7月1日(日)
6月はすべての週末に用事が入っていた。今日は、久しぶりに用事のない週末日だった。
僕には、週末だからどこかに行くというようなこともないのだけれど、何も用事がないことを、ただ用事もなく過ごす日があってもよい。今日は、そんな日だった。ほぼ1日、ベッドの上にいて、寝転がっていた。ほとんど1日中寝ていた。ときどき起きて、キリンカップ「日本×パラグアイ」を見て、柳沢の活躍にしびれたり。今日から始まったTBSの日曜劇場を見て、「ちゅらさん」の恵達役・山田孝之君の演技をチェックしたり。本を数頁繰って眠くなったり。柔軟体操をしてみたり、そしてあらためて体が硬くなっていることを確認し、酢を飲むと体が柔らかくなるらしいことを思い出してみたり。シーツの上に落ちている髪の毛を拾い集めたり、そして頭髪が薄くなっていることを気にしてみたり、無駄な抵抗と知りつつ頭をマッサージしてみたり。首がなぜ凝るのだろうと自問し、鏡を見ながら自分の姿勢を見てみたり、そして突然、あいうえおいうえおあうえおあいえおあいうおあいうえ、と発声練習しながら、口がきれいに開いているかどうかをついでに鏡で確認してみたり。はあー、とため息をついたかと思うと、枕を抱きしめてみたり、そして誰に言い訳するのでもなく、「別にいいよ」と言ってみたり。そんなことをしながら、夜は更けてゆく。
7月2日(月)
僕は、セーフティーネットに助けられて生きている。たとえば、大学院の授業料は免除してもらっている。奨学金をもらっている。今住んでいる都営住宅の家賃は減額してもらっている。国民健康保険も免除してもらっている。
もちろん、こういう救済の手を差し伸べてもらうためには、定められた申請書類を作成し、必要とされる書類を添付して、しかるべきところにお願いする必要がある。たとえば、今年度下半期の家賃を減額してもらおうとするならば、今週末までに申請手続きをしなければいけない。締切ぎりぎりに書類を集めようと思うと、失敗することが多いので、今日の午後に、住民票と非課税証明書を取りに行くことにした。
少し前までならば、こうした書類は町田市役所まで取りに行かねばならなかったが、今は町田駅のすぐ近く市役所の出先があるので楽だ。素早くゲットして、NORA=よこはま里山研究所のある蒔田に向かう。NORAに着いたのは3時頃。それから、十文字さんと打ち合わせをする。6時過ぎになったのでNORAを出て、地下鉄で蒔田から横浜へ移動。かながわ県民活動サポートセンターに行く。
夜は、ストップ温暖化ネットワークの打ち合わせ。会合の中身は、先月、横浜駅西口で催したイベント「環境にやさしい暮らし」の反省や、秋に開催するイベントについて県からの説明があったりした。会議は9時前に終了。その後は、県職員とNPOとの親睦会。という名目の飲み会。11時頃お開きとなる。
7月3日(火)
ここしばらく、朝起きられなかったために、昼に「ちゅらさん」を見ていた。しかし、今日は久しぶりに朝に目が覚めたので、朝の「ちゅらさん」を見ることができた。やはり、朝に見る方が昼に見るよりも気分がよい。「朝の連続テレビ小説」だし(理由になっていないような・・・)。
しかし、せっかく朝起きられたのに、「ちゅらさん」を見終わるとまた寝てしまった。起きると12時前。いつもと同じパターンだ。昼に、今日2回目の「ちゅらさん」を見て、それから家を出る。3時頃、研究室に到着。今月下旬から行く沖縄調査の準備などをして、時間を費やす。
夜6時過ぎからは、研究室主催のちょっとしたパーティーがあった。7月生まれのニロリン、キノピー、加藤君、そして僕の誕生を祝うと共に、前期の終了を祝っての打ち上げがあったのだ。今回はゲストだったので、ほとんどこのパーティーの準備にタッチしていなかったが、知らぬ間に学部学生や修士の学生が、折り紙を駆使して研究室をささやかに装飾し、ケーキと食事、アルコールなどを用意してくれていた。また、生演奏で「ハッピーバースデイ・トゥー・ユー」を唄ってくれたうえに、寄せ書き風のバースデイ・カードまでもらってしまった。これまで、寄せ書きをもらった覚えがなかったので(いや、振り返ってみると、かつて2度もらったことがあったけど、無くなってしまって手許にはない)、カードはかなり嬉しかった。
10時前にパーティは終了。それから、自由が丘の「カラオケの鉄人」に場所を移し、2次会を楽しむ。3月に小浜島に居たとき以来のカラオケであった。10年前ならば、絶対にカラオケに行かなかった自分が、今は誘われればついて行くし、ときどきは積極的に行ってみたいと思うのだから不思議だ。
7月4日(水)
アメリカ独立記念日。それとニロリンの誕生日。
昼の「ちゅらさん」を見てから、免許更新のため町田警察署に行く。小1時間で手続きを終えた後、東京都住宅供給公社の町田支所を訪れ、住宅使用料減額を申請する。ここまでで、すでに夕方の4時。それから、町田駅近くに最近2軒目ができた大戸屋で遅い昼食をとる。エスプレッソコーヒーを3杯飲んで粘るが、5時頃には店を出る。それから6時過ぎまで、中途半端に時間が空いたので、駅周辺の椅子に腰掛けて、夕涼み。6時を過ぎ、町田駅からJRに乗って、横浜駅へ向かう。7時から、かながわ県民活動サポートセンターにて、神奈川森林エネルギー工房の運営委員会に出る。今日は、あまり議題がなかったのに、閉館時間の10時まで打ち合わせ。帰り道、夕食として牛丼を食べて帰宅。家に帰ってから、ビデオで録っておいたキリンカップ「日本×ユーゴスラビア」を観戦。試合会場の気温が暑かったためか、なんとなくかったるい展開で盛り上がらない。結果は、1-0で勝ったけど。でも、なんでパラグアイから呼び出した広山を出さないのか。
7月5日(木)
食事代を抑えたいのは、あまりお金を持っていない1人暮らしの学生ならば、誰しも考えることであろう。僕もそのうちの1人である。だから、食事にお金を出すときは、量が少ないと大いに不満だ。
一般に外食するとき、昼食の方が夕食よりもサービスが良い。ドリンクバーが付いたり、ライスのおかわりが自由だったり、キャベツが食べ放題だったり。また、バイキング形式のサービスを提供してくれる店もある。こういうわけで、昼食にお金をかけて腹一杯食べ、夕食はパンなどでしのぐことが多い。今日も、ドリンク飲み放題、ライスおかわり自由の店で鉄板料理を食べた。
ライスのおかわりが自由であっても、おかずが少なかったり、味付けが薄いと、メリットを生かしにくい。そこで、自ずとおかずの量もそこそこあって、味付けが濃いめの料理を出すお店に足が向かう。今日行った自由が丘にある鉄板料理の店「GAIA」は、そういうお店の1つであろう。十分にランチサービスの恩恵に与ったように思う。
そういえば、昔、牛丼の吉野屋でこんな人にあった。たしか、明け方だったと思う。その人は店に入ってくるなり、牛丼(並)1つとライス2杯を注文した。ユニークな注文をするなあと思い、どんな風に食べるのだろうと注意深く観察していると、すぐに注文の品が出てきた。その人は、なんと牛丼(並)をおかずにして、ライスを食べ始めたのである。もちろん、牛皿(並)ではないから、牛丼のどんぶりにもライスが普通に入っていた。
