2月1日(土)
8時過ぎには目覚めたものの、ぼんやり過ごしていたので11時になった。朝昼兼用の食事をとり、しばらくのんびりと落ち着く。
1時半過ぎ、友だちとともに散歩に出掛ける。特別な理由はなかったが、今日は長屋門公園に行こうということになる。相鉄線・希望ヶ丘駅で降り、希望ヶ丘高校の敷地内を突っ切って、米倉涼子の母校だという南希望ヶ丘中のそばを通り、「横浜市瀬谷区阿久和東1-17」という住所をたよりに歩いて行くと目の前に公園が見えてきた。長屋門をくぐって園内に入り、民家を見てから裏に回ると、高齢の男性が1人で炭窯で竹炭を焼いていた。気になったので近寄って話を聞いてみたところ、その男性は、最近、長屋門公園のボランティアになったばかりで、今は試行錯誤しながら、竹炭を焼いるところなのだという。のんびりと自分のペースで炭焼きをやるなんて、きっと楽しいんだろうな。
公園内を散歩していると、園内の池のほとりに、のぞき込むような姿勢でじっと立ち止まっている人を見つけた。その眺めている方向を見ると、岩の上にコバルトブルーが鮮やかなカワセミを見つけた。しばし、あまりに美しく輝くカワセミに見とれる。だが、今日は北風が強く寒かったので、散歩は短めに切り上げて、4時頃、友だちの家に戻る。テレビをつけると、NHKで放送開始50周年の記念番組が放映されており、NHKアーカイブスの中から『新日本紀行』が取り上げられていた。こどもの頃は、辛気くさいと思ってまったく興味がなかった番組だが、今になって見ると、当時の人びとの生活がありのまま記録されているので、とても面白い。
ところで、今日、NHKアーカイブスという施設が、埼玉県川口市にオープンしたらしい。「NHKアーカイブス」というと、加賀美アナのナビゲートによる日曜夜の番組と同じ名前なので紛らわしいが、もともと、この施設を宣伝するための番組だからタイトルが同じなのだ。この新しくできた施設では、NHKが所蔵している番組資料を、無料で見ることができるという。近所に住んでいたら、毎日通いたくなる施設だと思う。ただし、1日2時間の利用制限があるようだが。
7時半からは、BS2『地球に好奇心』で「奇跡の大河・ホータン~タクラマカン砂漠・驚異の大自然」 を見る。ホータン川とは、コンロン(南山))山脈に積もった雪が夏に解けてタクラマカン砂漠を流れる季節川で、例年、6月中旬から9月中旬までの3ヶ月間だけ出現する。タクラマカン砂漠を唯一南北に縦断する川で、砂漠の北側を東西に流れるタリム川に合流する。番組は、このユニークな大河が砂漠を縦断する様子を追いながら、この川の季節変動とともに暮らすウイグル族の生活もとらえていた。人と自然とのかかわりがいかに多様であるか、その一端を知るには適当な番組だった。
2月2日(日)
7時半過ぎに起床し、8時に友達の家を出て、9時に帰宅する。シャワーを浴びて身支度をし、9時半過ぎに自転車で外出。10時過ぎ、恩田の谷戸に到着。すでに、須藤さんと鎌田さんがいらっしゃった。後で、樋口さんもいらっしゃったものの、今日の作業に集まった会員は4名のみ。最近、恩田の谷戸ファンクラブは、マンパワーの低下が著しい。
午前中の作業としては、まず、「復元の小川」と呼んでいる水路から落葉をさらい、その後、雑木林に生えているアズマネザサなどの下草を刈った。かなり寒かったので、適当に体を動かす方が気持ちよい。久しぶりに鎌をふるって、気持ちよく汗をかくことができた。
12時半に作業を終え、谷戸の入り口にある直売所で、地元農家から野菜券を使って野菜を購入した。この野菜券とは、恩田の谷戸ファンクラブが活動に応じて発行している地域通貨のようなもので、谷戸の直売所で野菜を買うことができる。これまで、活動に応じて会が茶菓を用意することがあったけれど、最近は、活動に参加した会員に野菜券を配っている。ともに、会員の活動に対する会からの手当という意味合いであるが、野菜券の発行は、地元に還元されるので好ましいやり方だと思う。
野菜を買ってから、近くのファミレスで昼食をとり、1時に徳恩寺に行く。今日の午後は、恩田の谷戸ファンクラブの定期総会だ。電話で予約を入れていたものの、それがきちんと伝わっていなかったというトラブルがあり、部屋がとれるかどうか心配したが、さいわい部屋は空いていた。1時半頃、予定されていた総会の出席者がほぼ全員集まったので、会議が始まった。参加者は、高橋さん、小原さん、樋口さん、鎌田さん、高見さん、須藤さん、久保さん、久間さん、岩波さんだった。議論の中心は、いかに少ないマンパワーで必要な活動をおこなうかという点にあった。ここ3年間は、八重山通いに忙しくて、身近なフィールドである恩田の谷戸に来る機会が減っていた。今年は、出席率を上げたいものだ。
5時に総会は終了。自転車で山を2つ越え、三和で買い物してから6時頃に帰宅。適度に疲労し、体も冷え切っていたので、すぐに風呂に入ってゆっくりした。8時からは『武蔵』を見たが、今回は見どころが少なかった。
