日記帳|2003年7月

7月1日(火)

 5時半に起床。たまっている仕事を片付けようと思って早起きしてみたののの、眠気には勝てず、二度寝する。結局、いつもよりも家を出るのが遅くなり、10時半にNORAへ。今日は、『よこはまの森ニュースレター』第37号の発行が近いので、ほぼ1日中、発行者の横浜市緑政課とイラストをお願いする勝野さんと、頻繁に連絡調整していた。また、里山のマネジメント研修の参加者名簿や、計画コースの参加者動向のアウトプットを出しては、田並さんに送ったり。とにかく、単純な事務作業に追われた日だった。いくつか議事録、講義録をまとめなければいけないので、それを手早く片付けようと思って事務所に来たものの、先週の土曜日、都立桜ヶ丘公園雑木林ボランティアの麻生さんにヒアリングした内容をまとめただけで終わってしまった。
 今日の昼食は、土屋さんと、近くの日本料理屋に入った。3段の和風弁当が998円。日頃、食べている昼食に比べると多少割高ではあるけれど、中味が充実しているので、むしろお得感がある。NORAの周りは中華料理店ばかりなので、たまには少し贅沢して和料理をいただくのも悪くない。
 6時、事務所を出る。南太田駅から京急線を上って泉岳寺駅へ。ここで、都営浅草線に乗り換え、1駅だけスイッチバックして高輪台駅で降りる。空腹をコンビニで買ったグミで満たし、6時45分、バイオマス産業社会ネットワーク(BIN)第34回研究会に参加するため、明治学院大のキャンパスへ。今晩の研究会は、講演者に森のエネルギー研究所の阿部さんをお招きして、「木質バイオマス利用による地域振興の具体策~上伊那での木質ペレッ ト製造事業をはじめとする様々な取り組み」というテーマでお話していただくという内容だった。昨年、神奈川森林エネルギー工房でも、バイオマスサロンに阿部さんをお招きしたことがあるが、そのときは、小川町とオーストリアにおけるバイオマスの動向についてお話を伺った。だから今日は、そのときの話とまったく違う話だったので、興味深く聞くことができた。
 話の主題は、2点あったように思う。1つは、いろいろと工夫して木質ペレット生産工場を作ろうと計画しても、温泉や宿泊施設など大型ボイラーを使用する需要者を確保しないとペイできないだろうということ。もう1つは、松食い虫被害木や開発にともなう支障木など逆有償バイオマスを収集して、生産コストを抑えたいけれど、廃掃法に引っかかって、その分のコストが上積みされるので、その対策が必要だということである。これらは、けっして新しい知見ではなく、東京都でペレット生産工場を計画したときにも、同じ課題が出されていた。東京都では、大口需要者を確保できず、工場建設から撤退したが、長野の上伊那では、確保できないまま見切り発車で工場を建設することになったようだ。
 上伊那には、薪ストーブの利用者が1,000人いるだとか、新しい考え方を持った人がIターン・Uターンしているだとか、さまざまな好材料があるようだけれど、結局のところ、大口の需要者が2つか3つペレットボイラーを導入すれば生産工場が建つのである。この事情が、草の根的に利用者から木質バイオマス・ムーヴメントを起こしにくい要因となっているように思う。
 9時に研究会は終了。神奈川森林エネルギー工房からは、斎藤さんと浦戸さんが出席していたが、終了後のどさくさで見失う。その代わりに、東京都の真田さんもお見えになっており、家が同じ方向にあるので、一緒に帰ることにする。互いに木質バイオマスにかかわる近況を報告しあっていると、あっという間に最寄り駅に着いたので真田さんと別れ、10時半に帰宅。夕食後、転がっていると眠くなってきたので、1時に就寝。

7月2日(水)

 10時にNORA。午前中は、『よこはまの森ニュースレター』の次号発行に向けて、風邪で1日寝込んだ後に勝野さんが1日で仕上げたというラフのチェックや、NLの送付先リストの更新、7/16(水)から始まるマネジメント研修の参加者名簿の更新など、事務的な仕事に終始する。
 12時半、NORAを出て、横浜へ。1時から、県民活動サポートセンター11Fの情報・相談コーナーでアルバイト。もっぱら、来週発行するメルマガ「かながわ環境インフォメーション」第8号の誌面作りのために情報を収集し、原稿を作成する。今日も来訪者がなかったので、7割ほどの原稿を仕上げることができた。
 6時、アルバイトは終了。横浜駅周辺の本屋で立ち読みするなどしてから、7時前、東横線に乗って、渋谷方面へ。中目黒で日比谷線に乗り換えて、7時50分、六本木駅に到着。今晩は、研究室の仲間たちと西安料理を食べるために、六本木ヒルズで賑わうこの街までやって来たのだ。
 そもそも、今夜のディナーは、中国から来ている留学生で同じ研究室のセツさんが西安生まれなので、本場の西安料理を食べに行こうということから企画された。セツさんのほかに、やはり西安から来ている拓大の留学生と、同じ研究室からは沈さん、丸ちゃん、イコマロ、それに僕という6人が集まった。カモちゃんも来る予定だったけれど、電車が事故に巻き込まれて動かなくなり、急に来られなくなったのは残念だった。
 7時過ぎに集合し、六本木から麻布十番方面へ5分ほど歩くと、お目当ての西安料理店「西安刀削麺」に辿り着く。初めての西安料理であったが、その味は予想をはるかに超える美味しさで、正直びっくりした。店名にもなっている名物の「刀削麺」はもちろん、来客参加の羊肉泡莫(ヤンルーポーモー )をはじめとした西安の代表的な料理に、ひたすら感心した。かつては、シルクロードの東玄関だった西安(長安)の料理は、いわゆる中華料理と明らかに異なり、イスラムの影響が強く感じられる。香辛料に、山椒を効果的に使うところも面白い。気に入った。お薦めである。
 10時過ぎにディナーは終了。大江戸線に乗って、新宿経由で12時前に帰宅。メールを書くなどしてから、2時に就寝。

7月3日(木)

