3月1日(土)
9時頃、平石さんからの電話で起きる。昨夜、電話したときに不在だったので、折り返し連絡を下さるようお願いしていたのだ。なかば寝ぼけたまま電話に出て、市民活動フェア2003の中の里山フォーラムにおいて、日本の竹ファンクラブも活動PRをした方がよいのではと提案してみた。結果、廣内さんが、竹の学校などの宣伝をすることに決まった。雨が降りそうだったので、恩田の谷戸ファンクラブの活動には参加せず、再び布団に潜り込む。目覚めたら12時になっていた。
昼食に水餃子を作り、遅い風呂に入ってから、ネットで中国をはじめとした東アジアの環境問題調について調べる。そんなことをしている最中、3時半、比屋根さんから、日本の竹ファンクラブのサイトが開設したとメイルが入る。さっそく、アクセスしてみると、なかなか素敵な出来映えだ。比屋根さん、ひとまず、お疲れさまでした。
4時半、自宅を出て、駅前のジローでパンを買い込んだりしてから、6時前に友だちを訪ねる。夕食は、ワンタンと炒飯。今日は、昼も夜も中華三昧だ。食後、持参したノートPCをLANで接続して、少し仕事。1時頃、就寝。
3月2日(日)
8時半頃には目覚めてものの、起床は11時。朝食をとり、お昼過ぎてもまったりと過ごす。気温が高い上に風が強いので、花粉症の僕としては、外出を控えたくなる。3時、友だちとともに、カーリットの森を目指す。
この森は、保土ヶ谷区と旭区にまたがる約60haの緑地で、1995年までは、火薬等の製造会社・日本カーリット(株)の保土ヶ谷工場があったため、会社の敷地とその周辺を含めて、「カーリットの森」と呼ばれている。この緑地については、「カーリットの森を守る市民の会」などが中心となって、保存する方向で運動が展開され、12.4haは「たちばなの丘公園(仮称)」として保全されることに決まった。しかし、16haは有料老人ホーム等として開発され、施設建設にともなって設置される幅10.5mの道路によって緑地は分断されることも決まっている。僕らが、森に足を踏み入れたときは、ちょうど建設工事が本格化した直後だったため、まだ美しい雑木林の景観は残っていた。今後、この森はどのようなかたちに変化していくのだろうか。
カーリットの森を散策してから、保土ヶ谷公園まで足を伸ばす。ちょうど梅が見頃だったので、ぽつぽつと花見に訪れたと思われる人が歩いている。桜の花見と異なり、梅の花見は品があるように思う。梅は見るものではなくて、匂いを楽しむものなのかもしれないが。
5時、星川駅に到着。2時間の散歩はおしまい。友だちの家に戻り、夕飯を食べる。それから、日曜日の日課として、「武蔵」と「アリー・マイ・ラブ」を見る。のんびりとした休日だった。
3月3日(月)
8時に起床。9時半に部屋を出て、11時前に研究室に到着。読書を始めるが、花粉症のためか頭がぼーっとしていて、ほとんど集中できない。こういうときは、ネットの中で情報を検索するに限る。ぼーっとしているのは、花粉が飛ぶこの季節に限ったことではないが。
2時頃、図書館に行って資料を探す。最近は、緑が丘にある研究室から大岡山の図書館まで、運動不足を補うために、なるべく歩くようにしている。道は広いし、車は少ないし、適当に坂道があって良いのだ。図書館を出てから、ついでに大学の敷地内を寄り道して、研究室に戻る。
あまり作業は進まないまま、7時半に研究室を出る。9時頃、帰宅。郵便物の中に、(財)消費生活研究所からの封書が混じっていた。この財団は、1月末に助成金を申請したところである。さっそく開けてみると、100万円の助成が内定したとある。申請したのは150万円だったが、総額800万円を12件に助成するのだから、100万円という金額は、相当良い方だと思われる。せっかくのお金なので、良い成果を残せるように、もっと事業計画を詰めないと。
夕食は、質素に味噌汁を中心としたものにした。デザートにはみつ豆、それに寒い冬にはホットココアは欠かせない。夕食後、NORAの吉武さんに電話。NORAの研究員として助成金を申請したので、いち早く結果をお知らせしようとおもったのだ。今晩は、NORAの役員会があったとかで、なかなか連絡がつかなかったが、夜遅くなって結果の報告を済ます。たまには、良いこともあるものだ。
3月4日(火)
三線(サンシン)の日。
今日は午後から動くので、午前中は自宅でちまちまと仕事する。途中、かながわ県民活動サポートセンターの遠藤さんから、16日に事例報告を依頼されている協働フォーラムのことで電話があった。資料を自宅に送付したいとおっしゃるので、午後、打合せでサポセンに行くので、そのときにいただきますとこたえた。郵送料分の公金を節約したことになる。
12時、部屋を出て横浜駅へ向かう。1時過ぎ、かながわ県民活動サポートセンターへ。9階の窓口に詰めていた遠藤さんを訪ね、協働フォーラムの説明をお伺いし、書類をいただく。
2時から始まる会議まで少し時間が余ったので、館内に置いてあるチラシなどを見ていたら、乱雑に積まれたチラシの上にクリアファイルに入った書類を発見した。忘れ物かなと思って書類を見てみると、アリスセンター関係のものだと判明。これは、早くアリスのスタッフに知らせた方が良かろうと連絡を入れ、5時頃、届けることを約束する。
2時、「バイオマス・ニッポン総合戦略に関する政策勉強会」なるものに出席。この会議は、神奈川県環境計画課が設定したもので、ゲストに農水省バイオマス・ニッポンPT(プロジェクトチーム)の長野さんをお招きし、バイオマスに関係する部署の職員と、クリーンエネルギー活用検討委員会の市民ワーキンググループのメンバーが出席した。県庁からは、自然環境保全センターの中川さんのほか、環境農政総務室、環境計画課、廃棄物対策課、農地課、畜産課、水産課、林務課、県土整備総務室、技術管理課、科学技術振興課の職員が顔を揃えた。4時までの2時間、かなり密度の濃い内容だった。国の戦略はわかったので、後はこれをどう実行し、社会に根付かせるか。これが、大きな課題である。このような勉強会が開かれたということは、神奈川県でバイオマス・カナガワのような計画づくりをすすめようと考えているのだろう。面白い動きになるかもしれない。
4時半頃、会場を出て桜木町へ移動し、5時、アリスセンターが入っているNPOスクエアに到着。前に来たときにはなかったパーティションによって、各団体のエリアが整然と区画され、フロア全体がきちんとした会社のようになっていて驚いた。一番奥に位置するアリスセンターを訪ねると、川崎さん、綿引さん、川嶋さんがいらしゃった。さっそく、川崎さんに書類をお渡しすると、ほっとしたような表情を見せていた。けっこう重要な書類だったのかもしれない。コーヒーをいただき、川嶋さんの案内で、NPOスクエアに入っている各団体を紹介される。僕が、普段付き合いがない分野の人たちが、同じフロアにいるので楽しそうだった。
忘れ物を届けたお礼として『たーとる通信』2冊をいただき、6時過ぎにアリスセンターを出る。まだ時間的に余裕があったので、久しぶりに桜木町に来たついでにと思い、横浜市民活動支援センターにも足を伸ばしてみる。ここは、せっかく良い設備があるなのに、横浜にある県サポに押されてなのか、利用者が少なく、淋しい感じだった。適当にチラシを取って帰ろうかと思っていたら、受付の人に声を掛けられ、立ち話しを始めた。すると、話が止まらなくなり、カウンターの前に座って、いま自分が考えている構想について相談するという流れになった。相談に乗っていただいた人が、環境や国際の分野にも明るい方だったので、気持ちよく話をすることができた。話をしている途中、パーティションの陰で、出勤していることがわからなかった山田さんに気付き、相談が一段落してから、夏塾のことで依頼を受ける。
