3月1日(金)
朝遅く起きて、ご飯食べて、夜早く寝た。
月が変わったというのに、のっけから、やる気のない日記だこと。他に何かやったかなあ。あっ、そうそう。@ニフティのセカンド・メールサービスを利用してアカウントをもう1つ取得し、これを神奈川森林エネルギー工房事務局のアドレスとした。それと、ネットで注文した歴民博の研究報告書が届いた。この報告書には、篠原さん、松井さん、菅さんといった大塚プロジェクトのメンバーや、哲学者の内山節、民俗学・環境社会学者の鳥越皓之、民俗学者の安室知など、人間と自然のかかわりを研究してきた人たちが、ずらり顔を揃えて論文を寄せている。面白そうな報告書だ。さらにもう1つ。このサイトを通じて、明後日行なう「HARVEST MOON LIVE 7」に申し込んでくれた人がいた。サイトに載せておくと、何かしらの効果があるものだと改めて実感。
それはそれとして、とにかく何だか理由は分からないが、眠かったので16時間くらい寝ちまった。これは、花粉症の影響だろうか。昔覚えた孟浩然『春暁』の「春眠暁を覚えず……」を思い出しますなあ。
3月2日(土)
午前中、弟からメイルでグッド・ニュースが入る。弟の歌集『駅へ』が「第10回ながらみ書房出版賞」を受賞したというのだ。この賞は、ながらみ書房から昨年一年間に出版された第一歌集を対象にしたものだという。それほど大きな賞ではないけれど、これまで惜しいところで賞を逃し続けてきたので、とにかく喜ばしいニュースには違いない。
一方の僕はと言うと、神奈川森林エネルギー工房の報告書作りが進まない。今日は、先月2日に開催したシンポジウムの記録作りに時間をかける。月末には報告書を完成させたいけれど、こればっかりに時間を掛けられるほど暇じゃないし。と言うのも、月末までには八重山調査の論文を書き上げなければならないからだ。だから、論文執筆のために必要と思われる資料をネットで検索するのにも時間をかける。webcatはもちろん役に立つけれど、ほかには「島の図書館」というサイトが重宝する。これは、全国にある日本の島432島に関する文献目録があるので便利だ。また、つい最近まで知らなかったのが、霞ヶ関にある(財)沖縄協会資料室の存在。webcatでは検索できないようなマイナーな資料も、ここにある場合がある。とにかく、東京でも沖縄関係の資料を気軽に閲覧・複写できるのが良い。近いうちに行ってみないと。
これらと並行して、明後日に催すキノピーの送別会をアレンジする。具体的には、参加人数の最終確認と、会場の手配、それと決定事項の参加者への通知を行なう。会場選びは結構迷ったものの、キノピーが鶏肉とご飯を食べたいと言うので、自由が丘にある「鳥はな」という鳥しゃぶが有名な店に決定。これまで一度も鳥しゃぶを食べたことがないので、個人的にも楽しみだ。
3月3日(日)
今日は桃の節句。ひな祭り。そして、僕たち「もっかな探検隊」が勇気野菜プロジェクトとスペースオルタと「HARVEST MOON LIVE 7 もっともっともーっと神奈川ひなまつり in スペースオルタ」(長いイベント名だね)を共催する日である。
9時過ぎに家を出て、新横浜にあるスペースオルタに着いたのが集合時間の10時。まずは会場設営のために、椅子や机を移動する。10時30、いったんスタッフが全員集まり、オーガナイザーの杉さんが中心となって、今日の役割・スケジュール等を確認。杉さんから、前売りと予約の数だけで、すでに会場の定員170名に達していることを聞かされびっくり。かなり盛り上がることを予想し、身が引き締まる思いを感じる。スタッフ・ミーティング終了後、受付係を小園さんとともに命じられた僕は、受付の準備に取りかかる。しかし、この作業はすぐに終わったので、今日配布するパンフレット(いわゆる当パン)の折り込み作業を手伝う。川嶋さんや石田(美)さんらは、豚汁作りに励んでいるが、僕が手を出し口をだしても、足手まといになるだけなので、その後は雑用係。ミュージシャンの楽器を運んだり、スタッフ用のリボンを配布したり。
そんなことをしているうちに時計の針は12時を回る。昼飯時になったので、豚汁を作っているところまで行き、出来たてを味見する。具材となっているチャンプールの野菜が美味しいので、もちろん豚汁はうまい。豚汁を飲み終えると、次はスリランカ食堂の出店で、デビル丼というスリランカカレーを食べる。また、搗きたてのお餅も食べる。
こうして腹ごしらえして、いよいよお客さんを待つ。2時、受付開始。お客さんがひっきりなしに来るので、受付はてんてこ舞い。当初の予定では、受付で名前や住所などを書いてもらうはずだったのに、そんな余裕はなかった。あっという間にすべての席は埋め尽くされ、桟敷席も満員。立ち見も出るほどである。そんな状況に現れたのが、コンサートのトップを飾る中村サコト→&ロマロマ。まずは、その圧倒的な声量と楽器のようなヴォイスが特徴の中村サトコ→嬢に圧倒される。サトコ→嬢と組んでいるのは、今どき珍しい大衆芸能の系譜に当たる音楽サーカス団・ロマロマ。このロマロマのあざとく笑いを取ってゆく手法に懐かしさを覚えつつ、お客さんは大いに盛り上がる。約40分のステージは、楽しく終了。トップバッターとしての重責を十分に果たしてくれた。
最初のライヴが終わると、ゲスト・トークの時間。杉さんと飯盛さんが司会となり、「かれん」の市村さんと「青空農園」の菅原さんをゲストにお招きしてのトーク。静かに真面目な話が語られる。僕は、どうしても真面目な話が苦手だ。たぶん、自分が不真面目だからだと思う。あなたのように自分は素直に真面目に生きられないよと思っているのかもしれない。
トークの後は、20分のブレイク。ちょうどそのとき、カルロスが友だちを連れて遅れてやって来た。カルロスにとってゲスト・トークは、聞いても意味が分からなかっただろうから、遅れてきてちょうど良かったかもしれないと思う。4時20分過ぎ、コンサートの後半が始まる。後半は残り2組のライヴ。まずは、酒井俊ユニットから。ジャズシンガーの酒井さんは、いろいろな名曲をジャズに昇華して歌いあげる。トム・ウェイツの「Grape fruit moon」から始まり、野口雨情の「4丁目の犬」、三輪(丸山)明宏の「ヨイトマケの唄」など。これに酒井俊さんオリジナルの歌が途中に入る。僕は、ネーネーズの「黄金の花」を歌ってくれたことに満足した。
