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日記帳|2002年7月

7月1日(月)

 5時、起床。調査に必要なものを家中からかき集める。衣類、洗面道具、雨具のほか、調査用具一式、関係資料など。調査用具一式とは、野帳、ノートPC、ICレコーダー、テープレコーダー、スライド撮影用カメラ、デジカメ、スマートメディアリーダー、充電機、モバイル・カードなどである。もちろん、記録媒体であるリバーサル・フィルム、スマートメディア、テープのほか、単3電池、単4電池、充電器なども必要だ。ほかに意識して持って行くのは、帽子とサングラスと魔法瓶型の水筒。帽子とサングラスは日差しを避けるため、水筒は冷たい水を持ち歩いて、無駄な飲料水を買うのを防ぐためである。また、洗濯するときに洗剤の料金を取られることがあるので、少量の洗剤も持って行く。念のため、健康保険証も持参しよう。福島に行ったときに、ハチに刺されたことがあったので。
 こういったものを、あまり大きくないリュックサックに詰めたほか、頻繁に取り出すものはトートバッグに入れ、7時に家を出発。9時15分、羽田空港発のANA83便に乗って、11時40分頃、那覇空港到着。東京は、梅雨空だったのに対して、那覇はすでに夏空の空だ。季節の違いを感じる。
 12時頃、空港からバスに乗って、県庁北口へ。パレット久茂地の上にある文教図書に立ち寄ったほか、ベスト電機でICレコーダー用のマイクを買って、1時頃、新金一旅館にチェックイン。荷物を置いて、近くの「マルテン(字は○の中に・)そば」でソーキそばを食べる。手早く昼食を済ませてからマチグワーに行き、サータアンダギーを食べ、豆乳を飲む。沖縄そば、サータアンダギー、豆乳の3点セットは、僕が沖縄に着くと、すぐに食べたくなる軽食だ。
 2時過ぎ、松尾バス停から小1時間ほどかけて琉大北口へ。橋を渡って大きな池を越え、図書館に足を運ぶ。この図書館は、検索システムが充実しているほか、書庫内にもかなり自由に出入りできるなど、使い勝手が良い。校外の利用者は資料の閲覧・複写のみに制限されるが、那覇市内からはるばるやって来るメリットはあるだろう。
 3時間近く文献を探した後、琉大東口から再びバスで小1時間かけて松尾バス停へ。サンダルを調達し、野菜チャンプルーを食べてから宿に戻る。とりあえず、沖縄で半日過ごしただけであるが、Tシャツは汗を吸い込み重たくなっていた。すぐにシャワーを浴びて、汗を流す。部屋はコインクーラーが付いているけれど、冷房は好きじゃないので、扇風機で過ごす。でも、かなり暑いので、すぐに汗が噴き出してくる。12時過ぎに就寝。

7月2日(火)

 台風が接近している。明日、西表島に渡る予定にしているけれど、石垣島からの船は出ないだろう。その前に、那覇から石垣までの飛行機が飛ばない可能性もある。いきなり、調査スケジュールの変更か?
 8時、朝食を取り、9時過ぎに宿を出る。郵便局に行き、出し忘れていた郵便物を送ってから、昨日と同じく、バスで琉大の図書館へ。大学に到着したのが、ちょうど2限が始まる前の休み時間だったので、キャンパス内を琉大生が行き交っている。見たところ、かなり女子学生の割合が多いようだ。いや、きっと東工大における割合が少なすぎるのだろう。
 図書館内は、適度にクーラーが利いており、静かで過ごしやすい。午前中、文献の閲覧・複写で時間を費やしてから、1時頃、生協で買った十穀米弁当を図書館前の広場で食べる。昼食後、1月のシンポジウムで名刺交換した農学部の仲地先生を訪ねる。シンポジウムのとき、西表島大富の農地開発事業に関して発言していたことを思い出したので、先生の個人的な意見を伺うために研究室を訪問したのだ。およそ2時間近くお話しを伺ったところ、仲地先生の大きな関心事項は、NACS-Jや哺乳類学会が展開したアンフェアな自然保護運動についてであった。その点については僕も同意する。そのほか、広範に議論したが、農業経済学という農学にありながら社会科学的なアプローチを採用するというマイナーな学問を専攻されているという点で、僕と似た境遇にあるようで、共感できる部分が多かった。
 3時半に話し合いを終え、再び図書館へ。ここで、6時過ぎまで過ごし、7時半頃に那覇市内に戻る。バスを降りるとすぐに、持参し忘れた携帯電話の充電器を求めに「ベスト電機」へ。最初は、店員さんから2,500円程度の充電器をすすめられた。しかし、僕が意外に高いなあという表情をしていたのだろう、身なりから旅の者だとすぐに分かったようで、故障しても何も補償はできませんがと前置きした上で、余っていた充電器を譲ってくれた。その充電器は、携帯電話を買い換えた客が、使わないからと店に置いていったものだという。誠に有り難い申し出だった。何度もお礼を言って、遠慮なく頂戴した。感謝、感謝。
 8時を回ったので、夕食としてタコライスを食べる。食後は、「快可立(Quickly)」で台中名物のパール(珍珠)ミルクティーを飲む。食後のデザートに豆花を食べたかったのだけれど、日本には入ってきていないようだ。日本人の味覚にも合うと思うけどなあ。
 9時半頃、宿に戻る。11時には布団に横になるが、暑くて寝られない。近くの飲み屋で、島らっきょうをつまみにビールを飲む。店内は客が僕1人だけだったので、店のお兄さんとすっかり話し込んでしまい、気付くと2時前。外は風が強くなっている。いよいよ台風が接近してきたようだ。

7月3日(水)

 8時に朝食を取り、9時にいったんチェックアウト。しかし、航空会社に電話すると、今日の那覇-石垣便は全便欠航が決まっているという。今年も、台風の影響のために飛行機が飛ばない事態を経験する羽目になった。これで、3年連続だ。自分が台風を呼び込んでいるのだろうか?
 今日中に八重山に行けないことが分かり、宿に延泊希望を申し伝える。予約状況では満室であったが、キャンセルが発生する可能性が高いという。宿の方の指示に従い、荷物を宿に置いたまま、欠航整理券を受け取るために空港へ行くことにした。空港で明日の航空券の予約を取って、宿に戻ると部屋が空いたというので、同じ新金一旅館でもう1泊することにした。
 台風の影響で風は強いものの、雨はほとんど降っていなかったので外出は可能。そこで、歩いて県立図書館へ行くことにした。途中、夏だというのに薪を燃やして作っている焼き芋を買ってから、12時頃、図書館に到着。2階の郷土資料室へ直行し、3時間ほどかけて資料を探す。
 3時過ぎ、図書館を出て宿に向かって歩いていると、1,000円でカットしてくれる床屋を発見。近頃、髪の長さが気になっていたので、安さに引き寄せられるようにして、その床屋に入る。髪の毛については、適当にまとまっていればよいという程度の考えしか持っていないので、この1,000円のカットでも僕は十分に満足した。永らく床屋で髪を切っていなかったから、顔剃りも久しぶりで気持ち良かった。
 4時頃、「まーさむん処・商六」でゆし豆腐セットを食べる。ここの軽食はどれも美味しい。ついでに、じーまみ豆腐も食べて腹ごなしをしてから、三越へ行く。一昨日の晩、寝ている最中にメガネの上に乗ってしまい、見事にフレームをひん曲げてしまったので、これを直してもらうために三越の7階にあるメガネ売場に行ったのだ。20分ほど時間があれば直せるというので、しばらく三越の店内を歩いて時間を潰すことにする。すると、6階で竹炭製品の販売を行なっているのが目に止まった。竹炭・竹酢液のほか、竹炭を練り込んだサポーターや竹炭入り枕、はては竹炭ブレスレットなど、各種取り揃えてある。ちょこっと声を掛けてみると、販売に来ていたその人は宮崎県日向の方だった。話によれば、日向はもともと備長炭の産地で、紀州、土佐に並んで三大産地の1つに数えられているという。これらの産地は、それぞれ出荷先が決まっていて、紀州は東京へ、土佐は大阪へ、そして日向は京都へと運ばれるらしい。なかなか面白い話ではないか。そのほか、佐賀県立花(橘?)町では、町を挙げて竹炭作りに取り組んでいるという話とか、白炭を作るためには、窯内の温度を1,000度以上まで上げて不純物を取り除いてから、消し粉をかけて一気に冷やすとか、15分程度、話をしていただいた。
 竹炭屋さんと話を終えてメガネ売場に行くと、先ほど預けたメガネが見事に直っていた。修理代を払おうと思ったら、無料でよいという。有り難いことだ。元通りに戻ったメガネを受け取って、マチグワーで買い物をしてから宿に戻る。7時過ぎ、就寝。

7月4日(木)