7時半、センターを出て、9時に帰宅。今日は、2時から4時までの打合せに出るだけのつもりで外出したのに、アリスセンターや横浜市民活動支援センターに立ち寄ることになり、けっこう充実した。あまり、タイトなスケジュールを組むと疲労するが、結果的にいろんな用事をこなすことは楽しい。この辺が微妙である。
3月5日(水)
8時に起床。午前中は、活動に精を出す。地方新聞のチェック、官公庁や役所の記者発表のチェックして、必要な記事はファイルしておく。また、電話で打合せをして、議事録をまとめておく。やる気になれば、午前中だけでも、けっこう仕事は進む。しかし、午後の時間の使い方は最低に近かった。
週末の合宿で、榕樹書林の本に載せた論文の内容を発表するために、今日中にパワーポイントのファイルを作りたい。研究室のマックにはパワーポイントが入っていないので、この作業は自分のノートPCでやらないといけない。しかし、自宅にはスキャナがないので、写真を取り込むためには、研究室へ行く必要がある。こういうわけで、つまり、写真をスキャンするために、研究室に行くことにした。
1時、自宅を出て、近くの郵便局で用事を済ませて、2時半に研究室に到着。しかし、肝心のスキャナは、どこかにいってしまっていて使えない。明日、NORAに行って、写真を読み込むことにしよう。それならばと、持ってきたノートPCを開いて、写真以外の部分のページを作り始める。2時間ほど作っていると、竹富島と小浜島の特徴を視覚的に伝えるために、空中写真があるとよいと思う。手元には国土地理院の空中写真があるが、大縮尺なので何枚も画像をスキャンして張り合わせないといけない。それはけっこう面倒な作業になりそうなので、手元にある資料を引っ張り出して、島を1枚でとらえた写真を探し始める。竹富町の資料のなかに、そうした写真があるにはあったが、撮影した角度が斜めになっていて、今ひとつという印象だった。その写真を使うかどうか迷っているとき、写真家・大塚勝久さんが八重山諸島を空撮してポストカードにしていたことと、その写真が、最近、刊行された写真集『八重山の風と光』に載っていたことを思い出す。そこで、6時頃に研究室を出て、「錦」で夕食をとって、その写真集を買うために本屋へと向かう。
ネットで調べて、紀伊国屋の新宿南口支店に在庫があることを確認していたが、わざわざ新宿まで行くのも手間なので、まずは自由が丘に行き、本屋を2軒訪ねる。しかし、欲しい写真集は置いてなかったので、やはり紀伊国屋に行くことにする。7時半、代々木駅に到着。降り口を間違えて南新宿方面に3分ほど歩き始めてしまい、途中で気付いてJRの線路の反対側に向かうが、かなり大回りをしないといけなかった。閉店時間が8時なので、時間のロスを補うために走りに走って、7時50分、紀伊国屋に滑り込む。写真集のコーナーにたどり着き、探していた写真集を手に取って内容を確かめると、ない。探していた空撮の写真がないのだった。竹富島の写真はあるのに、小浜島の写真はなかったのだ。完全な記憶違いであった。わざわざ、何しに新宿まで来たのだろう。やはり、空中写真を張り合わせないといけないようだ。そこで、研究室に戻ることにする。
9時、研究室に到着。空中写真を回収して、10時半、帰宅する。高見さんから送られてきた恩田の谷戸の写真を確認したり、環境系のメルマガで紹介されていた「花粉ポータルサイト」を見たりしてから、2時過ぎに寝る。
3月6日(木)
8時に起床。午前中は、いつも通り、活動に時間を費やす。ここでの活動とは、アレントの労働/仕事/活動の分類にならって使用しているので、市民的な活動という意味である。
12時過ぎ、家を出て、湘南台経由で蒔田駅へ。1時半、NORAに到着。さっそく、竹富島と小浜島が写っている空中写真をスキャンする。フォトショップ上で、写真を適当に張り合わせて1枚の島の写真を作るのだけれど、微妙にずれるので意外に時間がかかる。喋りながらやっていたせいもあって、4時過ぎに2つの画像が完成する。その後、消費生活研究所から助成を受けることになった研究内容について、土屋さんと吉武さんに説明。その後しばらく、「市民による里山学」について議論した。吉武さんから、農事暦と年中行事との関係など、里山の民俗についても調べる必要があるのではという意見をいただいたが、まったくその通りだと思う。
5時半頃、NORAを出る。帰りの電車の中で、豊泉周治『ハーバーマスの社会理論』を読了。あまり面白くないかもと思って読み始めたが、なかなか読み応えがあった。でも、こういう本を読むよりも、ハーバーマスの著作を読んだ方がよいに決まっている。
6時半頃、ヨドバシカメラで買い物をするために町田駅で下車。明後日の研究発表のときに、パワーポイント・ファイルをCDに焼いて持って行きたいので、外付けのCD-RWを買おうと思ったのだ。ポイントがそこそこ貯まっていたこともあり、ファイヤーワイヤーとUSBに対応できる多少高めのものを購入した。
7時半、帰宅。アリスセンターから、メルマガ「らびっとにゅうず」の原稿が届いていた。これはサボるわけにいかないので、夕食後、超特急で編集・発行作業を終える。まだ、発表の準備が全然できていないので、11時から、久しぶりに論文を精読しながら、パワーポイントでファイルを作り始める。読んでいるうちに、2回、顔が青ざめた。あれほど繰り返し校正したにもかかわらず、2ヶ所もミステイクを犯していたのだ。あらら。でも、気にしている余裕はないので4時まで作業を続ける。
3月7日(金)
少し疲れたので、4時から2時間ほど寝る。6時に起きて、風呂に入って、朝食をとって、パワポ作りを続ける。10時に完成。昨日購入したCD-RWを設置し、ドライバをインストールするが、CDを焼くことができない。これは、後で分かったことだけれど、CDを焼くためのソフトが、きちんとインストールされていなかったのだ。いろいろ工夫しながらトライするが、まったく焼けないので、ファイルをCDに落とすことなく、11時過ぎに家を出る。
今日から日曜日までは、未来開拓・大塚プロジェクトの最終合宿が、国立歴史民俗博物館で行なわれる。2時に歴博に集合となっているので、遅れないようにしないといけない。
11時20分、玉川学園駅発の電車に乗り、新宿から都営新宿線で本八幡まで。それから、京成の特急に乗り換えて、1時12分、京成佐倉駅に到着。大塚先生、木津さん、梅崎さん、福島さん、田中くんらも同じ電車だった。大塚先生らとタクシーに乗り、1時半頃、歴博に到着。2時から、合宿が始まる。
梅崎さんが、リモートセンシングを利用した植生の復元について発表し、中澤さんは、マルチ・エージェント・モデルについて発表された。ともに、元理系の僕としては、非常に興味をそそられる内容で、とりわけリモセンは、いつか扱ってみたいと強く思った。
5時に初日の発表は終了。タクシーに分乗して、宿泊場所である「湯ぱらだいす佐倉」に向かう。チェックインして、佐治さんと同じ部屋に入り、すぐに出て、今日の宴会場である駅前の「杉」というお店に入る。宴会の席では、松井先生の前に座ったので、かなり長い時間、議論することができた。松井先生は、知識量が豊富であり、また徹底的に自然のこと、そして沖縄のことを考えているので、とても面白い。今回話をしてみて、自然の本源的な優越性や、環境(基礎)教育について、これまで自分が思っていた以上に深く考えていらっしゃることが分かり、大変勉強になった。フィールドワークによって、その社会がどのような方向に、ある種の必然性をもって悲劇的に進むかは理解できる。しかし、それをどのように食い止めるのか、あるいは良い方向に導くのかは分からない。この3年間のプロジェクトによって、人類学とはそういうものだということがわかったような気がする。
