが、1人の僕はすぐに椅子に座ることができた。座るなり生ビールの大を注文し、それが届くと、焼き肉(カシラ)、ホルモン、タン塩、カルビ、レバ刺などを一気に頼む。そして、焼いては食い、焼いては食い、ときどき飲む。これを繰りかえす。すると、腹がふくれる。幸せだあ。
 満腹感を覚えながら店を出ると、白いスーツを着た老紳士が、焼きトウモロコシにしゃぶりついているところに遭遇する。格好いいなあと思うとともに、自分も1つ焼きトウモロコシを食べたくなる。少し探すと、すぐに焼いている店を発見。300円の焼きトウモロコシを注文した。あまり、美味しいトウモロコシではなかったが、まあ良い。機嫌が良いから、何でも許そう。
 9時頃、帰宅。すぐさまベッドに横たわり、眠りにつく。11時頃いったん目を覚ますが、また寝る。

6月17日(日)

 朝9時半に、横浜駅西口にイベント広場に到着。昨日と同じく、木質ペレットストーブを実演する。12時頃まで客相手に説明を行ない、それから研究室に向かう。途中、自由が丘で下車して、昼食にちょっと高級なパスタを食べる。最近は、昼飯に500円以上かけることが皆無だったので、少しお金がある間は、贅沢に使ってみたくなる。食事を終え、2時半頃に研究室に着き、PCに向かって作業を始める。今週末、沖縄プロジェクトの研究会が福島で行なわれるので、そのための準備に追われているのだ。しかし、一向にはかどらない。けっこう焦るなあ。
 気が付くと12時近くになっていた。慌てて研究室を飛び出し家路に向かう。帰宅が1時頃。それから、いろいろとなんだかんだやっていると4時を回る。この、なんだかんだに、けっこう時間を取られているようだ。

6月18日(月)

 朝起きることができない。目覚まし時計を掛けているのだけれど、起きられない。一度起きたけれども、また寝てしまうという良くあるパターンではない。鳴ったことさえ、全く気が付かないのだ。それだけ、眠りが深いのだろうか。これは、深刻な問題だ。強力な目覚まし時計を買わなければいけないということか。
 起きると11時頃。よくあることだ。そして、ベーシックS。つまり、昼頃に起きて、朝昼兼用の飯を食べ、シャワーを浴びて、「ちゅらさん」を見てから家を出る。研究室に2時頃到着し、何か実のあることをやろうとするけれど、あたふたしている間に時が過ぎ去り、終電が危うい時間となって、あわてて電車に乗り込んで1時頃帰宅。それから、メイルを書いたり、HPを更新したりして明け方に寝る。この説明を省略するためにベーシックSと名付けたのだから、ここでわざわざ書く必要はなかったね。

6月19日(火)

 今日も、朝、目覚まし時計が鳴ったのが気付かなかった。耳が遠くなっているのだろうか。ちょっと心配だ。
 さて、11時頃起床するも、研究室には行かない。普通、火曜日はゼミがあるのだけれど、今週は休みだから行く必要がない。また、夕方からNORA=よこはま里山研究所に行く用事があるので、家で必要な作業をすすめることにした。
 昼の「ちゅらさん」を見て、その後続けてNHKの「スタジオパークDEこんにちは」を見る。いつもは、スタパを見ることはないが、今日は「ちゅらさん」のオバア役を演じている平良とみさんがゲストだったから、特別な思いで見たのである。そして、結論から言うと、それは大正解だった。役を演じているときよりも、インタビューに応える平良さんは、さらに魅力的だったからだ。
 僕は、沖縄プロジェクトの調査で、しばしば八重山のオバアに話を聞く機会がある。そのとき、いつも感心するのは、オバアのたくましさと奥ゆかしさである。平良さんは、石垣島出身の八重山人だ。だから、平良さんの話している姿を見ていると、フィールドでオバアと会話した様子を思い出す。小浜島の昭オバア、キヌオバア、安オバア、竹富島の内盛荘のお母さん、ミツオバア・・・、ほかにもいっぱいいるけれど、そうしたオバアと向き合って話をしたことが蘇ってくる。平良さんの子どものときの話を、実際に伺った八重山のオバアの話に重ねながら聞いていると、不覚にも涙が溢れてきた。別に悲しいのではない。胸がいっぱいになったのだ。
 夕方5時過ぎにNORAに行く。今晩は、神奈川森林エネルギー工房主催の第1回「バイオマス・サロン」が開かれる。6時頃から、会場の設営、飲物の買い出し、受付などを引き受け、7時前からサロンが始まる。今日のゲストは、糸長浩司さん。日大の先生で、パーマカルチャー・センター・ジャパンの代表でもある。ちなみに、エネルギー工房の会員にもなっていただいている。さて、肝心の話の方はというと、受付作業に気を取られて、あまりよく聞いていなかったというのが正直なところだ。しかし、北欧のエコシティ・エコビレッジを紹介していただき、特に日本ではまだなじみが薄いストローベイル建築について、かなり詳しく説明していただいたので、有益だった。また、マスストーブについてもご紹介があり、ペレットストーブの推奨に対して批判をいただいたのも良かったと受け止めている。エネルギー工房としても、別にペレットストーブ一本槍ではないからね。
 9時にサロンは終わり、その後、NORAで2次会があったが、今日は付き合わずに帰宅する。体に疲労感があって、人と満足に話ができる状態ではなかったからだ。環境デザインセンターの佐々木さんからも、「今日は、とっても疲れてるね」と言われてしまった。その通りだ。最近、とても忙しなく時を過ごしているのが原因だろう。ベースの部分に焦燥感がずっとある状態で毎日を過ごしているので、なんとなく疲れている。恩田の谷戸に120頭ものホタルが出現しているというニュースを聞きつけても、観に行く余裕がない。髪の毛も切りに行く余裕がない。時間はあるのに余裕がないのだ。何をそんなに慌てているのだろうか。