その人の身なりは、汚かった。あまりお金を持っていないようにみえた。だからこそ、お金を節約しながらも腹一杯食べようとして、牛丼(並)1+ライス2という注文の仕方をしたのだろう。昼飯時に、腹一杯食って、なおかつ安く済ませる方法を考えながら街をうろつくとき、僕はいつも、明け方の吉野屋を思い出すのだった。
エッセイ風になってしまった。ちょこっと日記風なものを。
ベーシックS。3時から土場研のゼミ。エリクソンのアイデンティティについて、土場先生の講義があった。夜は8時過ぎに、研究室のメンバーと大学からまあまあ近いところにある「ぽっぷ」で夕食をとる。僕は、日替わり定食を食べた。この店では、これまで3回食事をしたことがあり、毎回、日替わり定食を頼んでいる。しかし、いつも同じで、ジャンボメンチカツとシューマイのセットだ。全く日替わりしていない。
7月6日(金)
夕方まで家の中で事務作業をしていた。しかし、お金のもらえる仕事ではない。ボランタリーワークだ。最近、活動にかかる時間が長いのが、ちょっとした悩みの種だ。
今日やっていた事務的な仕事(たとえば、議事録を作ったり、会計の帳簿を付けたり、ささやかな会合を開くために講師を招く準備をしたりなど)は、あまり評価されることがないけれど、僕は好きだ。フィールドに出て、老若男女に話を聞くのも好きだけれど、室内で地味な仕事をするのも悪くない。
夕方に家を出て町田で少し散歩。それから、桜木町まで行く。7時から野毛にある鰯料理の店「岩田屋」で飲み会があったのだ。この会は、通称「怪しい飲み会」(次世代緑地保全戦略会議とも言うらしい)と呼ばれていて、年に1~2回行なわれる。集まるメンバーは、神奈川、緑、若手という3つのキーワードに引っかかる人たちで、今晩は30人くらい集まったようだ。半分くらい初対面の人がいたが、久しぶりに会った河合さん、北洞さん、岩間くんらと話をしていたら、11時を回ったので、初対面の人とはあまり話をすることなく、店を出て帰路を急ぐ。横浜方面から帰宅するときは、たしか11時半に出ても終電に間に合わない。だから、早めに店を出たのだけれど、やはり終電での帰宅となった。
7月7日(土)
七夕。「ちゅらさん」において奇跡の起こる日。
朝、「ちゅらさん」を見る。昨日の放送で、ナレーション(オバア)が、「明日は見逃さないように」と言っていたので、かなり意気込んで見る。しかし、先週土曜日の放送のなかで、今週の予告が流れていたので、どんな奇跡が起こるのかは、だいたい予想はついていたが。
8時半に「ちゅらさん」を見終わる。僕は、リアリストだ(と自認している)から、美しいフィクションにいちいち感動しないのだけれど、今朝はうるうるしてしまった。きっと、ロケ地が小浜島だから、必要以上に感情移入してしまうのだと思う。
今日の最後のシーンで、恵里と文也が抱き合ったあの丘、ヨナラ水道の奥に由布島と西表島が見えるあの丘を、僕は知っている。「ちゅらさん」の放映がきっかけとなって、これまでほとんど目が向けられることのなかったあの丘を訪ねる人は、増えるに違いない。ロマンティックな女性が、思いを募らせる男性を待つ名所となるかもしれない。何かを期待してやって来る観光客の数は急増するだろう。でも、小浜島はサトウキビ畑と牧場が広がる農業が中心の島である。派手な島ではない。観光客が、(僕の愛する)小浜島に愛想を尽かさないとよいのだけれど。
10時に恩田の谷戸に行き、12時まで雑木林広場の周辺の草刈り。今日は、あまり蒸し暑くなかったので良かった。真夏の草刈りは、本当に重労働だからね。12時に谷戸を離れて帰宅。ちょっと昼寝すると、すでに夕方。アリスセンターのMLを編集・発送したり、サイトの書き換えなどをする作業をするため、夜の7時から恩田の谷戸ファンクラブ主催で行なわれるナイト・ウォークには参加しないことにした。9時前にいったん外出して買い物をする。11時過ぎ、珍しく用事もないのに友人に電話をする。が、なぜか愚痴をこぼしてしまう。普段から、何か鬱積しているものがあるのだろう。だから、あまり電話したくないんだよな。
7月8日(日)
部屋の中がどことなく臭い。理由は、腐ったキムチにある。
昨日、冷蔵庫を整理していたら、2年前に買ったキムチの残りがあった。いつか捨てよう、捨てようと考えていたが、きっかけを逃してこれまで捨てなかったので、意を決して、生ゴミとして捨てることにした。臭いが酷かったので、漏れないようにジップロックに入れて捨てた。しかし、なぜか少し臭いが漏れる。あいにく、生ゴミの回収日まで2日間あるので、今日を入れて2日間は、この臭いとともに生活しなければならない。
ところで、今日も事務作業に終始した。昨日の続きでアリスセンターのサイトの書き換えを行なったほか、今月23日に開催する「バイオマス・サロン」の広報宣伝、神奈川森林エネルギー工房のサイトの書き換え、恩田の谷戸ファンクラブの会計処理などをしていた。金曜日からずっとこうした作業をしてきたので、やっと一段落着いた感じだ。ついでに、自分のHPにも手を加えようと、GALLARYの拡充を試みるが、途中で面倒くさくなって挫折。でも、近日中にサモア編をアップできそう。
昨晩と同じように、夜の9時前に家を出て、駅前にあるスーパー三和に買い物に行く。9時が閉店の時刻だから、蛍の光が流れているなか、3分程度で買い物をすます。卵、納豆、豆腐、コーンフレーク、牛乳、野菜ジュースなど、そのまま食べられるものばかりを買う。夏に火を使う料理をすると、部屋が暑くなって不快だから、冷たいまま食べられるものを好んでチョイスしたのだ。
7月9日(月)
昼の1時、神保町にある日本教育会館で行なわれた、NEDO主催の補助金にかんする説明会に出席する。神奈川森林エネルギー工房としては、先月から開始したバイオマス・サロンと、今年の年末頃に計画しているシンポジウムについて、普及啓発事業として補助金を交付してもらうよう申請する予定である。今日の説明を聞く限りでは、申請すれば交付が受けられそうな感じだった。
この説明会で、かなりご無沙汰していた人に遭遇した。それは、会社員時代の先輩の新島さんであった。久しぶりに会ったが、元気そうに見えた。最近、プレックも新エネルギービジョンの策定を受注し始めているらしく、バイオマスエネルギーへの関心も高いようだ。そういえば、6月のバイオマス・サロンには、プレック時代の同期の酒井が来ていたな。
説明会の終了後、新島さんからお茶を誘われたので、少しの間だけ、神保町の喫茶店でお互いの近況を報告する。プレックに戻りたいとは全く思わないけれど、離れた位置から前の会社を眺めると、ポテンシャルを生かし切れていないように思えて、とても歯がゆく感じる。辞めた会社だけれど、魅力的な会社であって欲しいと思う。新島さんにはコーヒーをおごっていただいた。どうも有り難うございました。
新島さんと別れ、神保町の古本屋街を歩く。学部3,4年生の頃は、足繁く通った街だが、最近は歩く機会がめっきり減った。古本屋街を歩くのは、ただただ楽しい。
夕方5時過ぎに研究室に到着。しっちゃかめっちゃかになっている書類の山を片付ける。それをしているだけで、時間がどんどん経過する。途中までしか整理できなかったが、11時を回ったので帰宅。
7月10日(火)
最近、引きこもりがちだ。今日もずっと家にいた。暑くて外に出たくないというわけでもないのだが。あと2週間もすれば、80日間の調査が待っているのだから、こういう時があっても良いか。