 9時過ぎに家を出て、小田急線を上って成城学園前駅で下車。10時、(財)せたがやトラスト協会へ。今日は、SNECS(せたがや自然環境保全の会)の月例会があったので、それに参加したのである。
 僕が、この会に通っていた3年前と比べると、ますます活動が広範囲になり、また活動の内容も深まっているように感じられた。みつ池、岡本民家園・西谷戸、無原罪、経堂5丁目、せたがや里山づくり、竹山市民緑地、なかんだの坂、野川ボランティアといった各フィールドでの活動報告、自然観察会の解説活動、みつ池のゲンジボタル調査報告、今月のスケジュール確認などが、2時間という短い時間の中で、滞りなく進められる。SNECSの活動は、トラスト協会との協働作業なので、横浜の森づくりボランティアグループと比べると非常に計画的である。また、調査活動を基盤としているので、とても科学指向性が強い。こうした特徴は、今後「市民による里山学」を構想するときに、参考となるだろう。
 12時に定例会は終了。速水さんらと昼食をとり、1時からはフリートーク。先週、何かを話すように言われていたので、最近、僕が里山ボランティア活動について感じていることと、外から見てわかるSNECSの活動の特徴について述べた。ボランティアは里山で何を目的に活動しているのか、そのことが曖昧にしたまま活動している例が多い。また、活動目的が明確になっていたとしても、実際の活動がその目的に叶っているのかどうか検証できないことも多い。こうしたことが問題にされないまま、里山ボランティア活動が広がっていることに僕は違和感を覚えている。そういう立場からすると、まず調査ありきで始まっているSNECSの活動は、1つのモデルを提示しているように見える。こんなことを中心にして、30分ほど話した。その後、コーディネーターの小出さんからコメントをいただいたのをきっかけに、会員の方からもさまざまな意見を頂戴した。そこで、あらためてコーディネーターの役割や、他団体との情報交流の必要性などについて考えさせられた。
 3時前にフリートークの時間は終了。駅前からバスに乗って二子玉川駅に出る。そこから大井町線で等々力駅へ。駅を降りると、待ち合わせていた内海が来ていた。たぶん12年ぶりの再会だった。
 内海とは、大学1~2年のとき同級生だった。荒木やザキさんと4人でよく遊んだものだ。進振り後はばらばらになったので、その後の消息は全然知らなかった。その彼女から、突然、電子メールが舞い込んだのは6月上旬だった。かつて在籍していた劇団「関東中央劇団」を検索したところ、このサイトを発見したので、連絡してきてくれたのだ。そのメールの中に、等々力で設計事務所を開業していると書かれてあったので、久しぶりに会うことになった。
 内海の案内で、勤務先の設計事務所まで歩いた。そこは古い庭付き一軒家の2階にあった。大学の先輩と2人で仕事をしているのだと言う。こういうところで仕事をするのは、建築設計に携わる人たちの間では珍しくないらしい。自由に仕事をしているという感じがよかった。
 お互いの近況を報告し合った。はこだて未来大学の設計に関わっていたので、2年近く函館に住んでいたという話が印象的だった。内海の設計する建物は現代的なので、里山や人工林での動きとリンクするところがないだろうと思って聞いていたが、高層木造建築の実現を目指すP.O.W.S(Possibility of Wooden Skyscraper)というプロジェクトのメンバーになっているというので、少し関心領域に重なる部分があるらしい。これまで久しぶりに旧友と会うと、再会の喜びよりも時間の残酷さを感じてしまうことが多かったけれど、木の話題に関心を示してくれたこともあってか、今回は素直に喜ぶことができた。個人のサイトを公開していると、このようなこともあるから面白い。
 6時前に内海と別れ、等々力駅から、二子玉川、九段下を経由し、7時前に森下駅へ。待ち合わせしていた友だちと合流し、小腹を満たすために駅前の和菓子屋でおはぎを買って、森下スタジオへ。今晩は、友だちの友だちが出演している芝居を見るために、はるばる森下までやって来たのだ。芝居のタイトルは『HAMLET CLONE』。第三エロチカの川村毅が作・演出を手掛けている。かつて北村想の作・演出『寿歌』に出演していた伊沢勉を見たことがあっただけで、ほかの役者は全然知らなかった。
 7時半、開演。どういう芝居なのか知らずにやって来てしまったが、これはアングラ劇だった。きっと70年代から80年代の初めまでは、アングラ=前衛が格好良かったに違いない。それは、ブルジョア社会の生ぬるい想像力を破壊することに、何か意味があるように感じられていた時代だったからだろう。しかし、現代社会は成熟し、そうしたアングラさえも、すでに社会に折り込まれて、ただ消費の対象としてとらえられる。こういう時代にアングラは、むごいほど後衛に見える。
 9時、終演。さして関心のないことだけど、裕木奈江が芝居を見に来ていたことを記録しておこう。11時前に帰宅。夜食は餃子だった。

7月4日(金)

 定刻10時にNORAへ。11時前、給料計算などをするために宮地さんがやって来た。NORAの給料日は毎月5日。しかし、その日が休みの時は前倒しとなるので、今月は4日、すなわち今日が給料日だった。しかも、今月は1ヶ月分のボーナスも出る。毎月の収支がとんとんで、月末になると預金残高とにらめっこしながら買い物をせざるをえない生活から脱出するためにも、ささやかなボーナスは必要なのだ。ところが、会計上のトラブルがあり、今日は給料だけの支払いとなった。まあ、是が非でもバーナスがなくては生きていけないとう生活ではないので、今しばらく待つとしましょう。
 昼食は、吉武さん、馬場さん、宮地さんと4人で、近くの中華粥専門店へ行った。僕は、基本的に女性が多くいるシチュエーションが苦手なので、なんとなく気まずさを覚えながらのランチだった。
 今日やった仕事は、昨日のSNECSで意見交換した内容をまとめたり、里山の講座関係のデータベースを更新したり、いつも通りの事務作業。あれもこれもと仕事に追われているような気がするけれど、実際にやっている仕事量は少ないように思う。もう少し頭を整理しながら、優先順位を考えて仕事をしないとね。
 6時半、仕事を終えて、前田くんとともにNORAを出る。7時頃、横浜駅内にあるライオンへ。ここで、県民活動サポートセンターの情報・相談コーナーを利用するスタッフの懇親会があった。集まったのは、県サポ情報サポート課の職員、現在のアドバイザーとOB、環境情報コーディネーターと環境学習アドバイザー、それに環境計画課の職員である。明日も仕事があることと、テンションが低い日だったことから、あまり盛り上がれなかったけれど、そういうときでも談笑できるようになったところは成長したところかもしれない。
 9時にお開きとなり、10時半頃、帰宅。11時からはNHK「にんげんドキュメント」を見る。今晩は、アメリカの原子力潜水艦に衝突され、9人が亡くなった宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」の事故から2年が経過し、救出された生徒たちのその後を追ったドキュメンタリーだった。PTSDに悩まされるなどしながらも、死んだ旧友の思いを胸に、事故の記憶と向き合って生きていく19歳の若者3人の姿を無言で見た。

7月5日(土)

 8時過ぎに家を出て、9時ちょうどに新治の旧奥津邸へ。ここのスタッフとしての仕事にもすっかり慣れたので、滞りなく主屋と長屋門を開放する。9時半前に土屋さんがいらっしゃる。今日は、土屋さんと2人で当番を務めることになっている。
 休日に一般開放するようになってから1ヶ月が経過した。開放直後の6月上旬には、1日に約100名の来訪者があったものの、最近は1日30名程度に落ち着いている。この程度の来訪者ならば、ゆったりとした気持ちでいられるので、時間的に余裕があり、気分的にも楽である。
 朝の涼しい時間帯を利用して、土屋さんは庭の草取りをし、僕は竹林から七夕用のタケを伐り出しておいた。しかし、11時近くになると暑くなってきたので、2人で主屋に戻った。今日も来訪者が少なかったので、暇なときには、持ち込んだノートPCで資料を作った。
 3時頃、北川さんが、同じ研究室の東大の助手と院生とともにいらっしゃた。院生は、かつて図師小野路のフィールドを案内してもらった山田くんで、ひょんなところで3年ぶりの再会となった。助手の大久保さんの話によれば、大学院の授業で、新治市民の森を使って実習し、その調査結果を旧奥津邸でまとめたりしたいのだという。僕らでは判断のしようがないので、市民の森の利用については緑政部へ、旧奥津邸の利用については公園部へ話を通すようにお願いした。
 北川さんら3人が下見のために森に入っていくと、入れ替わるようにして、運営改善課の関口さんがやって来た。いつもは打合せのときに会うので、もっぱら議題に即した話しかしないけれど、今日はフランクに、関口さんが関わっているプレイパークのことなどを話し合った。関口さんの話によれば、公園は、「~してはいけない」という制限ばかりだと言われるが、そうした規制は法によるものよりも、むしろ利用者や周辺住民によるものが多い。だから、それを「~してもよい」とすることは、そうした人びとが了解すれば、すぐに実現できるものであるという。つまるところは、コンセンサスが形成されればよいという話だから、すぐれて(環境)社会学的な課題なのだ。思うに、社会科学のイロハを共有化できていないことが、こうした問題を複雑にしている要因である。僕らは、社会科学の基礎を土台にして、社会を構想すべきではないだろうか。
 5時過ぎ、関口さんは帰り、市民の森から出てきた北川さんと別れる。6時、閉館時間となったので、主屋と長屋門を閉じて退出する。十日市場駅で土屋さんと別れると、そのまま友だちの家に遊びに行く。夕飯に出してもらったビシソワーズに感激。夏に冷たいスープは最高。

