日記帳|2001年9月

9月1日(土)

 昨日に続いて、今日もツアーに参加した。「マヤグスクエコツアーサービス」のツアーである。今回は、ヒナイ川にかかるピナイサーラの滝と西田川にかかるニシダサーラの滝を巡るコース(9,000円)だ。
 9時、民宿前に迎えの車が到着。船浦湾へ向かう。ツアーの参加者は、僕の他に10人と多い。皆、石垣島から日帰りでツアーに参加する人たちだった。パドルの講習を終え、10時近くになって船浦湾を出発し、まずヒナイ川を遡る。マングローブの説明を受けつつ、ヤエヤマヒルギを両岸に眺めながら船着き場へ。そこから、約15分歩くと、ピナイサーラの滝の下に出る。滝壺で泳ぎ、滝に打たれてから、昼食として用意されたおにぎり2つを食べる。隣りに座っていた女性が、おにぎりを1つしか食べられなかったため、僕に1つ譲ってくれた。おにぎり2つだけでは物足りないと思っていたので、有り難かった。
 昼過ぎ、歩いて船着き場まで下り、ヒナイ川を下る。すると、出発時には水を湛えていた船浦湾が、ヒナイ川と西田川の河口を除いて、ほとんど干上がっていた。ちょうど干潮時だったのだ。ミナミコメツキガニ、ユムシなどの干潟の生物を観察した後、ヒナイ川から西田川までカヌーを手で引っ張る。西田川にカヌーを移動させてから、ニシダサーラの滝を目指し、川を遡る。途中、オヒルギ、メヒルギの群落を見、ノコギリガザミ、キバウミニナなどマングローブの生物を観察しながら上流へ。カヌーから降り、15分程度歩くと、ニシダサーラの滝に着く。ここで、また滝に打たれ、ホットポールの生物などを観察してから、滝を後にする。歩いて西田川に戻り、漕ぎ始めた船浦湾内のカヌー置き場まで帰る。帰りは潮が満ちてきたので、川を下るのには多少力が必要だった。
 5時頃、宿に戻り、シャワーを浴びてから、カンピラ荘の隣にある無人販売所へ。パッションフルーツシャーベットを3個食べる。明日、西表島を去ると、これを食べられなくなるのが寂しい。
 夕食後、8時に村田自然塾に行き、「島のあばあが教えるマーニ細工教室と語らい」(1,000円)に参加。オバアは、星立出身で上原在住の西表人。西表島の人と自然の関わりについてオバアから話を伺いながら、マーニで指ハブを作る。難儀したものの、オバアからは男性で最高の出来だと誉めていただいた。お世辞であったとしても、まんざらでもない。
 明日、西表島を発つ。いよいよ小浜島へ。

9月2日(日)

 珍しく、今日は一日中雨という予報。スコールが降ることはあったが、天気=雨という日は全くなかった。毎日、強い日差しに照らされ続けてきたので、たまにはこういう日も良いと思ったが、昼頃には雨が上がった。
 9時半、チェックアウト。9時50分に上原港を発つ船に乗り、石垣島へ。11時、石垣市立図書館に着き、12時までインターネットを利用して情報検索。この図書館では、1日1人1時間だけ、無料でインターネットを利用できる。昼過ぎに図書館を一時的に出て、10月27-28日の日程で「羽田―帯広」の往復航空券を購入。これは、帯広で行なわれる沖縄プロジェクトの勉強会に参加するためである。しかし、帰りの便がJASになるので、チケットの購入に手間取る。なぜなら、石垣にはJASが離発着していないので、チケットを買える場所が限られていたからだった。
 1時、最近、新しくできた「ゆんた」という飲食店で「ゆんた定食」(700円)を食べる。この定食は、もし値段を付けるなら、1,200円くらいが適当と思われるほど、極めてコストパフォーマンスが高い幕の内弁当である。郷土料理ではないので、観光客向きではないかもしれないが、郷土料理にも食べ飽きた人にはお勧めである。今後、石垣でランチを食べるときに重宝しそうな定食だ。
 2時頃、市立図書館に戻り、それから4時半までは、新聞記事の検索と、必要な記事のコピーに時間を費やす。5時、閉館の時間なので図書館を去り、5時半に石垣を発つ船で小浜島へ。6時頃、港に到着し、それからバスで民宿「きよみ荘」に。
 7時に夕食をとって、旧盆(ソーロン)の行事を見て回る。小浜島では、北と南の部落に別れて、男たちが各家々を回り、地方に合わせて歌い踊るニンブチャー(念仏)を見ることができる。これは、夕方から11時近くまで行なわれる。そして、12時になると庭で先祖を送り、1時からは再び男たちの歌と踊りが始まる。、送りの後は、先祖供養のためのニンブチャーから一転して、現世に生きる人々の健康を願う歌と踊りで(ドゥハンダニンガイ=健康願い)、それまで白い鉢巻きをしていた男たちは、赤い鉢巻きを締める。僕は、研ニイの勧めで、研の実家(大久家)から浴衣と赤い鉢巻きを借り、男たちの行列に混じらせてもらったが、3時頃には眠くなったので、大富在住の佐事さんの実家(登野家)で休憩。

9月3日(月)

 仮眠をとっていると、6時頃、登野さん(佐事さんの弟)に起こしていただく。早朝、それまで北と南に別れていた行列が、中道(ナカミチ)と呼ばれる十字路で合流してクライマックスを迎えるというので、それを見に行くために起きたのだ。6時半頃、北と南の部落から花笠を被った横笛隊を先頭に、三線、銅鑼、太鼓の音に合わせて中道に集まる。両部落が融合すると、地方を中心に女装した踊り手が円を描いて踊る。寝ぼけ眼でこの伝統行事を見届けた後、宿で朝食を取り、さらにこぢんまりと続くドゥハンダニンガイを見る。しかし、さすがに眠いので、10時過ぎには宿に戻って昼寝することにした。
 2時頃、目を覚まし、長寿館「はいばな」という最近できた店で昼食をとる。注文したのは、店のおすすめメニューであるベジタブルカレー(700円)。味がどうのこうのというより、「当店ではすべての食物に超エネルギーを封入致しております」という宣伝文句があやしい。
 超エネルギーを体内に取り込んだ後、クバマコーポレーションで働いているイシさんを訪ねる。イシさんは、今年の春に一緒にキビ刈りをやったメンバーの1人だ。仕事中だったので、夜に再び訪ねることを約束した後、昨夜からえんえんと続いているドゥハンダニンガイを見て回る。4時過ぎ、「うふだき荘」のお父さん(平田さん)を訪ね、最近の民宿の様子についてお話を伺う。「うふだき荘」はグリーンツーリズムの好例としてしばしば取り上げられる民宿で、サトウキビや黒ゴマの農作業を体験できる「小浜島ふるさと農場倶楽部」や果樹のオーナーになれる「私のふるさと果樹園」など、ユニークなメニューが用意されている。また、「うふだき荘」オリジナルのアイスキャンディーも有名であり、僕もしばしば味わっている。黒糖、サトウキビ、パイン、スイカ、ゴーヤとキャンディーのメニューを毎年増やしているが、今年の最新作・ゴーヤキャンディーは絶対おすすめだ。
 夕食後、8時頃から、北の部落会長の家で獅子舞を見る。明日は南の部落会長の家で、獅子舞が見られるそうだ。10時、今日の行事がやっと終わったので、クバマコーポレーションの隣りにある従業員の宿舎にイシさんを訪ねる。そこで、イシさんから、坪田さんとサトルを紹介してもらい、4人でユンタク。

