日記帳|2003年8月

8月1日(金)

 夜を徹しての校正作業も、朝の7時半には終了。東大出版会と松井先生に宛てて、近くのコンビニから論文2編を宅急便で送る。
 8時頃、緑が丘駅から大井町線に乗り、自由が丘駅で東横線に乗り換えて、終点・桜木町駅で下車。県庁方面に向かう。牛丼屋で朝食をとり、合同庁舎で県が発行している資料を眺めてから、10時に県科学技術振興課の長尾さんを訪ねる。
 しばらくして、ソフトエネルギープロジェクトの佐藤さんもいらっしゃって、3人で打合せを始める。議題は、今年度の新エネ重点詳細ビジョンの策定調査の進め方についてだった。詳細ビジョンを検討する藤野町では、国土交通省の補助金を得て「まちづくり」事業が始まっている。この先行事業との関係をどうするのか、市民WGと地元団体との関係はどうするのかなど、意見を交換した。その結果、まずは地元の動向を把握してから、市民WGの調査企画書を作ることになった。
 12時に打合せ終了。トルコ料理店「アリババ」でミックスランチを食べ、横浜市刊行物センターで1/2,500地形図を購入し、駅前の本屋で資料探しをしてから横浜市役所へ。2時から、緑政課と打合せ。自分の仕事に関するところでは、里山バイオマスの活用検討会の概要や、バイオマス祭りを納富鳥のふれあい祭りの中で開催することなどが決まった。
 3時半過ぎ、打合せはおしまい。4時過ぎにNORAへ。明日から始まる里山ボランティア講座のために受付名簿を作ったり、浦戸さんと連絡を取って、旧奥津邸のスタッフ説明会に来てもらうようにお願いしたり。
 7時頃、NORAを出る。帰宅途中、仲木戸駅で京急線から横浜線に乗り換えるとき、港の方角に花火が上がっていた。しかし、足を止めることもなく、8時過ぎに帰宅。夕食後、畳に横になったら、そのまま爆睡。

8月2日(土)

 寝坊した。8時過ぎに起床。慌てて顔も洗わず、もちろん朝食もとらずに、新治に向かう。自宅から最寄り駅までと、小田急町田駅とJR町田駅の間を走ったために、集合時刻の9時には旧奥津邸に到着できた。雨戸を開くなど準備を整えていると、受講生が次々に集まってきたので受付する。
 9時半、里山ボランティア講座〈夏コース〉初回がスタート。60名近い受講生のうち、出席者は40名余り。競争率が高かった割には、出席率は普通だった。落選した人が多かったので、もっと出席率が高いと良かったのだが。
 さて、今日の講座の内容は、次のとおりだった。すなわち、緑政課の中後係長から挨拶があり、吉武さんが里山の基礎を講義。それから新治市民の森に入り、お昼過ぎまで里山の現状を見学。昼食をはさみ、再び吉武さんがボランティアの基礎を講義。2時、終了。以上である。
 2時過ぎ、この講座で作業リーダー/サブリーダーをお願いしている愛護会の方々とスタッフとで反省会をおこなう。これが終えると、イベント・スタッフとしての仕事は終わり、旧奥津邸の当番としての仕事が始まる。愛護会の杉崎さんが事務用品を持っていらっしゃったので、これを受け取って整理したり、北洞さんと関口さんがベーゴマを持ってきたので、回し方を習ったり、ついでに北洞さんのベーゴマをなくしたり。来訪者が少なかったけれど、退屈せずに時間が過ぎていく。
 6時、当番の仕事を終え、旧奥津邸を出る。7時頃、帰宅。一昨日から体を洗っていなかったので、シャワーを浴びてすっきりしてから、9時に友だちを訪ねる。麻婆豆腐&茄子、枝豆、そばを、おいしくいただく。1時過ぎ、開幕したブンデスリーガの第1節「ハンブルガーSV対ハノーファー96」をテレビ観戦。後半から期待の高原が出てきたが、結果は0-3で完敗。苦いスタートとなった。

8月3日(日)

 テレビを遅くまで見ていたので、11時頃、起床。朝食はイングリッシュ・マフィン。普段、食べないけれど、なかなか乙なもんです。
 食後、メールを数通書くなどしていると、室内が暑くなってきたので、3時頃、部屋を出ることにする。3時半、横浜駅に到着。明日からの合宿のために電車のチケットを購入する。領収書が必要なので、みどりの窓口に行ったのだが、お盆前だからなのか、とても混んでいて、切符を買うだけで30分もかかってしまった。これじゃ、サービスが悪すぎる。JRはもっと利用者のことを考えた方が良い。
 チケット購入後、東急ハンズへ行き、友だちの買い物に付き合う。何気なく使ってみた電動肩たたき機にはまってしまい、しばらく本気モードで肩のこりをほぐす。購入を検討する価値は十分ありそうだ。ハンズで用を済ませ、ヨドバシカメラをぶらついてから、夕食の食材を購入し、6時半に友だちの家に戻る。夕食は、ゴーヤチャンプルーと餃子など。8時からは『武蔵』。起きるのが遅かったので、あっという間に過ぎ去った1日だった。