7月6日(日)

 今日は、梅雨の合間のありふれた日曜日である。がしかし、僕にとっては、特別な日曜日だった。
 朝食後、6/27(金)の打合せ議事録をまとめるなどしてから、1時に横浜にある友だちの実家を訪ねる。今までの人生経験のなかで、彼女の実家にお邪魔して、ご両親と対面することはなかったわけではないけれど、なんとなく緊張を強いられるものである。
 玄関を通されると、ご両親ともにこにこ顔で、とても暖かく迎えていただいた。友だちがきちんと話をしていたようで、お父さんから「娘のことはお任せします」と言われた。身が引き締まる思いがした。それから、食事をいただきながら談笑した。他人同士だから、支え合いながら生きていくことが大切だと、ご両親から教えていただいた。仲睦まじいお二人の様子を前にして、その言葉には説得力があった。幼稚園や小学校低学年の頃、まだ両親が仲良く過ごしていたように思われた頃の僕の家庭を思い出した。凡庸に、ただ生活のために、意味もなく生きることが、幸せだったら、良いじゃないか。
 4時頃、友だちの実家をお暇する。玄関先まで出て、僕らを見送っていたご両親の姿が印象的だった。船に乗って旅する人を見送るような姿だった。ふと、八重山に行きたくなった。
 友だちの家に戻り、いくつかメールを書いた。お腹いっぱいになるまで食べたので、いつもと順序を逆にして、8時からの『武蔵』を見てから夕食をとった。いつもどおり、食事は美味しかった。このところ、急に外食が嫌いになってきた理由がわかった気がした。

7月7日(月)

 10時にNORAへ。今日は、残りのスタッフが栃木県の那須へ出張なため、1人で留守番をしていた。事務所に1人でいると、電話を全部とらないといけないので、仕事が進まない。今日も、土屋さんと前田くんが関わっているトコボンプロジェクトによるNPO失敗大賞への問い合わせなど、面倒な対応に追われた。
 3時頃、遅めのランチをとるために外出したが、ほとんどの店が休憩時間をとっていたので、仕方なくオリジン弁当を買って食べることにした。午後、明日の打合せに向けて、里山資源の活用に関する研修会の企画書を書いたり、遅ればせながら5/31シンポジウムの事例報告をまとめたりなど、仕事を進める。7時過ぎ、NORAを出て、8時半頃、帰宅。今日は七夕だったけれど、あいにく今夜は雨だった。

7月8日(火)

 10時、横浜市緑政課へ。里山資源活用に関する研修会、里山のマネジメント研修、里山ボランティア講座〈夏コース〉などについて打ち合わせた。協議事項が多岐に及んだので、1つひとつについては詰めきれない部分が残ったけれど、だいぶ話が進んだような気がする。企画書を書いた研修会については、おおよその骨格が定まったので、あとは具体的に詰めていけばよいということになった。当面やるべき作業は、アンケート調査を設計することにある。
 12時過ぎに打合せは終了。吉武さんと前田くんと3人で、トルコ料理店「アリババ」へ行く。ここの料理は、香辛料が利いていて好きだ。昼食後、吉武さんと別れ、NORAへ。里山の計画コースの初回(6/22)に、久保田さんにお話しいただいた講義の内容をまとめたほか、明日の打合せに向けて、新治活用検討会議(仮称)の進め方について企画書を書いた。
 7時半、NORAを出て、町田の西友に寄ってから、9時過ぎに帰宅。今日は火曜日なので、西友では得の市セールをやっていた。1品100円の宣伝文句に乗せられて、12個入り100円の餃子を2箱買ってみた。家に帰ってから、夕食にその餃子を1箱調理してみたところ、まずい。あまりにまずいので、どうせなら2箱食べてしまえと24個のまずい餃子を食べてみた。1箱目と2箱目で調理方法を変えてみたものの、効果はなし。まずい記憶を口に残したまま眠る冴えない夜だった。

7月9日(水)

 6時過ぎ、起床。今日は、午後1時からの打合せに向けて企画書を作成し、7時からのバイオマスサロンに向けて打合せ資料を作成し、さらにメルマガ「かながわ環境インフォメーション」第8号も完成させないといけない。そこで、いつもより早起きしてみたのである。まずは、メルマガの原稿作り。朝食とシャワーをはさみながら、家を出る前に原稿を完成させることができた。
 9時過ぎに家を出て、10時半にNORAへ。到着するとすぐにメールをチェック。その後、12時半までかけて、新治活用検討会議の企画書を作る。吉武さんとともにNORAを出て、1時からの打合せにのぞむ。今日の打合せに集まったのは、関口さん、北條さん、田並さん、中村さん、北洞さんという顔ぶれ。8/23の検討会議初回に向けて、事前配付資料の内容や作り方について議論した。人数が少なかったこともあって、前回の打合せよりも話が進んだように思う。
 3時前に打合せは終了。3時半に再びNORAへ戻り、今晩のバイオマスサロンに向けて打合せ資料を作る。夕方、宮地さんから念願のボーナスをいただく。安月給である上に1ヶ月分のボーナスなので、本当にささやかな金額であるが、カツカツの生活をしていると、少額でも非常に助かるのである。あたかも、砂漠の中のオアシスのように。
 6時半、NORAを出て、かながわ県民活動サポートセンター11Fへ。7時から、神奈川森林エネルギー工房の月に1度の定例バイオマスサロン。斎藤さん、佐々木さん、前田くん、辻本さん、土屋さんが集まった。7時半からは、ゲストスピーカーとしてお招きした(有)河西の河西さんによるお話。河西さんには、安価なイタリア製ペレットストーブやオーストリア製ペレットボイラーについて、さらにヨーロッパのペレット事情について、小1時間ほどご報告いただいた。その後、意見交換をおこない、エコタウンかながわ2003への出展をお願いして、9時半頃、サロンは終了した。
 河西さんには、その後、近くの居酒屋で催した懇親会にもお付き合いいただいた。11時前に懇親会はお開き。今晩は、友だちの家に泊めてもらった。

7月10日(木)

 納豆の日だという。納豆が好きだ。しかし、いつも3つで100円の安い納豆ばかり食べている。たまには、本物の藁で包んだ納豆を食べよう。
 10時にNORAへ。午前中は、里山ボランティア講座〈夏コース〉や里山のマネジメント研修への参加者名簿を更新したり、時間を見つけながら進めてきた5/31シンポジウムの事例報告をまとめたり。
 1時前、吉武さん中華料理店でランチをともにする。食事中も、もっぱら仕事の話ばかりしていた。来年、新治でどのような動きをしたいのか、それを早めにまとめておかないといけないと確認し合った。
 昼食後、吉武さんと別れ、1人でNORAに戻り、午後の仕事を始める。神奈川森林エネルギー工房の冊子購入者名簿を更新したり、「市民による里山学」に関する調査依頼書を作成したり。事務所でやる仕事は、本当に地味なことばかりだ。
 7時過ぎにNORAを出て、8時過ぎに玉川学園前駅に到着。駅前のオーオカヤマで買い物をして、8時半頃、帰宅。納豆の日だからというわけではなく、日課として夜に納豆を食べる。納豆の日だからといって特別な納豆を食べるわけではなく、いつもどり3つで100円のやつを。

7月11日(金)

