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日記帳|2002年2月

Diary 

 2002年2月

2月1日(金)

 10時半起床。まず、花粉症対策として甜茶を入れる。4、5日続けて飲んでいるので、もう味に飽きが来てしまった。効果が現れる前に、甜茶嫌いになりそう。
 さて、明日は神奈川森林エネルギー工房の総会がある。議案としては、事業報告、決算報告、事業計画、予算、規約改正、役員改選がある。このうち、今年度の事業計画案と予算案は、僕が作成することになっている。午後は、このために時間を費やす。
 今年の4月には十文字さんが佐渡に引っ越すので、その後の会の運営は僕に期待されているところが多い。実際、今年度からは十文字さんと共に代表職に就くことになった。これは、現状から言えば避けられない選択だったかもしれない。しかし、会員の中で最も地に足が着いていないのが僕なので、重責を担えるのかどうか不安だ。いつどこに行ってしまうか分からないような不安定な身分であるのに、責任のある地位に就いて良いのだろうか。これは常に自問自答していることである。突然に、「台湾で2年間フィールドワークするプロジェクトがあるんだけど、一緒にやるか」なんて問われれば、すぐに飛んでいってしまうだろう。一寸先のことでさえも自分の計画を立てていない僕が、エネルギー工房の事業計画を立てることに、大きな矛盾を感じる。そう思いつつも、自分がやるしかないんだよなあと自らに言い聞かせ、計画案を作り上げた。
 夕方、スーパー三和へ買い物に出掛ける。最近は買うものが決まっている。カレーを作るために挽肉と玉ねぎとホールトマト、納豆と卵、それに豆乳である。ときどき、スパゲッティと米を補充する。最近、家での食生活は極めて安定している、というより、ほとんど変化がない。要するに、同じものばっかり食べている。あえて食生活を変えなくても良いということは、精神的に安定しており、ストレスをあまり感じていないことを意味しているように思う。
 夜中までかけて、小熊英二『単一民族神話の起源』を読了。日本史に疎い僕には、どの部分にオリジナリティがあるのか分からなかったけれど、内容が抜群に面白く、とにかく楽しめた。また、小熊さんは筆の運び方が上手で、400ページの本を抵抗無く読ませる技術にも感服した。見習いたいものだ。
 寝ようと思って床に就き、何気なくNHKにチャンネルを合わせると、長野オリンピックのダイジェスト版を再放送していた。4年前に放送されたもので、すでに一度見ていたものだった。しかし見始めると、改めて原田雅彦という人の不思議な魅力に取り憑かれ、最後まで見てしまう。就寝は3時なり。

2月2日(土)

 8時に起床。朝風呂に入ってから、9時に家を出る。10時15分、桜木町駅に到着。駅の近くにあるコンビニで、総会に必要な書類のコピー。10時半、桜木町の駅からだと、歩いて10分ほどのところにあるポートコミュニティ万国橋へ。ここが、今日の総会、および午後のシンポジウムの会場なのだ。
 すでに、土屋さんと新入会員の斎藤さんは来ていた。総会開始は11時を予定していたが、十文字さん、酒井さん、辻本さん、佐藤さん、それに僕を含めて7人しかいなかったので定足数に達せず、しばらく待つことに。すると、佐々木さんがやって来たので8人となり、定足数に達したので、総会が開始となる(すぐに、坂本さん、橋本さんもやって来たので、結局、10人集まった)。土屋さんの進行により、てきぱきと議案が処理され、1時間とかからず12時には総会終了。僕が作った予算については、会計の辻本さんとの連絡が不十分で、前期繰越金が決算と異なってしまい、修正を余儀なくされたが。
 総会終了後、慌ただしくシンポジウムの準備に取りかかる。応援団として山田さん、田並さんも駆けつけて呉れたこともあり、順調に会場設営を終える。12時半、受付開始。プレックの池尻さんが来てくれたので声を掛ける。池尻さんは、僕が会社を辞める直前に、同じプロジェクトでご一緒した上司である。相変わらず、元気そうで良かった。1時、シンポジウム開始。JCCAの須田春海さん、滋賀県環境生協の藤井絢子さん、地球デザインスクールの桜井俊彦さん、森のエネルギー研究所の大場龍夫さんと、豪華絢爛なパネリストを招いたため、2,000円という多少高めの参加費を払っても、十分元が取れるような内容だったように思う。来場者は100人を超え、かなり盛り上がった。お陰様で採算も取れたはずだ。
 シンポジウムは4時半に終了。5時に会場から撤収。懇親会として、歩いて5分ほどのところにある「魚ふじ」に行く。ここには、パネリスト、スタッフ、サポーターなどが17人集まった。十文字さんの乾杯の音頭によって懇親会開始。土曜日は全品3割引きなので、かなり豪華な刺身や焼きガニなど、おかずが高そうなものばかりだった。8時、そろそろ締めということで、僕が新代表として挨拶をして、懇親会は終了。10時過ぎに帰宅。アルコールが入ってしまうと、何もする気がしない。いや、できない。音楽をかけて、それに合わせて口ずさむ。寒くなってきたので眠る。

2月3日(日)