9時過ぎ、昨日、正直から新作短歌が届いていたのを思い出し、さっそくアップする。ついでに、「Tanka」に直接リンクしている場合もあるらしいので、弟の短歌を独立して見られるようにしておいた。ほかに、背景を少し変えたり、略歴の位置を変えるなど、若干の修正を加えていたら、遅くなってしまった。
2月3日(月)
10時から活動開始。まずは、水源環境シンポの記録集を作成するにあたり、原稿のチェックをするように依頼されていたので、これを修正して県税務課に送信。ほかにもメイルを数通。その中には、なぜ自分が4月からNPOで働くことに決めたのか、その理由を記したメイルを友だちに送りつけたものもあった。
自分が、なぜNPOで働くのか。大した理由はない。知り合いが運営している環境NPOが、代表の体調が悪かったりして火の車状態だから、お手伝いできればと思っているだけのことだ。もちろん、経済的な理由も大きい。本当に手元にお金がないので、学資を稼がないと研究もできないし。
3時半に家を出て、郵便局に行き、横浜環境保全活動賞(市民の部)に応募する。その足で、町田に行き、商店街をぶらぶらしてから、ヨドバシカメラでプリンターカバー、交換用インク、名刺カードを購入。それから、横浜線に乗って横浜駅ルミネ上の有隣堂へ。先週の木曜日に誤って二重買いした本を、何かほかのものと取り換えてもらおうためにレジへ持っていくと、購入額を上回る商品とならば交換可能だと言われる。本2冊で購入額をぎりぎり超えるようにと考えながら探していたら、あっという間に1時間経ってしまう。7時過ぎに横浜を出て、町田の西友で買い物をしてから、8時半に帰宅。
横山伸也『バイオエネルギー最前線』を読む。コンパクトで装丁もかわいいのでとっつきやすいが、中身はしっかりした入門書。バイオマスエネルギー入門者にとっては、最適の書と言ってもよい。
2月5日(火)
10時に起床。12時過ぎ、研究室に到着。図書館に行って文献複写サービスを申し込み、教務課では在学延長届と休学届の書類をもらい、生協ではネット予約しておいた本を購入。1時半、研究室に戻り、久しぶりに矢野・土場研の論文指導ゼミに出席する。
今日のゼミでは、修論生4人が、発表会を想定した予行演習をおこなった。ニロさんとカケコさんは順調そうだが、池ポンとタバティは苦労していた。修論発表会には出席できないけれど、みんな頑張ってね。
4人の発表の後は、丸ちゃんが博士論文の構想を発表した。13ページのレジュメを書いてきたにもかかわらず、残された時間が少なかったために、2ページ分ほどしか発表できなかった。日曜日から連泊して書き上げたというのに、その努力があまり報われなった格好だ。
ゼミ終了後、自分の机に戻ってくつろいでいると、池ポンが「松村さん、丸かぶり、いきますか?」と尋ねてきた。いや、けしかけてきた。節分は昨日だったが、もちろん、恵方巻き(丸かぶり寿し)は食べていないし、豆まきすらしていない。昨年は、研究室で恵方巻きを作り、豆まきもやって楽しかったのに、今年は寂しかったなあと思って、昨日の節分を過ごしていたので、池ポンの誘いに、「もちろんでしょ」と答えた。
池ポンを介して、僕が恵巻き作りに乗り気なことはイコマロに伝わると、すぐに1日遅れの節分モードとなった。さっそく、恵方寿しに必要な食材を文化堂まで買い出しに行き、カクヤスで飲み物を買い、イコマロは自宅に戻って炊飯器を取ってきた。池ポンやタバティは修論生だし、丸ちゃんは徹夜に近い状態が続いていたので、もっぱらイコマロと僕とで恵方巻きの準備を整えた。後は巻くだけという状態になると、室内に残っていたメンバーを集め、1人ずつ恵方巻きを作っていく。今年は、卵焼きが上手にできたので、昨年よりも美味しそうにできた。
沈さんが中国から持ってきた真空パックされた北京ダックも食べ、その骨からスープをつくり、ラーメンまでこしらえると11時近くになった。12時過ぎに帰宅。自分のサイトのBBSに、増田さんから恵方巻きについてのメッセージが書き込まれていたので、それに返事を書いてから就寝。増田さん、来年も恵方巻きを作りましょう。
2月6日(水)
明後日は、神奈川森林エネルギー工房の定期総会の日である。規約では、会員の1/3以上の出席および委任によって総会が成立する。しかし、今のところ、定足数を確保できるか微妙なところにある。これまで、会員には2回も総会のお知らせを送っているが、欠席予定者からの委任状を得るために、三度、確認のメイルを送ることにした。事業の進行管理という役割は、1人ひとりがきちんと仕事をすれば楽なのだが、たいていは思うように進まず、いらいらを募らせることになる。
1時、かながわ県民活動サポートセンターに行き、環境情報コーディネーターのアルバイトを始める。今日は、県の職員になりたいという男性と、日本の環境問題の現状を英語でスピーチする必要に迫られている女性から相談があり、それぞれ、十分に時間をとって対応した。特に女性の方には、PCの使い方も含めてお手伝いさせていただいた。