ラストを飾ったのは寿[kotobuki]。今回、寿[kotobuki]のライヴを初体験したけれど、これがとにかく盛り上がる。客を相手に拍手の指導、さらには歌の指導も行なうヴォーカリスト・ナビィの巧みな話術に乗せられながら、ライヴは進められる。もちろん、そのナビィの個性は、歌の中で最も発揮される。その歌声に乗って、、客は自分で拍手したり、合いの手を入れたり、ときには静かに酔いしれたり。まさに、ナビィは歌姫であった。寿[kotobuki]が演奏を終えると、アンコールの大合唱。やや間があって、今日登場した3組のバンドが舞台に揃い、喜納昌吉の「花」を歌う。そしてラストは、カチャーシー。当然、客も立ち上がって、舞い踊る。しかし、ここは沖縄ではなく横浜。だから、ほとんどの人はカチャーシーを踊っているようで、阿波踊りか蛸踊りになってしまうのだけれどね。
6時半、コンサート終了。カルロスは寿[kotobuki]が気に入ったようで、CDを購入し、ナビィにサインを入れてもらっていた。カルロスと一緒に来てくれたコロンビア人も、日本に長く住んでいるが、こんなに楽しいパーティーに参加したことはなかったと、とても喜んでくれた様子。いやー、客の入りも予想以上に良く、コンサートも大いに盛り上がり、大成功でございました。
8時、出演者、スタッフ、お客さんが40人くらい残って、スペースオルタの6階にある座敷で打ち上げ。ここでも、出演者はそれぞれ1曲か2曲ずつ歌ってくれた。また、「もっかな探検隊」を代表して小園さんも自作の唄を歌ってくれた。金ちゃんは、お得意のボブ・マーレーを踊りながら歌う。芸達者な人が揃うと、打ち上げも単なる飲み会ではなく、各自の芸をお披露目する場となる。
10時頃、打ち上げを中締めしたところで、僕は吉成さん、勝野さん、田島さんらと共に席を立つ。11時に帰宅。長い一日が終わった。
3月4日(月)
10時半過ぎに市役所に行き、住民票と非課税証明書を受け取る。ついでに、市民税・都民税の申告も行なう。11時過ぎ、東京都住宅供給公社に行き、市役所で取ってきた書類を添えて、住宅使用料の減免申請を行なう。昼飯は、韓国料理の「徳の家」で石焼きビビンバを食べる。ここのランチは、安くて美味しくて良い。
2時頃、研究室に到着。荷物を下ろすと、取り寄せた図書と論文を取りに図書館へ。図書については、必要と思われる部分をコピーする。研究室に戻り、丸ちゃんとトーク。その後は6時半まで調査データの整理。6時半過ぎ、タバティとカモさんと一緒に自由が丘に向かう。7時から、鳥料理の店「鳥はな」でキノピーの送別会があるのだ。7時に店に着くと、ジローラモが店に至る階段の上にいたので、4人で店内に入る。その後、やや遅れて主賓のキノピーと今田研の城さんが、さらに遅れて、キノピーに送るプレゼントを探していた丸ちゃん、イコマロ、池ポン、ニロさんがやって来て、参加者10人が勢揃い。出席を予定していた土場先生が、体調を崩して欠席されたのは残念だったが。
今日は「鳥しゃぶ食べ放題」(3,500円)を注文した。これは、90分間鶏肉食べ放題というメニューで、もちろん、鍋の具となる野菜・豆腐・葛切りなども付くし、ほかに焼き鳥2串と釜飯半釜が付く。鳥しゃぶという料理は、今回初めて食べてみたけれど、とてもあっさりしていて美味しい。店も落ち着いた感じで、良かった。宴会に使えるお店としてチェックしておきましょう。キノピーは、すっきりしたような顔をしていて、いい感じだった。プレゼントにも喜んでくれたようだった。後から振り返ったとき、楽しかった思い出となれば、嬉しい限りだけど。
10時に「鳥はな」を出る。僕は、昨日も飲んでいたし、キノピーも帰るようだったから、一次会で帰ることにした。研究室に戻ったメンバーは、その後二次会をやったに違いない。
12時頃帰宅すると、部屋の中が外出したときと違っている。すぐに、お袋が家に来ていたことを悟る。果物や野菜、パスタの麺などが置いてある。いろいろと気を遣わせて済まないね。
3月5日(火)
まず午前中に玉川学園文化センターへ行き、昨日、市役所で取り忘れた印鑑登録証明書を取る。いったん家に帰り、まとめてメイルを送り、3日分の日記を付ける。午後は、神奈川森林エネルギー工房の報告書作りに追われる。だいぶ形は見えてきたが、まだ報告書完成までにはやるべきことが多い。
6時に家を出て、7時に蒔田にある田並さんの家に着く。今晩は、17日に行なう十文字さんの送別会の打ち合わせだ。すでに、山田さん、勝野さん、浅羽さん、前田くんが集まっていた。まずは腹ごしらえということで、田並さんと勝野さんのお手製の食事をいただいた。これまで知らなかったけれど、2人とも料理が上手だ。また、部屋の中を見回せば、非常に生活感がある女性らしいつくりになっている。こういう部屋と比較すると、僕の部屋がひどく殺風景なことに気付く。
それはそうと、今日こうやって他人の家に上がったのは久しぶりだ。僕は、昔から他人の家に上がることを避けてきたし、また他人を自宅に招くこともほとんどなかった。その理由は、他人の生活に関心がないこと、そして自分の生活がつまらないものだからである。田並さんの部屋にお邪魔して、改めて僕は「生活」に対して、何とも言えない恐れを抱いていると感じた。きっと、「生活」に回収されるのが嫌なのだ。「生活」に拘るのが嫌なのだ。
話がわき道に逸れてしまった。元に戻そう。夕食をいただいたのであった。お腹が満たされると、いよいよ打ち合わせである。実は、今度の送別会の中で、「トキの恩返し」という寸劇をやることになった。今晩は、その中身を詰めるために集まったのだ。そして僕は、昔芝居をやっていたからということで演出役に引っ張り出されてしまった(何やってんだか)。それでも、やるからには中途半端にやりたくないので、山田さんが書いてくれた台本の中で気になる点を指摘させてもらった。それから、みんなでアイデアを出し合って、セリフを変えたり演技を付け加えたりして、ついに台本を完成させた。11時、終電が気になったので、一足早く田並邸を出る。結局、小田急線の上り最終電車で帰った。
帰宅すると、アリスセンターから「らびっとにゅうず」の原稿が届いていた。どうせやらないといけないのだから早めにやってしまおうと、その原稿をもとに「らびっとにゅうず」メイル・マガジンを編集・発行してから就寝。
3月6日(水)
10時半に家を出て、12時前に下北沢に到着。久しぶりに下北沢に来たので、街がどのくらい変わったのか確かめようと、街中を散歩する。しばしば、下北沢は自由が丘と対になって紹介されるが、僕は断然、下北沢が好きだ。中学生のときから会社勤めしていたときまで、およそ15年間かかわり続けてきたので、愛着が湧くということもある。しかし、今日歩いて気付いたのは、下北沢の方が道路が狭く、ごちゃごちゃした感じで、車も少ないところが、自由が丘よりも良いということだった。自由が丘とも5年近い付き合いになるが、どうもこの街は好きになれない。