 節分。英訳すると、eve of the biginning of spring というらしい。なるほど、明日は立春だからね。
 昼過ぎに起きる。2時からラグビーの日本選手権決勝「サントリー×神戸製鋼」をテレビ観戦。2時半からは東レパンパシフィックテニス決勝「ヒンギス×セレシュ」が始まったので、これも同時並行でザッピングしながら見る。かつては、サントリー=早稲田OB、神戸製鋼=同志社OBというイメージがあったので、早大ファンの僕は昔からサントリーを応援していた。今、サントリーの選手の出身大学を調べると、早稲田の宿敵である明治・慶応の出身者が多く、逆に早稲田の出身者はいない。それでも、社会人チームの中では、サントリーが最も好きだ。結果は、「28-17」でサントリーの完勝。ついでながら、テニスの方はヒンギスがセットカウント2-1で勝利。白熱した接戦でした。
 4時に家を出て、研究室に向かう。今日は、夕方から研究室で節分行事を行なうことになっているのだ。
 節分といえば、まず豆まき。最近は大豆よりも殻付き落花生を撒くことが多いらしい。撒いた後に拾って食べられるからだろうか。豆まきのほかには、丸かぶり寿司を作って食べようということになっている。丸かぶり寿司とは、最近、東京に上陸した慣習(?)で、恵方(今年は北北西)を向いて、物も言わず、黙々と太巻きを丸かぶりするというもの。関西エリアから伝わったらしいが、それほど古い伝統があるわけではなく、或る寿司屋が広めたものだと言われている。
 5時、自由が丘駅からイコマロに電話すると、ちょうど行事に必要な材料を買いに出かけるところだと言う。お付き合い願いたいと言うので、直接研究室には行かず、スーパー「文化堂」で落ち合うことにする。「文化堂」に着くと、すでにイコマロは居た。豆まきに必要な落花生、それと、太巻きに必要な米、すし酢、海苔、卵、胡瓜、干瓢、鰻の蒲焼きを購入。また、「カクヤス」では、キノピーが持ってきてくれたビール券を利用して、ビールを購入。それから、2人で研究室に行くと、丸ちゃん、ベティ、重マッチ、カルロスが来ていた。池ポンは6時過ぎに来るらしい。
 卵焼きを作り、干瓢に味付けし、酢飯を作って、いざ太巻きを巻く段階になる。丸ちゃんが買ってきた「まきす」を使って巻いてみると、意外に簡単。各自、自分の太巻きは自分で巻いて、太巻きを完成させる。ちょうどこのときに、池ポンも就職活動から帰ってきて、自分の太巻きを作る。また、太巻きを作っている最中、これだけではお腹が満たされないだろうと考え、ミートソーススパゲッティも作ることに。なぜ、節分にミートソースを作るのか、その理由を詮索するのはやめておこう。玉ねぎ、挽肉、ホールトマト、スパゲッティを購入し、パスタも完成。8時、準備は整った。まず、腹ごしらえとしてパスタを食べる。そして、いよいよ豆まき。最も鬼に顔が似ている池ポンに鬼役を演じてもらい、豆まきが始まる。矢野土場研は、学生室が3ヶ所に別れているので、それぞれの部屋で豆まきを行なう。豆まきが終わると丸かぶり寿司だ。恵方を向いて太巻きを丸かぶり。充実した節分である。
 寿司を食べ終わって、雑談をしていると、今日見ていたラグビーやテニスなどのスポーツの話になる。すると、みんな体を動かしたくなったのか、1階フロアーで卓球をやることになる。卓球をやらないときは、キャッチボール。ほぼ2時間、珍しく体を動かした。
 研究室に戻り、後かたづけをしてから、12時前に研究室を出る。1時半頃、帰宅。

2月4日(月)

 昼に起きる。が、ベッドからは出ずに、読書。3時にベッドから出る。風呂に入ってから外出。郵便局へ行き、神奈川森林エネルギー工房の報告書を発送。文房具屋ではボールペンやサインペンなどを購入、ドラッグストアでは石けんを買い足す。古本屋で立ち読みしてから、パン屋「リトル・トリー」に寄る。このパン屋は、もともと「サンレモ」というパン屋であったが、移転を契機に改称したのだ。僕は「サンレモ」時代から贔屓にしている。素材は、無添加、有機栽培、無(低)農薬のものを選んでいるので、かなりエコなパン屋と言える。しかし、あまり環境意識の高くない僕にとって、そういうことは二の次である。単に、ここでパンを焼いている人を知っているので、その人を信頼して買っているのだ。
 6時頃、帰宅。すぐに買ってきたパンを温めて食べる。それだけでは物足りないので、夕食を作る。今日もトマトベースのパスタである。ちょっと作りすぎて、全部食べたら腹一杯で苦しくなった。ので、横になる。寝る。

2月5日(火)

 10時半、起床。11時半に家を出て、江ノ島方面に向かう小田急線に乗る。六会日大駅で降り、歩いて10分ほどのところにある「へっころ谷」という「ほうとう」料理の店へと足を運ぶ。12時半、「へっころ谷」に到着してみると、なんと休み。火曜が定休日だったとは・・・。駅へと引き返し、藤沢駅へ。駅の近くのイタリアン・レストランで昼食。2時、藤沢駅の小田急線の改札口に行き、待ち合わせていた真梨ちゃんと会う。
 彼女は、僕と同じく小浜島でフィールド・ワークをやる大学院生だ。そもそも、彼女と初めてあったのは小浜島の民俗資料館だった。卒論を仕上げるために、小浜島まで調査しに来ていたのだ。それ以来、僕と彼女は必要な情報を交換したり、時には今日のように意見を交わし合ったりしている。会うたびに、好奇心旺盛で何事も吸収しようというエネルギーには圧倒される。思いが強くあるためか、うまくその思いを言葉にできないもどかしさがあるようだが、今の段階では、それくらいの、言葉にできないくらいの強い思いがある方が良いだろう。2時過ぎから話し始め、結局7時近くまで、およそ5時間も話し込んでしまった。さすがに話疲れたけれど、お互いの考えをとことん話し尽くせるような間柄は少ないので、こういう場は貴重だ。同じ小浜島をフィールドとしながらも、僕は開発と環境という切り口から見ているのに対して、彼女は開発とジェンダーという切り口から見ている。同じ地域を別な視点から見ている人と話をすると、思考が複眼的になり、立体的に見えるようになって良い。真梨ちゃん、どうもありがとう。
 8時過ぎに帰宅。昨年末お亡くなりになった飯島伸子さんの『環境問題の社会史』を読む。飯島さんの生真面目さが、この本にもよく表れている。ご冥福をお祈りいたします。

2月6日(水)

 今日は嬉しいことがあった。1つは、ネットを通じて応募したプレゼントに当選したこと。応募したことを完全に忘れていたところに、突然、当選の知らせがメイルで届いた。「樽灰かぶり小皿」というものが当たった。いったいどんなものだったのだろうか?記憶を辿るが、まったく思い出せない。そこで、確認確しようと思っい、応募したホームページにアクセスしたら、すでにそのページは新しいプレゼント用に更新されていた。謎は深まるばかり。
 もう1つ嬉しかったことがある。それは、携帯に付けていたゴーヤーマンのストラップが見つかったこと。実は、先月の伊豆旅行中、ストラップからゴーヤーマンが取れて紛失していたのである。それ以来、生きているという実感もなく、ただ砂を噛むような毎日を過ごしていた。都会の真ん中で、「ゴーヤーマーン!ゴーヤーマーン!」と叫んで必死に探しても、その声は冬の抜けるような青空に吸い込まれ、残るのは虚しさばかり。そんな日々を送り、憔悴しきっていた僕は、これほどまでに自分の胸を焦がすゴーヤーマンを憎むようにさえなっていた。
 そんなときだった。タバティが僕の研究部屋にやって来て、唐突にゴーヤーマンを差し出したのは。冷静さを失っていた僕は、それを見た瞬間、タバティがゴーヤーマンを誘拐したものと錯覚し、危うく殴りかかるところだった。しかし、かすかに残っていた理性によってその衝動を抑え、タバティに事情を聞けば、車の掃除をしていたときに偶然ゴーヤーマンを発見し、僕に届けてくれたのだと言う。ありがとう、タバティ。この恩は、一瞬にして忘れよう。
 筆が滑った。硬い日記を書きましょう。5時に研究室に行き、がさごそと資料を漁る。都立大の原口さんから書類が届いていた。飯島先生がオーストラリアの環境問題とアボリジニの関係について書いたものである。研究ノートのようなものだけれど、環境的正義を深く考えるきっかけとなるような論文だった。6時半に研究室を出て、7時半にかながわ県民活動サポートセンターへ。もっかな探検隊の打ち合わせである。3月3日に行なうコンサートについての話し合い。9時に打ち合わせ終了。10時半に帰宅。