8月4日(月)

 今日は、いつもお世話になっている友だちの誕生日である。○歳の誕生日、おめでとう!
 6時半、起床。朝食をとり、7時半に部屋を出る。8時半に新横浜駅を出る「こだま」に乗り、西へ。9時半前、新富士駅に到着。
 改札口を出ると、すでに15人ほどのメンバーが集まっていた。このメンバーは、今日から3日間、合宿をともにする先生や院生であった。環境社会学会の初代会長であった飯島伸子先生の文庫を作る合宿をはるため、先生が最後に教鞭を執られていた富士常葉大学へと集まったのだ。僕は、飯島先生と1度しか会ったことがなく、かなり縁遠い関係なのであるが、一緒に研究会をもっている原口さんに誘われて、今回参加することにしたのである。
 飯島先生は、「環境社会学」という言葉がないときから、国内の公害被害地で精力的にフィールドワークを積み重ねられた方で、日本の環境社会学を今日まで築き上げてきた最大の功績者である。その飯島先生が亡くなったのは2001年11月であった。先生は、膨大な資料を集められており、それを分類整理すれば、貴重なデータベースができることは明白である。そこで、昨年度から、飯島先生の業績を整理するととともに、資料をプロジェクトごとに整理し、さらにその資料をフィールドノート、読書ノート、論文の草稿、発表用資料、収集された各種資料、事務書類などに分類するというプロジェクトが始動した。今年度からは科研費を取って、今後5年計画で文庫設立を目指すらしい。
 新富士駅からタクシーに分乗し、富士常葉大学へ。10時、幹事役の田窪先生の挨拶をきっかけに合宿はスタート。舩橋先生から資料分類の方法について説明があった後、6つの班に分かれて作業が始まる。僕は神野さんとともに原口班で働く。飯島先生が関わった65以上のプロジェクトのうち、まずは「薬害スモン」に関する資料が詰まった段ボール箱を開き、一つひとつ目を通しながら、分類整理していくことにする。
 スモン(SMON)は、整腸剤「キノホルム」の副作用によって、激しい腹痛を伴う下痢が起こり、続いて足裏から次第に上に向かって、しびれ、痛み、麻痺が広がり、ときに視力障害をおこし、失明にいたる疾患である。スモンは1955年頃から散発し、60年代後半の大量発生で社会問題となった。重篤な症状と原因が不明であることから奇病として恐れられ、患者は著しく差別され、ウイルス説が発表されたときには多くの自殺者を出した。ちなみに、SMONとは、subacute myelo-optico-neuropathy(亜急性・脊髄・視神経・抹消神経障害)の略称である。
 恥ずかしながら、これまで薬害スモンの内容についてほとんど知らなかったので、こうしたことを少し勉強しながら整理していく。12時半から昼食休憩が入り、1時半から7時まで単調な作業が続く。集中力が薄れてくると、お茶やお菓子をつまんでしのぐ。
 7時、今日の作業は終了。先生たちの車とタクシーに分乗して、宿泊場所となる富士ステーションホテルへ行く。荷物を置いてから、近くのパスタ屋で夕食をとり、9時半頃、ホテルに戻る。

8月5日(火)

 合宿2日目。7時半に朝食をとり、8時半にホテルを出て富士常葉大学へ。9時、「薬害スモン」関係の書類の整理分類は終わったので、今日は新しいプロジェクト「美容・理容」に着手する。
 飯島先生の仕事の中では、あまり知られていないけれど、先生がこだわって追いかけていたテーマの1つとして美容・理容に関わる健康問題がある。激甚型の公害問題が収束しつつあった1980年代はじめから10年以上関わり続け、博士論文のテーマとした問題である。このテーマで『髪の社会史』という本も書いている。
 今日まで全然知らなかったのは、飯島先生と美容師・山崎伊久江さん(ベル・ジュヴァンス)との親密な関係である。山崎伊久江さんが開発したベル・ジュバンス(BJ)式では、肌に優しい弱酸性のパ-マ液・カラ-剤・化粧品などを使用する。このBJ式が、カネミ油症(1968年、九州を中心に発生したPCBによる大規模な中毒事件。福岡県下で多発した皮膚病を発端に、手足のしびれやいわゆる「黒い赤ちゃん」の確認など深刻な健康被害が相次ぎ、疫学調査の結果、カネミ倉庫社製の米ぬか油に製造工程中に混入したPCBが原因物質であることが分かった)の患者の治療に効果があったことから、どうやら飯島先生と山崎さんの関係が深まっていったらしい。両者は、共同して調査を実施したり、ベル・ジュヴァンスが主催するシンポジウムで飯島先生が講演したり、発行誌に記事を書くなど、かなり深い親交があったようだ。
 こうした意外な事実を発見しながら、たんたんと作業を進める。12時半から1時間の昼食休憩をはさんだが、それ以外はあまり休憩もとらず、ひたすら資料を分類整理する。
 7時、作業終了。いったん、宿泊場所に戻り、8時前から合宿メンバーで懇親会を開く。10時過ぎで懇親会はおしまい。ホテルに戻り、院生の部屋で二次会が始まる。このとき、東大副学長で社会学教授の似田貝香門が、科研費を不正に受け取っていたとして、辞表を提出したというニュースが流れ、一時、騒然となる。12時過ぎ、二次会がお開きになる前に、一足お先に就寝。 

