日記帳|2001年4月

4月1日(日)

 4月です。新年度です。こう書いても、全然、実感がわかない。いつもどおり、午前中は部落内を歩き回る。ゲートボール場で、オバアが5、6人で草刈りをしていたので、声を掛けてみた。オバアに誘われるままに、草刈りの手伝いをすることになり、鎌を持って30分ほど手伝う。
 午後は、2人のオバアから聞き取りを行なう。主に、島の人がかつてどのように周りの自然を利用してきたのかを聞く。オバアからすれば、あまり価値のない話だと思うのだろう。ときどき、「あんた、そんなこと書いてどうするか。笑われるよ」と言われる。また、過去の話を聞くと、現代的な生活とはずいぶん異なるので、「あんたなんかには、わからんさ」とも言われる。それでもめげずに、染織、マイナーサブシステンス(貝・海藻採りなど)、薬草などについて聞いて、メモする。
 夕方4時から、ゴルフ場の建設会社主催の親睦会に行く。この会は、開発業者と島の人々との親睦を深めるために行なわれたものであるが、集まったのは工事関係者と、内地から島に来ている若者が多く、島の人々は少なかった。山羊そば、骨付きカルビ、手羽先、焼きそばなど、振る舞われる食事の数々を平らげる。当然、アルコールも飲むわけさ。
 明日、カズさんとミナさん、ナリちゃんが島を離れるので、最後の晩を一緒に過ごそうと「ちんちにや」にて宴。夕方から飲み食いしていて疲れていたので、12時過ぎにはプレハブに帰る。

4月2日(月)

 いよいよ、ここ小浜島を舞台にしたNHKの朝ドラ「ちゅらさん」が始まった。最初の数回は、島でロケを行なって撮った映像が流れると聞いていたので、要チェックだ。8時15分、キロロのテーマソングとともに見慣れた景色が映し出される。芝居のシーンはいいのだが、島の景観が映ると、なぜか涙が出てきてしまう。
 さて、今日から3泊は宮良荘にご厄介になることにしたので、朝のうちに荷物をプレハブから移動させる。ちなみに、ここ宮良荘は、ダ・パンプのシノブの実家なので、よくファンが訪れるらしい。今日も、岐阜からはるばる高校生の女の子が泊まりにきている。
 昼の1時にカズさんら3人が島を出るので、港まで行って見送る。天気が良かったので、好例の飛び込みを初体験してみた。高速船が離岸し、方向転換してスクリューに巻き込まれる心配が無くなったとき、マサさん、タクちゃんとともに、海に向かってジャンプ。飛ぶことにのみ集中しすぎて、着水したときに海水を大量に飲み込んでしまった。げほげほ。
 夕方、製糖工場にて聞き取り。1~3月に、のべ人数で3,000以上がキビ刈りのために島にやって来ると聞いて、改めて内地の若者が労働力として重要であることを知る。ちょうどこのとき、甲子園で、沖縄県の宜野座高校が戦っていたので、「なんで、あんた、もっと早く来なかったか」と言われる。島では、甲子園で沖縄代表が活躍する姿を見ることが、何よりの娯楽である。工場の人もテレビを見たがっているようなので、聞き取りも早々に切り上げて、僕もテレビ観戦することにした。延長戦までもつれ込む接戦を制して、宜野座は見事ベスト4進出。21世紀枠という訳のわからない選抜方法には疑問があるが、宜野座は応援しています。

4月3日(火)

 午前中は、調査の成果もなく過ぎ去る。昼過ぎのフェリーで、タクちゃんが島を離れるから、見送りのために港まで出向く。すでに、キビ刈り終了後、ファームのメンバーのうち5人がいなくなっているので、これまで華々しかった見送りの光景が寂しいものとなっている。別れを惜しんで海に飛び込んだのも、ユウタ一人だけだった。
 昼食後、いつもいろいろと話をしてくれるオバアの家を訪ねる。ちょうど、宜野座高校の試合が始まったところだったので、中継を眺めつつ試合が終了するまで聞き取りを行なう。宜野座は力負けだったね。その後、海のことにとても詳しいオバアを訪ね、海辺のマイナーサブシステンスについて聞き取り。
 夕食後、これまでの調査で不確かな点を確認しようと、いつもお世話になっているオジイを訪ねる。しかし、すでにオジイは飲んでいたので、聞き取りを諦めて、飲みながら世間話。明後日には小浜を離れる予定だが、その日が近づくにつれて、調査が不十分に思えて焦るなあ。

4月4日(水)

 これまでインフォーマントの多くがオバアだったので、朝、今日はオジイに話を聞こうと決める。その甲斐あって、キーオジイ(キーは固有名詞ではなく、鍵の意味)から話を伺うことができた。これまで見たことのなかった資料なども発見できたので大いに成果あり。
 昼過ぎ、道でマサさんとばったり出会い、1時間程度、ファームについて話をする。ファームのメンバーとしてキビを刈った旅人にとっては、小浜島で過ごすことが特別なことであるが、島に住む人にとっては、若者がキビ刈りにやって来るのは毎年恒例であり、まったく日常的なことである。両者におけるキビ刈りの捉え方には大きな隔たりがある。マサさんが、島を知れば知るほど、島が分からなくなったと言うのには、こうした背景があるように思う。
 夕食の時間に宮良荘に戻ると、ダ・パンプのシノブくんがいた。きちんとあいさつして呉れる気持ちの良い青年だった。ファンでも何でもないけれど、少し得した気分。
 今夜は、小浜島で過ごす最後の夜だ。飲みたい気分だったので、ファームのタカさん、アツシさん、ユウタと「はいむるぶし」のカラオケに行く。ラストはブームの「島唄」で締める。そう言えば、小浜島にあるデイゴの花はほとんど散ってしまった。

4月5日(木)