議論の楽しさに加えて、このお店のコース料理は、とんかつと鴨鍋がともに出てくるという贅沢なもので、質・量とも良かった。この手の宴会のなかでは、今日は一番良かったかもしれない。
10時過ぎに宴会はお開き。10時半に宿に戻り、風呂に入ってから、メイルを受送信しようと思ったら、通信に必要な道具を忘れてきたことに気づく。相変わらず忘れ物が多いが、致命的ではないから、気にしないことにしよう。12時過ぎに就寝。
3月8日(土)
7時半、起床。8時、朝食。8時45分、宿を出て、タクシーで歴博へ。9時から研究発表開始。
まずは、ソロモン班が、山内さん、中澤さん、田中くん、古澤くん、大塚先生の順で発表。僕が感心を抱いたのは、ソロモン、海南島、沖縄の比較研究に向けて、WHO/QOLの指標について説明した山内さんの発表。子どもの出産歴から完結パリティを作成し、それとイベントヒストリー解析を利用してみせた中澤さんの発表であった。中澤さんは、英語と数学を縦横に駆使できるので、本当に羨ましい。
12時から30分ほど昼食休憩を挟み、海南島班の発表が始まる。パハリさん、将くん、伊藤さん、卯田さん、西谷さん、梅崎さん、宮崎さんの順に発表が行なわれる。海南島班は、4つの村に同じような方法論を適用しているので、比較すると楽しい。そのなかで、梅崎さんがフィールドとしている水満村は、2000年から観光開発が始まり、激変しているようだ。そういう場面に立ち会いながら、その変化を暖かい目で見ている梅崎さんのまなざしが印象深かった。
3時半に海南島班の発表は終了。15分の休憩を挟み、佐治さん、荒木さん、関さん、僕、高山さんの順に沖縄班の発表があった。このなかでは、高山さんの発表が、集落(屋敷、畜舎、菜園)、畑、原野・海岸、海におけるバイオマスを通じた関係性を調べていて、参考になった。こうした作業は、かなり普遍的に適用できるだろう。
6時半頃、発表は終了。7時、歴博を出て、宿舎に戻る。風呂に入ってから、8時に宴会場に向かうと、大衆演劇が行なわれていた。3月いっぱいは、葵好次郎一座が入っている。せっかくの良い機会なので、9時まで、約1時間、観覧した。ちなみに、大衆演劇については、社会学者・鵜飼正樹さんのフィールドワークや、ウェブサイト「おもいっきり大衆演劇」が詳しい。日舞を見慣れているせいか、自分としてはピンと来なかったけれど、こういう世界を実際に見ることができたので面白かった。
9時から、宴会が始まる。しかし、宴会場の利用時間が11時までだったので、思っていたよりもハチャメチャにならずに、ひとまずお開きとなった。その後、部屋に戻り、2つの部屋に別れて飲み会が続いた。僕と佐治さんは、3時半頃で寝たけれど、聞いたところによると、朝の6時半まで飲んでいた人もいたらしい。
3月9日(日)
7時半、起床。8時、朝食。9時半、宿から京成佐倉駅までの送迎バスに乗って、駅に行く。そこで、松井先生、関さん、山内さんと別れ、ひとりで篠原先生らが勤めている歴史民俗博物館に行くことにした。
ここに来たのは、実に20年以上前のことである。小学校の時の社会科見学で訪れたことがあった。しかし、当時の僕には、全然、その展示の面白さが理解できず、退屈な時間を過ごしたことだけを覚えている。それが今は、駅から博物館への道を、多少興奮しながら歩いた。20年も経てば、興味も関心も大きく変わるものだ。
10分強歩くと博物館に到着。入場料250円を払い、荷物をロッカーに預けて、第一展示室に入る。旧石器から古墳時代辺りまでは気合いを入れて見ていたが、奈良時代辺りから、寝不足がたたって集中力がなくなってきた。いきおい、平安時代からの第二展示室、江戸時代からの第三展示室、明治以降を扱う第五展示室は、ぼーっとしながら見学した。しかし、「日本人の民俗世界」と題された第四展示室は、個人的に楽しみにしていたので、眠気に襲われることがなかった。
全部の展示室を見終えて、12時過ぎに受付に戻る。ミュージアムショップに寄ってから、入口前にある物販所でうろうろしていると、篠原先生に声を掛けられた。ここでは、歴博が出している図書のほか、全国の博物館が出した図録を扱っている。先生がおっしゃるには、このように博物館の図録を取り揃えているところはないらしい。篠原先生と別れ、3冊の図録を購入してから博物館を出る。
1時45分、京成佐倉駅から電車に乗り、船橋でJRに乗り換え、3時15分、横浜に到着。駅の近くで買い物をしてから、友だちの家に行く。夕食はポトフとオムライス。ごちそうさまでした。
食後は、いつもの日曜日と同じように過ごす。つまり、8時から『武蔵』、それから、WOWWOWをビデオ録画したCL「バレンシア×ローマ」を見て、シャワーを浴びてから、『アリー・マイ・ラブ』。ここ最近は、日曜日の夜に、1週間分のテレビを見ているようだ。
3月10日(月)
8時半、起床。9時半に部屋を出て、10時半過ぎに帰宅。
先週木曜日に購入したCD-RWが、まだ使用できる状態になっていないので、まずはこれを使えるようにする。ドライバのインストールには成功していたが、CDに書き込むためのソフト「win CDR lite」をインストールしていなかったので、これをPCに入れる。これまで、CDに焼く用事があるときには、大学まで行く必要があったけれど、これでそうした往来から解放される。
軽く昼食をとり、使えるようになったCD-RWで、PC内データのバックアップをとる。今までは、MOでバックアップをとっていたけれど、これからはCDに焼くことになりそうだ。すると、MOの使い道はなくなってしまうなあ。滅んでいく運命にあるのだろうか。
データを整理するついでに、テーブルの上に置いてあった書類や文具なども、適当に片付ける。整理整頓というものは不思議なもので、いったん始めてしまうと、ほかにもやりたくなってしまう。結局、家の中のものを整理するだけで、夕方になってしまった。
体が冷えてきたので、竹酢液入りの風呂に入る。僕は、小学生の頃から花粉症に悩まされているが、今年の症状は例年よりも軽い。この原因は、竹酢液の効果かもしれない。そんなことを考えつつ、竹酢液の匂いを意識的にかぎながら、ゆっくりと風呂に入った。
しばらく書いていなかったこの日記を書いていると、かなり眠くなってきたので、6時に就寝。目覚めたら、12時過ぎになっていた。
3月11日(火)
真夜中に目覚めたので、そのまま7時半まで起きていた。1時間半、睡眠をとり、9時に再び起床。朝食をとり、風呂に入るなどしてから、12時半に自宅を出る。
電車の中で、篠原先生が小学校高学年から中学生向けに書いた『自然とつきあう』を読む。海南島のリー族によるヒル撃退術(トウニョウという杖を使う)、対馬のニホンミツバチの養蜂、ブナ林のキノコ=コウタケの採集技術、イラクの半砂漠で羊・ヤギを放牧する家畜管理技術、対馬半島でブリを一本釣りするときの山アテ技術など、人間が自然とつきあう術が記されている。しかし、松井先生がおっしゃるように、なぜ自然とつきあうことが必要なのかが説明されていないのが気になる。ここが、環境教育の教材として利用されるときに、とても重要な部分だと思うのだが。
