日記帳|2002年5月

5月1日(水)

 朝、速達が届いた。松井先生からだった。松井先生が編集する本に載せるために、およそ原稿用紙80枚程度の論文を書き、3月末に郵便で送った。その原稿に赤が入れられたものが届いたのだった。案の定、隅から隅まで厳しいコメントが付されている。覚悟はしていたが、やはりへこむ。でも、それが自分の実力なのだから仕方がない。謙虚に受け止め、コメントにきちんと応えられるように修正しないと。能力のない者にとって研究とは、労多くして実りの少ないものである。
 GWの後半は何も予定がない。手元にお金がほとんどないので、外出しようという気が起こらない。だから、今日も自宅で過ごす。イボンヌ・バスキン『生物多様性の意味』を読んだ。近年の生態学が明らかにした生態系の精巧なメカニズムの一端をつまみ食いするには良い本だ。自然科学におけるフィールドワークの面白さも十分に味わえる。社会科学におけるフィールドワークと異なり、純粋に楽しめるのが良い。僕も、イノセントでありたいと願ってしまう欲望にかられる。そんな特権的な地位に就けないことは分かっているのに。

5月2日(木)

 9時頃、起床。寝室からダイニングルーム兼勉強部屋となっている部屋に入ると、ひどく魚臭い。すぐに、昨日焼いたサンマを食べていたとき、誤って絨毯に丸のまま落としたことを思い出す。落とすやいなや雑巾で拭いたものの、魚汁(?)が染みこんでしまったようだ。昨夜は、匂いが気にならなかったのに、今日になると随分気になる。改めて、昨日サンマを落としたポイントを注意深く雑巾掛けするが、いったん気になった匂いをやりすごすことはできず、絶えずサンマ臭を気にしながら過ごすことになった。
 昼過ぎ、松井先生と電話連絡し、修正稿を今月20日頃までに仕上げることで了解していただいた。プレッシャーのかかる仕事だけれど、逃げ出すわけにはいかない。やれることを淡々とやりましょう。
 午後、好井裕明・桜井厚編『フィールドワークの経験』を読む。今月21日のLゼミ「フィールドワーク入門」で講義することになっているので、そのネタ集めを兼ねて読んでみた。この本に収められている論文の多くは、エスノメソドロジストによるものである。山田富秋「フィールドワークのポリティックス」のような議論は必要だと思う。また、ハンセン病療養所、解放運動の確認・糾弾会、デイケアハウスなどにおけるフィールドワークを題材に、これを相対化して捉えたメタ・フィールドワークも、それぞれ大事な作業だし、興味深かった。しかし、Lゼミの聴講者は、これまで社会調査を実践したことのない学生がほとんどだから、これをネタに話をしてもピンと来ないだろう。Lゼミで使えそうなのは、ジェラルド・サトルズ「フィールドワークの手引き」であろうか。
 夜7時過ぎからはサッカー「日本×ホンジュラス」を観戦。ホンジュラスの攻撃陣は、早いし巧かった。後半は、ホンジュラスがスタミナ切れのため、ほとんど日本の一方的な攻勢となったが、序盤の彼らの攻撃は美しく危険すぎた。守備を固められ、身体能力の優れた少数の攻撃陣にかき回されたら、日本代表は厳しい戦いを迫られることになる。そのことを痛感させられる試合だった。よく3-3の引き分けに持ち込んだものだ。

5月3日(金)

 暦では、今日から4連休である。朝も早くから家族サービスに励むお父さんも多いことだろう。僕も年齢からすれば、そういうお父さんであってもおかしくはない。しかし、今日も睡眠に明け暮れた。
 午後、マーク・ダウィ『草の根環境主義』を読む。この本は、アメリカの環境運動を手際よくまとめており、概観するには便利な本だ。著者は、白人エリートによる自然保護運動が官僚化していったことに失望する一方で、マイノリティを巻き込んだ広範な草の根環境運動の萌芽に期待している。「第四の波」と呼ばれる草の根環境運動では、環境正義の実現が重要なミッションとなる。日本では、そうした視点から運動をすすめている人々が少ないので、必要なことだと思うのだけれど、どうだろうか。個人的にかなり興味を引かれたのは、ニュージーランドが、国土を14の生命地域に分割して、総合計画が立てられているという記述。それで、どうなってるんだろう?
 6時に仮眠のつもりで横になったら、そのまま熟睡。寝たいときには、寝ておけ!

5月4日(土)

 朝起きてメイルをチェックすると、珍しくマガキからメイルが入っている。読めば、刀根さんが入院しているとのこと。前に入院したときの病気が再発したのだろうか。久しぶりに、刀根さんの破壊的なボケに、ツッ込む気力を無くし、呆れかえりたいものだ。とにかく、お大事になさって下さい。
 昼、大館勝治『民俗からの発想』を読了。専門が民俗学なので、懐古趣味的なところが気になるけれど、写真をふんだんに使って「雑木林のあるくらし」を臨場感をもって再現させているところがよい。特に、谷津田と台地の四季の比較、および落ち葉の利用方法の記述は面白かった。もっと深く掘り下げれば、さらに興味深くなるのにと、残念に思う点がいくつも散見されたが、それは僕が調査して補えばよいことか・・・。
 夜10時、NHKの「地球に乾杯」を見る。今日は、北京でコオロギ相撲にかける男たちの話だった。僕がコオロギ相撲の存在を知ったのは、つい最近のことで、東文研・菅さんの論文を読んでのことだった。それ以来、どこかでコオロギ相撲のことが気になっていたので、これをテーマに扱った40分番組を見ることができてよかった。毎日、コオロギの面倒をみて、試合の日程を考えながら体調を万全に整えてゆくさまは、格闘家のコーチのようだった。特に、労働者階級の人が、仕事とコオロギのトレーニングとの掛け持ちで、ほとんど不眠不休のように働く姿は健気だった。だから、その人が率いるチームが、上層階級のチームに快勝したときは、見ている僕も嬉しくなってしまった。はまったら、意外に燃えるかも。

5月5日(日)

 午後、「恩田の谷戸ファンクラブ通信」に載せる記事を書く。高橋さんからB5で2枚にまとめるようにと指示があったのに、写真を多めに載せたら、B5で3枚に膨れあがってしまった。これでは、編集者の金成さんに迷惑を掛けてしまうと思ったが、けっこう真面目に書いたので、3枚目は次号に掲載するようメイルでお願いした。すると嬉しいことに、3枚とも載せられるよう構成を考えて下さるという。お手数をお掛けして恐縮ですが、どうも有り難うございました。
 夕方からは、『里山天使』の発送準備。ゴールデンウィーク明けに発送できるようにしておく。
 夜9時、「NHKスペシャル」を見る。一昨日から4夜連続で、「サッカー地球の情熱」と題したシリーズが放映されており、今日はその3回目。主として、セリエAのサッカー市場を扱ったものだった。特にフィーチャーされていたのは、ペルージャのガウチ社長とレアル・マドリーのペレス会長。この2人は、日本のサッカー市場の発展性に目を向けているところに共通点がある。ガウチは日本のサッカー選手(番組では、柳沢と小笠原の名前が挙がっていた)に、ペレスはサービスの消費者として日本人に注目しているようだが。それにしても、ガウチ家に繁栄をもたらした凱旋門賞場トニービンと中田選手を比較して、ガウチが「トニービンとナカタは似ている」と発言していたのには笑った。

5月6日(月)