6月20日(水)

 今日はベーシックS。こう書くだけでもよいけれど、もう少し書こうか。
 3時頃、助手の橋本さんに「松村さん、お暇ですか?」と尋ねられた。明日までに書き上げないといけないものがあったので、ちょっと身構えて「暇?ではないんですが、何か用ですか?」と聞くと、「修理に出した自転車を取りに行って欲しいんです」と言う。その自転車は僕がパンクさせたものだから、自分が取りに行かなければならない。すぐに、自転車を預けてある奥沢の自転車屋まで取りに行った。ここで、パンクから話を少し広げてみよう。
 東工大は自然科学が得意分野なので、図書館にはその手の資料は豊富にある。しかし一方で、人文・社会系の資料をきわめて少ない。総合図書館に所蔵されていないのはもちろん、なぜか社会工学専攻の図書館もほとんど役に立たない。だから、社会(科)学をやろうとすると、ウチの大学図書館では不十分なので、ほかの大学の図書館から論文を複写して送ってもらったり、書籍を送ってもらったりすることが必要だ。このため、資料収集にけっこうお金がかかる。まあ、このことは良い。金が不足しているときは、校費で支払えるように手配することもできるのだから。問題は、複写して送ってもらった論文や取り寄せた書籍が総合図書館に届くので、それを取りに行くだけのために赴くのが面倒なことにある。
 大岡山キャンパスの学生は、研究室への行き帰りに総合図書館のそばを通るので、総合図書館に行くことの面倒臭さを感じていないかもしれない。しかし、僕の研究室がある緑が丘キャンパスは、総合図書館に行くとき「わざわざ」出かけなければいけない。これが大変面倒だ。もし、社工の図書館に届くのならば、とても楽なのだが・・・。そこで、総合図書館に行くときは、橋本さんから自転車を借りることにしている。
 図書館に行くために自転車を借りる場合、たいてい目的がはっきりしている。届いた書籍を取りに行ったり、複写するための文献を借りに行ったり。だから、なるべく早く事を終わらそうと、かなりスピードを出して研究室と総合図書館を往復する。ゆっくりと漕いでいると、時間がもったいなく感じられるのだ。しかし、このスピードの出しすぎが悲劇を生んだようだ。先日、総合図書館からの帰り道、猛スピードで坂を下りていると、小石か何かにぶつかったらしく、がたんと音がした。直後、タイヤから空気が抜けていることがわかり、パンクしたことを悟った。むやみにスピードを出していたことが原因だと思う。そして、スピードを出していたのは、総合図書館が遠いうえに、その総合図書館にしばしば行かなければならないため、なるべく研究室と往復する時間を短くしたいという気持ちが働いたことに原因がある。だから、総合図書館が近かったら、あるいは、総合図書館に行かなければならない用事が社工の図書館で済むのであれば、このパンクは起きなかったように思う。
 今回のパンク修理代は2,000円。弁償するつもりだったが、「自転車は研究室のものだから」と橋本さんが支払ってくれた。嬉しい心遣いだった。