6時過ぎ、業務終了。横浜駅から東急を利用して、研究室に行く。図書館から借用している10冊の本のうち、いくつかについてまとめてコピーをとる。この作業を終え、図書館に行って本を返却。延滞日数が2日なので、2日間のペナルティを課せられることになり、次に本を借りることができるのは、次の土曜日ということになる。
帰りの電車で、吉澤夏子『世界の儚さの社会学』を読了。シュッツ、フッサール、ルーマンの関係を再解釈したもの。関連する研究動向を知らないけれど、問題の立て方が、僕にはどうでもよいように思えることばかりで。
2月7日(金)
10時頃、起床。まだ、総会の資料が完成していないので、簡単に朝食を済ませ、すぐに作業に取りかかる。2003年度事業計画(案)を書き上げてから、風呂に入り、2時半に家を出る。
大和、横浜経由で、4時頃、NORAに到着。すぐに、神奈川森林エネルギー工房事務局宛てに届いていた資料を整理する。それから、前田くんとメイルマガジン「かながわ環境インフォメーション」について、創刊号発行までの手続きを確認。6時に、土屋さんと3人で事務所を出る。
6時半、かながわ県民活動サポートセンターへ。総会資料を印刷してから、会場となる707号室に行くと、土屋さんと前田くんのほか、児山さん、十文字さん、斎藤さん、立花さん、辻本さん、佐々木さんがすでにいらっしゃっていた。少し遅れて、静岡から酒井さんもお越しになったので、出席者は合わせて10名。メイルでの催促が奏功して、4名の会員から委任状をいただいていたので、定足数(会員数32名の1/3以上=11名以上)を満たし、総会は成立した。7時を少し回り、土屋さんの司会により、総会がスタート。議案の方は、ほぼそのまま承認されたので、総会自体は40分程度で終了。その後、十文字さんに佐渡での状況を45分程度お話しいただき、さらに、立花さん、児山さん、酒井さんから、ご自身の紹介と近況の報告をお願いすると、9時になったので、大慌てて片づけをして部屋を出た。
会員がおおぜい集まったのに十分話し尽くすことができなかったので、場所を変えて、飲みながら話すことにするが、金曜日だったためか、なかなか落ち着く先が見つからない。辻本さんと前田くんが空いているかどうか調べた結果、探し始めて10軒目くらいのお店にようやく入ることができた。その店で、11時半まで和やかに語らった後、横浜駅で解散。しかし、もう小田急線の終電がなくなっている時間だったので、町田駅から歩いて帰ることに。途中、少しお腹が減ったので、日高ラーメンを流し込んで、約40分歩いて帰宅。
深夜にラーメンを食べたせいか、家に帰ってもエネルギーが余っていたので、総会資料をアップするとともに、ウェブサイトを少し改良して、5時に就寝。
2月8日(土)
10時半に起床。最近は、だいたい睡眠時間が6時間でちょうどよいようだ。
起きあがるとすぐに顔も洗わず、メイルマガジン「らびっとにゅうず」の編集・発行作業を始める。昨日、綿引さんから原稿をいただいていたのに、神奈川森林エネルギー工房のウェブサイト更新を優先させたので、急がなければならないのだ。高速で仕事したので1時半に発行できたけれど、今日の2時から始まるイベントについては、ほとんど宣伝効果を発揮できなかっただろう。
一仕事を終えてから、鶏肉とネギのスパゲッティを食べ、風呂で小1時間ほどゆっくりする。4時過ぎに自宅を出て、町田で買い物をしてから、横浜の友だちの家に向かう。しかし、疲れがたまっていたのか電車で寝過ごしてしまい、予定をオーバーして6時頃に到着することに。
今日は、ネットに接続できるか試そうと思ってノートPCを持参したのだが、なぜか起動しない。ハードディスクが壊れたのかと思ってかなり焦ったけれど、実は起動しないのではなく、液晶パネルに映らないだけだったので、最悪の事態は免れた。でも、液晶が使えないのも困る。自宅に戻って確認して、やはり壊れているようだったら、修理に出さないと。
ノートPCをめぐるドタバタも終わり、夕食の時間になる。今晩は、おでんだった。気の置けない友だちと2人で食べるおでんは、本当にあったかい。
食後、8時からWOWWOWで『地獄の黙示録・特別完全版』を見る。高校生の頃、オリジナルは見ていたけれど、ほとんどストーリーは忘れていたし、当時のよりも約1時間も長い完全版なので、もう1度見たいと思っていた映画だ。3時間半という長時間なので、ノリでやることを決めている僕としては、映画館に行って見たり、ビデオを借りて見ることはあり得ない。今日のように、たまたまテレビ欄で放映することを知り、たまたま時間があったので、これは良いチャンスだと思われたので、見ることに決める。見始めると、3時間半という時間の長さも気にならない。十分に堪能した。とくに、『ゴッドファーザー』では、物静かな相談役を演じていたロバート・デュバルのイカれた演技には脱帽。見終わってから情報誌を読み、ウィラード大尉役はもともとハーベイ・カイテルの役だったことや、わりと最初のシーンで若き日のハリソン・フォードが出ていたことなどの情報をインプットし、満足度を高めてから寝る。