 今日をもってゴールデンウィークもおしまい。最近、ずっと家に籠もっているので、どうしてもテレビ番組について書くことが多い。今日もそうだ。
 朝10時からテレビ東京で放映された2時間番組「古都の十二色」を見る。これは、なかなか良質な番組だった。藍、臙脂(えんじ)、柿渋、緑青、朱、墨、刈安、胡粉、瑠璃、梔子(くちなし)、深紫(こきむらさき)、紅の順に、それぞれ10分弱の映像が流れる。京都の和菓子屋の、夏を過ぎてからの暖簾は、水の街・郡上八幡で染められた藍。秀吉が好んだと言われ、カイガラムシの分泌液から抽出される臙脂。伊勢型紙にとって欠かすことのできない柿渋。日本画の顔料として利用される緑青。水銀朱を膠(にかわ)に溶かして塗る春日大社の朱。丹念に煤を集めてつくられ、水墨画を支える墨。イネ科の植物から抽出され、戦国武将の甲にアクセントを加えた刈安。イタボガキを粉末状にし、能面を彩る胡粉。曜変天目茶碗の美しすぎる瑠璃。実を煮出し、和菓子など食べ物の染料としても利用される梔子。ムラサキソウの根(紫根)から得られ、江戸時代は幕府だけが専有した深紫。ベニバナから紅餅(はなもち)をつくり、これから口紅などに利用される紅。僕の知らない世界のことが丁寧に記録されており、非常に興味深かった。ビデオ化されないかな。
 午後、助成金の申請書類を作成。調査費がないから、ダメモトで助成金申請して、資金を調達しないといけない。来月までに3つの助成金に応募するつもりだ。どこかの財産家から、ひょいと調査費をいただければ、その方がずっと楽で良いんだけど・・・。
 夕食にキーマカレーを作った。挽肉が腐りかけていたけれど、熱を通せば問題ない(と思う)。子どもの頃は、どちらかと言えば、カレーは嫌いな方だったけれど、今は大好物。相変わらず、トマトをふんだんに使ったキーマカレーにはまっています。

5月7日(火)

 昼過ぎ、神奈川県の白浜さんから電話があり、明日から毎週水曜日の午後、かながわ県民活動サポートセンターで環境情報コーディネーターの仕事を始めることになる。毎週、決まった時間に拘束されるのは好きじゃないが、新しいチャレンジだと思って、引き受けることにした。
午後、郵便局に行き、助成金申請書の提出、『里山天使』の発送、学会費の支払いをまとめて行なう。その後、スーパー「三和」に行って買い物。帰宅して、買ってきたものを冷蔵庫などにしまっていると、買ったはずの挽肉を忘れてきたことに気づく。レシートにも記載されていたので、買ったことは確かだ。おそらく、籠から袋に詰め替えるときに忘れてしまったものと思われる。すぐにお店に連絡を取ると、忘れ物の届出があったようで、すぐに事情を察知してもらえた。品物を確保しておいてくれるというので、再び「三和」まで出向き、、購入した挽肉を受け取る。ここ最近、得意の忘れ物が減っていたので、心密かに自らの成長を喜ばしく感じていたところだっただけに、相も変わらぬドジぶりに性格(能力?)を恨む。
 夜、今日申請した助成金とは異なる助成金の申請書を書く。しかし、なかなか研究計画がまとまらず、途中で断念。別の機会に書くことにしよう。ほかに、このサイトを見て僕のことを知った学生から持ちかけられている相談にメイルで応えたり、NORAのサイトが立ち上がったので、リンク集をちょこっと改良するなどして早寝する。明朝のサッカー観戦のために。

5月8日(水)

 朝4時、起床。サッカー「日本×R.マドリー」を観戦。大粒の雨が降っていてピッチコンディションが悪いうえ、R.マドリーは適当にやっている感じで、ほとんど盛り上がらないまま、0-1で日本代表の負け。うーん。
 今日は、神奈川県の環境情報コーディネーターとして、初めて仕事する日だ。11時半に家を出て、12時半過ぎに横浜へ。地下街のそば屋で昼食をとり、1時、かながわ県民活動サポートセンター1階ロビーで白浜さんお待ち合わせ。すぐにエレベーターで、仕事場となる11階の情報・相談コーナーに行く。ここで、同じカウンター内で働く情報サポート課の圓道さんとアドバイザーの若林さんにご挨拶。その後、白浜さんからコーディネーターの仕事について一通り説明を受ける。しかし、説明を聞くだけでは、どのように仕事をしてよいものかよくわからない。仕事のやり方については、前任者の一子さんに尋ねた方が良さそうだ。とりあえず、僕がわかっていることは、水曜日の午後1時~6時にこのカウンターに座り、環境にかかわる相談を受け付けるのが仕事だということだけだ。
 2時から用事があるというので白浜さんは県庁に戻った。さて、突然、何の前触れもなく、「僕が環境情報コーディネーターです」とカウンターに座ったことろで、相談者が来るわけもない。隣りに座っている若林さんのところには、暇にならない程度に相談者がやって来る。それと比べると、僕の座っているところには誰も来ないので、暇といえば暇である。今日は初日だったので、使える資料を確認したりしているだけでも時間を費やせたが、来週以降は誰か相談に来てもらわないと・・・。
 初日だったので、初めて会った方にはご挨拶した。圓道さんのほかに、県の情報サポート課の名生(なお)課長、鈴木課長補佐、澤村さん、小林さん、山本さん。それと、アドバイザーで、水曜の5時から入る萩原さんである。若林さんは、本来は水曜日の午後に入らず、北村さんという人が入るらしい。このような人たちと話をして知ったのは、同じカウンター内で働く人は20人近くいるということである。まず、情報サポート課の県職員が6人、アドバイザーが6人、環境情報・環境学習コーディネーターが5人いるそうだ。毎年、年度が替わるたびに人が入れ替わるので、来週にでも顔合わせ会を開こうということになった。
 6時に仕事終了。そのまま地下鉄に乗って蒔田にあるNORAに行き、6時半から打ち合わせに参加。今日の議題は、今年のNORAのビッグ・プロジェクトである県との協働事業のすすめ方であった。吉武さんの体調が万全でないので、僕もお手伝いさせてもらうことになった。が、アメリカに留学する予定だった前田くんが、NORAのスタッフとして働くことになったようなので、当初予想していたよりも働かなくても大丈夫みたいだ。
 打ち合わせは10時近くまで及んだ。話し合いを終えてからNORAを出て、近くのファミレスで吉武さん、土屋さんらNORA関係者5人で夕食をとる。どういう経緯だったか、僕は家庭環境について話をした。面白おかしく話したために「ドラマみたい」などと形容されたけれど、そのとおりだと思う。家庭はドラマ的な方がよいのか、平凡な日常が繰り返される方がよいのか、どちらなんだろう。
 11時過ぎに蒔田から地下鉄に乗り、終電で帰る。帰宅は12時半。朝が早かったので、長い1日だった。

5月9日(木)

 10時半頃、起床。正午から3時くらいまでかけて、助成金の申請書類を作成する。とにかく、ある程度のお金がないことには調査に出掛けられないので、応募資格のある助成金にはなるべく申し込むことにしている。下手な鉄砲なんとやらである。
 昼過ぎ、珍しく麻子からメイルがあった。銀座のギャラリーで絵画を展覧しているという知らせであった。刀根さんが、新橋の病院に入っているので、土曜日に2つ廻ることにしよう。ちょうどその日は、夜、渋谷で会社員時代の同期との飲み会があるので、外出しなければいけない。まとめてできることは、まとめてやってしまおうという狡い考えだこと。
 夕方、冷凍してあったキーマカレーを食べる。まったくの自画自賛だけれど、これが実にうまい。だから余計欲が出てきて、できればライスよりも何に付けて食べたいと考えてしまう。自宅で、美味しいナンを作ることはできるのだろうか。調べてみる価値はありそうだ。
 松井先生から返された論文の修正に取りかかるが、すぐに頭がパニック状態になり、匙を投げて寝る。そうだ、今日はSAYAKAのデビュー・シングル「ever since」の発売日でした。