6月21日(木)

 明日から、ゼミ合宿。明後日から24日(月)までは、大塚プロジェクト沖縄班の研究会だ。23日(土)のゼミでも発表するが、これはすでに書いたものをもとに発表するので、事前にやることは必要枚数をコピーするだけ。しかし、まだ研究会用の資料ができていないので、今日・明日中に作らないといけない。
 研究会の資料をきちんと作ろうとすれば、必然的に時間がかかる。けれども、時間がかかりすぎると、明日の10時に研究室からゼミの合宿地に出発する先発隊の車に乗り遅れてしまう。午後1時頃に出る後発隊の車もあるのだが、先発隊のメリットは宿に着く前に「いのしし村」というイノシシのテーマパークに寄ることができることにある。最近、イノシシに関心を寄せているので、「いのしし村」に行きたいという気持ちが強い。だから、明日の10時というタイムリミットを死守したうえで、資料を整える必要がある。
 最近、個人的にイノシシに関心があるのはこういうわけだ。修士のときは里山を、博士では離島をフィールドとしているが、この2つの景観域を横断的に扱えるテーマはないものかと思案していた。すると、イノシシにぶつかった。イノシシは、里山を代表するほ乳類であるが、農作物への被害をもたらす害獣という側面がある。一方、八重山の離島には西表島・石垣島にリュウキュウイノシシが生息していて、現在でも盛んに狩りが行なわれている。イノシシをテーマにすると、共通して見えてくることはないだろうか、そんなことを考えていたわけだ。少しweb上で検索をしたこともある。そのときに、「イノシシ村」で町おこし、という記事を見かけた記憶がある。こういうわけで、かねてから「イノシシ村」に行きたかったのだ。
 昼頃から研究室内で、PCに向かって資料を作り続ける。なかなか捗らない。6時過ぎからは気分転換も兼ねて、研究室のメンバーと明日の工程についての話し合いに参加し、夕食は「ひろ本」でトマトラーメンを食う。今日は徹夜だ。

6月22日(金)

 朝の5時頃、ひとまず資料を作り終える。すぐに校正して印刷するという手もあったが、疲れて校正する気力がない。家に帰ってリフレッシュしてからやることにする。
 始発の電車で帰宅し、朝食を摂り、新聞を読み、「ちゅらさん」を見て、シャワーを浴び、来週の月曜日までに必要な荷物を積めて家を出る。9時ちょうどに家を出たので、研究室には10時ちょっと過ぎに到着した。電車のなかで校正を済ませていたので、研究室に着くなりすぐにPCを立ち上げ、大急ぎで修正作業を行ない、印刷して必要枚数をコピーし、10時半に先発隊として出発。若干、予定出発時刻より遅れはしたものの、この時間に出れば「イノシシ村」には寄れそうだ。
 用賀(東京)ICから東名に乗り、途中、海老名SAで一休みして、沼津ICで下りる。それから、修善寺を経由して、まず浄蓮の滝へ。ここで、名物のわさびソフトクリームを食べる。甘口/辛口があったので、店の人に「どちらがおすすめですか」と尋ねると「辛口です」と言うので、辛口を注文した。奇をてらった食べ物という感じではなく、素直に美味しいと思う。天城方面に行くのなら、ぜひ食べるべし。試す価値は十分にある。
 ソフトクリームを食べ終わり、滝へ向かう。階段を駆け下ると、なかなか見事な滝があった。滝の側には、石川さゆりの「天城越え」の歌詞が書かれた石碑がある。そう、この浄蓮の滝とは、あの名歌「天城越え」に唱われている滝であったのだ。石碑を見て、この事実に初めて気が付いた。
 滝を見終わってから、いざ「イノシシ村」へ。浄蓮の滝から近いので、すぐに到着。1,000円を支払って、園内に入る。まずは、イノシシの子ども=ウリボウを見る。瓜のような模様が付いていることからウリボウというのか、などと感心しながら、さらに中に入ってゆく。白いイノシシのほか、なんでいるのか疑問であるが、タヌキやヒツジを見た後、いよいよメインイベントの時間が近づいた。「イノシシ村」のメインイベントとは、世界で唯一ここで行なわれているというイノシシレース、それとイノシシの曲芸である。
 イノシシレースは、6頭のイノシシが、山を越え、川を渡るなど、各種障害を乗り越えながらスピードを競い合うスリル満点の真剣勝負である。観客は、このレースをただぼーっと見ているわけではない。マジな顔をして、1着と2着を当てにゆくのだ。見事に当てると、表向きには900円相当のイノシシのぬいぐるみをもらえる。しかし、聞いたところによれば、裏では数千万から億の単位のお金が動いているという。残念ながら、僕は外してしまったが、一緒に行ったメンバーでは、オカベティの予想が的中した。彼が裏金としていくらもらったのか、後日聞いてみたい。
 4時頃、今日の宿「川ばた」に到着。早速、風呂に入る。いつもシャワーで済ませている僕としては、旅先で風呂に入るひとときが、至福の時間なのだ。温泉好きの僕としては、風呂は今ひとつだった。が、風呂に入りに来たのではないから、これは良しとしよう。6時から夕食、8時過ぎから宴会。昨日から一睡もしていなかったので、12時前には就寝。ほかの学生は、夜遅くまで(なかには朝まで)起きて盛り上がっていたようだが。 