さて、いろいろ歩いた末、下北沢にあるタイ料理の店で昼食をとる。食後、井の頭線で駒場東大前まで行き、東大の人文地理学事務室に行く。ここの卒業生の卒論をコピーするためである。しかし、あいにく事務員の方が昼休み中で不在だった。そこで、しばらく本を読みながら待っていると、1時半頃に戻ってきた。用件を申し出て必要な卒論をコピーし、コピー料金を支払う。その後、人文・社会系の図書がかなり揃っている生協の本屋に立ち寄り、3時前に東大を後にする。3時半過ぎ、研究室に到着。席に着くやいなや、来年度前期の授業料免除申請書を書き上げ、厚生課が閉まる5時直前に、その書類一式を提出する。その後は研究室に戻り、今日コピーしてきた論文に目を通すなどして過ごす。
9時近くになり、腹が空いたので研究室を出て家に直行する。10時頃、自宅に到着し、すぐさま食事の用意に取りかかる。今日の夕飯は、定番のミートソース・スパゲッティだ。さあて、まずはソースを作るぞと、冷蔵庫から挽肉を取り出す。すると、なんと、肉が腐っているじゃないか!見事なまでに変色している。原因を探るために過去を振り返ると、この挽肉は買ってからすぐに冷蔵庫に入れず、しばらく部屋に放置して置いたことに気付く。あらら、やっちまった。もったいないけど、挽肉はゴミ箱へ。仕方がないから、挽肉と一緒に買ったステーキ用の肉を食べることにする。これも同じように放置していたので、やや変色していた。しかし、やや腐りかけた肉ならば、今までにも何度か焼いて食べたことがあるので、ためらうことなくステーキにして食べる。もちろん、しばらくすると腹を壊し、下痢になったのは言うまでもない。でも、酷い下痢ではなかったから良しとしよう。
深夜、この頃かかりっきりになってやっている神奈川森林エネルギー工房の報告書作り。3時過ぎに就寝。
3月7日(木)
9時に横浜に向けて家を出る。普段は、町田駅でJR横浜線に乗り換えているが、平均すると、大和駅で相鉄線に乗り換えた方が早いようなので、今日はじめて大和経由で横浜に向かった。すると、たしかに5分くらい早く着く。おまけに安い。今後は、相鉄線を愛用します。
10時5分前、待ち合わせ場所の横浜駅西口に着くと、すでに十文字さんと中島さんは来ていた。すぐに3人で地下道に入り、手近な喫茶店に入る。そこで、ペレットストーブのことや、今後の神奈川森林エネルギー工房の活動などについて議論する。中島さんはビジネスマンなので、話の内容がリアルで非常に面白かった。
12時、横浜から関内に移動。昼食後、日本新聞博物館の新聞ライブラリーに行く。ここは、全国の新聞を閲覧できる非常に便利なところだ。初めて利用したけれど、なかなか使い勝手が良い。今日は、30年くらい前の沖縄の新聞に目を通してみた。もちろん、マイクロフィルムで、ではあるが。2時間強で3ヶ月分の「沖縄タイムス」を調べたら、とても目が疲れたので、ライブラリーを後にする。4時過ぎという中途半端な時間だったので、アリスセンターに顔を出すことにする。
アリスセンターは、つい最近、関内の雑居ビルから桜木町のワールドポータースへと引っ越した。単純に、事務所が置かれているビルを比較すると、大栄転である。まだ引っ越し後の事務所に行ったことがなかったので、今日が初見参となった。実際に行ってみると、唖然。昔の汚い事務所の面影はなく、整然とした事務所らしい事務所となっていた。やればできるじゃない。職場の環境はきれいにした方が気持ちよい。その方が生産性が上がるはず。
アリスの事務所で7時近くまで、おばさんたちとお喋りしながら入力作業。帰りは桜木町から帰ることになったので、相鉄線ではなくJRを使う。帰り道の途中、町田の本屋で2冊本を買って、駅前の酒屋で米を買ってから帰宅。
家に戻り、まず夕飯を食べる。その後、昨日に続いて報告書作り。それと、宇沢弘文『社会的共通資本』を読む。が、この本は、これまで宇沢さんが書いてきたものを集めただけなので、新しい発見がなかった。
3月8日(金)
昼過ぎから大学に行く。研究室に荷物を下ろしてから、取り寄せた論文を受け取るために図書館に向かう。研究室から図書館までは往復すると優に15分はかかるので、いつも通り、助手の橋本さんの自転車を借りることにした。
キャンパス内を自転車で走るのは気分が良い。図書館のある大岡山キャンパスと研究室のある緑が丘キャンパスは地続きになっているので、車道に出ることもなく、ほとんど車が走っていないので、ついついスピードを出してしまう。2つのキャンパスの標高を比べると、大岡山の方が高い。だから、図書館から研究室に向けて帰るときは、ペダルを漕がなくとも猛スピードが出る。このとき、あまりに飛ばしすぎると、段差のあるところでタイヤに大きな衝撃が走ることになる。それで、これまでに2回タイヤをパンクさせたことがある。最近は、そのことを教訓にして、図書館から自転車で帰るときには、あまりスピードを出さないように注意している。
研究室には8時半頃までいてから、家に帰ることにする。ここのところ、外食するのが嫌いになっているので、今日も帰宅してから遅い夕食を取ることを考え、自由が丘で買い物をしてから帰る。10時半頃、自宅に到着。それから何を作ったかと言えば、毎度お馴染みのミートソース・スパゲッティ。先日、挽肉を腐らせて、食べ損なったので、今日はその分を取り返したのだ。
3月9日(土)
起きるとちょうど12時だった。昨夜作ったミートソースを食べて、2時からサッカー「鹿島×清水」を見る。試合は90分でも0-0で決着がつかず、延長残り2分のところで清水のVゴール勝ち。鹿島ファンとしては、酷く気が滅入る試合だった。
今一つ気分が乗らないまま論文を書くが、やはり筆が進まない。そこで、風呂に1時間以上入ってリラックスする。こういう自分を客観的に眺めてみると、本当に気分屋だなぁと思う。非常に気持ちのムラが多いところ、これが短所であり欠点である。この点を克服することが大事だと思い、20代の頃は格闘してみたつもりだけれど、結局、駄目だということが分かっただけだった。つまり、なかなか自分では欠点を直すことはできない。だから今では、うまく自分を乗せるようにするとともに、気分が乗れないときは、なるべく人に当たらないように注意している。
10時、玉川学園の駅で待ち合わせた辻本さんに会い、議事録を起こすのに必要なテープを預かる。このテープを使って、12時頃から議事録を起こす。これも、神奈川森林エネルギー工房の記録集を作るための作業だ。議事録を作ってからも、いろいろと編集作業に時間を取られ、朝までかかってやり遂げる。7時に就寝。
3月10日(日)
東京大空襲の日。それと、松田聖子の40歳の誕生日らしい。40歳、に驚く。でも、自分の年齢を考えれば・・・、納得。