5月10日(金)

 10時半頃、起床。今日は、久しぶりに研究室に足を運ぼうかと思っていたのだけれど、天気が悪いので行くのをやめた。なんだか不登校児みたいだ。
 一昨日、NORAから持ってきた神奈川森林エネルギー工房の最新作『これからのエネルギーは、ますますバイオマス!』をチェック。入稿前に直したはずの修正箇所が直っておらず、ちょっとショック。でも、短期間でやっつけた割には、なかなか素敵な報告書に仕上がったと思う。イラストを担当していただいた勝野さんに感謝。
 午後、先日更新したリンク集について(eco-linksは古いままだけど・・・)、アクセスできるかどうか確認してみる。数カ月ぶりにアクセスするサイトが多く、ついつい長時間ネットサーフィンすることになる。
 雨が降っているので、家の中にいても多少寒さを感じる。こんなときに最適な飲み物が、サモア産のココアである。今日は2杯飲んだ。調子に乗って飲み過ぎると、すぐに無くなってしまうので、大事に大事に飲まないと。日本のどこかで、サモア産のココアを買えないのだろうか。
 夜、日本学術振興会特別研究員の申請書を途中まで書く。これが通れば良いのだが、業績が少ないからなぁ・・・。来年、僕はどうやって生活しているのだろうか。考え始めると不安が高まるので、考えない。考えないためには、寝るに限る!

5月11日(土)

 昼過ぎに外出。まず、研究室に向かう。2時頃、研究室に到着。届いている書類に目を通してから図書館に向かい、借りたまま机に積んでおいた本を、返却期限を1日過ぎて返す。
 大岡山駅から都営三田線に直通する目黒線に乗り、御成門駅で下車。歩いて3分程度のところにある慈恵医大病院に、入院している刀根さんを訪ねる。3時過ぎ、フロアの受付で面会の手続きを済ませ、知らせてもらっていた病室を探す。すぐに見つけて定員6人の相部屋の中に入り、ベッドを隠すように閉まっているカーテンを開けると、中は空だった。どうやら外に出ているらしい。仕方がない、しばらく待つか。こう思って、受付前のソファーに腰を下ろそうとすると、ちょうど刀根さんがエレベーターから出てきたので、そのままソファーで話をすることになった。およそ3時間近く話をした。
 たとえば、失敗した話。刀根さんは、すでに今年の年頭には、近いうちに入院しなければいけないとわかっていたので、なるべく仕事を休まなくてもよいようにとGWにかけて入院することにしたらしい。しかし、この目論見は成功しなかった。なぜなら、GW期間中は、病院やそれに付随する医療機関の機能が低下しているため、たとえば、検査結果が帰ってくる時間が通常よりも長くかかったりするので、必然的に入院期間が長くなるからだ。なるほど、教訓となりますな。
 ほかにもいろんな話をしたけれど、他愛もないことばかり。僕としては、早く病気が治って欲しいと願うだけだ。しばらくの禁酒は避けられないようだけど、快気祝いが出きる日を心待ちにしています、刀根さん。
 6時前、刀根さんと別れて、JRで銀座に移動。麻子が銀座のギャラリー絵を出展していると知らせがあったので、それを観に行ったのだ。ギャラリーが6時半までしか開いていないのに、着いたのは6時25分。駆け込むように入って、素早く目指す絵を探し、ゆっくり鑑賞する時間もないのでデジカメで撮影。これは、刀根さんにメイルで送るために撮ったのだ。麻子の絵は、マロンの連作という、かわいい作品。最後に麻子と会ったのはいつのことだろうか。
 デジカメ撮影を終えると、すぐにギャラリーを立ち去り、銀座線に乗って渋谷に向かう。今晩は、会社員時代の同期会だ。同期の2人が4月末に退社したので、9年間の労をねぎらうために集まろうというわけだ。僕の同期は14人いたのだけれど、2人辞めて、残るは1人だけになった。仕事を続けるよりも辞める方が当たり前という時代なのだ。
 待ち合わせ時間の7時ちょうどに青龍門に到着。誰もいなかったが、すぐに幹事役の甘田がやって来た。さらに、遠州さん、酒井と来た後、やっと主賓の権ちゃんと湯浅が集まり、宴が始まる。その後、椎名氏、千賀ちゃんも集まり、全部で8名が集まった。1年半ぶりの同期会だったので、いろいろと知らない情報が聞けた。入社当時にお世話になった河村さんが亡くなったというのには、心底驚いた。ほとんど年が変わらない先輩で、性格が穏和だったから、気軽に声を掛けやすく、いつも頼りにしていた。ご冥福をお祈りします。
 ほかに驚いたことは、昔、付き合っていた人も退社していたことだ。元気なんだろうか。
 9時に1次会が終了。その後、近くのバーで2次会。悪酔いしそうだったので、あまり遅くならないうちに帰ろうと思い、11時30頃に先に店を出た。12時半頃、帰宅。家に帰ると、妙に興奮していた。遠くにいる友だちに電話してみた。

5月12日(日)

 昨日、電話した友だちからメイルがあった。僕の電話が、「いろんなことに挫折中だったので、すごく嬉しかった」と書かれていた。素直に喜んだ。こういう些細な喜びを積み重ねてゆくだけで十分だ。そう思う。のに、そう思えない自分がいることも事実だ。
 昼間、ほとんど生産的なことができなかった。夜8時半になり夕食をとろうとするが、食材が不足していることに気付く。スーパー「三和」の閉店時間は9時なので、急いで着替え(それまでは寝間着だったのだ)、買い物に出掛ける。本当にワンパターンで呆れるほどだが、またまたキーマカレーの食材を買い、9時直前に店を出ようとすると、次の放送が聞こえた。「三和は閉店時間を11時45分まで延長して、お客様のお越しをお待ちしております」と。なーんだ、焦って買い物に来る必要はなかったんだ。でも、そこまでして仕事をしなければいけないなんてと思うと、複雑な気持ちだ。
 深夜、NHKアーカイブスを見る。今月15日が沖縄の復帰30周年記念に当たるので、今夜は沖縄をフィーチャーし、「わが沖縄・具志堅用高とその一族」(1979年)と「新沖縄風土記」(1972年)が放映された。このうち、前者は非常に内容が濃くて、興味深かった。
 番組の構成は、当時、チャンピオンを防衛し続けていた具志堅用高一族(門中)の生き様に焦点を当て、そこから沖縄の歴史や社会を見てゆくというユニークなもの。具志堅の門中は、300近い家族、1,000人余りに人から構成される。番組の最初を見ていなかったので定かではないが、おそらく明治期に沖縄本島北部の本部町に開拓し、昭和初期にはパラオでカツオ漁に勤しんだらしい。その後、戦争に巻き込まれて、ある家族はサイパンで玉砕したり、南洋の戦いや沖縄戦で亡くなったり、戦中に一族の4分の1は死亡した。戦後、それまで散らばっていた一族は、南洋、中国、シベリア、本土などから、いったん本部の開拓地に戻るが、その地は米軍に接収されて廃村。そこで、具志堅用高の家族は、カツオ漁をやるために出稼ぎに八重山(石垣島)へやって来たという。具志堅用高は、幼い頃から、一族の歴史について、よく聞かされていたという。だから、ボクシングに勝って、一族みんなが喜ぶ姿を見るのが嬉しいと語る。八重山で調査しているときに、石垣島にある具志堅用高記念館に行ったことがあるが、この記念館に行くよりも、この番組を見る方が、よっぽど具志堅用高のことが理解できると思う。いや、1人のボクサーにではなく、沖縄に近づけると思う。
 後半の番組は、構成には面白みがなかったけれど、復帰直前の八重山の様子をうかがい知ることができたという点で貴重だった。とりわけ、水田耕作のために、竹富島から西表島にサバニで渡る様子を映像で見ることができたこと、当時の竹富島がすでに若者が流失し、子どもとお年寄りだけの島になっていたこと、、当時から、「先島に昔の沖縄がある」と言われていたことを確認できたことが有益だった。また、サバニに積まれた段ボール詰めの荷物に、正玄おじぃの弟「内盛真和」の文字を発見したときは、思わず嬉しくて口元が緩んでしまった。