8月6日(水)

 合宿3日目。最終日。昨日と同じく、7時半に朝食、8時半にホテルを出て、富士常葉大学へ。9時から、「美容・理容」関係資料の分類整理を始める。保守点検のためにエアコンが止まってしまい、作業に集中することが難しい環境のなかで、なかばぼーっとしながら資料を整理する。
 しかし、こうした作業もただ苦痛なばかりでもなかった。今日は、「美容・理容」関係資料に混ざっていた自然保護運動の資料のなかに、興味深い記事を発見した。1970年代後半、自然保護運動は公害運動と異なり、住民運動と共同戦線を張れずにいた。当時、公害運動が「地元」の運動であったのに対して、自然保護運動は「よそ者」の運動であったことから、「地元」による住民運動と相性が悪かったのであろう。このことを反省して、80年代の自然保護運動は、身近な自然の大切さに気づき、これを保全する運動へと展開していった。その具体的なかたちが、自然観察会であり、身近な環境調査であり、里山保全運動であった。
 今回、こうした70年代から80年代にかけての動きをフォローできたのは収穫だった。今日の里山保全の動きは、環境学習の流れと合流して、批判的なポテンシャルを失いつつあるように見える。しかし、およそ20年ほど前に始動した頃には、明確な自然保護運動であった。このことを想起して、今一度、里山保全活動のなかに、運動としての活力を再生させたいと思った。
 12時半からの昼食休憩の後、ほとんどのメンバーは6時まで延長して作業を続けたが、僕と東大院生の大地くんは、当初の予定通り5時で切り上げた。2人でタクシーに乗って新富士駅まで行き、そこから新幹線で東進。それから約1時間、「なぜ環境を守るのか?」「研究者としての役割は何か?」「ディシプリンとは何か?」など、意見交換し続けた。
 新横浜駅で大地くんと別れ、横浜線に乗り換え、7時半頃、帰宅。今月下旬に弟一家が上京するので、そのときの対応についてお袋と電話したり、友だちと連絡を取るなどしてから、少し早めに寝る。

8月7日(木)

 6時半、起床。朝食後、今夜のバイオマスサロンに向けて、打合せ資料を作る。9時過ぎ、家を出て、最寄り駅から町田、長津田を経由して、9時45分に恩田駅へ。ここで、横浜市民活動支援センターの主催事業「夏塾」の塾生である小川くんと合流して、10時、恩田の谷戸に到着。
 谷戸には、すでに鎌田さん、岩波さん、福富さんがいらっしゃって、後から高橋さんと福島さんもいらっしゃった。夏塾からは、小川くんのほかに渡辺くんという学生も来ることになっていたが、遅いので連絡してみると、「忘れてました」とのこと。勝手にしてくれ。
 自己紹介の後、ゲンジボタルが生息する小川の源流へ行き、さらに、恩田の谷戸ファンクラブが丹精込めて育てている田畑へ。田んぼの水が少なくなっていたので、小川からポンプで水を汲み上げて、水をやる。ついでに、周辺の草刈りも。福島さんは水やりを、僕はもっぱら草刈りを引き受けた。ほかのメンバーは、復元の小川へと場所を移し、水路周辺の草を刈る。12時前、それぞれの作業を終えて、雑木林広場に集まる。そこで、お茶を飲むなど休憩をしている間、一人だけ先に谷戸を後にする。
 恩田駅から、長津田、中央林間を経由して、1時過ぎ、藤沢駅に到着。急いで昼食をとり、1時半過ぎに、土屋さんと浦戸さんとその友だちと合流。バス停へと移動すると、斎藤さんがいらっしゃった。都合5人で、今日の見学地・神奈川エコハウスの展示場へと足を運ぶことにする。
 1時45分、大船駅行きのバスに乗り、十二天公園前で下車。2時、展示場に入ると、社長の下平さんがお出迎え下さった。神奈川エコハウスは、エアサイクル工法を使用して、省エネルギーに努めながら、国産材/県産材も積極的に利用しているので、県内では有名である。室内に入って、着席するなり、さっそく神奈川エコハウスのこと、神奈川の木で家をつくる会のこと、国産材/県産材を取り巻く状況などについて、お話をうかがう。斎藤さんの施主が下平さんであったこと、土屋さんが国産材を利用して家を建てたことなど、ヒアリングする上での好材料が多かったので、スムーズに取材できたように思う。
 ヒアリングのほか、室内をご案内いただくなどして、4時過ぎに展示場を出る。バスで藤沢駅へ戻り、6時まで麻布茶房でお茶をする。その後、横浜へ移動し、夕食を購入して、7時から神奈川森林エネルギー工房のバイオマスサロン。今夜の参加者は、土屋さんと斎藤さんと僕の3人のみ。8時半頃、長野から戻ってきた佐々木さんがいらっしゃったけれど、出席者が少なかったので、低調な打合せに終わった。もっと多くの会員が集まるように工夫しないと。
 9時半、バイオマスサロンは終了。11時頃、帰宅。移動距離が長かったせいか、かなりくたびれた。