昨晩から、弟が経堂にある実家に泊まっているらしい。お袋から、せっかくだから遊びに来ないかと誘われるが、上京するたびごとに付き合うわけにもいかないので遠慮する。その後、今度は弟から電話が入り、今日の毎日新聞に、第一歌集『駅へ』が紹介されていることを知らせてくれたので、掲載記事をファックスするよう依頼する。届いた記事をサイトにアップ。でも、この記事を書いた人は本を読んでいないとみえて、かなりいい加減な紹介にとどまっている。
昼過ぎに家を出て、研究室へ。特に研究室に行かなければいけない理由はないけれど、家に閉じこもっているとよくないので外出した。何がよくないのか。それは、電車に乗らないことである。僕は、たいてい電車の中で本を読み、家では読まない。だから、電車に乗る機会がないと、本を読む機会がなくなる。それが、よくない。だから、研究室への行き帰りの間に本を読むため、外出しているようなものだ。
2時頃、研究室に着き、最近集めた論文に目を通す。ほかに、神奈川森林エネルギー工房の報告書作りに向けた作業なども行なう。7時半頃、研究室を出て、家に向かう。駅前のスーパー「三和」で、挽肉、豆乳、納豆などを購入。帰宅してからは、いつも通り、ミートソースを作り、パスタと絡めて食べる。最近の主食は、完全にミートソース・スパゲッティとなっている。
帰りの電車で、遅ればせながら、上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』を読む。約4年前に発行され、すでに定評がある本ではあるが、さすがに期待を裏切らない内容であった。説得力のある鋭い分析をもとに、国民国家をジェンダー化しようとする試みが、徹底的になされる。定価1,900円はCPが高いと言えよう。ここであまり突っ込んで議論している余裕はないが、「ナショナリズムと環境」の関係性に関心がある僕には、得るところが大きい本だった。
3月11日(月)
いつもどおり、動き出しが遅い。昼過ぎに家を出る。郵便局で届いた古本を受け取ってから、東大の本郷キャンパスに向かう。東工大よりも東大の方が、乗換が少なくて良い。新宿で小田急から大江戸線に乗り換えるだけで済むのだから。ひしひしと大江戸線開通の有り難みを感じながら、2時前、本郷に到着。
まず自分がかつて在籍していた地理の図書室に行く。学部生時代からお世話になっていた吉田さんは、いらっしゃらなかった。そう言えば、今年の3月までだとおっしゃっていた。たまにここに来て、吉田さんと会うのが楽しみだったので、悲しい。また、地理と地質の図書室が合併され、地質のスタッフが司書となっており、地理関係の資料に明るい司書の方がいなくなってしまった。二重に悲しいことだ。とは言え、感傷に浸っていられるほど時間に余裕がないので、必要な資料を借りる。
この図書室の良くないところは、簡単にコピーが取れないところだ。いったん外に出て、生協やコンビニでコピーしないといけない。もちろん、学内者はコピー取れる。しかし、学外者には許されていないのだ。これは嬉しくない。同じ東大でも、人文地理の図書室では気軽にコピーできるのだから、改善できると思うのだが。
地理で借りた資料を持って、次に行ったのは医学部図書館。ここはスタッフの体制が充実しているので使い安いのだが、コピー1枚35円は高すぎる。まあ、それでも我慢して必要な資料をコピーして、すぐに館外に出る。地理で借りた資料を生協でコピーしてから、3つめの総合図書館に入る。ここは、使いやすい上に、コピーが1枚10円。しかも、大学生協のコピーカードが使えるのが嬉しい。必要な資料を書庫から取り出してもらい、てきぱきと用事を済ませる。地理の図書室で借りていた資料を返し、最後に東洋文化研究所の図書室を訪ねる。ここもコピーにかんして、1つ注文がある。コピーが1枚10円でできるのは良い。しかし、生協のコピーカードが使えず、わざわざ文学部用のコピーカードを買わないといけないのは、どうにかできないものか。こんな不満を抱えながら、閉館時間の4時半ぎりぎりまで使って、資料をコピーする。
こうやって資料を集めてみると、やはり東大の研究環境は恵まれていると実感する。よほどマイナーな雑誌でなければ、だいたいの論文はここで入手することができるのだから。国立の大学院に籍を置いていることの最大のメリットは、この東大に所蔵されている図書・雑誌を閲覧・複写できることにあるだろう。使えるメリットは使うに限る。
さて、集中して資料集めしたので疲れた。そんなとき、本郷三丁目には「近江屋」がある。ここのドリンクバーは、大のお気に入りだ。今日は、ボルシチ、野菜ジュース、グレープフルーツジュース、抹茶ミルク、ホットチョコレートを飲んだ。どれも本格的なドリンクでありながら、400円でいくらでも飲めるのだから、お得だ。
本郷三丁目から、大江戸線、三田線、目黒線、大井町線と乗り継いで、6時頃に研究室へ。集めた資料を整理していたら、あっという間に8時になった。明日・明後日と、大学の入試があるので、今日は8時までに構内から出なければいけない。研究室を出て、9時半頃に帰宅。またしても、神奈川森林エネルギー工房関係の仕事をしていたら徹夜してしまった。6時半に就寝。
3月12日(火)
今日は大学の入試があるので、構内には入れない。先週行って気に入った関内の日本新聞博物館へ向かう。2時に到着し、マイクロフィルムで、30年前の「沖縄タイムス」に目を通す。5時まで3時間続けて閲覧したので、かなり目は疲労した。けれども、先週試したときよりは慣れたのか、悪い疲労感ではなかった。
閉館時間の5時になったので館外へ。散歩がてら桜木町まで歩き、アリスセンターを訪ねると、川嶋さん、田嶋さんらが仕事をしていた。田嶋さんは、日産のNPOラーニング奨学金制度でアリスセンターへバイトに来ている学生さん。僕は1期生だったが、彼女は4期生。はじめて、まとまって話をしてみたけれど、行動的で感じが良いという印象を覚えた。海外青年協力隊で東南アジアに行きたいと言う。まだ若いので、いろいろな可能性が開けている。そういう大学3年生だった。
9時過ぎに帰宅。訳あって、ネットで印刷・製本について調べる。すると、最近はオンデマンド印刷が流行りつつあるらしい。そりゃそうだろう。どう考えても、これまでの印刷・製本には時間がかかりすぎる。完全版下を入稿してからでも、数十・数百部刷るのに、2週間もかかるとは現代にマッチしていない。せめて翌日、できれば数時間で片づかないものだろうか。そんな疑問を抱いていたけれど、オンデマンド印刷ならば、希望を満たしてくれるらしい。こういう技術革新は、嬉しいことだ。
3月13日(水)
ちょっと個人的に印刷・製本する必要があって、午前中は印刷所数カ所に電話して合い見積もりを取る。良さそうなところが見つかったので、昼過ぎに家を出る。電車で目黒に行き、駅から歩いて5分ほどのところにある「パイオニアメディアクリエイツ」を訪ね、オンデマンドで印刷・製本を発注。用件を済ますと、目黒の駅前にあるチベット・ネパール料理店で昼食を取る。店を出ると、ちょうど3時になっていた。