 午前中、これまでお世話になった島の人たちを訪ね、一人ひとりにお礼を言う。「ミーハイユー(ありがとう)」「イキシテクーネー(行ってきます)」と、僅かに覚えた島の方言をここぞとばかりに使う。大久のおとうさん・おかあさん、仲盛のおかあさん、安オバア、安治さん、老人クラブ会長の新本さん、キヌオバア、昭オバア、うふだき荘のおとうさん、宮良荘のヒデミツさん・チカさん、そしてケン兄・マリコ姉、みなさん有り難うございました。
 小浜での最後の食事として、昼食にシーサイドで野菜そばを平らげ、1時の船に乗って石垣へ。見送りには、まだ島に残っているファームのメンバーが港まで来てくれ、マサさんとユウタは好例の飛び込みを2回連続で決めて、別れを演出してくれた。
 石垣の桟橋に下りると、長身の男が目の前にぬっと現れ、右手を差し出してきた。見上げると、先に島を離れ、石垣に泊まっていたイシさんだった。握手して、再会を喜び、しばし港で語らう。イシさんは、ファームに来る前まで、竹富島の高那牧場で働いていたので、竹富に行ったら牧場を訪ねるよう勧められた。話をしているうちに早く竹富島に入りたいと思う気持ちが強くなり、今日は石垣で1泊しようかと思っていたのに、2時半の船で石垣を発つことに決める。宿は、昨夏11泊した内盛荘を予約し、3時前、久しぶりの竹富島上陸。宿に着き、ここのおかあさんであるスミさんと再会。竹富島に来たことを実感する。
 夕食まで時間があったので、部落内を歩き回り、お世話になる公民館長などにご挨拶する。夕方、ファームで一緒に働いていたカズさん&ミナさんにばったり出会う。ちょうどそこに、ヨシさんというイシさんの後を継いで高那牧場で働いている人が現れ、夕食後に4人で飲むことを約束する。夕食後、9時半から牧場のそばにある小屋に足を運び、宴が始まる。結局、3時まで飲み、語らう。

4月6日(金)

 まだ、竹富島に上陸して2日目なので、土地勘を取り戻すために玻座間部落内を適当に歩くことにする。まず、まちなみ館前にあるお土産屋さんに寄る。このお店を切り盛りしているカツおばちゃんは、昨夏の調査の時以来、とても良くしてもらっている。いつものことであるが、商品のさんぴん茶を無料でいただいてしまう。きっと、ほかのお客さんにも親切なのだろう。カツおばちゃんは、きちんと商売しているのだろうか。
 昼食は、「やらぼ」でエビ入り野菜ソバを食べる。1,200円と安くないが、竹富島特産のクルマエビが5尾丸ごと入っているのが嬉しい。昨年来たときは長期休業していたので、今回初めて食べることができた。通常の八重山ソバと全く違う感じであり、味はとても良い。
 午後、部落内の空き地で自給用の野菜をつくっている人をつかまえて、植えられている野菜について教えを請う。また、終戦食後の救荒食物についても聞き取る。ハブはもちろん、カタツムリやセミも食べたという話を聞くことができた。小浜島でハブは食べたけれど、カタツムリやセミも食べてみたいものだ。
 夕食後、昨晩に続いてまでカズさんら4人で飲む。つまみは、高那牧場のじっちゃんが投網でとったミジュン(イワシ)とハダラーの魚料理。たぶん、カズ&ミナさんで作ったのであろうが、非常に美味い。つまみが美味いせいなのか、また就寝は3時過ぎ。

4月7日(土)

 午前中、高那牧場のじっちゃんを訪ねる。老人会の会長をしているだけあって、高齢ながらとても元気で、昔の話を楽しく聞かせてくれた。聞き取りが昼に差し掛かったので、そろそろ引き上げようとすると、昼食を食べていくように言われる。すでに僕の分の食事を用意していたので、遠慮なくいただくことにした。
 午後、海岸沿いを歩いておこうと思い、西桟橋からカイジ浜まで歩く。カイジ浜近くで投網をしている人を見つけたので声を掛けてみた。その人は、竹富島出身の石垣在住で、定年まで石垣で働き、定年後ときどき島を訪れて、海で遊んでいるという人だった。だから、あまり島のことは知らないという。島に住むお年寄りだから島のことをよく知っているだろうと安易に考えていると痛い目に遭う。定年後、石垣からしばしば島を訪れるようになった人や、内地から島に移住した人がかなり多いからだ。
 夕方、「ちろりん村」近くを歩いていたら、道ばたでハーモニカを吹いているオバアを発見。楽しそうに吹いているので、興味を持って声を掛けてみた。話好きなオバアで、ついつい乗せられ、彼女の家に上がって、唄とハーモニカを聞くことになる。僕も歌うように勧められ、「東京ラブソディー」「星影のワルツ」「十九の春」などを、オバアの伴奏で歌う。
 夕食後、三日連続でカズさんらと飲む。明日はカズ&ミナさんが波照間島に発つので、最後の夜を楽しもうと深夜まで語らい、内盛荘に帰ったのは明け方。

4月8日(日)

 10時過ぎにカズ&ミナさんを見送りに東桟橋まで行く。今まで、大勢での見送りが当たり前だったので、僕1人が2人を見送るという形が、かえって素朴で心に残る別れとなった。
 昼時、あまりお腹が減っていなかったので、昼食はパンと牛乳にしようと思い、内盛荘に戻る。すると、「あら汁飲むか」と昼食に誘われ、そのままマグロのあら汁とイモ団子をいただく。イモ団子は、主人の正玄さんお気に入りで、潰した紅イモに少量の緑豆を混ぜ、回りにきなこをまぶしたものである。あら汁もイモ団子も美味かった。ごちそうさまでした。
 ところで、今日を含めてしばらく大潮である。そして、今はモズクのシーズンだ。そこで、正玄さんの次男の正聖さんらとともに、モズク採りに西桟橋まで行った。桟橋から沖に向かって100m程度歩くと、海面下には大量のモズクがゆらゆらと揺れている。これを手づかみで採ること約30分、すぐに持ってきた笊一杯になった。島の人によれば、これほどモズクが大量に採れるのは珍しいということだ。
 宿に戻って、採ったモズクから小さな貝やごみなどを慎重に取り除いた後、塩を入れて揉む。このように塩漬けしておくと、常温でも1年間は優に持つ。
 夜は、民宿の外で正聖さんの三線ミニライヴ&語り。正聖さんは唄が美味いし、トークも上手だ。

