日記帳|2002年4月

4月1日(月)

 いよいよ新学期。新しくできた自宅の近くの保育園は、今日が開園式であり入園式である。そこの前を通るだけで、新しいスタートが始まる、というエネルギーを感じる。この保育園ができたことで、自宅から徒歩2分以内に、保育園、幼稚園、小学校、デイサービスセンターがあることになる。もし、中学校も近くにあったなら、こんなに住み良いところはないだろう。まあ、僕には関係のないことだけど。
9時頃、電話が鳴る。恩田の谷戸ファンクラブの高橋さんからだ。電話での打ち合わせにより、会計のことでやり取りをしましょう、ということになり、10時半、玉川学園駅で待ち合わせる。シャワーを浴び、身支度を整え、待ち合わせ時間に駅へ。駅前のドトールで30分程度、話し合う。11時に高橋さんと別れ、自由が丘へ。ここで昼食を取ってから研究室に到着。
 持参したノートPCを大学のネットワークに繋ごうとするも、うまくいかない。M1の学生にヘルプを求めるが、やはりうまくいかない。むー。
 夕方、借用している図書のコピーをまとめて行なう。今日中に、図書を返却しようと予定していたが、ネットワーク接続のトラブルに時間をとられてしまったので、明日以降にしよう。
 9時頃に研究室を出て、自由が丘で夕食をとり、11時に帰宅。手応えのない1日であった。

4月2日(火)

 花粉症対策として、2ヶ月以上布団を干していなかった。しかし、一時期に比べると、花粉の飛散量も少なくなっているようなので、午前中、久しぶりに布団を干すことにした。ベランダに出ると、大きなくしゃみを2つ。どうやら、今日はかなり花粉が飛んでいるらしい。こんなときに、布団を干したら、寝るときに花粉を吸って大変なことになるのではないだろうか。そういう不安を覚えつつも、1時過ぎまで布団を干して、それを取り込んでから外出した。
 昼食は、最寄り駅に近いイタリア料理店で、ランチ・バイキング。3時頃、大学に行き、図書館で取り寄せた本を受け取る。その後、大岡山から目黒線と営団南北線を使って溜池山王へ。(財)沖縄協会で先月借用した本を返却する。5時頃、研究室に戻る。
 夕方、丸ちゃんと会話していたら、なぜか「おさかな天国」の話になった。最近、一番驚いたことは、「おさかな天国」がオリコン初登場3位になったことである。ネットで調べたところ、この歌は1991年に水産庁の普及事業で作ったとのことだ。メジャーデビューする前は、全漁連からの直接販売によって、細々と売られていたようだ。1998年には、「探偵ナイトスクープ」にも取り上げられたというから、マニアの間では静かな息の長いヒット曲として知られていたらしい。それが、口コミやネットを通じてじわじわと広がり、今回のメガヒットとなったようだ。
 この歌は、自宅近くのスーパー「三和」でも、鮮魚売場に足を運べば、必ずエンドレスでかけられている。いつも、「魚を食べると、頭が良くなる」という単純なフレーズに嫌悪感を抱きながらも、歌手の脳天気な歌い方になぜか癒される。丸ちゃんと、「おさなか天国」の話をしていたら、急にスーパーでこの曲を聴きたくなって、7時過ぎに研究室を出る。8時半、自宅近くの「三和」に着き、鮮魚売場で「おさかな天国」を聴く。DHAはドコサヘキサエン酸。
 夜、『社会学評論』の最新号を読む。この号の特集は、「ミクロ・マクロ問題への挑戦」で、5本の論文が掲載されている。このうち、奥村隆「社会を剥ぎ取られた地点」は刺激的だった。太郎丸博「社会階層論とミクロ・マクロ・リンク」は主張が明快で良かった。

4月3日(水)

 ここ数日、なぜか眠くて、集中力が出ない。たぶんストレスのせいだろうと自己診断し、2時頃まで寝る。よく寝たので、頭がすっきりした感じだ。3時、自宅近くにある市立博物館で「養蚕機織図」展を見る。ここは、入場無料なのが嬉しい。
 最近、僕は密かに養蚕に興味を抱いている。その理由は、3つある。1つは、かつて八重山で養蚕が盛んだったこと。2つは、町田でも養蚕が盛んだったこと。3つは、松井先生や佐治さんが蚕の民俗に関心をもっていること、である。なんとなく養蚕を調べることで、これまで研究に一本の筋を通せるような気がしているのだ。まったく根拠はないのだけれど。
 博物館を出て、それから古本屋を4軒ハシゴする。ブック・オフ2軒と成美堂書店と高原書店である。結局、ブック・オフ町田中央店で3冊と高原書店で1冊の古本を購入した。6時、「三和」で買い物。もちろん、「おさかな天国」は、今日もエンドレス。
 帰宅してから、ジャイアンツファンでもないのに(もちろん、ドラゴンズファンでもない)、なんとなく読売×中日を見る。ジャイアンツの今季初勝利を見届けてから、キーマカレーを作って、これを食べる。夜、ブック・オフにて100円で買った遥洋子『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』を読む。ときどき、声を上げて笑った。研究者が外側からどのように見えているのかが分かって面白かった。「あえて東大を批判すれば・・・」のなかの、上野先生との会話にはしびれた。

4月4日(木)

 昼過ぎに研究室へ。その場にいたメンバーで、今年度、研究室の机の配置をどうするかを話し合う。研究室には意思決定機関がないので、こういう議案をいつどこで話し合ってよいのか不明だ。いつも、たまたま研究室に来ているメンバーが、適当に決めることになってしまう。
 6時過ぎ、研究室を出て経堂の実家に向かう。大井町線の等々力駅で降り、そこから用賀経由のバスに乗って桜丘中学バス停で降りる。バス停から強風のなか15分ほど歩くと、実家にたどり着く。
 今日、実家に寄ったのは、お袋から家に来ないかと誘われたからだ。ちょうど今、実家では竹垣を作り直しているところである。普段仕事で家を空けることが多いお袋が、今日はたまたま休みだったので、植木屋さん2人のために豪勢なお弁当を用意したという。それが余っているので、食べに来ないかという誘いだったのだ。
 実家で夕食をとっていると、日本の竹ファンクラブの平石さんから電話が入る。先月下旬に開いたフォーラムの記録を、早急に仕上げるようにとのこと。こういう仕事は、たいてい若いモンがやることになる。
 食後、弟が最近送ってきたという甥の写真などを見ながら、お袋とトーク。10時頃、実家を出て、帰宅。