9月4日(火)

 朝食後、大岳に向かって歩くと、男たちが沿道の草刈りをしていた。聞けば、お盆の後は、毎年、公共農道の草刈りをするのだという。暑いなかご苦労なことであるが、体内のアルコールを抜くのには、体を動かして汗を流すのがちょうど良いのかもしれない。
 10時半、大岳の頂上に登る。春に登ったときは、頂上付近の大きな木が生えていて、見晴らしが良くなかったけれど、木が伐られていたので、その点は改善されていた。しばらく頂上の休憩所で休んでから、麓に下り、「シーサイド」で野菜そば定食(600円)を食べる。1時、公民館長の仲盛さんを訪ね、今年の公民館役員を紹介していただく。2時半、藍染めが得意な大嵩さんを訪ね、「はいむるぶし」ができる前のビルマ崎付近の様子などについて話していただく。また、昨年の調査報告書を読んでいただき、僕が誤って記述していた箇所を指摘していただいた。
 5時に宿に戻り、7時まで横になる。夕食後、北と南のそれぞれの部落会長の家で、子どもたちが方言で自己紹介し、モーヤーを踊る行事を見る。10時頃、5日間にわたったお盆の行事が全て終わったのを見届け、昨日に続いてイシさんが泊まっている宿舎へ。そして、男ユンタクが深夜まで。

9月5日(水)

 朝食後、9時40分に小浜を出る船に乗って石垣へ。港に着くと、タクシーをつかまえて、八重山支庁へ。10時半、支庁農林水産整備課の具志堅さんとお会いし、先日、情報公開を請求した件について、資料の確認と今後の手続きについて簡単に打ち合わせる。11時、農林水産振興課に行き、『八重山の農林業』を入手するとともに、東江(あがりえ)さんという若手職員に対して、研究プロジェクトの目的や、これまでの調査から分かったことなどを話す。東江さんからは、農業政策が内地の米文化に依拠しているので、沖縄に合っていないことを指摘していただいた。
 12時、サンエー石垣店に行く。「ぱいぬ島祭り」のかき氷早食い競争で獲得した商品券5,000円を使うためだ。先月、白保で帽子をなくしていたので、新たに帽子を購入することに決め、他に何か買うものがないか物色していたら、なんとゴーヤーマングッズが山のようにあるではないか。ためらうことなく、携帯用ストラップ、キーホルダー、メモクリップ、ゴーヤーマントリオをお土産用に購入。ゴーヤーマンに対しては、単なるミーハーになってしまうのはなぜ?
 1時、八重山農業改良普及センターを訪ね、県の農林水産部が作成した『沖縄県グリーンツーリズムガイドブック 美ら島おきなわ農(みのり)の散歩道』を入手。本屋で『八重山歌謡集』(3,000円)などを購入後、「ゆうくぬみ」で昼食。今日は、日替わり定食(700円)とぜんざい(300円)を注文した。ここの食事は、どれも美味しい。
 「むゆる館」(むゆる=近くて便利な場所)でインターネットによる情報検索に1時間を費やし、4時20分の船で石垣から小浜に戻る。
 5時、海によく行くという長浜さんを訪ね、マイナーサブシステンスについて聞き取りを行なう。夕食後、いつもお世話になっている新本さんを訪ね、ビールを御馳走になりながら話を伺う。だいぶ酔っぱらったので10時にはお暇するが、そのまま宿には戻らず、3日続けてクバマコーポレーションの宿舎へ。またまた3時頃まで・・・。

9月6日(木)

 昨日から雨が降り続いている。断続的に、ときに雷を伴って激しく降ることもある。テレビに目をやれば、知らないうちに台風16号が発生しており、石垣発着の船と飛行機に欠航便が出ているという。およそ2ヶ月ぶりの本格的な雨なので、キビ農家には恵みの雨だったのではないだろうか。でも、ちょっと降り過ぎかも。
 朝食後、シャワーを浴びて外に出る。10時半、海によく行く海チームの1人、大石さんを訪ねるも、忙しくされていたので、立ち話で切り上げる。11時、「うふだき荘」に足を運び、アイデアマンのお父さんが、どのようなきっかけでアイデアを生み出してきたのかを話していただく。きっかけは些細なことでも、そこに興味を持って大きくしていく着眼点がユニークである。また、商売するときは、ひときわ研究熱心であることを改めて知る。そして、話を聞いている者を飽きさせない話術に脱帽。
 1時頃、「シーサイド」に入り、中華丼(600円)を食べる。午前中、調査に来ている大学の先生がいるという話を聞いたので、1時半過ぎにその先生を訪ねに「かやま荘」を訪ねる。すると、聖路加看護大学の安保先生がいらっしゃったので、挨拶して名刺を交換した。安保先生は、地域の医療を社会心理学的に調査しているそうだ。
 2時、海チームの1人、目差さんを訪ね、海のマイナーサブシステンスを中心に話を伺う。3時半、大嵩さんを訪ね、土地改良などの島の歴史について話を聞かせていただく。大嵩さんの祖父は、島の歴史にとても詳しかったらしく、その影響で大嵩さんも島の歴史・民俗に詳しい。これまで聞いたことがなかった興味深い話を、いくつか聞き取ることができた。
 6時過ぎに宿で夕食を取って一段落し、メイルのチェックを済ませる。8時に研ニイの家を訪ねるも、子どもたちが可愛いので一緒に遊ぶ。また、NHKで宜野座高校を取り上げた番組を放映していたので、研ニイとともにテレビを見たりしていたら、10時半になってしまったので、特に聞き取りをすることもなく、お暇させていただいた。そして、たまには早く寝ようと宿に戻り、就寝。

9月7日(金)