4月9日(月)

 明治生まれのオジイに聞き取りを試みた。人に話をするのが好きなようで、いろいろと話を聞かせてくれるが、耳が遠いため、しばしば問答が食い違い、コミュニケーションを図るのが難しい。こういう場合は、ひとまとまりの話を聞かせてもらった方がよいようだ。
 昼過ぎ、正玄さんがアイヤル浜に魚を捕りに行くというので、どんな風に潜水漁が行なわれるのか見てみようと、一緒に海まで付いて行った。Tシャツ、短パン姿に水中眼鏡を掛けて、いざ海に入る。ここは、そのために遊泳禁止になっているのだが、想像以上の速さに驚く。海には行って10分もしただろうか、正玄さんは潜水してある岩の透き間を覗いて、「大きなウツボがおる」と言う。すぐに、2本の銛を操りながらその透き間から慎重にウツボ(方名:ウズ)を引き出す。それを見て、あまりの大きさに驚く。というよりも、呆れて笑う。後で計量して分かったが、そのウツボは5kgもあった。いきなりの大物ゲットに興奮。その後も正玄さんは、型の良いハリセンボン(方名:ヒトゥトゥ)とタコを2匹捕まえた。70も後半に差し掛かった年なのに、そんなことを微塵も感じさせない海中での身のこなしは格好良かった。
 浜から戻って捕らわれた獲物は解体され、夕食に出された。ウツボは初めて食べてみたけれど、ウナギのようで美味しい。ただし、皮には多くの脂が含まれていて、多く食べると気持ち悪くなる。何事にも適量があるさね。
 夜10時から、今日竹富に来たイシさん、タカさん、そして牧場で働いているヨシさんと、いつもの小屋で飲む。そして、またまた明け方まで・・・。

4月10日(火)

 子供会の総合学習、環境学習における先進的な取り組みについて伺おうと、育成会会長を訪ねた。活動記録報告書&ヴィデオを見せてもらった。子供会の活動はこんな感じだ。たとえば、昨年、学校の近くの森を切り開き、そこに茅葺きの家を作るという作業を行なった。これは、島に住み着いた先人に学ぼうと実践したもので、とてもチャレンジングな活動だと思う。また、30年くらい前まで、竹富島の人は米を作りに西表島まで通耕していたので、それを追体験しようと、サバニを漕いで西表島へ渡るという冒険的な活動も行なった。こうした活動は、学校と地域住民が一体となってすすめている。もちろん、島での教育は、いつでもそのように行なわれるのであるが、現在、都会で盛んに「地域で教育を」というスローガンが掲げられていることを考えると、現代的な教育方法とも言えよう。
 昼頃、喜宝院のお坊さんと話をする。パワフルな方で、言葉の力に圧倒された。仏の世界だけでなく、神の世界にもある程度通じており、まさに神の領域に足を踏み入れているような人だった。自分1人ではやれることに限りがある、だから縁を大切にし、他人と助け合うことが必要であると説教された。
 夕方、芭蕉の糸を紡いでいるオバアを発見し、話し掛ける。話を始めてすぐに、近所のオバアがやって来て、3人で話をする。島のオバアたちは、互いに昔のことを知っているので、よく心が通じ合っているようにみえる。オバア2人の会話を聞いていると楽しい。
 今日、マサさんが島に来た。マサさん、ヨシさんと、いつもの小屋で飲む。今日はお行儀良く、1時頃終了。

4月11日(水)

 竹富島には3つの部落がある。通称で、東、西、南と呼ばれている。内盛荘は東部落にあるので、意識的に西や南を歩くようにしている。そこで、午前中は、西部落をぶらつくことにした。畑で作業している人を見つけては、畑のなかで雑談する。話をしていて感じるのは、昨年に比べれば、植えられている草木が何であるか分かるようになっていることだ。少しは進歩があるということか。
 午後から雨がぱらつき、歩くのに傘が必要になってきた。傘をさしながら歩くと、荷物が1つ増えて邪魔くさく、頑張ろうという気力がなえる。雨宿りも兼ねて、一昨日話を聞いた明治生まれのオジイを訪ね、琉球王府時代の昔話や、竹富島の方言などについて話を聞かせてもらう。
 今日と明日は、宿泊客が2人だけ。自分以外のもう1人は、一昨日から泊まっている人なので、入れ替わり立ち替わり人が出入りする興奮がない。天気も悪く、停滞ムードを感じる。それでも、夜は、島に住み着いて働いているトモちゃんが民宿に遊びに来たので、3人で飲む。いつもと同じパターン。

4月12日(木)

 午前中、野原荘のオバアと畑で雑談。昨日も同じシチュエーションで話をしたのだが、気さくな人で、長時間話をしていても飽きなかったので、また畑を訪ねてみたのだ。民宿を経営しながら、そこで出す野菜を作っているほか、苧麻や芭蕉を育てては、暇を見つけて糸を紡いで織る。とてもよく働くので、その姿を見ているだけで、十分教えられるところが多い。
 2時から、竹富中学校の授業に参加する。中学2年生の総合学習の時間に紛れ込み、5人の生徒と2人の先生と行動をともにする。今日は、学校の周囲を歩き、身近にある美しい風景を探した後、道路に落ちているマリーゴールドの種を拾い、これを植える作業を行なった。マリーゴールドの苗は80円で売れるらしい。道ばたに落ちていたタダの種から苗を育て、80円で売ってみようという試みの第一歩だ。もし150個売れると、那覇までの航空券をゲットできる。子どもたちにとっては、かなり挑戦しがいのあるプロジェクトであろう。
 中2の頃は、エロ本・エロビデオに最も興味がある時期だ。竹富の生徒たちも例外でなく、授業中ずっとそんな話ばかりしている。3人の男の子ばかりでなく2人の女の子も、平気でそうした会話を楽しんでいる。変な照れがなくて、いい感じだ。
 夜は、正聖さん、宿泊客のキーちゃんを相手に将棋を指す。地味な夜だ。

4月13日(金)