2月7日(木)

 北方領土の日。ところで、なぜ今日が北方領土の日なの?
 日記を付け始めたのが、昨年の2月8日だった。つまり、今日で丸1年間、日記を書き続けたことになる。我ながら、よくやっていると思う。最初は、友達のサイトにに触発され、更新速度を早めようと思って日記を付け始めたのに、振り返ると膨大な文字を書き連ねてきた。ひとまず、自分に向かって、お疲れさまと言っておこう。
 昼過ぎ、鷲谷いづみ『生態系を甦らせる』を読了。最近の鷲谷さんは、本を書き過ぎている。健全な生態系を実現させたいという思いの強さが前面に出過ぎて、内容に新しさがない。一種の啓蒙書なのだろうが、もう少し冷静に書いた方が説得力が高まるだろう。
 4時半、研究室に到着。今日、研究室に来たのは、印刷をするためだ。自宅にもプリンタがあるけれど、大量に、きれいに印刷しようと思えば、やはり大学でやった方が良い。ADSLを引いて以来、ネット環境は、自宅も研究室もほとんど変わらない。だから、今となっては、印刷するとき以外に大学へ行く必然性はない。この間の節分のようなイベントがあれば、別だけど。
 10時過ぎ、ジローラモと立ち話。現代(=後期近代、成熟社会、ポスト・リベラル)の生きにくさを、どう生きてゆくかについてトーク。他者の自由を認めることが、さまざまなコストを増大させ、生きにくくなっていること。正しいことを押し進めることが、生を貧しくさせること、などについて、思いつくまま話をする。僕らは、意味もなく生きてゆけるのだろうか。自由に生きてゆけるのだろうか。

2月8日(金)

 昨年のこの日から、日記を付け始めました。祝・1周年。
 今日から日曜日まで沖縄へ出張だ。大塚プロジェクトと沖縄大学による公開シンポジウム「アジア太平洋の環境・開発・文化」で報告するからである。今回のシンポジウムへの参加者は豪華だ。『公害原論』などで有名な、あの宇井純さんもコメンテーターとして参加する。緊張するなあ。
 9時前に家を出て、10時半に羽田空港へ。ネットを通じてチケットレスで予約したのに、機械が反応してくれないので、仕方なくスタッフにチケットの発券をお願いする。このため、本来なら30秒もかからない発券作業に、10分程度費やした。こういう時間を節約するためのネット予約であり、チケットレス販売じゃないの?
 10時50分、JAL903便に搭乗。1時50分、およそ15分遅れで那覇空港に到着。同じ飛行機に乗ってきた東大の大塚先生、歴民博の篠原先生、大塚先生のところの助手の梅崎さん、院生の古澤くんと共にジャンボタクシーに乗って、取りあえず荷物を置くために宿泊場所の「シーサー・イン・那覇」に向かう。ところが、車が混んでいたので、行き先を変更し沖縄大学へ直行する。3時に沖縄大学地域研究所で、東文研の松井先生、沖大の家中先生らと待ち合わせしているので、ホテルに寄る時間を削ることにしたのだ。
 2時45分、沖縄大学に到着。待ち合わせ時間まで少し時間があったので、大学前の食堂で遅い昼食。僕は、「中身汁定食」(700円)を食べた。美味しい上に量が多かったので、満足、満足。何という名前かは忘れてしまったが。
 3時過ぎ、地域研究所に行く。松井先生をはじめとした僕以外の沖縄班のメンバーと家中先生が、すでに待っていた。早速、明日のシンポジウムについて2時間弱のミーティングがあった。5時半頃、いったん解散してホテルに戻る。6時過ぎ、松井先生が予約していたフランス料理店へ。なぜか、沖縄で高級フランス料理を食べることに。なんでやねん?
 9時頃、食事は終了。その後、松井先生、家中先生、関さんを除いたメンバーで2次会へ。酒はオリオンビールと泡盛、肴はゴーヤ、ナーベラ、ゆし豆腐など。やはり、沖縄に来たら、こういうものを食べたい。酒を飲みながら、前に座っていた篠原先生とトーク。主に、環境主義とナショナリズムとの親和性について話す。僕と似たような問題意識を持っていらっしゃったので、話ができて楽しかった。時景という概念を教わった。面白い概念だと思う。
 11時、2次会終了。歩いてホテルまで帰り、そのままごろんと横になって眠る。

2月9日(土)