 2時半、起床。日記を付け、メイルを書き、資料に目を通すなどしていると、夜が明ける。明け方、まだ台風の影響が強いため、雨はともかく、風は猛烈に吹いている。11時に那覇を発つANK933便を予約しているけれど、飛ぶのかどうか心配だ。予約・案内センターに電話するが、全く繋がらない。エアーニッポンの石垣代理店に電話すると、433便の欠航が決まったと知らされる。電話は混雑しており、電話での予約変更が難しそうなので、早めに空港に行くことに決める。そこで、8時半過ぎにチェックアウトして那覇空港へ。交通手段はタクシー。普段はバスを利用しているのだが、今朝は11時まで運休だから、タクシーを利用するしかなかった。
 空港に到着すると、12時15分発の433便以降は出発する予定になっていることが分かったので、433便に予約を入れる。しかし、天候調査のために搭乗手続きはできず、出発ロビーで待たされることに。
 仕方ないので、椅子に座って本を読んで待っていたら、目の前を知った顔が通り過ぎる。チカちゃんだ。会社員時代の同期である。こちらから声を掛けると、相手もびっくりして「何でここにいるの?」と尋ねられる。その後、しばらく立ち話。チカちゃんは、仕事仲間とともに、1泊2日の強行日程で沖縄を訪れたそうだ。昨日、東京に戻る予定だったのが、欠航になったので、空港でキャンセル待ちをしているのだという。せっかく、沖縄まで来たのに、あいにく台風に見舞われて海に入ることも叶わなかったようだ。
 11時過ぎ、搭乗手続きが始まったので、チケットをゲット。今日中に西表島に行く予定にしていたが、八重山観光フェリーに電話すると、西表航路は全便欠航だという。このため、石垣島に1泊することに決め、常宿としている楽天屋に予約を入れる。
 昨晩から何も食べていなかったので、空港内のパン屋で昼食を取る。12時前、搭乗口前に行くと、433便の出発時刻が25分遅れて12時40分になっていた。しばらく待っていると、同じ時刻に出発する予定の宮古便は搭乗手続きが開始された。しかし、いくら待っても石垣便は始まらない。すると、突然、出発時刻が14時に変更。天気には逆らえないので、辛抱強く14時まで待つ。だが、なかなか手続きが開始せず、14時45分になって、やっと搭乗することができた。
 飛行機は、15時過ぎに飛び立ち、16時20分頃、石垣空港へ到着。バスで港前まで行き、楽天屋にチェックイン。荷物を下ろしてから、本屋巡りをしていると、今日2度目の珍しい出会いがあった。昨年、一緒にキビ刈りをやったイシさんである。イシさんは、石垣島で小説を書いているという。20分程度、立ち話をして、夕食を一緒に取る約束をして、いったん別れる。7時半、イシさんと待ち合わせ、居酒屋へ行く。その後、11時まで付き合った。
 今日は空港での待ち時間が長かったので、持ってきた大澤真幸『文明の内なる衝突』を読んだ。時間を潰すにはもってこいの適度な軽さと面白さだった。社会哲学を3つに分けて解説するところは参考になったし、イスラームと資本主義との関係、現在と恥との関係を論ずる部分は、きわめてスリリングだ。

7月5日(金)

 9時半、県立図書館八重山分館へ行き、本館にない資料などを閲覧・複写。12時半、お気に入りの「ゆうくぬみ」にて、日替わり定食とコーヒーぜんざいを食べる。1時半、マルチメディアセンターで約1時間ほど、ウェブの閲覧。2時半、A&Wで待ち合わせていたイシさんと会う。
 5時、石垣港を出て、約40分で大原港に到着。役場の移転が予定されているためか、港は新しく整備されていた。港に降り立つと、すぐに迎えに来ていた田村さんを発見。車で、しばらくお世話になる南風見荘へ。チェックイン後、まず桃原さんを訪ね、今年の50周年記念行事について聞き取り。25周年、40周年のときとは異なり、新たに記念誌を発行する予定はないという。6時、共同売店に入り、佐事さん夫婦に挨拶。店を出ると、仕事を終えてブガレナオシをしていたテツオさんと出会い、店の外に座ってビールをいただく。7時、明さんの家を訪ねる。明さんは不在だったので、お兄さんである静盡さんに電話で連絡を取り、パインを買う段取りをつける。昨年、西表島のパインを家族に送ったところ非常に喜ばれたので、今年は大量に送ることにしているのだ。取りあえずの用件が済んだので宿に戻ろうとしたら、ちょうど明さんが仕事から帰ってきたので、庭でビールをいただく。
 8時にいったん南風見荘に帰って夕食を済ませ、食後は武さんの家にお邪魔し、武さん、明さんらとユンタク。11時、武さんの家を出て、南風見荘に戻り、すぐに就寝。

7月6日(土)

 3時に目を覚ます。激しい雨がトタン屋根を叩く音に驚いたのだ。次の起きたのが5時。7時半、やっと床から出て、朝食を取る。昨晩までに届いたメイルに返事を出すなどしてから、10時前、前公民館長の章さんを訪ねる。章さん不在だったので、苗さんから開拓当時の状況を聞き取り。11時、海人の平良さんを訪ね、チエ子さんから聞き取り。
 12時過ぎ、いったん南風見荘に戻り、「らびっとにゅうず」の編集・発行。2時、毎年300t以上のキビを生産している小底さんを訪ね、竹富島から補充移民としてやって来てからの経緯を伺う。3時半過ぎ、昨年、一昨年とお世話になった泰志さんを訪ね、廃牛のことや役場移転などについてユンタク。5時45分、宮城さんを訪ねて、約1時間の聞き取り。
 7時前、宿に戻り、夕食をいただく。7時半過ぎ、同じ宿に泊まっている人とともに、田村さんの車で大原の離島振興総合センターへ。ここで、9時まで役場移転町民決起大会が開催されるというので、参加することにしたのだ。会場に入ると、ちょうどプログラムが始まるところだった。まずは、全員起立して竹富町歌斉唱。その後、開会宣言、経過報告と続き、主催者の竹富町役場移転促進協議会代表が挨拶。ここから、1人ひとりのスピーチが長くなり、町長と議長による激励の言葉、竹公連、竹老連、竹観協、竹婦連による連帯の挨拶が終わると、終了予定時刻の9時になっていた。5分程度の休憩を挟み、豊原の人たちによる太鼓ばやし、竹富島、新城島、西表島西部の公民館長の挨拶。さらに、大会決議、頑張ろう三唱があって、10時にやっと閉会が宣言された。
 閉会後は1時間程度の懇親会があって、オードブルとアルコールが用意された。この懇親会でも、たっぷりとスピーチの時間がある。竹富島公民館長の阿佐伊さんから「グシばっかり飲んでないで、なんかしゃべれ」と指名された僕にもマイクが回ってきた。これからは、地方自治、自立の時代ですなどと適当なことを述べて、なんとか無事にやり過ごす。11時半、懇親会終了。長壮さんの車で宿まで送っていただき、すぐに就寝。

7月7日(日)

 8時に朝食を済ませ、メイルの受送信および録音状況の確認などを行ない、9時半に宿を出る。まずは、自転車で集落と周辺の畑を周る。10時半、竹盛旅館を訪ね、洋一さんに必要な資料のコピーをお願いする。11時前、喜友名さんを訪ね、約1時間の聞き取り。12時、大山さんを訪ね、パイン生産最盛期の頃の話を伺う。1時半から少し写真を撮り、2時から3時までは宿に戻って休憩。3時過ぎ、明さんのお兄さん(セイジンさん)に電話すると、ちょうどパインの収穫を終えたところだというので、自転車で豊原に向かう。3時半、セイジンさんの家に到着。
 「こんにちは」と声を掛けたとき、セイジンさんは、収穫したパインから苗となる部分と実の部分を分けているところだった。「いくついるか?」と尋ねれたので、「30個」と答える。「大きいのは30個もないなあ」と言われたので、結局、5箱買うことにした。ゆうパック1ケースに、大きめのパインは5個、少し小さくなると6個入るので、5個入りを4箱と6個入りを1箱買うことにした。ゆうパックの箱を組み立て、そこに1つひとつ丁寧にパインを詰めてゆく。さらに、紐を掛けて宛名を書く。パイン代は、大きいのが1つ250円で、少し小さいのが6個で1,000円という計算で、全部合わせると6,000円だった。パインを詰め込んだ箱は、明日、大原の郵便局に持っていってくれるというので、郵送料はそのときに払うことにした。明日の9時に郵便局で待ち合わせることにして、5時過ぎに豊原を出る。
 大富に戻る途中、大原田の整備がすすんでいるという情報を得ていたので、工事の様子を見に行った。大原田とは、大原にある広い田んぼのことである。ここは、良田ではあるのだが、フカダー(深い田んぼ)なので機械を入れることができず、近年、放棄されていた。これが、排水設備を完備することで、見事な水田に生まれ変わると聞いている。工事現場に着くと、昨年までヨシ原のようになっていたところに大きな池ができていた。まだ、工事は初期の段階で、4年かけて整備するらしい。4年後の大原田は、どのように変わるのだろうか。
 5時半、竹盛旅館に立ち寄り、依頼していたコピーを受け取る。6時前、突然、放送が入る。耳をすませば、今日行なわれた八重山郡のミニバスケットボール大会で、大原小学校が男女ともに優勝したので、これからパレードを始めます、という内容だった。そこで、大富のメインストリートに向かうと、仰々しくも、地元のパトカーの先導により、車が10台くらい連なってパレードが行なわれていた。子どもたちは、軽トラの荷台に乗って、誇らしげにトロフィーや賞状を掲げている。いかにも、微笑ましい光景だった。
 6時過ぎ、港のそばのゲートボール場に行き、小山さんと竹盛さんと話をする。昨夏、この大富を訪れたとき、小山さんは足を怪我していたけれど、もうすっかり直って、由布島で働いているという。明さんのお父さんのように、体の具合を悪くしたという話を多く聞いているので、小山さんのように健康になったという話を聞くのは嬉しい。
 7時過ぎ、宿に戻って夕食。南風見荘の食事は、けっして派手ではないけれど、手作り感があって、ボリュームがあって、フルーツがつくので好きだ。
 8時から、神奈川県の新(クリーン)エネルギービジョン策定調査の企画案を考える。東京を発ってから、この宿題をいつやろうかとずっと考えていたが、結局、タイムリミットである今日になってしまった。時間がないので、2時間ほどかけて調査案を完成させ、ソフトエネルギープロジェクトの佐藤さんと県科学技術振興課に送る。12時過ぎに就寝。

7月8日(月)