 昨日に引き続き、竹富中2年生の総合学習の時間に参加。今日は、昨年度の中3生が建てた茅葺き小屋の解体作業を行なった。雑木林を切り開いて、ほぼ1年かけて作りあげた小屋なので、残しておきたいのはやまやまであるが、家を建てた土地がヤマトの企業から借りた土地で、4月中に返すように言われているので、解体することになったのだ。どうせ、すぐには使わない土地なのだから、しばらく貸しておいてもいいようなものだと思うのが。それはさておき、今日の作業は、屋根と壁面に用いられていたカヤを取り、再利用するために集めるというものだった。いまは、こうした作業を授業に組み込むことができるのだから、相当楽しいことができそうだ。
 1時過ぎから、公民館長に時間を割いていただき、島の観光を主題に話をする。近年、島の人口は増加傾向にあるが、定年後に島に戻ってくる人が多く、若い人が少ない。高齢者の割合は3人に1人と、きわめて高水準にある。館長によれば、現在約300人の人口が500人まで脹らむ必要があるという。そのためには、どうしたらよいのか。新しい産業を興すべきなのだろうか。その産業とはいったい何だろうか。
 夕方、ゲートボール場に行く。昨夏から、各離島のゲートボール場に何回も足を運んでいるので、ルールはほぼ覚えた。そろそろ実践したいと思いながら見ていたら、「お兄さんも、やってみたらいいさ」と誘われたので、初体験することにした。いざやってみると、意外に思った通りにゆかない。最初のゲームでは、自分がチームの足を引っ張ってしまい、面白くない気分だった。しかし、2ゲーム目はそこそこできた。何事も始めた頃は、自分の向上が感じられて楽しいものだ。
 ところで、標準語で「あらら」に相当すると思われる「アッガヤー」という方言は、ゲートボール場で最もよく聞くことができる。簡単なミスをすると、たいてい「アッガヤー」である。いつのまにか、自分も「アッガヤー」と言いながらプレーしていた。
 夜は、内盛荘の北隣に住む佳美さん(正玄さんの長男、正聖さんの兄)の家をお邪魔する。明日、石垣で牛のセリがあり、それに行こうと思っているので、その前に肉用牛のイロハを教えてもらった。種牛を生産している農家では、1ヶ月で2,000万円の収入を得られると聞いて驚く。こういう話を聞くと、地道に仕事する気にならないんだよなあ。

4月14日(土)

 今日は、月に1度ある牛のセリに初めて行った。9時15分発の船に乗って石垣島へ、それからタクシーで750円行けば、セリの行なわれる八重山畜産市場に到着だ。10時前、すでにセリは始まっていたので、すぐさま会場に行き、周囲の状況を観察する。およそ800頭もの子牛が、間断なく運び込まれ、購買者によって値が付けられ売られている。去勢牛の場合、1頭20~50万円で売られ、最高で60万円にもなるが、こうした値段が決まるまでのプロセスはあっけない。お金の世界とは味気ないものだ。
 このセリ会場で、マサさん、タクちゃんと再会。また、小浜島でいろいろとお世話になった安治さんも、牛を売りに会場に来ていたので、市場の敷地内にある食堂でほかの3人と牛ソバを食べる。あまり脂が強くなくて、美味い。
 午後1時からは、市立図書館に行って資料収集。いろいろと古新聞を読んでいたら、5時前になってしまう。5時半発の石垣から竹富への最終便で島に戻る。夕方からは、昨日に続いてゲートボールをやるつもりだったのに、その時間がなくなってしまう。
 昨日までと異なり、今日は宿泊客が8人と多い。珍しくにぎやかな夕食となった。1万円でどこでも行けるという格安航空券の販売時期であることが影響しているらしい。夕食後は、正聖さんが三線を披露して呉れた。また、9時過ぎには、「あいのた会館」に行き、島の女たちが16日に全日本写真連盟の前で披露する踊りを練習している姿を見る。人が真剣に練習している姿は魅力的に見えて素敵だ。

4月15日(日)

 朝、たまたま佳美さんに会って、午前中に牛の頭数チェックをするという話を聞く。それは是非見てみたいと思い、自転車を借りて、島の南にある竹富牧場に向かった。途中、道を間違えつつも牧場にたどり着き、しばらく様子を伺っていると、頭数チェックが始まった。1頭1頭、耳に付けられている番号札が読み上げられる。平穏にチェックが済み、作業終了かと思いきや、1頭の子牛を動けないように綱で縛り始めた。そう、子牛の去勢が始まったのである。去勢は、睾丸の精子腺を去勢器で挟み切ることによって成立する。たまには、失敗して傷が残り、獣医の世話になることもあるらしい。去勢する瞬間を見たとき、自分の睾丸が縮み上がるような気分の悪さを感じた。でも、僕らはそうした去勢牛を食べているのだが。
 昼は「やらぼ」でフーチバジューシー(よもぎ入り雑炊)を食べる。僕のお気に入りだ。600円と値段が手頃なのが良い。しかも今日は、島で親しくなった人におごってもらった。ごちそうさま。
 昼食後、止まっていた有償バスに近寄り、運転手に話し掛けてみると、取りあえずバスに乗るよう誘われた。そこで、最後部席に座らせてもらい、誰も客を乗せていないときに聞き取りを行なった。しかし、意外という表現は失礼だが、かなり頻繁に客の乗降があるので、あまり話をすることができず、静かに観察する時間が長かった。
 夕方、コミュニティーセンターでゲートボールを楽しむ。一昨日よりは上達したが、まだまだオバアたちにはかなわない。
 夕食時、前に座った人が同業者の先輩(社会学の先生)だったので驚く。しかも、その先生(家中さん)は環境社会学会に所属されており、昨年のセミナーで僕が発表したことを覚えていらっしゃったので、驚き倍増。さらに、先生が小浜島に滞在しているとき、僕が島に行く前に行なわれた駅伝大会にファームの一員として参加したと聞き、驚き3倍増。キャラが重なっているのだろうか。
 食後は、今日泊まるお客さんと一緒に民宿の庭で飲む。しかし、ひとり家中先生は宴に加わらず、何やら仕事をしていた。さすがに、大学の先生は違うね。少なくとも、毎日、飲み興じている僕とは。キャラは違うようだ。