朝の5時頃の話。起きていたら、家の近くでカッコウの鳴き声が聞こえた。この時期まで鳴き声が聞こえるということは、きっと近くの森で繁殖したのだろう。そう思って、鳴き声の方角に目をやると、なんと隣の棟のアンテナに乗ってカッコウが鳴いているではないか。あわてて、バードウォッチング用のプロミナ(単眼鏡)を三脚にセットして、20倍に拡大して見てみる。目の周りの黄色と、喉の辺りの薄紅色がよく見えた。久しぶりにプロミナを押入から取り出したけれど、朝のバードウォッチングは気持ち良い。
昼過ぎ、友だちの女性からメイルが届く。結婚するそうだ。めでたいですな。有り体だけど、末永くお幸せに。
んー、結婚かあ。僕にとっては、だいぶ先の話としか思えない。その先が無限遠+∞でないことを祈る。ずーっと独りで、墓場まで歩いていくのは寂しそうだ。
7月11日(水)
セブンイレブンの日(たぶん)。
朝、MLBのオールスターゲームをやっていた。特に興味はない。
昼頃、研究室に到着。すぐに研究室の校費カードを借り、文房具などを買いに自転車で大岡山のキャンパスにある生協へと向かう。歩いても大した距離ではないけれど、自転車を使えば快適さ。周りの木々に目をやりながらペダルを軽快に踏んでいると、生協に到着。さあて買い物するか、と思う間もなく、なななんと、校費カードが無い!カゴに入れておいたのに、どこかに行ってしまった。おそらく、カゴの隙間から落ちたものと思われる。慌てて来た道を逆に戻りながら、カードを探すけれど、一向に見当たらない。今日は、いい気分になれる日だと期待していたのに、のっけから不快な気分だ。
ところが、夕方から事態は好転する。まず、紛失したと思われた校費カードを発見した人がいて、わざわざ研究室まで届けてくれた。発見者の方、有り難うございました。ラッキー1。次に、助手の橋本さんが、マルチネスと僕を夕食に誘っていただいたうえに、多少大目にお金を出して下さった。橋本さん、有り難うございました。ラッキー2。トータルでみれば、今日はけっこうセブンイレブンだったかも。
7月11日(水)
8時過ぎにいったん起床。「ちゅらさん」を見ようと待ちかまえていたが、いつの間にかそのまま寝てしまう。次に目覚めたのは10時過ぎ。仕方がないから、昼の「ちゅらさん」を見てから家を出る。
2時過ぎ、研究室に到着。3時から土場研のゼミに出る。4時半頃から7時前までは、研究室のメンバーとトーク。7時に二子玉川へ。今晩は親父と食事だ。
改札口を出ると、すでに親父は待っていた。駅前の華やかさのなかで、親父は意外に格好良く見えた。服のセンスも悪くない。また、改めて親父の顔を見ると、けっこう良い顔をしている。髪はかなり白いが、なぜか肌はきれいで艶がある。水泳を13年も続けているためだろうか。いずれにせよ、自分も年を重ねたときに、こんな感じに年をとるなら良いなあと思った。
食事をしたのは、高島屋の裏にある「井門」という店。偶然にも今日が開店日だった。このため、店員の表情にも緊張感が見て取れる。必死さが伝わってくる。そういう姿を見ると、すぐにシンパシーを感じて応援したくなる。だけど、そう感じるのは一瞬だけ。こういう感情を持ち続けていたら、いくつ体があっても足らない。しょせんは薄情なのか。この店にも、二度と行くことはないだろう。
夕食をおごってもらったので、食後のコーヒーは僕がおごった。おごった金額の0の数が2つも少ないけれど。親父、貧乏でごめん。
7月12日(水)
8時過ぎにいったん起床。「ちゅらさん」を見ようと待ちかまえていたが、いつの間にかそのまま寝てしまう。次に目覚めたのは10時過ぎ。仕方がないから、昼の「ちゅらさん」を見てから家を出る。
2時過ぎ、研究室に到着。3時から土場研のゼミに出る。4時半頃から7時前までは、研究室のメンバーとトーク。7時に二子玉川へ。今晩は親父と食事だ。
改札口を出ると、すでに親父は待っていた。駅前の華やかさのなかで、親父は意外に格好良く見えた。服のセンスも悪くない。また、改めて親父の顔を見ると、けっこう良い顔をしている。髪はかなり白いが、なぜか肌はきれいで艶がある。水泳を13年も続けているためだろうか。いずれにせよ、自分も年を重ねたときに、こんな感じに年をとるなら良いなあと思った。
食事をしたのは、高島屋の裏にある「井門」という店。偶然にも今日が開店日だった。このため、店員の表情にも緊張感が見て取れる。必死さが伝わってくる。そういう姿を見ると、すぐにシンパシーを感じて応援したくなる。だけど、そう感じるのは一瞬だけ。こういう感情を持ち続けていたら、いくつ体があっても足らない。しょせんは薄情なのか。この店にも、二度と行くことはないだろう。
親父とは、互いの近況を話し合った。来月、親父は61歳になる。もう、いつでも仕事を辞めてもよい年齢だ。僕は親父に、仕事を辞めて、写真を撮ったり、陶芸を始めたりしてみたらどうかと促した。また同時に、PCを買って、僕らとメイル交換しようと誘ってもみた。でも、親父は仕事を続けるだろう。それはそれで、親父らしい生き方だとも思うけれど、中学を卒業してから45年も働き続けてきたのだから、もうこの辺でいいんじゃないのとも思う。
夕食をおごってもらったので、食後のコーヒーは僕がおごった。おごった金額の0の数が2つも少なかったけれど。親父、不肖な息子でごめん。
7月13日(金)
13日の金曜日。キャー!(なんと投げやりな・・・)
昼過ぎに家を出て、蒔田にあるNORA=よこはま里山研究所へ。途中、町田で借りていた本を返却。3時頃、NORAに着く。十文字さんに、NEDOの補助金申請用紙を渡し、そのかわりに、住宅生産団体連合会の助成金申請用紙を受け取る。十文字さんも僕も、これから申請書類をつくらなければいけない。一方、NORA代表の吉武さんはひどい腰痛で、椅子に座っているのも辛そうな状況だった。僕は、慢性的な肩こりだけど、腰痛には困ったことがないので、吉武さんの辛さが分からない。くれぐれもお大事に、と言うよりほかない。
3時半頃にNORAを出て、関内にあるアリスセンターへ。昨年までは、1週間に最低1回、多いときは2、3回足を運んでいたのに、今年は1月に1回程度のペースでしか来ていない。今日、遊びに行ったのも、およそ1ヶ月ぶりだった。アリスには、土屋さんと川嶋さんと宮地さんが居た。
ところで、NPOの関係者には、なぜか沖縄に詳しい人が多い。昨年、「もっともっともーっと神奈川!」の出版記念パーティーをやったとき、最後に「安里屋ユンタ」を唱ったのだが、どういうわけか、多くの人が歌詞の間に合いの手を入れることができた。これには、大いに驚かされた。それ以来、NPOと沖縄との深い関係について気になっている。そして、宮地さんも、NPO関係者に大勢いる沖縄通の1人である。僕の調査地が、「小浜島と竹富島と西表島です」と言うと、「それじゃ、竹富町の島ってことね」と答えたりする。当然、八重山についても詳しいので、2人で沖縄談義に花を咲かせた。の話をした。
宮地さんが帰ってからは、川嶋さんと土屋さんとおしゃべり。僕は、この2人とのおしゃべりがとても好きだ。すごく元気になる。自分も、この2人と同じく「おばさん」だったらなあ、と思うときもある。