6月23日(土)

 朝の5時頃、なぜか目が覚める。アリスセンターの仕事をしなければいけなかったので、それが気になって目が覚めたのだろう。いつもならば、確実に再び寝床に潜り込むところだが、すぐに跳び起き、持ってきていたノートPCを開いて、メイルマガジンの編集・発行とサイトの更新を行なう。その作業が7時頃終わったので、8時の朝食の時間になるまで朝風呂に入る。
 8時に食堂で朝食。すぐに食べ終え、一人足早に席を立ち、部屋のテレビで「ちゅらさん」を見る。9時からゼミが始まる。先頭バッターである僕は、昨年度の八重山調査の概要を1時間程度話す。質疑応答を30分近くとると10時半になった。今日は、夕方5時過ぎに会津若松に行かなければならないので、ここでゼミを中座し、マルチネスの運転でJR河津駅まで送ってもらう。11時過ぎの踊り子号で東京へ。2時過ぎの東北新幹線で郡山へ。そして、4時過ぎの磐越西線に乗り、で会津若松には5時過ぎに到着。
 駅に着くと、沖縄班の班長である東大の松井先生と、今年度から調査に加わる静大の小松さんが迎えに来ていた。今回の研究会のホスト役である福島県立博物館の佐治さんも、車を停めて僕らゲストを待ちかまえている。しばらくすると、帯広から来た関さんも現れ、5人で車に乗って、駅から10分程度のところにある東山温泉「せあぶり荘」に向かう。
 宿に到着すると、先に付いていた京大の末原先生と対面し挨拶を交わす。そして、すぐに風呂に入る。が、これも期待したほどではなかった。しかし夕食は、質量ともに予想をはるかに上回るものだったので満足。特に、郷土料理である身欠きニシンのスス(山椒)漬けは美味。食事を終えてからは、12時まで6人でトーク。松井先生、末原先生、小松さんの京大文化に圧倒されながら、夜が更けていった。

6月24日(日)

 朝の8時に食事を済ませ、それから佐治さんの職場である福島県立博物館へ移動。東大の大塚先生、歴民博の篠原さんも合流して、8人による研究会が10時に開始。佐治さん、関さんの発表後、食事を挟んで僕も発表。今回は珍しく、つつがなく研究会は終了した。いつもならば、あちこちで雷がなるところなんだけど。
 5時過ぎに、今日帰る大塚先生と小松さんと別れ、残り一行は「せあぶり荘」に戻る。昨日と同じく、夕食は満足できるものだった。それから、夜更けまで6人でトーク。と言っても、それは形式上のことで、僕はあまり教養がないので、会話のキャッチボールを目で追うだけになってしまう。
 今日は、篠原さんと同部屋だ。篠原さんは、大学時代に植物学、考古学などを修め、さらに40歳になってから民俗学の分野でアカデミズムの仕事をされているユニークな人だ。篠原さんは、しばしば松井先生と自分を比較して、市民社会に生きることに比重を置いている点を強調する。僕もその生き方に共感する部分があるので、篠原さんがなぜ市民社会で生きることにこだわるのか尋ねてみた。篠原さんは、自分が町内会長だったときに様々な問題に直面し、自分のことは自分で決められるような(当たり前の)社会であるべきと思ったことを話してくれた。きっと、市民という言葉が、篠原さんの中では上滑りすることなく位置づけられているのだろう。そういう人にこそ、「市民社会」という言葉を使って欲しい。「市民社会」という言葉が、きわめて嫌らしい言葉としか捉えられない現在では、もう一度この言葉を鍛え直す必要があるだろうから。