4月16日(月)

 今日は、全日本写真連盟が団体で来島するため、内盛荘は満員。これは、予約を入れたときから分かっていたことなので了承済み。たまには、別の民宿に泊まるのも良いだろう。今日だけ1泊、新田荘にご厄介になる。朝食を済ませてすぐに移動してチェックイン。荷物を置いて、竹富中に行く。また、中2の授業に参加するのだ。
 10時過ぎに学校に着くが、参加する美術の授業が始まるまで間がある。そこで、童歌を練習している小学生の音楽の授業を見ることにした。島の人が講師になって、『竹富島誌』をテキストに授業を行なっている。竹富島では、当たり前のように地域と学校が協力して教育体制を築いている。10時40分、3校時の美術の授業が始まった。課題は、これから雑木林を切り開いて、家や畑を作る予定であるが、その将来像を描けというものだ。15年ぶりくらいに絵の具を手にし、水彩画を描いた。たまには絵を描くのも楽しいことを発見。今思うと、昔、小中学校では窮屈に絵を描いていたようだ。
 ところで、昨晩、大塚プロジェクトのニュースレター第2号が届いた。去年の八重山調査でお世話になった人に差し上げようと、東京から送ってもらったのだ。さっそく今日、内盛荘、公民館長の阿佐伊孫良さん、喜宝院の上勢頭芳徳さん、竹富小中学校に謹呈した。何か反応があると嬉しいのだが。
 午後は、復帰後に竹富島に養蚕を導入した人と、島に惹かれ内地から移住して27年になる人に話を伺う。後者への聞き取りから、改めてシマンチュとナイチャーとの深い溝を感じる。最近、僕はこう思う。この溝は、埋めることができないものなのだろう。なぜなら、埋めたいと思っているのは僕のようなナイチャーが一方的にそう思っているからだ。つまりは、片思いなのである。片思いが両思いになるために、僕らは何ができるのだろうか。おそらく、願うことしかできない。精一杯、願うことしかできないのではないか。
 夕食後、8時半から公民館(まちなみ館)で踊りが写真連盟のために披露されるので、これを見に行く。一昨日、あいのた会館で練習していた踊りを、きちんと化粧して、衣装を付けた姿で見ることができた。見終わったとき、自分が舞踊好きであることを感じる。帰京する前に、種子取祭のCDを購入して帰ろうっと。

4月17日(火)

 昨晩から朝までずっと土砂降り。白砂が敷き詰められた道路を、川のように雨が流れる。そこを車が頻繁に通るから、道路が凸凹になってしまう。これを補修するのは大変そうだ。
 雨が降ると、レンタサイクル屋は暇になる。土砂降りの中、合羽を着ながら自転車を漕いで観光を楽しもうという人はほとんどいない。そこで、普段は忙しくて話掛けにくいレンタサイクル屋に足を運び、聞き取り調査、というか雑談して過ごす。
 昼食後、有償観光バスの実態を知るため、約1時間、助手席に乗せてもらう。東桟橋から出発し、カイジ浜とビジターセンターで10分程度の自由時間を挟み、新田観光の水牛車へと繋ぐのが標準コースだ。全部で30~40分程度である。僕が乗った2号車は、2グループを掛け持ちしたので忙しかった。すなわち、ビジターセンターで先客を降ろし、自由時間を利用してすぐに東桟橋へ後の客を迎えてカイジ浜へ送る。そして、また自由時間を利用してビジターセンターにいる先の客を新田観光へ送り、またカイジ浜に戻って、後の客をビジターセンターへ送った。最も忙しい時期には、3グループを掛け持ちすることもあるという。そうすると、どうしても綱渡りのような状況になるので、客を待たせたり急かせたりすることになってしまう。ゆっくり回ろう竹富島。
 バスから降り、竹富中学校2年生の授業に参加するため、カヤ葺き小屋の解体現場に向かう。すでにカヤを下ろしているので、今日は柱を解体する。生徒は下ネタを連発しつつも作業を行ない、ついに全ての柱を倒すことができた。授業時間の最後に、記念撮影して終了。
 カツおばちゃんのお店に行く。先に店に来ていた女の子が、薬草に興味があるというので嬉しくなり、自分の知っている情報をいろいろと伝える。単純なもので、同じ話題で盛り上がれると楽しい。ついつい長話になる。
 夕食後、牛小屋近くの小屋でヨシさんと3時半まで飲む。なんで、ヨシさんのところで飲むと、3時を過ぎてしまうのだろうか。 

4月18日(水)

 予報では、午後から天気が良くなるというので、朝のうちに洗濯して棹に干しておく。午前中は、なかなか人を捕まえられなかったので、久しぶりに喜宝院に収蔵されている品々をつぶさに見て時間を費やす。ついでに、隣の店で「八重山ガイドブック」最新版を購入。今度のガイドブックは、前のよりも良さそうだ。
 昼頃から、カイジ浜に移動する。ここで、土産物を売っているエイタツは、主にバスから10分間降りた客を相手に商売している。そのエイタツに声を掛け、仕事の合間合間に会話するが、忙しいのでまとまった話はできなかった。しかし、人気が高くチケットがないと聞いていた中筋部落の東京公演(6月24日)のチケットを、売ってもらえることになったので、それだけでもカイジ浜に行った甲斐があった。話している途中、雨が降ってきたので、洗濯物をしまいに内盛荘に戻ると、宿の人がすでにしまっておいてくれていた。ありがたや。
 夕方、庭にきれいな花を植えているあばあさんから聞き取り。話し方、表情が魅力的な人で、話を聞いているときはずっと心地良い気分にさせてもらった。そして、5時過ぎからはゲートボール。だいぶ上達したぞ。
 夕食後、正玄さん、スミさんから聞き取り。内盛荘の人は身近すぎて、これまでサボっていたが、残りの調査日数が減ってきたので、そろそろきちんと調査しないと・・・。

4月19日(木)