川嶋さんが帰ってからは、土屋さんと話をした。土屋さんは、NPOに対する理想が高く、またNPOを体で表現しているような人なので、話をするたびに刺激を受ける。小1時間、話をしただろうか。最後には、自分のやりたいことをやることがNPOの大原則であることを、いま一度確認させてもらった。視界が若干明るくなった気がした。
7月14日(土)
最近、涙を流すことが多い。どうしようもなく、ただ、ぽろぽろと溢れてくるのだ。理由は、乾燥した空気と風の強さにある。そう、コンタクトレンズをはめた目にゴミが入るのだ。ハードを使用している僕にとって、風が強い日ほど嫌な日はない。最近、そういう日が多い。そこで、今日はサングラスを掛けて家を出ることにした。
さて、いつも通り、昼過ぎに家を出ると、その瞬間からサングラスの効用を実感する。これまで、あまり意識したことがなかったが、風の強い日は、ゴミが入らないように目を緊張させて歩いていたようだ。だから、サングラスをして歩くと、余分な緊張感がないので楽ちんだ。さらに、強い日差しを遮ろうという目の緊張からも解放されて、目玉が喜んでいるようだ。幸先の良いスタートである。気分が良かったので、自由が丘の駅前で行なわれていた募金活動に協力したりなんかする。
3時頃から、研究室に籠もる。しばらくすると、小浜島で一緒にキビ刈りをした仲間の1人のユウタから携帯に電話が入った。「よう、ひさしぶり。今、どこ?」と所在を訪ねると、「佐渡です」と言う。今日、佐渡入りしたらしい。それから、20分近く、お互いの近況を伝え合う。ユウタは小浜島を出て、石垣島、沖縄本島、屋久島と島を渡り、九州の西側、本州の日本海側を通って、佐渡島に着いたと言う。途中、屋久島の宮之浦岳、雲仙の普賢岳などにも登り、出雲大社、鳥取砂丘、天橋立など、日本海側の名所も訪たようだ。このくそ暑いなかを、重い荷物を載せた自転車のペダルを、毎日漕いでいるユウタの様子を想像すると、しんどそうだなあと思うと同時に、やってみたいなあとも思う。電話を切る際に、10日後に八重山に行くことを告げ、小浜島に行ったら連絡すると告げた。ユウタも、北海道に着いたら、連絡を呉れると言ってくれた。ユウタのほか、マサさん、ナリちゃん、カズさん、タクちゃん、ヒロさんも、日本のどこかを自転車で、あるいはバイクで走っている。また、小浜島で会えると嬉しいのだが。
夜11時過ぎ、自由が丘駅で、横浜方面の東横線を待っていた。研究室で聞いていたダイア・ストレイツの「ブラザーズ・イン・アームズ」が頭の中を流れた。同時に、小浜島のキビ刈りのことを思い出し、そして、話を伺った小浜島の、竹富島のオバアの顔が浮かんできて、なぜだか目頭が熱くなった。目にゴミが入りすぎて、涙腺が緩んでいたのか、理由もなく目に涙が溢れるのだった。
7月15日(日)
昨晩は徹夜した。なんとなく夜更かししてしまった。朝の7時に寝て、昼の1時に起床。
今日は、3時から日本の竹ファンクラブの会合に行くことになっている。2時前に、そろそろ家を出ようと身支度を整えていると、とんでもないことに気付いた。このとんでもないこととは、あまりにとんでもないので、ここに書き記すことはできない。が、とにかく僕にとってとんでもなく悪いことが生じたので、急遽、3時からの会合はキャンセルして、事態の収拾に努めることにした。
すぐに対応したが、今日の時点では、相変わらずとんでもないままである。再来週からの現地調査の準備をするために研究室に行ってみるが、ショックが大きすぎて何もする気がしない。
今日は、なんのこっちゃ分からない日記となったが、分かり易いように書き直す気力も起きない。
7月16日(月)
今日は、直人さんの誕生日。元気にしているのかな。
さて、今日は総じて良い日だった。まず、昨日起こった「とんでもないこと」が、単なる思い違いであることが判明した。今日になってやっと白状できるが、昨日は、お袋に返すために用意していた10万円を紛失したと思い、かなり焦った。どこにあるのか記憶を辿った結果、自由が丘駅前にある東京三菱銀行のCD機に置きっぱなしにしたと確信し、駅前の交番に紛失届けまで出した。しかし、である。昨日はいくら探しても見当たらなかった10万円が、ひょっこり机の上に積み重ねられた本と本との間から出てきたのだ。単なる勘違いだったわけだ。良かった良かった。それにしても、無理矢理記憶を辿ると、出鱈目なストーリーを頭の中ででっち上げるものだ。
次に良かったことは、1月に行ったサモアでお世話になった早乙女さんと連絡が取れたこと。海外青年協力隊の任務を終え、6月には帰国すると聞いていたのだが、連絡先が分からず途方に暮れていた。仕方なく、昨晩、きっと届かないだろうと思いながらもサモアのアドレスにメイルを送信した。そうしたら、なんと、今日の昼頃に早乙女さんからメイルが来たではないか。てっきり、僕のメイルが届いたので、それに返事を寄こしてくれたのかと思ったら、そうではなかった。僕が送ったサモアのメイルアドレスは死んでいるので、結局は届かなかった。それなのに、ちょうど良いタイミングで「帰国しました」とメイルが届いたのである。偶然とは楽しい。
最後に良かったことは、ごくごくささやかなこと。夕飯を、研究室のメンバーと「ひろ本」で食べに行ったのだが、僕の注文したジャージャン麺は、注文した料理のなかで最後に出てきた。たぶん、注文してから小1時間は経っていたように思われる。ここまでだと、単に悪い話であるが、食べ終わって代金を支払うとき、大盛り料金の分だけ(100円か150円)まけてくれた。なんか、いいさー。
7月17日(火)
昨日に続いて、昼前に研究室に到着した。昼に目覚めて、2時とか3時とかにようやっと研究室に到着するような怠惰な生活から、脱却しつつある。そう。朝、起きることに成功しているのだ。
僕は考えた。なぜ、朝、起きられないのか。次の結論が導かれた。ベッドの寝心地が良いからだ。だから、一度目が覚めても、すぐにまた眠ってしまうのだ。これを避けるためには、寝心地の悪いところに寝るのが良いはずだ。このように考え、一昨日の晩から、台所の床の上に寝ることにした。ここで寝ていると、目覚まし時計が鳴ったときに、ぱっと目覚めることができ、再び寝ることもない。こうやって、朝起きることに成功した。
しかし、である。このようにして起きることにも問題があった。昼を過ぎた頃から、猛烈に眠くなるのだ。今日の2時から5時くらいまでの間は、ほとんどまどろみながら椅子に座っていた。結局、きちんと睡眠を取らないと駄目だということか。
夜7時半から、同じどどど企画のメンバーだった刀根さんと新宿で食事。おでんとじゃこ飯が売りの「でん」とかいうお店で食べた。人気があるらしく、僕らも20分程度待たされた。たしかに料理は美味しかったが、ただそれだけとも言える。高い金を出して、美味いものを食っているだけじゃ、どんなヤツでもできるからね。
7月18日(水)
午前中は家で待機。午後3時に東京農工大の鬼頭先生のところへ行く。今年から、僕も西表島を対象にした調査を本格的に行なう予定なので、昨年、鬼頭先生が入ったときに集めた書類のコピーを一式いただくために、研究室まで伺ったのだ。鬼頭先生は、4時からほかの用事が入っていたので、それまでの間で、資料をいただいたほか、若干の情報をご提供いただいた。その後、鬼頭研の冨田君と6時近くまでトーク。今、彼が調査している霞ヶ浦のことについて話を聞くほか、ビオトープについても熱く議論する。