6月25日(月)

 8時から食堂で朝食。一気に食べ終えて、一人席を立って部屋に戻り、「ちゅらさん」を見る。篠原さん、末原先生、関さんは、朝早くにそれぞれ帰路に就く。残った松井先生、佐治さん、僕は10時に宿を出て、佐治さんの車で会津めぐりをする。
 まずは、ニホンミツバチの養蜂を見学する。佐治さんは、かつてこれを調査して論文を書かれたことがあり、また、自分でも養蜂を楽しんでいるので、この道のスペシャリストだと言えよう。佐治さんの案内で、ある人の家にお邪魔し、蜂が巣を掛けている木を写真撮影し始めた。すると、突然、蜂が寄ってきて、鼻を鋭く刺しやがる。急いでそれを払いのけた。佐治さんが近寄って来て曰く、今の時期、蜂が人を刺すことは稀だから、寄ってきてもそれを手で払いのけようとしなければ大丈夫なはずだと言う。それから、1分もしないうちに、今度は眉間を刺しやがる。佐治さんの忠告に従って、刺されてからもじっとしていたら、同じところを2度も刺しやがる。ふざけた蜂だ。佐治さんと松井先生が寄って来て、念のために薬を塗った方が良いと言うので、3人で車に乗って薬屋に向かった。薬屋で、顔を蜂に刺された旨を告げると、首から上を指された場合は医者に行くべきだと勧めるので、病院に行くことにする。すでに、11時をまわり、外来患者を受け付ける時間は終了していたが、急患だということで特別に診断してもらうことになった。結局は、大事には至らず、飲み薬と塗り薬をもらって病院を離れた。佐治さんが言うには、今回ニホンミツバチに刺されたが初めてだったので大したことはなかったが、これで抗体ができたはずだから、次に刺されたらひどく腫れるだろうということだ。
 一件落着してから、会津高田にある佐治さんの実家に立ち寄り、それから、新鶴という村にある佐治さんの別邸に行く。この別邸が、村役場の近くにあるのに、なんと茅葺きであるのだから驚く。かつて山の中にあった茅葺きの家を、そのままの形で移築したそうだ。家に入れてもらって、さっそく囲炉裏に薪をくべる。いいなあ、こういうの。最高級の贅沢ですな。燻製だって、囲炉裏の上で作れるのだから。しかし、けっこう管理に手間取るのは事実らしい。佐治さんは、毎週末、この家にやって来て、囲炉裏に火を入れるらしい。そうやって定期的に家の中で火を燃やさないと、雨漏りしてしまうそうだ。だから、できればいつも誰かがここにいて、火を焚いてくれると、佐治さんとしては助かるらしい。佐治さんは僕に向かって、この家に泊まって、毎日火を焚いて家を守りながら、博士論文をかいたらどうかと提案された。けっこう、いいかも。
 茅葺きの別邸を離れ、3時頃、会津若松の駅まで送ってもらった。松井先生は、そのままJRで東京まで帰ったが、僕は3時発の新宿行き高速バスが満員で乗れなかったので、次の5時のバスで新宿に行き、それから自宅に戻った。

6月26日(火)

 ベーシックS。午後1時半からのゼミに参加し、夜は7時頃から12時近くまで研究室のメンバーとトーク。全然忙しかったわけでもないのに、今日は何も食事を摂ることなく1日が終了してしまった。全体的に、ぼーっとしてしまった1日だった。きっと、蜂に刺されたことが影響しているに違いない。自宅に戻る途中、コンビニで冷たいラーメンを買い、夜食として食べる。もう夏ですなあ。髪を3ヶ月半伸ばしているので、かなり鬱陶しくなっている。早いうちに切らないと、自分がキレそうだ。

6月27日(水)