 8時半に家を出て、池袋へ向かう。10時、池袋サンシャインプリンスホテルへ。ここで、NEDO主催の「新エネルギー・省エネルギー草の根支援事業成果報告会」があった。ソフトエネルギープロジェクトの佐藤さんに誘われて、午前中だけ参加してみた。
 午前中は、足利工大の牛山先生のよる基調講演「新エネ・省エネ普及は市民の力で!」のほか、北海道グリーンファンド、再生可能エネルギー推進市民フォーラム(REPP)西日本、バイオマス産業社会ネットワーク(BIN)から成果報告があった。このなかで、もっとも心が動かされたのが、北海道グリーンファンドの報告だった。グリーン電気料金制度を活用し、出資金を集めるためにPOを設立し、事業費4億円近くかけて風車を立ち上げるという仕組みには、ただただ圧倒される。あらためて、NPOの潜在的な可能性の大きさを思い知った。
 NPOの大きな可能性を感じさせるものとしてアサザ基金がある。このNPOは、公共事業のなかで自分たちの思いを実現していくという戦術をとっている。一方、北海道グリーンファンドは、北海道電力という大企業と組みながら、市場経済のなかで自分たちの思いを実現している。行政から適当な位置をとっているという点と、自然エネルギーの推進という同じテーマを掲げている点で、アサザ基金よりも北海道グリーンファンドのやり方に感心した。しかし、こうした資金開拓のやり方は、素人には真似できないように思う。やはり、NPOにも経営のセンスが必要ということか。
 12時、成果報告会を中座し、池袋から新宿経由で小田急線の経堂駅で下車。そこから15分ほど歩いて、1時過ぎに東京農大へ。午後は、公開シンポジウム「里山と市町村条例」に出席した。内容は、30分ずつ5人の講演と小1時間のパネルディスカッションがあった。講演は2勝3敗。環境省自然環境局長の小野寺氏と、農大の麻生先生の講演は、得るところがあった。特に小野寺氏は、的確な現代社会を分析するとともに、人間と自然との関係性に焦点を当てるという社会科学的な見方を披露されたので、好印象を覚えた。
 しかし、そうしたプラスの面よりも、全体としてはマイナスの面が多かった。タイトルに「市町村条例」が含まれていたのに、そのことについて触れる機会がほとんどなかったのは、大きなマイナス・ポイントである。大学の先生あるいはOBが公開シンポジウムで話をするということは、その大学の実力が試されることも意味する。内容のあるシンポジウムを開けば、これをチャンスとすることもできるのだから、もう少し練った企画および人選が必要だったのではないだろうか。
 5時半、シンポジウムは終了。ほかのNORAスタッフ3人と、出席していたグリーンの石田さんとともに、バスで用賀駅へ出る。そこから、二子玉川、自由が丘を経由して、6時半に桜木町駅へ。横浜市緑政課から活用方法を考えるように言われているクロスパティオを見学してから、7時半に横浜市民活動支援センターへ。今宵は、「夏!市民活動体験塾2003」の入塾式があったので、恩田の谷戸ファンクラブの担当者として出席したのだ。
 8時半過ぎ、塾生の1人・小川くんと対面。ビオトープの設計に関心があるという明確な目的をもった学生だったので、こちらも受け入れやすいと感じた。恩田の谷戸ファンクラブでは、これまでもトンボ池作りや、ホトケドジョウのすめる小川作りなど、ビオトープを作ってきた経験があるので、役立ててもらえらばと思う。
 9時過ぎ、入塾式は終了。空腹だったので、駅前の「餃子の王将」に入ろうと思ったら満員だったので、家で食事をとることにする。10時半に帰宅。ナスのトマトソーススパゲティを作って食べる。自分の料理も悪くないけど、帰宅するとへとへとで料理を作るのは面倒だ。仕事して、家事も育児もこなすなんて、できるのだろうか。

7月12日(土)

 8時半前に家を出て、9時過ぎに旧奥津邸へ。今日は、里山の計画コース最終日である。 明け方、雨だったためか、それとも他に用事があったためか、出席者数は11人のみだった。
 10時、開会。まずグループワークとして、3班に分かれて施業計画を考え、10時40分からグループごとに発表をおこなった。これが終わると、講師の久保田さんから講評があり、それに対して質疑応答がおこなわれた。
 12時から昼食。12時45分に主屋を出て、フィールドへ移動。現場に立って、あらためて、それぞれの施業計画を検討し、2時過ぎに閉会した。ボランティアで手伝っていただいた小山さんが、「このコースは地味だけど、何のためのボランティアなのかを伝える非常に大事な講座だった」というような主旨の感想を述べていたことが印象的だった。
 3時頃、主屋に戻り、久保田さんとスタッフで雑談。3回の講座を通じて、講師としての久保田さんの資質に感心した。しかし、久保田さんのような人材はなかなか見当たらないだろうから、今後、人材を育てることが必要になると思う。
 4時過ぎ、前田くんと吉武さんを除いて、スタッフは帰った。残った3人は、6時の閉館時刻まで旧奥津邸に居て、戸締まりをしてから退出。十日市場駅に向かう帰り道、居酒屋で2時間ほど食事してから帰宅。12時には就寝。

7月13日(日)

 6時半に目覚めたが、早く起きすぎたので、二度寝する。9時半に起床。朝食をつまむも、せっかくの休日だからもっと体を休ませようと、またベッドで横になる。さらに、12時半、2時と目覚めるも、さらに眠り続け、やっと3時半に起きあがる。
 もう1日の半分も過ぎ去ったので、今さら何かやろうという気分にもならず、12日分の日記を書いて、時間を潰す。その結果、毎週見ていた『武蔵』を見損なう。その代わりではなかったけれど、9時からNHKスペシャル「子ども・輝けいのち」6回シリーズの最終回を見た。今日の番組は、自閉症児と健常児が共に学ぶ武蔵野東技能高等専修学校が舞台。全校生徒230人のうち3分の1が障害をもち、障害をもたない者の多くは中学時代に不登校だったり、授業から取り残されたりしていた。そんな生徒たちがバディを組んで助け合い、支え合いながら成長していく姿を追ったドキュメンタリー。バスを降りるときにチャイムを押すことができず、降りたいバス停で降りられなかった自閉症の女性が、先生と一緒に何回も練習してチャイムを押せるようになったとき、また、いじめられて小学校の高学年から学校で話をすることができなかった女性が、スピーチコンテストの練習のためにクラス全員の前で、うつむきながらも口を開いたとき、思わず熱いものがこみ上げてきた。ただ支え合って生きるということ、それだけで尊いと思う。
 日中、睡眠をとりすぎたためだろう。あまり眠くならないので、4時まで起きていた。今日で睡眠不足を解消したはずだったのに、また睡眠不足になりそうだ。

7月14日(月)

 先週、各戸に配布された横浜市の広報誌1面に、緑政課の「市民による里山育成事業」が掲載された。このためだろう、里山ボランティア講座〈夏コース〉に申し込まれる方からの葉書、FAX、e-mailが続々と舞い込んでくる。
 10時にNORAに着くとすぐに、講座に参加を申し込まれた方々のデータベースを作成する。この作業とメールのチェックだけで、午前中はおしまい。昼食は、吉武さんとともに近くの中華料理店へ。今日行ったところは、たとえば肉団子を注文すると、純粋に肉団子だけが出てきて、野菜など余計なものは出てこない。普通は、バランスを考えて、付け合わせをつけたりするものだが、鶏の唐揚げも唐揚げのみ、レタスの炒め物もレタスのみ。すべてがこんな調子で、潔いのだ。
 昼食後、9月に平塚で開催されるエコタウン2003への出展申込書を送りつけたり、先週の水曜日の打合せ記録をまとめるなど事務作業を進める。6時半、NORAを出て、7時前にかながわ県民活動サポートセンターへ。9階のフリースペースに行き、「新しい環境学習をつくるネットワーク」の打合せに出席する。
 今年度、神奈川森林エネルギー工房は、木質バイオマスエネルギーに関する教材づくりをおこなう。この事業は、神奈川県内の高校教師たちが中心となって組織された「新しい環境学習をつくるネットワーク」とパートナーを組んですすめていくつもりだ。そのために今夜は、ネットワークのメンバーと顔を合わせるために、月例ミーティングにお邪魔させてもらったのだ。
 定例の活動報告の後、木質バイオマスエネルギーに関する環境学習教材を作りたい理由を説明した。その後、質疑応答などがあり、次回のミーティングには、何らかのたたき台を作っていくこととなった。抱えている仕事が多いので、教材づくりにどれだけ時間を割けるのか不安である。
 9時半、打合せは終了。遅かったので、食事へのお誘いを断り、家に直行しようとするが、空腹に耐えきれず、町田駅で下車して夕飯を食べる。11時頃、帰宅。