 緊張のためか、4時に起床。そのまま朝を迎える。7時半、食堂で朝食。8時過ぎ、昨日同じ飛行機でやって来たメンバーに神戸大学の須藤先生を加えた6人で、タクシーに乗って沖縄大学へ向かう。8時半、会場に到着。シンポジウム開始まで30分あるので、矢野先生の旧友だという所長の高良先生、コメンテーターを務める小浜島出身の平田大一さんなどに挨拶。9時、松井先生・家中先生の司会により、夜の7時近くまでのロング・シンポジウムが始まる。報告が専門的であるためか、朝早いためなのか、参加者は50人程度しか集まっていない。
 さて、まずはシンポジウムの開催を受け容れた沖縄大学の新盛学長、高良所長の挨拶。続いて、プロジェクト・リーダーの大塚先生によるプロジェクトの概要説明と進む。ここまでは静かな、そして和やかな立ち上がりだった。しかし、次の宇井先生が、沖縄の環境問題は基地問題を抜きにしては語れないと主張してから状況が一変する。会場の雰囲気が一気に緊張感を増したものとなった。そんな中、午前中は沖縄班の報告である。松井先生による「人間-環境系の沖縄的特質」、関さんによる「海中道路と平安座の暮らし」が終わり、いよいよ僕の番である。11月の日本社会学会で発表した内容を「地域社会に対するエコツーリズム推進の影響─西表島を事例として─」と題して、約40分の時間をかけて報告した。緊張したけれど、時間に余裕があったので、ゆっくり参加者の顔を見ながら話すことができた。僕の報告をもって、沖縄班の報告は終了。これを受けて、大一さんと家中先生によるコメントがあり、それに対して報告者がリプライして、午前中のプログラムは終了。するはずだったのに、リプライする前に、フロアから宇井先生が、主として関さんの報告に対してコメントを発した。そのエッセンスは、報告が「ちゅらさん」的であり、沖縄の環境問題の本質を逃しているという痛烈なものだった。このコメント、というか批判は、沖縄で沖縄の環境問題について報告することの困難さと重要性を改めて気付かせてくれた。僕らが或る地域で調査した結果を、その地域で公表し、内部と外部との視点を交差させることで新たな次元を獲得すること。これが、学問を実践的にしてゆくために必要なプロセスである。それは、外部の僕たち研究者にとって必要であるのはもちろん、内部の人々にとっても、自らを相対化させる契機になるだろう。宇井先生の批判を聞いて、今後も、沖縄での調査結果を沖縄で発表する機会を持たなければと思った。
 昼食は、昨日も昼食を食べた食堂で「やんばるそば定食」を食べる。昨日は店の名前を忘れてしまったが、今日はきちんと覚えた。「やんばる食堂」という店名だ。もし、沖縄大学辺りに行く用事があるならば、ぜひ寄ってみたらよいだろう。
 昼食後1時から、午後のプログラムが始まる。ソロモン班は、大塚先生が「アジアからみたメラネシア-地域社会と開発の特徴-」、古澤くんが「開発と民俗技術-ソロモン諸島・ロヴィアナラグーンの事例-」を報告し、これに対して沖大の桜井先生がコメント。海南島班は、篠原さんが「海南島における自然と人間」、梅崎さんが 「外部主導の開発による人間生態系の変容-中国・海南島の事例-」を報告し、宇井先生がコメント。以上で、各フィールドごとの報告は終わり、5時からは総合討論。沖大の桜井先生が進行役となり、報告者・コメンテーター10名が、フロアからの質問・コメントをもとに議論した。エコツーリズムにかんする質問が多かったので、僕もかなり応える羽目になったが、きちんと応えられたかどうか・・・。
 総合討論は6時半に終わる予定だったが、約20分押して終了。とにかく長時間で、大変疲れた。その後、7時から大学近くの中華料理店で懇親会。10時頃からは、国際通り近くの「南々亭」にて2次会。さらに、12時からは、「レキオス」にて3次会。ホテルに戻ったのは2時半なり。長い、長~い一日だった。

2月10日(日)

 起きると8時半。シャワーを浴びてから食堂に行き、朝食を取る。昨夜は食べ過ぎたので、久しぶりに出された食事を少し残す。11時チェックアウト。国際通りを散歩してから、12時に松井先生に言われた待ち合わせ場所に向かう。今日は、午後から榕樹書林から出版する本にかんして打ち合わせがあるので、その前にみんなで昼食を取ることになっていたのだ。
 待ち合わせ場所の「kobas」というレストランに行くと、すでに沖縄班の佐治さん、荒木さん、高山さん、それと東大の藤原さんが入口で待っていた。あいにくレストランが休みだったので、関さんと松井先生を待って、「かつ一」という豚カツ屋に店を移す。ここで昼食を取っている間に、家中先生も加わる。昼食後、1時から「シーサーイン那覇」の会議室で打ち合わせ。1人ひとり書く内容について説明し、それに対して松井先生がコメントするという形式で進める。3時半からは沖国大の仲田先生も加わり、予約してあった4時まで議論する。それでも十分に議論しつくせなかったので、次に場所を喫茶店に移し、そこで荒木さんと高山さんは松井先生に指導される。佐治さんと仲田先生と僕は、主に仲田先生の出身地である伊是名島について話をする。5時半、喫茶店を出て解散。僕は藤原さんと共にパレット久茂地にある文教図書へ。ここで本を4冊購入。6時半、藤原さんの車で空港まで送ってもらう。7時20分、JAL908便に乗り、9時半には羽田空港へ。
 定刻どおり羽田空港に到着後、電車に乗って京急蒲田駅で降りる。それから東急の鎌田駅まで歩き、池上線と大井町線を使って研究室に行く。書籍や資料などを置き、12時前に研究室を出る。帰りの電車で、大塚プロジェクト・海南島班の西谷さんによる『食は異なるもの味なもも』を読了。帰宅は1時半。

2月11日(月)

 先週末の沖縄出張の疲れが癒されぬまま、今朝は神奈川森林エネルギー工房の仕事である。10時半から、大和市自然観察センター「しらかしのいえ」で、ペレットストーブの燃焼実演を行なうのだ。
 小田急江ノ島線の鶴間駅で降りて、歩いて約20分。泉の森と呼ばれる緑地のなかにある「しらかしのいえ」に到着。今日一緒にストーブの説明をしていただく安芸さんはすでにいらっしゃていた。あまり来場者は多くはなかったものの、炎を上げて燃えているストーブに引かれて寄ってくるお客さんを相手に、ペレットストーブや木質ペレット燃料について説明する。これを軽い昼食を挟んで4時半まで続ける。5時に「しらかしのいえ」を出て、柿生に住んでいる安芸さんと一緒に小田急線で帰る。玉川学園前駅には6時に到着。その後、恩田の谷戸ファンクラブのスタッフ会議があったのだが、疲労がたまっているのでキャンセル。スーパーで買い物をして自宅に戻り、7時半にはベッドに入る。
 しばらく寝ていると、9時半頃、日本の竹ファンクラブの平石さんから電話が入る。『日本の竹名鑑』の原稿として僕が執筆を担当した部分に、文章としておかしば部分があるので確認して欲しいという電話だった。すぐにチェックして、正しく修正したものを編集担当の比屋根さんに伝える。また、ベッドに潜り込むが、寝ることができず夜中になる。12時、K-1の中量級日本代表を決めるトーナメントをテレビ放映していたので、これを1時半まで見る。見終わると、やっと眠たくなってきたので就寝。

2月12日(火)

 今日は、ほとんどベッドの上に居た。つまり、ほとんど寝ていたと言ってよい。こんな感じだった。
 昼頃にもぞもぞと起き、風呂に入った。カレーを作って、これを食べた。このカレーがいけなかったらしい。カレーを食べてからというもの、体が冷えて仕方がないのだ。暖房を入れても一向に冷えは解消されないので、ベッドに戻り、体を温める。すると、気持ちよくなって眠る。7時過ぎに起きる。昼に作った残りのカレーを食べる。また、体が冷える。暖まるために、ベッドへ。もちろん寝る。
 今日分かったことは、僕の作るカレーに、体を急激に冷やす効果があるということ。夏のくそ暑いときに食べたら良いだろうに。

2月13日(水)