 一昨日、昨日と2日間降り続いた雨が上がった。また、暑い夏に逆戻りするかと思ったが、その前と比べて幾分涼しくなったように思う。少しは過ごしやすくなるのだろうか。
 10時、「ちゅらさん」における小浜島のシーンで機織りをしていた根原さんを訪ねる。ライフヒストリーなどを伺っていると、近所の名若さんがやって来たので、3人で話をすることになった。昼時になったので、お暇しようとすると、昼食を食べていくように言われ、遠慮なく御馳走になる。有り難うございました。
 食後、黒島寛松さんの書かれた植物の本が、根原さんの家にあると聞かされる。どんな本なのか興味があったので、お手数ではあったが、押入を探していただく。しかし、見つからない。宮良さんの家にあるかもと聞かされ、さっそく宮良さんを訪ねるものの、見当たらないと言う。どんな本なのだろうか。
 3時、「はいむるぶし」に渥美さんを訪ね、会社として島で営業するための工夫や環境対策などについて話を聞かせていただく。「はいむるぶし」では、ゴミ処理にあたってダイオキシン対策を講じているし、排水処理も行なっている。一方、部落から出るゴミは野焼きされ、生活排水は海に直接流されている。ゴミの問題と生活排水の問題は、竹富町の島ではどこでも大きな問題となっている。早急な対策が必要に思う。
 4時半、宿に戻って、溜まった資料を「ゆうパック」で郵送する。3月から「ゆうパック」カードを使い始めており、今日、「ゆうパック」の使用回数が10回に達した。次は、20kgまでならば無料で郵送できる。できるだけ重いものを送るようにしよう。
 5時、車でどこかへ出掛けようとしている登野さんに出会う。聞くと、これからサヨリを釣りに行くと言う。そこでお願いして、一緒に付いて行くことにした。東細崎の近くで車を止め、すぐに登野さんは投げ釣りを始める。僕はほとんど釣りの経験がないので、見よう見まねで始める。すると、いきなりガーラの稚魚がかかった。しかし、その後は魚に餌をやっているかのように、投げるたびに餌を食われる。それでも、比較的型の良いものを含めて、サヨリを2匹釣ることができた。登野さんはガチマヤーを含めて20匹ほど釣ったようだ。
 7時に登野さんの家に戻り、いったん僕は宿に戻って夕飯を食べた後、また登野さんの家に行き、釣った魚をつまみにしてビールをいただく。9時頃、満腹になって眠くなったので失礼させていただき、宿に帰ってゴロ寝する。12時過ぎに目を覚まし、メイルをチェックすると、いくつか大事なメイルが入っていた。それに返事を書くなどして、3時頃には就寝。

9月8日(土)

 ニュースによれば、沖縄本島は台風に襲われ、被害が見られ、交通機関の乱れも出ているという。しかし、ここ八重山では、台風の影響は感じられない。南北に長い沖縄であるから、同じ県内といっても、天気が大きく異なるのはよくあること。だから、那覇と石垣を分けず那覇だけの天気を予報されても、あまり意味がない。ときどき、そういう天気予報があるけれど。
 今日は、期せずして「はいむるぶし」が聞き取りの中心となった。まず10時に、かつて「はいむるぶし」に土地を売った大久さんを訪ねる。大久さんは、現在、けがの治療中であり、家にお邪魔したときは横になっていらっしゃったが、快く調査に応じてくださった。ヤマハに土地を売った人の間でも、本家と分家とでは意味合いが異なることを具体的に説明していただいたことは、今後の調査の参考になるだろう。
 昼食を軽く済ませ、1時半に老人クラブ会長の通事さんを訪ねる。通事さんは、ヤマハに土地を売ったものの、得られたお金で別の土地を買って、農業を続けたと言う。土地を売って、沖縄本島や石垣島に家を建てたという人が多いと聞いていたが、通事さんは結果的に土地を交換しただけであると言う。人それぞれと言ってしまえばそれまでだけど、僕はその多様な人の生き方を束ねて、ある説明を与えたりする。罪深い仕事である。
 4時、金城商店を訪ねると、小浜糖業の社長である金城さんがいらっしゃる。多忙でなかなかお会いできない人であるが、少し時間を割いてくださるようにお願いしたら、快諾。6時過ぎまで、話を聞かせていただく。金城さんは、小浜糖業、コハマ交通、八重山観光フェリーのトップであるので、それぞれの会社の話を聞くことができた。
 夕食後、軽い気持ちでイシさんを訪ねると、そのままずるずると1時過ぎまで飲むことに。普段、1人では滅多にアルコールを口にしないのに、なんで毎日飲んでいるのか、自分でも不思議で仕方ない。

9月9日(日)

 救急の日。たぶん、かけ算の日でもあるだろう。
 台風16号が怪しげな動きを見せている。テレビでもっぱら取り上げられるのは、近畿・東海地方に上陸しそうな台風15号。迷走している台風16号の扱いは小さく、必要な情報がほとんど伝わってこない。ただ、いったん去った台風が再び八重山に近づいてきていることは確かなので、船が止まらないうちに移動した方が良いと判断し、予定より1日早めて、今日、小浜島を出ることにした。
 9時40分に小浜を発つ船で石垣へ。たまにはビジホでもと考え、「先島ビジネスホテル」に1泊することに。10時過ぎにホテルへ着くと、海が見えない部屋ならばすぐに案内できると言われ、テェックインの時間(14時)より早く部屋に通された。大きな荷物を置き、シャワーをあびて、ホテルを出る。11時半頃、あやぱにモール内で、昼食としてソーキそばを食べる。12時過ぎ、石垣市立図書館へ。市立図書館は、資料整理のため、10日から10月1日まで休館する。つまり、今日は長期休館直前の開館日なのだ。図書館では、もっぱら過去の新聞記事の検索と複写に終始し、閉館時間の5時まで過ごす。西表島のエコツーリズム、大富の農地開発、小浜島のリゾート開発などについて、最近10年くらいの記事を集めたが、まだ十分とは言えない。帰京する前にもう1度、図書館に行く必要がありそうだ。
 5時過ぎ、「むゆる館」に入り、パッションフルーツジュース(200円)を飲みながら、インターネットを利用する。約1時間の利用後、「むゆる館」を出て、「石垣島キッズ」へ。ビール付きの「餃子定食」(1,000円円)を食べて、ホテルに戻る。大人しく夜を過ごす。

9月10日(月)

 朝食として、ホテルで用意されたパンとコーヒーを食べ、9時30分発の船で竹富島へ。桟橋に着くと、「内盛荘」の正聖さんが迎えに来ていたので、車に乗って民宿へ。玄関に入ると、スミさんが「お帰りなさい」と迎えてくれたので、少々照れながら「ただいま」と言う。
 僕が宿に着いたとき、スミさんはちょうど糸を機に乗せる準備をしていた。織物は、機織り機の前に座れるようになるまでが重要で、大変時間のかかる作業が必要と聞かされる。スミさんの作業する様子を眺めながら、そのことを実感する。11時30分、「とも倉」で雑誌『やいま』の7月号(竹富島特集)と書籍『竹富島に何が可能か』を購入。書籍の方は、しばらく絶版になっていたけれど、今年の7月に再販された本で、町並み保存に関心があるならば必読の書であろう。
 買い物をした後、お店の正子オバアから戦争中の話などを聞いていると12時になった。すると、かかっていたラジオからラジオ体操の音楽が聞こえてきて、「一緒にやりましょう」と言われ、店内でラジオ体操を行なう。聞けば、毎日、昼の体操の時間にラジオ体操で体を動かすのだと言う。
 12時過ぎ、「やらぼ」に入り、フーチバジューシー(600円)を食べる。それから、歩いて島内をゆっくり一周。3時頃、喜宝院蒐集館に芳徳さんを訪ね、来島の挨拶。4時半、竹富小中を訪ね、4月に一緒に勉強した中2の連中らに会う。放課後の学校を眺めると、部活動で疲労した上級生を下級生がマッサージしたり、学年をまたいで一緒にサッカーをしたり、中学生が小学生の面倒を看たりしている。とても自然な光景で、ただぼーっと眺めているだけで、幸せな気分を感じる。
 夕食後、畑で農作業している正玄さんを訪ね、8時には通称・牛小屋にヨシさんを訪ねる。牛小屋には、ヨシさんのほかに2人が泊まっていたので、深夜まで4人で飲む。また、このパターンか。