冨田君との議論のなかで、一番面白かった話題は、白神山地を取り上げた先々週のプロジェクトXについてだった。番組は、秋田県側の鎌田孝一さんを中心に描いた感動的なものであったが、これに対して青森県側の人が取材が一面的であるとして猛反発をしているのだという。僕は、この番組を見ていたときから、これはちょっと問題有りじゃないかなあと思っていた。つまり、白神山地の保護に多くの人々がかかわった/かかわっているという事実が見えにくくなっていたので、番組を見て不満に思う人はけっこういるだろうと考えていたのだ。そして、その危惧は当たってしまった。
NHKは、演出上、白神山地を大規模林道の建設から守るというプロジェクトを感動的に見せるために、1人の運動家に焦点を当てて番組を作り上げたのだろう。それは、青森県側の人が言うように、一面的過ぎたかもしれない。しかし、一般に物語とは、そのようにしか描けないようにも思う。もちろん、多声的に描くこともできるだろうが、どうしても抜け落ちるところはある。だったら、番組を見る側が、ドキュメンタリーを見るときでも、これは一面的な物語に過ぎないとして見る方が良いようにも思う。白神山地をテーマにした続編として、青森県側の人を中心にしたプロジェクトXを作って、2つの番組を比較する方が、2つの県の人が納得する1つの物語を作るよりも面白いように思う。
夜7時、借りていたお金10万円を返すために実家に行く。それなのに、自宅に10万円を置いてきてしまった。実家に寄った意味がまるでない。夕飯をいただいて、10時過ぎに帰宅。何やってるんだか。
7月19日(木)
朝9時過ぎ、そろそろ外出しようと思って、洗面台の鏡を見ながらコンタクトレンズを入れようとしたとき、見事に入れ損なって、レンズをどこかに亡くしてしまった。亡くした方向から直感的に、レンズは洗面台の流しの穴に落ちたものと思った。このため、あわててハローページをめくり、水道工事の会社にフリーダイヤルで電話をかけた。電話に出た男は、流しに落としても、その後に水を使用していないならば、きっとレンズを救出できるだろうと言う。工事費を尋ねると、約8,000円だと答える。レンズを買い換えるよりも安上がりだから、工事をお願いすることに決める。今日は自分の誕生日だというのに、のっけから、不注意ゆえに余計な出費を支払うのかと思い、気分が暗くなる。ところが、工事を依頼して電話を切ってから1分もしないうちに、洗面台から遠く離れたところで、コンタクトレンズを発見。再び水道工事の会社に電話をして、レンズを見つけたことを報告。無駄な出費を抑えることができたことを嬉しく思う。結果的には、単に独り相撲を取っていただけだったのだ。
両目にコンタクトレンズを入れてから、隣り駅の町田に向かう。まずは、市役所の支所みたいなところで、参議院選挙の不在者投票を済ませる。選挙日には東京にいないので、生まれて初めて不在者投票に出かけたのだ。普通の投票の仕方と異なり、投票用紙を折り曲げず、二重の封筒に入れてから投票箱に入れる。こういうことは体験しないと知らないことですよね。投票を済ませた後、会場となっている建物の1Fで、かねてから買おうと思っていた「町田市史(上・下)」を売っていたので、これを購入。八重山の調査を始めて以来、郷土史に関心を持つようになり、まずは足元から調べてみようと考えていたので、上下巻で5kgにもなる分厚い本を買ってみた。
次に、その場所から歩いて1分のところにある「高原書店」に寄る。この古本屋は、最近、場所を移したので、新装開店を記念して、通常価格より3割値下げしているのが嬉しい。ただし、移転前の方が、レイアウトが良かったけどね。その悟、市立中央図書館に行って、取り寄せてもらった図書を受け取る。午前中に購入したり借用したりした本だけで、かなりの重量になったので、コインロッカーにそれらを預けて、12時過ぎに横浜に向かった。
1時半に、お茶大の院生で、昨年、僕と同じ時期に小浜島を調査していた加賀谷さんと待ち合わせ。昨年度執筆した卒論を提供してもらった。お返しとして僕は、八重山の中間報告を差し上げた。用件はそれだけだったが、開発、文化、ジェンダーなどについて話をしていたら、あっという間に6時になる。2人とも考え考え話をするためか、やたらに時間が経つのが早い。6時過ぎに加賀谷さんと別れ、横浜線で町田まで。行きと同様、帰りも買い物をするために途中下車する。帰りには、ヨドバシカメラでICレコーダーを購入。次の調査から、使ってみようと思う。ほかに、リブロで本を立ち読みしてから、10時過ぎに帰宅。家に帰るなり、メイルをチェックすると、「お誕生日おめでとうございます」というタイトルのメイルが来ている。誰からかと思い、視線を左にずらすと「ニフティ株式会社」。全然、嬉しくねえー。だけど、よく見てみると、弟とお袋から、メイルが届いていた。有り難いことだと思って、メイルを読んでいると、携帯が鳴った。出ると、親父からだった。
家族全員から誕生日を祝われるなんて、こんなことは初めてである。気味が悪い。自分が不治の病に罹っているのではないかと疑ってみたくなる。「正治は、どうやら持って半年の命らしい」とかなんとか、陰でささやかれているのではないか。そのように想像をたくましくすると、死への恐怖が大きくなる。怖いよー、恐ろしいよー。キャー!誰か助けてー!(アホくさ)
おいおい、せっかくの誕生日の日なんだから、この世に生を授かったことを喜ぼうじゃないか。家族はもちろん、いつもお世話になっている僕の友人・知人・変人に感謝。
7月20日(金)
海の日。
「ちゅらさん」海の日特集として、ドラマの第1週分「美ら海の約束」が9時半から再映された。しかし、1度見ているのであまり興味が湧かない。一応、テレビを点けていたけれど。番組が終了しても、そのままNHKに番組を合わせていたら、水俣の家族を扱った番組が始まった。なんとなく見始めたら、最後まで見てしまった。僕はまだ水俣を訪れたことがないけれど、環境社会学を専門としている者として、魚が戻ってきた現在の水俣の海を見てみたい。
午前中はテレビ漬けだった。午後は、八重山調査に向けて、資料を整理したり。たとえば、西表島大富地区の環境アセス書を読んだりして時間をつぶした。また、眠くなったので、5時から8時までは昼寝。というか、夕寝。
ところで、仕事をしているときには、しばしばアセス書に触れる機会があったが、今日は本当に久しぶりの対面だった。相変わらず、そしてご多分に漏れず、今日読んだアセス書も、無用に分厚くて鉄面皮のような報告書だった。僕は、こういう報告書を書くのが嫌でたまらなかった。嫌と言ってしまうと好き嫌いのレベルの話のように聞こえるかもしれないので、すかさず訂正しておくと、僕は、そういう報告書を書くことが間違っていると思っていた。この考えは、いまでも変わらない。
第三者として環境を評価することをアセスでは求められる。第三者って、何者なの?あなたは(僕は)、第三者なの?
第三者の書いた報告書はつまらない。読む気が失せるような報告書は、誰も読まない。誰も読まない報告書を作成することが、社会的に認知されたことになるの?