 10時過ぎに起きた。昨日は丸一日寝ていたようなものだから、今日はちょこっと頑張ろうと、読書に時間を充てた。まずは、鹿野政直『日本の近代思想』を読んだ。これは、先週末、沖縄で篠原さんに勧めていただいた本だ。なるほど、いかにも岩波新書らしい、それっぽい人々が登場する。半体制だったり、エコだったり、フェミだったり。『もっともっともーっと神奈川!』と同じテイストがする。まあ、それは良い。篠原さんが気に留めていた時景という言葉。これには、僕も引っかかる。
 次に読んだのは、小島寛之『サイバー経済学』。小島さんは、浪人時代の数学の講師だった。小島さんには、数学の楽しさを多少なりとも教わった恩を感じている。だから、小島さんが数学エッセイストとして執筆した本は、ほとんど全て読んでいる。この本も、難しいことを易しく説明することが上手で、サイバー経済学のハンディな解説書として優れている。が、僕はあまり楽しめなかったけどね。
 8時過ぎ、ずっと家に籠もっていたので、気分転換に買い物に出掛けた。30分後に帰宅すると、ポストに大きな郵便物が入っていることに気付いた。取り出してみると、歴民博の篠原さんからだ。ご自身が編集した本を下さったのだ。しかも、手紙付きで。これは、本当に嬉しかった。篠原さん、どうもありがとうございました。
 夜中、大川正彦『正義』を読む。100ページ程度の本を読んで、正義を分かるといううまい話はない。ただし、これを読むことで、多少、正義についての問いは深くなったような。

2月14日(木)

 8時半に家を出て、関内に向かう。10時、関内駅近くの技能文化会館に到着。ここで、新エネルギーの推進を目指している県内のNPO(ソフトエネルギープロジェクト、川崎ごみを考える市民連絡会、川崎市地球環境保全行動計画推進会議市民部会、ちがさき自然エネルギーネットワーク、かながわ環境教育研究会、そして神奈川森林エネルギー工房)による話し合いがあった。来年度から神奈川県が新エネルギー導入指針を策定するにあたり、その下位組織として4月に市民ワーキンググループが発足する。今日の打ち合わせは、このワーキンググループの方向性を定める準備会だったのだ。NPOのほかにも、事務局として神奈川県科学技術振興課、および新エネルギービジョンの策定に関わっているコンサルタント・日本総研も参加していた。
 これまで、この打ち合わせには十文字さんが出席していたので、僕は初参加だった。このため、最初のうちは何を協議すればよいのかよく分からなかった。2時間の打ち合わせが終わる頃になって、やっとこの準備会の意義が分かり少し発言できた。次回からは、もっとコミットしていかないと。
 12時に準備会は終了。そこから歩いて桜木町の市民活動支援センターへ行く。ここで1時半にNORAの吉武さんと会う約束をしていたのだが、約束の時間より30分早く1時に着いた。時間を持て余しそうだったので、いったん外に出ようと思ったら、ちょうどそこに吉武さんが現れた。今日、吉武さんと待ち合わせたのは、日本の竹ファンクラブが来月21日に開催するシンポジウムのチラシを受け取るためだった。すでに版下を製作してきた吉武さんは、支援センターの印刷機を使い、美しい2色刷りのチラシを1,000枚刷った。3時頃、僕はチラシを受け取り、吉武さんと別れる。桜木町から東横線の特急に乗る。少し眠ったかと思うと自由が丘に到着。特急は速い。大井町線に乗り換え、4時前に研究室に到着。
 今日と明日は、修士論文の発表会がある。すでに、ベッティの発表は終わっていた。明日はジローラモの発表がある。ジローラモは、5時から発表の予行練習をするというので、それを聞くことにする。しかし、研究室の電源が落ちるなどのハプニングがあったため、5時には練習を始めることができず、結局、8時過ぎから始めることになった。その予行練習を聞いて、分かりにくいところをジローラモに指摘したところ、彼も納得できたようだった。明日は自信を持って発表できるだろう。12時過ぎに研究室を出て、終電で帰宅。
 おっと、危うく書き忘れるところだった。今日はバレンタイン・デーだったので、研究室の岩井さん、粒来さん、沈さんから学生にチョコレートが配られた。ごちそうさまでした。

2月15日(金)

 いつもどおり昼頃に起き出す。3時過ぎに研究室へ。ジローラモの発表は終わっていた。昨日の予行練習よりも自信を持って発表できたようだ。よかった、よかった。
 今日はスーツを着てみた。昨日、登校したとき、修論の発表や就職活動のためにスーツを着用している学生が多かったので、付和雷同してみたのだ。スーツを着ると、きちんとしたくなる。そのせいか、自分の机の周りを整理整頓したいという気分になり、約3時間かけて掃除する。また、机の周りにとどまらず、研究室に散乱している裏紙、新聞紙、雑誌なども整理する。今日は、掃除するために研究室に来たようなものだ。
 10時前に研究室を出る。この時間に出ると、電車の接続がスムーズで、ちょうど1時間で自宅に帰ることができる。終電で帰ると約1時間半かかるから、それと比べると極めて快適なのだ。帰りの電車で、高島俊男『漢字と日本人』を読む。戦後の国語改革が漢字の廃止を前提に行なわれたこと、漢字の制限には出版関係者からの圧力が大きかったこと、現在の文字は工業規格として扱われているため昔からの言葉の連続性がないがしろにされていること、などは面白い発見だった。

2月16日(土)

 1日中、家に居た。賞味期限を2日過ぎている挽肉があったので、これでミートソースを作り、スパゲッティと絡めて食べた。昼と夜と。そのほかの時間は、だいたい本を読んでいた。中野敏男『大塚久雄と丸山真男』を読み終えた。この2人のテキストを徹底的に読み込むことから、2人の思想における戦中と戦後の連続性を鮮やかに剔出している。テキストの読み方、論証の進め方に教えられるところが多かった。
 第三章の「ボランティアとアイデンティティ」は、僕が大いに関心を寄せたところである。もっとも、この章の元になった論文「ボランティア動員型市民社会論の陥穽」はすでに読んでいたが。全体を通して読んでみると、著者がなぜ現在のボランティアを推奨する言説に批判的であるかがよく分かった。ボランティアについて何か議論しようとするならば、批判するにしても賛同するにしても、この論文を読まねばならないだろう。

2月17日(日)