2月9日(日)
10時に起床。朝食をとり、12時に友だちと一緒に散歩へと出掛ける。まずは、鶴ヶ峰駅から、白根不動を経由して、四季の森公園まで歩く。園内をゆっくり散策していると、ちょうど炭焼きをやっているところに出会う。近づいて話し掛けると、公園管理者の人が丁寧に説明してくれた。ここで作った木炭は水質浄化に利用されており、一部は木酢液とともに、お祭りにときに売っているという。あまりユニークな利用法ではないが、有効に使われているし、園内のバイオマスを一部外に出している点は評価できよう。炭焼き小屋の周りでは、ボランティアの人たちが、電動薪割り機で炭材とする薪を作っていた。この薪割り機は、簡単に薪を作れるという利点があるが、騒々しいのがよろしくない。重力を利用した薪割り機は、なかなかの優れものだと聞いたことがあるので、それを1度見てみたいものだ。
四季の森公園を出て、ズーラシアの近くの森まで歩くと、2時半だった。まだ陽が高かったので、中原街道を西進し、川井緑地の横を通り過ぎ、矢指市民の森と追分市民の森を散策してから三ツ境駅まで歩く。途中、2回の小休止をはさみ、約4時間ゆっくり2人で散歩した。今日は3月下旬並みの暖かさだったので、とても気持ちの良いウォーキングだった。
友だちの家に戻り、夕食を済ませ、8時から『武蔵』を見る。その後、1週間ほど遅れててしまっている日記のうち2日分を書くと、眠たくなったので横になる。1時半に目覚め、高原とカーンとの対決を楽しみにして「バイエルン・ミュンヘン×ハンブルガーSV」を見る。眠いのを我慢しながら3時半まで見ていたら、最後のロスタイムに高原の初ゴールというプレゼントが。しかも、カーンが更新していた連続時間無失点記録を止めるというおまけ付き。幸せなウィーク・エンドだ。
2月10日(月)
9時に起床。10時半、町田にある高原書店へ。ネット予約していた郷土資料と、環境民俗学の本を購入。11時半に帰宅。すぐに、ノートPCを接続して起動させてみたら、普通に立ち上がった。液晶も映るし、何も問題ない。友だちの家でのトラブルは、いったい何だったんだろう。
メイルをチェックすると、土場先生から今日の午後のゼミについて案内があった。そこでは、卒論生が発表することになっているという。今年度は、研究室のゼミにあまり出席しなかったので、卒論生が何を研究しているのかわからない。これでは、同じ研究室で学ぶ者として失礼だろうと思い、急遽、大学へ行くことにする。
1時半、研究室に到着。2時、ゼミ開始。卒論生の研究発表を聞く。最終の発表まで、あと2週間足らずと迫っているものの、研究のストーリーがまとまっていない学生が多い。しかし、そのことよりも驚いたのは、学生のコミュニケーション能力のなさである。ほかの人から問題点を指摘されても、それを学生が理解できないようなことがある。粒来さんは、日々、学生とのディスコミュニケーションに頭を悩ませていると自嘲気味に嘆いていたが、これは薄気味悪いほど深刻なことのように思われた。後2ヶ月もすれば、社会で働き始める学生もいるのに、こんなことで大丈夫なのだろうか。
4時過ぎ、ゼミは終了。図書館へ行き、取り寄せた文献のコピーを受け取ってから、銀行でお金を下ろして、今年度後期分の授業料を払う。ダウンロードした行政資料を印刷するなどしてから、7時過ぎに研究室を出て、8時半頃に帰宅。
家に戻ると、すぐに夕食の支度。ナスとベーコンのスパゲッティを作って食べる。ネット・サーフィンしてから就寝。
2月11日(火)
今年度から、神奈川県環境計画課によって環境情報コーディネーターという仕事を任せられている。これは、毎週水曜日の午後に、かながわ県民活動サポートセンターで、相談を受けるという仕事がメインであるが、あまり来訪する人が多くない。そこで、相談業務のほかに、県内の環境に関する活動をまとめたメイルマガジンの編集という仕事を新たに始めることを提案してみた。すると、県は乗り気になったので、近く、メルマガ「かながわ環境インフォメーション」を創刊する予定である。今日は、その創刊準備号の原案を作らなければならず、午前中から作業に取りかかった。しかし、作り始めてみると、頭の中で考えていたときには思い至らなかったような問題が噴出してきて、かなり手間取ってしまった。途中、昼食と風呂を挟んだとはいえ、結局、夕方5時までかけて原案を作成し、前田くんと、県担当者の白浜さんに送った。
5時過ぎ、自宅を出て、駅前のオーオカヤマとジローで食料を買い込み、7時頃に横浜の友だちを訪ねる。少し落ち着いて8時頃から夕食。バジルの利いたボンゴレとビーフシチューを食べる。あまり面白くもないテレビに釘付けになっていたら、夜も遅くなったので寝る。
2月12日(水)