4月5日(金)

 昼頃から、NEDOの報告書作りに向けて、自宅で事務作業を行なう。事務局を置かせてもらっているNORAとの連携が悪く、吉武さんには多大な迷惑を掛けてしまった。今後、情報の共有化について話し合わないといけない。
 ところで、先月、予定外の収入があった。それ以来、そのお金で買い物をしようと考えていたが、余裕がなかったので今日まで何も使わなかった。でも、今週は一時的な解放感に浸っているので、夕方、買い物に出掛けることにした。
 4時頃、町田に到着。まずは靴を物色。ここ2年ほど靴を買っていないので、穴の空いたものばかり増えてしまい困っているからだ。近頃の陽気に誘われてオリーブ色のスニーカーを購入。次に鞄を見る。鞄も穴が空いて使い物にならなくなっていて困っていたのだ。自分としてはかなり奮発して、モスグリーンの手提げバッグを購入。半年の間、靴と鞄が欲しいと思っていたので、念願が叶い満足、満足。
 夜、好井裕明『批判的エスノメソドロジーの語り』を読了。この本は2部構成になっていて、前半が「エスノメソドロジーを語る」、後半は「差別の日常を読み解く」である。後半には面白い論考もあったが、前半は重複して語られることが多く、冗長に感じる部分がおおかった。表紙に使われている障害者の絵は楽しいけれど。

4月6日(土)

 11時、恩田の谷戸に到着。午前中の作業は、今月末に行なう伏せ焼きのための準備である。つまり、適当な長さに伐った竹を、四つ割りにして乾燥させるのだ。今日の参加者は、6人と少な目だったけれど、順調に作業をこなし、準備作業は終了。昼食および休憩をとる。
 午後、通称で雑木林広場と呼んでいる広場の近くに小さな畑をつくり、ここにイモを植える。樋口さんが用意したイモは3種類。八頭、京イモ、里芋である。畑を耕し、畝をつくり、3種類のイモを植えてゆく。収穫が楽しみだ。
 3時半頃、谷戸で解散し、4時過ぎに帰宅する。それからシャワーを浴び、5時過ぎに再び外出。今晩は、カジュアルなパーティー(通称・三十路の会に参加するのだ。小田急と横浜市営地下鉄に乗って蒔田駅へ。6時半、パーティー会場の田並邸に到着。すでに10人以上の男女が集まっていた。当初の予定では、今日、花見をする予定だった。しかし、すでに桜が散ってしまったので、室内パーティーを催すことになったのだ。最終的には17人くらい集まったのだが、初対面の人とはほとんど話す機会をつくることができず、11時になったので帰ることにする。1時頃、帰宅。

4月7日(日)

 今日はよく寝た。眠りすぎると、さらに眠くなるようだ。今日1日でやったことといえば、「鉄腕ダッシュ」の再放送とスペシャルを見たことくらいか。寝るときにベッドで和賀正樹『ダムで沈む村を歩く』を読む。この本で取り上げられているダムとは、岡山県の吉井川を堰き止めて建設されている苫田ダムのことだ。このダムも、建設の大義名分がくるくる変わったという意味で、諫早湾の干拓事業と同じ構図がみられる。基本的には、公共事業によって必要のないダムが建設されることのおかしさを問う本であるが、副題に「中国山地の民俗誌」とあるように、民俗学的な視点から沈みゆく村を記録することにも多くの頁を割いている。それはそれで面白いのだけれど、旧建設省による公共事業への批判とうまく繋がっていない。

4月8日(月)

 今日も、郵便局で用事を済ませた以外は、家にこもりっきりだった。奨学金が振り込まれる前なので、財布にお金がほとんどない。このため、外出を控えて、出費を抑えたいのだ。
 鶴見和子・川田侃編『内発的発展論』を読む。西川潤、武者小路公秀、室田武・槌田敦、村井吉敬、中村尚司など著名な学者が寄稿しているが、全体的に散漫な印象。ただ、鶴見さんだけが、内発的発展論の理論化に向けて、まとまった考えを述べている。古本屋で安く売られているのも納得の内容だった。
 夜、フランスに留学しているキノピーからメイルが届く。まだ向こうに行って間もないから、戸惑うことも多いことだろう。持ち前の体力を生かして、1つひとつ課題をクリアしていって下さい。

4月9日(火)

 昼過ぎに研究室へ。2時から、今年度最初のゼミに参加する。研究室は、昨年度と比較して5減7増。B4とM2がそれぞれ6人ずつなので、今年度のゼミは論文指導に追われそう。しょっぱなから、中国からの留学生・江さんの報告があった。中国国内の教育問題、とくに、農村部における小中学校の中退問題を卒論で取り組みたいという。今年度は、中国からの留学生・研究生が3人いるし、イコマロも中国の教育問題を扱うらしいので、ちょっとした中国ブームになりそう。
 3時半頃、初ゼミ終了。部屋に戻って、机の配置換えを行なう。普段、自分が居る408Aは、昨年度まで助手の橋本さん、丸ちゃん、キノピー、僕と4人だった。しかし、今年度はキノピーが抜けて、M1の2人が入ることになったので、多少レイアウトを変更することにしたのだ。僕と丸ちゃんは、机周辺が要塞のようになってしまっており、移動するのが困難なので、わがままを言って机を移動させなかった。このため、全体としては、へんてこりんなレイアウトとなり、部屋の扉を開けて橋本さんのところに行こうとすると、S字カーブを描いて行かなければならなくなった。ちょっと楽しくて、良いんじゃない。
 7時頃、空腹感を覚えたので、何か食べ物を買いに行こうと財布を探すが見つからない。どうやら、自宅に置いてきたようだ。その後、新しい研究室のメンバーを迎えての非公式な飲み会に誘われたけれど、財布を忘れたのでパス。8時過ぎに、研究室を出る。
 9時頃、帰宅。夕食にカレーを作って、これを食べる。メイルをチェックすると、アリスセンターから「らびっとにゅず」のデータが届いている。発行予定日は5日だったので、大急ぎでこれを編集して発行。偏頭痛が酷いので、早めに就寝。 

4月10日(水)