僕は、人に読んでもらえるようなものを書きたい。
7月21日(土)
モスバーガーも値下げ!200円也。つい、宣伝に乗せられて、昼はモス。それから、研究室へ。すぐに、24日の那覇、25-6日の石垣の宿を予約する。西表の宿については、どうしようかと考え中。民家に泊まろうか、民宿・旅館に泊まろうか。
ところで、今回の調査中には、豊年祭、お盆、結願祭、世迎え、十五夜など、とにかく行事・祭事が目白押しだ。どれも魅力的だが、あまりこれに関わりすぎていると、自分の研究の焦点がぼやけそうだ。やるべきことを明確にしておかないと。
八重山調査を前にして、夕方から本格的にこれまで集めた資料を整理するが、もうてんてこ舞い。日常的に資料の整理をしておかないとダメですな。いざというときの生産性が非常に悪い。そういうわけで、今日は徹夜。昨日は、半日以上寝ていたので、今日と合わせてトントンか。メリハリの利いた生活である。
7月22日(日)
朝8時頃、自宅の最寄り駅・玉川学園前に到着。腹が減っていたので、ジローで朝食を済ませてから帰宅する。新聞に目を通したりしていると10時半。1時にアリスセンターの土屋さんのお宅にお邪魔する予定なので、12時に起きるように目覚ましをチェックしてから寝る。
しかし(案の定と言うべきか)、起きたら1時。慌てて起きて、土屋さんに遅れる旨を伝え、水のシャワーを浴びてから、目的地に向かう。ただし、遅刻して、なおかつ、手ぶらでお邪魔するのは失礼なので、自由が丘で途中下車し、「モン・ブラン」でケーキを買ってから、学芸大学にある土屋さんの家に行く。もちろん、「モン・ブラン」では、全国のモン・ブランのオリジナルも買いました。
土屋さんの家は、最近、建て替えたばかり。その家の「売り」は、なんといっても、国産材を豊富に使っていること。建て替えてから初めての訪問だったが、とっても素敵な家だという印象を覚えた。木に囲まれて生活するって、良いなあ。憧れる。
今日は、土屋さん夫婦の家に、同じくアリスの川嶋さんの夫婦と僕の5人が集まった。4時頃までは、土屋さんが新たに購入したPCのセット・アップに時間がかかる。それが終わってから遅い昼食。食後は、コーヒーと「モン・ブラン」のケーキ。そして、6時半頃にはお暇する。
睡眠不足の上にアルコールを嗜んだので、ちょっと良い(酔い?)気分。だから、渋谷方面に向かう東横線に乗って、椅子に座った途端に爆睡。終点・渋谷に着いても気が付かず、新たに乗ってきた人に起こされる。
本を探したり、旅行用グッズを見たりしながら、2時間程度、渋谷を徘徊。それから、東横線を横浜方面に戻り、研究室に少し立ち寄ってから帰宅する。
7月23日(月)
明日は八重山に向けて出発する日である。だから、今日中にやっておかなければいけない作業がいくつか残っていた。
9時過ぎに家を出て、まず近くの郵便局で転出届を出す。しばらく、東京を離れるので、自宅に届けられる郵便物は、すべて実家に転送してもらうのだ。八重山へ調査に行くたびに「自宅→実家」の転出届を出し、戻ってから「実家→自宅」の転出届を出している。
次に、近所のクリーニング屋に行き、出しておいた洗濯物を受け取る。ただし、荷物になるので、最寄り駅のコインロッカーに預け、帰宅するときに取り出すことにする。
11時過ぎに研究室に到着。すぐさま図書館に行き、学外から取り寄せた琉球列島の植物方言にかんする本を借りる。明日には東京を離れるので、借用した図書は直ちにコピーして返却。また、恩田の谷戸ファンクラブの高橋さんから求められていた会員名簿の郵送を終える。
2時半頃、研究室を出て横浜へ向かう。横浜駅近くのデパートやスーパーで、今晩開かれる神奈川森林エネルギー工房主催「バイオマス・サロン」に向けて買い物。ビールのつまみとなるように、パン、ソーセージ、チーズ、サルサソースなどを購入する。5時過ぎ、関内にあるアリスセンターに行き、授業料免除申請に必要な書類を作成してもらう。6時過ぎ、「バイオマス・サロン」の会場であるNORAに着く。サロンの開始時刻まで1時間もないが、今回は参加者が少ないと予想されていたので、あまり慌てることなく準備作業を行なう。
7時過ぎ、定刻から少し遅れて、サロンを開始する。今日のゲストは、バイオマス産業社会ネットワークの赤星さん。僕よりも若く、木質バイオマス利用研究会の小島さんとは高校時代の同級生らしい。赤星さんに提供してもらった話題は麻、大麻=ヘンプであった。日本人の生活と麻がいかに密接に関係しているかを知り、大変刺激的だった。また、参加者が少なかったので、ゲストとのフリーディスカッションの時間をたっぷり取ることができ、サロンぽい雰囲気となって良かった。
サロンを10時過ぎに閉め、赤星さんともっかな探検隊の長谷山さんと一緒に、帰宅するため町田方面へ向かう。当初の予定では、町田にある市立中央図書館で借用図書を返却するつもりだったが、すっかり忘れていた。帰宅して初めてそのことに気付く。さらに、朝、コインロッカーに預けた洗濯物を回収し忘れてしまった。
7月24日(火)
いよいよ出発日。なのに、まったく準備ができていない。これから出発しますと、その旨を知らせるメイルを送ったり、届いたメイルに丁寧に返事を出したりしていたら、3時半頃になってしまう。仕方ない。徹夜して準備することを覚悟。
まず駅に行き、コインロッカーに預けたままの洗濯物を回収。2日にまたいで使用したので、追加料金300円を取られる。急いでいて焦っているときは、こういう細かい出費が妙に腹が立つ。回収後はすぐにきびすを返して家に戻り、購入してから一度も使っていないICレコーダーの使用方法を確認、さらに付属のソフトをインストール。その後は、ひたすら荷物を詰め込む。今回は、これまで調査に協力していただいた方へのお土産(報告書)があるので、荷物が相当重い。明け方、パッキングを終え、少し仮眠を取った後、「ちゅらさん」を見て、8時半にいよいよ出発。
予約してあるのは10時40分発のANA85便。出発時刻の20分前に空港に到着。手荷物を預けようとしてカウンターに持っていったら、荷物の重量が40kg近くあるので追加料金を支払うように言われる。今まで知らなかったが、1人当たり25kgまでは無料で運ぶが、それ以上の重さになると運搬費用がかかるそうだ。いくら払えばよいのか尋ねたら、6,000円もかかるというので、重い荷物はゆうパックで運ぶことに決める。しかし、出発時刻まで時間がない。気が急く。このタイミングで、午後に那覇で打ち合わせの約束をしていた松井先生に電話をかけてみた。すると、松井先生は急用が入って、午後は時間が取れないと言う。それならば、急いで予約した便に乗る必要もなかろうと、1本遅らせることにした。次の便はANA87便で、12時30分発。昨日の朝からずっと時間に追われて過ごしてきた緊張の糸が急に緩み、一気に楽になる。
重い荷物はゆうパックで、先に西表島に届けた。費用は1,500円。6,000円も払わなくてよかった。遅い朝食などをとって時間を潰し、いよいよ12時30分に羽田空港を出発。空の上では、ひたすら爆睡。15時少し前に那覇空港到着。国際通りまでは、いつも通りバスを利用。タクシーより1,000円くらい安いからね。ところが、道路が混雑していてなかなか目的地まで到着しない。バスの運転手によれば、ちょうどその頃、パレット久茂地前で小泉首相が演説していたために渋滞が生じているのだと言う。結局、国際通りまで約1時間もかかって到着。それから、予約してあった「新金一旅館」に向かう。チェックインして、シャワーを浴びた後、本屋と古本屋を回るが、面白そうな本は見当たらない。次に、ぶらつくのが楽しいマチグワーに行く。生ゴーヤージュース300円、豆乳50円、氷ぜんざい280円などを飲み食いしながら、お土産を物色する。いつも、帰り際にお土産を買おうとすると、時間が無くて、きちんと選べないので、今回は早めにお土産を選んでしまおうと思っていたのだ。「ゴーヤーマン」グッズを探すが、品薄でほとんど置いてない。あったとしても、趣味の悪いTシャツと抱き合わせで売っている。「ゴーヤーくん」なる偽物はけっこう置いてあるのだが。「ゴーヤーマン」は諦めることにし、「ちゅらさん」がデザインされたオリオンビールを売っていたので、これを1箱購入し、研究室に送る。また、マンゴーの時季なので、1箱4個入りを買い、これはアリスセンターに送った。