2時前、研究室に到着。図書館に行き、学外から取り寄せた文献と図書を受け取る。研究室に戻ると、今晩の打合せ資料を作る。今日は、神奈川森林エネルギー工房のバイオマスサロン(運営委員会)があるのだ。3時頃から作り始めたので、資料がそろったときは、もう6時半になっていた。あわてて研究室を出て、横浜方面に向かう。7時過ぎ、かながわ県民活動サポートセンターに到着。打合せの開始時刻を5分ほど過ぎてしまった。
今日のサロンに集まったのは、斎藤さん、佐々木さん、前田くんと僕という4人だけ。打合せをするときに、この人数だとさびしい。6~7人集まると、活気が出てきて良いのだけれど・・・。
バイオマスサロンは、10時でお開き。11時半に帰宅。夕食後、消費生活研究所の助成金を、どのように使うかを具体的に練る。主として、ヨドバシカメラのサイトを見ながら、あれを買おう、これを買おうと考えを巡らしていると、時間が経つのはあっという間だ。4時半に就寝。
3月12日(水)
8時半、起床。10時、玉川学園前駅で、恩田の谷戸ファンクラブの高橋さんと待ち合わせ。車に乗せていただき、東日本銀行でお金をおろしてから、モスバーガー・子どもの国店へ行く。ここで、稲垣さんからバトンタッチした会費納入チェック係を引き継ぐ。また、週末のイベントで、恩田の谷戸ファンクラブの会員として報告するさいに必要な写真一式を借用する。
1時間半ほど打ち合わせしてから店を出て、12時過ぎに長津田駅まで送っていただく。そこから、横浜線に乗って横浜駅へ。1時、かながわ県民活動サポートセンターの11階、情報・相談コーナーに到着。今日の作業は、もっぱらメルマガ「かながわ環境インフォメーション」の原稿作り。明日中に、創刊準備号(その2)を発行するために、こつこつと原稿を書く。その間、保土ヶ谷区役所の職員から相談業務についてヒアリングを受け、また、協働サロンについてサポートセンターの関部長からヒアリングを受ける。
6時、環境情報コーディネーターのアルバイトは終了。サポートセンター内で打合せをしていた、かながわ環境学習リーダー友の会のメンバーや県環境計画課・白浜さんのところに行き、10分ほどメルマガのことなどを説明する。6時半、8階にあるパートナーシップルームで、ストップ温暖化ネットワークの打合せ。今日は出席者が少なく、県環境計画課の堀川さん、深川さんのほか、ひとと夢のネットワークの小寺さん、新しい環境学習をつくるネットワークの金井さん、ソフトエネルギープロジェクトの佐藤さん、それに神奈川森林エネルギー工房の松村だけだった。今日は、県から新アジェンダ作りの進行状況についてご説明いただき、その後、出席者がめいめい思うところをコメントした。僕は、ベースとしての広い環境教育(環境を守ることが良いことだと教えるのではなく、環境を守ることが良いことかどうかを決める仕組みを作ることが必要だと教えること)の重要性を主張した。要するに、民度が上げなければいけないということ、それは、今の学校教育にはあまり期待できないので、社会の中に制度を作っていく必要があるということである。学校教育の中だけという狭い環境教育は、エコ・フォビアを産み出すと思う。
9時、打合せは終了。それから、佐藤さんと2人で16日の協働フォーラムに関して打合せ。10時半過ぎにお開き。12時近くに帰宅。メルマガ「かながわ環境インフォメーション」の草稿を作り、3時半に就寝。
3月13日(木)
9時過ぎ、起床。9時半にJALからメイルが届く。5月に予定している阿蘇への家庭旅行に向けて、バーゲンフェアの先行受付サービスに申し込んでいたので、それに対して予約が取れたというメイルが届いたのだ。とりあえずは良しとしなければいけないが、帰りが昼の便しか取れていないので、できれば、もっと遅い便で帰りたい。キャンセルの状況などを見ながら、航空券を購入することにしよう。
さて、昨日の会合で、海浜公園の浜辺に打ち上げられる海藻が、ただ焼却処分されていて、そのコストがバカにならないという話を聞いた。これは、バイオマス・エネルギーとして利用できるかもと思い、さっそく環境デザインセンターの佐々木さんに電話で相談。興味を示していただいたので、今後は、海藻の質・量や、処理費などについて調査しようと思う。こちらから電話のついでに、佐々木さんからはソーラークッカーの事業展開の可能性について説明をいただいた。ソーラークッカーは、環境学習のツールとしてだけではなく、海外支援のツールとしても期待できる。途上国の森林を保全するためにソーラークッカーを導入するような事業に発展できるだろうか。
12時半頃に家を出て、2時前、NORAに到着。午前中に引き続き、佐々木さんと海藻について電話で相談、来月のスプリング・フェアに出展するために、横浜市緑政課にFAXで申込み、メルマガ発行の件で神奈川県環境計画課と調整など、事務的な仕事をこなす。これらを終えてから、昨日高橋さんからお借りした恩田の谷戸の写真をスキャンする。さらに、一昨日のバイオマスサロンの議事録を作成。
7時半、NORAを出て、9時頃、帰宅する。メイルを書くなどして時間を費やし、3時前から、CL「R.マドリード×ACミラン」をテレビ観戦。しかし、すでに決勝トーナメント進出を果たしているミランとレアルとにはモチベーションに差があって、あまり緊張感のゲームに見えた。そのせいか、前半終了後に眠くなり、4時頃には微睡みの中へ。
3月14日(金)
9時半、起床。朝の仕事を済ませ、美容院に予約を入れてから、12時前に自宅を出る。
1時、自由が丘駅下車し、「green hill」へ。3ヶ月ぶりにカットしてもらう。こうやって、長くなった髪を短くするのは、気分が一新して気持ちが良い。今日は、あまり美容師の人と話をしなかったけれど、その少ない会話の中で、ワックスをつけないと彼の技術の半分も生かせないと言われた。最近5年間くらいは、髪に何もつけずに過ごしているが、ときにはワックスでもつけてみようか。
1時間ほどでカットは終了。美容院から徒歩でが研究室に行く。図書館から借りていた本の返却期限が今日までだったので、まだ読んでいないものはコピーしてから返しに行く。
5時、研究室を出て、横浜方面へ急ぐ。6時頃、NORAに到着。6時半過ぎから、NORAの総会に出席する。総会に集まったのは、事務局スタッフの吉武さん、土屋さん、前田くん、ほかに、浅羽さん、十文字さん、福島さん、川嶋さん、馬場さん、それに僕と少なかった。6時半頃になっても、まだ総会資料を作っているようなありさまであることを見て、神奈川森林エネルギー工房の総会は、任意団体なのに真面目すぎるのかもと思った。
8時過ぎ、総会は終了。佐渡から来ていた十文字さんが、「直接的には太陽光利用ですが、組み方によっては木質バイオマス利用にもなる」というものを発明したというので、それを拝見。宣伝文句が仰々しかったので、かなり期待していたのだが、十文字さんが鞄から取りだしたのは、間伐材を利用したハンガー。なんとも拍子抜けした。十文字さんは、冗談なのか本気なのか、よく分からない。
しばらくすると、大和ビルの住人たち(田並さん、森末さん、山田さん)が仕事を終えて、NORAに集まってきた。なんのかんのと話をしているうちに、11時近くになり、終電が気になり始めたので帰ることにする。12時半に帰宅。それから、明日の事例報告に向けて、恩田の谷戸ファンクラブの活動をパワーポイントにまとめる。4時、就寝。
3月15日(土)
今日は、9時半から午後4時まで、NORA、神奈川県環境計画課、県自然保護協会、かながわトラストみどり財団などが共催する「かながわ里山フォーラムEAST~里山の未来を語る集い」がある。この中で僕は、午前中の協働事業報告会で司会を務め、午後の里山活動発表交流会では、恩田の谷戸ファンクラブとして事例報告することになっている。けっこう忙しくなりそうだ。