 朝のうちにヨシさんが面倒をみている牧場を訪ねる。給餌しているところだっただったので、それを観察する。スタンチョンという施設が、いかに牛を育てるのに効率的であるかが分かる。牧歌的に思える牛飼いの仕事も、だいぶ効率化されているようだ。
 昼前、竹富中2の授業に参加して、畑の開墾を手伝う。ビーバーで草を刈り、小型耕耘機で耕す。生徒たちは、授業を通して、これらの農業機械を使いこなせるようになる。都会の森林ボランティアでは、機械を使えるようになるために、講習会に参加して覚えないといけないことがあるが、子どもの頃から、実践を通して覚えてしまえば、その方がずっと身に付くはずだ。
 午後、東桟橋からグラスボートに乗る。初めて、竹富島の沖合に出て、海中を見ることができた。予想以上にきれいで、サンゴや熱帯魚を見て楽しんだ。しかし、説明によると、海中のプランクトンが少ない冬は、より透明度が高くて素晴らしいという。
 夕方、どこかのお偉いさんが、ミンサー織りについて話を聞きたいとスミさん(内盛荘のおかあさん)を訪ねてきた。ちょうど時間があったので、飛び入りで、一緒に話を聞くことにした。スミさんには、ミンサー織りで5人の子どもを育てあげたという誇りがある。このため、ミンサー織りが商品名として一人歩きし、心を込めて一生懸命織るという基本が廃れている現状を、嘆かわしく考えているようだ。女が織物を織る活力の源泉がどこにあるのか、多少分かったような気がした。
 ゲートボールをやった後、夕食。食後、近所の人にピィヤーシ(ヒハツモドキ)の葉で笛を作る方法を教わる。夜は1時過ぎまで、宿泊客と宴会。 

4月20日(金)

 6月24日に催される中筋部落の東京公演に行けなくなってしまった。当日を含めて前後3日間の日程で、大塚プロジェクト・沖縄班のミーティングを福島でやることになったとメイルで連絡が入った。残念。せっかく、チケットが手に入ったのに。
 小中学校の生徒たちが、西桟橋の方でモズクを採るというので、それを見に行く。採ったモズクは塩蔵して、学校の給食になる。自分で食べる分は、自分で採ってくるということだ。竹富の教育は自由度が高くて、面白い。
 昼頃、東京公演のチケットをキャンセルするため、カイジ浜のエイタツを訪ねる。カイジ浜に来ると、時間がゆったりと流れているのか、必ず長時間過ごしてしまう。しかし、エイタツはのんびりしているように見えるけれど、お金を稼ぐために必死だ。いつも天気を気にして、売れ行きを案じている。エイタツが心配していたとおり、昼過ぎから雨が降ってきてしまった。
 今晩は、新たに学校に赴任してきた先生の歓迎会が開かれる。そのための会場設営のため、5時にまちなみ館に行く。小1時間かけて準備を終え、食事を済ませた後、8時に再びまちなみ館へ。すぐに会が始まった。集まった島人を見回すと、ずいぶん知った顔を多い。長くいるだけあって、顔なじみは増えた。いつもゲートボールを一緒にやっているオバアから、夕方、ゲートボール場に行かなかった理由を質された。会場設営を手伝っていたと応えると、明日は一緒にやろうと誘われた。そうやって気に掛けてくれることが嬉しい。 

4月21日(土)

 朝から竹富中の中2の授業に混ざって、生徒とともに畑の開墾。その授業中に、愛知県から1週間体験入学していた中3生が今日帰るというので、全校生徒・職員が校庭に集まって即席送別会が行なわれた。この中3生は、今後、再び島に戻ってくるかもしれないが、ひとまずお別れということで、校長の挨拶の後、中3生が生徒を代表して次のように言った。「こんな島ですが、一緒に卒業してください」。そして、頭を垂れて右手を差し出す。すると、ほかの中3男子が「ちょっと待った!」と出てきて、右手を差し出し、「一緒に卒業してください。お願いします」。気の利いた「ねるとん」のパロディーに、集まっていた人々は大ウケ。爽やかで楽しい時間だった。
 その後、10時45分の船で島を出る体験入学生を送るため、中学生は全員、東桟橋まで行く。そして、船が出ていくと同時に、好例の桟橋からの飛び込み。なぜか、僕も一緒に飛び込んだ。
 昼食をとった後、2時に公民館長と会う約束をしていたので、まちなみ館へ行く。しかし、30分待ってもやって来ない。自宅に電話するが留守のようだ。おかしいなあと思っていると、島の人が慌ただしくまちなみ館に入って、ドラを取り出した。「何かあるんですか?」と尋ねると、「人命救助。公民館長が遭難した。」と応える。僕が館長と待ち合わせしていることを告げると、「付いてくるか?」と言うので、遭難場所まで車に乗せてもらうことになった。車中のやり取りから、館長は一人で森に入って、出て来られなくなったことが分かった。ドラを持ってきたのは、これを鳴らすことで、捜索者の位置を知らせるためだ。携帯電話で館長と連絡を取ることができていたので、命の心配はなかった。捜索に取りかかってしばらくすると、館長が自力で浜に出ることができたので、ほっと一安心。館長はお疲れのようだったので、明日、あらためて会うことにした。
 島の人からお借りした書類が手許にあったので、どこでコピーしようか考える。郵便局に行ってお願いすると、ここではできないから、車輌組合に行くように指示される。車輌組合の事務所に着くと、1枚30円でコピーできると言う。高いけれども、石垣に出るよりは安いので、しぶしぶコピーする。せめて1枚20円にしてくれよ。

4月22日(日)