夕食にタコライスを食べた後、オリオンビールを3本買って宿に戻り、立て続けに飲み干すと、そのまま死んだように寝てしまったのだった。
7月25日(水)
今日は、12時15分発のANK435便で石垣に飛ぶ。午前中、少しだけ時間があるので、10時の開館に合わせて、壺屋焼物博物館に行く。モダンな建物の中に、丁寧に配置されている展示品の数々。非常に心が安らぐ空間だ。が、あまり時間がないので、40分くらい見学してから博物館を後にする。そして郵便局に行き、石垣島に飛ぶ前にやっておこうと、返却し忘れていた本を町田市立中央図書館に郵送。そんなことをやっていたら、すでに時間は11時30分。飛行機の出発時刻まで45分しかない。空港に向かうためにタクシーに乗り込む。
飛行機は定刻通りに出発。およそ1時間後に石垣空港に到着。その後、バスに乗って石垣港で下り、予約してある宿に向かって歩く。途中、小浜島でいつもお世話になっている新本英光さんにばったり遭遇。小浜出身で石垣在住の人が亡くなったので、お葬式に来たらしい。「内地に帰って、色が落ちたな」「なあに、また黒くなりますよ」などと会話し、「来月のお盆の頃に小浜島を尋ねますから、そのときはよろしくお願いします」と今後の予定を話して別れる。それから、「楽天屋」にチェックイン。荷物を置いて、シャワーを浴びて、3時頃、竹富町役場に行く。まずは建設課の石堂さんに挨拶。昨年の調査レポートを差し上げる代わりに、大富土地改良区にかんする若干の補足資料をいただく。次に、商工観光課の通事さんに挨拶。今年度、竹富町が新エネルギービジョンを策定するというニュースを聞き、少し興奮する。バイオマスを積極的に導入できると面白そう。
5時になったので役場を出て、石垣市立図書館に行く。しかし、役に立ちそうな資料は見つからなかった。7時頃、「南ぬ島(ぱいぬしま)」でゴーヤーチャンプルー定食を食べ、宿に戻る。8時半過ぎ、石垣在住で竹富出身の友だちと会い、4月以来の再会を祝して飲む。食べる。飲む。午前3時まで。
7月26日(木)
9時半頃から始動。県立図書館に行き、資料を調べる。すると、今まで気付かなかった資料がいくつも見つかり、これをコピーするだけで1時になる。「磯」で田舎味噌汁定食を食べた後、2時半頃、県八重山支庁農林水産整備課の具志堅さんを訪ね、大富土地改良問題や赤土流出問題について1時間程度ヒアリング。その後、再び県立図書館に戻って、4時半から閉館時刻の6時までは資料の物色。6時に「楽天屋」に戻り、仮眠。7時半に起きて、中華料理屋で夕飯を食べる。なぜか無性に餃子が食べたかったので、餃子2人前を注文したほか、炒飯、五目麺、生ビール2杯を飲み食いする。腹一杯食べ、満足感を覚えながら宿に戻る。途中、本屋に行って、おそらく絶版となっているであろうレア本を数冊購入した。9時から、ここ最近、書いていなかった日記をまとめて付ける。書き終えたら11時になった。もうそろそろ寝よう。
7月27日(金)
9時過ぎに「楽天屋」をチェックアウト。石垣市立図書館に行くが、毎月第4金曜日は資料整理のため休館だった。9時半、あやぱにモール内にある店に入る。朝食を摂っていなかったが、腹は減っていなかったのでジンジャーエールを注文し、昨日複写した資料と購入した図書を拾い読みする。12時過ぎに店を出て、モスバーガーで昼食。なんで石垣島まで来て、モスバーガーで食べる必要があるのかと問われるかもしれないが、毎日のように郷土料理を食べていると、ときどき変化を付けたくなるのさ。
1時過ぎ、港に行って、2時40分発の石垣→大原のチケットを購入。大きな荷物はチケット売り場に置いて、通事さんに一昨日借用した資料を返しに竹富町役場へ行く。資料返却後は郵便局に行き、沖縄に来てから入手した資料のうち、さしあたって現地では不必要なものをまとめて郵送。2時40分、サザンクロス1号に乗って、石垣港から大原港に向かう。
船内に入ると、2名の老女が先に座っていた。乗客はたった3人だけかと思っていたら、大富土地改良区組合理事長の君島さんが乗り込んできた。ほぼ1年ぶりの対面。大原までの35分間は、ずっと君島さんと会話。離島で農業を営む難しさを、よーく聞かされる。3時15分、大原港着。桟橋で少し待っていると、今日から厄介になる民宿のワンボックスカーが現れる。これに乗り込み、大富にある「南風見荘」に到着。アイスコーヒーを頂いてから、宿を出る。まずは、昨年の調査時にムンツァン取りなどについて聞かせてもらった佐事の和子さんを訪ねる。佐事さんは大富で唯一の小浜島出身なので、3月に小浜島に行ったことなどを話題にしながら、6時近くまでユンタクする。次に、竹富島出身の桃原さんに声を掛け、竹富島のことを話題にしながら、7時過ぎまでお喋り。その後、君島さんを訪ね、土地改良区組合に昨年の調査報告を1冊寄贈してから、宿に戻って夕食。「南風見荘」は、クーラーが無料なのが嬉しい。
7月28日(土)
9時30分、西表島エコツーリズム協会会長で竹盛旅館を経営する竹盛さんを訪ねる。昨年は協会の方々にだいぶお世話になったので、昨年の調査報告を差し上げる。今日は、団体客が来るというので、竹盛さんとはあまり話せなかったが、1つ興味深いことを聞かせてもらった。それは、『ソトコト』という雑誌の6月号に、エコツー協会を非難するような記事が掲載され、これに協会が抗議した結果、8月号に謝罪文が掲載されたというもの。エコツーリズムをめぐる混乱が如実に表れている。
10時、老人クラブの会長・大谷さんを訪ねて話をうかがう。しかし、ここで問題が起こった。東京を発つ前に購入したICレコーダーが故障したのだ。念のため、テープレコーダーも持ってきていたので、調査に特別な支障はない。しかし、早めに対応した方が良いと判断し、製造元のオリンパスのサービスセンターに電話し、製品を着払いで送り返した。このトラブルのため、12時から2時過ぎまで時間を費やす。
2時半頃、大原にある喫茶&軽食屋で八重山そばを食べる。3時、沖縄森林管理所大原事務所を訪れ、大富自然休養林にかんする資料をいただく。4時、東部交通を訪ね、仲間川において動力船がマングローブに与えている影響について聞き取り。6時、大富集落の近くの牧場で、佐事さん(清弘さんの妻)に声を掛け、そのまま少し立ち話。7時に宿に戻り夕食。8時半、別の佐事さん(昇さん・和子さん)を訪ね、特に小浜島の空中写真を見せながら、小浜島のことを伺う。ついでに、ビールとおつまみも。ごちそうさまでした。
7月29日(日)
9時半頃、仲間崎でハウス栽培をしている保順さんの畑に行く。昨晩、電話でアポを取り、話を聞かせてもらう段取りになっていたのだ。畑に着くと、保順さんにすぐ会えたので、簡単に自己紹介をしてから、個人史を聞かせていただいた。当然、大富の土地改良問題についても、思うところを十分に話していただいた。
保順さんは、自分が食べるのに困らない程度のささやかな規模で、畜産と組み合わせた有機農業をやりたいと願っている。しかし、国の政策は、農業を専門的に営もうという農家(認定農家)を優遇し、小規模農家には冷たい。このため、農業の国際競争を無理矢理勝ち抜こうと思っていなくとも、農業を続けるためには、土地改良を実施して、大規模農業を志向せざるを得ない。保順さんは、ささやかに農業を続けていくことの重要性を、長い時間をかけて聞かせてくれた。約2時間も話をしていただいた後の別れ際、土地改良問題で活躍(?)した学者たちを批判して、「ああいう学者にだけはなるなよ」と言われた。「ああいう学者」とは、自分の専門領域のことだけしか分からず、専門外のことを分かろうとしない学者のことである。世の中、無責任な学者が多すぎる。
午前中は天気が良く、直射日光が照りつけていた。そういう状況で、畑の端に座って山城さんの話を聞いていたので、気付かないうちに顔や腕などが真っ赤になっていた。いったん宿に戻り、火照った顔や腕の熱を取るため冷水シャワーを浴び、軽く昼食をとって、1時半頃、再び宿を出る。集落内を少しぶらついた後、2時頃、町会議員を務めている波照間さんを訪ねる。波照間さんは土地改良区組合の前の理事長でもあり、大富ではキーパーソンである。だから、当然、これまでの間で話を聞いておかねばならなかったのだが、何しろ忙しい人なので都合をつけてもらえなかったのだ。今日は運がよいことに、たまたま家にいらっしゃったので、話を伺うことができた。