目黒駅から地下鉄南北線に乗って、溜池山王駅で降りる。地上に出て首相官邸のはす向かいのビルにある(財)沖縄協会へ。ここで、沖縄関係の資料をあさる。事務所の一室にある資料室は、そこそこ資料が揃っていて使いやすい。ここの存在を今まで知らなかったのはアホだった。これまで、那覇や石垣で、必死にコピーを取りまくっていたけれど、そこでコピーした資料の多くは、この沖縄協会にあったのだから。コピーは1枚10円だし、そしてなんと、図書5冊を2週間借りられるなんて、素晴らしい。閉館時間ぎりぎりの5時まで居座って、必要な資料をコピーし、読みたい本を5冊借りた。
ビルを出ると5時ちょうどだったので、「7つの子」の放送が聞こえる。物々しい警戒態勢が敷かれていて、歩くたびに好きになれないと思うここ霞ヶ関も、5時に童謡が流れるなんて、ちょっとチャーミングだ。でも、カラスが鳴くから帰ろう、なんて理屈は、通用しないだろうけどね。
溜池山王駅から、南北線、目黒線、大井町線を利用して、研究室へ。久しぶりに小浜島で働いているナリちゃんに電話すると、なんと昨日のうちに、小浜でのキビ刈りは終了したと言う。去年は27日までやっていたから、2週間も早く終わったことになる。それだけ、キビの生産量が少なかったということだろう。ナリちゃんによれば、今年は4,000トンくらいだったらしい。製糖工場としては、5,000トン、できれば6,000トン欲しいのだろうが。それでも、研にぃのファームでは340トン刈ったらしい。目標が300トンだったようなので、研にぃとすれば、満足のゆく結果だったようだ。とりあえず、ナリちゃん、お疲れさま。研にぃも、お疲れさまでした。
ナリちゃんとの電話を切って、コピーしてきた資料に目を通してから、10時に研究室を出る。帰りの電車の中で、鶴見和子『内発的発展論の展開』を読了。水俣での聞き書きは読ませるものがあった。また、エコロジー思想から神社合祀反対に反対した南方熊楠への関心は注目に値する。伝統の最創造、定住と漂泊、キー・パースンなど、鶴見さんが注目する概念には、僕はあまり魅力を感じていないけれども、鶴見さんには長生きしていただきたく思う。「あとがき」の中で、プロ倫に対抗して『アニミズムの倫理と内発的発展の精神』を書きたいと書かれているが、これはぜひ読んでみたい。
3月14日(木)
ホワイト・デー。だけど、自分には無関係。天皇誕生日と同じくらいに。
髪が長くて、鬱陶しくなってきた。もう1ヶ月も前から、早くカットに行こう、行かねばと思っていたのに、お金がもったいなくて美容室に行くのを渋っていた。せこい男である。しかし、そのケチケチ人間も、この鬱陶しさには我慢できなくなり、ついに今日、自由が丘の美容室「green hill」に行くことにした。
今日までカットに行かなかった最大の理由は、お金がもったいないということだった。しかし、それだけが理由ではない。いつもお願いしていた村木さんという美容師さんが、田舎に引っ込んでしまったのだ。飾り気が無く、朴訥なお兄さんという感じの村木さんで、僕は気に入っていた。その人がいなくなったというのも大きな理由の1つだったのである。でも、いつまでも失ったものの大きさに打ちひしがれ、冬の日本海の荒波を眺めながら、砂浜に人差し指で小さなサークルを書き連ねていても事態は好転しない。そう思い、村木さんが働いていた「green hill」を訪ね、カットしてもらうことにした。さいわい、今日初めて髪を切ってもらったお兄さんも、なかなか話せる人で良かった。
髪を短めにして、さっぱりしてから、歩いて研究室へ。なんとなく時間を過ごし、9時に研究室を出る。自由が丘の「東急ストア」で買い物をしてから帰宅する。今日は、あまり仕事が進まなかったけれど、髪を切ったので、気分良く眠れそうだ。
3月15日(金)
僕は花粉症である。花粉症という言葉を知る前から、つまり幼い頃から花粉症である。毎年、花粉が飛ぶ前から、耳鼻科に行って薬をもらっていたが、一向に効いた試しがない。幸い昨年は、3月から4月にかけて八重山にいたので、花粉に悩まされずに済んだ。さて、今年はというと、例年より症状は軽い。多少目がかゆくなったりするものの、日常生活に大きな支障を来しているわけではない。おそらく、毎日、甜茶を飲んでいる効果が現れているのだと思う。それでも、最近はいよいよ花粉の飛散量が多いようで、鼻がつまるようになってきた。鼻がつまると、寝苦しい。また、鼻が通らないので、喉を痛めやすい。というわけで、今日は、朝から喉が痛かった。
外は春一番が吹いている。そんなところに、わざわざ出掛けることもないだろうと思い、日中は自宅で過ごした。夕方、少し涼しくなり、風もだいぶ収まってから、散歩がてら買い物に出る。近所を適当に歩き、食料品を購入して帰宅。
夜、「誰でもピカソ」を見る。9.11以降、隠れたロングセラーとなっている「さとうきび畑」を、森山良子がフルコーラス歌うというので、これを聞くために、テレビ東京にチャンネルを合わせたのだ。「さとうきび畑」は、全部歌うと10分を越す。だから、テレビでもラジオでも、この歌がフルコーラス流れることは滅多にない。だから、今日はとても貴重な機会だと思って、微動だにせず、森山良子の歌声を聞いた。
この歌は、反戦のメッセージソングとして聞かれることが多い。しかし僕は、小浜島でキビ刈りをして以来、サトウキビへの愛着がとても強いので、繰り返される「ざわわ、ざわわ、ざわわ」という歌詞に胸を打たれる。いずれにせよ、初めてフルコーラスを聴くことができて良かった。CD買おうかな。
3月16日(土)
9時半に外出。10時半、中川にある武蔵工業大学横浜キャンパスに到着。21日のフォーラムに向けて、下見をするために集まったのだ。当日使用する32A教室に案内され、大学職員にPAの扱い方を教わるなどして、1時間以上じっくり観察する。11時頃、西地区センターに移動し、フォーラム当日の分担について、最終的な確認を行なう。すでに、『全国竹の名鑑』は完成しているので、後は当日販売するのを待つばかり。平石さんの情報によると、昨日の朝日新聞神奈川版に、フォーラムの情報が掲載され、20日には同じ全国版にも掲載されると言う。すでに申込者が70名ほどいるが、最終的にはどこまで参加者数が増えるのだろうか。参加者が多いのは嬉しいが、逆に心配な種が増えた。交流会への参加人数が多く、当初予定していた会場が狭くて使えなくなってしまいそうなのだ。あと5日しかないけれど、大丈夫だろうか。