7時過ぎ、起床。シャワーを浴び、8時前の電車に乗って横浜へ。8時40分、かながわ県民センターに到着。すでに、県職員、トラスト財団の職員などは集まっていた。8時45分、スタッフが全員集合し、いざ準備作業に取りかかる。僕は前田くんと、機器のセッティングをおこなった。
9時半、平成14年度のかながわボランタリー活動推進基金21協働事業の報告会が始まる。これは、NORAと神奈川県環境計画課が協働実施している「市民による里山の保全とシステムづくり」について報告し、意見交換をおこなうというもの。NORAのスタッフと県職員が報告をおこない、この事業の実行委員会のメンバーである中川重年さんからコメントをいただた後、短い時間でフロアとの意見交換をおこなった。
11時40分、報告会は終了。12時からは50分間、「今森光彦の里山物語」が上映される。この間に用意していただいた弁当を食べて午後に備え、1時10分から里山活動発表交流会が始まる。僕は、「農家とのかかわり」というテーマ別報告の中で、恩田の谷戸ファンクラブがこれまで「農家の応援団」として谷戸にかかわってきたこと、また最近の事業として、一種の地域通貨的な野菜券を発行する事業を始めたことなどを8分間で紹介した。ほかの会員の方としては、石田さんが「福祉団体とのかかわり」というテーマで、グリーンの活動を紹介をされたほか、久間さん、吉本さん、久保さんが、会場にお見えになっていた。テーマ別報告をした団体には、協賛団体から○○賞がもらえることになっており、恩田の谷戸ファンクラブは「かながわ森林づくり公社賞」として「森林インストラクター2名の派遣(間伐作業・自然観察等の現地指導)」をしていただけることになった。
4時、フォーラムは終了。後片付けなどがあったので、会場を後にしたときには5時頃になっていた。その後、環境計画課の金井さんと、NORAの吉武さん、土屋さんと4人で、駅近くの店でデザートセットを食べ、6時頃、解散する。
6時半過ぎ、友だちの部屋に行き、夕飯として焼き鳥、肉じゃがなどを食べる。録画してあったCL「ローマ×アーセナル」を見てから、12時過ぎに床に就く。
3月16日(日)
8時に起きて、朝食をとってから部屋を出て、9時半頃、昨日と同じくかながわ県民センターへ。今日は、10時から12時までという短い時間で催される「協働フォーラム」に、パネリストとして出席するためにやって来たのだ。
9時45分、コーディネーター、パネリストが顔を揃え、主催者のサポートセンター側からフォーラムの進め方について説明される。10時、2階の特別ホールにてフォーラム開始。パネリストは、僕のほかに、小網代野外活動調整会議の宮本さん、NPO法人子ども虐待ネグレクト防止ネットワークの山田さん、よこはま水と緑の会の牧島さん、ソフトエネルギープロジェクトの佐藤さん、かながわ県民活動サポートセンターの鎌倉さんで、コーディネーターは、神奈川大学の松岡先生だった。
このフォーラムでは、クリーンエネルギー活用検討委員会の市民ワーキンググループの一員として、新エネルギービジョン策定にあたって、県科学技術振興課と協働して事業をすすめたことを事例報告した。昨日のフォーラムと比べると参加者が少なかったせいか、活気が乏しかった。それでも、行政と協働するときに、NPOは市民の代表ではないので、その事業内容をチェックする仕組みが必要なこと、そして広く協働のコーディネートをする機関が必要なことを主張することができたので、自分としては及第点だった。期待していなかった謝金が出たのも、嬉しかったし。
12時、フォーラムは終了。その後、かながわテレビの取材にこたえてから、1階のフロアに行き、「もっかな探検隊」が古着のジーンズを販売しているところを少し手伝う。ジーンズ販売は、川嶋さんが中心となって、石田美枝子さん、石田静子さん、土屋さんらがかかわっていた。1本800円という安さが魅力だったのか、50本は売れたようで良かった。しかし川嶋さんは、昨日食べたカキが当たったようで、今日は顔面蒼白だった。お大事になさってください。
余ったジーンズをNORAに運ぶまでは手伝わず、3時半には会場を後にし、4時半頃、友だちに部屋に戻る。すぐに、昨夜ビデオ録画したブンデスリーガ「ハンブルガー×シャルケ」を見る。試合はかなり荒れたけれど、高原の試合を決めるゴールを見ることができて良かった。その後、夕食をとり、8時から『武蔵』。CL「アヤックス×バレンシア」を見て、11時過ぎから『アリー~』を見る。日曜日の夜は、テレビを見るのに忙しい。
3月17日(月)
9時に起きて、朝食をとってから部屋を出て、スーパー三和で買い物をしてから帰宅。朝の仕事を済ませ、部屋の掃除をしたり、洗濯機をまわしたり、メイルを書いたり、この日記を書いたりしていると3時をまわる。昼食をとり、4時半から夕寝。8時に起きる。
起きてから、木村茂光『ハタケと日本人』を読む。歴史学者の書く本は、資料に使用されている漢字がそのまま説明もなく使われていることが多く、歴史的な素養がないと読みにくい。その中にあって、序章と終章は問題点がクリアなこともあって読みやすく、面白かった。
またもや日記を書いたり、メイルを書いたり、いろいろしていると2時になる。土日と働いたので、今日は日曜日のつもりで、家にこもって楽に過ごしたという一日だった。こういう日がないと、慌ただしくていけない。
3月18日(火)
8時に起床。朝の定例活動を終えてから、テレビを点けると、ブッシュがフセインに対して最後通告を突きつける様子が映し出されていた。いよいよ戦争が始まるという緊張感と、結局のところこうなるしかないのかという脱力感が混在したまま、衛星中継を凝視した。
消費生活研究所に提出する助成金申請書の変更届を書いてから、12時過ぎに家を出る。2時前、研究室に到着。借用していた図書を返却し、変更届を郵送し、別な助成金の申請書を取り寄せる。5時過ぎから、丸ちゃんとフィールドと学問とのかかわりについて議論。けっこう白熱して2時間くらいのロング・ディスカッションとなった。
7時半、研究室を出て、オーオカヤマと三和で買い物をして、9時に帰宅。9時のニュースを見終わえ、「プロジェクトX」の再放送を見る。今日のプロジェクトは、後に「スクール・ウォーズ」としてテレビ・ドラマにもなったツッパリ高校生と泣き虫先生の物語だった。よく知られたプロジェクトであろうが、高校生を全国大会に出場できるラガーマンに育て上げた山口良治さんには、やはり感動してしまう。
11時過ぎ、購入期限が切れそうになっていた航空券を購入。5月の中旬に、オヤジと弟と3人で阿蘇へ旅行する予定にしているので、そのためのチケットを買ったのだった。もちろん、バーゲンフェアの期間中だから、飛行機の旅ができるのだけど、この時期は行楽シーズンなのか、あまり良い時間帯の便は取れなかった。まあ、それでも東京-熊本間を1万円かからずに行けるのだから、文句も付けられまい。
3月19日(水)
8時に起床。僕の朝風呂は長い。たいてい1時間ほど入っている。何をしているかと言えば、ぬるめのお湯に浸かりながら、頭の中を整理していることが多い。たとえば、自分は何をやりたいのか、何をやるべきなのか、今やるべきことは何か、今のうちに考えておくべきことは何かなど。こうした時間を取れるということが、何とも贅沢だと思う。