 1時少し前に家を出る。小田急線、JR横浜線、東急田園都市線、横浜市営地下鉄と乗り継ぎ、中川駅で降りる。駅から歩いて3分くらいのところに、目的地の中川西地区センターがある。2時から日本の竹ファンクラブの打ち合わせがあったのだ。すでに、上地さん、農文協の田中さん、それと初対面となった藤田さん、吉沢さんが来ていた。遅れて、代表の平石さん、溝口さん、大久保さん、唐戸さんも集まり、打ち合わせが始まる。今日の主たる議題は、来月21日に開催するシンポジウムの準備および当日の役割についてだった。特に、目標では170人程度の参加者を集めたいので、マスコミ・ミニコミへの情報提供、チラシの配布先などを検討した。日本の竹ファンクラブとしては、今度のような大きなシンポジウムは初体験であるが、メンバー全てがほかの団体にも所属しており、そこでの経験があるようなので、たぶん上手くいくだろう。
 5時に打ち合わせが終わり、買い物をして、6時半頃に帰宅する。夜11時頃、古くからの友だちに電話を掛ける。一月ほど前に恋愛の相談をされた女性にである。そのとき、僕は「そんな男とは別れた方がよい」と言い、その後本当に別れてしまったので、彼女の近況を気にしていたからである。お互いの近況などを語っているうちに、珍しく40~50分も電話してしまった。かつてはよくした長電話も、今はほとんどしない。いや、今はできない状況にある。なぜなら、電話のバッテリーがへばっているので、40~50分も経過すると、ピピー・ピピーとけたたましい警告音が数秒流れた後、突然切れてしまうからだ。今日の電話でも、その警告音がなり始めるやいなや慌てて電話を切ることになった。長電話防止のためには、実に気の利くへばりかたである。

2月18日(月)

 明日の晩は、キノピーと丸ちゃんと、キノピーがバイトしているインド料理屋で夕食をとるという約束をしていた。しかし、スケジュール帳に書き忘れていたが、明晩は神奈川森林エネルギー工房の事務局会議がある。そのことを思い出し、キノピーと丸ちゃんに電話して、明日の夕食を来週に延期することにしてもらった。ところが、延期が決まった途端、インド料理を食べようという気分が来週まで持続するかどうか不安になり、また2人に電話して、今晩、一緒に食事できないと問い合わせることにした。キノピーからは了解が得られたが、丸ちゃんとは連絡がつかず、はっきりしないまま夕方になった。6時近くになって、丸ちゃんから電話が入り、今晩OKという返事をもらったので、7時半頃、件のインド料理屋がある池上に集まることになった。
 6時の段階で研究室にいた僕は、緑が丘―(大井町線)→旗の台―(池上線)→池上という最短ルートで行くと面白くないので、緑が丘―(大井町線)→自由が丘―(東横線)→多摩川―(多摩川線)→鎌田―(池上線)→池上という遠回りのルートで行くことにした。それでも、7時10分頃には池上駅に着いたので、ちょっと時間を潰すために、池上本門寺まで歩いてみることにした。本門寺に至る道路脇には老舗の和菓子屋さんがいくつかある。中でも僕の好きなくず餅が有名なようで、いくつかのお店を見ることができる。昼間に来れば、くず餅を食べたり、または甘酒を飲んだり、煎餅を囓ったりしながら、お参りすることができるんだなあと思い、日中の様子を想像してみた。きっと、なかなか雰囲気がある通りなのだろう。本門寺に着くと、加藤清正によるものと伝えられる立派な石段がある。そこで、小学生の高学年くらいの子どもたちが、石段の上り下りを競っている。つい子どもたちの走りに誘われて、僕も石段を駈け上る。そして、息を整える間もなく本堂まで足を運び、どこにということもなく手を合わせて踵を返し、また大急ぎで石段を駆け下りる。たった15分ほどの道草だったけれど、すがすがしい気分になった。
 7時半に池上駅に行くと、先に丸ちゃんは到着していた。すぐに、キノピーもやって来て、3人でインド料理屋「tara」に行く。メニューには載っていないが、カレーやナンが食べ放題になる3,000円のコースがあるというので、それを注文する。タンドリーチキン、カレー、ナンなど、すべて美味しかった。でも、どうしてなんだろう。今晩は、美味しさが喜びに変わらなかった。どうしてなんだろう。
 10時半に店を出た。キノピーがバイトしているので、お店の人がワイン代をサービスしてくれた。ありがたい。12時に帰宅。

2月19日(火)

 1時半に大学へ。明日、卒論の発表があるので、B4の学生が予行練習をする。それを聞きに来たのだ。発表まで間がないので、今さら何も言うべきことはない。東工大生らしい要領の良さを発揮して、無事に卒論発表をこなすことだろう。
 6時過ぎに研究室を出て、7時に横浜のかながわ県民活動サポートセンターへ。今晩は、神奈川森林エネルギー工房の事務局会議だった。十文字さん、辻本さん、土屋さん、それに僕の4人が集まり、主にNEDOの補助金にかんして話し合った。補助金の対称となったバイオマスサロンとシンポジウムについては、内容をまとめて報告書を作成しなければならない。正直、これを作っている余裕はないけれど、作らないとなあ。気が重い。
 打ち合わせは10時まで行なった。その後、土屋さんを除く3人で喉の乾きを潤し、12時半に帰宅。深夜、日本の竹ファンクラブの事務作業に取りかかる。まだメイリング・リストができていなかったので、とりあえず中心メンバーの情報交換・情報共有を図るためにリストを作る。これで、来月開催するフォーラムに向けての準備が円滑に行なわれると良いのだが。

2月20日(水)

 昼頃、お袋からファックス電話が突然に届いた。すぐに問い合わせると、知人の古くなったものがあるので呉れると言う。有り難いのだけれど、つい先日、バッテリが十分に充電できないことの効用を実感したばかりだったので、ちょっと気持ちは複雑。でも、家からファックスを送れるようになったのは、大きなメリットだ。専用のロール紙がないので、まだ受信はできないけれど。
 このお袋に掛けた電話で、弟の奥さん=千栄さんのお父様が亡くなられたことを知る。弟の結婚式でお会いしたきりであるが、その後体調が良くなかったと聞いていた。どうか安らかにお眠り下さい。
 夕方、歴民博の篠原さんが編集した『近代日本の他者像と自画像』を読了。これは論文集なので、面白いものとそうでないものとがあったけれど、総じて楽しめた。特に、小熊英二、小松和彦の論文が良かった。
 6時に研究室へ。今日は卒論生の発表会があったので、研究室でささやかな打ち上げがあった。M2の修論生、B4の卒論生、どうもお疲れさま。
 この打ち上げが始まった頃は、早々に切り上げて論文執筆に時間をかけようなどと考えていたのに、いつの間にか夜遅くなり、ついつい研究室で夜を明かすことに。4時頃からは、最後まで起きていたイコマロと途上国の開発・環境・文化についてトーク。ちなみに、こんなことを喋っていた。たとえば、環境は、地域的な文化を保全するために動員される普遍的な価値となっている。教育は穏和な啓蒙である、などなど。6時過ぎに研究室を出て、7時半に帰宅。8時、就寝。

2月21日(木)