9月11日(火)

 9時、丸八レンタサイクルで自転車を借りる。すぐにカイジ浜に行き、エイタツと再会。4月に島へ来たときは、まだ、団体ツアーが観光の中心だったので、ひっきりなしにカイジ浜に下りる観光客があった。しかし、今の時期は団体客がいないので、かなり暇があるようだった。そこで、午前中いっぱいカイジ浜にいて、エイタツとだらだら話をした。昨年の調査報告書を見せたところ、大いに興味を示してくれた。後日、きちんと読んでもらうことを約束し、昼時にカイジ浜を発つ。
 自転車を返却後、「あさひ食堂」で野菜チャンプルー(700円)を食べる。食後、玻座間集落を歩いていると、4月には見られなかった新しいお店「タキドゥン」が、なごみの塔の近くにできていたので、店内に入ってみた。店の人と話をしてみると、このお店は公民館(「まちなみ館」)の前にあったカツおばさんの店(「かつおみやげ店」)が引っ越したもので、そのときに店名を変えたのだと言う。残念ながらカツおばさんはお休みだったものの、椅子に座ってお店の人と話をする。3時頃、「とも倉」を訪れ、イツヨさんと再会し、ここでも話をしながら時間を費やす。
 夕食後、『竹富島に何が可能か』、およびスミさんの戦争体験を読む。読了後、ほかのお客さんと共に、宿の庭でユンタク。ほろ酔い気分で、今日は1日のんびりしたなあ、と思っていたら、友人から突然の電話あり。「第三次世界大戦が始まるかもしれない」と深刻そうに話す相手の声にただ事ではないことが生じていることを悟り、テレビを点ける。すると、対米同時多発テロが報道されていた。あまりに衝撃的な映像に、震えが止まらなかった。

9月12日(水)

 対米同時多発テロと台風16号のニュースが、朝から途切れることなく流れている。宿の客は、みな食い入るようにテレビを見つめていたが、急に停電が生じ、テレビを見ることもできなくなった。
 10時頃、正玄さんが庭でヤギにやる餌を準備し始めたので、側にいて話をうかがう。今回は、資源を取り合わないためのルールについて話していただいた。12時、昼のニュースを見るも、昨晩からあまり情報が増えていない。だから、見なくても良いのだけれど、やはり1時間以上見てしまう。1時過ぎ、「竹の子」で八重山そば(500円)を食べる。ちょうど「竹の子」のTシャツを着てお店に入ったので、お店の人に「着てくれて、ありがとう」と言われた。これに対し、「東京でもこのTシャツを着て、『竹の子』の宣伝してますよ」と答えておいた。冷静に考えると、東京でもこのTシャツを平気で着られる自分が怖い。
 2時過ぎ、風雨が強くて休んでいたエイタツと会い、家にお邪魔して、結願祭の狂言で使う杖を作りながら、ユンタク。5時、喜宝院に芳徳さんを訪ね、卒論を書くために来島した宮城県の学生と共にお話を伺う。この学生は、世迎え(ユーンカイ)をテーマにした卒論のために、いろいろと質問した。一方、僕は町並み保存と観光について、『竹富島に何が可能か』の感想を交えながら、芳徳さんの意見を求めた。夕食の時間を1時間オーバーし、7時に宿に戻って夕飯を食べる。食後、「らびっとにゅうず」を1週間遅れで編集・発行する。これを終えてからは、庭でのユンタクタイム。2時過ぎまで、男3人で語ってしまった。

9月13日(木)

 竹富島に来てからというもの、毎日、適当な暖かさで過ごしやすい。にもかかわらず、気持ちよく調査ができない。これは、思うように調査がすすんでいないところに原因があるようだ。
 10時過ぎ、松竹荘を訪ねて、2時間近く話をうかがう。農業、織物、民宿経営、ホームヘルパーなど、仕事を変えながら生活してきたと語る松竹さん。長男夫婦には財産があり、安定した仕事ができるのに対して、次男以下の夫婦には財産がないので、少しでも儲けようと仕事を次々と変えると言うが、松竹さんはこの後者の例であろう。
 昼食に「やらぼ」で八重山そば(500円)を食べる。食後、「とも倉」に立ち寄ってから、「タキドゥン」を訪れる。今日は、カツおばさんがお店にいらっしゃったので、挨拶してから立ち話。カツおばさんは、体調を崩して体重を大きく減らしていた。あまり元気がないようなので、少し心配だ。
 2時過ぎ、丸八レンタサイクルで自転車を借りて、島内を回る。3時、大さんを訪ねて、生業の移り変わりなどについて話をうかがう。5時前、ゲートボール場へ行き、人数が揃うまでの間、混ぜてもらって一緒にプレーする。
 夕食後は、深夜まで庭でのユンタク。これはこれで楽しいけれど、観光客ではなく、島人と一緒にいる時間を増やさないと・・・。

9月14日(金)

 朝食の時間、「ちゅらさん」が始まると、誰もが口をきかなくなる。八重山に来る観光客の多くは、「ちゅらさん」にはまっている。夜のユンタクの時も、「ちゅらさん」が話題に上ることが多い。このため、昨年とは比較にならないほど、小浜島への関心が高いようだ。良かったね、小浜島。
 9時半頃から中筋部落を歩いて、誰か話を聞かせてくれそうな人を捜していると、道路の草を取っている請盛さんに出会った。その場で、話し始めると間もなく「どうぞいらっしゃい」と言うので、そのまま家まで付いて行く。請盛さんは、竹富島に6人いる神司の1人であるが、祭事について質問することもなく、ただ話して下さることを聞くだけだった。80を過ぎてなお元気な請盛さんに圧倒されてしまった感じ。
 昼に内盛荘に戻り、軽食を済ませてから、再出発。2時には亀井さんを訪ねて、海とのかかわりを中心に話をうかがう。夕方、牛小屋で仕事している正玄さんの弟さんと出会い、少し資料を運ぶなどの手伝いをして、簡単なライフヒストリーを聞き取る。
 夕食後、部屋で本を読んでいたら、そのまま寝てしまった。

9月15日(土)

 今日は、竹富島の敬老会が開催された。しばしば島人が自らの島を誇って語るのは、敬老の日の制定よりも早く、敬老会を執り行なってきたということ。それだけ、敬老の精神が深いということである。
 朝食後、9時半に「まちなみ館」に行き、敬老会の準備を手伝う。町役場や社協、郵便局などから贈り物があったので、これを袋に詰めたり、机に並べたりなどして11時半まで。いったん、宿に戻って、ご祝儀を用意し、12時半に再び「まちなみ館」へ。1時40分、第76回敬老会がスタート。開会宣言、公民館長挨拶、来賓挨拶、敬老会メンバーの紹介、記念品贈呈、閉会宣言と式典は小1時間で終了。その後、各支会から3点ずつ計9点の踊りが演じられた。この踊りを見て改めて感じたのは、内地のお嫁さんが多いということ。おそらく、踊り手の半分はナイチャーだったようだ。竹富島の芸能は、ナイチャーなくしては受け継ぐことが難しくなっている。
 各支会からの踊りが終わり、最後に全員でクイチャーを踊って、敬老会は終了。すぐに会場の後かたづけに取りかかる。会場を整理し終えてから、公民館執行部を中心に反省会(ブガレナオシ)。僕もその輪に混ぜてもらい、島人のブガレナオシに立ち会う。島の実力者が島のことを真剣に思って、公民館活動を良くするために執行部に対して厳しい指摘をすることに驚く。
 夕食後、庭でユンタク。今日から沖縄大学の家中先生が泊まっているので、最後は2人で環境社会学の今後をテーマに深夜2時まで話し込む。