5月13日(月)

 昼頃、一子さんから電話で目が覚める。あまり気の進まない仕事の話だ。一応、手帳を開いて、スケジュールを入れておくが、朝っぱら(昼か?)から気が重い。ついでに、今後のスケジュールを調べていたら、けっこう予定が詰まっている。ほとんどがNPO関係の仕事だ。全部こなしていたら大変だから、割り振りを考えないと。
 来週のLゼミで、フィールドワークについて話をすることになっているので、エマーソンほか『方法としてのフィールドノート』を読んでみる。副題に「現地取材から物語作成まで」とあるように、具体例を示しながら包括的にフィールドノーツの書き方が記されている。冗長ではあるが、面白い。大事なことが散りばめられている。けれど、実際の調査経験がないと、この面白さは分からないかもしれない。さて、どうやって講義しようか。
 夜になり、昨日購入した食材を使ってキーマカレーを作る。しかし、スパイスを入れる順番を間違えたためか、いつもよりも美味しくできなかった。やはり、物事には順序があるのね。
 深夜のニュースで、荻原健司が一線から退くことを知る。たしか、彼とは同い年で、顔も似たタイプだから、実は隠れファンだったりする。キング・オブ・スキー、お疲れさま。

5月14日(火)

 昼過ぎ、ゼミに出席するために研究室へ行く。部屋の扉を開けると、机に突っ伏して寝ていた丸ちゃんが目を覚ました。起こしてしまったらしい。ほどなく、応募締め切り期限が近づいている日本学術振興会研究員の申請書の話を始める、書類は取ってきたものの、まだ中身を確認していなかったので、今年は昨年よりも倍以上の字数を書かなければならないと丸ちゃんから聞かされて驚いた。それと同時に、PDに申請する場合、それまでの所属と異なる研究機関に受け入れてもらう必要があり、その機関から受入承諾書を書いてもらう必要があることにも気付かされる。東工大への申請書を提出する期限は今週末なので、早急に対応しなければいけない。そこで、歴民博の篠原先生に電話して、受入を承諾していただくようお願いした。すぐに先生には快諾していただいたものの、問題は書類のやり取りである。週末までに書類を揃えるには、相当、無理をしなければいけない。東工大と歴民博の事務に電話で相談した結果、結局、歴民博の方が締め切り期限が遅いので、来週、歴民博へ申請書を提出することに決まった。後は、週末に申請書を書くだけだ。
 1時半、ゼミに参加。今日は、学部4年生の発表だった。B4、M1は就職活動に忙しいようで、報告者・出席者とも少ない。矢野先生が欠席されたこともあり、緊張感の乏しいゼミだった。
 夕方、隣の席のサエちゃんと、久しぶりに話をした。普段、何をして過ごしているのか謎が多いので尋ねてみたら、物書きをしながらお金を稼いでいると言う。あまり詳しいところまで詮索しなかったけれど、ミニコミ誌に記事を掲載したり、懸賞論文に投稿したりしているらしい。ちょっと、知的な懸賞マニアみたいなものだろうか。かなり興味をそそられる話だ。
 7時過ぎに研究室を出て、帰り道にスーパーで買い物してから帰宅。昨晩は徹夜したので、しばらく仮眠をとる。
 12時半、起床。もちろん、サッカー「日本×ノルウェー」を見る。UEFA杯を制した伸二とイタリア杯を制した中田が合流したので、ポーランド戦のような試合を期待したのだが・・・。ノルウェーの体格を生かした攻撃に、結果は0-3と惨敗。先日、戦ったホンジュラスもそうだけど、ワールドカップに出場できなくても、サッカーが強いチームがいくつもあるってことだね。

5月15日(水)

 今日は、沖縄の本土復帰30周年。ということは、エリーこと古波蔵恵里の30歳の誕生日。
 12時半過ぎ、横浜駅に到着し、1時から環境情報コーディネーターのアルバイト。かながわ県民活動サポートセンターの情報相談コーナーに座って、相談を受けるという仕事だ。しかし、先週と同様、誰も相談に現れない。それもそうだろう。ほとんどの人が、コーディネーターの存在を知らないのだから。暇を持て余しても仕方がないので、持参したノートPCを利用して、神奈川森林エネルギー工房の資料づくりなどに励む。
 6時過ぎ、仕事を終えてサポートセンターを後にし、「そごう」の上に新しくできた紀伊国屋書店に行く。横浜という街は、都市の規模は大きいにもかかわらず、まともな本屋が1軒もない。今度できた紀伊国屋は、横浜で最大規模というふれ込みだったので期待して入店してみた。が、結果は今ひとつ。専門書の数は少ない。町田のリブロの方が良いという印象だ。ああ、横浜にジュンク堂が出店しないかなあ。
 夕食に「げんこつ屋」でラーメンを食べ、9時頃に帰宅。10時過ぎに就寝。

5月16日(木)

 4時に起床。欧州CL決勝「R.マドリー×レバークーゼン」を見る。1-1で迎えた前半終了直前、ジダンの美しすぎるボレーシュートが決まり、これが決勝点となってR.マドリーが優勝。しかし全体的には、不利と言われていたレバークーゼンの方が良い試合をしていた。特に後半の終了間際は、圧倒的に攻め続け、コーナーキック時にはキーパーも上がって全員攻撃をするなど、同点に追いつこうとする必死の猛攻に感激した。
 11時過ぎ、大学に行き、学振の申請書に土場先生から署名・印をいただく。1時過ぎに研究室を出て、2時過ぎに蒔田にあるNORAへ到着。先月、佐渡に引っ越し、今晩のイベントのためにやって来ていた十文字さんが来ていた。十文字さんから神奈川森林エネルギー工房の荷物を引き継いだ後、多少、事務的な仕事をこなす。5時過ぎ、土屋さん、勝野さん、前田くんとともにNORAを出て、ミニフォーラムを行なうかながわ県民活動サポートセンターに向かう。
 6時、会場に到着。今夜のイベントは、「市民による里山の保全と活用のシステムづくり~行政・地域・NPOの連携~」と題したミニフォーラムだ。これは、NORAが神奈川県との協働事業としてすすめている市民による里山づくりの1年目の成果報告会のように位置づけられるもの。6時半から9時までという短い時間ではあったが、およそ30名の参加者があり、十文字さん、土屋さんらの手際の良さも手伝って、小さいながらも実りあるフォーラムができたように思う。
 このフォーラムには、事業の実行委員として中川重年さんが出席され、積極的に発言されていた。その中で最も印象的だったことは、里山における畑の重要性を説いたことである。実は昨年から、僕も里山において畑が重要であることに気付いていたので、これは大きな驚きだった。たとえば、恩田の谷戸ファンクラブでは、谷戸の三要素として、湧き水、田んぼ、雑木林を挙げる。しかし、実際に谷戸の現在の様子、あるいは空中写真で過去の様子を調べると、畑が重要な位置にあることは容易に分かるのだ。畑のことが気になっていたところだったので、中川さんの指摘には、研究者として焦燥感を駆られるものがあった。
 フォーラム終了後、NORAおよび県の関係者が中心になって、11時過ぎまで2次会があった。朝からまともに食事をとっていなかったので、悪酔いして目の前に座っていた緑政課の課長さんに議論をふっかけたりする。終電で帰宅。