7月15日(火)

 8時半にベッドから出る。朝食後、先週開催したバイオマスサロンの議事録を作成。同じ日にあった横浜市との打合せ記録もまとめた。また、週末に京都方面へ行くので、京都の夜を知人と楽しめればと思い、ペレットクラブ準備会の小島さんと、京都造形大の直人さんと連絡を取る(結局、2人とも都合が悪かったけれど・・・)。
 1時、家を出て、新百合ヶ丘、多摩センター経由で、京王線の南大沢駅へ。2時、都立大に到着。今日は、月に1度開催される「地域環境主義研究会(仮称)」の日であった。発表者は、原口さんと水谷さん。原口さんは、アメリカの環境正義運動について、水谷さんは三鷹市における市民参加型の総合計画づくりについて報告された。原口さんの報告は、アメリカにおける運動の概略をつかむのに適当な内容で有益だった。水谷さんの報告は、M1だけれどしっかりと研究内容を考えていることが伝わる内容だった。
 6時半過ぎに研究会は終了。終わり際、水谷さんがアリスセンターでアルバイトをするようになったと聞き、人の輪の狭さをあらためて感じる。
 駅前のオーオカヤマで野菜を買い、8時頃、帰宅。夕食にズッキーニのトマト煮を作ってみたが、油断して焦がしてしまう。賞味期限切れのケチャップが余っていたので、たくさん入れてみたためだと思う。糖分は焦げやすいからねえ。まあ、食べられる部分も残っていたのは不幸中の幸い。前向きに行きましょい。

7月16日(水)

 いつもどおりに起きて、いつもどおりの電車に乗って、いつもどおり10時にNORAへ。そしてまた、午前中はいつもどおり、メールの送受信と講座申込者データベースの更新。12時半、NORAを出て、かながわ県民活動サポートセンターへ。1時からは、環境情報コーディネーターのアルバイト。
 今日も、いつもどおりに相談者がいないだろうと思っていたら、珍しく3件も相談があった。1件目は、今年度中は仕事に余裕があるので、土日を利用してボランティア活動をやってみたいという40歳くらいの男性。2件目は、海や森などで体を動かすボランティア活動に興味があるという30代の男性だった。3件目の相談は、ユニークだった。20代半ばの男女3人が、神奈川県の環境行政について尋ねたいとやって来たのだ。話を聞けば、3人は今年県庁の環境系職員を受験中の若者であり、近く面接があるので、第三者的に見た県の環境行政について知るために、環境情報コーディネーターに話を聞きに来たのだという。さらに突っ込んで話を聞いてみると、同じような動機で僕のところに来た彼らの予備校の先輩が、昨年、県庁に採用されたので、その先輩のやり方にならったのだという。僕の知らぬところで、環境情報コーディネータが、県庁試験の面接対策として適当な訪問先になっていたとは驚きである。それはそうと、その3人組には良い行政マンになってほしいと願って、1時間半ほど付き合って話をした。
 5時半過ぎ、県の山田さんが来訪。依頼していたメルマガ【KEI】の宣伝用チラシをお持ちいただいた。先日の飲み会では、ほとんど話をする時間が取れなかったので、山田さんとはメルマガのこと、環境情報コーディネーターの仕事のことなど話したいことがあった。しかし、今夜は予定があったので、山田さんと長話はせずに、6時にサポートセンターを退出する。
 JR横浜線で、6時半過ぎに中山駅へ。ひどい雨だったので折り畳み傘を開いて、緑区役所へ行く。今夜は、横浜市緑政局主催の「里山のマネジメント研修」初回である。この研修では、ほとんど役割がないのだけれど、なぜか途中で小芝居をやることになっており、そのメンバーとして動員された。
 ところで、このような研修を開くようになった背景には、里山ボランティア団体に組織上のトラブルが後を絶たないということがある。里山のボランティア活動は活発化する一方であるが、いわゆる自然保護派とレクリエーション派とが衝突する例は多い。里山ボランティア1人ひとりにとって必要な知識・技術は体系化されていても、そうしたボランティアが組織を作ったときに必要な理論と方法は整備されていない。そこで、今回、里山保全NPOの組織論を講義することになった。講師は、大学で非常勤としてNPO論・ボランティア論を教えている土屋さん。僕は、NPOの組織論に明るくないので、勉強するつもりで参加した。
 7時、研修スタート。まず、緑政局からの挨拶の後、参加者の自己紹介があり、土屋さんから1時間ほどボランティアとNPOについて講義があった。その後、小芝居を通じて、里山NPOのマネジメントに関して問題点を提起し、最後に参加者にワークシートへ記入してもらって、初回の研修は終了した。
 9時過ぎ、後片付けをして緑区役所を出る。それから、浅羽さん、土屋さん、山田さん、田並さんと5人で会食し、12時前に帰宅。

7月17日(木)

 10時にNORAへ。里山ボランティア講座〈夏コース〉への申込みは途絶えることがなく、午前中は、申込者データベース更新とメールをチェックするだけで終了。ちょうど昼時に土屋さんと川嶋さんがやって来たので、吉武さんと4人で、中華粥の専門店へ行く。
 食後、週末の出張に向けて連絡調整したり、先週おこなった里山の計画コースの記録をまとめ、里山バイオマスの活用法に関するアンケートを途中まで作りかけて、8時過ぎにNORAを出る。
 空腹だったので、蒔田駅前の松屋で夕食をとり、10時前に帰宅。

7月18日(金)

 10時にNORAへ。午前中は、新治活用検討会議について、スタッフ間でミーティング。打合せ終了後、近くにある和風懐石料理店で昼食をとり、1時半頃、NORAを出る。
 南太田駅から京急線に乗り、横浜で東急線に乗り換えて渋谷まで。さらに、半蔵門線で九段下へ出る。駅からお堀沿いに東へ5分くらい歩くと、国の合同庁舎がある。ここに11階に、訪問先となる国土地理院関東地方測量部があるのだ。
 今日、ここを訪れたのは、古い地形図を買い求めるためであった。NORAが関わっている新治市民の森や川井緑地の周辺では、どのように土地利用が変化してきたのか。このことを知るために、明治時代に作られた迅速図をはじめとして、過去の地形図を全部で25枚購入した。同じ図幅の地形図を過去から現在に向けて並べてみると、土地利用の変化がよくわかる。たとえば、大正時代、町田近辺の平地はほとんど桑畑に覆われていた。こうした様子を古地図から読み取ると、養蚕が盛んで、八王子から町田を経由して横浜から絹を輸出していた頃の姿が鮮やかに実感できる。
 5時、合同庁舎を出て、地下鉄で東京駅へ。京都までの新幹線の切符を買おうとしてみどりの窓口に行くと、人が並んでいた。週末だからだろう、すでに本日の指定席はすべて売り切れていた。仕方なく自由席の切符を買うが、立って行くのはしんどいので、席に座るために45分ほどホームで待つことにした。
 6時半、東京駅を出発。浜口哲一『生きもの地図が語る街の自然』 を読み終えて、9時過ぎに京都駅へ。駅地下で夕食をとり、10時過ぎ、JR奈良線に乗る。ほどなく、JR藤森駅に到着。迎えに来ていた弟の案内で、弟夫婦の家へ。東京駅であわてて買った和菓子を手土産に、今晩1晩泊めてもらう。
 心優しき弟夫婦は、明日が僕の誕生日だからと、ケーキを用意してくれていた。思いがけないプレゼントを味わい、たわいもないことを話したりしてから、12時過ぎに就寝。