9月16日(日)

 今日から結願祭。本来ならば、明日の奉納芸能に備えて、早朝から清明御嶽で幕舎張りをする段取りであった。しかし、台風16号が接近しているため幕舎張りは中止となり、明日は「まちなみ館」で奉納芸能が演じられることになった。また、例年ならば、3つの御嶽に神司が2人ずつ夜籠もりするのであるが、今年は「まちなみ館」に神様をお呼びして、ここで夜籠もりすることになった。かなり変則的であるが、以前も台風の影響でこのように執り行ったことがあったため、前例を踏襲したそうだ。
 10時前、昨日に続いて「まちなみ館」に行き、明日の準備を手伝う。準備には、公民館の執行部のほか、「竹の子」のスタッフなど数人が手伝いに来ていた。僕の仕事は、神様にお供えする米、酒、榊、餅、塩、ニンニクなどを、明日、神司が願いに回る23御嶽の分を準備すること。たとえば、米はお椀に3杯分、榊の枝は5本、葉も5枚、餅は6個、ニンニクは3個など、すべて量が決まっているので、それに従ってきちんと用意する。
 昼食を家中先生と共に食べてから、2時半頃から「まちなみ館」に戻り、明日の準備の続きを行なう。今日は台風の影響のため、朝から竹富航路が欠航。このため、石垣に注文を出していた餅を自分たちで作らなければと、午後は餅作りに励む。ところが3時過ぎに、夕方に1便だけ出ることになり、餅作りは不要に。作った餅は、準備に来ていた人で分けることにした。
 5時頃、一通りの準備が終わり、5時半には神司が「まちなみ館」に集まってきて、願いを始める。6時過ぎ、宿に戻って夕食。8時半、「あいのた会館」に行き、明日演じる奉納芸能のリハーサル(フクミ)を見る。10時過ぎ、宿に戻ると、いつもユンタクが行なわれている庭で、正聖さんが2人の師匠を招いてデンサー節を稽古。正聖さんは、22日に行なわれるデンサー節大会に、昨年に続いて竹富島の代表として出るので、忙しい合間を縫って、そのための練習を行なったのだ。11時を過ぎても続く稽古を後目に就寝。

9月17日(月)

 朝食後、公民館から集落に放送が流れた。天気が回復したので、奉納芸能は例年通り清明御嶽で演じられることになった。幕舎を張る必要があるので、9時15分に御嶽に集まるようご協力願いたいというのだ。そこで、シャワーをざっと浴びて、集合時間に清明御嶽に行った。
 すでに、数人の島人が集まって、御嶽の清掃をしていた。すぐにこれに加わり、落ち葉などのゴミを御嶽周辺から取り除く。清掃が終わると、次は砂撒きである。砂浜から取ってきた白砂が山になっていたので、これをまんべんなく御嶽一面に撒く。そして幕舎張りである。太い柱、鉄パイプ、竹を縦横に組み、紐で縛って骨組みを作り、天幕を張る。一方で、運動会などで普通に見られるタイプのテントを1張り組み立てる。こうした一連の作業を、島人が20人程度集まって11時前までに終わらせた。
 奉納芸能が始まるのは2時だと聞いていたので、しばらく宿に戻って一休み。昼食を取って、1時半に清明御嶽へ。2時、公民館長のあいさつの後、奉納芸能が始まる。踊り、狂言合わせて10点ほどが演じられ、途中、にわか雨に降られるというハプニングがあり、天幕に溜まった水を捨てるための一時中断があったものの、ほぼ滞りなく終了。その後、すぐにござ、畳、幕などを片付け、さらに、「まちなみ館」では御嶽で神司がニンガイするときに使った漆器を片付けたり。5時過ぎには、一段落したので宿に戻る。
 夕食後、集落を散歩していると、佳美さんの家の庭で両マサキ(内盛正基と嶺井政樹)を見かけたので、何をしているのか気になって近づいてみた。両マサキは中学2年生で、春に授業参加したときに一緒に学んだ生徒で、2人は明後日開かれる「テードゥンムニ(竹富島の言葉という意)大会」に向けて練習をしているところだった。「ヒサイルとホッカルの話」という昔話を練習していた。その様子を見た後、宿に戻り、いつもどおりのユンタク。

9月18日(火)

 10時頃、集落内を歩いていると、自宅の庭で砂を掃いている真木さんを見かけたので話し掛ける。真木さんは、民宿・喫茶の経営、肉牛の飼育、石垣積み、プロパンガスの配送、重機の運転など、僕の知っている限りでも、さまざまな仕事をこなしている。立ち話のなかで、昨日の結願祭の件などを話題にしたが、一度改まってお話を伺いたいと思う。
 11時前、建物の陰で休憩している大さんを見かけたので、側に座り込んでユンタク。11時半、庭で畳仕事をしていた新田さんと立ち話。12時半、「やらぼ」でエビ入り野菜そば(1,200円)を食べる。やはり、竹富島に来たからには、これを食べずに帰れまい。
 1時、「とも倉」に入り、3時過ぎまで正子オバアから身の上話や神様の話などを伺う。ちょうど、観光客がほとんどお店に来なかったので、まとまった話を聞けて幸運だった。また、正子オバアは話がとても上手なので、長時間立ちながら聞いていたにもかかわらず、飽きずにいられた。それにしても、神様にかかわる話は面白すぎる。
 5時半、清明御嶽で幕舎・テントの回収があったので手伝いに行くが、大勢集まっていたので、すぐ宿に戻る。夕食後、8時頃、町並調整委員会の委員長である大山さんを訪ね、町並み保存を中心に話を伺う。ビールを持参したが、大山さんはアルコールを飲まないそうで、手土産はすべて僕の胃袋に。

9月19日(水)