5月17日(金)

 昼近くになって起床。今日は、丸1日かけて学振の申請書を書く。昨年と比べると、10,000字以上の文字数を書かないといけないので、かなりの時間を費やす。これを1日で仕上げなければならないほど追い込まれるなんて。GW中にやっておけばよかった・・・。なんてことを今さら言っても始まらない。PCの前で、ひたすら文字を埋めてゆく。
 3時半、W杯に参加できる日本代表のメンバーが発表される。僕が想定していた23人のうち、落選したのは、中澤、波戸、久保で、その代わりに入ったのが、秋田、小笠原、中山。もっとも驚いたのは、秋田が入ったこと。中山については、予想外ではなかった。でも、中山が入るならば、名波も入るのではと思っていたのだが・・・。ピッチで名波を見たかったなあ。
 夜9時半頃、近くのスーパーへ買い物に出掛ける。家に閉じこもっていると、買い物は良い息抜きになるので、ゆくっりフロアを周る。最近、蜜豆に凝っているので、大量に買い込む。ストレスを回避するには、心おきなく甘いものを食べたくなるものだ。今日は徹夜だ。

5月18日(土)

 明け方4時頃、少し疲れたので、床にごろんと横になって体を休めたら、そのまま7時頃までうたた寝。目を覚まし、朝風呂に入ってから、午前中いっぱいかけて申請書を書き上げる。いざ、印刷するぞと思ったら、プリンタのインクが切れている。あらら。インクを買いに行って家に戻るのも面倒なので、大学に行ってプリントアウトすることに決める。
 12時半頃、研究室に到着。申請書にじかに印刷するので、印刷する前にきちんと準備しないと、取り返しがつかないことになる。だから、何度か試しに印刷してみて、きちんと印刷できるかどうか確認してから、プリントアウトする。さあ、あとは印刷するだけだ、という段階になると、いろいろと申請書の粗が目に付いたので、修正を入れる。結局、書いた申請書を提出先の歴民博に送ったのは、夕方の5時近くだった。何はともあれ、一件落着。当初の予定では、今日の2時からバイオマス産業社会ネットワーク(BIN)の研究会があったので、それに参加するつもりだったけど、こんな調子だったので行けなかった。こういう、いざというときにドタキャンできる関係は気楽でよい。その代わり、周りからは信頼されなくなるけれど・・・。
 8時頃、帰宅。家の中で歌を唄ってから寝る。

5月19日(日)

 昼頃、起床。2時、市ヶ谷にある法政大学に到着。環境社会学会(関東)の研究例会に参加する。この研究例会は、1月から月に1度のペースで行なわれていて、2月に出て以来3ヶ月ぶりに出席してみた。昨日から今日までの日程で、日本地域社会学会大会が東大であったため、参加者は30名程度と、1月、2月と比べると半分くらいの人数だった。しかし、これくらいの規模の方が議論はしやすい。そして、実際、僕はかなり発言した。
 今回の報告者は2名。テーマ報告が、北海道教育大の角さんによる「受益圏・受苦圏論の再検討―可能性と限界」。自由報告が、法大・舩橋先生の学生で修士2年の吉田さんによる「加害型ジレンマと受苦圏要件の両義性の問題―北海道幌延問題の事例を通して」。ともに、議論を呼ぶような報告だった。フロアからの発言のおよそ半分は僕によるもので、それを司会の寺田先生が今回の報告者と舩橋先生に振って、議論を展開するという感じだった。発言者が偏っていたので、寺田先生はやりにくそうだったけれど、司会慣れしているので、うまくまとめていただけたと思う。また、舩橋先生は、受益圏・受苦圏の製造者としてその責任を果たし、誠実に応答していただけた。僕にとっては、非常に実りの多い議論ができたのだけれど、他の聴衆はどのように感じていたのだろうか。
 5時半に研究例会は終了。議論でお世話になった寺田先生と舩橋先生にお礼を申し上げる。そのまま帰ろうと部屋を出たら、この研究例会の企画者の1人で農工大の大学院生・福永さんに呼び止められ、なんとなくその後の懇親会に出ることになる。懇親会といっても、ただファミレスでお茶を飲みながら、フランクに話をするだけである。今回は、舩橋先生と福永さんと法大の院生3人、合計6人が集まった。舩橋先生と初めてまともに話をする機会ができたのは収穫だった。しかし、ことの弾みで、9月開催予定の研究例会で、生活環境主義について報告することを了承してしまった。人に頼まれると、つい期待されているのかなと思って、仕事を引き受けてしまう軽はずみな性格が災いした恰好だ。まあ、やると決まれば、やりますよ。
 7時に懇親会は終了。新宿の紀伊国屋書店で本を眺めてから帰宅。帰り道、また蜜豆を買って帰った。

5月20日(月)

 昼頃、起床。2時半、研究室に到着。健康診断を受ける。久しぶりに体重を測ってみたら、少し増えているみたいだ。視力、血圧、尿には問題なさそう。なんぴとも体が資本ですから、ひとまず安心。でも、1度、人間ドックで、体の隅から隅まで調べてみたいものだ。
 大岡山駅から南北線直通の目黒線で四谷まで。4時、ペレットクラブ準備会の打ち合わせに出席するため、木質バイオマス利用研究会の事務所へ。ところが、打ち合わせの時間が30分繰り下がって、4時30分からに変更となっていたらしく、30分程度待つことになる。4時半になり、大場さんが到着して、3人で打ち合わせを始める。とりあえず、8月に京都でワークショップを開くこと、9月にスウェーデンで開催されるPELLETS2002に参加するためツアーを催行すること、11月に総会を開くことなどが決まった。その後7時から、森羅という店で4人で食事。ビジネスの話で盛り上がる。が、大場さんが少し元気ないようだったのが心配だ。
 10時過ぎに帰宅。ニュース23に生出演していた中田を見る。今日も徹夜だ。

5月21日(火)

 秋道智彌ほか『生態人類学を学ぶ人のために』を読む。面白いけれど、挙げられている個別具体的な豊富な事例を読むと、自分が抽象的な議論の方が好みであることを実感する。
 午後、夕方からのLゼミに備えてスライドの取捨選択をしていたら、あっという間に2時を過ぎてしまい、慌てて研究室に向かう。4時頃に到着して、レジュメをコピーするほか、あまり時間がなかったので、タバティにプロジェクタの準備を依頼する。4時半、視聴覚室には17-8名ほどの学生が集まり、早く授業が始まらないのかという雰囲気が醸し出される。てっきり、土場先生が同席すると思っていたのだけれど、どうやら自分1人で授業を取り仕切らないといけないらしい。そのことをすぐさま察知し、唐突に授業を開始する。
 たかだかフィールドワークを始めて数年しか経っていないので、学生に「フィールドワークってのは、・・・」と講義することなんてできない。だから、多くの学生に意見を出してもらい、それを教材にして、自分が知っていることとこれまでの経験を話した。すると、あっという間に1時間半という時間は経過してしまったため、その後の予定のある学生を帰し、残った学生に対してスライド上映会をおこなった。けっこう苦労した割には、あっけなく終わったっていう感じ。
 授業終了後、すぐに帰宅。疲れたので早寝だ。といっても、1時は優に回っていたが。

5月22日(水)