風呂から出て、相模湾から上がってくる海藻について調査報告書を取り寄せて、12時過ぎに家を出る。1時半、千代田線日比谷駅下車。リクルートが銀座で運営しているギャラリー「ガーディアン・ガーデン」へ。ここは、年に2回、有望な新人を発掘するために『3.3m2(ひとつぼ)展』が開かれるところとして知られている。「グラフィックアート」「写真」それぞれについて、入賞作品が1坪のスペースに展示されるのであるが、今日は写真が展示されていた。十数名の作品のうち、小浜島のキビ刈りの様子を撮影した田中サトシさんの作品「黒糖」を見に来た。研にぃ、マサさん、カッちゃん、タカさんが確認できたほか、後ろ姿からナリちゃんと思しき人物も写っていた。まだ、キビ刈りに汗を流している研にぃや、ファームの連中のことが思い出された。
写真を見終えて、旭屋書店で本を購入し、わしたショップに行く。銀座のわしたショップに来たのは初めてだったので、店内を何度もぐるぐると回り、何が置いてあるかを確認し、歌や芝居のライヴを宣伝するチラシを数枚ゲットした。予想していたよりも品揃えが充実しているので、都心に出るときはたびたび訪ねたい。
銀座一丁目駅から地下鉄に乗り、永田町、目黒経由で緑が丘駅へ。3時頃、研究室に到着。しかし、丸ちゃんがいるわけでもなく、あまりいる意味もなかったので、5時に研究室を出る。買い物をしてから、6時半に帰宅。一昨日買った挽肉が余っていたので、ミートソースを作り始める。すると、友だちからメイルがあり、明朝、WOWWOWでCL2次リーグ・グループBの最終節を放映するから、泊まりがけで見に来ないかと誘われた。今週は、CLの2次リーグの結果が出て、ベスト8が決まるというとてもエキサイティングな1週間である。しかし、ウチにはWOWWOWがないので、家にこもっていても、その興奮を味わうことができない。そこで、友だちには悪いと思いながらも、サッカーを見に友だちを訪ねることにした。
9時前、作ったミートソースを冷凍してから家を出る。10時前、友だちの家に到着。持参したノートPCで少し作業してから、1時過ぎに就寝。
3月20日(木)
7時半、起床。早朝に録画したCL「アーセナル×バレンシア」を見る。アイマールやキリ・ゴンザレスなどのアルゼンチン勢が好きなので、激戦のグループBでは、バレンシアを応援してきた。バレンシアは、勝たない限り決勝トーナメントに駒を進めることができない。いきおい、試合は攻撃的で、面白い展開となった。これまであまり評価してこなかったノルウェーのカレウが2点決めて、2-1でバレンシアが勝利。泊まりがけでサッカー観戦した甲斐があった。
試合終了後、朝食をとって、10時頃、友だちの家を出る。11時前、NORAに到着。近くの安い中華料理店で、500円のランチを食べ、1時半頃からスタッフ会議に参加する。吉武さんにしろ、土屋さんにしろ、今年度のNORAの仕事のやり方は不本意だったようで、4月からの年度をどのようにしていくかが話し合われた。コンサルとも違う、行政とも違う、NPO的な仕事とは、どのようなものなのか。NORAとしてのミッション、スタッフの実現したいことを、各自が述べながら話が進められた。僕は、仕事の地域性、継続性、市民性、透明性などが、NPOにとっては重要であると思うというようなことを話した。侃々諤々という感じではなかったものの、5時頃まで真剣に議論を重ねたので、NORA方向性については、かなりの熟度で合意が図れたと思う。
6時過ぎ、前田くんのところに預けてもらっているよこはまの森フォーラムの荷物を点検。6時半過ぎ、スタッフは事務所を後にして、横浜駅に出て、土屋さんと別れ、吉武さんと前田くんと3人で、かながわ県民活動サポートセンターへ。7時から、よこはま川を考える会主催の講演会に参加。今日のスピーカーは、日大の大澤さん。4月から大分の大学に就職することになったので、送別会を兼ねて研究内容を発表してもらうということだった。大澤さんは、僕と同じように、環境コンサルタントを辞めて大学院へ行ったので、シンパシーを感じる。だから、ドクターを取って、大学の先生になったことについては、素直に喜べた。
よこはま川を考える会の総会の後、1時間半ほどの時間のなかで、攪乱依存型のミズキンバイやカエル類、公園内の水田管理形態、高校生の環境教育という3つの話題が提供された。それから、質疑応答が少しあって、9時に講演会は終了。集まった25名ほどとともに、送別会になだれ込む。神奈川森林エネルギー工房の会員にもなっている島村さん、橋本さん、辻本さんなど、日頃からお世話になっている方々も集まっていたので、終始、和やかな感じで楽しめた。
11時、1次会は終了。2次会に誘われたけれど、終電がなくなってしまうので、橋本さんと一緒に帰ることに。12時半、帰宅。
3月21日(金)
8時、起床。今日は、1日中、引きこもっていた。片付けた仕事を羅列してみよう。神奈川森林エネルギー工房が横浜環境保全活動賞を受賞することになったので、横浜市から求められた「受賞にあたっての言葉」を書いた。環境保全局の助成金申請書を途中まで書いた。大塚プロジェクトの業績報告を書いて事務局に送った。と思ったら、メイルに添付し忘れていたので、再送した。NORAの出勤簿をまとめた。来月もらえるバイト代で、何を買おうか算段した。日本の竹ファンクラブの竹林管理講座に申し込んだ。申し込むときに、なぜ年齢を書かなければいけないのか抗議した。自分が発行しているメルマガ「かながわ環境インフォメーション」がどのように読者に届くのか知りたくて、読者登録をしてみた。神奈川森林エネルギー工房のMLに3回に分けて情報を流した。「おしん」と「SASUKE」を30分ずつ見た。花崎皐平『アイデンティティと共生の哲学』を読んだ。こうしたことの中で、今日の大きな発見といえば、「チャンネルJ」を知ったことだった。以下に、メイリング・リストに投稿した内容をそのまま掲載する。
「久しぶりに、岩手・木質バイオマス研究会のサイトを見ていたら、『チャンネルJによる岩手県県葛巻町自然エネルギー特集 期間限定』という記事を見つけたので、さっそくアクセスしてみました。は、今日まで「チャンネルJ」を知りませんでしたが、宣伝文句によれば、「日本の様々な情報を、世界に向けて発信するニュースタイル放送局」とのことです。まだ隅々までは見ていませんが、けっこう面白いかもしれません。それはさておき、このネット放送局にアクセスし、さっそく「新エネルギーの町―葛巻町」という番組を見てみました。/ご承知のとおり、葛巻町は、自然エネルギーの先進地であり、木質ペレットを製造している葛巻林業の工場があったり、国産のペレットストーブやペレットボイラーもあります。木質バイオマスに関心があるならば、ぜひ訪ねるとよいと思います。しかし、『はやて』が通ったからといって、盛岡から車で2時間ほどのところにある葛巻町へはなかなか行くことができないでしょう。/ならば、とりあえず、この約15分の番組を見ることをおすすめします。葛巻町が山がちで寒そうなところにあることがわかりますし、風力、太陽光、木質ペレット、畜産バイオガス、葛巻町で見られる自然エネルギーの数々を見ることもできます。(ちなみに、木質ペレットの紹介は、放映開始6-7分後くらいにあります。)」
部屋にこもって、ちまちまとした仕事をしていただけで、1日が過ぎてしまった。2時に就寝。
3月22日(土)
8時過ぎに起きて、午前中は少し活動。11時半頃、家を出て、新百合ヶ丘のユニクロへ。持っているジーンズのすべてに穴が空いているので、新しく買おうと思っていたところに、30日までジーンズが1本2,000円で買えるというチラシが舞い込んできたので、やって来たのだ。派手に宣伝していたので、混んでいるかなと予想してきたものの、それほどでもなく、マイペースでショッピングすることができた。しかし、どうも形が気に入らず、さんざん試着した挙げ句、ジーンズは1本も買わず、ピケを1本だけ買った。