 2時過ぎにNORAへ。神奈川森林エネルギー工房の事務にかんして、吉武さん、土屋さんと打ち合わせ。結局、情報の共有化のために、僕が週1のペースでNORAに行くことになった。
 打ち合わせ終了後、前田くんも含めて4人でトーク。公共事業の受注についてや、貨幣経済が浸透しているところでの自律性の保ち方など、思いつくままにしゃべる。どういうきっかけだったか忘れたけれど、環境民俗学という学問領域があることを話したら、ほかの3人の興味を引いた。里山のような二次的自然について考えるとき、文化は無視できないファクターである。だから、環境民俗学や人類生態学などの調査によって得られる成果、つまり、人と自然とのかかわりの記述は、環境問題にかかわる実践にとって役立つことも多いだろう。しかし、安直に文化を運動に動員することは避けるべきと考える。
 夕方6時前、NORAに勝野さんが登場。ケーキやパンを差し入れていただいた。どうもごちそうさまでした。
 7時、よこはまの森フォーラムに関係するメンバーが集まり、今後のフォーラムについて協議。久しぶりに顔を会わせたためだろうか、およそ2時間しんどい議論が続いた。9時過ぎに、打ち合わせ終了。近くの食堂で軽く飲んでから、12時に帰宅。

4月11日(木)

 日本育英会からの奨学金は、毎月10日頃に振り込まれる。しかし、年度が替わる4月は、いつもより10日ほど遅い19日に振り込まれる。これは、かなり深刻な問題だ。なるべく、家でじっとしてお金を使わないようにする必要がある。そういうわけで、今日も家で作業をする。
 午後、大塚プロジェクトの研究メンバーとして課せられている仕事をこなす。これは、開発の事例集をつくるために、それぞれがフィールドで集めた事例をフォーマットにしたがってまとめるというもの。先月末には終えていなければいけなかったのが、ついずるずると引き伸ばしてしたら、一昨日、事務局から催促のメイルが入ってしまった。申し訳ない。今日は時間があったので、小浜島と西表島の開発事例をまとめ、メイルで送信しておいた。
 夜は、日本の竹ファンクラブの仕事。先月21日に行なったフォーラムの報告を書く。与えられたスペースはA4で2枚。短い時間ではうまくまとめることができず、7割方書いたところで、後日、改めて書くことにする。
 深夜、自分のサイトの掲示板を見ると、久しぶりに書き込みがあった。キノピーからだった。嬉しかったので、すぐさまリプライを書く。サイトを運営している者にとって、他人からの反応は、大きなエネルギーになります。

4月12日(金)

 12時過ぎ、東大の東洋文化研究所に松井先生を訪ねる。先月末に送った原稿と今年の調査について、相談する機会を持ちたいと思ったからだ。原稿については、まだ丁寧に読んでいないということだったので、後日、修正要求をいただくことになった。今年の調査については、年末までに東大出版会から出す本に論文を載せることを念頭に置いて、8月までに3週間程度、八重山に行くことになった。今年度は、大塚プロジェクトの最終年度なので、現地調査よりも、データのまとめ、および論文の執筆に時間を掛けることが求められているようだ。
 打ち合わせを終え、松井先生と昼食を取る。その後、GISのことで相談しようと、急遽パハリさんを訪ねるが、あいにく海外出張でいらっしゃらなかったので大学に戻る。研究室に着くと、早乙女さんから小包が届いていた。サモア産のココアだった。いやー、嬉しい。サンキューです。それから、数理社会学会に提出した書評論文の校正を済ますと、もう夕方。その頃、イコマロが僕のところに来て、今晩、カルロスの部屋で予定されているパーティーに参加するかどうか尋ねた。持ち金が2,000円弱しかなかったので、参加しない予定だったが、丸ちゃんやイコマロが行くというので、一緒に行くことにした。
 今晩のパーティーは、参加者が食べ物や飲み物を持ち寄るスタイルなので、7時過ぎに研究室を出て、自由が丘のピーコックで買い物をすることにした。駅からピーコックに向かって歩いていると、偶然、オーストラリア留学から先月帰国した勝田さんに出会った。彼女と簡単に挨拶して別れ、ピーコックでワイン、枝豆、サラダなど、適当に買いそろえる。そして、パーティーには8時以後に来るように言われていたので、カルロスが住んでいる等々力のマンションまで歩くことにする。自由が丘から大井町線で3つ先の駅が等々力なので、歩くと40分ほど時間がかかった。地図を参考に、彼の住むマンションを突きとめ、いざ呼び鈴を鳴らしてみると、反応がない。どうやら、買い物にでも出掛けているようだ。しばらく待っていると、カルロスがやって来て、丸ちゃんとイコマロと僕を迎え入れてくれた。
 部屋は荷物が少なく、こぎれいだった。パーティーがこれから始まるという特別な用意もされていないので、これからどんな人が集まって、どういう感じのパーティーとなるのか予想もつかなかった。そこで、カルロスに「これから何人集まるの?」と尋ねると、「20人くらい」という答え。9時近くになって、まだ4人しか集まっていなかったので、この回答をにわかには信じられなかった。しかし、次第に人々が集まってくる。まず、カルロスと同居しているオランダ人のマーク。次に、メキシコ人のカルロス、エクアドル人のフランシスコ、グアテマラ人のガブリエルという中南米トリオ。さらに、ジミーやパトリシアなどコロンビア人が4人。こうなると、スペイン語中心に会話が進むので、まったく訳が分からない。けれども、夜が深まるにつれて、欧米の人々がやって来て、状況も変わってきた。アメリカ人のハート以外、酔っぱらっていたのでもう名前を忘れてしまったが、マークと同じオランダ人や、ドイツ人やフランス人などが集まり、とても国際色豊かなパーティーとなる。大雑把に分けると、カルロスの友だちは中南米、マークの友だちは欧米が中心のようだ。いろいろな外国人と話をしていたら、いつの間にやら12時過ぎ。慌てて、イコマロとともにパーティー会場を後にする。
 部屋を出てみると、自分がかなり酔っぱらっていることに気付く。等々力駅でイコマロと別れ、二子玉川経由で帰ることにする。武蔵溝ノ口駅で南武線を待っていると、かながわ環境教育研究会の安芸さんと遭遇。何か話をしたように覚えているが、その後の記憶はなく、気が付くと乗り過ごしており、町田駅で降りる羽目に。もう上りの電車はあるはずもなく、またタクシー代も持ち合わせていなかったので、自宅まで約3キロの道のりをおぼつかない足取りで歩く。帰宅したのは2時頃。

4月13日(土)