7月19日(土)

 34歳の誕生日。
 7時、起床。弟が8時に仕事へ出掛けるというので、叩き起こされる。弟夫婦と3人で朝食をとっていると、甥の遼太が目覚める。まだ、僕のことを伯父さんだと認識していないため、朝からダイニングに変な人がいて不愉快だなあという顔をされる。もっと仲良くしようぜ、遼太。
 8時過ぎに弟は出て行き、千栄さんも遼太を抱えて保育園に預けに行ったので、しばらく部屋に取り残される。9時頃、千栄さんが戻ってきたので、泊めてもらったお礼を言って、弟の家を後にする。
 京阪の墨染駅から北上し、出町柳駅で下車。そこから東に15分ほど歩くと、京大に到着。10時半、最近できたばかりの京大総合博物館に入る。せこく学割を使って、高・大学生料金300円を支払って入館。館内は大きく文化史系と自然史系の2系統に分けられる。京大といえば自然史系のフィールドワークで有名なので、楽しみは後にとっておこうと、まずは文化史系から見て、次に自然史系の展示を見た。博物館としては大きくないけれど、展示の質が良いので、1時間程度の時間を知的に潰すには、なかなか素敵なところだ。また、初期のフィールドワーカー達のがおこなった海外遠征関係の資料もあって、フィールドワークの京大らしい展示を楽しめるところも良い。
 11時半頃に博物館を出て、京大の生協で少し買い物をして、12時前に出町柳駅に戻る。京阪線で南下し、東福寺駅でJR奈良線に乗り換えて京都駅へ。そこから東に向かい、1時頃、草津駅に到着。駅前で昼食をとってから、バスに25分ほど揺られると、目印の風力発電所が見えてきて、今日の目的地・琵琶湖博物館にたどり着く。
 この博物館は、環境社会学者の間では有名で、かつて開設前に生活環境主義者たちが集まったところとして知られる。かねてから訪れてみたいと思っていたので、今回初めて来ることができたのは良かった。さて、その率直な感想であるが、展示に工夫が見られて面白かった。研究成果を展示するだけでなく、そのプロセスである仕事場が展示してあったり、研究方法が紹介されてあるので、アカデミズムが身近に感じられる。家の近くにある市立博物館がこんな風であったら良かったのにと、思わずにはいられなかった。
 3時、アポを取ってあった宮本さんと会う。その宮本さんの紹介で、琵琶湖博物館フィールドレポーターのスタッフの方々と話をする時間をいただく。僕は、参加型調査と市民による里山管理をうまく結び付けられないだろうかと思っており、そうした関心から参加型調査の本家・琵琶湖博物館を訪れたのである。調査自体は成功とは言えないけれど、地域の何気ない自然に目を向けてもらいたいというスタッフの方々の熱い気持ちに触れることができたのは収穫だった。
 5時過ぎ、総括研究員の布谷さんにインタビューする機会を得た。里山保全にみられる自然保護派とレクリエーション派との対立や、誰でも参加できる調査を設計するとアウトプットが使い物にならないという参加型調査のジレンマについて、貴重な意見を伺うことができた。
 6時前、博物館を出て、バスで草津駅へ。それから京都駅へ戻り、新幹線で東進。車内で、7/9バイオマスサロンで河西さんにお話いただいた内容をまとめる。10時頃、新横浜駅に到着。このとき、領収書をもらい忘れたことに気づく。あらら、ひょっとしたら13,000円分を自腹切らないといけないかもしれない。でも、切符が領収書代わりになるかもしれないので、駅員に言って切符を回収する。
 11時前、帰宅。12時前、友だちが、誕生日プレゼントを携えて、泊まりにやって来た。ありがとうございます。それにしても、長く感じられる誕生日の1日だった。

7月20日(日)

 寝坊。11時頃、起床。遅めの朝食として玄米フレークを食べて、3時前まで日記を書く。家を出て、友だちの家に到着したのが4時頃。そこで、素麺を御馳走になる。すぐに、友だちは用を済ませるため、近くにある実家に戻ったので、1人で留守番する。その間、先週、見逃した『武蔵』をビデオで見たり、日記を書いたり。
 8時頃、友だちが戻ってきたので、一緒に夕飯を食べる。10時からBSで『武蔵』を見て、就寝。

7月21日(月)

 9時、新治の旧奥津邸に到着。今日、ここで留守番をするのは、吉武さんと僕の2人。大雨だったので、来訪者は少なかった。しかし、長屋門を開けるときに、またコントロールバーを持参し忘れて、侵入者として認識されるヘマをやらかしたり、近くの奥津坂で自転車に乗っていた中学生が、スリップして転んでケガをしていたので応急処置をするなど、小さな波乱に富んだ午前中だった。
 11時頃、農村都市計画研究所の橋本さんが来訪。小1時間ほどいらっしゃったように思う。また、昼食を挟んで1時過ぎには、吉武さんの友人の江成さんが、お土産にインゲン・ナス・ピーマンなどを携えてお見えになる。ちょうど、そのときは土砂降りで、帰ろうにも帰れない状況だったので、室内で1時間以上話し込んだ。野菜の直売の進め方について、あるいは日本家屋の掃除の仕方などについて、ご意見や提案をいただいた。
 天気が回復して、江成さんがお帰りになってから、今日の昼に届いたパソコン、プリンタ、コピー機をセッティングし始める。最近は、こうした初期作業も簡略化されてきているが、それでも1つひとつ丁寧に仕事を片付けていくと、時間がかかる。5時半頃までにセッティング作業を済ませ、主屋の雨戸、長屋門を締めて、6時過ぎに旧奥津邸を出る。
 7時半、友だちの家を訪ねる。夕食には、江成さんにいただいた野菜を使って、ピーマンの挽肉詰めとナスの挽肉詰めを食べる。食後、里山資源活用研修のアンケートを設計してから就寝。

7月22日(火)