8月8日(金)

 10時、NORAへ。明日は、里山のボランティア講座〈夏コース〉の2日目であるが、台風が接近しているので、中止とする可能性が高い。しかし、雨天時の対応について、受講者にきちんと伝えていなかったので、横浜市緑政課とNORAで手分けしET、電話でお知らせすることになった。今日は、そのための作業で、半日分を費やしてしまった。ほかに、「市民による里山学」関連の資料整理、倉本先生のアポ取りなど、雑用に追われていたら、1日が終わってしまった。
 7時頃、事務所を出て、8時半頃、帰宅。昼の間、連絡が取れなかった受講者に電話をかけ、明日の準備はOK。夕食にナスとベーコンのトマトソース・スパゲティを作り、缶ビールを2本飲んで、ほろ酔い気分で就寝。

8月9日(土)

 窓を開けて寝ていたので、4時半頃、室内に雨が吹き込んできて、目が覚めた。おそらく、今日の講座は中止となるだろうと思って、また横になっていると、6時半に電話が鳴った。吉武さんから、今日の講座を中止するという連絡だった。7時、新治市民の森愛護会の加藤さんに、中止になったことを伝え、ふたたび床に就く。
 11時過ぎ、起床して、昼食をとる。午後は、20日分近く書けずにたまったしまった日記を、一気に10日分ほど書く。7時前、家を出て、買い物をしてから、8時半頃、友だちの家を訪ねる。2人で夕飯を食べてから、まったりと時間を過ごし、1時頃、就寝。

8月10日(日)

 9時過ぎ、起床。朝食後、日記をさらに10日分ほど書く。
 4時過ぎ、横浜駅へ。無印良品でシーツを買い、ユニクロで半袖シャツを買い、ヨドバシで友だちの誕生日プレゼントと自分用のキーボードを買い、夕食の食材を買って、7時前に部屋へ戻る。夕食後、8時から『武蔵』を見る。11/3に神奈川森林エネルギー工房が予定しているバイオマス祭りのラフな企画書を作成し、これを田並さんに送信してから就寝。

8月11日(月)

 10時、かながわ県民活動サポートセンターへ。8Fのパートナーシップルームにおいて、市民WGの打合せがあった。集まったのは、県側が7月から新たに科学技術振興課となった盛田、下元課長代理、小泉さん、市民団体側が佐藤さん、飯田さん、岩本さん、僕だった。今日の議題は、県西・北部におけるバイオマス発電・熱利用等の導入可能性調査の進め方について。どのようなメンバーを集めて実施するか、コンサルと市民団体との役割分担をどうするか、調査の落としどころはどの辺りに置くかなどを検討した。
 12時過ぎに打合せは終了。その後、1Fの喫茶「ともしび」で、市民団体の4人で昼食をとる。あまりに不味くてびっくり。1時半過ぎ、県サポを出て、横浜駅から明治大学・生田キャンパスに向かう。武蔵小杉、登戸を経由し、3時ちょうどに倉本先生を訪ねる。倉本先生とお会いするのは久しぶりだったが、相変わらず丁寧に対応していただき、大変嬉しかった。今回伺ったのは、主として、市民が里山を調査する方法と、その調査結果を生かして植生管理計画を立てるための方法であった。動植物の同定能力を高めるよりも環境条件を測定する方が着手しやすいこと、里山づくりでは技術的な問題よりも人と里山との関係性の方が重要であることなど、参考になるご意見をいくつもいただくことができた。倉本先生は、研究室で調査器具と簡単な調査方法をパッケージ化して、市民団体に貸し出すことを検討されているとのことなので、ぜひ実現させてほしいと思った。
 5時過ぎ、同じキャンパス内に研究室を構える藤井先生を訪ねる。先生には、かつて木質ペレットの製造を持ちかけたことがあったので、それ以来、親しくお付き合いさせていただいている。今日は、先生の研究室で取り組まれている研究のなかで、バイオマス関連ものとスターリングエンジンの研究についてお聞かせいただいた。バイオマスに関しては、まだ紙上で検討している段階とのことだった。スターリングエンジンについては、(株)メガケムが扱っている教育用扇風機を紹介していただいた。
 6時半頃、研究室を出て、同じ町に住む先生と一緒に最寄り駅まで帰る。その電車のなかで先生は、現在、玉川学園で係争中の旧IBMグラウンド跡地問題(ハセコーが、日本IBMの総合グランド跡地に、16階建て610世帯が入居する大型マンションを建設しようとしている問題)に関し、いかにハセコーの建設計画が無茶苦茶であり、町田市長が食わせ物であるかについて、熱っぽくお話になった。
 帰宅して夕食後、ハセコーがらみのマンション建設問題についてネットで調べる。都立大跡地でも同様の問題が生じているらしい。現行法では対処できないという点では、地下室マンション問題と似ている。散々議論されているが、環境権のような権利が認められる日はあるのだろうか。