 8時に起床。予定では、関内の大通り公園で開かれるスプリングフェアに参加するつもりだったが、最悪の二日酔い状態だったので、キャンセルする。その後も、酷い頭痛で何もできない状態が続く。仕方なく、ベッドで横になる。
 午後になって、やっと動けるようになったので、積み残したままになっていた日本の竹ファンクラブの仕事、すなわち、先月開催したシンポジウムのレポート作成を済ませる。すると、真夜中。今日は二日酔いのために潰れたような日だった。飲み過ぎには気を付けよう。
 深夜2時頃、そろそろ寝ようかと思い、レポートを印刷しようとする。が、なぜかプリントアウトできない。どういう理由かわからないが、急にプリンタが稼働しなくなったのだ。その後はプリンタとの格闘。ドライバを再インストールしたり、それでもうまくいかないので、各種設定を変更するなどして、いろいろと手を尽くしていたら、徹夜になってしまった。

4月14日(日)

 徹夜明けの朝7時頃、やっとプリントアウトできた。そのまま寝ずに、8時半に外出。横浜市営地下鉄の板東橋へ向かう。昨日から今日にかけて開催されるスプリングフェアに参加するためだ。
 10時、イベント会場に到着。今回、神奈川森林エネルギー工房としてはブースを押さえていなかったので、NORAのブースの一角を借りて、物品を販売することになった。僕が着いたとき、すでに浅羽さんや田並さんは先に来ており、その後、前田くん、土屋さん、吉武さんのNORAスタッフも到着した。僕が持ち込んだ品物は、絵本『里山天使』とペレットの焼却灰。ともに、あまり買い手が多くない物品なので、NORAの販売の手伝いなどをして時間を潰す。飲み物の販売を行なったNORAは、飛ぶように売れて、午後2時頃には完売。僕は、3時過ぎまで掛けて、ペレットの焼却灰を完売し、絵本も5冊売ることができたので、まあ良しとしよう。
 3時半、NORAスタッフと別れる。お腹が空いたので、横浜橋商店街で食べ物屋を探すと、タイの屋台料理を扱っているお店があったので、そこに入る。いざ入店すると、そこはほとんどタイ人だけという空間で、在日タイ人の交流の場となっているようだ。ここで、タイの美味しいカレーを食べて、昼食とする。4時過ぎ、地下鉄で北上し中川駅で下車。西地区センターに行く。ここで、日本の竹ファンクラブの平石さん、田中さんと合流し、そのまま居酒屋へ。早朝印刷したシンポジウムのレポートを平石さんに差し上げるとともに、8時過ぎまで飲む。10時頃に帰宅。
 夜、スポーツニュースで、ロッテが11連敗を止めたことを知る。ロッテはファンの応援の仕方が格好良いので、陰ながら応援しているチームである。こういうチームが強くなると、プロ野球も面白くなるはずだと思っているので、これからの巻き返しに期待したい。ついでにロッテ関係の話。深夜、「GET SPORTS」を見ていると、ロッテの渡辺俊介投手の特集があった。彼は、現在極めて稀となったアンダースローである。それだけでも面白いのだが、その彼がジャイロボールという一種の魔球を投げるという。そのことにいたく感激して、ネットで「ジャイロボール」を検索してみると、かなりいろんな情報がある。これからは、ジャイロボーラー・ロッテの渡辺俊介投手に注目だ。

4月15日(月)

 1時、お袋に呼びつけられて、経堂の実家に到着。すぐに、美登利寿司で寿司を御馳走になってから、再び経堂の家に戻る。
 お袋に呼びつけられたのは、次の理由による。すなわち、彼女のパソコンが約1ヶ月前に急に動かなくなったので修理してもらったところ、ハードディスクが交換されて返ってきた。しかし、いざ起動させようとしても、立ち上がらない。それはそうだ。ハードディスクには、何も入っていないのだから。そこで彼女は考えた。サービスセンターに電話して、パソコンが使えるように操作することは可能だが、そんなに時間がない。そこで、暇そうにしている僕に白羽の矢が立ったというわけだ。
 さて、いざソフトの再インストールをしようとすると、これが結構面倒くさい。まずウィンドウズの再インストール。これに1時間以上はかかる。それから、オフィスをインストールし、プリンタドライバをインストール。さらに、インターネットと接続できるように、環境設定を行なう。途中、手間取ったこともあって、全部で、かれこれ4時間程度はかかったのではないだろうか。
 8時過ぎに経堂の実家を出る。近くの古本屋で、社会学関係の本を2冊購入。10時頃に帰宅。

4月16日(火)

 1時半から始まる研究室のゼミに参加。卒論生4人が発表。まだ構想段階なので、焦点の定まっていないものがほとんどだったが、そのなかでも子育てに関心を持つ1人の発表は良かった。みなさん、ユニークな研究をして下さい。
 3時半にはゼミ終了。その後、今晩予定されているプレ新歓パーティーのための用意を始める。パーティーでは、留学生の沈さんが餃子を、カルロスがアボガドサラダを作る予定。さっそく、丸ちゃんと留学生2人とともに、自由が丘の東急デパートに買い出しに出掛ける。しこたま材料や飲み物を買い込み、5時頃に研究室に戻る。それから料理スタート。留学生に任せきっりでは悪いので、僕はミートソースをつくり、ほかの人は沈さんの餃子づくりの手伝いなどをする。7時、アボガドサラダとミートソースは完成。カケコさんが用意してくれた総菜もある。皮も手作りした沈さんの餃子も、焼くか茹でるかすれば食べられる状態になったところで、いざパーティー開始。まずは、カルロス特製のアボガドサラダを食べる。茹でたジャガイモに爽やかなアボガドソースが絶品。そして、沈さんの焼餃子&水餃子。これも、味がしっかりついていて美味い。特に、皮のぷりぷり感が素晴らしい。ビールを飲みながら、こうした品々に舌鼓を打っていると、あっという間に時間が過ぎ去る。みんな腹一杯食べたものの、用意した量が多すぎて、余った餃子の餡とミートソースは冷蔵庫に保存し、明晩、パーティーの続きを行なうことにした。
 夜11時を過ぎ、池ポン、丸ちゃん、イコマロらとトークをしていると、次第に深みにはまってゆき、話の輪から抜けられない状況になる。このため、終電を逃して、研究室に泊まることに。2時頃、イコマロと2人だけになって、それから約6時間トーク、トーク、トーク。徹夜しちまった。

4月17日(水)