9時前に起床。朝食後、9時半に部屋を出て、10時に横浜駅到着。ダイヤモンド地下街の有隣堂に寄ってから、かながわ県民活動サポートセンターに行く。昨日、作成したメルマガの原案を修正したり、発行に際しての問題点を整理するなどしていたら昼を過ぎる。
1時、相談業務を開始する。白浜さんが体調を崩して欠勤していたので、メルマガの件で、今日中に話を詰めなければと思っていたことが詰められなかった。しかし、まあ、ケツ・カッチンの仕事ではないので、もう少し気長に構えるとしよう。白浜さん、お大事に。
今日は2件の相談を受けて、6時に仕事は終了。手帳を買うために東急ハンズへ行くと、黒山の人だかり。明後日がバレンタインデーだから、おおぜいの女性でごった返していた。7階へ上がり、今年の手帳を見て回るが、なかなかお気に入りのものが見当たらない。購入にあたって、手帳に求めた条件は、手帳がむやみに開かないような工夫があること、カレンダー形式で月間スケジュールが書き込めること、その場合、月曜日から始まること、この3点である。これらをクリアする手帳のうち、もっとも薄いものを買おうと思っていたが、条件を満たす手帳は思いのほか少なく、自動的に買う品が決まった。
7時半、携帯に電話があった。中川さんからだった。顔が青ざめる。約束をすっぽかしてしまったのだ。今日まで、今年の手帳を買わずに過ごしてきたことの弊害が、もろに現れた。中川さん、本当に済みません。それにしても、手帳を買った直後に、こういうことがあるとは、なんとも皮肉だ。
8時半、帰宅。今日の夕食は、ネギと鶏肉のスパゲッティ。先日、試しに作ってみたら簡単にできたので、今日も作ってみたところ、かなり美味しくできた。レパートリーの1つに入れておこう。
10時過ぎ、お袋から電話があったので、近況を報告。11時過ぎ、前田くんとメルマガについて打合せ。その後、友だちと電話して1時に切る。合計すると、およそ3時間近く、電話していたことになる。2時過ぎに就寝。
2月13日(木)
9時頃、起床。今日は、自宅で引きこもっていた。ダイニング・テーブルの上に無造作に積み上げられた領収書を整理するとともに、机の引き出しから不要な資料を捨てた。なかには、会社員時代の給与明細などもあった。当時と比較すると、家計規模が半分である。お金をもうけても、その分を外食費などに使っていたということか。でも、今の家計の規模を半分にすることはできまい。
昼間は、ご無沙汰している友だちなどにメイルで近況を伝え、夕方からは八重山のフィールドノーツを見返して、少し整理した。夕飯は、最近のお気に入りである餃子鍋。加えて、デザートにみつ豆。先日、三和に買い物に出掛けたら、久しぶりにオヲツヤのみつ豆を発見したので、買いだめしたのである。年が変わっても、相変わらず美味しい。
食後、弟から電話が入る。今度、小学校の頃のことを書くので、その頃の写真がないかどうか探して欲しいという依頼だった。そこで、昼間に整理した引き出しを開けて、写真を1枚ずつ見ていく。弟も僕も、写真に記録することに興味がなかったので、30年以上も生きているのにあまり良い写真がなかった。それでも、とりあえず3枚を探して郵送することにする。
夜中、神奈川森林エネルギー工房のリンク集をチェックし、リンク切れの確認をすると同時に、新たに付け加えるべきサイトとリンクを張る。できれば、リンクを張っているサイトについて、一言ずつコメントを付したいところだけど、それはまたあらためて・・・。
2月14日(金)
10時過ぎに起床。ネットで調べものをしたり、風呂に入ったりしてから、11時半頃、家を出る。
まずは、確定申告をおこなうために、窓口が置かれている「ぽっぽ町田」に行くが、ちょうど税務署の職員が昼休みに入るところだったので、1時間ほど読書して待つことにする。1時、職員が休憩から戻ってきたので、相談に乗ってもらいながら申告書を書き始める。去年の仕事に対して、神奈川県の科学技術振興科、環境計画課、税務課、それと日大とアリスセンターから源泉徴収票が届いていたので、それらを見ながら1時半頃に申告書を書き終えて提出。これで、源泉徴収された2万円弱が還付される予定だ。
横浜線、田園都市線、大井町線を乗り継ぎ、緑が丘駅には3時前に到着。図書館で複写を依頼していた文献を受け取り、生協購買部で10冊ほどファイルを買い、厚生課では奨学金の書類の書き方について職員に尋ねる。それから研究室に戻り、コピーして積み重ねたままになっていた文献をファイルに整理し、ハードディスクも不要なファイルを削除するなどして整頓する。
今日は、バレンタイン・デーだったので、研究室にはチョコレートがいくつも置いてあった。それらをつまみ食いし、来週早々に論文発表が迫っている修論生に声を掛け、7時頃、研究室を出る。その後、二子玉川経由で用賀駅で降り、待ち合わせていたお袋の車に乗って、経堂の実家に行く。