8月12日(火)

 10時、NORAへ。机周りの資料が乱雑になっているので、その整理に時間を充てる。午前中、自然環境保全センターから、情報収集の依頼があったので、その仕事を済ませる。
 吉武さんと近くの中華料理店で昼食をとって事務所に戻ると、またも保全センターから連絡があり、情報収集の再依頼がある。しかも、急ぎの用事だったので、超特急で仕事を済ませるが、3時からの打合せには遅れてしまう。
 事務所からタクシーを利用して、神奈川県科学技術振興課へ。参加者は、県職2人、日大の糸長先生、ソフエネの佐藤さん、それに僕だった。議題は、昨日の打合せと同じく、県西・北部におけるバイオマス発電・熱利用等の導入可能性調査の進め方について。パーマカルチャー・センター・ジャパンの代表でもある糸長先生から、藤野町篠原での動向についてヒアリングし、篠原地区振興協議会など地元の意向を尊重して、新エネの導入を検討することを合意した。
 5時、打合せを終え、NORAに戻る。こだま舎から野菜が届けられていたので、吉武さんとFRNの竹内さんと3人で山分けする。7時前、AUショップへ行き、学割の登録手続きをとる。
 8時半、帰宅。夕食は、ナスとベーコンのトマトソース・スパゲッティ。また、トウモロコシを初めて電子レンジで調理して食べた。これまでは、湯がいて食べていたけれど、吉武さんから電子レンジを使った方がよいと勧められたのだ。結果は、おっしゃる通りだった。

8月13日(水)

 7時、起床。メルマガ【KEI】最新号の原稿作りが全然進んでいないので、家を出る直前まで、いろいろと情報を収集する。10時半、NORAに到着。少し仕事をして、12時半に事務所を出る。
 1時、かながわ県民活動サポートセンター11F「情報・相談コーナー」へ。今週は、環境情報コーディネーターのアルバイトがある週である。2時過ぎ、アメリカの大学院生からインタビューを受ける。市民活動でリーダー的な役割を担っている人に対し、ライフヒストリーを尋ねているのだという。僕は、自分のことを話すのが嫌いじゃないので、抵抗なく調査に応じた。
 このインタビューで面白かったのが、調査を始める前に署名を求められたことだ。アメリカの大学では、インタビュー調査に際して、インフォーマントにきちんと調査に伴って生じる利害について説明し、そのことを了承してもらってから始めるようだ。そして、もし、説明よりも大きな精神的な負担などを感じた場合には、調査倫理を扱っている所に訴えることもできるらしい。大げさで煩雑な手続きが必要なのは、いかにもアメリカらしい。将来は、日本でおこなわれるインタビュー調査でも、このような手続きが求められるのだろうか。
 インタビューは、5時頃まで続いた。このため、今日中に作成すべきだったメルマガの原稿作りを終えることができず、6時に県サポを出る。7時半、帰宅。夕食後、原稿作りを進めるが、やる気が出ないので、明朝に仕上げることにして眠る。
 今日は、トッコの命日だった。最近、ご実家に伺えない年が多い。来年は、休みを取って行けるようにしたい。

8月14日(木)

 6時半、起床。8時までに、昨晩中に終えることができなかったメルマガの原稿作りを済ませる。また、バイオマス関係の写真を収集して、CDに焼き付けてから家を出る。
 10時、横浜市緑政課へ。市民による里山育成事業全般に関して打合せする。特に、森林資源の活用に関する検討会議と森林バイオマス祭りについて、時間をかけて議論した。この2つは、僕が担当している仕事なので、責任持ってやり遂げないといけない。
 12時過ぎ、打合せは終了。土屋さんと吉武さんと3人で、セルテの上にあるカレー屋で昼食後、1時にNORAへ戻る。アルバイトに来ていた中井さんと初じめてお会いする。2時頃、自然環境保全センターの中川さんが来訪。中川さんの車に乗って、3時に県庁へ。来週から、特別研究員として採用されるので、神奈川県緑政課と科学技術振興課へ挨拶しに伺ったのだ。ついでに4時過ぎから、環境計画課の山田さんと環境情報コーディネーターの仕事について打合せる。
 5時過ぎ、NORAに戻り、7時半まで仕事してから帰宅。9時から、NHK「映像記録 昭和の戦争と平和」を見る。昭和10年頃から終戦後までに撮影されたカラー映像をまとめたものだ。戦前の横浜の様子や、東京の賑わい、沖縄線、原爆投下後の広島・長崎の様子などが鮮やかに映し出されていて、モノクロ映像では表現できないリアリティを感じることができた。