12時半過ぎ、お店を出て、1時半頃、経堂の実家に到着。昨晩から、弟一家が上京しているので、親父も含めて家族で会うことになっていたのだ。家に入ってまず驚いたのは、すでに1歳4ヶ月ほどになる遼太の成長ぶりだ。昨秋会ったときはハイハイしていたが、今はすっかり歩けるようになり、運動するようになったためか、顔つきや体つきが細くなっていた。見違えるほど成長したという表現は、こんなときにぴったりくる。
2時過ぎから、昼食の時間となる。カボチャのスープ、サラダ、ローストビーフなどを食べた。サラダの中に入っていたトマトがユニクロのもので、お袋が通販で購入したのだという。さらに聞けば、ほかにもイチゴや飲むヨーグルトもユニクロで買ったようだ。メイル受送信やウェブ閲覧だけでなく、ネット・ショッピングにも手を出していたとは・・・。おそるべし。
食後、一休みして、6時半頃から旧ファミリー4人で麻雀を始めた。半チャンを終えて、8時から夕食。9時半過ぎから、さらに半チャンをやる。今日は、1,500円ほど負けた。11時過ぎに経堂を出て、12時過ぎに帰宅。
3月23日(日)
8時過ぎに起床。午前中は、1週間分の日記を書くなどして過ごす。最近、日記をまとめて書くようになってしまった。今振り返ると、毎日、きちんと書いていたことが不思議に思える。
日記を書き終えてから、最近、気になっているネットワーク・ストレージとオンライン・ストレージについて調べる。昼食後、2時半過ぎに家を出て、町田で買い物をしてから、4時に友だちを訪ねる。すでに、CL2次リーグは終了しているので、今晩はサッカー観戦をしない。夕食は、お袋からもらったローストビーフの残りと、バジルとアサリのパスタ、さらに、サラダ、パン、ドリンク。かなり豪勢な食事となった。
昨日から少し寒気を覚えるようになっているので、8時から『武蔵』を観るときも、毛布にくるまっていた。少し早めに床に就き、1時過ぎから『アリー~』を観て2時に就寝。
3月24日(月)
9時起床。朝からローストビーフの残りの残りを食べて、10時頃に部屋を出る。11時にNORAに着くと、土屋さんと前田くんのほか、川嶋さん、山田さん、森末さんがいらっしゃって、打合せをしていた。僕は、資料整理や電話連絡で昼までの時間を潰す。12時をまわり、これから出掛けるという山田さんと森末さんを除いた4人で、近くのイタリア料理店で昼食をとる。食後、解散する「よこはまの森フォーラム」の書類を、戸塚さんが代表を務める「(NPO)緑の街」に送る。これで、解散にあたって、僕がやるべき仕事は終わった。やっと肩の荷が下りた気分。
1時半過ぎ、昼から事務所に来た吉武さんも加え、NORAのスタッフ4人で打合せが始まる。先週の木曜日に、大枠については話し合ったので、具体的な仕事の進め方や分担などについて議論した。僕は、面白いと思えない仕事は徹底的に合理化したいと思うので、適切にアルバイトを雇うことや、仕事の役割分担を明確にして責任を分散することなどを主張した。議論は6時頃まで続けられ、その最後に、働き方と給料について話し合った。NORAの収入は、僕が会社で仕事をしていたときの会社員1人当たりの収入とほとんど同じである。その少ない収入の中から、経常経費、事業経費などを差し引くと、いくらも残らない。結局、6年前の給与の40%で、週4日働くことになった。NPOの労働環境は、まだまだ貧しい。
6時半、事務所を出て、三和で買い物をしてから、8時過ぎに帰宅。夕食後、メルマガの骨子を作り、ホームページのフォームについて調べる。今週中に、メルマガ「KEI」の創刊号を発行するが、このメルマガとリンクしたウェブサイトも同時に開設する。そこに、投稿用のフォームを設置したいのだけど、cgiが使えない環境なので、その場合にはどうしたらいいか調べていたのだ。技術的には難しくないが、付随して発生する問題がいくつかあることがわかった。2時頃、就寝。
3月25日(火)
8時起床。風呂にはいるが食事はとらず、9時過ぎに家を出る。南太田駅の近くにあるパン屋でドイツ・パンを購入し、10時半、NORAに到着。しばらくすると、待ち合わせていた農大生の浦戸さんがやって来た。現在、大学4年生の彼女は、バイオマスをテーマに卒論を書きたいという。僕は、神奈川森林エネルギー工房のこと、最近のバイオマスに関する国の動向などについて説明し、まだ興味の対象が絞られていなかったので、とりあえず、いくつか資料を読んでみることをすすめた。
12時過ぎに浦戸さんは事務所を後にし、ほかのスタッフ3名は1時過ぎから打合せに出掛けたので、午後は1人で留守番をしていた。その間、明日までに原稿を仕上げることになっているメルマガの記事集めに努める。神奈川県環境計画課の白浜さんにお願いして、県の研究機関が主催するイベント情報の掲載許可をいただいたり、新しい環境学習をつくるネットワークの羽角先生に掲載記事を送ったりと、ほかにもいろいろあったが、精力的に動いた結果、思いのほか情報が集まることになりそう。
夕方、吉武さんと前田くんは、事務所に帰ってきた。メルマガとリンクするサイトを作ってもらっている前田くんは、かなり忙しそうだ。吉武さんも、来年度の契約書とにらめっこしながら、弱ったなあという顔をしている。そんな状況を尻目に、僕は8時前にNORAを出る。
横浜で少し寄り道をしたので、帰宅は10時頃。それから本格的に、メルマガ「KEI」の記事執筆と編集作業に取りかかる。途中、たまっていたメイルに返事を書きつつ4時までやるが、集中力が切れたので眠る。
3月26日(水)
9時に起きて、まずはゆっくりと風呂に浸かる。それから朝食をとりながら、昨日の編集作業を11時半過ぎまで続ける。12時前に部屋を出て、1時前、かながわ県民活動サポートセンターに到着。
1時から、今年度最後の市民ワーキンググループの会議に出席。「かながわ新エネルギービジョン」は今月末までに策定されるが、これを絵に描いた餅にしないためには、来年度以降、具体的に実現していくために積極的に動く必要がある。とりわけ、ビジョンに掲げられた県央と県西・北部の2つのモデル事業を、地元自治体とともにすすめていくことがポイントであり、今日の議論も、もっぱらこの点について話し合われた。僕は、モデル事業をスムーズにすすめるためには、地域との連携が不可欠なので、県央と県西・北部でのシンポジウムを提案したが、予算が不足しているという理由でいったんは斥けられた。しかし、県の予算とNEDOの補助金だけに頼るのではなく、地域おこしとしての補助金を利用したり、「バイオマス・ニッポン総合戦略」の追い風に乗っていくという選択肢なども模索することが必要と指摘したところ、経産省の補助金申請を検討することになった。
今日の打合せは、県と市民WGのメンバーだけだったので、具体的な話があまりできなかった。やはり、モデル事業の進め方を議論するときには、地元の自治体職員の意見も拝聴しなければいけない。次回、4月上旬の打合せでは、今日よりも広く関係者を集めて話し合うことになった。
4時で打合せは終了。11階の情報・相談コーナーに行き、前田くんに挨拶してから、打合せ資料を作る。5時過ぎ、白浜さんがお見えになったので、前田くんと3人で打合せを始める。白浜さんは、3月いっぱいで大阪に戻るので、まず、業務の引き継ぎ事項について確認した。ほかに、メルマガ、ウェブサイトのコンテンツについて詰めた。