 10時、NORAへ。午前中は、午後の打合せに向けて、旧奥津邸活用検討会議の進め方の企画書をブラッシュアップ。1時過ぎ、近くの居酒屋「CLOVER」で昼食をとり、2時に横浜市運営改善課へ。
 今日の打合せには、運営改善課、緑政課、西部公園事務所の担当者のほか、NORAからは吉武さんと僕、それに検討会議でファシリテーター役を務める土屋さんも参加した。内容としては、8/23の初回のイメージ作りと、検討委員のメンバーに事前に配布するオリエンテーション・パンフレットの最終的な詰めをおこなった。この担当者同士の打合せは、1回で決まる事項は多くないけれど、回を重ねるにつれてお互いのイメージが共有化されてきたように思う。後は、本番が始まってからどうなるかだ。
 4時に打合せ終了。急いでNORAに戻り、今日1日の間に届いた里山ボランティア講座<夏コース>申込者を入力して、田並さんに伝えた(つもりだったけれど、慌てていたので、ファイルを添付し忘れていた)。
 5時半、NORAを出て、南太田、横浜、渋谷、下北沢を経由して、6時半に実家のある経堂駅へ。今晩は、お袋に友だちを紹介する食事会を開くのだ。駅で友だちと合流し実家に到着すると、お袋が「あれ、7時半じゃなかった?」と寝ぼけたようなことを言う。気にせず家に入ると、飼い犬のタローが居間でくつろいでいたので、びっくり。飼い犬とはいえ、タローは大型犬(シベリアンハスキーの雑種)なので、家の中に入れるべきペットではないのだ。お袋は、外に出していると可哀想だから家に入れているらしいのだが、そのために家中がイヌの毛だらけになって、掃除が大変なのだと言う。僕には、この状況は耐えられない。お袋と同居していなくて、心底良かったと思った。
 肝心な食事会の方は、なかなかうまくいった。いつものパターンで、お袋が喋りまくっていたが、友だちには、僕の家族の雰囲気を理解してもらえたように思う。それにしても、お袋がハイテンションでクィックリーなのに、僕はどうしてローテンション、スローモーなのだろうか。また、お袋はなぜリッチで、僕はかくもプアーなのか。家族内階級格差が著しい。とても、この人の息子だとは思えない。還暦を迎えても、ますます元気なお袋には頭が下がる。と言うか、恐れ入る。
 たらふく食べて、土産ももらって、10時過ぎに実家を出る。11時頃、帰宅。今日もまた、慌ただしい1日だった。

7月23日(水)

 10時、NORA到着。午前中は、<夏コース>申込者の入力や、印刷ラベルのプリントアウトなど。昼食をとる暇がなく、おにぎりを頬ばりながら午前の仕事を終え、12時半、NORAを出る。
 1時、かながわ県民活動サポートセンターへ。環境情報コーディネーターのアルバイトを始める。今日中に、メルマガ「かながわ環境インフォメーション(KEI)」の原稿を仕上げないといけないのに、いつもよりも準備が不十分だ。さいわい(?)、相談来訪者がなかったので、メルマガの情報収集・編集に集中でき、5時半頃、ようやくメルマガ【KEI】の9号案を完成させる。
 6時、アルバイトは終了。横浜駅からJR横浜線を北上し、中山駅で下車。6時40分頃、緑区役所に到着。今晩は、「里山の組織マネジメント研修」の2日目である。7時から研修がスタート。今日は、NPOのミッション作りがテーマだった。僕は、スタッフとして、グループワークのときにファシリテーターを務めたり、小芝居に登場するなど、少しお手伝いをした。
 9時、研修は終了。食事会に流れた人もいたけれど、疲れていたので、まっすぐ帰宅することにした。10時頃に帰宅し、早く寝ようと思っていたのだけれど、何気なく見始めた世界水泳にはまってしまい、そのまま3時頃まで見続ける。でも、バタフライで山本選手が銀メダルを獲ったシーンを見られたので、夜更かしした甲斐があったと思う。

7月24日(木)

 10時、NORAへ。午前中は、またしても<夏コース>申込者の入力。外見は几帳面なように見えるらしいが、けっしてそうではない性格なので、こういう事務作業は正直苦手である。しかし、昨日が申込みの締切日だったので、ようやく今日あたりでこの作業から解放されるはずだ。
 12時過ぎ、土屋さんと前田くんとともにNORAを出る。蒔田駅から市営地下鉄に乗り、湘南台を経由して桜ヶ丘駅で下車。1時過ぎ、アポを取っていた杉崎さんを訪ねる。
 この訪問は、神奈川県との協働事業に関連するものだったので、僕が行く必要はなかったのだけれど、面白そうだったので、土屋さんらに付いていったのである。聞き取りでは、久田地区の生業や土地利用の変遷、左馬神社のことなどをお伺いした。戦前、養蚕が盛んだったが、戦後は野菜作りが生業の中心となったこと。かつて、暴れ川で洪水が頻発していた境川は、30年くらい前に河川改修して、川縁にあった水田も消えたこと。戦前までは、スギとマツの混交林が多く、特にマツは梁材として重用されたこと。中原街道とは、川崎の武蔵中原と平塚の中原を結ぶから、そのように呼ばれていることなど。郷土史に詳しい方なので、広くいろんなことを伺うことができた。しかし、今日は触りの部分だけだったので、もっと突っ込んで聞かないと、面白みが出てこないように思う。
 4時前、聞き取り調査は終了。今日の仕事もおしまい。帰り道、町田駅で途中下車し、本屋と古本屋で買い物をして、富沢商店では杏仁霜を購入して、6時に帰宅。夕飯はトマトソース・スパゲッティ。9時から3時間ほど仮眠をとり、12時過ぎに起きて世界水泳を見る。北島選手の世界新&金メダル、稲田・中西選手が銅メダルと、日本選手が3つのメダルを獲得して良かったですな。

7月25日(金)

 今日は、仕事を休んで、家に引きこもっていた。今月中に、論文の校正を終えないといけないのに、まだ何も手を付けていないので、休みを取って作業を進めることにしたのだ。しかし、その作業に着手する前に、忙しさにかまけて山積みにしている仕事を片付けることにする。まずは、返事を書かなければいけないメールがいくつもたまっていたので、立て続けに15通を書き上げてみた。これで、ひとまずすっきりしたので、里山資源の活用検討に向けたアンケート調査を設計したり、里山の計画コースのまとめ作業をおこなったり、ためていた仕事を終わらせる。さらに、電動ひげ剃りの内刃を10年ぶりに掃除したり、先日実家を訪ねたときにもらってきた電動歯ブラシを試したりと、些細なことも終わらせた。
 これで引っかかっていた仕事は、ほとんどすべて終了。さーて、いよいよ校正作業を始めようか、と思ったときには、夜の11時を回っていた。結局、校正作業はまったく進められなかった。

7月26日(土)

 8時、起床。午前中は、火曜日におこなった打合せの議事録をまとめたほか、部屋の掃除と洗濯を片付ける。12時に家を出て、新治・旧奥津邸へ。
 1時、里山ボランティア講座<夏コース>のリーダー講習がスタート。この講習は、来週から始まる夏コースに向けて、作業リーダーとなる市民の森愛護会のメンバーを対象におこなったものだ。愛護会からの参加者は7名と少なかったけれど、本番には10名ほどの参加が見込めるので大丈夫だ。当日の作業は5班に分けて実施するので、今日は5班のリーダーとサブリーダーを定めた。1~2班は、林床植物に配慮しながら草刈りをするのに対して、3~5班は、クズに覆われた土手の草をばりばり刈っていく。僕は4班にスタッフとして関わることになった。
 3時頃、講習は終了。その後、浅羽さんとともに、ラベンダー畑へ行った。刈り残っていた新しい枝を伐るためである。かがんだ姿勢のまま、刈り込みばさみを持って枝を伐る作業は意外にきつく、1時間半も続けると体に堪えた。
 畑のラベンダーを一通り刈り込んでから、6時に旧奥津邸を出る。町田で買い物をしてから、8時頃、友だちの家を訪ねる。今週は、世界水泳で寝不足気味だったため、夕食後に眠くなり、うたた寝。そのまま、就寝。

7月27日(日)

 11時頃、起床。昼食後、持参したノートPCを起動させ、論文の校正を始める。しかし、積み残している作業が気になって集中できず、途中で止める。その代わりに、7/2のSNECSでの聞き取り、7/19の琵琶湖博物館での聞き取り、7/24の久田での聞き取りを走り書きしたフィールドノートを、きちんとまとめることにした。友だちの家にこもったまま、陽は落ちていく。
 夕食にナスとピーマンとベーコンのスパゲティを食べ、8時からは『武蔵』を見て、昼の作業の続きを終わらせてから、寝る。

7月28日(月)