8月15日(金)

 8時に起床し、親父に誕生日おめでとうメールを送る。10時前に家を出て、10時半頃、愛甲石田駅に到着。そこからバスに乗って、11時に自然環境保全センターへ。8/19からここで働き始めるので、その前に挨拶しに来たのである。
 まずは、中川さんのいる研究部の部屋に行き、同室の斎藤さんを紹介される。さらに、研究部長、企画管理部の都留管理課長、企画情報課長、そして石田所長にご挨拶。部屋に戻り、研究環境について議論し、1時頃、中川さんの車に乗ってセンターを後にする。
 厚木のハローワークに寄り、研究補助をお願いするアルバイトの募集をかけてから、ロイヤル・ホストで昼食。それから、小田原厚木道路を使って、箱根方面に行くが、大雨で伊豆・箱根方面が通行止めとなっており、小田原に入る前に渋滞に巻き込まれる。3時に生命の星・地球博物館へ着く予定だったのが、大幅に遅れて4時頃の到着となる。
 実は3時から、NORAと神奈川県緑政課との協働事業「市民による里山の保全と活用のシステムづくり」の検討委員会が始まる予定だったのだが、僕らが遅刻したので、開始が4時頃からとなり、終わりは6時半頃まで続いた。議論のなかで最も盛り上がったのが、民有林の管理についてだった。環境財としての里山をデザインできる権利を持つのは、最終的に地権者だけなのか、それとも関係する市民にも開かれているのか、興味深い論点だった。また、太くて素人では伐採することが難しい大木を、どのようにして更新していくのか。この問題も、避けて通ることのできないとあらためて感じた。
 委員会が終わり、7時前に入生田駅から小田急線を上る。小田原で、土屋さん、吉武さんと分かれ、帰り道の方向が同じ緑政課の金井さんと一緒に帰る。金井さんとの会話のなかで、里山保全条例のことや神奈川県と県内の政令都市との関係のことなど、有益な情報を得ることができた。
 8時半、帰宅。軽く夕食をとり、友だちと電話し、ご無沙汰していた留学中の友だちにメールを送り、さして面白くもない深夜テレビを見て、4時に就寝。

8月16日(土)

 11時過ぎに起床。昼食後、最近久しく連絡を取っていない友だちにメールで近況を報告。4時前に家を出て、大和で買い物をしてから、5時過ぎに友だちを訪ねる。7時から、ボブ・サップの復帰戦を見る。エンターテイメントとして最高に面白いだった。夕食後、9時からはNHKスペシャル「届かなかった手紙~関東軍は何を検閲していたか」を見て、日記を書くなどして就寝。

8月17日(日)

 10時、起床。朝食後、昨晩ビデオに撮った「バイエルン×ボーフム」を観戦。1週間分の日記を書き、3時から外出。町田で、ダニアースや洗顔料やフランスパンや柳宗理の鍋などの買い物をして、5時過ぎに帰宅。夕食後、8時から『武蔵』。9時過ぎに床に就き、12時前に目覚めたので、プレミアリーグの開幕戦「フルハム×ミドルズブラ」を見てから寝る。稲本の豪快なシュートにしびれる。総じて不活発な週末だった。

8月18日(月)

 7時半、起床。朝食後、9時半頃に家を出る。成城学園前駅で降り、風月堂で買ったお土産を携え、10時半に(財)せたがやトラスト協会に小出さんを訪ねる。
 小出さんは、植物ボランティア(現在のせたがや自然環境保全の会(SNECS))の育成にコーディネーターという立場から関わってきた。SNECSは、里山保全活動団体の中では類を見ないほど、自律性の高いボランティアが集まっているので、修士課程の調査研究で活動に参加していたときから、その育成方法に興味があった。だいぶ前に小出さんは、ボランティア・コーディネートについて論文を書いており、僕もそれを読んでいたので、ボランティアがどのようなプロセスを経てレベルアップしていったのかは、おおよそ理解していた。しかし、突っ込んで知りたい部分については、直接ヒアリングしないとわからないだろうと思い、今回、あらためて小出さんにお話を伺いに来たのである。
 はじめに管理活動から入るのではなく、まず現状の調査をおこない、貴重な植物を保全するために活動するという考えを徹底的に根付かせたこと、活動の目標・目的は何かを絶えずボランティアに問い、手段が目的化しないように確認すること、水平的な組織を作るために代表を置かず、声の小さい人の意見にも耳をすませることなど、実践しようと思ってもなかなかできていないことが、ここではしっかりと実践されていることに、今さらながら感心した。レクリエーション優先の里山保全活動が増えているので、SNECSのような地味な活動がもっと知られるべきだと思った。
 12時、協会を出て、駅前からバスに乗って二子玉川駅へ。駅前の横浜銀行で、有川さんから購入した本の代金を振り込む。世田谷に出てきたついでに、自由が丘で散髪でもするかと電話してみるが、あいにく混んでいて予約を入れられず。大井町線、東横線、京急線と乗り継いで、2時半頃、NORAに到着。「市民による里山学」の調査結果をまとめたり、里山バイオマス活用検討会に講師として招く久保田さんとアポをとったり、7時半頃まで仕事する。
 9時頃、帰宅。明日から、神奈川県自然環境保全センターで働き始めるので、初日から遅刻しないようにと、いつもより早い12時頃に就寝。