6時半過ぎ、打合せは終了。横浜駅から、東横線と日比谷線に乗り、神谷町で下車。7時半頃、ラフォーレ六本木の地下1階にあるドイツ料理店「ツム・アインホルン」に行く。今日は、大学では卒業式があったようで、この日に合わせて7時から、矢野・土場研究室の謝恩会が開かれていたのだ。花粉症から少し風邪を併発し、体調が良くなかったので、普段ならば欠席するところだったろう。しかし、来年度から東大に行く矢野先生とツブさんの送別会も兼ねていたので出席した。ドイツ料理というと、ソーセージとジャガイモくらいしかイメージできず、料理についてはほとんど期待していなかった。ところが、意外や意外、ここの料理はとても美味しくいただくことができた。小さなパーティーにはうってつけの、なかなか素敵なお店でした。
送別会という色彩が強かったので、かなりOB・OGも参加していた。こういうときに集まるのは、きちんとサラリーマンをやっている人びとである。社会の隅の方で生きている連中は、ほとんど出席しない。エリート校の卒業後のパーティーとは、そういうものだ。駒東の場合もそう。そのことを、あらためて実感した。
10時半頃、パーティー会場を後にして、六本木一丁目駅から南北線に乗る。千代田線、小田急線と乗り換え、12時頃に帰宅。それから、10本近くメイルを書いて、3時に就寝。
3月27日(木)
9時に起きるが、だいぶ体調が悪い。頻繁に咳が出て、つらい。今日中に、メルマガを発行し、助成金の申請書を仕上げる予定にしていたのだが、それどころじゃない。昨日のパーティーの残り物を持って帰ったので、それを食べてから、暖かくして寝ることにする。
大塚プロジェクトの木津さんからの電話で、2時頃に1回起きたきりで、11時まで寝たっきり。さすがに寝るのにも飽きて、2時間ほどメイルを書くなどするが、2時には就寝。
3月28日(金)
7時半、起床。昨日は、ほとんど丸1日寝ていたにもかかわらず、全快していない。それでも、昨日よりは咳の数は減り、だいぶ楽になった。相変わらず、鼻は詰まったまんまだけれど。
まずは9時半までかけて、、メルマガ「らびっとにゅうず」を編集・発行する。それから、朝食をとり、朝風呂にも入り、まちづくり市民財団の助成金申請書を書き始める。途中、昼食をつまみながら、4時までかけて申請書を仕上げる。実践したい事業の内容が、ちょっと助成金の趣旨と異なるので、採用されるかどうかはかなり怪しい。それでも、申請書を書くが、何をやりたいかをまとめる機会となったので、この経験は今後に役立つと思う。
4時過ぎ、家を出て、三和で買い物をして、郵便局で申請書を出して、5時に戻る。メイルを書くなどしていたら7時になったので、サッカー「日本×ウルグアイ」をテレビ観戦。日本代表は攻撃的だったので面白かったけど、後半の残り20分くらいからは、なぜか迫力がなくなってしまった。ウルグアイがかなり守備的だったこともあったが、攻め手を欠いていた。こういうときに点を入れるのは困難だろうが、入れてほしいんだよね。
サッカー中継が終わり、なんとなく野球中継「中日×読売」も観る。もう、野球には熱心になれない自分を確認する。
夕食にサンドイッチをつまみ、10時半頃から、横浜市環境保全局に提出する書類を作成する。これは、神奈川森林エネルギー工房が、来年度の環境保全賞を受賞することになったので、受賞にあたってのコメントと活動内容などを紹介する文章を書いて月末までに送るようにいわれていた仕事である。1時間半ほどかけて、この仕事を終え、1時に就寝。
3月29日(土)
8時には起床。今月末までに、東大出版会に所収される論文2本のリライト版を書かなければいけない。しかし、花粉症のためか、頭がぼーっとしてしていて、気力が湧かない。やらなければいけない仕事には手が着かず、ほとんど1日、寝たり起きたり、テレビを見たりという感じで過ごした。
今日、適当にテレビを見ていて面白かった番組は2つ。1つは、3時から日テレでやっていた『爆笑問題の○○がもし100人の村だったら』。これは、○○のところに北朝鮮、犯罪者などを入れて、あまり知られていない人びとの生活を、「世界がもし100人の村だったら」のアイデアを借りて、わかりやすく紹介する番組だ。パーセンテージで紹介するよりも、なぜだかこの100人の村で説明する方がが説得力がある。ノリとしては、NHK『週間こどもニュース』に近く、徹底的に単純化して事情を伝えたところが好印象だった。
もう1つは、NHK『地球に乾杯』。今日は、「マリアッチの妖精は歌う」というタイトルで、名酒テキーラの産地・メキシコテキーラ村の若い女性たちが、国際マリアッチ大会に向けてバンドを組み、稽古に励む姿が放映された。この番組は、大きな物語を作ることもなく、世界中の人びとの生活を映し出してくれるところが良い。テキーラの原料となる竜舌蘭を、専用の大きな農具を使って細く長い葉を巧みに切り取り、重さ50キロにも及ぶという大きな実をトラックに積み込む労働者の姿を見たとき、サトウキビの収穫に明け暮れている小浜島・西表島の友だちを思い出さずにはいられなかった。
3月30日(日)
8時半、起床。さすがに、今日は論文を書かなければいけない。そこで、昨年末に提出した元原稿を探したが、なんと手元に見当たらない。記憶では、自宅のノートPCにファイルをしまったはずなのだが、研究室のPCに入れたままだったのか。仕方なく、研究室のPCに保存されているファイルを取りに行くことにする。
朝食をとり、シャワーを浴びて、11時頃に自宅を出る。昼過ぎ、研究室に到着。すぐに、必要なファイルを探し出し、メイルで転送する。ついでに机の周りを整理して、3時頃に帰宅する。
行き帰りの電車のなかで、橋爪大三郎『「心」はあるのか』を読む。僕にとって、心のことは問題ではない。10代の頃には、心について少し考えたかもしれないが、30を過ぎた今となっては、まったく考えることのない問題である。心(とくに真心だとか)は、あると思うから、それがわからないとか、身体と一致しないなどと思うのだろうが、そんなものはないと考えれば、問題そのものが消去してしまう。僕にとって心とは、そういうものである。だから、けっして、書名に惹かれて買ったのではない。橋爪さんが、心にどうアプローチするかに興味があって買ったのである。読んでみたところ、橋爪さんがこれまで書いてきたことを再確認でき、頭が整理できて良かった。この人は、本当に頭がクリアな人なんだろうなあ。
帰宅してから、得意の夕寝。8時からは『武蔵』、そして深夜は、『アリー・myラブ5』の最終回を観る。うーん。あまり、論文のリライト作業は進まなかった・・・。
3月31日(月)
7時半、起床。すぐに、朝食をとりながら、論文を書き始める。2時半、だいたい論文がまとまったので、プリントアウトをするために大学に向かう。3時半過ぎ、研究室に到着。1時間半ほどかけて、最後のチェックを済ませ、原稿を印刷する。
隣の部屋をのぞくと、明日から社会人1年生となる池ポンが来ていて、研究室のPCに入れたままになっているファイルや個人情報を消去しようとしていた。しかし、なかなか完全に消し去ることができず、江くんやイコマロとともに、ああだこうだと悪戦苦闘している模様。自分もその輪に加わり、ああでもない、こうでもないと言いながら、あれこれやってみる。2時間ほど試行錯誤した結果、池ポンが使っていたPCから情報をきれいに消去することができた。めでたし、めでたし。
8時過ぎ、研究室を出て、近くのコンビニに行き、論文2本の原稿を東大出版会と松井先生に送る。緑が丘の駅前から、九品仏川緑道の桜を見ながら自由が丘駅まで歩き、電車に乗って、9時半に帰宅する。
夕食をとり、夜の活動に時間を費やしてから、3時半に就寝。