 10時、NORAへ。先週中に解放されたはずの仕事を、個人的なミスのために、またやらないといけないことに。
 先週7/23(水)に、里山のボランティア講座<夏コース>の申込みを締め切った。定員50名のところ、130名ほどから申込みがあったので抽選をおこなった。その結果を通知する手紙を送付したところ、何通か戻ってきたものがあった。調べてみると、宛名を入力ミスしたことが判明した。明らかに僕の単純なミスである。振り返れば、時間がない中で参加申込者の情報を入力していたので、全然、チェックする暇がなかった。今週末8/2には、講座が始まるので、急いで住所を確認した。確実に仕事をこなさねば・・・。
 日中、自然環境保全センターの中川さんから何度か電話をいただき、来月から、どの程度働くのかをやりとりした。結果、週に3日のペースで働くことになりそうだ。NORAの仕事と自然環境保全センターの仕事、さらに神奈川県からはバイオマス関連の調査(県西・北部におけるバイオマス発電・熱利用等の導入可能性調査)も舞い込んできている。加えて、助成金を獲得した「市民による里山学」の調査研究と学術的な環境社会学の論文執筆も、並行して進めないといけない。計算してうまく仕事しないと、そのうち混乱してしまいそうだ。
 7時半頃、仕事を終え、9時頃に帰宅。夕食後、入力作業のような、単純なことができないことに嫌気がさし、ヘコんでいた。

7月29日(火)

 9時前に家を出て、10時にNORAへ。午前中は、メールのチェックや、午後の打合せに向けた資料作り。12時半にNORAを出て、「CLOVER」で昼食をとり、そのまま関内に向かう。
 1時半、横浜市役所へ。今日の打合せには、新治・旧奥津邸の活用検討会議に関わる担当者が全員集まった。すなわち、公園部運営改善課、西部公園緑地事務所、緑政部緑政課、農政部農業振興課、北部農政事務所、それにNORAで、総勢13名である。議題は、検討委員10名の選考と、この10名と地元関係者10名に配布する事前説明資料についてであった。まずは、説明用資料の内容を詰めて、いよいよ検討委員の選考が始まった。将来、旧奥津邸の運営を担えるような人であり、かつ周辺の農地・緑地と一体となった活用を考えられる人という条件で選んだところ、40~50代のやる気のある人を集めることができた。後は、来月23日の初回を待つばかりである。
 4時に打合せは終了。NORAに戻り、明日の特別講義に向けて、パワーポイント・ファイルを作る準備を始めた。具体的には、いくつかの文献から、説明に役立つ図表をピックアップして、それをスキャナで読み込むという作業である。ちまちまとそんなことをやっていると、7時前からNORAの理事会が始まった。集まったのは、浅羽さん、馬場さん、それに監事の山崎さん。山崎さんとは初対面だったので挨拶した。僕は単なる事務局スタッフなので理事会には出ず、せっせとスキャナで画像を取り込んでいた。
 8時前、丹治さん来訪。来月下旬からNORAでの仕事を減らす関係で、僕が今やっている仕事を丹治さんに引き継ぐことになっている。そのために、今日は事務所まで来ていただき、どういう仕事をお願いするのかを説明した。快く引き受けていただけたので、ほっと一安心。
 8時半、事務所を出る。帰宅途中、空腹に耐えられず、仲木戸駅近くの讃岐うどん屋で夕食をとるも、さして美味しくはない。本場の讃岐うどんは、こんなものではなかろう。10時に帰宅。

7月30日(水)

 7時、起床。8時から、午後の講義のために資料を作り始める。昨晩、大量にスキャンした画像を適当に配置しながらパワポを作ると同時に、与えられた1時間半で何を話そうかと思案する。10時半頃にはレジュメも完成させ、後はCDに焼き付けて、プリントアウトするだけとなる。
 しかし、そこからが手間だった。まず、CD-RWがおかしくなった。電源を入れても、きちんと動いてくれないのである。こういうときは冷静になった方がよいので、いったんPCとCD-RWの電源を落とし、再起動してから落ち着いてUSB接続すると、動くようになった。ところが、CDへのコピーを終え、レジュメを印刷しようとしたら、今度はプリンタがおかしくなった。しかも、再起動したり、ドライバを再インストールするなど、いろいろとトライしてみたが、うまくいかず、結局、NORAでプリントアウトすることにして、12時に家を出る。
 1時過ぎ、NORAに到着。さっそく、家で印刷しそこねたレジュメをプリントアウトするが、またしても手間取った。何度もプリンタが紙詰まりを起こすので、相当にムシャクシャした。興奮したためだろう、久しぶりに来たワイシャツは、汗でぐっしょりと濡れて、不快指数は最高潮になった。とは言え、機械に対して腹を立てても仕方がないので、努めて冷静を装い、2時半には、すべての準備を整えて事務所を出た。
 3時過ぎ、高島町にある田村学園横浜経理専門学校に到着。7階の会議室に案内されると、県科学技術振興課の下元課長代理が、県の新エネルギービジョンについて説明していた。3時20分、下元さんの講義は終了。10分間の休憩に入る。その間に、資料を配り、パワポの設定をしようとするが、ここでも小さなハプニングが生じた。用意されていたノートPCでは、焼いてきたCDが読めなかったのである。聞けば、古いノートPCでは、CD-RWは読めないのだという。しかし、CD-RWをCD-Rに焼き直すことができたので、なんとか無事に講義をスタートさせることができた。
 この講義は、田村学園の公開講座「環境実務講座」の中でおこなわれた。今日のテーマは、「神奈川県のエネルギー問題とバイオマス」。僕は、下元さんの後を受けて、3時半から5時まで、バイオマスのイロハから、全国的なバイオマス導入の動向や課題、県内の動向などを、かいつまんで話した。はじめて、木質ペレット燃料を見たという方がほとんどで、受講生は興味津々に話を聞いていたようだった。ただ、けっこう念入りに準備をしてきたにもかかわらず、受講生が14名しかいなかったのは淋しかったが。
 5時に講義は終了。講義に招いてくださった田村学園の高井さんから謝礼をいただき、会場を後にする。高島町から横浜市営地下鉄に乗り、新横浜駅で横浜線に乗り換えて中山駅へ。6時過ぎ、緑区役所に到着。今晩は、里山のマネジメント研修の3回目、最終回があった。先週は、NPOのミッション作りがテーマだったのに対して、今週は、組織でミッションを作るためのファシリテーターの役割がテーマだった。個人的には、いわゆる市民社会が形成されていない場において、ファシリテーターが果たせる役割があるのか懐疑的である。だから、地域社会を知るために、沖縄でフィールドワークをやったりしているのだけれど、エリート社会では、ますますファシリテーターの必要性が高まっているという現実がある。かりにエリートが人口の1割を占めるとすると、その1割のエリートにとって必要なものではなく、9割の非エリートにとって必要な道具を揃えないといけないように思う。
 9時、研修はおしまい。その後、NORAスタッフと、山田姉妹、浅羽さん、田並さんと夕食に。11時前に食事会を終え、12時前に帰宅。

7月31日(木)

 起きたら9時だった。今日はNORAに行かず、東大出版会から出る本に載せる論文を校正する日となった。しかし、その作業に着手する前に、昨日、故障したプリンタを直すことにした。何度か再インストールするが復活しないので、、hpのコールセンターに電話して、スタッフの指示通りにやってみると、使えるようになった。ときに、サービスセンターは役に立つ。
 3時、家を出て、久しぶりに大学に向かう。4時過ぎ、大岡山キャンパスに行き、来週の合宿に向けて学割を取る。大岡山駅前の東急ストアで夕食を買い込んでから、5時頃、研究室に到着。その後、夜を徹して、ひたすら論文の校正に時間をかける。

TOP(日々の表現)雑記日記(2001/2/8-2003/8/25)

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