 8時過ぎに研究室を出る。自宅に帰り、10時頃、床に就く。目覚めると3時半。6時に家を出ると、7時ちょうどに研究室へ。ここに置いてあるテレビで、サッカー「日本×コスタリカ」を観戦。アントラーズファンの僕としては、小笠原や柳沢が十分に働けなかったことが残念。結果は1-1の引き分け。コスタリカの早い守備に苦しめられ、今ひとつスッキリしない内容に消化不良。
 9時、サッカーが終わった頃に、沈さんがいらっしゃった。夜遅いけれど、昨夜のパーティーの続きを始める。今日の参加メンバーは、沈さん、イコマロ、池ポン、僕の4人。それでも、大量の餃子とミートソーススパをつくり、これを食べる。餃子の量が多すぎたため、4人では食べきれず、隣の坂野研の学生を呼んで、彼に餃子を食べてもらう。昨夜の教訓を生かし、今日は終電で帰る。

4月18日(木)

 2時頃、蒔田にあるNORAへ。神奈川森林エネルギー工房発行の報告書作りのため、原稿の最終確認を行なう。これで、原稿の準備は整ったので、明日、イラストと合わせれば入稿できる予定。
 夕方、スタッフの休憩の時間に、土屋さんを中心にしてNPOの役割、特に、コンサルティングとコーチングの違いについて議論する。また、NPOが資金を集める方法としてのオルタナティブ・ウェイや端数クラブなどについて話題を提供していただく。土屋さんのように、NPOの現場にいながら、理念的に頭を働かせている人は少ないので、面白い話だった。一方、吉武さんは体調が悪く辛そうだった。お大事に。
 6時半過ぎ、NORAを出て、エネルギー工房の運営委員会の出席するため、かながわ県民活動サポートセンターへ。7時の定刻を少し過ぎてから、運営委員会を始める。今日の議題の中心は、来月から始める出前サロンについて。佐々木さんのお陰で、来月からネットワーク型のサロンを始めることができる。どういう形に発展するか不明だが、NPOが出会うときのエネルギーが新しい形に成就することを願う。9時に運営委員会は終了。横浜家でラーメンを食べてから、11時前に帰宅。
 NORAにいるとき、朝掘りタケノコをいただいたので、これを湯がいて食べる。実は、生まれて初めてタケノコを湯がいたのだけれど、吉武さんに湯がき方を教えてもらったので、とても美味しく食べられた。ありがとう、吉武さん。

4月19日(金)

 1時頃、NORAへ。1時半、イラストレーターの勝野さんに来ていただき、神奈川森林エネルギー工房が発行する報告書の原稿を完成させる。4時過ぎ、NORAの隣にある中村印刷所に行き、入稿しようとするが、ここでトラブル発生。用意した原稿のスタイルが、そのまま版下となるような形ではなかったことが問題となったのだ。つまり、勝野さんの書いたイラストを、僕が用意したテキストの上に濃度指定して合わせるという古い形式で原稿を作成したので、想定していたよりも多額の印刷費がかかると言われたのだ。貧乏所帯のNPOとしては、予算を超える金額を出費できるはずもないので、早急に完全版下を作らざるを得ない状況になる。そこで、いったんNORAに戻って、あらためて入稿することにする。
 さいわい、今日のNORAにはコンピューターに詳しい方が来ていたので、その方からアドバイスをいただいて版下作りに取り組む。フォトショップなどを利用すれば、望んだとおりの版下を作れることが分かったので、地道に10時までかけて作業を済ませる。
 10時過ぎ、NORAを出て勝野さんと飲む。その後、12時過ぎに横浜に出て、珍しくカラオケで熱唱。結局、徹夜して、6時半頃に帰宅。最近、20歳頃のように時間を浪費しているなあ。

4月20日(土)

 昼頃、勝野さんから電話が入る。昨日作った版下を印刷所に入稿したとのこと。これで、GW明けには報告書を完成させることができることになった。先月からずっと作業を続けてきたので、やっと一仕事が終わり、肩の荷が下りた気分。惜しげもなくイラストを描いていただいた勝野さんをはじめ、ご協力いただいた皆様に感謝。
 電話を切って再び寝て、改めて2時に起床。今週は、ずっと変な感じだった。言ってみれば、夢を見ていたら1週間経ったという感じ。腑抜けの状態と言っても構わない。ベースラインにあるのは、1人宙に浮いたような寂しさがある。
 テレビで「鹿島×横浜」を観戦。世間の注目は俊輔に集まっているようだけど、僕の注目は名波。まだ本調子には遠いように見えるけど、W杯には間に合ってほしい。ちなみに、僕が好きなサッカー選手ベスト3は、名波、中田(浩)、小笠原。この3人の共通点は、どこにあるんだろう?
 家にいるときは、たいていネットを見ている。これが、お金がかからなくて良い。特に最近はまっているのは、松田聖子の娘・SAYAKA周辺の動向を追いかけることにある。もうこれは完全にオタクみたいなもんだ。今年に入った頃から、密かに追いかけていたのだけれど、先日のプレ新歓で白状したので、もう隠さなくてもよいだろう。
 さて、彼女のファンを追っていると、これが面白い。SAYAKAと同い年くらいのファンと、松田聖子についているファンが一緒になって、5/9のデビューを応援しているのだ。世代にまたがって1人のアーティストを応援するのは珍しい。それと、明らかに女性のファンが多いことも特徴として挙げられる。まあ、こんな分析はどうでもよい。僕がSAYAKAに興味を持ったのは、彼女の好きな言葉が、「おはよう」と「透明」であったこと。この2つは、僕も好きな言葉だからだ。自分の言葉で、自分の声で表現することは、誰でもすぐにできる。このことに15歳で気付いたSAYAKAには今後も注目だ。
 なんだか告白タイムのような日記になってしもうた。気がつけば朝に。

4月21日(日)