波照間さんは要職に就いているので、根拠もなく頑固な方なのではないかと内心思いながら話を始めた。けれども、気さくで進取の精神に富んでいる方だった。西工区の開発が全面中止になるくらいならば、エコミュージアム構想を実現すれば良かったと考えていたのは驚きだった。
ところで、波照間さんから1つ宣伝してくれと依頼されたことがあるので、この日記でお知らせする。70歳くらいの人(戦時中の苦労話ができると良い)で、西表島の海でボートに乗って魚釣りしたり、サンゴ礁でタコを捕ったりすることに興味がある人は、僕に連絡を下さい。波照間さんが、粗末なところで良ければタダで泊めるので、西表島に来て一緒に遊ぼうと言ってます。波照間さんの出した条件に合う人が、このHPを見ているとは思えないが、約束したので、ここに書いておきました。
5時過ぎ、風雨が強くなってきたので、波照間さんと別れて宿に戻る。すると、すぐに止んだので、7時の夕食までの間、集落周辺を散歩する。夕方、少し涼しくなった頃、キビ畑と牧場が両手に広がる一本道を歩く。風が頬に当たる。牛にやる牧草の匂いがする。気持ち良いさ。
7時前、宿に戻りシャワーを浴びてから、夕食。食後、テレビを点けると、参院選の速報を放映している。自民党が圧勝するようだ。政策を誤ったことがはっきりしているのに、党首をすげ替えて生き延びようとする政党を両手をあげて歓迎する僕たち国民の阿呆らしさ。失敗したヤツは追放せよ。その後のヤツがさらに悪かったら、追放したヤツを呼び戻せば良い。そういうダイナミズムの中に、公共圏に住まう人々を押し込まなければいけない。国立大学の大学院に在籍し、奨学金をもらい、公金で沖縄に調査に来ている僕も、そういうヤツの1人でなければならない。もちろん、この日記は、僕自身がそういうダイナミズムの中にいなければならないと自覚しているから公開しているのである。まさしく、ジョウホウコウカイに他ならない。
7月30日(月)
台風は八重山に向かわず、台湾に上陸して、そのまま北上した。このため、今日は風が強かったものの、雨に降られることはなかった。海は時化ていたが、離島便は欠航しなかったようだ。
9時半、誰に話を聞こうかと考えながら大富の集落内を回っていると、庭で草取りをしていた人がいたので声を掛けたら、快く受け入れてくれたので家にお邪魔することになった。話を伺ったのは、久米島出身の喜友名さん。約50年前の開拓時、久米島から8軒が大富にやって来たが、現在残っているのは2軒だけ。そのうちの1軒が喜友名さんだ。
大富は、本島の大宜味村、地元竹富町(波照間島、竹富島、久米島)、久米島からの混成移民によって開拓された部落である。大宜味村と久米島出身の人は、すでに大富を離れた人が多いのに対して、竹富町出身の人はすべて大富に残っている。このような差が生じたのは、なぜなのだろうか。
喜友名さん夫妻には、2時間程度、話を聞かせていただいた。その後、いったん宿に戻って、東京でやり残していた仕事をする。神奈川森林エネルギー工房として、住宅生産団体連合会の助成金申請書類を作成し、大原の郵便局に行って書留で郵送。こんな仕事は、東京にいるうちにやっておくべきことだった・・・。
大富~大原間は歩いて12-3分の距離であるが、何回も往復するとけっこう時間がかかる。昨年はこの往復にどれだけ時間をかけたことか。しかし、今年は宿のヘルパー田村さんから自転車を借用することができたので、移動がかなり楽になった。有り難うございます。
郵便局に向かう途中、君島さんを見つけたので近寄ってみると、先日差し上げた調査報告を読んでいた。素直に嬉しく思う。その場で20分程度、君島さんと立ち話をしてから大原郵便局へ。書類を郵送するために移動したので、そのまま大富に帰るのは惜しいと思い、大原部落を適当に回る。すると、何やら木の根っこを庭先で干している人がいたので、さっそく「これは何ですか」と訪ねてみた。すると、その乾燥させていたのは、海岸沿いの岩場に生えるカラスノアシと呼ばれる木の根であると言う。天日乾燥させてから泡盛に浸け、氷砂糖を入れるなどして飲むと、神経痛に効くらしい。
3時頃、大原部落の生き字引である西大桝さんを訪ねる。新城島の豊年祭から帰ってきて間もなく、寝不足のためにお疲れの様子だったが、2時間程度、お話を聞かせていただく。ヤマハにいったん買収されたヤッサ島のことを中心に、それに関連することを含めて話してくださった。また、帰り際には、西表島の黒糖をお土産にいただく。有り難うございました。
ところで、西大桝さんは、最近、新城島の言葉をまとめたり、西表島に伝わる話を本にまとめたりしている。土産物屋では、西大桝さんが著した小冊子が売られていた。また現在、土産用の冊子には収録できなかった西表島の話を、『南の島の物語』として出版したい考えだ。原稿を少し読ませてもらったが、とても面白い。全部で300ページ程度あるので、時々お邪魔して、読ませてもらうことにした。
夕方、大富の集落の周りをサイクリングして、7時頃に宿に戻る。夕食後、松井先生から電話があるはずだったので、本を読みながら待っていた。しかし、いっこうに連絡がなく、いつの間にか寝ていた。
7月31日(火)
9時半、土地改良区組合理事長の君島さんを訪ね、大富に住む人のなかで僕がまだ話を聞いていない人を紹介していただく。途中、君島さんのお義兄さん(正さん)が牧場から戻って来られ、話の輪に加わる。正さんが海岸で拾ってきたヤシの実をいただくが、僕の口には合わなかった。新鮮なヤシの実と違い、独特の匂いがするので、口に合わないというよりも鼻に合わないというか。正さんは、チーズと同じ匂いだと言いながら、頬張っていたが。
11時、君島さんに名前を挙げていただいた大城さんを訪ね、12時過ぎまで話を伺う。大富の誰もが口にする言葉だが、大城さんもしきりにコウモリとヤマネコのことを話された。コウモリ保護のために東工区の開発を制限され、ヤマネコ保護のために西工区の開発が中止に追い込まれた大富の人々は、コウモリとヤマネコにかんして何かを言わずにおれないのだ。僕のような若輩者に対しても。
お昼時、公民館長の仲底さんを訪ね、昨年の調査報告を大富公民館に1冊寄贈する。このとき、たまたま仲底さんの家に来ていた子供会の代表の女性と少し話をする。この人は、西表島のゴミ問題に関心を持っており、公民館と協力して、ゴミの分別回収を導入しようと積極的に動いている。また、夫は農業に携わりながら、アルバイトでヤマネコ調査の手伝いをしているという人で、夫婦揃って環境問題に深く関わっている。ぜひ一度、この夫妻の話を聞いてみたいと思ったので、明日の昼にお邪魔することにした。
昼食後、2時頃に桃原さんを訪ねる。入植した当時から現在に至るまでの話を伺うと同時に、桃原さんの出身地である竹富島の最近の話題などを話ながら、5時頃まで長居する。長時間、座って話を聞いていたので、桃原さんの家を出てから、大富の集落の周りをサイクリングしながら気分転換。気分が良くなってから、西表島に移り住んで4年、ライターとカヌーのガイドを職としながら、織物も手がけているユニークな女性を訪ねる。各地の豊年祭を見た経験を持っていると人づてに聞いていたので、豊年祭を見るときの心構えなどを伺う。しかし、ちょうど機織りしているところだったので、少し立ち話をして、改めて話を伺う約束をして去る。
7時前に宿に戻ると、庭にテーブルと椅子がセットされ、工事関係者が数名集まっている。今晩、ここで宴会があることが分かる。夕飯を食べていると、案の定、庭では宴会が始まる。食べ終わってくつろいでいると、宿のオーナーで、建設会社の社長でもある宮良さんに誘われて、その宴に加わる。話を聞けば、ある工事の検査が終了したので、打ち上げをしているのだという。8時から11時過ぎまで、「32(歳)にもなって、まだ学生やってるか」と叱られながらも、楽しく飲み、食い、笑う。11時過ぎに一次会は終了。宮良さんに誘われるまま、スナック「ヨーコ」に場所を移して二次会。1時過ぎまで飲んで、宿に戻る。