 2時に起きる。多少、論文を書いたりしてから、6時前に家を出る。今晩は、桜木町にある横浜市市民活動支援センターへ。ここで、アリスセンター主催の「仮想企業人★対ボランティア戦略会議」という集まりに参加した。僕は、神奈川森林エネルギー工房の代表として、会の活動を紹介するとともに、NPOと企業との違いについて私見を述べた。コーディネーターを務めていた十文字さんからは、「企業のプレゼンみたい」と評されたが、誉め言葉なんだかなんなんだか。9日のシンポジウムで報告したときにも、「スマートすぎる」とか「自信持って話しすぎる」だとか「筑紫哲也みたいだ」などの感想を頂いたが、要するに、人間らしさに欠けて気に入らないということではないのか。学部生時代に「ロボット」と付けられたニックネームは、今でも有効なようだ。
 9時に集まりが終わり、4日連続の飲みとなる。来月17日に行なう十文字さんの送別会について、あれこれ企画を練る。僕は寸劇で朱鷺の役をやる羽目になりそうだ。かつて芝居をやっていたことが、こういうときに利用される。でも、嫌いじゃないけどね。どうせ演るならば、長い科白が欲しい。
 12時に帰宅。日本の竹ファンクラブのメイリング・リストにいくつか情報を流してから寝る。今晩中に編集・発行する予定だった「らびっとにゅうず」は明日に延期だ。

2月22日(金)

 昨日積み残してしまった「らびっとにゅうず」の編集・発行を午前中に終わらせる。昼過ぎに家を出て、ファックス専用のロール紙を購入する。一昨日、届いたファックス電話に紙が装着されていなかったので、これで今日からファックスを受信する準備が整った。
 昼過ぎに大学へ行き、図書館に取り寄せてもらった書籍と論文を受け取る。東工大の図書館は、自然系の資料ならば豊富にあるものの、人文社会系は手薄だ。僕のような人文社会系の研究者にとっては、ほとんど使えない図書館なのだ。だから、しばしば他館から資料を取り寄せるか、他館まで資料を取りに行く必要がある。こうした資料を集めるのに必要な郵送料や交通費が、けっこうバカにならない金額になる。もっと研究費を!
 研究室の机周辺が汚くなっていたので、整理整頓して、8時半に帰宅。11時頃、十文字さんから電話が入ったので、試しにファックスを送信してもらう。ファックス機能が故障していると聞いていたが、不必要に開いてしまうところを無理矢理ガムテープで押さえると受信できることが判明。今晩から、自宅でもファックスが受信できることになったので、そのことをみなさんにお知らせします。もちろん、ファックス番号は電話番号と同じです。
 夜を徹して論文を書いていたら朝の8時になってしまった。神奈川森林エネルギー工房の仕事で、10時に有楽町へ行く用事があったけれど、十文字さんに電話を入れて、これをキャンセルさせてもらう。9時、就寝。

2月23日(土)

 1時前に起きて、風呂に入り、1時半に外出。今日は、環境社会学会研究例会に出るため、法政大学の市ヶ谷キャンパスに向かう。3時頃、例会の会場となった法政大学55年館877室に到着。ちょうど、舩橋先生によるテーマ報告「飯島伸子氏の初期公害研究」が終わったところだった。参加者は50人程度か。舩橋報告に対しては、鬼頭先生がコメントした。
 大塚プロジェクト沖縄班でご一緒している鬼頭先生であるが(正確に言うと、鬼頭先生に誘われて大塚プロジェクトのメンバーに入れてもらったのであるが)、ここ1年間は先生がお忙しかったために、ほとんどお会いする機会がなかった。昨秋、気仙沼で開かれた環境社会学会セミナーはお会いする良い機会だったのに、あのときは僕が風邪を引いて、その機会を逃していた。だから、本当に久しぶりの対面となった。心臓の病気でお倒れになったと聞いていたが、お元気そうで何よりだった。
 さて、テーマ報告が終わると、休憩を挟んで自由報告に移った。東大院生の尾崎さんによる「公害被害地域の再生と被害者運動を題材に」(川崎の大気汚染裁判とその後のまちづくりについて)、三上さんの「『環境再生』の論点―東京湾三番瀬を事例に」、都立大院生の花岡さんによる「新潟水俣病資料館問題と被害者団体の相互対立」、以上3つの報告があった。尾崎さんの報告に対しては、僕が挑発的な発言をしたために、多少荒れたリプライがなされてしまった。鬼頭先生と中京大の成さんなどのコメントもあって、なんとか丸く収まったが。三上さんについては、「環境再生」の論点という着眼点が面白いと思った。今日の報告は予備的考察という位置づけだったので、まだ面白みに欠けていたが、十分に射程の長い研究であると感じた。花岡さんの新潟水俣病患者の対立に迫った研究は、よく調査しているなあと思ったけれど、重いし明るさが感じられないので、聞いていて辛くなった。こじれた人間関係をあぶり出した先に、僕らは何を求めているのか。
 6時に例会は終了。市ヶ谷駅まで鬼頭先生と歩きながら話し、そこで別れる。新宿南口の紀伊国屋に寄ってから、8時に経堂の実家を訪ねる。一昨日、お袋は京都に行って、千栄さんのお父様の告別式に参列したので、そのときの様子などを尋ねに寄ってみたのだ。実家に入って、まず気が付いたことは家がきれいになっていたこと。これを見るだけで、お袋の調子の良さが察せられる。最近、お袋はここで独り暮らしをするようになったのだが、彼女には良い方向に働いているようだ。なにしろ、還暦を過ぎて、初めて体験するひとり暮らしだ。それまで、近くにいる人を気にしない日は一日たりともなかったのだから、その解放感を十分に味わっているようだ。夕飯をいただきながらお袋と話をした結果、「ひとりは気楽で良い」という結論に達する。とは言え、僕はときどき寂しいと思うこともあるけどね。11時頃、実家を出る。帰り際、太巻き、うどん、米、バター、果物、図書券などを現物支給していただく。いつも申し訳ないと思うけれど。有り難や、有り難や。

2月24日(日)

 昼過ぎに篠原さんの『自然と民俗』を読み終える。民俗学が言う常民が動植物とどのようなかかわり方をしてきたのかを、篠原さんは丁寧に掘り起こし、広く蒐集している。とても民俗学らしい成果である。しかし、これを政策に生かそうとするときには、いろいろと注意しなければいけない問題がありそうだ。
 3時、町田市長選・市議選の投票に出掛ける。4時半、朝日新聞の勧誘員がやって来た。悲壮感を漂わせながら、ビール券を多く差し上げますから、朝刊だけでも、と懸命に僕を説得しようとするので、こちらも悲しくなって3ヶ月だけ契約した。つい2ヶ月前に、新聞とるのをやめたのに。あまりポリシーがない男だからね。
 5時頃、先日、留守電にメッセージが残っていた親父に電話する。暇なら飯でも食おうと誘われたので、今晩7時、新百合ヶ丘駅前で待ち合わせることにする。7時ちょうどに駅に着くと、すでに親父は待っていた。2人で駅の近くにある串焼きの店「とり一」に入る。少し値段設定が高めだっただけのことはあり、料理は全て美味しかった。親父はだいぶ白髪が多くなってものの、相変わらず元気そうだ。9時半に店を出て、そこからバスで家に帰る親父と別れた。酔っぱらった僕は、10時過ぎに帰宅するとすぐにベッドに倒れる。
 なぜだか、家族と過ごすことになった週末だった。