 朝食後、9時前に大原の郵便局へ。すでにセイジンさんは到着していて、パインが詰め込まれたゆうパック5箱が局内に置かれていた。これを、郵送しようとすると、、飛行機が混雑していて積載できる荷物が制限されているため、到着が通常より1-2日遅れる見込みだと局員から説明される。すでに熟れているパインを送るので、1日でも早く届けたいと思い、速達便で送ることにした。1箱の郵送料は、2,070円。パインの値段の倍近くする。離島にいると、交通費や輸送費が、バカにならないほどかかることを、改めて実感した。
 10時、長壮さんのお母さんを訪ね、開拓当時の苦労話を伺う。「こっちに来たときの哀れ、難儀は死ぬまで忘られない」という言葉を、どのように受け止めればよいのだろうか。
 12時過ぎ、検診を受けるために石垣から戻ってきた金武さんを訪ねる。1時から金武さんは検診を受けに行くというので、後で農作業のお手伝いをする約束をして、いったん別れる。1時過ぎ、武さんを訪ね、30年ほど前の土地利用についてヒアリング。武さんには、いつもお世話になりっぱなしだ。
 2時半、金武さんから携帯に電話があったので、武さんと別れて金武さんと合流し、仲間崎にあるパッションフルーツのハウスへ行く。金武さんは、台風5号の被害を避けるためにパッションの棚を下げていたので、これを上げる作業を手伝ったのだ。その途中、大きな問題を発見した。なんと、4棟あるパッションのハウスのうち、1棟分のパッションが近くに放牧されている牛に食べられていたのだった。いつもにこやかな金武さんの顔色も、この事態に遭遇して、曇ったように見えた。そのとき、近くのハウスでパッションを栽培している保順さんがやって来た。話題は、パッションの栽培方法が中心だったので、僕はただ話を聞いていただけだった。すると幸運なことに、保順さんのパッションのおこぼれを預かることができ、お腹いっぱいになるほどパッションを食べさせてもらった。また、お土産もたくさん持たせていただいた。ごちそうさまでした。そして、ありがとうございました。
 4時過ぎ、金武さんの家に戻り、さらにお土産としてパッションをいただく。5時、宿に戻り、シャワーを浴びる。メイルをチェックしてから、7時に夕食を取る。7時半、NHK「クローズアップ現代」を見る。今日の特集は水源税。水源環境税の導入を検討している神奈川県と仕事をしているので、メモを取りながらじっくり見た。30分の番組としては、非常によくできた構成で、神奈川県の取り組みも、わかりやすく放映されていた。税収アップを目的とするのではなく、住民の意識改革を目指すという高知県・橋本知事の考えを高く評価したい。それは、もっと大げさに言うと、新たなムーヴメントを起こすということだからだ。
9時前、福地さんを訪ねると、これから夕食の時間なので1時間後に来るように言われる。いったん宿に戻って、10時に福地さんを訪ね、空中写真をお見せしながら、かつての土地利用について約2時間ほど話を伺う。ここでは、マンゴーをお土産にいただく。
 12時過ぎ、部屋に戻ると、何かが動いているので一瞬緊張する。よく見ればムカデだ。この部屋は、アリが常に行列をなしているし、しょっちゅうヤモリは出るし、ときには大きなクモやムカデにも遭遇する。こういう生き物と共生できない限り、この宿には泊まれない。

7月9日(火)

 8時過ぎに朝食を済ませて宿を出発。台風6号は去ったものの、台風8号の影響で、昨夜から雨が断続的に降っている。9時半、パインの収穫を終えて家に戻ってきた豊松さんと出会い、特大のパインを1ついただく。いったん宿に引き返し、そのパインを部屋に置いて、再び豊松さんの家を訪ね、保順さんから地名やマイナー・サブシステンスについて聞き取り。
 小1時間、昼食休憩を取った後、雨の中、大原まで傘を差して自転車を漕ぐ。1時、東部交通を訪ね、船舶課長の藤崎さんから、仲間川における業者間の地域協定について聞き取り。ヒナイ川と異なり、仲間川に参入している業者は少ないので、比較的、地域協定を結ぶのが容易なようだ。藤崎さんによれば、昨年度、環境省が西表島におけるエコツーリズムの実態調査を行なったという。これは、海津さんがいる資源デザイン研究所が受託したもので、なぜ西表でエコツーリズムが根付かないのかを調べたものらしい。東京に戻ったら、早速、この調査報告書を取り寄せないといけない。
 3時、那覇で入院していると聞いていた清弘さんを見つけたので、近づいて声を掛ける。昨年お会いしたときよりも病状が悪いようで、弱気な発言が多かった。こちらから質問することもなく、1時間近く清弘さんの話しを伺った。
 4時、猪垣を見に仲間崎まで行くと、ちょうどそこに昨晩話を伺った福地さんがいらっしゃったので、その場でかつての様子を説明していただく。4時半過ぎ、帯広畜産大の関さんに電話して、大富共同売店まで必要な書類をFAXしていただく。5時過ぎ、検診から戻った大谷さんを訪ね、1時間半近くユンタク。7時に夕食。疲労がたまってきたのか、布団に横になると、そのまま就寝。

7月10日(水)

 9時半、泰志さんを訪ね、小さな疑問をいくつか尋ねる。10時過ぎ、一昨日話を伺った福地さんの家を訪ね、「こい・なーら」という家族新聞を出している横浜在住の平得さんを紹介していただく。平得さんは、大富の開拓団長だった福地さんのお父さんのことをよくご存じらしい。帰京してから訪ねてみよう。
 12時、宿に戻って休憩。同じ宿に泊まっている人が、南風見田の浜に行きたいというので、金武さんから自転車を借りて、彼に貸す。1時過ぎ、共同売店に行って、お土産用のパインを購入。売店から段ボールや新聞紙をいただき、パインをを箱詰めして、宛名を書く。その後、田村さんに来ていただき、車で大原郵便局まで行き、荷物を送る。
 徒歩で大富まで帰り、3時に「やすみや食堂」へ。ここで、高嶺さんからライフ・ヒストリーを聞き取り。高嶺さんは、竹富島出身なので、竹富島のことについても、あわせて伺う。
 5時過ぎ、栄さんのお母さんを訪ね、2次移民について聞き取り。1次移民と2次移民、大宜味班と地元・久米島班。この相違は、かなり大きいようだ。
 7時に宿に戻り、食堂に入ると、長壮さんや鉄夫さんが同僚とブガレナオシをしていた。その恩恵に預かり、夕食とともにビールをいただく。9時に食堂を出て、酔い醒ましに集落内をサイクリング。港前の広場にある椅子に寝転がり、風に吹かれながら夜空を眺める。うたた寝をしていたらしく、気付くと11時。宿に戻って、就寝。

7月11日(木)

 今日は、大富滞在の最終日。朝食後、保順さんからいただいたパッションフルーツを、同じ宿に泊まっていたお客さんとともに食べる。10時50分に大原を出発する船に乗って石垣へ。港に到着後、銀行でお金を下ろし、県立図書館で資料探し。2時前、「石垣島キッズ」でコロッケ定食を食べる。このお店は、BGMとしてかけられている音楽の趣味が良くて落ち着ける。昼食後、先島ビジネスホテルにチェックイン。少し休憩して、資料探しのために市立図書館へ。ここで、八重山情報コーナーを担当している飯田さんに挨拶。大阪市大の学生が、八重山開拓をテーマに研究していることを教えていただく。
 6時、図書館を出る。どこかに置き忘れてしまった折り畳み傘を買い求めるために、お店を探し回る。なかなか見つかられず、小1時間探し回って、市場内のお店で折り畳み傘を発見。店のおじさんと会話が弾んだためか、いざお金を支払うというとき、パイナップルを勧められ、タッパー1箱に入ったパインをいただく。
 7時半、「まーさん道」で八重山そばを食べる。8時、八重山文化研究会の招待講演会を聴くために県立図書館に行く。今晩のテーマは、「祝い事と礼法について」。講師は、『雑穀の社会史』の著者で、立教大学講師の増田昭子さんだった。
 9時半に講演終了。飯田さんの勧めにより、増田さんを囲んでの懇親会に参加する。「南ぬ島」で12時まで飲みながら語らった後、ホテルに戻る。

7月12日(金)

 9時半にホテルを出て、郵便局へ。集めた資料をまとめてゆうパックで送る。10時半、町役場に林務係の安里さんを訪ね、ヒナイ川での動力船とカヌーの利用方法について合意を得たルールにかんしてヒアリング。
 11時半、石垣港へ。西表島の西部へ行きたいのだが、上原航路は波が高くて動いていない。このため、12時に港を出発する大原航路を利用して、西表島東部に到着。その後、バスに小1時間乗って、上原にある「みどり荘」へ。チェックイン後、すぐに自転車を借りて、西に向かって走る。
 2時過ぎ、西表島エコツーリズムセンターを訪ね、協会事務局スタッフの永井さんに挨拶。賛助会員としての年会費を支払ってから、昨年度、環境省が調査した西表島におけるエコツーリズムの実態調査報告書を見せていただく。しばらくして落ち着いてからは、マーニおよび稲藁を使った玩具作りに挑戦。4時にセンターを離れ、アポを取っていた「ペンション・アトク」の河合さんを訪ねる。
 河合さんを訪ねることにしたのは、以前、ユニマットによる月が浜開発にかんして、協力を依頼するメイルをいただいていたからだ。河合さんによれば、サイトを通じて、僕が西表島のエコツーリズムに関心を寄せていることを知ったらしい。今回、せっかく西表西部に滞在するのだから、一度、ご挨拶に伺おうと思い連絡を取ってみたところ、今日の夕方ならば空いているというので、時間を割いていただいたのだ。
 月が浜開発とは、今後2年間で、ホテル2棟349室、コテージ25棟288室、レストラン・店舗4,045m2、クワハウス780m2、従業員寮165戸を建設しようというものである。つまり、2年間のうちに、1,000人程度が宿泊できる施設が次々と作られるということだ。この1,000人という数は、西表島の人口がおよそ2,000人であることを考えると、かなり大きなインパクトを与える規模である。だから、地元・浦内に住む人々の中には、生活環境の悪化など、不安を覚えている人が多いという。にもかかわらず、事業者や町からの説明は不十分なため、不安が取り除かれないまま、今年8月から工事が始まるらしい。河合さんからの話を聞いた限りでは、住民への説明が不十分なので、もう少し時間をかけて事業を進めるべきだと思う。ユニマットは、小浜島にゴルフ場を完成させ、西表島にリゾートホテルをつくろうとしているが、どのような事業戦略を立てているのかが見えないので、不信感を強く抱いてしまう。
 6時半、「アトク」を出て、自転車を漕いで東へ。すると偶然、東大の大地くんに出会う。聞けば、中野で農園の手伝いをしながら、フィールドワークに勤しんでいるとのことだ。その場で15分程度立ち話をして、大地くんと別れ、7時に宿に戻る。シャワーを浴びてから夕食。その後、部屋に入るが、蒸し暑くてじっとしていられないので、散歩に出掛ける。サガリバナ鑑賞ツアーに参加しようとツアー業者に電話するが、今年はもう花が散ってしまったという。残念。カンピラ荘の隣にある無人販売所で、パイナップルを購入。これを、上原港まで持って行き、涼みながら食べる。9時半、宿に戻るが、相変わらず暑い。これでは、寝られない。仕方なくコインクーラーにお金を入れて、10時半には床に就く。が、今度は蚊がうるさい。明かりを点けて、蚊を4匹退治して、やっと眠れた。