 目がかゆい。蜂に刺されたために、少しアレルギー反応が出ているようだ。そして、その反応を抑える薬を飲んでいるためか、異様に眠い。今日はわざわざ研究室に行く用事がないので、家に引きこもることにする。せっかく昼間に家に居るのだからと、布団を干し、部屋を簡単に掃除する。
 午後はずっと、週末の間に溜まったメイルへの返信、サイトの更新などで時間を費やす。こういう作業を家でしこしこやっていると、自分が「引きこもり」の一歩手前にいるような気がしてくる。1日中、家の外に出ないのも気持ち悪いから、日が暮れて涼しくなってから、近所をサイクリングする。風が顔に当たっ心地よい。が、自宅周辺は平らなところがなく、ちょっと動き回るだけでも坂道を上り下りしなければいけない。しばらくサイクリングをしていると、次第に汗ばんできたので家に戻る。なるべくエアコンを入れないようにしたいので、すぐに水のようなシャワーを浴びて、火照った体を冷やす。
 夏になると、体が熱を持ちやすいので、しばしば水のようなシャワーを浴びる。だから、夏の間、シャワーの温度はきわめて低く設定しておく。今日、シャワーを浴びたとき、一気に温度設定を下げた。明日からは、原則として毎日、水のようなシャワーを浴びることになるはずだ。風呂場は、すでに夏である。

6月28日(木)

 一昨日、研究室のメンバーと会話しているとき、ヘッドホンの話題になった。研究室内で集中して作業したいとき、人から話し掛けられたくないとき、ほとんどのメンバーがヘッドホンをして音楽を聴いているというのだ。
 振り返れば、会社に入って2年目くらいまで、僕はしばしばイヤホンでCDを聴きながら仕事をしていた。しかし、次第に営業時間中は音楽を聴かなくなった。それは、僕も含めて、イヤホンやヘッドホンで音楽を聴いている人は、他人とコミュニケーションを図ろうとしているようにみえず、会社がてんでばらばらに仕事をする雰囲気になっていたことを反省したからだった。もっと会社が面白かったら、と思っていた。だから、バイトさんともよく話をしたし、隣の部署にふらっと行って軽口を叩くこともあった。僕が会社を辞めたとき、或るアルバイトの方から「バカな質問ができるの松村さんだけでした」と言われたことは嬉しかったし、また、送別会にはさまざまな部署の方に集まっていただいたことは楽しかった思い出として残っている。
 会社を辞めて4年の月日が流れた。今でも人が周りにいるときに、1人だけ音楽を聴くのは好きではない。しかし、最近、家で寝ている以外、起きているときは研究室にいることが多い。このため、研究室で音楽を聴かないと、ほとんど聞く機会がなくなってしまっていた。これは楽しくない。そこで、午後に町田のヨドバシカメラでヘッドホンを購入した。もう会社員時代と違って、変なこだわりはなくなっていた。
 3時頃、研究室に着き、土場研のゼミに参加。その後、ヘッドホンでCDを聴く。聴いた音楽が古かったためか、懐かしさがこみ上げてきた。高校生の時に夢中になって聴いたザ・スミスの「ランク」。親友が大ファンで、僕も彼の影響で大好きになったトーキング・ヘッズの「ストップ・メイキング・センス。学生の頃に凝った映画音楽からは「ジャック・タチ音楽全集」「黄金の七人」など。やっぱり音楽はいいなあ、と思いつつも、CDを新たに購入する金はない。しばらくは、自分だけでリバイバルを楽しもう。

6月29日(金)

 昨日も、いつもどおり12時近くまで研究室にいて作業していた。秋の日本社会学会大会で口頭発表するためのエントリー締切が明日なので、そのための報告原稿を書いていたのだ。しかし、帰宅してから昨日書いたテーマで発表することに不安を覚えた。結論部があいまいなのだ。朝起きて、少し思案した結果、テーマを変えることにした。遅すぎるって!
 明日には予定が入っているので、今日中に報告原稿を仕上げないといけない。しかし、気分を変える必要があると思ったので、約4ヶ月ぶりに髪を切ることにした。なぜ、今日のような時間のないときに、カットすることにしたのか。相変わらず、自分の決断は不合理であるが、こういうものに理由はない。3時頃、いつもお世話になっている自由が丘の美容室「グリーン・ヒル」に行って、髪をばっさり切った。ちなみに、「グリーン・ヒル」を日本語にすると「緑が丘」。大学の最寄り駅だ。実は、数年前までは大学のそばにあった店が、自由が丘に移転したのである。で
 4時過ぎに研究室に到着。それから、11時頃までかけて報告原稿を仕上げ、すぐさま緑が丘駅近くのコンビニで原稿を預けて一段落。今日は、髪も切ったし、原稿も送ったし、すっきりした気分だ。