8月19日(火)

 6時、起床。7時過ぎに家を出る。小田急線を小田原方面に下り、愛甲石田駅で下車。そこからバスに20分ほど乗って、神奈川県リハビリセンターまで。バス停から5分ほど歩くと、8時15分頃、自然環境保全センターに着く。
 午前中は、中川さんに連れられてセンター内を挨拶回りしたほか、今年度、NEDOの補助を受けてセンターが実施する「森林バイオマスの熱利用システムに関する実証試験事業調査」の概要についてレクチャーを受ける。昼食は、リハビリセンターの地下食堂でとり、午後は、アルバイトの長嶋さんと一緒に、センター内をぐるり一周見学する。また、合間合間には、初日だというのに、もう1人採用するアルバイトさんの面接をする。
 5時半にセンターを出て、長嶋さんの車で伊勢原駅まで乗せてもらう。オーオカヤマと三和で買い物をしてから、7時過ぎに帰宅。夕食はラタトゥイユ。冷やして食べても美味である。

8月20日(水)

 6時、起床。午後の打合せに向けて資料作りに励むが、今ひとつのものしかできなかったので、作った資料は状況に応じて出すか出さないか決めることにする。
 9時前に家を出て、町田、八王子を経由して、10時に藤野駅へ。ここで、県科学技術振興課の小泉さんとソフトエネルギープロジェクトの佐藤さんと合流し、藤野町役場へ行く。企画課の中村課長、山崎さんとお会いし、1時間ほど「バイオマスエネルギー活用具体化検討調査」について話し合ってから、ムラおこしが盛んな篠原地区に移動する。ここでは、篠原地区振興協議会代表の加藤さんにお会いし、国交省の補助事業についてヒアリングする。。
 蕎麦屋で昼食をとってから、再び役場に移動。1時半から、午前中にお会いした方々に加え、科学技術振興課の下元課長代理、緑のダム・北相模の須藤さん、大坪さん、石村さん、桂川・相模川流域協議会の牧島さん、藤野芸術の家の中島さんも交えて、意見交換する。
 4時頃、会議は終了。八王子駅で途中下車し、森のエネルギー研究所が入っているベンチャー・HACHIOJIを訪ねる。ここで、いつもお世話になっている大場さんや新しく入った安原さんに近況報告する。また同時に、11月におこなうバイオマス祭りに、ペレットストーブとバーナーを出展していただくよう依頼する。
 6時過ぎに打合せを終え、7時過ぎに帰宅。前半途中から、サッカー「日本×ナイジェリア」を見るが、ナイジェリアのメンバーが良くなかったことと、蒸し暑いせいか動きが緩慢だったことから、あまり見どころの多い試合ではなかった。3-0で順当に勝ったのを見終わってから、夕食をとり、早めに就寝。

8月21日(木)

 6時、起床。8時15分頃、自然環境保全センターへ。まだ、仕事ができる状態になっていなかったので、デスクトップPCを設置し、ユーザー設定、プリンタドライバのインストールなどして、次第に準備を整える。10時からは続けざまに3人を面接。1人だけ若い人が来たけれど、2人は親くらいの年の人なので、セレクションすることにためらいを覚える。がしかし、結局パソコンを自在に操れることを重視して、井池さんという若い女性を採用することにした。
 昼食は、仕出し弁当。390円~510円までという値段設定と適度なボリュームが嬉しい。昼食後、業務委託仕様書を作成したり、センター内のエネルギー機械関係の資料を探したりして、5時過ぎまで働く。
 センターを出て、リハビリセンターからバスに乗り、愛甲石田駅まで移動。7時過ぎに帰宅し、夕食後、9時に就寝。1時過ぎに起床し、5時まで神奈川森林エネルギー工房の仕事。議事録をまとめたり、資料をつくったりしてから、しばし目を閉じる。

8月22日(金)