 11時半、家を出て、江ノ島方面へ、大和駅で相鉄線に乗り換えて横浜駅へ。かながわ県民活動サポートセンター11階の情報・相談コーナーにて、1時から環境情報コーディネーターのアルバイトだ。
 例によって例のごとく、今日も相談者は現れない。隣りに座っているアドバイザーの北村さんのところには、かなり相談者が来るというのに。
 3時前、NORAの前田君登場。3時から、前任者の一子さんから業務の引き継ぎを行なうので、今年、僕とともにこの仕事を引き受けることになった前田君にも来てもらったのだ。
 3時を少し回ってから、一子さんがやって来た。すぐに、一子さんから話を伺う。話のポイントは、アドバイザーと比べて環境情報コーディネーターの認知度は異常に低いので、相談者を待っていても何も仕事がない。だから、意識的に情報を集めて発信することが必要であるということ。それと、県の情報サポート課と環境計画課との間で、役割分担等の必要な話し合いができていないので、それをすすめるように働きかける必要があること、であろう。佐藤さんの言うとおり、これまで3回仕事に入ったものの、何をしたらよいのか非常に分かりにくかった。早めに業務改善に向けたプロポーザルを作って、環境計画課と打ち合わせしないといけない。
 4時、県税務課の長尾さんから、神奈川県が導入を検討している水源環境税について相談があった。およそ2時間強、たっぷりと話を聞かせていただき、こちらからも自分の考えを述べた。普段、付き合いのある県職の方は環境系ばかりなので、今回、税務課の職員という馴染みのない畑の方と話をするというので、お会いする前は多少構えていたところがあった。しかし、予想に反して、長尾さんはとてもフットワークが軽く、好奇心が旺盛のようで、面白い仕事ができそうな予感を感じた。神奈川森林エネルギー工房として、水源環境税の導入に向けてどのような対応をしてゆくべきか、早急に話し合わないと。
 6時半、環境情報コーディネーターの仕事を終え、次の打ち合わせに向かおうとすると、恩田の谷戸ファンクラブの金成さんとばったり遭遇。メイルではときどき連絡を取っているが、1年以上もお会いしていなかったので、近況報告、および現在すすめている田んぼプロジェクトのことについて意見を交換した。
 7時、サポートセンター8階の会議室で、ストップ!温暖化ネットワークの会合に出席。中心の議題は、来月15-16日に行なうイベントについてである。これは、例年、環境月間である6月に、横浜駅西口広場を借りて行なっているもので、「環境にやさしいくらし」をテーマとした普及啓発イベントのことだ。神奈川森林エネルギー工房は、過去2回続けて参加し、ペレットストーブの燃焼実演などを行なってきた。しかし、費用対効果が小さいと見積もられる上に、十文字さんが佐渡に引っ越してしまい、マンパワーが不足しているため、今年はパネル展示のみにすることとした。
 9時過ぎ、打ち合わせは終了。帰り道、町田駅で途中下車して広島焼きを胃袋に入れてから帰宅。自分のサイトをチェックすると、掲示板にmykというハンドル・ネームで書き込みがあった。誰かなと思って読み始めると、すぐにアイデンティファイできた。mykさんは、仕事をしていたときの友だちだ。もう2度と連絡を取り合うことはないだろうと思っていたので、驚いたし、むっちゃ嬉しかった。mykさんは、仕事でストレスをためているときに顔を会わせると、不思議と自分に余裕を感じることができるような、そういう雰囲気をもっていた。きっと、風としか表現できないような何かを持っている人なんだと思う。なかなか、そういう人に巡り会うことはないんだよね。
 今日は、気持ちよく眠れる。やはり、素敵な人とのコミュニケーションこそが、僕に力を与えてくれる。

5月23日(木)

 昼頃、「らびっとにゅうず」の編集・発行を済ませる。ボランティアのつもりでやっていたけれど、本当はこれもアルバイトだから、アリスセンターにかかった時間分の給料を請求しないと。
 昼を過ぎてからは、あちこちに神奈川森林エネルギー工房を売り込むメイルを投稿。3時に外出して、4時に横浜駅へ。高島屋の8階特設会場に行き、「竹の世界展」を見る。水上勉の竹紙、和竹の釣竿、江戸すだれ、竹千筋細工、漆籠、越前竹人形、京扇子・京うちわ、高山茶筅、熊野筆、竹炭、竹枕、竹バッグ、別府竹細工など、竹の多様な世界を一度に見ることができて感激。これは記録に残さないとと思い、フロアの責任者にお願いして、デジカメで写真撮影。また、越前竹人形の若い職人さんのところへ行き、自分が日本の竹ファンクラブという団体で活動している旨を伝えると、かなり話が盛り上がったので、その方がお作りになっている靴べらを2つ購入した。1つは煤竹、もう1つはマダケのものである。ちょうど携行できる竹製品を探していたので、良い買い物ができて満足。
 しかーし!竹の世界にどっぷり浸っていたら、ついつい長居してしまった。5時に、イラストレーターの勝野さんと高島屋入口で待ち合わせしていたのに、時計を見ると、20分も遅刻している!慌ててエレベーターで下りて、待ち合わせ場所に到着すると、待ちわびた勝野さんがいた。ごめんなさいなのだ。熱中すると、時間を忘れてしまう悪い癖が出てしまった。申し訳ありませんでした。
 5時半、モロゾフに入り、打ち合わせを始める。今年は、神奈川森林エネルギー工房のメディア戦略を真剣に考えようと思っているので、勝野さんにデザインで貢献していただけないかと相談を持ちかけたわけだ。僕のアイデアが抽象的すぎたので、とりあえずの構想を話しただけだったけれど、快諾していただけるということなので安心した。これからのNPOは、デザインにも気を配らないとね。
 1時間ほどの打ち合わせが終わると、突然、勝野さんからピクルスをいただいた。勝野さんの最近のマイ・ブームであるらしい。見たところ高そうな品物だったので、何かお返しをせねばと考え、2時間ほど前に買ったばかりの煤竹の靴べらを差し上げた。ちょっと惜しい気もしたが、惜しいと思うようなものを上げるのがプレゼントの基本。
 7時、「咲くら」という洒落た店へ。今晩は、サポートセンターの情報・相談コーナーで働く人々の顔合わせ会である。県の情報サポート課の職員、アドバイザー、環境情報コーディネーター、環境学習アドバイザー17名のうち15名が集まった。会費5,000円という金額は、緊縮財政下の学生にとってはキツイものであったが、人的ネットワークを築くための投資だと思えば高くないかも。
 9時半、宴会は終了。横浜駅で前田君と別れるとき、なぜか(たぶん酔っていたからでしょう)僕がNORAについて思っていることなどを語り始め、30分ほど立ち話する。「お互い頑張ろうー!」とかなんとか最後に言っちゃって前田君と別れる。興奮気味で帰ってきたので、帰宅後、環境情報コーディネーターの業務改善に向けた提案書を作成し、環境計画課に送りつける。ほかに、25日の打ち合わせ資料を作るなどしてから眠る。

5月24日(金)

 3時頃、研究室に到着。きっかけは忘れたけれど、沈さんとロング・トークする。D2の沈さんは、今のままでは3年で博士号を取るのが難しいと感じているらしく、焦っているようだった。きっと沈さんは、彼女よりも学年としては1年上の僕と、悩みを共有化したかったのだろう。さて、恥氏を始めると、最初は学位の話だったが、次第に日本と中国の生活環境の違いに話は移行し、異文化理解のためのワークショップのようになっていった。中国の方と日本語で話をしていていつも不便に感じるのが、同じ漢字文化圏であるにもかかわらず、話し言葉でのコミュニケーションが難しいことである。たとえば、毛沢東と漢字で書けば通じるのに、をモウタクトウと発音しても通じないことが多い。相手が、日本人は毛沢東をモウタクトウと発音するのだと知っていないと通用しないなんて不便極まりないと思いませんか。
 5時、丸ちゃんが登校。来週火曜日に計画されているらしいBBQについて、多少話し合う。残念ながら、僕は参加できないけれど。
 9時に帰宅。頬杖ついてぼーっとあれこれ考えていたら、2時間経過していた。考えていても前進しない。一歩、前へ。