 朝食後、歩いてカイジ浜に行く。エイタツのお店で海を見ながらゆっくりと時を過ごす。今は、団体客が少ないので、お土産を買う人は少ない。春に来たときよりエイタツは忙しくなさそうなので、音楽のことなどを話ながら、ついつい1時頃まで居座ってしまう。昼食には、結願祭に使う杖を一緒に作ったお礼だと言って、「ぐるくん」のカレーを御馳走になった。ありがとう、エイタツ。
 2時頃、陶芸の「五香屋」を訪ねると、急に雨が降ってきたので、雨宿りする。雨が弱くなったので、中筋集落を歩いていると、再び雨足が強くなってきたので、狩俣さんの家にお邪魔して雨宿りさせてもらう。ちょっとの雨宿りのつもりだったのに、それから雨が降り続き、長居してしまう。雨が止まないので、結局は傘を借りて5時前に狩俣邸を出る。5時、「まちなみ館」に行き、夜に行なわれる「テードゥンムニ大会」のための会場設営を手伝う。6時、宿に戻って夕食。7時半、「まちなみ館」に行き、8時から「テードゥンムニ大会」が始まる。中3男子の芸達者ぶりに関心。中2も中3に負けないよう頑張ってね。
 宿に戻ると、正聖さんが師匠の健さんと向かい合って、デンサー節の稽古をしていた。昨年に続いて、デンサー節大会に出場する正聖さんであるが、今年はいけそう(?)。

9月20日(木)

 9時45分に竹富を出る船で石垣へ。すぐにバスに乗り、八重山支庁へ。農林水産整備課へ行き、情報公開請求していた資料を一式いただく。用件だけ済ませて島に戻るだけではつまらないので、支庁のそばにあるTSUTAYAとサンエーで買い物をする。TSUTAYAでは、うちなー音楽のCDを3枚購入。サンエーでは、もちろん、ちゅらさんグッズを購入。今回は、ゴーヤーマンハニーをゲット。これは、友達にお土産として送ろう。
 12時、県立図書館に行き、いくつかの資料をコピー。1時半、「ゆんた」で日替わり弁当(700円)を急いで食べ、2時、桟橋でトモちゃんを迎える。内盛荘でヘルパーをやっていたトモちゃんは、今日の2時50分の飛行機で故郷へ帰ることになっていた。トモちゃんにはお世話になっていたので、そのままタクシーに乗って飛行場まで見送りに行く。
 3時、離島桟橋までバスで戻り、教育委員会、町史編纂室を訪ね、資料収集。町史編纂室では、資料を借用したので、ホットスパーでコピーするも、コピー機のスピードが遅くて、途中までしかコピーできなかった。5時半、石垣から船に乗り竹富へ。正八さんと同じ船だったので、港から宿までは送ってもらう。
 7時、公民館長の経験がある前本さんを訪ねて、ライフヒストリーを中心に話を伺う。このとき、竹富島公民館について関心を寄せて調査している谷中先生と同席した。先輩の先生と一緒に調査するのは、気を遣うので疲れる。9時に聞き取り調査を切り上げ、宿に戻ると、昨日に続いて正聖さんがデンサー節大会に向けて稽古中。その稽古の様子を眺めながら、1時過ぎまで庭でユンタク。

9月21日(金)

 竹富島は、若い人はもちろん、お年寄りも多くは働いているため、日中に時間を取って話を聞くのは難しい。午前中、集落内をぐるぐる回ってみても、時間を割いていただける人がなかなか見つけられず、11時になってようやく大山さんの家にお邪魔して、話を伺うことができた。
 昼食は、「やらぼ」にてフーチバジューシー(600円)。3時、請盛さんを訪ね、星の歌を聞かせていただいたほか、2時間余り、話題を縦横に変えながら話を伺う。夜8時、老人クラブ会長の高那さんを訪ね、ビールを飲みながらユンタク形式で話していただく。そして宿に戻り、3時近くまで客の間谷くんとトーク。

9月22日(土)

 午前中は、「らびっとにゅうず」の編集・発行、最近集めた資料を整理、HPの更新などで潰れる。2時、スミさんに海のマイナーサブシステンスについて話を伺う。3時過ぎ、新田荘の初子おばさんと立ち話。3時半、親盛さんを訪ね、マイナーサブシステンスの聞き取りと、庭に植えている野菜・野草について説明していただく。夕食後、25年ほど昔の空中写真を正玄さんにお見せして、海がいかに変わってきたかを話していただく。夜は、泊まり客全員(12名)が庭に出てユンタク。えらい簡単な日記だこと。

9月23日(日)

 竹富島は、東(あいのた)、西(いんのた)、南(なーじ)という3つの支会によって成り立っている。僕の泊まっている内盛荘は東にあるのだが、今日はその東支会でおめでたいことがあった。それは、十五夜に登場する旗頭を新調したお祝いであった。10時に東支会の人々が「あいのた会館」(集会所)に集まり、10時半には、古い旗頭から新しい旗頭へと神様に移っていただく儀式が執り行われた。そして、集会所前の庭において、今年の十五夜(10月1日)に向けて、新調された旗頭を持つ練習が行なわれた後、集会所の中でささやかな宴会が開かれた。島人の招きに甘えて、宴会の席に混ざらせていただき、ビールと天ぷらを御馳走になる。
 天ぷらを食べたので、もう昼飯を食べる必要はなくなった。そこで、ポーポーでも食べようと、2時頃、勝子おばさんの店「タキドゥン」へ行く。残念ながら、ポーポーもサータクンコーもなかったが、久しぶりに勝子おばさんとまとまった話をすることができたので満足。今回は、海での貝採りの話や、サータクンコーを売り出すようになったきっかけなどを伺った。宿に戻ると、見覚えのある顔が1人増えている。吹田市立博物館の賀納さんである。沖縄大学の谷中先生、常連の井上さんと、今年の春に会った人が、再び内盛荘に集まっている。こういう人たちと、島にかんするディープな話をするのは楽しい。実際、加納さんと井上さんと2時間近く話し込んでしまった。しかし、いつでも話題がディープだと、フレッシュなお客さんが寄りつかなくなるので気を付けないといけない。
 夜、8時過ぎ、佳美さんの家にお邪魔して、僕の研究の目的を改めて説明。それからはいつもどおり、内盛荘の庭でユンタク。11時頃までは、アルコール無しでやっていたが、谷中先生が聞き取りから戻ってからは、谷中先生、賀納さんと3人で、ビールを飲みながら、アカデミック(?)な話。
 ところが、12時過ぎになって、家の中の電気が点き、にわかに慌ただしくなる。正玄さんが、体に痛みを覚えて寝られないというのだ。佳美さん、正聖さんは心配し、石垣島の病院に連れてゆくために、真夜中、船を出した。スミさんは、長い間、風邪を引いていて、今でも咳をしている。お二人とも、いつも健康そうに見えるが、すでに70代後半のお年寄りであることには間違いない。お二人の健康を切に願う。

9月24日(月)