7月13日(土)

 9時半に宿を出て、西表島エコツーリズムセンターへ。事務局スタッフの井口くんが来ていた。午前中、彼を講師として、藁細工を習うことに。作るものは、卓上用の藁箒。まず、準備として藁の芯の部分を147本集める。この作業は、1本1本、藁から芯を抜き出すので、かなりの手間である。途中、フリーでガイド業をしているというウンペイがやって来たので、3人でユンタクしながら藁細工に取りかかる準備作業を行なう。結局、この作業だけで、12時になってしまった。
 昼食として、「唐変木」でイカ汁そばを食べる。800円という値段はちと高めだが、けっこういける味だ。このとき、同じ机に座った人で、しきりにメモをしたり、写真を撮ったりしている人がいた。そこで、声を掛けてみたら、『沖縄・離島情報』の取材をしている人だった。この人と20分程度話をしてから、センターへ。
 センターに戻るとすぐに、藁箒を作り始める。20本ずつの藁束を7つにまとめ、それを藁ひもで束ねてゆく。そして、最終的に箒の形になるように持って行く。トータルで約3時間かけて、やっと藁箒は完成。でも、格好悪い。今年、恩田の谷戸で米づくりをしているので、そのときに出る藁を使って、もっと出来の良い箒を作ろうか。
 3時頃、センターに来ていたエコツー協会会長の金星さんに挨拶。また、住み込み調査を行なっている国立公園協会の前田くんとも挨拶。3時過ぎ、センター内でエコツーリズムに関するビデオを見せていただく。5時、閉館時間になったのでセンターを後にし、宿に戻る。途中、カンピラ荘の隣にある無人販売所でパインを購入。ここの果物は、安くて美味しい。
 宿に到着後、シャワーを浴びて、洗濯する。7時半過ぎ、夕食。9時、待ち合わせ通り、前田くんが大地くんを乗せてやって来た。せっかくの機会なので、飲みながら話をしようというのだ。最初は、僕のいる上原近辺で話をしようと考えていたが、適当な場所がないので、前田くんの車に乗って、彼が住む星立の部屋へ。
 今回、フィールドに入るまで知らなかったが、平成13年度から環境省では、「共生と循環の地域社会づくりモデル事業」を行なっている。このモデルとして、対馬、佐渡島と並んで対象地となっているのが西表島である。前田くんは、この事業の調査員として、今年2月から来年3月までフィールドワークを行なうのだという。一方、大地くんは、西表の各集落で農家で手伝いをしながら、フィールドワークを行なっている。2人とも長期間かけて住み込み調査を実施しているので、話をしてみると多くの情報を持っていることが分かる。これなら、自分が調査すべきことは少ないかもしれない。二次資料を利用しても、かなり調査できるように思った。
 前田くんの提案により、西表島をフィールドとする研究者のネットワークを作ろうということで話がまとまり、1時頃になってトークは終了。その後、車で宿まで送り届けてもらい、就寝。

7月14日(日)

 昨日で調査の前半戦は終了。今日からは後半戦。
 9時半、みどり荘をチェック・アウトし、カンピラ荘にチェック・イン。西表島西部には、お気に入りの宿を見つけていないので、上原で人気の高いカンピラ荘に泊まってみることにしたのだ。
 10時、西部に来てから、毎日自転車を借りているので、たまには徒歩で調査しようと思い、歩いて西に向かう。中野の「民芸 ぷーら」という店に立ち寄り、CD『TINGARA(天河原)』を購入。これは、西表島エコツーリズムセンターに行くとエンドレスでかかっているCDで、夏に聴くと気持ちよさそうだから買ってみた。
 11時、エコツーセンターに到着。てっきり寄贈したつもりだった2年前の調査報告書が、センターに収められていなかったので、その場でコピーして差し上げる。12時、井口くんの車で、星の砂にある「ほしずな亭」まで送ってもらう。ここで昼食として、八重山そばとぜんざいを食べる。ぜんざいは、黒糖シロップ入りのオリジナルで、けっこう美味しい。
 1時過ぎに店を出て、歩いて浦内方面に向かう。途中、住吉で出会った2人のおばぁから、開拓の歴史を聞き取る。この住吉集落は、54年前に宮古から移民してきた人たちによってつくられた。東部の大富が今年50周年を迎えるので、それよりも少し歴史が長い。住吉のことを、もっと集中的に調べたら面白いかも。
 4時、今日2度目のエコツーセンターへ。真剣な面持ちで資料を読み込んでいる人がいたので、研究者だろうと思って声を掛けてみると、そうではなかった。神戸から来た梶原さんというその人は、仕事を辞めて沖縄を旅している最中で、今後は農的な暮らしをしていきたいという。生まれ故郷である丹波には、丹波布(たんばふ)という織物があるという話に、強く興味を引かれた。
 5時、センターの閉館時間になった。歩いて上原に向かっていると、船浦から自転車で来ていた梶原さんが、荷台に乗るよう勧めてくれた。遠慮なく自転車の2人乗りをして、カンピラ荘まで送ってもらう。どうもありがとうございました。
 シャワーを浴び、夕飯を食べると、涼を求めて風のある上原港に行く。そこで日が暮れるまで夕涼みしてから、「しょうとく庵」へ。お店の辻口さんにわがままを言って、ヒーリング・CD『西表島』を試聴させていただく。これを聴きながら、辻口さんと月が浜開発などを話題にしながらトーク。9時過ぎ、試聴したCDを購入してから、宿に戻り、そのまま横になったら寝ちまった。

7月15日(月)

 8時、ウンペイが宿の前まで迎えに来てくれた。サガリバナを見たいと井口くんに言っておいたら、昨夜、ガイドのウンペイと連絡を取ってくれて、2時間ほどのトレッキング・ツアーに連れて行ってもらうことになったのだった。
 ウンペイの車で、上原の土地改良区の外れまで行き、そこから歩いて山道を歩いて行く。ヤマネコ観察の巡視路ともなっている道らしく、道幅も狭くなく、比較的平坦で歩きやすい。ウンペイは、特にシダ類が好きらしく、コシダ、ヤブレガサウラボシなどを丁寧に説明してくれる。ゆっくりと約1時間ほど歩くと、湿地帯にサガリバナ群落があった。すでに、開花の最盛期は過ぎていたようだが、白いものから赤いものまで水面に花びらが落ちていた。このツアーで、もっとも興奮したのは、リュウキュウサンコウチョウを目視できたことだった。森の中ではルビー色のアイリングが一際目立っていた。
 10時半頃、ツアーは終了。車でカンピラ荘の前まで送ってもらった後、スーパー川満の前で缶ジュースを飲みながら互いに感想を話したりする。11時にウンペイと別れるとすぐに、みどり荘で自転車を借りて、エコツーセンターへ。ここで、資料をコピーするなどして2時半まで過ごす。
 3時、アポを取っていた琉大熱帯生物圏研究センターの新本先生に電話をすると、出張からの戻りが予定よりも遅くなっているという。時間を持て余したので、カンピラ荘の近くで畑仕事をしていたトヨおばぁに声を掛け、1時間半ほどライフヒストリーを聞かせていただく。
 5時過ぎ、熱研に新本先生を訪ね、小浜島について書いたレポートを差し上げるとともに、来年度から西表島をフィールドとして本格的に始動する総合地球環境学研究所のプロジェクトについて話を伺う。
 夕食後、しょうとく庵のベンチでくつろいでいると、辻口さんがお店から出てきたので、2人でユンタク。辻口さんは、非常に魅力的な人である。語り口はソフトだけれど、非常に行動派だ。海人であり、貝細工の職人でもある辻口さんは、八重山の海をこよなく愛し、これを守ることに対して情熱的である。えらい格好いいおじさんだ。だから、話をしていると楽しい。
 9時前、カンピラ荘のおばぁと立ち話。このおばぁも、また、とっても魅力的な人だ。少し話をしただけで、客やヘルパーに対して常に感謝しているという気持ちが、よく伝わってくる。僕が毎日食べるのを楽しみにしている無人販売所のパインは、おばぁが毎日心を込めて切っているという。だから、美味しいのだろう。今日は、すでに2パック食べていたのに、おばぁと話をしていたら、また1パック食べたくなったので購入した。大きめに切られたパインが12個入って、たったの100円しかしないこのパインは、西表島で僕が最も好きな食べ物である。

7月16日(火)

 今日は、いよいよ西表島を去る日である。
 朝食後、9時にチェックアウト。荷物はカンピラ荘に置いたまま、みどり荘で自転車を借りて熱研へ。昨日、お伺いした研究プロジェクトについてと、ヒナイ川の施設整備に関する資料をコピーする。
 10時に自転車を返却し、無人販売所でパインを食べる。明日以後、このパインを食べられないかと思うと、残念至極である。西表島西部に移動してきて以来、ずっとこの販売所のお世話になってきた。何か感謝の意を表そうと、お金を入れる箱の中に、現金100円とともにメッセージを書き込んだ名刺を入れておいた。
 その後、しょうとく庵でマガキ貝の箸置きを購入。辻口さんにお礼を言って別れ、11時20分に上原港を発つ。
 12時過ぎ、石垣港に到着。郵便局に行き、必要なお金を下ろし、家族や親戚に送るパインを郵送。できれば、西表島産のパインを送りたかったのに、手元に十分なお金がなかったので、やむなく石垣島産のパインを送ることになった。ひいき目かもしれないが、石垣産よりも西表産の方が、甘みがあって美味しいように思う。
 その後、市立図書館の飯田さんを訪ねるが不在。4時頃、戻って来るというので、館内に荷物を下ろして、町役場に向かう。役場では、商工観光課の通事さんを訪ね、町の観光振興基本計画と新エネルギービジョンをいただく。企画課を訪ね、第3次総合計画を閲覧しようとするも、現在印刷中だという。
 少し時間が空いたので、「ゆうくぬみ」でコーヒーぜんざいを食べてから、市立図書館に戻る。飯田さんから図録『資料に見る沖縄の歴史』を受け取る。先日差し上げた論文の草稿について、飯田さんは、途中までしか読んでいないと断りつつも、面白いと評してくれた。こうした言葉をかけてもらえるから、文章を産む苦しみにも耐えられるのだ。
 4時過ぎ、教育委員会を訪ね、教育長の黒島さんにレポートを差し上げる。4時半、石垣を出て竹富島へ。港に着くと、正聖さんが迎えに来ていたので、送迎車に乗り込む。内盛荘に到着し、お茶をいただいてから、スミさんにレポートを差し上げる。荷物を置いて、集落を一回りしてから宿に戻ると、出島さん夫妻に出会う。出島さんらとはタイミングが合うらしく、内盛荘で会うのは4回目である。
 夕食後、内盛荘に通い始めて30年になるという常連の遠藤さんと、エビ養殖で働いているトモちゃんと、出島夫妻らと庭で宴会。内盛荘に泊まると、いつもこのパターンだ・・・。