お互いに夕食を済ませていなかったので、駅前の美登利寿司に行き、寿司料理を御馳走になる。10時頃、経堂の実家に戻り、休学届と奨学金の返済誓約書に署名・捺印してもらう。11時に経堂を出て、12時に帰宅。友だちに電話したり、メイルを書いたりなどしてから、4時頃に就寝。
2月15日(土)
10時に起床。11時半に部屋を出て、横浜に向かう。12時半過ぎ、横浜駅に到着。有隣堂で本を買ってから、かながわ県民活動サポートセンターに行く。1時から、けんけん(かながわNPO協働ネットワーク)の打合せが始まる。今日は、サイト開設準備事務局の原口さんと野村さんのほか、草の根援助運動の武中さんと大山さん、緑のダム・北相模の金児さん、マーヴィンズの浅見さんが集まった。前回の打合せよりも、どういうサイトづくりをめざすのかを具体的にイメージできる資料が多かったので、建設的な議論ができたように思う。
3時、打合せ終了。となりのテーブルに、F.A.ネットワークという学生を中心とした自然保護団体のメンバーが集まっていたので、リクルートできるかと期待して少し立ち話をするが不発。サポセンを出て、横浜線で町田駅まで行き、ここで少し寄り道してから、5時半に帰宅。
夕食は、定番の鶏鍋。食後、9時からTBS『世界ふしぎ発見』を見る。今日は、「沖縄八重山ものがたり」というタイトルで、西表島と石垣島の自然と、それにかかわる人びとの姿が映されていた。すなわち、西表島ではマングローブの生態やイノシシ猟の様子が、石垣島ではウミンチュによるチナカキエーと呼ばれる追い込み漁の様子が放映された。イノシシ猟と追い込み漁については、まだ実見したことがなかったので、興味深く見ることができた。
10時から友だちと長電話し、その後、鶴見太郎『柳田国男とその弟子たち』を読了。期待していた割には、あまり面白くなかった。もっとも、日本の共産主義運動史については、初歩の初歩さえも押さえていないので、分からない言葉が少なくなかったことも楽しめなかった要因の1つである。昭和初期の歴史について勉強しないと。
2月16日(日)
さて、明日から1週間、八重山に行く。そこで、新聞屋に電話して、旅行中には自宅に配達しないようお願いするほか、汚れ物を放っておいてカビが生えたりするといけないので、カゴに入っていた洗濯物を洗う。
雨の中、1時に家を出て、徒歩で15分くらいのところにある市立博物館に行く。5日前の11日から、「町田・民俗の世界から―民具と暮らし」という展示が始まっているので、散歩がてら訪れてみたのだ。無料で見学できるのは嬉しいが、広くない博物館なので展示内容は充実していないし、気の利いた図録が発行されているわけでもなく、いま1つであった。きちんと見学料をとって、もっと良い博物館になってほしいのだが。それはそうと、家の近くに市立博物館があるという立地は恵まれている。今度は、学芸員の人とコンタクトを取ってみたい。
2時から、A3チャンピオンカップ「ジュビロ磐田×城南一和」と、ラグビー日本選手権準決勝「サントリー×リコー」を見るが、ともに面白くないので1時間ほどで切り上げる。3時過ぎ、冷蔵庫に入っている生ものを残さないようにと調理して遅い昼食をとり、宮台真司『絶望から出発しよう』を読む。
6時過ぎ、自宅を出て、7時半、友だちの家に到着。着くなり、餃子に春巻き、それにラーメンという中華三昧の夕食をとる。食後、「鹿島アントラーズ×大連実徳」を見て、10時からは「武蔵」を見る。明日は朝が早いので、11時過ぎには就寝。
2月17日(月)
4時半、起床。5時前に友だちの部屋を出て、6時頃、羽田空港に到着。6時半、JTA71便にて出発。途中、1時間半ほど熟睡したけれど、3時間以上のフライトだったことから、残りの時間で田中淳夫『里山再生』を読む。里山に関しては、修論で題材にしたこともあり、研究動向や運動の現況などをたいてい把握しているので、新しく知ったことは少なかった。それでも、ライターらしく分かりやいかたちで里山をめぐる問題をまとめており、機内で読むにはちょうど良かった。
10時頃、石垣空港到着。やはり、八重山は東京と比べるとかなり暑い。2月に来るのは初めてなので、もう少し寒いかと思っていたけれど、石垣島の2月の平均最高気温が21度だというので、過ごしやすい気温かもしれない。
10時35分発のバスに乗って、ターミナルまで。すぐに町役場に向かおうと歩いていたら、松本さんとぱったり出会ったので、その場で立ち話を始める。簡単に近況報告を済ますつもりが、月ヶ浜リゾート問題を中心に約1時間も話し込んでしまい、気が付くと12時前になっていた。
松本さんと別れて、「ゆんた」で日替わり弁当を食べ、新星堂で本を購入。県立図書館に向かうと在庫整理のため閉館だったが、館長の砂川さんにお願いして入館。『開発と環境の文化学』に収めた論文の抜刷を差し上げる。「図書が高価なので寄贈できないのですが・・・」と告げると、すでに購入し新着図書として『開発と~』を紹介していると説明を受けた。砂川さんと少し話したかったけれど、お仕事が忙しそうだったので、すぐに退出する。