5月25日(土)

 12時半過ぎに家を出て、13時半に湘南台駅に到着。すでに、佐々木さんが来ていた。その後、斎藤さん、辻本さん、土屋さんと集まり、13時45分の待ち合わせ時間には全員集まった。
 今日は、神奈川森林エネルギー工房による出前サロンの日。フィールドをもっていないエネルギー工房が、活動のウィングを広げるために始めたニュータイプのバイオマスサロンだ。これまでのサロンでは、バイオマスエネルギーにかかわるオピニオンリーダーを横浜にお招きして、勉強会形式でおこなってきた。しかし、今年は実践活動を見据えて活動をすすめてゆきたいので、すでにフィールドで活動している方々のところにお邪魔して、その現場で抱えている問題を共有し、会のミッションと重なる部分を具現化してゆくつもりである。
 バスで10分程度のところにある遠藤というバス停で降り、そこからしばらく歩いて「ビオトープびわじま」に行く。ここは、話をお伺いする冨田さんがつくったビオトープ、実験農園、休憩小屋などがあるところだ。最初に、ホタルも生息するというビオトープを見学させていただき、その後、、建物の中に移動して、具体的な話を伺った。先方は、「藤沢町づくり会議健康の森部会」の冨田さん(副会長)、伊沢さん(会長)。それと、冨田さんの妻、慶応の学生で松山君とキトウ君の合計5人。話によると、「健康の森部会」では、今後の「健康の森」をどのようにしていくかを検討しており、里山の資源を生かした地域おこしを考えている。しかし、部会のメンバーはわずか6人しかおらず、年間の活動費も数万円程度しかない。また、行政側の理解もあまり得られていないため、冨田さんらの夢は具体化に向けて動いていない状況にあるという。
 夕方5時過ぎになって、「健康の森」と呼ばれるフィールドを実際に見るチャンスが巡ってきた。訪れたフィールドは、藤沢市遠藤の慶応大学のそばにある30ha余りの谷戸(笹久保谷戸)。当初の市の計画では、慶応大学の病院や医療施設を誘致して、「健康の森」として開発する予定だったが、猛禽類の営巣が確認されるなどして、現在は開発計画が中断しているという場所だ。しかし、市営地下鉄の延伸計画もあることから、市としては開発の可能性を残しておきたい考えらしい。
 話を伺った上で現場を訪ね、思ったことは次のとおり。すなわち、「健康の森」(笹久保谷戸)は、森林部の勾配が小さく、また、交通アクセスも悪くないので、市民参加型で地域おこしをおこなうには良い場所だと思う。しかし、「健康の森部会」は、藤沢市が準備した「藤沢町づくり会議」の一部会であるため、部会が主導して動きにくい状況にあるのも事実。また、遠藤竹炭の会や野鳥の会などの団体も同じフィールドにかかわっているため、現状から一歩前進するには、関係者のコンセンサスを得てゆくというプロセスが必要。つまり、関係者を一同に集めるテーブルを用意しなければならない。「健康の森部会」は、その役目を担えないような政治状況にあるので、第三者がコーディネーターとしてフィールドに入ってゆく意義は高そう。神奈川森林エネルギー工房は、ミッションに照らして考えた場合、コーディネーター役を担うことは困難。むしろ、NORAや環境デザインセンターが、このフィールドと関わってゆけたら良いのではと感じた。
 フィールドを6時過ぎに離れ、車で湘南台駅まで送っていただいた。冨田さんと別れ、土屋さんをのぞいた4人で駅近くの居酒屋に場所を移し、ひとしきり飲み食いしてから運営委員会を始める。僕が参加した関連団体の打ち合わせ内容を報告し、現在考えていることなどを述べた上で、メンバーとの意見のやり取りをする。飲んでいたためか、多様な意見が出て活気のある打ち合わせだった。
 11時過ぎに帰宅。部屋に入る前、ホトトギスの鳴き声が聞こえた。今年も山に飛んで行く前に、いったん休憩する場所として、この近くを選んだようだ。いつまで、この辺りにいるのだろうか。

5月26日(日)

 昼過ぎ、お袋から電話があった。聞けば、今年10月に1週間、世界障害者会議(だったかな?)に行くかもしれないので、犬の散歩要員として、経堂にある実家で泊まらないかという依頼だった。僕は渋った。5ヶ月も先のことで予定が入るかもしれないし、もともと犬好きというわけではないし、朝の4時頃に1時間ほど散歩に行くのは大変そうだし。犬の散歩と言えば、地域通貨で雇うという手もあるのだろうが、さすがに朝4時の散歩には誰も担い手が現れないだろう。お袋は、僕がいつも明け方まで起きているから、これはチャンスと思ったのだろうが。5ヶ月も先のことを急に頼まれても、即答できないよ。
 昼過ぎから本を読み始めるが、根気が続かず、椅子に座ったまま寝てしまう。変な寝方をしたから、寝違えてしまった。きとんとした姿勢で寝て、寝違えたところを直そう。とか何とか理由をつけて、夕方から9時まで寝る。
 起きてから、ネットで通帳残高を調べると、4けたになっている。東京にいると交通費だの交際費だのが出ていってしまうので、生活が苦しくなる。また、つなぎ融資が必要そうだ。ここ4ヶ月くらい、ずっと通帳残高がゼロにならないように、どこかで心配しながら生活している。こういうのは、精神衛生上宜しくない。
 9時頃、会社員時代の友だちに電話。5年ぶりに話をしたのだけれど、意外にもその間の年月を忘れてしまうくらい自然に話をすることができた。久しぶりだから積もる話もあったりして、結局、2時間半の長電話になった。いろいろと話をしてみて、あらためて自分の不足している部分があることに気がついた。それは、プライベートの充実。芝居、映画、音楽への関心を高めないといけない。ささやかな喜びを分かち合える人との出会いを大切にしないといけないなあと思った。もっと笑って毎日を過ごしたいと思う。
 夜半を過ぎてから、昨日行なった運営委員会の議事録をまとめる。必要な仕事ではあるが、これでは笑えないよ。

5月27日(月)

 11時半、NORAからの電話によって起きる。PCの前に座り、論文を修正し始めるが、すぐに頭が混乱し、気分転換のため買い物に出掛ける。残念ながら、お気に入りの400グラム100円の蜜豆は売っていなかった。最近、しばらく置いていない。もう2度と買うことはできないのだろうか。
 夕方、小野伸二とシンクロしたのか、心因性ストレスのための腹痛を感じ、ベッドに横たわる。というか、寝る。起きてから、論文を書き始めるが、3時間書いたときにフリーズしてしまった。こういうときは、たいてい自動バックアップが取ってあるものなのに、なぜか機能せずに一からやり直し。しかし、どこにも怒りを持っていくことができず、気持ちを静めるために一昨日の出前サロンの報告など、続けざまにメイルを書いて送信する。僕にとって料理することとメイルを書くことは、心を落ち着かせてくれる行為である。ここに、こうやって日記を付けているのも、同じ理由からかもしれない。
 夜を徹してキーボードを叩くが、あんまり進まないんだよね。

5月28日(火)