7月17日(水)

 9時半に宿を出て、公民館長の阿佐伊さんと喜宝院の芳徳さんを訪ね、レポートを差し上げる。10時半、民芸館に行き、ミンサー織りを体験。500円を支払い、コースターを作る。
 11時、宿に戻り、庭の宴会スペースに天幕を張るのを手伝う。先日襲来した台風の影響で天幕が破れたため、新調しようというのである。天幕がないと、庭で飲んだりくつろいでいるときにゆっくりできない。昨夜も、断続的ににわか雨が降るという天気だったので、空を気にしながら飲んでいた。このため、天幕張りは急務だとして、佳美さん、正聖さんのほか、宿泊客の徳丸くんと4人で幕を張ることに。
 ロープを使って幕を固定していたところ、佳美さんがいろいろと生活の中のロープワーク術を指導して下さった。もやい結びや南京締めのほか、船を固定する方法や、牛を繋ぐ方法など、1つひとつ実演して下さる。生活する上でのこうした技術について学ぶことは、雨の日の観光として売れる商品かもしれないなどと思う。
 1時過ぎ、天幕張りとロープワーク術講習会は終了。遠藤さんが運転する車に乗って、徳丸くんとともに「やらぼ」で昼食。いつも通り、フーチバジューシーを食べる。2時半、宿に戻り、『トゥンナ』最新号に載っている「竹富島認識度テスト」に挑戦。結果は、200点満点で175点。スバラシ級で、「次は夜通しユークイに参加だ!」とある。181点以上は、ホンジャー級で、「島で働けます(笑)。ブラボー!」とある。僕の立場からすれば、ホンジャー級でないと、まずいだろう。
 3時、正子おばぁを訪ね、2時間以上お喋りをする。途中、正子おばぁが目薬を差すために10分程度横になっている間、パインを1個と庖丁を渡されたので、丁寧に切って全部いただいた。
 5時過ぎ、公民館前に行くと、公民館役員や青年会の人びとが中心となって、島内から集められたペットボトル、牛乳パック、トレーを整理している。これらは、業者に引き取ってもらい、観光フェリーで石垣から送られてくる荷物の帰りの空箱を利用して、石垣へ送るのだという。しかし、石垣島にはペットボトルをリサイクルする施設がないので、これらはさらに沖縄本島に送られ、リサイクルされるのだそうだ。
 夕食後、8時から遠藤さんに引率されて、ほかの宿泊客7人とともに車でナーサラの浜に行く。ここで、夜風に吹かれながら宴会。あいにく星空には恵まれなかったものの、ゴザを敷いて寝転んでいると、そのまま眠りにつきたくなるほど気持ちよかった。12時過ぎにお開き。

7月18日(木)

 朝食後、宿を出て集落を散歩。10時、亀井さんのお宅にお邪魔して、ナツさんから聞き取り。子どもの頃はおてんばだったようで、サトウキビやクワを泥棒したことなどを、いきいきとお話しになる。また、台湾暮らしが長かったので、その時の思い出話なども聞くことができた。
 12時、とも倉に立ち寄り、『星っころ』という手作り玩具の作り方が書かれている本とCD『竹富島のわらべうた』を購入。また、次子さんと小1時間立ち話。1時、戻り、正玄さんから鳥の捕り方などを伺う。
 「竹の子」で八重山そばを食べてから、3時過ぎ、大さんの家を訪ねる。ちょうど、春江さんは芭蕉の糸をよっているところだったので、側に座りながら、昔の養蚕やタバコ栽培のことなどを伺う。
 夕食後、昨晩と同じく遠藤さんの引率により、宿泊客全員と夜の浜に繰り出す。今日は昨日よりも天気が悪かったが、気持ちよかった。12時過ぎにお開きになり、さらに宿の庭で飲み直す。
 2時前にお開きになり、メイルをチェックすると、友だちから僕の誕生日を祝うメッセージが届いていた。どうもありがとう。ありがとう。

7月19日(金)

 今日は、マイ・バースデイ。33歳になった。これからの1年も、マイ・ペースで、じっくり行きましょう。
 10時、丸八でバイトをしている小川くんと立ち話。海人の彼は伝統的な漁法に関心があるようで、ンゾー捕りの話や、宮古で行なわれる急須を利用した漁のことなどを教えてもらった。
 10時半、いったん宿に戻り、スミさんから豊年祭のことを尋ねる。11時半、高那の三郎おじぃを訪ねるが、おじぃは不在で末子おばぁが庭で掃除をしていた。少し立ち話をして、午後に再び訪ねることにする。昼食後、1時半、再度、三郎おじぃを訪ね、海のマイナー・サブシステンスについて集中的に確認を取る。話を伺っているとき、おじぃは稲藁で大鍋の蓋を作っていた。聞けば、8月上旬に石垣島で老人クラブの品評会があるので、それに出展する作品を作っているのだという。西表島で稲藁から馬を作るやり方を教わってきたことを告げると、三郎さんから、品評会に出すための馬を何個か作ってほしいと藁束を持たされた。
 4時、とも倉で次子さんから、おじいさんである上勢頭亨さんについて話を聞く。5時過ぎ、公民館長を訪ね、先に渡したレポートのことで小1時間意見を交わす。
 6時に夕食。今晩の泊まり客は、僕と遠藤さんのみ。トモちゃんも交えて庭で飲む。稲藁から馬を作りながら、泡盛を飲む。かなりいい気分で酔っぱらって、12時頃、就寝。

7月20日(土)

 朝食後、メイリング・マガジン「らびっとにゅうず」の編集・発行に取りかかる。11時、昨晩飲みながら作った馬を5個携えて、三郎おじぃの家を訪ねる。喜んでいただけたようだった。昨日と同じく、海のマイナー・サブシステンスについて話を聞いていると、昼時になったのでお暇する。
 12時、「たかにや」で休憩。ケーキ・セットを食べてから宿に戻ると、そばを湯がいたから食べるよう勧められる。佳美さん、健太、遠藤さんとともに、庭でそばを食べる。大量に食べたので、満腹になった。
 そばを食べているとき、トモちゃんがやって来た。1日遅れの誕生プレゼントをいただく。トモちゃんが、浜で集めた貝を材料に作った非常に素敵な飾り物であった。どうも、ありがとう。
 3時、亀井さんの家を訪ね、保文さんからザルに使用する植物や、海での漁の仕方などの話を伺う。4時、とも倉で次子さんと立ち話。5時、ヤギの餌を集めていた正玄さんを見つけ、カズラについて尋ねる。
 夕食後、東京芸大の調査チームが、やって来た。さっそく、代表者の益田先生にご挨拶。先生によれば、平成12年度から4年間の科研費「東アジア周縁部の土着の聖なる空間に関する研究」により、竹富島の世持御嶽等について調査しているのだという。23-24日と豊年祭があるので、それに合わせて来たのだろう。
 シャワーを浴び、9時過ぎから、常連の井上さんと芸大の学生と庭で飲む。今日もいい気分に酔っぱらったまま、ごろんと横になって眠る。

7月21日(日)

 荷物が重くなってきたので、竹富島を離れる前に、小包を郵送する準備をする。今日は、日曜日で郵便局が開いていないので、明日、郵送してもらうようにスミさんにお願いする。
 9時45分、竹富発の高速船に乗って石垣へ。県立図書館へ行き、新聞を読み、資料探してコピーする。新星堂で本を購入してから、昼食をとるために「ゆんた」へ。すると、西表島・古見で援農ネットワークをやっている佐藤さんと遭遇。隣の席に座って話を始める。
 西表島農家援農ネットワークは、すでに始めて7-8年になり、ある程度、地元農家から信頼されるようになってきた。しかし、経営の観点からすると、毎年、世話人の佐藤さんが自腹を切らなければならないので、この辺りで組織を改質してゆく必要があるのだという。そのためには、NPOとして法人化して、きちんとして事業体としての体をなしてゆきたいようだ。しかし、当人の佐藤さんが、最近、あまり体調が優れないようで、この構想は実現化に向けて前進できない状況にあるらしい。 聞いた限り、面白そうな話ので、今後とも連絡を取り合うことを約束して別れた。
 1時半、桟橋で小浜島行きのチケットを購入。30分ほど時間があったので、桟橋近くのコピー機で、持ってきたレポートをコピー。2時、石垣発の船で小浜島へ。それから、集落線のバスに乗ってカヤマ荘に到着。
 海が見渡せる眺めの良い部屋を案内され、一息ついてから外出。登野さんに挨拶してから、研にぃの家にお邪魔する。家には、研にぃ、マリコさん、タクマ、さらに、昨年産まれたばかりのヒロナちゃんがいた。ヒロナちゃんは、だいぶ大きくなり、顔立ちがはっきりしていた。ちょうど、高校野球の沖縄予選決勝が中継されていたので、それを見ながらユンタクする。中部商業の甲子園行きを見届けた後はビデオ鑑賞。昨年、結願祭の時期に小浜島にやって来た「ふるさと援農隊」のことを収めたビデオを見る。研にぃの家で1時間半ほど過ごし、持参したレポートを差し上げてからお暇する。
 5時、昭おばぁを訪ね、1時間ほどユンタクする。最近、おばぁは入退院を繰り返しており、昨日、病院から出てきたところだという。昨年末、台湾に行く直前にお会いしたときは元気そうに見えたので、具合が良くないことを聞いて驚いた。半年や1年ぶりにお会いすると、体調が激変していることがままある。いつまでも元気に、長生きしてください。
 7時、夕食。すでに小浜島に入って調査しているマリちゃんに連絡を取り、いくつか資料を渡すとともに情報を交換する。9時頃から12時過ぎまで眠り、いったん起きてメイルをチェック。友だちから、近く結婚するというメイルが届いていた。素直におめでとうと言いたいところだけど、同時に軽いショックを感じる。人に対する気持ちって複雑。