 朝、館長にお会いして、資料をいくつか借用する。枚数が多いので、石垣まで出てコピーすることにした。石垣に着くと、いつもよりも人が多いことに気付く。そうだ、今日はトライアスロン大会が行なわれる日だったのだ。ついでだから、しばらく観戦することにした。小1時間見ていると飽きてしまい、コピー機の置いてあるコンビニに向かう。すると、その道すがら、小浜島ファームで一緒だったタクちゃんに偶然出会った。そして、タクちゃんから、今さっきユウタとタカさんが港にいたという情報を聞き、今度は桟橋に行くことにする。港に着くと、、西表行きの船の切符を買っているユウタとタカさんにも再会。船の出発時刻まで間がなかったので、タクちゃんと一緒に2人を見送った。旅先で友だちと会うのは、偶然だからこそ嬉しい。
 夕方、ゲートボール場に行く。明日、竹富島を離れるので、今日がゲートボールを楽しめる最後の夕だ。いつも暖かく迎えてくれたオジイとオバアに感謝。次に来るときも、一緒に遊びましょうと言って別れた。
 夜は、「たるりや」で比較的若い島人とともに飲む。学者の意見に大きく左右される島人の生活について忌憚のない意見をいただく。また同時に、僕がまっとうな研究者になってほしいとメッセージをいただく。とても有り難い。まだ、島を最初に訪れてから1年も経っていないが、これから何年も関わり続けることによって、自分が成長するともに島人にも貢献できるようになりたいものだ。

4月23日(月)

 いよいよ、竹富島を離れる日だ。当初の予定では24日まで居る予定だったが、昨夏の調査報告書が刷り上がったので、これを小浜島でお世話になった人に届けに行くため、1日早く島を離れることになったのだ。竹富島では、すでに1週間前に、内盛荘、竹富公民館、喜宝院、竹富小中学校に寄贈している。
 午前中、中3の授業に出る。今年、中3は自分たちでサバニを作り、由布島か嘉弥真島に行く予定だ。サバニを作るためには木を切り倒す。このとき、褌1丁になって、シャコガイを備え、願いをする慣習がある。なぜ、このようにして願いをするのか、その理由を考えるという授業だ。島にはさまざまな伝統行事・祭事がある。これを現代の視点から、リアリティをもって捉え直すためのこうした作業は、島の伝統文化を生き生きとしたものにするために不可欠なことだと思う。
 授業を終えてから2時過ぎまでは、これまでお世話になった島人を訪ねてのお礼回り。公民館長の阿佐伊さん、喜宝院の芳徳さん、とも倉のイツヨさん、竹富中の市原先生・藤乃先生、カイジ浜のエイタツ、お土産屋のカツおばちゃん、高那牧場のヨシさん、そして何より内盛荘の正玄さん、スミさん、佳美さん、ヨシエさん、正聖さん、トモエさん、みなさん有り難うございました。
 2時45分に竹富島を出る船に乗って石垣へ。そして、すぐさま3時の船で小浜島へ。今日の宿は「うふだき荘」。宿に着いて一息入れた後、小浜公民館、うふだき荘、宮良荘、ケン兄、新本さんを訪ね、調査報告書を差し上げる。

4月24日(火)

 朝のうちに、細崎公民館に報告書を寄贈する。島を1時に出ることにしたので、それまでの間、イシさんと会って話をする。イシさんは、キビ刈りを終えていったん島を出たものの、また思うところがあって、ケン兄のもとで農作業をするために小浜に戻ってきた。イシさんは島に対して、ケン兄に対して熱い思いを抱いている。その思いに僕もかき立てられるものがあった。
 小浜を出て石垣へ。初めて「楽天屋」に宿をとる。チェックインしての印象は、異国的でナイスな宿という感じ。荷物を置いて、竹富町役場へ。商工観光課、建設課などに寄って、顔なじみの人と軽く会話を交わす。その後、環境省自然保護局・石垣支所を訪ね、いくつか資料を借用する。さらに、竹富町教育委員会を訪ね、資料収集。夜は、焼き肉を食べに「金城」へ。石垣牛が美味かったよ。

4月25日(水)

 今回の調査では、石垣島で三線を買って帰る予定にしていた。しかし、4月分の滞在費が5月下旬にならないと貰えないため、三線の購入資金が足らず、結局断念。次回に持ち越しか。
 さて、飛行機で石垣を出るまでの間は、県立博物館と県立図書館で資料収集。昨年来たときよりも、気になる資料が増えており、コピーする量が多い。
 夕方、石垣を出て那覇へ。前に泊まって気に入った「新金一旅館」に宿をとる。夜は「とん一」でヒレカツを食べる。松井先生お勧めの一品だ。確かに美味いが、値段相応だとも思う。
 明日は早朝、サッカーの日本×スペイン戦があるので、珍しく日が変わる前に寝ることにする。

4月26日(木)

 50日間に及ぶ調査の最終日。4時半に起きてサッカーの試合を見る。失点を防ぐことを目標に戦っているので、退屈な試合だった。強豪相手の試合なので妥当な戦術なのだろうが、0-1で負けたこともあって愉快ではない。試合終了後、いつの間にか、うたた寝してしまい、「ちゅらさん」を初めて見逃す。。羽田行きの飛行機の時刻が12時40分なので、昼の再放送も見られない。これまで、欠かさず見てきただけに残念。
 9時前にチェックアウトして、出発までの間は県立図書館で資料収集。国際通りから歩けば15分程度の距離だけれど、雨が強く降っているのでタクシーを利用する。那覇では初乗りが450円だから、東京の660円に比べてかなり安い。ちなみに、石垣では初乗り390円だった。
 12時頃、空港に着き、急いでお土産を買って、いよいよ出発。早起きしたためか、機内ではぐっすり眠り、3時に羽田空港に到着。そのまま研究室へ直行。京急、JR、東急と乗り継いで、4時頃に着く。しばらく居ないうちに、若干机を移動したり、新しく入ってきた人などもいて、大きく様変わりしていることにうろたえる。全く落ち着ける雰囲気ではない。そこで、8時頃までかけて、研究室内での自分のスペースを快適にするため整理整頓を行なう。
 一息ついて間もなく、経堂にある実家へ行く。調査に出ている間に届く郵便物を転送していたので、これを取りに行ったのだ。ついでに、夕飯も御馳走になってから、12時過ぎに帰宅。

4月27日(金)