1時頃、西地区センターへの打ち合わせは終了。それから、地下鉄とバスで新百合ヶ丘に出て、ここで昼食を取る。3時頃、帰宅。早速、フォーラムで使うポスターを作る。4時過ぎ、昨日からの喉の痛みが激しく、寒気を感じるのでベッドで横になる。10時過ぎに起きて、太田好信『民族誌的近代への介入』を読む。副題に「文化を語る権利は誰にあるのか」とあるとおり、この問いに応えることが本書の主題になっている。『トランスポジションの思想』と比較すると、歯切れが悪くなったように思うが、それだけ問いが深くなり、応え方も深くなっているようだ。常に、前向きに文化を、人類学を語る姿勢には好感が持てる。
3月17日(日)
10時前に外出して、11時前にNORAに到着。すでに、吉武さんと勝野さんが来ていた。ここで、神奈川森林エネルギー工房発行の報告書にかんして、12時まで勝野さんと打ち合わせ。田並さんがおにぎりを作ってくれたので、これを昼食としていただく。食後、NORAが入っている大和ビル内の会議室に移動。今夜行なうことになっている寸劇の稽古を始める。
今日は、夕方5時から、4月に佐渡へ引っ越す十文字さんの壮行会がある。そのなかで、劇団「十季」の「トキの恩返し」という芝居をやることになっている。午後に始めた稽古とは、そのための練習のことだ。劇団「十季」のメンバーは、田並さん、浅羽さん、勝野さん、前田くん、山田さん、森末さん、そして僕。きちんとセリフが入っていなかったので、台本を持ちながら立ち稽古を始め、次第に台本を話ながら芝居を作ってゆく。途中、適宜、台本に修正を加えながら3時間近く稽古に時間をかける。
4時になり、壮行会の会場作りを始める。机や椅子を並べるほか、AV機材の準備、遮光などを行なう。4時半、受付開始。5時、壮行会の開始時刻になるが、参加者の出足は鈍く、また主役の十文字さんが来ていない。5時10分頃、十文字さんが会場に到着。参加者も20名程度揃ったので、壮行会スタート。プログラムの最初は、十文字さんの話から。佐渡に行って、これから何をするのかを語る。その後、交流会と称して、飲食しながらの歓談。次第に参加者の数も増えてゆく。次は、オークション。十文字さんが作った木工品の数々や、運動を始めたときに最初に作ったミニコミ誌などがオークションに掛けられる。そして、ビデオ上映。これは、傑作だった。内容は、十文字さんがを演歌歌手にみたて、「よこはま さとやま」という替え歌に合わせ、カラオケ用の映像を作ったものだった。とにかく、山田さんの編集技術、浅羽さんの演技に脱帽。あまりに良くできているのでアンコールが起こり、連続して2回上映した。これが終わると、いよいよ次は寸劇である。15分くらい歓談している間に舞台や衣装の準備を行ない、「トキの恩返し」上演開始。本番の緊張感がある中、稽古の時よりもテンポよく芝居は進む。芝居経験者がほとんどいなかったのに、全体としては良くできたと思う。しかし、段取りがうまく伝わっていなかったために、ラストシーンを失敗したのが悔やまれるが。寸劇が終わり、最後にまた十文字さんからの挨拶があって、壮行会は終了。いやはや、なかなか充実したパーティーだった。僕も久しぶりに芝居をやったので、楽しかった。やはり、自分は芝居好きである。そのことを改めて確信した。
壮行会終了後は、急いで会場を片付ける。その後、田並さんの部屋で、ささやかな打ち上げ。ビールで乾杯してから、また山田さんが編集したビデオを見て、笑い転げる。さらに、ビデオ撮影していた寸劇を見て、各自の芝居を振り返る。さらに、浅羽さんが役場を引退したときに浅羽さん向けに作ったビデオも鑑賞。いろいろ書きたいこともあるが、あまり日記を書くのに時間をかけてもいられないので、このへんで。
11時過ぎに田並邸を出て、戸塚までは勝野さんと一緒に帰る。勝野さんには、ちょこっと人生相談みたいなことをしてしもうた。湘南台で小田急線の上りに乗り換えるが、すでに最寄り駅に停車する終電の時刻は過ぎている。それでも、町田駅までは電車でたどり着けたので、そこから歩いて帰宅する。今日は、特に寸劇を一緒にやった劇団「十季」のメンバーに、お礼を言い残してから眠ろう。まずは、山田さん。ビデオの編集もですが、寸劇の台本も書いていただき、どうもありがとうございました。吉武さん、僕が着た時の衣装を作っていただき、ありがとうございました。久しぶりの被り物、それにストッキングも履かせていただき、良い経験をさせてもらいました。田並さん、いつも美味しい食事をありがとうです。勝野さん、浅羽さん、前田くん、それぞれ小道具作りと役作りに感謝しています。森末さん、大久保さん、スタッフとしてお手伝いいただき、サンキューでした。
3月18日(月)
昼食は、自由が丘の「ふらんす亭」でレモンステーキ定食を食べる。いつもお腹をすかせている僕にとって、ライスと味噌汁おかわり自由であるのが嬉しい。食後は研究室へ。しかし、花粉症の影響で、むやみに粘性のない鼻水が出る。これでは、鼻をかんでいるだけで時間が過ぎてしまう。なんとなく、頭はぼーっとしている。体調が悪いと、頭が鈍感になっていけません。良く言えば、夢心地、悪く言えば、生きている実感に乏しい。
机に座って、安室知の『水田をめぐる民俗学的研究』をぱらぱらと読む。事例として、横浜の谷戸と西表の水田が挙げられていた。谷戸田は生産性が悪かったので、谷戸では畑作や溜池での漁撈等との複合した生業が営まれていた。これは、大事なポイントだ。もう1つ重要だと思ったのは、谷戸田は干ばつに強いので、最低限の食糧生産を確保するためのリスク回避機能があったらしいこと。これらのポイントを押さえながら、恩田の谷戸で聞き取りをしてみたいものだ。
夜9時になり、研究室を出て、自由が丘の東急ストアで買い物。帰宅してから夕食を取り、深夜にメイルを書いてから眠る。
3月19日(火)
10時、関内にある技能文化会館に行き、神奈川県の新エネルギービジョン策定に向けた市民ワーキンググループ発足準備会議に出席。花粉症でぼーっとしていたので、今日はクリアな議論ができなかった。花粉よ、早く飛び散っておくれ。
12時に会議は終了。伊勢佐木町モールを歩き、有隣堂や古本屋をぶらついたり、インド料理屋で昼食を取るなどしていると1時半になった。その後、桜木町まで歩き、東横線の特急を使って研究室へ。八重山支庁、竹富町、石垣市立図書館などに電話して、月末まで書く論文に必要と思われる資料を探してもらう。9時過ぎに研究室を出て、10時半頃帰宅。
いつも通り、夕食にミート・スパを食べてから、「らびっとにゅうず」を編集・発行。このメイル・マガジンは、一応、毎月5日と15日に発行することになっているが、これまでは予定通りに発行できず、必ず遅れていた。しかし、今日は予定通りに発行できたので、気分良く眠れる。はずもない。なぜなら、わたしは花粉症。
3月20日(水)