 6時、起床。8時15分頃、自然環境保全センターへ。さっそく今日から井池さんも働き始めたので、この調査研究プロジェクトの実働メンバーは4人となる。あと1人か2人増える予定にしており、来週も、そのために面接しなければいけない。
 9時半、チップボイラーを扱っているトモエテクノの岡本さんが来所。発注する仕事の内容を説明し、館内のエネルギー機器を見ていただき、今後のスケジュールを打ち合わせる。トモエテクノは、岩手県沢内村にある雪国研究所へ導入したのをきっかけに、国内に少しずつチップボイラーを導入している先駆的な会社である。そうしたバイオマス業界のパイオニアとお付き合いできるのが、この仕事の魅力的なところだ。
 11時半、岡本さんとの打合せを終え、中川さんと3人で近くの夢庵まで行って昼食をとる。午後は、打合せ記録をまとめたり、気象データを集めるなどして5時過ぎまで仕事。リハビリセンターから、本厚木行きのバスに乗ってみたが、駅前の混雑に巻き込まれて、予想以上に時間がかかる。本数は少ないけれど、愛甲石田経由で帰る方が良さそうだ。
 オーオカヤマと三和で買い物をして、7時過ぎに帰宅。夕食後、友だちと長電話。新しい仕事を始めて体調管理が不十分なためか、体力的にへばり気味で、理性が働かなくなって、不要に突っ込んでみたり、意地悪になってみたりしてしまう。健全な肉体に、健全な精神が宿るのだろうか。少々、疲れ気味。

8月23日(土)

 8時、起床。10時前に家を出て、10時半に旧奥津邸へ。今日は1時から、旧奥津邸活用検討会議の第1回会合が開催される。その準備のため、会議開始の2時間半前に集まったのだ。
 横浜市運営改善課、西部公園緑地事務所、緑政課、農業振興課、それにNORAの有志が集まって、午後の見学ルートに当たる梅園付近の草刈りをおこなう。30分ほど草を刈ってから旧奥津邸に戻り、徐々に準備を整えていく。
 昼食後、1時からいよいよ会議スタート。最初は、オリエンテーションとして、この会議の概要を40分ほど説明し、それから1時間ほど市民の森や体験ファームなどを見学する。3時過ぎからは、検討委員がそれぞれ自己紹介と自分の夢を語った。委員の構成は、一般公募12名、新治自治会、新治小学校、新治市民の森愛護会、梅田川水辺の楽校、水田保全ボランティアなど地元関係者10名、合計22名。活発な意見が出た一方で、自治会からは、いろいろと注文が出た。最終的には、この会議に至るまでの経緯、および(仮称)北の森公園の構想との関係についての説明が不十分だったために、何か横浜市は隠しているのではないかと不信感を抱かれたまま終わってしまった。
 結果的に会議は失敗だったけれど、ある意味、こういう展開は予想されていたことでもある。ぎゃくに市側に問題意識が強まったので、次回からは会議が進みやすくなると期待したいものだ。
 5時に閉会後、6時過ぎに旧奥津邸を出て、7時頃、帰宅。夕食後、ぼーっと時を過ごし、1時過ぎに就寝。

8月24日(日)

 7時、起床。9時過ぎに家を出て、歩いて小1時間ほどかけて、恩田の谷戸の雑木林広場に10時到着。ホスト側のファンクラブからは、高橋さん、藤田さん、岩波さん、福富さん、岩波さん、久保さん、福島さん、須藤さん、高見さん、それに僕が参加し、対してゲスト側は、麻布高、田奈高の高校生や夏塾の大学生など多彩で、双方あわせると20名近くが参加した。
 10時から約1時間ほど、谷戸について会員がレクチャー。その後、復元の小川とホトケドジョウの小川の泥さらいと土手の草刈りで汗を流した。いったん雑木林広場に戻ってから、1時に奈良地区センターへ移動。それから、午後の部として、会員と非会員が意見交換した。僕は、バイオマスのことを話してから、2時頃、高橋さんの車で、福島さんと一緒に会場を後にした。
 三和で買い物をしてから、2時半頃に帰宅。4時過ぎに家を出て、5時に経堂駅へ。友だちと一緒に実家に行く。先に親父が来ていたが、弟の家族が送れてくるので、それまでの間、テーブルの準備をしていた。6時過ぎ、弟夫婦と甥が実家に到着し、7人でのディナーが始まる。弟の調子の良さ、千栄さんのめげないツッコミ、親父の天然ボケ、お袋の得意などなど、松村家らしい夕食となった。
 9時頃、友だちとともに実家を出て、帰宅。ブンデスリーガ「ハンブルガーSV対バイエルン・ミュンヘン」を前半だけ見て就寝。

8月25日(月)

 8時、起床。10時、NORAへ。午前中は、メールチェックと資料整理などで終了。神奈川森林エネルギー工房の出版物希望者に冊子を郵送したり、イラストレーターの中川さんに『里山天使』10冊を送ったり、神奈川新聞の緒方さんに施業中のデジカメ写真を転送したり。
 さて、突然ながら、今日で日記は休止する。

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