7月22日(月)

 9時半、うふだき荘に寄り、清おじぃから、私のふるさと果樹園制度の問題点および黒ゴマの生産状況について伺う。10時、煮たバショウからアカイを使って不純物を取り除いている秀おばぁを見かけたので、近づいて30分程度ユンタク。10時半、スイギュウを引く長光おじぃを発見。田んぼまで付いていって、実際に、スイギュウを使って田起こしをしている様子を見る。スイギュウの鼻息の荒さに興奮。 11時、キヌおばぁを訪ね、12時過ぎまで染織のことなどを話題にしながらユンタクする。
 最近、新しくできた「結(ゆい)」で昼食をとり、1時半、善立おじぃを訪ねる。ちょうど、サンカクイを材料にヤマというものでオームスと呼ばれる筵を編むところだったので、その様子を見ながら、これまで聞いてきたことの確認を取る。
 4時頃、ファームで働いているコウスケが善立おじぃを訪ねてやって来た。明日、読谷で陶芸をやるために島を離れるので、島人に別れの挨拶をしているのだという。4時半頃、善立おじぃとコウスケと別れ、5時過ぎ、昨日と同様、昭おばぁのところへ行き、ユンタクする。7時、夕食のために宿に戻る。
 宿に戻る途中、小浜島の男たちが50人ほど集まっている家があった。今日は、ここで豊年祭の練習をするのである。男たちは、豊年祭が始まる20日前から、ほぼ毎日、ある家に集まり、太鼓と歌の練習をするのだ。今日の練習場所となっている家は、泊まっている民宿から近いので、男たちによる声と太鼓がよく聞こえていた。
 8時前、マリちゃんが宿までやって来て、昨日渡したレポートについて的確にコメントしてくれた。調査中で忙しい中、短くもないレポートを読んでくれたマリちゃんに感謝。その後、「結」に移動し、1時間ほどトーク。10時にマリちゃんと別れ、宿に戻る。
 すでに豊年祭の練習は終わっている時間だ。しかし、家に残っている男たちが数人いるようで、時折、大きな男たちの声が聞こえてくる。だいぶお酒も回っているのだろう。一人ひとりの声が大きいようだ。島最大の祭りは、後10日に迫っている。  

7月23日(火)

 9時過ぎ、善立おじぃを訪ねる。昨日と同じく、オームスをスエおばぁとともに編んでいるところだった。「おはようございます」と声を掛けると、ちょうど僕のことを話題にしているところだったと言う。「どんな話題?」と尋ねると、「(僕が)新沼謙二(字はこれで合ってたっけ?)に似ていると話していたところさぁ」だと。喜んでいいのか、悲しむべきなのか・・・。
 オームスを編んでいる脇に座らせていただき、約2時間、水田でのマイナー・サブシステンスなどを伺う。11時、昨日から作り続けていたオームスが完成。ちょうど畳2枚分の大きさに仕上がった。家の中に置いても良さそうなので、半分の大きさのオームスを注文した。でも、注文が多いので、手元に届くのは来年になりそう。
 その後、善立おじぃの車に乗せていただき、小浜島のタケを一通り見て回り、お礼を言って別れる。12時になったので、「シーサイド」で昼食をとり、1時過ぎからは集落の周りで写真を撮る。
 2時、英光おじぃを訪ね、水鳥の捕り方などをいま1度確認する。4時過ぎ、春おばぁを訪ね、タケとカニのことについて尋ねる。ここに至っても、情報が錯綜して、タケとカニの同定ができない。うーむ。
 夕食後、涼を求めて外出すると、春おばぁの家でマリコさんが庭で散水していた。驚いたような顔をすると、春おばぁはマリコさんの母方の祖母なのだという。島内は、みんな家族のようであることを、改めて感じる。
 8時過ぎ、「ヤシの木」で黒糖シロップをかけたかき氷を食べる。これが美味しいのだ。宿に戻るが、暑いのですぐに外出し、ビールを1缶買ってきて、本を読んでから眠る。

7月24日(水)

 9時45分、小浜発の船に乗って、日帰りで石垣に出る。市立図書館へ行き、ネットに接続し、自分のサイトのBBSに書き込むなどする。また、飯田さんに特別お願いして、館内の図書を1日だけ借用。方名と標準和名との対応が不十分なので、図鑑を島人に見せることで、どれが何なのか指さしてもらおうと思ったのだ。
 郵便局で貯金をおろし、県立図書館へ行き、必要な資料をコピーする。1時過ぎ、A&Wをのぞくとイシさんがいたので、同じテーブルに着いて昼食をとる。あまり時間がなかったので、手短に別れの挨拶をして、2時には石垣島を出る。
 3時過ぎ、宮良荘を訪ねると、チカさんがいたので、1時間程度、ユンタクする。4時半、英光おじぃを訪ねると、牛小屋から帰ってきたばかりだったので、一緒にお茶を飲んでのんびりしてしまった。5時半、春おばぁを訪ね、6時過ぎ、昭おばぁを訪ね、「また来るね」と約束して別れる。
 夕食後、8時過ぎ、ビールを半ケース携えて善立おじぃを訪ねると、晩酌を嗜んでいるところだった。今日借りてきた図鑑を見ていただきながら、方名と和名との対応を確認する。10時前にお暇して、宿に戻る。

7月25日(木)

 9時、研究室に送る荷物を郵送。9時45分に小浜を発つ船で石垣へ。市立図書館へ行き、昨日借りた図書を返却。12時前、「ゆうくぬみ」で八重山そばとコーヒーぜんざいを食べる。食後、タクシーでTSUTAYAへ行き、CDを購入。1時、『八重山要覧』を入手するために八重山支庁へ行くが、在庫はないと言われる。あらら。
 支庁前からタクシーを拾い、石垣空港へ。2時発のJTA612便にて那覇空港へ。3時過ぎ、バスに乗って国際通りの松尾バス停へ。3時半、新金一旅館にチェックイン。荷物をおろしてからシャワーを浴び、ドトール・コーヒーへ。
 4時半、待ち合わせしていた松井先生と会う。先生が編集する本に収められる僕の論文について、約1時間、次から次へと適切なコメントをいただく。コメントされるたびに、自分の力の無さを痛感させられ、じわじわとへこむ。この後用事があるとおっしゃるので、6時前に先生と別れる。いささか気分が重くなったまま、国際通りをぶらぶら歩く。パレット久茂地の上にある文教図書にて、本を4冊購入。タコライスを食べて、7時半に映画館に入る。気晴らしに『猫の恩返し』を見るためだ。気晴らしにはちょうどよい映画だった。
 宿に戻ってメイルをチェックすると、相変わらず事務的なものや迷惑メイルが多い。しかしその中に、ウェブサイトを見て僕のことを知り、コンタクトを取ってみたというメイルがあった。差出人は、内地にいながら小笠原の環境サポーターのようなことをされている方で、内容は一度会ってみませんかというものだ。ときどき、こんなメイルが舞い込んでくるから、面白い。人と一緒になって、面白いことを想像するのが楽しみだから、こういう出会いは大切にしたいと思う。なんぼのもんでもないけれど、気軽にご連絡いただければ幸いです。

7月26日(金)

 1ヶ月近くの調査も終え、東京に帰る日を迎えた。
 10時にチェック・アウト。近くの喫茶店に入って、ゴーヤジュースを飲みながら、朝刊に目を通す。11時過ぎ、「わしたショップ」で研究室用のお土産としてオリオンビールを1ケース購入。ほかに、自分用にCDを4枚購入。
 12時、「forest」というイタリア料理屋に入り、ゴーヤ入りペペロンチーノを食べる。調査を終えたので、気分転換にランチ・ビールを注文してみたら、中ジョッキほどのグラスになみなみと注がれたビールが出てきた。暑い夏の最中、気兼ねすることなく、昼間からビールを飲めるなんて、幸せだ。
 1時半、那覇空港到着。購入したチケットは、夜の8時に空港を発つ便のものだったが、帰りが夜中になるので、2時40分に出る便に変更してもらった。ちなみに、このチケットは、JASのバースデー割引で買ったものである。7/19が誕生日だったので、今日までバースデー割引が使えるのだ。自分のお金でもないのに、行きはANAのバーゲン割引を使い、帰りはJASのバースデー割引を使うことによって、なるべく経費を削減しようとする僕の心遣いを、事務局の方はお分かりになりますか?ご理解いただけるならば、早くお金を振り込んで下さいね。
 5時過ぎ、羽田空港到着。暗くならないうちに羽田に降り立ったのは久しぶりだ。さいわい窓側の席だったので、千葉方面から空港へと降りる間、窓に額をつけながら熱心に外を眺めることができた。高速道路、水田、ゴルフ場、高層住宅、工業団地、川、海、船などなど。空から地上を眺めるのは、大きな空中写真を眺めているようで面白い。理屈抜きで楽しめる娯楽だ。
 5時40分、新百合ヶ丘駅行きのバスに乗る。夕方だったので、渋滞に引っかかったので、駅に着いたのは7時10分だった。まだ陽もあったので、そのまま帰宅するのはもったいないと思い、駅近くのシネコンに足を運ぶ。しかし、見る気を誘うような映画がなかったので、何も見ることなく8時頃に帰宅。
 久しぶりに我が家に戻り、どかんと荷物を置く。たまっていた郵便物に目を通す。半分くらい、荷物を片付ける。調査に持っていっていたノートPCをネットに接続する。無事、帰宅した旨を友だちにメイルする。人の声が聞きたくなって、友だちに2度電話してみた。不在だった。仕事が忙しいのだろう。
 日付が変わってから、今日買ったCDを聴くことにした。まず、平良とみさんが一人語りする『ニライカナイ』を聴く。素敵な作品だ。この中に、「空を飛んだ山」という話がある。僕が調査地としている竹富島と小浜島が題材となっている昔話だ。小浜島には山があるのに、竹富島には山がなくて、平べったいのはなぜか。この疑問に答えるかたちで、平良とみさんが話を始める。実は、松井先生が編集する本に収める論文は、竹富島と小浜島の環境史を比較しつつ綴ったものなので、僕の論文を読むときには、この昔話を聞いておくと、さらに面白くなると思う。
 次に聴いたのは、『琉球的哀華』。大好きなネーネーズの「平和の琉歌」「黄金の花」のほか、矢野顕子の「てぃんさぐぬ花」、松坂慶子の「十九の春」、細野晴臣の「安里屋ユンタ」、山本潤子の「童神」、「島唄」はTHE BOOMと加藤登紀子によるものなど、けっこう楽しめる作品集となっている。
 3枚目はシングルで、森山良子の「さとうきび畑」。カップリングは、「涙そうそう」。ラストは、TINGARA(天河原)の『太陽の花』。これは、寝る前には最高の音楽。2曲目を聴いているうちに、ZZZ・・・。