 小浜島で右のコンタクトレンズを紛失して以来、ずっと眼鏡をかけ続けている。しかし、どうにも慣れない。早く眼鏡生活を止めたいので、レンズを作りに町田に出かける。ソフトからハードに替えたのが、たかだか3ヶ月前だったので、紛失しても2割引で新しいものと交換できるサービスを受けられたのはラッキーだった。だが、僕のレンズは特注なので、GW明けにならないと納品されないらしい。まだ、眼鏡生活が続く。
 2時頃、アリスセンターに顔を出す。すると、僕と同じく恩田の谷戸ファンクラブのメンバーで、今は仙台みやぎNPOセンターで働いている松尾さんに会う。松尾さんも僕も、蒔田にあるNORAに行くつもりだったので、2人で押し掛けることにする。NORAとは、「よこはま里山研究所」の通称で、今月、事務所を開いたばかりの新しいNPOだ。土屋さんや十文字さんなど、よく知った人たちが深く関わっている。具体的に何をやるのかは聞いていないが、今後に期待。
 十文字さん、松尾さんと話をしていると、さらに2人の女性も集まり、事務所内でビールを飲み始める。7時頃になって、夕飯を食べに事務所を出ることになるが、僕は同行せず、ひとり自由が丘へ行く。矢野研の中西さんが就職することになったので、そのお祝いがあるためだ。
 8時過ぎに、自由が丘の駅前にある沖縄料理店「なんた浜」に到着。ナンタ浜とは与那国島の地名なので、てっきり与那国の人が経営しているかと思っていたら、実は竹富島の人がやっていると言う。僕が調査中にお世話になった人の名前を数名挙げると、すべて親戚の方であった。たいてい、島の人はみな親戚であるから驚きはしないが、急に親しみを感じるようになった。「なんた浜」万歳!
 1次会が終わって、2次会、3次会へ。結局、研究室で夜を明かす。

4月28日(土)

 今日・明日は、恩田の谷戸ファンクラブのGW好例行事、伏せ焼きが行なわれる。伏せ焼きとは原始的な炭焼きのことだ。10時開始ではあるが、徹夜して朝8時頃に帰宅したので、少し寝てから行くことにする。
 3時過ぎに起床。昼頃に起きられればと思っていたが、体が眠りたがっていたのだから仕方ない。すぐに身支度を整え、自転車で恩田の谷戸へ。今回の伏せ焼きには、樹恩ネットワークの若者が10名参加していたので、僕は作業を放棄して、もっぱら飯を食い、酒を飲み、人と語る。八重山から帰ってきてからも変わらぬ自分の生活に呆れる。まあ、よい。5月から引き締めてやっていこう。
 午後3時過ぎに着火して、7時過ぎに窯の口を小さくし、11時頃にはさらに口を小さくして・・・(つづく)

4月29日(日)

 ・・・午前3時過ぎに完全に窯の口を封じる。あとは、およそ半日そのままにしておけば炭化が終了する。窯を開けるまでにやることはないので、しばらく寝袋で眠る。
 7時過ぎに起床。朝風呂の用意ができていた。伏せ焼き担当の久保さんが、今年は谷戸で風呂に入ろうと決意して、準備していたのだ。伐った木を燃やして湯を沸かし、これをホーロー風呂に入れるという簡単なものであるが、いざ湯船につかってみると、とても気持ちよい。あまり保温性が高くないので、すぐに寒くなるのが弱点だが、それを補って余りある気持ちよさだった。それなのに、久保さん、岩波さんと僕の3人しか入浴せず、大勢やって来たJUONのメンバーが誰も入らなかったのは理解に苦しむ。谷戸風呂は最高だ!
 とにかく窯を開けるまでは暇だ。何もやることがない。火に薪をくべて時間を費やす。昼飯時になった。竹を使って飯を炊き、差し入れの肉と魚を網で焼く。どれもこれも、野外での料理は、なぜか美味い。
 2時頃、口を封じてから10時間程度経過した。窯を開ける時間である。スコップで土をのけて、トタンをのけて、落ち葉をのけると、完成した炭がごろごろ。伏せ焼きは原始的なやり方なので、一部、未炭化の材もあったが、例年以上の出来に満足。久保さんも、これまで5回伏せ焼きをやったなかで最高の出来だと評価していた。
 夕方、帰宅。ちょっと疲れた。慌ただしく時が過ぎてゆくせいで、部屋の掃除も終えていないし、返事を書かなければいけないメイルが溜まっているが、今日は駄目だ。お休み。

4月30日(月)

 気持ちよく朝を迎えることができた。掃除をしようという気になって、午前中のうちに部屋をきれいにする。
 午後、大学に行く。早く定期券を購入したいので、通学証明書を取りに行こうと思ったのだ。しかし、証明書発行機は作動していないし、教務課も閉まっている。なぜだろうと考えると、今日が休日であることに気付く。なるほど、今日は「みどりの日」の振り替え休日なんだね。わざわざ、往復1,000円以上かけて大学に来る必要なかったのに。
 せっかく大学まで来たので研究室に行く。あまり頭を使う仕事をしたくない気分だったので、八重山で集めた資料の整理をする。ほかに、ネットサーフィンも楽しむ。調査に出ている間は、携帯でインターネットにつないでいたので、メイルの送受信とHPの更新以外に接続しないようにして、通信料金を節約していた。だから、時間を気にしないでよい大学の通信環境を十分に利用しようと、久しぶりにいろいろなHPを閲覧した。「2チャンネル」という掲示板のなかで、土場先生のスレッドを発見。ネット・マニアの評判になっているらしい。
 夜、帰宅してからメイルをチェック。バイオマスのMLで、ペレットストーブの話題が盛り上がっている。いろいろな人が、ペレットストーブに関心を持ち、なかにはヨーロッパや北米に視察旅行に行く人もいる。昨年は、神奈川森林エネルギー工房として、ずいぶんペレットストーブの普及に力を注いだが、企業が目を付け始めたので、僕はもう関心が遠のいている。
 久保さんから、伏せ焼きで撮った僕の入浴シーンを、恩田の谷戸ファンクラブのHPに載せてよいか問い合わせのメイルがあった。さっそくHPを拝見。ワンカップを片手に持って、楽しそうに谷戸風呂につかっている僕の姿がそこにあった(もちろん、局部は修正済み)。もし、この写真が谷戸風呂の魅力を伝えることになるならばという条件付きで、写真の掲載を了承するメイルを返信。時計を見ると、4月が終わって、5月になっていた。

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