 2時に起床。ちょうど2時から、環境社会学会の例会があり、親しくさせてもらっている都立大の原口さんが発表するので参加する予定だったが、遅刻してまで行くこともないと思い、今日も遠出しないことにする。原口さんならば、発表した内容を個人的に尋ねることもできるし。
 午後は、ネットで助成金について調べていた。沖縄プロジェクトでは、八重山に行く交通費や宿泊費が出るので助かっているが、このプロジェクトも今年度限りで終わる。来年4月以後は、奨学金も貰えないので、自分で資金を調達し、あるいは職を見つける必要がある。大した業績を上げていないことから、研究職に就くのは難しそうだ。そこで、助成金獲得に人一倍燃えるのだ。とりあえず、いくつかの助成金に当たりをつけたので、研究計画書を書いて、応募してみようと思う。
 夕方、雨の中、町田の本屋リブロに出掛ける。ここで、文庫を4冊購入。それと、上野千鶴子『サヨナラ、学校化社会』を座り読み。東大を、学校化社会を、的確に批判する歯切れの良さを楽しむ。
 深夜、NHKアーカイブスを見る。前半はNHKスペシャル「昭和の誕生」、後半は新日本紀行の「新しき村」だった。前半も面白かったけれど、僕が興味を持ったのは後半だった。大正期、佐賀の文学少女が武者小路実篤に心酔し、家出して日向の「新しき村」を訪ね、ここで多感な青春時代を過ごす。その後、村を離れ、静岡で社会福祉事業に40年間携わる。その彼女が、不自由な体で老人ホームのベッドに横たわりながら、「今も心に残る土地」として「新しき村」を懐かしく思い、ぜひ、現況(1974年のこと)を見たいとNHKに葉書を送った。番組は、この葉書に応える形で、当時の「新しき村」の様子を伝える。
 僕は、10代の頃から、白樺派を意識しながら生きてきたような気がする。これは、武者小路実篤や志賀直哉と、血は繋がっていないものの、親類に当たることが影響している。何を隠そう、弟の名前・正直の直は、志賀直哉の承諾を得て、彼から一字もらったものである。また、僕が20代の中頃、つつじが丘のアパートに住んだのも、武者小路記念館・実篤公園が近くにあったことが一因だった。
 それでも、僕には「新しき村」に住もうという気持ちはさらさらない。番組の中で、村を離れた理由を彼女は、社会との接点を持ちたかったからだと述べていたが、それは僕が「新しき村」に関心を示さない理由でもある。それでも、狭い畑で野菜を作り、鶏を平飼いしながら研究活動ができれば、それに濾したことはないと思っている。

4月22日(月)

 またしても午後に起床。先週、定期が切れたので、研究室に行くインセンティブがなくなった。明日は研究室の新歓コンパがあるので、大学に行かざるを得ない。だから、今日は行く必要もないだろう。こう考え、今日も遠出しない。
 3時過ぎ、自転車で「かしの木山自然公園」に行く。公園の中を1週ぐるりと散策するとともに、愛護会の年会費500円を管理事務所「森の家」で支払う。公園を出ると、近くに住む郷土史家・井上さんを訪ねる。井上さんは、かつて成瀬郷土史研究会のメンバーとして『成瀬』という郷土史を編んだ人である。僕が、郷土史『成瀬』に興味を抱いたのは、昨年、偶然に「森の家」でこの本を見かけたときであった。それ以来、購入したいものだと思っていたので、昼頃、井上さんに電話してみた。すると、嬉しいことに「差し上げますよ」というので、譲り受けに行くことにした。4時過ぎ、井上さんの家に伺うと、すでに本が玄関に用意されていた。「役立ててください」という丁重な言葉とともに分厚い本をいただいたので、何度もお礼を申し上げて、その場を後にした。
 夕方、自宅に戻り、カレーライスを作る。最近はキーマカレーに凝っていたが、今日は久しぶりに日本式カレーを作った。今度は、お気に入りのタイ式カレーに挑戦しようかな。
 8時に就寝。12時過ぎに起床。そのまま朝まで起きて、いろいろと作業など。

4月23日(火)

 11時、恩田の谷戸ファンクラブの会計のことで高橋さんに会うために、玉川学園前の駅で待ち合わせ。すぐに高橋さんの車に乗せていただき、奈良北にある東日本銀行で預金を引き落とす。高橋さんに駅まで送っていただき、その後大学へ向かう。
 1時頃、研究室に到着。助手の橋本さんの自転車を借りて大岡山まで行き、郵便局で『里山天使』を郵送。さらに、工学部の人事課を訪ね、日本学術振興会特別研究員の申請書を受け取る。2時前、遅れて研究室のゼミに参加。今日は、M2のうち池ポン、イコマロ、カケコさんが、修士論文の構想を発表した。3人とも、就職活動の合間を縫って練った構想なので、まだ研究の対象と方法が絞り切れていないけれど、それぞれ面白くなりそうな芽はあるように思う。
 4時過ぎにゼミが終了。再び橋本さんの自転車を借りて、大岡山キャンパスに行き、履修届を提出するとともに、マグネットボードを購入。マグネットボードは、研究室の配置および出欠がわかるような図を扉に貼るために買ってきたのだ。6時頃、土場先生に呼ばれ、先生の部屋へ。Lゼミの「フィールドワーク入門」で1回分の講義をするよう依頼され、これを了承。
 6時半頃、研究室のメンバーは集合。今晩は、研究室の新歓コンパがあるので、会場となる自由が丘のアジア料理店まで歩く。店に着くと、矢野先生が乾杯の挨拶。そこで9時頃まで飲食した後、場所を移して2次会。12時過ぎ、終電で帰宅。

4月24日(水)

 今日は、午後から、環境情報コーディネーターの仕事があるはずだった。これは、神奈川県環境計画課から依頼されたもので、毎週水曜日の午後、かながわ県民活動サポートセンターに待機し、環境に関わる市民活動の相談を受けるものである。ところが、朝、県の担当者の白浜さんから電話が入り、まだ決済が下りていないので、延期することになったと知らせが入った。僕の場合は、「はい、そうですか」で済んだけれど、普通の人ならば怒り出すところだろう。しっかりしてね、神奈川県。
 午後、研究室に行き、篠原徹『『海と山の民俗自然誌』を読む。環境問題への民俗の安易な導入への批判、風土への関心、聞き書きの限界と方法としての観察の必要性など、抽象度の高い議論の中に、僕の関心と重なる部分が多かった。具体的な海と山の民俗誌の部分では、海よりも山を生業の場としている人々の記述に興味を引かれた。
 8時頃、帰ろうとすると、研究室に3人いる中国からの留学生のうちの1人・セツさんがいたので話し掛ける。彼女は、今年度から研究生となったのであるが、これまであまり話をしたことがなかったので、昨日もらったドライマンゴーのお礼をきっかけに話し始めた。6畳1間の部屋にルームメイトと2人で暮らしていること、ルームメイトは福建省出身という理由で大学に入れないこと(福建省出身の留学生は、勉強せずに働く人が多いので、日本の大学ではマークされている)、来日2年になるものの自分に勉強の適性があるかどうか不安に感じていること、とりわけ今夏の修士の試験に受かるかどうか不安なことなどを語ってくれた。僕が修士の試験を受けたときは、会社を辞めてから2ヶ月間、人づてに入手した過去問をもとに勉強した。だから、過去問が解けるように勉強したらどうですかとアドバイスしたら、1991年の過去問しか持っていないと言う。今は社会工学専攻のサイトから過去問をダウンロードできることを知らせ、試しに2000年の過去問をダウンロードしてみせた。驚いたことに、セツさんは社工のサイトがあることも知らず、もちろん過去問をダウンロードできることも知らなかった。また、彼女に宛われているパソコンはオンボロで、ほとんど現在の使用に耐えない。隣室にいながら、そういうことすら知らず、また必要なコミュニケートを図っていなかったことを恥じた。
 朝から何も口にしていなかったので、登戸のラーメン屋で夕食を取ってから帰宅。なぜか非常に多くのメイルが舞い込んできていたので、まとめてメイルを書いてから眠る。