 今日は旧暦8月8日。世迎え(ユーンカイ)の日である。
 朝7時、公民館の執行部、神司たちは「まちなみ館」に集合し、すぐに車でニーラン石まで移動する。そこで、ニライカナイの神様から五穀豊穣をもたらす種をいただく神事が執り行われる。これは、豊年祭と似ているが、唱われる歌が違う。世迎えでは「とぅんちゃーま」が唱われる。ニーランでの神事が終わると、神司たちは「ちろりん村」の前まで移動する。それを、中筋部落の人たちは有り難く出迎え、ガーリが踊られる。次に、神司たちは幸本御嶽へ行き、クックバーでニライカナイの神様から頂いた種を八重山中に分け与えてから、今度は中筋井戸(ナージカー)にて玻座間部落の人たちに出迎えられ、ガーリが踊られる。さらに、「まちなみ館」の前でも、同じことが行なわれる。
 昨年も見たけれど、世迎えはコンパクトでありながら、ささやかな感動を呼ぶ素敵な神事である。けれど、昨年と同じく今年も、研究者や写真家(結願祭でも見かけた大塚勝久さんが来ていた)が神司を追いかける様は異常だった。その異常な光景を作りだしている1人が僕なのだから、このことについては何も言えない。
 宿に戻り、遅い朝食を頂いていると、保さんから僕宛てに連絡があった旨を伝えられる。忙しいので、午前中にエビ養殖場に来るようにとのことであった。そこで、すぐに井上さんの自転車を借りて、竹富島の南端に位置するエビ養殖場まで行った。これまで、保さんとは何度かお会いし、名刺も差し上げていたが、まとまって話を伺う機会はなかった。だから、僕にとっては突然、待ちに待っていた機会が訪れたのである。さて、肝心の話の方であるが、これがすこぶる楽しい。1時間半程度、話を聞かせていただいたが、本当にスケールが大きい話で、聞いているだけで保さんの夢の広がる空の中を飛んでいるような感じだった。竹富町長に推される理由がよく分かった。昨年からこれまで、何度も保さんとアポを取ろうと努めてきた甲斐があった。
 午後は、12時45分から、朝に見逃した「ちゅらさん」を見る。さらに、洗濯物が溜まっていたので洗濯して、少し横になったら、そのまま3時間寝てしまった。起きると4時半。すぐに、集落内を散歩するが、良いインフォーマントに出会えず夕食を迎える。
 食後、正八さんを訪ねるが留守。丸八のシンちゃんと立ち話をしていたら、雨が強く降ってきたので、内盛荘まで車で送ってもらう。宿では雨の中、いつもどおりお客さんたちがユンタクしている。それに混ぜてもらって、しばらく飲んでから、さらに「マキ」に行き、真木荘と高那旅館のお客さんと飲む。

9月25日(火)

 11月に松山まで行く用事があって、飛行機の予約をしている。そのチケットの購入締切日が今日なので、9時15分の船で竹富を出て石垣に向かう。11時に島内でアポを取っている人がいるので、航空券を購入後まもなく、10時30分の船で石垣から竹富に戻る。ところが、11時にアポを取っていた人から、「今日は忙しいので」と断られてしまう。何のために、急いで石垣から戻ってきたんだ!とちょっと怒ったりなんかして。
 お昼は「やらぼ」でフーチバジューシーを食べる。2時、高那旅館の桂子さんを訪ね、竹富島で最も古い旅館である高那旅館の歴史などを伺う。4時、まちなみ館に公民館長を訪ね、公民館組織について尋ねる。夕食後、大雨の中、8時頃に赤山さんを訪ね、赤山荘の歴史、個人史などを話していただく。さらに宿に戻って、正玄さんから、西表まで田作りに行っていた頃の話を伺う。その後、「マキ」を覗くと、昨日飲んだ美知さんや、上勢頭ファミリーが飲んでいたのでその輪に加わろうとしたら、驚いた。なんと、中学・高校時代の同窓生だった稲葉がそこにいたからである。聞けば、稲葉は島出身のマサタカさんと友達で、竹富島には10年前から来ていると言う。およそ15年ぶりの再会を喜び、近況などを話す。

9月26日(水)

 9月に入ってからは、毎日のように雨が降っている。いつもは降ったり止んだりの天気だが、今日は1日中雨が降っていた。
 11時、小浜荘を訪ね、栄子さんの個人史や小浜荘の歴史などについて尋ねる。昼食には「やらぼ」のフーチバジューシー。竹富島に来て以来、明らかにアルコールを摂りすぎているので、昼食には胃に優しいフーチバジューシーをあまり意識することなく食べている。でも、何回食べたら気が済むのか。
 雨が強くて外に出ることを躊躇っていると、昨日飲んだ美知さんがやって来たので、3時頃までトーク。美知さんは、台湾で日本語教師をやっていたので、台湾事情に詳しい。近く台湾に旅行に行こうと計画しているので、興味を持って話を伺う。特に、台湾の離島に住む民族の話に惹かれるところがあった。
 3時を過ぎても雨が強いので、「やらぼ」から隣の「とも倉」に場所を移し、そこで正子オバアと長話。夕食後、正玄さんに毒草を使った漁の仕方やスルの取り方などを教えていただいてから、庭でユンタク。

9月27日(木)

 内盛荘には、図書館にないような希少な資料がいくつかある。これと町史編纂室から借用した資料などをコピーするために、石垣島に渡ることにした。竹富島には、10円でコピーサービスを行なっている所がないので、大量にコピーするならば、石垣島に行った方が安くあがるのだ。
 10時45分に竹富島を立つ船で石垣島へ。すぐにコンビニで200枚近くをコピー。そして、昼食に「ボサノバ」で大盛りカレー(800円)を食べてから、町役場に行く。まず、地籍図を見せてもらおうと思って税務課を訪ねたのだが、調査依頼書がないと見せることはできないと言うので、あっさり引き下がる。次に、商工観光課の通事さんを訪ねるも、ちょうど議会が開かれている最中で忙しそう。取りあえず、商工観光に関わる町内総生産などの基礎資料をいただいて役場を後にする。3時頃、町史編纂室を訪ね、借用した資料を返却しようとするが、1冊足らないことに気付く。どこにあるか不明であるが、明日返すことを約束して、その場を去る。いったいどこに行ったのだろうか。
 3時30分、石垣を出る船で竹富へ、さらに、健さんの当番車に乗って「とも倉」へ。昨日、正子オバアからゆで卵をいただく約束をしたので、それを受け取りに行ったのだ。この卵は、店の周辺で放し飼いされている鶏が産んだ卵で、正子オバアがそれを取って、ゆで卵にしたのものである。夕食時に食べてみたら、とても美味しかった。
 5時、畑で草取りをしていた泉屋のオバアにお会いし、民宿の歴史などを伺う。この人が保さんや篤さんを産んだのか、と妙な関心をしながら、優しく丁寧な言葉遣いで話される声に耳を傾ける。宿に戻ると、夕方、正玄さんは再び体に痛みを覚えて、石垣の病院に行ったと言う。先日の深夜に病院に行ったときは、体内に石ができていると診断されているので、今回もきっと石のせいだと思うのであるが、やはり心配だ。
 夕食後、沖縄の一人芝居を演じる今年70歳になるオバアのドキュメントをNHKで放映されていたので、これを熱心に見る。放映後、竹富島で過ごす最後の夜は「竹の子」に行こうと決めていたので、そこで1人で12時まで飲む。つまみとして頼んだニラ饅頭と春巻きが美味しかった。

9月28日(金)