 今晩は、研究室でバーベキューパーティーがあった(ようだ)。ジローラモなど研究室OBも集うので参加したかったけれど、すでに先約があったことと、その先約を断ってまで出たいという意欲が湧かなかったので、今日は不参加。いま1つ、乗れないような気がしたんだ。
1時半、研究室のゼミに参加する。B4とM2の学生が、卒論と修論の構想をそれぞれ10分程度発表した。自分の関心と異なる分野をテーマとする学生がほとんどなので、ゼミに参加しても面白いことは少ない。でも、ゼミがあるから、週に1度は研究室へ行くわけだから、引きこもり防止には役立っているように思う。
 4時前にゼミは終了。丸ちゃんから1週間分の研究室情報を仕入れてから、4時半過ぎに研究室を出る。5時半、横浜駅で待ち合わせしていた真梨ちゃんと会う。彼女は小浜島と竹富島へ調査に行ってきたばかりなので、メキシコ料理を食べながら、そのフィールドワークの結果を聞く。僕とは研究の関心が異なるけれど、フィールドが重なっているので、当然インフォーマントも重なっており、土産話を聞くのが楽しい。また、話を聞いていると、すぐにでも八重山に飛んでいきたくなる。7月に調査に行くつもりだけれど、それまで待てないよ。
 土産話だけでなく、お土産ももらった。オリオンビールに塩煎餅、それに小浜島の黒糖とそれを使ったキャンディー!けっして豪華なものではないけれど、沖縄の、八重山の空気が詰まっているように思えて嬉しかった。どうもありがとう。
 結局、10時過ぎまでのロング・トークになった。真梨ちゃんと会うと、決まって長くなる。東京に(横浜に)いながら、八重山に思いをはせることができる唯一の時間だから、終わるのが名残惜しいのだろう。
 10時半に横浜駅で彼女と別れ、気持ちよく帰宅する。自宅にたどり着くと、すぐに黒糖を1つ食べる。これだよ、これ。これが食べたかったんだよ。小浜島の黒糖を口に入れている間は、ファームのみんなとキビ刈りをやったことを思っていられる。だから、良いのだ。
 メイルをチェックする。いつもはレスポンスの遅い友だちから、珍しく素早い返事が届いていた。そこには、「お互いに、長い人生、じっくり行きましょう。」と書かれてあった。ほかの友だちからは、「小さな楽しいことはたくさんあるはずだよね。」と書かれていた。ともに、今の自分には、とてもありがたかった。

5月29日(水)

 水曜日の午後1時~6時までは、かながわ県民活動サポートセンターで環境情報コーディネーターのアルバイトがある。あいかわらず、相談者は現れないが、もうそのことを前提にして仕事をするようにしたので、暇すぎて死にそうになることはない。相談業務をメインとするのではなく、県内の環境情報を収集し、整理し、発信することをじっくりやるようにしたからだ。でも、もしこれをまじめにやれば、週に1日、それも5時間だけではできないだろう。だから、それだけの時間であっても、1年間続けてやり通せば何か具体的な成果が表れるようなことをやる必要がある。そこで、4時半に県環境計画課の白浜さんにサポートセンターまで来てもらい、自分の考えを伝えるとともに、今後の仕事のやり方について協議した。白浜さんは、僕の意を汲んでくれたようで、県庁に持ち帰って改善のために話し合いを持つことを約束してくれた。あとは、白浜さんが庁内で暴れてくれるのを見守るとしよう。
 打ち合わせ自体は1時間程度で終わる予定だったのに、僕も白浜さんも話したいことが積もっていたようで、予定を大幅にオーバーし、結果的には3時間も話した。この打ち合わせで話し合うべきことでもないのに、行政とNPOの協働などについて、思うところを長々と語った。
 帰宅すると、弟からメイルが入っていた。最近、弟とは頻繁にメイルを交換し、9月に予定している家族旅行の計画を練っているのだ。今のところ、9月上旬に北海道へ行くことが決まっている。もっぱら、2人で話をすすめているので、親父にも旅行計画を知らせておいた方がよいだろうと思い、久しぶりに電話してみた。あいかわらず元気そうであった。もう還暦を過ぎているので、いい加減仕事を辞めたらどうかと提案してみるが、親父はまじめな人だから、首になるまで仕事を続けるつもりだと言う。親父のまじめさには、頭が下がる。僕には、絶対真似できない。尊敬するよ。

5月30日(木)

 昼過ぎに郵便局へ行って、樹恩ネットワーク、日本の竹ファンクラブ、全国竹富島文化協会の年会費をまとめて支払う。さいわい、樹恩ネットワークと日本の竹ファンクラブには、学生会員という制度があるので、年会費が一般会員の半額で済む。こういう小さなことが、貧乏学生には助かるのだ。
 午後は、神奈川森林エネルギー工房の事務作業に時間を取られ、気がつくと夜になっていた。7時、サッカー日本代表を特集したテレビを見て、W杯があと1日に迫っていることを実感。テレビを見ているとき、日本の竹ファンクラブの平石さんから電話があり、来月15-16日に南伊豆で予定されている「絶品の竹の子を食べる会」に行かないかと誘われる。とても行きたいけれど、あいにく、両日は横浜駅西口で「環境にやさしいくらし」キャンペーンがある。どうしましょう。
 テレビを見終わり、オムレツを料理して食べ、食後のデザートに、最近凝っているオヲツヤの蜜豆を食べる。今日は、1パック(400グラム)158円売っていたが、先週はこれを98円で売っていた。あのとき、買い占めておけば・・・。
 9時過ぎ、弟に電話してみた。最近、9月の旅行のことでメイルでやり取りしているものの、話が1歩1歩しか進まないので、しびれを切らして電話することにしたのだ。20分くらい話をしている間、受話器の向こうで、ときどき赤ん坊の泣く声がした。きっと、僕の甥に当たる遼太であろう。一度、顔を見に京都へ行かないといけないなあ。

5月31日(金)

 昨日と同じく昼過ぎに郵便局へ行く。神奈川森林エネルギー工房の最新作『ますますバイオマス!』について、購入の申込みが相次いでいるので、まとめて郵送したのだ。その後、近所をぐるり散歩してから自宅近くに戻り、1週間ほど前から工事をしている現場に足を向けた。その場所で働いている人に「何ができるんですか?」と尋ねると、「児童館とか集会所とか」という返答がある。どちらが建設されるかわからなかったが、要は、またしても公共施設ができるわけだ。その工事現場は、高齢者在宅サービスセンターと保育所が隣接しており、ここに児童館なり集会所なりができると、この通りには公共施設が密集することになる。さらに、その通りに面して、歩いて1分以内のところには、僕が卒業した幼稚園と小学校がある。つまり、僕の住んでいるところは、子どもや高齢者にとっては絶好の場所であるようだ。そういうところに、いい年をした兄ちゃんが独り暮らししているのは、もったいないというか、なんというか。
 夕方、W杯の開幕が徐々に近づき、そわそわし始める。そして、いよいよ開幕戦「フランス×セネガル」が始まった。性格的に判官贔屓する僕は、試合開始当初から世界王者フランスに挑戦するセネガルを応援。しかし、セネガルが先制すると、掌を返してフランスを応援し始める。変わり身が早いのだ。結果は、1-0でセネガル勝利。嬉しくもなく、悔しくくもなく。
 そういえば、月が替わる前に、このサイトの背景を変えてみた。ネット上から適当に引っ張ってきて、いくつか試してみたものの、最後には前のものと最も違いが少ない背景を採用した。前の背景をもとにして、文字の色などを決めているので、思い切った変更ができなかった。一方、同時に背景を変えた神奈川森林エネルギー工房のサイトは、会の趣旨に合うように木目を生かしたデザインが良いと思うのだけど・・・。

TOP(日々の表現)雑記日記(2001/2/8-2003/8/25)

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