2月25日(月)

 今日と明日は、国立大学の二次試験が行なわれるらしい。だから、大学には入れない。ので、ほとんど家に居た。
 午前中から昼過ぎまでは論文を書いていた。推敲に推敲を重なるようなタイプではないので、適当に切り上げて投稿してしまう。まずは、締切の今月末に届くことが重要だからね。いくらでも後から書き直すことはできるはず。論文執筆と並行してやっていたのが、神奈川森林エネルギー工房の事務作業。事務局宛に報告書『解体木材からエネルギーを!? 11の提案』を送って欲しいだの、今月2日にやったシンポジウムの資料が欲しいだのとメイルが入っているので、これを一気に処理する。これを終えると、もう日が暮れかかっている。夕食には、一昨日もらってきた讃岐うどんを食べる。まとめて3束600グラムを食べたので、腹がふくれた。2束で十分だったはず。夜は、松井先生が編集する本に載せる論文を書く。が、大量の資料は研究室に置いてあるので、あまり筆が進まない。不健康な一日でした。

2月26日(火)

 昨日と今日は、国立大学の二次試験が行なわれているらしい。だから、大学には入れない。ので、ほとんど家に居た。昨日と同じやん。
 今日はほぼ一日中、神奈川森林エネルギー工房が主催したバイオマスサロンの報告書作りに追われていた。なんでこんなに負担が大きいのだろうと、ぶつぶつ不満を言いながら、仕事を進める。実際、裏方の仕事の大部分は、僕がやるしかないのは分かるが、それなら代表にならなくてもよいのにと、いらつきながら、仕事を進める。家に閉じこもりながら、あまりに不機嫌でいると悪い空気が沈殿してくるので、夕方になってから家の近くを散歩する。散歩して買い物をして帰宅すると、少しゆとりが出てくる。さらに気晴らしのために、料理を作ったり、それを食べたりして時間を潰していると、あっという間に深夜になる。ああ、いい加減、どこか遠くに行きたくなるよ。八重山もよいけれど、行くと調査してしまうからなあ。北海道か東北辺りの鄙びた温泉へ逃避行なんてのが、よいだろう。でも、そんな時間がないし、もちろんそんな金もない。しがないサラリーマンのエンドレスな独り言のようだ。

2月27日(水)

 9時に家を出る。10時、横浜駅から歩いて5分程度のところにある横浜ジャストに到着。ここで、神奈川県の新エネルギービジョン策定に向けた市民ワーキンググループ発足準備会議に出席する。2週間前の14日の会議の時には、初参加だったので要領を得なかったが、今回は2回目なので、前回よりも多く発言した。特に強調して言ったのは、新エネルギービジョンが策定される来年度末には、実を伴った事業をスタートできるような体制を創ることである。特に、自然エネルギーを推進する草の根の担い手を創り出すことの重要性を説いた。なんだか偉そうだが。
 12時に会議は終了。その後、他の委員のメンバー(佐藤さん、飯田さん、岩本さん、近藤さん)とともに昼食。ここでは、廃棄物の熱利用、すなわち、サーマルリサイクルが話題の中心となった。近年、国の方針として、リサイクルと廃棄物の熱利用を同等とみなし、サーマルリサイクルを推進してゆこうとしている。これに対して、ごみ問題を中心テーマとして扱っている飯田さんらは、資源でもごみでも何でも燃やせばよいという方向に傾くことを恐れて反発している。どちらも主張としては分かる。そして、このことは今後の廃棄物・エネルギー行政を考えるうえで、とても重要な問題だと思う。もっと勉強しないといけないなあと痛感。かなり密度の濃いランチタイムだった。
 1時半、神奈川県庁に行き、辻本さんと資料のやり取り。2時半、よこはま里山研究所NORAに行き、十文字さんと資料のやり取り。その後1時間ほど時間を掛けて、事務所に置いてある私物を整理する。4時過ぎから6時までは、バイオマスサロンの議事録づくり。6時過ぎ、NORAを出て関内駅へ。ここで再び辻本さんと会い、昼に渡し忘れた資料を差し上げる。7時、横浜駅で降りて、かながわ県民活動サポートセンターへ。今晩は、いよいよ来月3日に迫ってきた「もっともっともーっと神奈川ひなまつり」の事前打ち合わせである。定刻に到着したものの、誰も来ていない。しばらく待つと、川嶋さん、石田(静)さんが来て、それから杉浦さん、吉成さんも集まり、最終的に詰めておくべきことを詰める。10時、打ち合わせ終了。帰宅は、11時半。
 深夜、今日の打ち合わせ事項を議事録にまとめて、もっかな探検隊のメイリング・リストに送信。また、キノピーの送別会の日程調整をして、これは矢野土場研のメイリング・リストに送信。4時に就寝。

2月28日(木)

 2時過ぎに研究室へ。借用中の図書をコピーしてから、図書館へ行く。ここで借用図書を返却し、館外から取り寄せた論文を受け取る。このようにして必要な文献を集めるにも、けっこうお金がかかるものだ。貧乏学生にとっては、こうした出費がボディーブローのように利いてくる。
 研究室に戻ると、隣の部屋にコロンビアからの留学生・カルロスがいたので、次の日曜日に開催する「もっともっともーっと神奈川ひなまつり」に来ないかと誘ってみた。彼は青葉台に住んでおり、会場がある新横浜から遠くないし、また、コンサートが中心だから言葉が通じなくても楽しめるだろうと思って、招いてみたのだ。ちょうどその日は、カルロスも暇だったようで、快く来てもらえることになった。友だちも連れてくるという。Gracias Carlos!
 6時頃からは、自分の机の周りを整理整頓。それから、丸ちゃんや池ポンと話をしていたら、10時過ぎになってしまった。研究室に来てみたものの、事務作業と掃除とトークで時間が潰れてしまった。まあ、そんなもんでしょう。
 帰りの電車の中で、アマルティア・セン『貧困の克服』を読む。ベストセラーになっているから読んだものの、そんなに面白い本ではない。『自由と経済開発』のエッセンスをやさしく説いたような本という印象。
 今日で2月はおしまい。しばしば、「2月は逃げる」と言うけれど、あっという間に過ぎ去った1月だった。来月は、末日までに論文を仕上げないといけないので、もうちょっと頑張らないといけませんな。

TOP(日々の表現)雑記日記(2001/2/8-2003/8/25)

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