 今日も朝から雨が降ったり止んだり、はっきりしない天気。本来ならば、お世話になった方にお礼を申し上げてから帰るべきだけれど、雨足が強くて今回は省略。11時15分の船で竹富島を出る。今回の竹富島は、ほとんど毎日雨が降って、すっきりしない天気が続いたのが残念だった。しかし、結願祭、敬老会、テードゥンムニ大会、ユーンカイと、いろいろな行事・祭事を見ることができ、昨年とは違う楽しみを覚えた。島でお世話になった方々、特に内盛荘界隈の方々にはあらためてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
 町史編纂室から借りた資料をどこに置いてきてしまったのか。資料を借りた当日を思い起こすと、資料をコピーするために入ったコンビニに置き忘れてしまったような気がする。そこで、ホットスパー大川店に行き、店員さんに忘れ物がないか尋ねてみると、案の定、店内に置き忘れていた。そう言えば、竹富から石垣へと渡る船の中に帽子を忘れたのだが、一緒の船に乗っていたお客さんがそれにすぐに気付いて、先に下船した僕を追いかけて届けてくれた。忘れ物は、案外、戻ってくるものである(こんなことを言っているから、忘れ物がなくならないような気がするが・・・)。
 昼食には、「ゆうくぬみ」でソーキそば(550円)。店を出るとき、雨が強く降っていた。傘をどこかに忘れて持っていない僕に、店の人がビニール傘を下さった。本当に有り難いことである。食後、まず町史編纂室へ行き、ホットスパーで見つかった借用資料を返却する。あやぱにモールにある観光案内所のようなところで、HPの閲覧をしてから、『竹富町古謡集』を購入するために本屋を訪ね歩くも、1冊も置いていない。仕方ないので、発行元である教育委員会に行くと在庫が置いてあった。しかし、教育委員会では売ることができないと言われ、本屋に卸した本を購入するという手順で、『古謡集』を手に入れることができた。
 5時半に石垣を出る船で小浜島へ。今回は、しばらく「みやら荘」に泊まる。部屋に通されると、小浜島沿岸の海が一望できる絶好のロケーション。小浜島は適度に起伏があって、島の中心部にある集落からも海が見えるのが良い。また、「みやら荘」は食事が美味しい。宿泊客の中心が女性であるためか、量は多くないけれど、質はとっても上等だ。
 夕食後、泡盛を飲んで部屋に戻り、横になってテレビを見ていたら、眠気が襲って来て、いつの間にやら就寝。

9月29日(土)

 ついに、「ちゅらさん」が最終回を迎えた。その日に小浜島に居ることを幸せに思う。振り返れば、初回も小浜島に居るときに見たのだった。ダイクヤーのテレビの前で、「ちゅらさん」のテーマソング“ベスト・フレンド”が流れたときに、なぜか涙がこぼれそうになったことを思い出す。
 11時、根原さん宅を訪れる。ここは、「ちゅらさん」の最終週に和也が恵里が倒れたことを言うために駆けつけた家である。家にはユキオバアが居たので話し掛けると、「ちゅらさん」の撮影にまつわるエピソードを話して下さる。昼時になって夫の精一さんが帰って来るとすぐに昼食を用意して下さったので、遠慮なく御馳走になる。1時過ぎ、デザートを食べるために「やしの木」に入ると、内盛荘で3日間だけ臨時ヘルパーを勤めていた藤乃ちゃんに遭遇。トゥマール浜で、島人がムンツァン(イイダコ)を捕っていたという情報を得る。2時、ムンツァン捕りについてさらなる情報を得るために安オバアを訪ねるが、安オバアは孫の子守りで忙しく、最近は全然海に行っていないと言う。成り行きで、安オバアの子守りを少しお手伝いする。3時過ぎ、クバマコーポレーションを訪ね、春に一緒にキビ刈りをやったイシさんと立ち話。その後、集落を歩いていると、研ニイの子ども達と出会い、彼らから結願祭に向けて行なっている踊りと狂言の稽古を見に来るよう言われる。しかし、その誘いは断った。なぜなら、7時から石垣の新栄公園で催される「とぅばらーま大会」を見に行くからだ。幸い今晩は天気が良さそうで、十三夜の月をきれいに拝めるにちがいない。せっかくの機会なので、夕方6時10分に小浜を出る最終便に乗って、石垣に渡った。
 ビールを2本買い込み、7時5分前に公園に到着すると、すでに会場に多くの観客が詰めかけていた。僕は、かなり後ろの方に座ると、ちょうど開会宣言が発せられ、いよいよ大会が始まった。台風の余波で風が強かったけれど、十三夜の月はきれいだった。出演者が「とぅばらーま」を熱唱すると、その声が月の浮かぶ夜空に吸い込まれてゆく。それをほろ酔い気分で満喫することの贅沢。9時頃、大会は終わり、桟橋近くのビジネスホテルで1泊。

9月30日(日)

 10時30分、資料収集のために県立図書館に行くが休館。第5日曜日が休みであることを忘れていた。次の小浜行きの船は12時20分なので、まだ2時間近く時間がある。石垣市立図書館も2日まで休館なので、仕方なく「むゆる館」に行き、ビデオを見るとともにインターネットで情報検索を試みる。このとき見た八重山の祭りを収録したビデオは面白かった。帰るときに購入しようかな。
 12時20分に石垣を出発する船で小浜島へ。到着するとすぐに、宮良荘の車で宿まで送ってもらい、少し落ち着いてから集落内を歩き始める。1時半、庭にヤエヤマアオキの木片を出して乾燥させていた宮良さんの家にお邪魔し、ヤエヤマアオキの利用法の変化や宮良荘の歴史などを伺う。2時、「うふだき荘」を訪ね、ゴーヤキャンディー(100円)を食べながら、ムンツァン捕りなどについて信子さんと話す。3時、「きよみ荘」にキヨさんを訪ねると、宿の入口付近に無くしていた傘が放置されているのを発見した。しかし、長い間、屋外に置いてあったので、だいぶ錆付いている。キヨさんは、僕の汚い折り畳み傘を見て、新しいビニール傘と交換して下さった。感謝。
 3時半、ムンツァンを捕った後に一休みしていた登野さんを訪ねる。登野さんは、小さなカニを餌にしてムンツァンを捕るベテランとして島人から一目置かれている。釣果を尋ねると、今日は4時間半で40匹弱を捕ったと言う。さすがにベテランと呼ばれる人は違う。
 4時過ぎ、宿に戻ってベルリン・マラソンを見始める。が、すぐに停電になってしまい、しばらく横になる。電気が復活すると、すでにQちゃんは37km付近を走っており、残り5kmの時間との闘いを観戦。そして、見事、2時間20分を切るタイムでゴール。目標実現に向かって周到に準備し、1つ1つの目標をクリアしていくQちゃんの姿は、格好良い。
 夕食後、7時45分、北部落のキョンギンヤー(狂言家)を訪ねる。すでに、研ニイが師匠となって、結願祭に向けた狂言の稽古が始まっていた。村のスータイ(総代)役の人が、小浜の言葉で書かれた長い科白に苦労されている。本番まで日数は少ないけれど、大丈夫なのだろうか。
 ブンドリヤー(踊り家)となっているダイクヤーにも顔を出す。こちらも、女たちが必死に踊りの稽古をしている。狂言の稽古は2時、3時まで続くそうであるが、12時前に頃合いを見計らって失礼させていただき、宿に戻る。

TOP(日々の表現)雑記日記(2001/2/8-2003/8/25)

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