文教図書で本を買ってから、竹富町役場を訪ねる。まずは、企画課の與西さんのところへ行き、昨年末に最新の人口データなどを送っていただいたことに対してお礼する。それから、建設課の石堂さんを訪ね、昨年末に書き上げた論文の草稿をお渡しするのと引き換えに、新たに資料をいただいた。また、商工観光課の通事さんも訪ね、草稿に目を通していただいたほか、月ヶ浜リゾートの問題などについて意見を伺う。さらに役場を出て、町史編纂室の通事さんを訪ねる。抜刷を差し上げると、代わりに『竹富町史 近代2』を頂戴した。ありがとうございました。
今回の旅では、不覚にも短パンを持参し忘れたので、桟橋近くの店で購入。小浜島出身の黒島教育長を訪ね、抜刷を差し上げてから、3時40分発の船に乗って西表島を目指す。今日は、北風があって、島の西部へ向かう航路が全便欠航だったため、東部の大原行きの船に乗る。4時15分頃、大原に到着。西部行きのバスを探すが見当たらないので、八重山観光フェリーのスタッフに尋ねると、5時まで待つように言われる。桟橋で妻の帰りを待っていたオジィと話をしながら、5時過ぎまで待っていると、やっとバスが到着し、5時15分に大原港を出る。6時、上原のカンピラ荘に到着。石垣を出てから、2時間半もかかったことになる。
6時半から夕食をとり、シャワーを浴びて、部屋に閉じこもる。持参したノートPCを起動させるが、液晶の調子が悪くて、使い物にならない。仕方なく、新星堂で買った本=つちだきくお『ニロースク』を読む。自意識過剰なところが鼻につくが、その割には楽しめた。11時頃、早めの就寝。
2月18日(火)
8時に朝食を済ませ、宿の周りを散歩してから、10時前に浦内方面に向かって出発。ヒナイビーチや西表青烽窯に立ち寄るなどしながら歩き、リゾート建設問題に揺れる月ヶ浜に行く。すでに砂防林の後背地で、道路建設と赤土流出防止工の工事がおこなわれており、ホテルを建てる準備が着々と進められていた。
月ヶ浜をぶらついてから、11時半過ぎ、西表島エコツーリズムセンターに到着。環境情報コーディネーターが発行するメイルマガジンの件で、神奈川県の白浜さんと電話で打合せしていると、12時過ぎになる。昼休みの間、井口くんが留守番していたので、2人でフリートーク。来月、西表を離れる井口くんは、4月から広島の実家の方で農業を始めるらしい。ぜひ、成功してほしい。
1時になり、西表島エコツーリズム協会事務局長の永井さんが戻ってきたので、ツーリズムについて書いた論文の草稿を差し上げ、少し目を通していただいた。それからじっくり時間をかけて、近頃、島を賑わせている政治的な動き、つまり、月ヶ浜リゾートの問題、センターの契約解除の問題、役場移転の問題、市町合併の問題について、お話をうかがった。これら4つの問題は絡み合っているので、一緒に議論すべきなのであるが、そうすると話が複雑になってしまうというジレンマがある。そうこうするうちに、ユニマットによるリゾート建設は、着々とすすめられているようだ。時間をかせぐ術はないのだろうか。
3時過ぎから、昨年12月に開催された島人文化祭を撮影したビデオを30分間鑑賞。草木を使った民具づくり、芭蕉糸・絹糸づくり、ミンサー織り体験、ビーチグラス・クラフト、こだわりの島の味(イノシシ鍋、シャコ貝の刺身、オオタニワタリなどの山菜のおひたしなど)など、西表島ならではの楽しいワークショップが目白押しで、誰もが来てみたくなる内容だった。2年に1度の開催というのが惜しまれるので、ぜひ毎年開催してもらいたい。
一応、僕も協会の賛助会員なので、その立場から、今後の協会の方向性などについても意見を交換した。事務局スタッフが1人で切り盛りしていると、ほかの会員が受け身的な態度になってしまうこと、ガイドブックの売上だけではなく、財源を確保する道を拡げないと人件費に宛てられる予算が不十分であること、協会としての独自事業をおこなわないと組織としての特徴が見えてこないこと、などの悩みはあるようだが、それは広くNPO一般に認められる傾向なので、お互い情報を交換して頑張りましょうと励まし合った。
5時半、永井さんの車に乗せていただき、カンピラ荘に戻る。すぐに、センター内にメモ帳を忘れてきたことに気付き、永井さんに連絡をして、取ってきていただく。お手数をおかけして、恐縮です。
6時半から夕食。7時半、国立公園協会の前田くんに車で迎えに来てもらい、星立にある彼の部屋に行って、11時近くまで意見交換する。前田くんが雑誌『国立公園』に書いた西表島におけるエコツーリズムの記事は、島内ではかなり問題になったらしい。昼に話をした松本さんもおっしゃっていたが、僕も含めて若い研究者は、ついキツく書いてしまうところがある。このことに自覚的でありたいと思う。11時、前田くんにカンピラ荘まで送ってもらって、12時過ぎに布団に入る。
2月19日(水)