バイオマスサロン・シンポジウムの記録集を完成させるためには、議事録を講師の方にチェックしてもらわないといけない。しかし、誰とは言わないが、多くの講師がチェックした原稿を返してこない。仕方がないのでこちらから催促の電話を入れるが、忙しいのでなかなか連絡が取れないことが多い。この連絡を取ろうとするだけで、無駄な時間を費やすことになる。メイルで原稿を送ったので、原稿を確認されましたかと尋ねると、最近メイルのチェックをしていないので、今度チェックしてみると言い、後日、メイルをチェックされましたかと尋ねると、サーバーの調子が悪くてメイルが読めないから、ファックスしてくれと言う。こういうのはたちが悪い。あまり、事務作業を増やさないでくれよ。
昨日は火曜日だったので、沖縄県立図書館八重山八重山分館は休みで連絡が取れなかった。そこで、今日は県立図書館に電話して、必要な資料を探してもらった。使えそうな資料があったのだが、来館主義でコピーサービスはやっていないという。資料収集のために、わざわざ石垣島まで飛ぶわけにもいかないので、石垣島在住の知人に資料のコピーをお願いした。
4時に自宅を出る。小田急線と相鉄線とが連絡する大和駅で降り、駅前の古本屋で絶版となって探していた本を購入。それから、相鉄線と横浜市営地下鉄を乗り継ぎ、よこはま里山研究所(NORAに行く。5時半から6時半まで事務作業をして、土屋さんと一緒に京急で横浜まで出る。7時、神奈川森林エネルギー工房の運営委員会に出席。参加者は、自分を除けば、佐々木さん、辻本さん、斎藤さん、というささやかなものであったが、人数が少なかったためによく議論できたと思う。
9時過ぎに運営委員会は終了。すぐに東横線で綱島にある「まあじょらむ」に向かう。今晩は、トリプル・ブッキングで、神奈川森林エネルギー工房の運営委員会、もっかな探検隊の「もっともっともーっとひな祭り」の反省会、恩田の谷戸ファンクラブの月例ミーティングが重なってしまった。恩田には欠席して、2つをハシゴしようと思い、もっかな探検隊が集まっている「まあじょらむ」に急いだのだ。しかし、お店に着くと、ほとんどお開きの状態で、30分ほどしかいられなかった。10時過ぎに反省会は終了。帰宅して、遅い夕飯を食べてから寝る。
3月21日(木)
9時半、玉川学園の駅前で、恩田の谷戸ファンクラブの高橋さんと待ち合わせ。駅前のドトールで、領収書をお金のやり取りをする。10時過ぎに高橋さんと別れ、横浜市営地下鉄中川駅に近い武蔵工業大学横浜キャンパスに向かう。今日は午後から、日本の竹ファンクラブ主催でシンポジウム「竹のある暮らしと風景の創造を!」を開催するのだ。
11時、シンポジウムの会場に到着。用意してきたポスターを貼るなど、受付の準備作業を手伝う。1時、受付開始。恩田の谷戸ファンクラブの小原さん、福富さん、横浜自然観察の森の松田さん、今永さん、横浜市の河合さんなどの顔が見える。参加者の出足も良いようだ。何もかも順調に思えたが、ここで問題が発生した。使用する機材のうち、パソコンにはキーがかかっていて、パスワードを知らないと起動できないようになっていたのだ。あいにく、今日は祝日なので、学校関係者はいない。誰もパスワードを知っている人がいなかったので、結局、プロジェクターは使用できないことになった。パネリストの中には、プロジェクターを使いたい方が1人いらっしゃったので、申し訳ないことをした。先週の土曜日に下見したときは、学校関係者が付いていたので、パスワードが必要だということを教えてくれても良かったのにと思うのだが。
機材のトラブルなどもあり、定刻より10分遅れて、第1部の記念講演が始まる。講師は、京都府立大学の宗田先生だ。この人は、喋りが滑らかだ。話し慣れているのだろう。文化という言葉を安易に使いすぎるように思ったが、それは市民向けの講演だったからだろう。講演が終わり、休憩を挟んで、第2部のパネルディスカッションが始まる。パネリストは、南伊豆で観光筍園と竹炭づくりをやっている山本さん、長野の竹細工職人として約50年生きてきた小出さん、京都・長岡京市の特産である筍を生かした料理を広めることで町おこしを行なっている並川さん、竹炭を作りつつ、バンブーオーケストラも率いる静岡岡部町の伏見さん。4人とも魅力的な方々ばかりだったので、少ない時間の中でも、魅力の一端を十分に垣間見させてくれた。できれば、それぞれ最低でも1時間ほど話を伺いたかったけれど。
主催者側、つまり僕らの不備があり、フォーラムは定刻より50分も遅れて終了した。その後、駅前の居酒屋にて交流会。およそ30名が集まった。ここで、恩田の谷戸ファンクラブの福富さんと、領収書とお金のやり取りをする。朝、高橋さんと会い、夜、福富さんと会えたので、昨日、ミーティングを欠席したけれど、必要最小限の仕事は終えることができた。福富さんとのやり取りを終えると、交流会モードに入る。ちょっと風邪気味なので、8時半頃に帰ろうと思って席を立つと、「松村!」呼び止められた。声の主は、「よこはまの森フォーラム」の元代表で、最近、「緑の街」というNPO法人を立ち上げた戸塚さんである。最近、戸塚さんとはゆっくり話す機会がなかったので、あらためて座り直し、およそ1時間、差しで話をする。内容は、休眠状態となっている「よこはまの森フォーラム」を今後どうするかという話だった。解散するか、存続させるか、その結論はさておき、メンバーを集めて、きちんと話し合わないといけないということを確認した。ヘビーな話だったが、久しぶりに戸塚さんとじっくり話すことができたのは収穫だった。
夜11時に帰宅。ビデオで録画していたサッカー「日本×ウクライナ」を観る。ウクライナ代表は巧い。それでも、1-0で上手に勝ってしまうのだから、日本代表は成熟している。個人的には、小笠原の活躍が嬉しかった。
3月はイベントや飲み会など、付き合いが多い。少し疲れ気味だ。体調も風邪気味で良くない。論文執筆に充てる時間も取れず、ストレスも溜まっているように思う。気力・体力とも充実させないと、いけませんなあ。
3月22日(金)
10時に起床。体調がよろしくない。風邪のような花粉症のような症状である。鼻は詰まっている。目はときどきかゆくなる。喉もときどきかゆくなる。咳が断続的に出る。用もないのに外出して、ますます症状を悪化させるとまずいと思い、今日は自宅モードとする。
午後は、神奈川森林エネルギー工房の事務作業で手間取る。3時過ぎ、郵便物をまとめて送るため郵便局へ。その足で、スーパーによって買い物を済ませる。帰宅して、昼食のような夕食のような食事を取ると6時。眠くなったのでベッドで横になり、起きると10時半。そのまま、ベッドで井上孝夫『現代環境問題論』を読了。ここに書かれている、鳥越皓之さんらの生活環境主義やの舩橋晴俊さん社会的ジレンマ論への批判は正しい。基本的に、僕も著者と同じように考えている。しかし、新たな地平に立つための問いの立て方が良くないために、鳥越さんや舩橋さんの議論よりも魅力的ではなくなっている。批判の先の主張に力がないのだ。もし、著者にそうした展開力があったならば、環境社会学の中で重要なパースペクティブを提供できるように思うのだが。