4月25日(木)

 10時半、よこはま里山研究所(NORA)に到着。午前中は、韓国から日本の草の根環境NPOを取材に来た李さんの取材を受ける。NORAの土屋さんと、アリスセンターの職員で相模川クラブの事務局も引き受けている川嶋さんと同席だったので、軽い気持ちでやってきたのだが、けっこう話す羽目になる。それというのも、李さんがTRネットに関心を示したからで、恩田の谷戸ファンクラブがTRネットに入っていることから、僕の説明する時間が長くなったのだ。
 通訳の韓さんのコーディネートが素晴らしく、また、李さんが非常に紳士的な人だったため、期待に添えたかどうかは不安だが、取材自体はスムーズに行なわれた。12時を回ったので、近くのお店で松花堂弁当のような弁当を食べながら話し合いを続け、1時過ぎに李さんらと別れた。土屋さんのまとめに従うと、韓国の市民活動の特徴として、一連の民主化運動の流れから生まれているために政治的・戦略的な行動が中心となっていること、日本とは異なって草の根レベルの運動は少ないが、1つひとつの運動組織は大きいことが挙げられる。一方、行政が外郭団体(官辺団体と呼ぶ)を作り、そこで不必要な仕事が行なわれており、NPOから強い批判に晒されているのは日本と同じであるようだ。いずれにせよ、最後に李さんがまとめられたように、これまで草の根レベルのNPOの国際交流が不十分だったので、これから進めていくことは大事だと思う。
 午後、NORAで土屋さんを中心に、前田くん、山田さんとともにミーティング。簡単に言うと、NORAの代表である吉武さんの体調が優れないので、今年度の仕事に協力して欲しいという相談だった。僕は、常日頃、お世話になった人に請われるのであれば、その人のために仕事をしようという構えでいるので、お手伝いさせていただくことになった。具体的には、NORAが神奈川県とともに行なう共同事業、つまり、県内の緑地を手入れする森づくりグループを作るという事業に参加することになった。さっそく、仕様書を見せてもらおうと思ったら、なんと、それがないという。共同事業なので、1つひとつ県とともに考えてゆくというプロセスを取る必要があるからだ。それを聞いて、この仕事はかなり手間取ることを覚悟した。まあ、吉武さんと土屋さんの役に立つならば、それもよしとしましょう。
 今晩は、6時半から、月刊「むし」の編集長である藤田さんを招いて、「NORAサロン」がある。このため、夕方6時頃になり、浅羽さん、田並さん、勝野さんなど、おなじみのNORA界隈の人々が集まってきた。6時半、サロン開始。飲食しながら、藤田さんによる虫屋の話を拝聴。僕は、20代から環境と長く関わってきたけれど、結局のところ、動植物よりも人間に関心がある。このため、ずっと虫と人間との関係を考えながら話を聞いていたが、面白いテーマが浮かんでこない。最近、昆虫食に注目が集まっているが、それ以上に面白いことはないのだろうか。
 9時にサロンは終了。その後、コア・メンバーが残り、さらに1時間程度打ち合わせ。10時半、NORAを出て帰宅。家に着いたのは、12時過ぎ。けっこう横浜から帰ると遠い。

4月26日(金)

 起きたのが午後3時半。5時前に、『里山天使』の郵送および買い物のために家を出て、1時間ほどしてから帰宅。夕食後8時からベッドで横になり、11時に起床。それから朝まで生テレビ?

4月27日(土)

 今日と明日は、恩田の谷戸ファンクラブ恒例の伏せ焼きの日である。今年は、伏せ焼き大臣の久保さんが、仕事の関係で急に前日参加できなくなったので、斎藤さんと須藤さんが中心となって行なわれることになった。
 OYFCでは会計を担当している僕は、福富さんと高橋さんの立替分を谷戸で精算しなければいけない。そのために8時頃から、これまでの会計処理をしていたら少々混乱してしまい、結局、10時過ぎまでかかってしまった。それから、急いで自転車で谷戸に向かったものの、到着したのはおよそ11時。すでに、斎藤さん、須藤さん、藤田さん、高橋さん、福富さん、福田さん、新倉さんが集まっており、宿泊用のテントとタープが張られていた。着いたときは、ちょうど伏せ焼きの実作業が始まるところで、須藤さんと新倉さんは伏せ焼きの窯となる穴を掘り、斎藤さんら残りの人は炭材とする竹のほか、落葉や杉の葉を集めることになった。僕は、必要な材を集めるグループに加わり、集めた竹は長さを切りそろえ、四分割して節を落とし、炭材として成型する。1時頃、昼休みとして休憩を挟み、2時に作業再開。穴の中に2本の敷木を敷き、その上に丁寧に竹を並べてゆく。さらにその上に落ち葉を、その上にトタンを、そして最後に土を盛って窯を作り上げる。、2時45分、着火。窯口で木を燃やし、団扇で煽って火を炉の中に送り込む。ちょうどその頃、炭焼きのベテラン・岩波さんが現れたので、彼の指揮のもと、仕事が行なわれる。4時半、炉の中の炭化が始まったという判断が下され、窯口を小さくする。
 5時半頃だったろうか、会社の仕事を終えた久保さんがやって来た。5月は、休みが取れないほど忙しいというのに、今晩は谷戸で泊まり、明日の窯明けまで付き合って下さるという。まったく有り難い酔狂な人だ。
 窯口を狭くしてしまうと、やるべき作業はほとんどない。煙の水分が少なくなり、色が透明になってきたときに窯口を塞げば良いのである。しかし、なかなか煙の水分が少なくならない。まだ炉内の温度が十分に高くならないうちに、窯口を狭めてしまったようである。結果はどうなることやら。
 深夜、須藤さんと久保さんと焚き火に当たりながら、飲みながら語らう。僕は、あまり話したいこともなく、焚き火に薪をくべて炎を眺めていた。