6月30日(土)

 今日は朝から恩田の谷戸に行って、農家のお手伝いをするはずだった。しかし、起きると雨なので、行くのを取りやめた。
 午後1時、恩田の谷戸ファンクラブの通信発送作業があるというので、青葉区の奈良地区センターに行く。藤田さん、高橋さんの両代表、通信の編集責任者である金成さん、ほかに増田さん、前田さんもいらっしゃった。印刷するまで時間がかかったが、刷り上がりを封筒詰めするまでの作業は、手際よく終えることができた。それから、高橋さんから領収書を受け取ったりして、5時過ぎに地区センターを出る。
 6時に経堂駅近くの「美登利寿司」に到着。今日は弟が上京するので、お袋と3人で寿司を食いに行こうという話になっていたのだ。しかし、待ち合わせの時間に現れたのは僕だけ。すぐに、実家に電話をしてお袋を呼び出すものの、弟はなかなか現れない。まじめな性格で、僕と違って遅刻することが少ない弟にしては変だ。しかし、いくら待っても来ないので、2人で食べ始めることにする。久しぶりに寿司をたらふく食べたのは良かったが、結局、弟は現れなかった。そのまま実家に寄り、くつろいでいると、弟から「今日は家に帰れない」と電話があった。その電話に出たお袋によれば、どうやら弟はどこかですっかり酔っぱらっているらしい。理由は分からないが、誰かに引っかかって、寿司屋に来られなかったのだろう。そんなことを思いながら、実家でテレビを見ていると、突然、玄関が開き、うめきながら弟が入ってきた。確かに、ぐでんぐでんに酔っぱらっている。その彼曰く、今日はこんな一日だったらしい。
 弟は、今秋、自分の歌集を出版しようと企てている。そこで、今日は歌集のタイトルや発行部数などを打ち合わせるため、11時からは水道橋にある出版社を訪ねていた。ところが、そこで初めて会った出版社の人とすっかり意気投合してしまい、昼から6時過ぎまで、鰻屋、寿司屋、中華料理店、最後に居酒屋と、次々に店を変えながらさんざん御馳走になったようだ。2人とも相当に飲んだらしく共に酩酊したけれど、居酒屋を出た頃は、まだ弟に相手を介抱する余裕があった。しかし、出版社の人と別れてから、急に酔いが回った。そのとき、弟は2つの約束を抱えていた。1つは、6時に僕らと落ち合って寿司を食べに行く約束、もう1つは、上京を機に集まってくれた学生時代の友人と9時から会う約束だった。すでに寿司を食べていたので、僕らとの約束は違えることにして、弟はタクシーで池袋に向かい、待ち合わせ場所の「いけふくろう」を目指した。が、酔っぱらって方向感覚が無くなっていた弟は「いけふくろう」を見つけられない。通りがかりの人に場所を尋ねても、変な酔っぱらいによるふらふらしながらの質問だから、誰も相手にしてくれない。友人に連絡を取ろうとして公衆電話から電話を掛けるが、テレホンカードと電車のパスカードを誤って挿入して通話できない。それどころか、電話が通じないことに腹を立てて、電話ボックスを蹴り出す始末。どうしたらよいか分からないまま、千鳥足で駅構内を歩いているうちに、ついに酔いが回ってぶっ倒れてしまった。どのくらい寝たのだろうか。ふいに人の声で目を覚ます。「あれ、松村じゃないか、どうしたんだ、こんなところで」。今日会うはずだった友人が偶然発見してくれたのだ。彼に付き添われて、やっとのことで「いけふくろう」に到着。すでに、待ち合わせ時間を30分程度過ぎていた。しかし、弟は再会を祝して楽しく語らうことができるまともな状態ではなかった。「ごめん、具合が悪くて」と言い残し、タクシーで池袋を後にして、実家にたどり着いたのだと言う。
 それにしても、弟のために集まった友人は、どんな気持ちだったのだろうか。せっかく集まったのに、主役はいない。やっと現れたと思ったら、完全に酔っぱらっていて、1人で帰ってしまう。僕は、弟のこういうキャラクターが好きだが、彼の友人らはどのように受け止めたのだろうか。まあ、汚名返上するためにも、良い歌を詠んでくれと、願う兄であった。

TOP(日々の表現)雑記日記(2001/2/8-2003/8/25)

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