7月27日(土)

 12時半起床。思いっきり、朝寝坊した。いやー、よく寝た。ベッドでゆっくり寝たのが久しぶりだったので、起きたら腰が痛かった。
 昼食に、カヤマ荘のおばぁからもらったサータアンダギーの残りを食べる。2日経ったけど、美味しい。食後、昨夜は荷物の整理を途中で投げ出してままだったので、出発したときと同じ位置に荷物を収納する。この仕事をやりながら、ときどきメイルを打つ。帰京するとすぐに、しばらく止めていた仕事を走らせないといけない。スムーズに走り出せるように、メイルで連絡を取る必要があるのだ。
 7時を回った。買い物をするために商店街へ行くと、夏祭りが催されていた。いつもはぱっとしない商店街なのに、おおぜいの人びとでごった返している。小中学生と思しき子どもたちが、おおぜい繰り出している。浴衣を着た女の子が多い。大人たちは、こうした子どもたちを喜ばせるために、屋台を出して働いている。ここの祭りは、子どもたちのためのお祭りだ。一方、八重山のお祭りは、島人たちのお祭り、大人のお祭りだ。都市には、大人が本気になれるお祭りがないのだ。
 この夏祭りに、僕はまったくのれなかった。その理由は、30年近く住んでいる地元なのに、祭りの参加者に知っている人が誰一人いなかったからだ。まったく、見ず知らずの町にいるような印象を受けた。昨年8月に、西表島大原で開かれた夏祭り「ぱいぬ島祭り」では、西表島の人はもちろん、竹富島や小浜島の人たちと出会い、一緒にビールを飲んだっけ。あのときと今日とを比較してみて、僕はこの場所に、ただ身体を置いているだけなのかもしれないと思った。
 書店で『週刊日本の天然記念物』の05-08を購入。帰宅して、フィギュアを組み立てる。これで8つ揃って、賑やかになった。50個揃えると、どんなに賑やかになることだろう。もう、すっかり企業の戦略に乗せられてしまっている・・・。
 夕食にタコライスを用意し、いざ食べようとすると電話が鳴った。昨日、不在だった友だちからの電話だった。最初は少し緊張していたけど、しまいにはすっかりリラックスして、思わず長電話になった。こうやって、のんびり時間を使えるのは贅沢なことだ。幸せなことだ。やはり、僕は周りに人に恵まれている。
 受話器を置くと、タコライスは冷えていた。しかし、それでも美味しかった。いや、タコライスはどうでもよかった。きっと、なんでも美味しかったはずだから。

7月28日(日)

 9時半頃に起きて、シャワーを浴び、朝食を作り始める。夏といえばカレー。ということで、キーマカレーを作る。夏じゃなくても、カレーばかり食べている気もするが。
 11時過ぎ、お袋から電話が入る。「今、8チャンネルに斎藤先生が出ているから、点けてごらん」と言うので、言われたとおりにしてみる。すると、たしかに「笑っていいとも増刊号」に熊が出演していた。熊こと斎藤幸一先生は、中高時代の化学の先生で、中2のときは担任でもあった。僕が高校を卒業してから、駒東をやめて開成の先生になったと聞いていた。その熊が、「笑っていいとも」に出ていたのは、夏休みの自由研究として適当な実験を披露するためであった。それは、ウィスキーを燃料にして、紙コップ・ロケットを飛ばすという実験であった。いかにも熊らしい独創的で、驚きに満ちた実験だったように思う。化学実験において、常に生徒を飽きさせないように工夫をこらしていた熊の姿勢が思い出された。
 12時過ぎに自宅を出て、1時半、かながわ県民活動サポートセンターへ。ここのフリースペースにて、小笠原ネイチャーフォーラム代表の有川さんと待ち合わせ。有川さんは、内地にいながら小笠原の島おこしをサポートしている方で、すでにその活動を始めてから10年以上になるという。その有川さんが、このサイトにアップしてある西表島のエコツーリズムにかんする論考をご覧になって、僕にコンタクトを求めてきたので、今日、ご対面することになったのである。
 有川さんは、ご自身が行なっている現在の活動に自信を失いかけているようだった。環境省、林野庁、東京都などが、有機的に関連することなく、それぞればらばらに、小笠原をエコツー的に利用してゆこうとし始めている。その中にあって有川さんは、島人による内発的な動きをサポートするだけでいる自分に、無力感を感じているようだ。現場をよく知っているがゆえに、島人が中心となった島おこしを急がねばならないという焦燥感があるのだろう。
 僕に、妙案があるわけではなかった。自爆することなく、適宜、必要なことを行なってゆくことが大切と当たり前なことしか言えなかった。誰でもできる必要なこととは、まず、関係する情報を編集し、議論の場に提出すること。そして、問題点を一つひとつ浮き彫りにし、議論の流れを記録すること。これらは、今後、類似の問題が発生したときに、重要な参考資料となるだろう。さらに、もっと政治的に関わりたいのであれば、今後の小笠原の方向性を示すような成功例を作ることが大切である。結局のところ、多くの島人から賞賛される成功例を作ることができないことが、前に進めない原因となっているように思う。NGOが先進的なモデルを作ってゆくこと。これをやらない限り、行政に対抗してゆくことはできないだろう。
 3時半にサポートセンターを出て、4時に蒔田にある大和ビルへ。今日は、「三十路の会」主催による森末さんのバースデイ・パーティーがあるのだ。「三十路の会」とは、僕の友だちが作ったものであり、特に活動の目的があるわけではない。ただ、ときどき、何かにかこつけて集まるという集団である。また、「三十路の会」には、20代のメンバーもいる。だから、比較的年代が近しい友だちの集団というくらいのものである。おそらく、全員で15名ほどいるように思うが、今日は7名しか集まらないらしい。
 4時に、パーティー会場となる森末さんの部屋に行くと、まだ人も集まっていなかったし、準備もこれからという段階だった。約1時間後、主賓の森末さんのほか、山田さん、田並さん、鈴木さん、前田くんと6人が集まり、パーティーは始まった。ビールを飲み、お手製の料理を食べているうちに、森末さんの友だちがやって来て、7名全員が揃った。食べ物でお腹が満たされると、近くの蒔田公園で盆踊りが催されていたので、それを見に行った。お馴染みに炭坑節がかかり、みんなで一緒に踊った。盆踊りの輪に入って踊るなんて、何年ぶりだろうか。
 部屋に戻り、このパーティーのメイン・イベントであるTシャツ作りが始まった。各自が、これはというデザインを持ち寄り、アイロン・プリントでオリジナルTシャツを作るという企画である。僕は、カヤマ荘のおばぁの似顔絵が入っている「小浜島のオバアがつくるサーターアンダギー」というマークをスキャナーで読み込んで、Tシャツにプリントした。ほかのメンバーも、それぞれお気に入りのオリジナルTシャツを完成させ、最後にそれを着た姿を記念撮影。このとき、すでに時間は11時を回っていたので、終電に間に合うように、一足早くお暇した。
 蒔田駅に着いたのが11時半。この時間ならば、町田駅までの終電がある。町田からは歩いてもよいし、タクシーでも1,500円程度である。町田駅までの経路は、2通りある。地下鉄に乗って、湘南台経由により小田急線で町田駅まで行くか、新横浜経由により横浜線で行くか。いつもは湘南台経由なので、今日は別のルートで帰ろうと思い、新横浜経由で帰ることにし、横浜方面に向かう地下鉄に乗り込む。。
 少し酔っていたためか、椅子に座るとすっかり良い気分になってしまい、新横浜駅を寝過ごしてしまった。それでも、あざみ野から田園都市線に乗り換えて長津田まで行けば、町田まで行けるかもしれないと考え、しばらくは余裕を構えていた。ところが、車掌のアナウンスにより、その電車の終点がセンター北駅で、あざみ野駅まで行かないことを知り、一気に青ざめた。所持金は5,000円しかない。センター北から自宅までタクシーに乗ったら、お金が足らないかもしれない。どうしようか。考えていても仕方がないので、とりあえず、センター北駅でタクシーを拾い、そこから最も近い田園都市線の駅である鷺沼駅まで運んでもらった。田園都市線は、まだ走っていた。駅員に長津田駅経由で町田駅まで行けるかと尋ねると、行けないと言われる。そこで、自宅から最も近い田園都市線の駅である田奈駅まで電車で行くことにした。田奈駅で降り、駅前にタクシーが1台だけ停まっていた。これにのって、1時近くにやっと自宅に帰ることができた。タクシー料金は、センター北→鷺沼が約1,500円、田奈→玉川学園が約2,500円。合わせて約4,000円。所持金は1,000円近く残った。めでたし、めでたし。

7月29日(月)