4月28日(日)

 深夜2時、煙突からもくもくと出てくる煙は未だに湿っぽく、まだ炭化が十分に進んでいないことを伺わせる。それでも、昼頃に窯明けするためには、そろそろ窯口を塞ぐ必要があると久保さんが判断し、窯口を閉じる。しかし、煙突は抜かずに、完全に密閉しないまま夜明けまで待つことにする。その間、僕と須藤さんはテントの中で、久保さんは野外で焚き火の近くで仮眠する。
 5時、寒さゆえに目覚めると、須藤さんも目を覚ましている。テントを出ると、久保さんは起きていた。かなり気温が冷え込んだので、ほとんどみんな寝られなかったようだ。さて、煙の方はというと、相変わらず高い水分を保っている。それでも、昼頃に窯明けするためには、もう窯を完全に密閉しないといけない。そう判断し、煙突を抜いて窯を密閉する。これで、昼頃の窯明けまで何もやることがない。
 焚き火の側で、薪をくべながら徒に時間を費やすが、かなり暇だ。須藤さんが買ってきてくれた朝食を食べてから、久しぶりに谷戸をぐるりと一周散歩する。戻ると福富さんが来ていた。差し入れとして、ドーナッツとコーンスープをいただいた。ごちそうさまでした。その後、高橋さん、福島さん、前田さんがやって来た。僕はあまりに暇なので、再び谷戸をめぐり、それでも暇なので、自転車で周辺をサイクリングする。戻ってくると、やっと昼になった。
 今日の昼食は、バーベキューだ。高橋さんらが買ってきてくれたサンマやピーマンなどを焼いて食べる。こうやって食べる野外料理は美味いものだ。昼食を済ませると、やっと窯を開ける時間だ。土を掘り返してみると、最初に出てきたのは、ほとんど炭化せずに青いままの竹だった。やはり、あまり炭化が進んでいなかったようだ。それでも、深く掘ってゆくと、きれいに炭になった竹がかなり出てきた。総じて3割くらいは炭となり、残りは生という感じの出来だ。まあ、これでも良しとしよう。竹炭を売るために伏せ焼きをやっているわけではないので、結果は二の次、三の次。1年に1度、恩田の谷戸で泊まるということの方が、よっぽど重要なのだから。
 竹炭を取りだしてからは、後かたづけ。掘った穴は埋め戻し、テントやタープは回収し、ゴミを片付けて谷戸を後にする。振り返ってみると、今回の伏せ焼きは、須藤さんと斎藤さんの貢献が大であった。この場を借りて、お礼を申し上げたい。ありがとうございました。また、仕事が忙しい中、谷戸に泊まられた久保さん、お疲れさまでした。
 買い物をしてから帰宅。夕食後、11時まで仮眠。その後起きて、会計の仕事などを2時頃までしてから眠る。

4月29日(月)

 今日は「みどりの日」。つまり、祝日である。この日、毎日新聞は、普段、題字が青であるところを緑にするらしい。そういうちょっとした気遣いは嬉しいものだ。
 10時半、家の外で大きな人の声がする。窓から外を見下ろすと、自転車置き場の上の屋根のところに中年の男が乗っており、その周りを警察が集まって、何やら叫んでいる。しばらく見守っていたが、昼に待ち合わせがあるので、シャワーを浴びて出てくると、すでに件の人物は警察に捕まり、騒動は収まっていた。11時前、家を出ると、近所のおばさん連中が集まって、ひそひそ話をしている。聞けば、警察に確保された男は、このマンションの住人で、これまでも器物破損などの問題を起こしていたようだ。彼には家族がいるのだが、時々暴れるために、怖くて逃げ出してしまったという。
 興奮醒めやらぬといった顔をしたおばさんたちとの会話を手短に済ませ、12時に自由が丘駅に到着。ここで、真梨ちゃんと待ち合わせして、一緒に昼食を取る。それから研究室まで案内し、竹富島関係の資料を提供する。真梨ちゃんは、一昨年、小浜島で会って以来の、フィールドつながりの友だちだ。その彼女が、今度、竹富島に行くというので、僕が持っている資料で、必要なものをコピーしてあげることにしたのだ。資料を選び、コピーするまで3時間かけた。良い調査ができるといいね。
 4時、真梨ちゃんを送り出してから、僕は丸ちゃんとカルロスと共に、研究室のテレビでサッカー「日本×スロバキア」を観戦。柳沢の右サイドには驚きを隠せなかったが、西澤が1トップで張り、1.5列目から森島が、サイドから三都主や柳沢が出てゆく攻撃は、見ていて面白かった。ただし、フィニッシュの精度が・・・。
 8時頃、研究室を出て、自由が丘に最近上陸した「むつみ屋」でラーメンを食べる。「この味を知らずして、ラーメンを語ることなかれ。感動の味。」という宣伝文句が掲げられているが、僕は感動できなかった。それは味のせいなのか、それとも僕の心のせいなのか。
 帰宅後、ベッドで本を読もうとするも、眠かったので眼鏡を掛けたまま寝てしまう。

4月30日(火)

 最近、非常に情緒が不安定である。そわそわして落ち着かない。いろんな焦りや不安がない交ぜになったまま過ごしている。そのため、起きていると動機が高まり、それだけで心労がたまる。そうしたストレスから逃れるために、ベッドに入って寝る。眠っている間だけが、幸せなときかもしれない。
 今日から3日間は、GWの谷間。暦通りにに働く人たちは、今朝も早くから出勤している。僕は、今日も昼過ぎまで寝て、結局、1日中家の中で過ごした。誰かと会うことはもちろん、電話で話をすることも息が詰まりそうだ。こうしたトンネル状態から、抜け出さないとと思いつつ、時間は過ぎてゆく。
 夜、恩田の谷戸ファンクラブの高橋さんから電話があった。週末に行なった伏せ焼きのことを、通信に載せるための記事にして欲しいという依頼だった。高橋さんにはずいぶんとお世話になっているので、二つ返事で引き受けた。何か役に立つのであれば、そのことが確実ならば、それをやらないと。
 まったく晴れやかな気持ちにならないまま、4月は終わった。

TOP(日々の表現)雑記日記(2001/2/8-2003/8/25)

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