3月23日(土)
昨日、よく睡眠を取ったためだろうか。今日は、かなり調子が良い。もちろん、まだ風邪なのか花粉症なのか分からない症状は残っている。具体的には、鼻づまりは相変わらずだ。それでも、気持ちが明るいし、頭がクリアになった感じだ。よし、今日は研究室に行くべし。そう思って、まずは腹ごしらえのためにカレーを作ることに。この間の水曜日に「まあじょらむ」でスパイスを買ってきていたので、これの恩恵に与ってカレーを完成させる。朝昼兼用としてカレーを食べてから、12時過ぎに家を出る。自由が丘で寄り道をしてから、2時過ぎに研究室へ。それからは、ずっと論文の執筆だ。月末の締切に間に合うか赤信号が点滅している。八重山での聞き取り結果をまとめているのだが、資料を漁って事実確認しながら書き進めるので、スピードが上がらない。月末までは、毎日こつこつ書き続けないと仕上がらないよ。
10時半に研究室を出て、12時に帰宅。夕食を取り、ベッドに入る。結果を知っていたので、あまり見たくもなかったのサッカーの試合「ブラジル×サウジアラビア」と「チュニジア×韓国」を見る。やべ、また寝るのが遅くなっちまった。
3月24日(日)
基本的には、昨日と同じような時間の過ごし方であった。つまり、お昼頃に家で食事を済ませて、午後2時頃に研究室に到着し、10時半頃まで論文を書いて、12時に帰宅して食事を取り、それからテレビを見るなどして寝た。これは、昨年、この日記の中で「ベーッシクS」と名付けた、標準的な僕の1日の過ごし方である。最も退屈な時間の過ごし方とも言える。
帰宅する電車の中で、鳥越皓之『家と村の社会学』を読む。都会育ちの僕にとって、村落社会学のイロハを教えてくれるこの本は、なかなか便利な本であった。とりわけ、増補版に付いた「家と村を研究するための文献解題」は役に立ちそう。
3月25日(月)
ベーシックSであった。論文を書いている。
夜の9時過ぎに自由が丘の東急ストアで買い物。ここは、地元に比べると高いのだが、夜10時まで開いているから、最近、よく買い物をする。挽肉でカレーを作ろうと思っていたのに、売り切れていた。鶏肉を買って帰り、帰宅してからソテーにして食べる。腹を満たすと、よく眠れるのだ。
3月26日(火)
今日は、大学で卒業式があったらしい。その後、研究室の謝恩会があったらしい。「らしい」と書かざるをえないのは、大学に行かなかったからだ。論文が書けないので、自宅に引きこもっていた。
夕方、昨日買うことができなかった挽肉を購入。そして、もちろん夕食はキーマカレー。ここ最近、ミートソース・スパゲティとキーマカレーばかり食べている。もし、これだけしか食べないとしたら、必須アミノ酸は十分に摂れるのでしょうかね。
寝る前に、鳥越皓之編『講座環境社会学3 自然環境と環境文化』を読了。全体的に手堅いが、パンチ不足の印象。まあ、環境社会学の教科書みたいなもんだから、仕方ないのか。堀川三郎さんの「景観は所有できるか」という問いの立て方には興味が引かれた。驚いたのは、鳥越さんが西表島のイリオモテヤマネコに言及していたことだが、主張には首をひねらざるをえない。
3月27日(水)
雨。2日連続して自宅にこもるとなると、精神衛生上良くないように思うので、研究室に行く。自宅にせよ研究室にせよ、閉鎖的な空間であることには変わりないけれど、長時間、家の中にこもっていると、外に出ていけなくなるのではないかという焦燥感が芽生えてくるのだ。今日も、ベーシックSなり。
深夜12時に帰宅。サッカー「日本×ポーランド」をテレビ観戦。ピッチ状態が悪かったようで、流れるようなパス回しを堪能するような試合ではなかったが、激しい守備と効率的な攻撃で2-0の快勝。安心して見ていられる試合だった。中田(英)と市川のコンビは新しい発見。
3月28日(木)
昨日は研究室に出掛けたので、今日は自宅に閉じこもる。論文の執筆に忙しいときは、家で食事を作り、これを食べるのが良い息抜きになる。というわけで、一昨日買った豆乳のパックに書かれていたレシピを参考に、今日は豆乳シチューを作ってみた。ベーコン、玉ねぎ、じゃがいも、ニンジンを角切りし、炒めたところに豆乳を入れ、味を調えてできあがりという、とても簡単な料理だ。味の方はどうかというと、美味い。この料理は、ほとんど失敗する心配がないうえに健康的なので、僕の数少ない料理メニューに加えておこう。
3月29日(金)
最近、雨が多く、やや肌寒い。今年は異常に暖かく、すでに桜は満開を過ぎているが、この寒さのお陰で散らずに済んでいる。
午後、研究室に着き、それから徹夜して朝7時過ぎまで論文を書く。なにしろ、月末が締切となっているので、そろそろ集中してやらないといけない。だから、日記に書くネタもないし、そもそも、丁寧に日記を書いている時間も惜しい。なんてことを言いながらも、荷物を片付けにきていたジローラモと明け方の4時頃から2時間近くトーク。やらなければいけないことをやること、これは本当に苦痛です。
8時過ぎに帰宅。朝9時に就寝。
3月30日(土)
午後2時に起床。今日は、プロ野球の開幕日。起きてテレビを点けると、TBSでは横浜×広島、テレ朝では西武×千葉ロッテが中継されていた。どこのチームもとくに応援していないけれど、並行して2つの試合を見た。ともに面白い。野球って、こんなに面白かったっけ。とくに松坂の力強さにはしびれた。千葉ロッテの応援はいいね。独特のカルチャーが育っている。
夕方6時頃、研究室に到着。ここでも野球を見る。読売×阪神の開幕戦だ。こいつがまた面白かった。エースが投げ合うと、スリリングな試合になりますな。
9時頃、試合終了。だいぶ現実逃避してしもうた。その後は、明け方まで論文を書く。
3月31日(日)
朝6時半、眠くなったので、研究室に用意してあるベッドで寝る。ここの研究室に来てからすでに4年を経過したにもかかわらず、はじめて研究室のベッドで寝てみた。これがすこぶる快適だった。10時半まで、ぐっすり眠れた。
起床してから夕方までかけて、論文を書き上げ、すぐに近くのコンビニに行って、宅配サービスをお願いする。ふー、やっと一息つける。昨晩に続いて、研究室のテレビで読売×阪神戦をテレビ観戦。星野阪神の連勝でしたね。
10時半頃、帰宅。昨日の晩から何も食べていなかったので、とりあえず一昨々日作った豆腐シチューを飲む。半分腐っていたようだが、とにかく空腹だったので飲み干した。12時頃には床に就くが、頭が冴えて寝られない。F1のブラジルGPを見て、3時頃に眠る。