 今日は予定が詰まっているはずだった。まずは1時から、青山にある国連大学ビルで、国際エコツーリズム年記念シンポジウムに参加。夕方5時から、ペレットクラブ準備会事務局会議に出席という予定だった。ところが、起きてすぐに、シンポジウムの詳細についてネットで調べてみると、要参加申込と書かれてあることに気付く。不安になって電話で確認を取ってみると、参加申込者だけで定員を超えてしまっているので、飛び入りの参加は認められないと言われる。あらら。シンポジウムに参加しないとなると、わざわざ事務局会議のために四ッ谷まで行くのは面倒だなあ、と思っていたら、事務局長の小島さんからメイルが届いた。突然だけれど、事務局会議が形骸化しているので、今日の打合せを中止すると連絡があった。これで、今日予定されていた2つのイベントがともにキャンセルとなり、自由な時間が手元に転がり込んできた。そこで、荷物の整理をするために、研究室へ行くことに決めた。
 2時頃、研究室に到着。沖縄に行っている間に郵便物がいくつか届いていた。そのうちの1つに、数理社会学会の『理論と方法』があった。土場先生との共著という形で、昨年度行なった書評ゼミのレポートが載っていた。原著論文ではないけれど、自分の書いたものが活字になるのを見るのは嬉しい。
 また、沖縄から送った郵便小包が3箱届いていた。これを開けて、適当な場所にしまうのだけれど、自分の机、引き出し、本棚などは、すべて図書や書類などでぎっしり詰まっており、新たな資料を収める空間を確保しようとすると一苦労する。
 3時半、小浜島で調査中のマリちゃんから電話が入る。今晩10時からBS2にて、小浜島ドリームスを取り上げた番組が放映されるという情報を知らせてくれた。自宅ではBSが入らないので、事務の城所さんに録画をお願いした。
 5時過ぎ、学内図書館へ行き、購入依頼した図書を3冊借りる。研究室に戻り、さらに資料整理に時間をかける。不要なものを思い切って捨てるなどして、どうにか小包3箱分の資料を整理するが、片付け終わるまでにおよそ3時間半もかかってしまった。しかも、資料を片付けたというより、見苦しくない程度にレイアウトしただけだから、実際に仕事をするときのことを考えると、さらに整理しないといけないだろう。今日は、その気力がなかったので、その作業は次回に延期。
 図書館から研究室に戻ってきたとき、隣りの席にセンさんが座っていた。その席は、もともとサエちゃんの席だったけれど、あまりに研究室に来ないものだから、夏休み期間中はセンさんが座ることになったようだ。センさんは中国人の研究者で、毎年、夏休みを利用して日本にやって来て、高等教育の経営について勉強している。昨年も一昨年も来ていたのだが、昨年までは2年続けて、僕が夏休み期間中ずっと沖縄に行っていたので、すれ違いになっていた。だから、今日初めてセンさんと会話する機会があった。
 センさんによれば、中国の市場経済化は、ある面では日本よりもはるかに進められているという。たとえば、私立大学においては、株式や債権を発行して資金を集めるようなことも検討されているそうだ。経済の分野においては、日本の方が中国よりも政府の権限が強いかもしれない。
 9時過ぎ、帰宅。調査中に購入したCDを聴く。まずは、『秘境・西表島』。これは、西表島で聞こえる水の音や、鳥の声などが収録されたヒーリングCDである。アカショウビンの声は良いけれど、ヒヨドリがうるさい。要望としては、夜の音として、ポーポーというコノハズクの鳴き声や、チッチッチッチというヤモリの鳴き声などを入れても面白いと思うけど。
 次に聴いたのは『竹富島のわらべうた』。竹富島の案内人だった上勢頭亨さんが、竹富島の童歌62曲を歌い続けるという資料的な価値が高いCDだ。これまで、LPでしか売っていなかったけれど、最近になってようやくCD化された。竹富島マニアには、おすすめしたい。
 3番目に聴いたのは』オモトタケオ2』。沖縄にいれば聞かない日はないというくらいテレビやラジオでかかっている「島人ぬ宝」は、このアルバムの1曲目である。1回聴いた限りでは、昨年発売された『オモトタケオ』の方が好きだなあ。
 ラストは、TINGARAの『天河原(てぃんがーら)』。西表島エコツーリズムセンターでかけられていたアルバムだ。これは、寝る前に聴くと、気持ちよく眠れる。「てぃんさぐぬ花」が気持ちよい。ZZZ・・・

7月30日(火)

 11時、自宅を出て、小田急線を下る。渋沢駅で降り、佐藤林業に電話をかけて車で迎えに来てもらう。しばらくすると、社長の娘さんがやって来て、車で事務所に案内された。
 今日は、ヒノキの葉を利用してユニークな仕事をされている佐藤林業へ見学にやって来た。ストップ温暖化ネットワークのメンバーである樽川さんから、神奈川エコライフ活動グループの活動として、佐藤林業に行くと聞いていたので、その見学会に混ぜてもらうことにしたのだ。12時過ぎに事務所に着くと、すでにエコライフのメンバーの方は8名ほど先にいらっしゃっていた。全員、お袋と同じくらいの年の女性でだった。
 お昼時だったので、まずは用意された料理をいただく。1時過ぎ、工場の方へ案内されると、そこにはヒノキの葉を粉砕する機械と、細かくなった葉を蒸して油を抽出する機械を見せてもらった。従来、ヒノキの葉は使い道がなくて、捨てられていたが、ここでは製品化されて売られている。面白い取り組みだ。しばらく見学してから事務所に戻り、社長さんから製品の説明をしていただく。ヒノキの葉を干して袋詰めしたものは、入浴剤、芳香剤、消臭剤として使用される。抽出油は、芳香剤か消臭剤。ティッシュに染みこませて、香り付きティッシュとして利用されてもいるようだ。非常にサービス精神旺盛な社長さんなので、入浴剤だのティッシュだのをお土産としていただいた。どうもありがとうございました。
 3時過ぎ、せっかく渋沢まで来たのだからと、近くにある「秦野市里山ふれあいセンター」と「県立秦野戸川公園」にも連れて行っていただいた。4時、渋沢駅まで送っていただき、社長さんと娘さんに礼を言って別れる。
 5時、町田駅で下車。お腹が空いたので夕食をとり、古本屋とCDショップに立ち寄る。買いたいものが多すぎて、結局何も買わず、7時過ぎに帰宅する。おばさんたちと長時間一緒にいたためか、変な疲れを覚えていたので、2時間程度仮眠する。9時半に起きて、立て続けにメイルを発信。11時過ぎ、友だちに電話するとキャッチで入ってしまったので、後からかけ直してもらう。12時頃、かけ直してもらった電話が入り、約2時間の長電話。貧乏生活を送るようになって、長電話と無縁な生活を送っていたのに、最近、電話が長くなる傾向がある。MSメッセンジャーでも使おうかな。

7月31日(水)

 7月最後の今日は、ほとんど外へ出ず、自宅に籠もっていた。
 午前中は、ネットサーフィンで時間を潰す。もっぱら、西表島・月が浜におけるリゾート開発問題について調べていた。西表島滞在中に島人からも説明を受けたが、現在、月が浜において、ホテル349窒、コテージ288室、従業員寮165戸(全部で802室・戸)にも及ぶ大きなリゾート開発が、ユニマットの手によって進められている。ユニマットといえば、ここの社長が納税額日本一となったことでも知られている。その社長が、住民票を竹富町に移し、八重山の開発に乗り出しているのだ。すでにユニマットは、昨年、小浜島にゴルフ場をオープンさせた。そして、次が西表島の月が浜である。
 現在の島の人口は約2,000人。このうち、計画地の上原地区(舟浦、上原、中野、住吉、浦内)には376世帯がある。つまり、ユニマットの計画とは、上原地区の2倍にも及ぶ集落を作り出そうというものなのである。しかも、工事は間近に迫っている。着工は、今年9月。それから2年間かけて、工事がおこなわれる。そうした状況にもかかわらず、竹富町役場からもユニマットからも、地元住民への説明が十分におこなわれないまま、計画は着実に進められているらしい。
 この計画に対して、明確な反対運動を展開しているのが西表島大学・西表をほりおこす会(代表・石垣金星さん)である。金星さんは、このリゾート計画の問題点を要領よくまとめ、「ユニマットによるリゾート計画に反対を!竹富町役場ホームページ/ゲストブックに書き込んで下さい」という文書を、メイル等で配信した。この呼びかけに応じ、西表島に住む人、島を毎年訪ねている西表フリーク、自然保護に関心がある人などが、役場のゲストブックにリゾート計画への意見を寄せた。その多くが反対意見であった。ところが役場は、「本コーナーへ西表島におけるリゾート開発のご意見が寄せられていますが、利用の趣旨に反しますので削除いたします」と、メッセージを削除してしまった(しかし、役場が削除しても、それを上回る勢いで書き込みがあるので、ゲストブックを賑わせているのは、あいかわらず月が浜の問題である)。
 この役場の子供じみたやり方に対抗し、月が浜のリゾート開発にかんして自由に意見を述べられる掲示板を設置する人が現れた。こういう運動は、重要である。高く評価したい。賛成・反対の意見を言うためには、まず、そうした意見を述べ合う場を確保することが大切だ。近いうちに、このサイトでも紹介したい。
 午後、論文を修正するため、インフォーマントへ電話して事実確認をおこなう。なるべく、こういうことをしなくて済むように、今回、追加調査に行ったにもかかわらず、後から松井先生に論文の穴を指摘されて、確認作業が必要になってしまった。
 夕方、石弘之編『環境学の技法』を読了。環境問題に対して社会科学的なアプローチすることの必要性は、いま以上に説かれてよいと思っているので、こうした本を刊行する意図はわかる。しかし、6人の研究者による論文の寄せ集めであるから、トータルなコンセプトを見出すことはできないし、1つひとつの論文についても、最近の構築主義やフィールドワーク論を超えるものはなかった。
 夜、暑いと脳味噌が働かないので、まだ暑さが残る時間帯から寝て、涼しくなった真夜中に起き、校正作業をやろうと決める。10時半に起きて、近所を散歩。帰宅して机の前に座るも、やる気が起こらず、雑誌を読むなどして、3時に寝る。

TOP(日々の表現)雑記日記(2001/2/8-2003/8/25)

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