朝食後、8時半にチェックアウト。宿の周りを散歩していると、収穫したばかりの紅芋を洗っているおばぁが目に止まったので、近づいて話をしたら、話し終えるときに初物のパイナップルをいただいた。いつももらってばかりで恐縮なので、チエおばぁが開いている無人販売店で、シークァーサーとトマトを買った。
9時過ぎ、新本先生と高相先生に連絡を取るために、琉大熱研に電話。新本先生は不在だったが、高祖先生とは連絡がついた。高祖先生は、文部科学省大学共同利用機関である総合地球環境学研究所のプロジェクト「亜熱帯島嶼における自然環境と人間社会システムの相互作用」のリーダーを務めていらっしゃるので、その件についてお話をお伺いしたいと告げると、1時間程度ならばと時間を割いてくださった。しかも、当然、僕が熱研に行くべきところを、足がないでしょうからと、先生の方から車でカンピラ荘までいらっしゃった。
10時から約1時間、平成15年度からスタートする大型研究プロジェクトの概要について説明を受けた。テーマは非常に魅力的であり、また資金も潤沢にあるようで、西表島をフィールドとして思いっきり研究したいのならば、懇願してメンバーに入れてもらうべきプロジェクトだと感じた。来年度は、休学して学資を稼ごうと決めていた僕の心も大きく揺れたが、今日はとりあえず話を聞くだけにした。選択肢は多くて悪いことはない。しかし、冷静に現況を見つめれば、研究費がもらえるプロジェクトに関わることよりも、論文を書くことに専念した方がベターだろう。
11時、打合せは終了。民宿内でお茶などを飲んで時間を潰し、12時28分に上原を出るバスに乗って、大原方面に向かう。1時18分、大富に到着。バス停に重い荷物を一時的に置き、共同売店で昼食を買う。お店を出て、普通にバス停に向かうと、そこには衝撃の事実が。無人売店で購入したトマトを、2羽のカラスがくちばしでつついて、食べていたのである。一瞬、呆気にとられたが、すぐに走ってカラスを追い払う。激しく攻撃されていたので、買ってきた2つのトマトのうち、1つはほぼ丸のまま残っていたが、もう1つは見るも無惨な形となり、捨てるしかなかった。バス停の近くにある木の枝に止まって、僕が再び荷物のそばを離れないかと眺めているカラスを凝視すると、めずらしく憎悪の念が湧いてきた。大して長くない人生のなかで、もっともカラスを憎んだときだった。
バス停から南風見荘まで歩き、部屋に荷物を置いてから、がらんとした食堂で、買ってきたジーマミ豆腐とカラスの攻撃を逃れたトマトを食べる。ノートPCをチェックすると、液晶が復活したので、メイルを受け取れるようになった。でも、液晶が使えたり使えなかったりするのは困る。原因を突き止めたいところだ。
一息ついて、集落内を歩いていると、大きな荷物を背負った男女15名くらいのパーティーに出会った。ちょっと近づいて聞くと、立正大学のワンゲル部の学生だという。これから島を横断して浦内に抜け、白浜から鹿川に抜け、南風見田から大原に戻ってくるらしい。彼らを見送ってから、泰志さんを訪ねるが、昼寝中だったので声を掛けずに立ち去る。2時半、竹盛旅館に行くと、ちょうど竹盛さんが車で帰ってきたところだったから、駐車場で立ち話する。その話の中で意外だったのは、島を横断する中高年が増えているという事実。登山が趣味なのだけれど、冬山はやらないという人からすると、西表の横断は魅力的らしい。
3時前から約1時間半、集落の周りを回る。どこかでキビ刈りをやっていないかと思って歩いていたが、誰にも出会わなかった。防災工として新たに猪垣が設置されていたところが、これまでと異なっていた。何回かチョウゲンボウを見ることができたのが面白かったくらいで、あまり成果もなく、4時半に南風見荘に戻る。
夕食の支度をしていた田村さんと会話しながら、食堂で新聞を読んだり、テレビを見たり。6時前から夕食。食後、シャワーを浴びて、8時に佐事さんを訪ねる。佐事さんに抜刷を差し上げて、しばらくビールをいただくなどして、9時に宿に戻る。援農ネットワークの佐藤さんに電話するも不在。夜遅くからでも話をしたかっただけに、残念だった。
2月20日(木)
朝食後、泰志さんを訪ねるが不在だったので、泰志さんのお母さんに論文の草稿を渡す。10時半、南風見荘を出て、歩いて大原に向かう。仲間橋に行く手前で明さんの軽トラで通ったので、明さんに向かって手を振ると、車は急ブレーキして止まった。「いつ、来た?」「昨日。西部まわってからこっちに来て、今から帰るところ」「港に行くか?」「はい」「乗ってけ」となり、軽トラに載せてもらうことになった。明さんの軽トラは、緑色が特徴的だったのだが、古くなったので新車を購入したようで、普通の白いやつに換わっていた。緑の車に黄色いバンパーが映えていて格好良かったんだけど。
港に到着して、別れ際「昼から酒飲んでたって、書いたろ」と言われた。何のことかと思ったら、明さんの奥さんがこのサイトを見たようで、そのことを言われたのだった。笑いながら「あまり、悪いこと書くなよ」と言いながら、軽トラは去っていった。明さんにはお世話になっているので、これまでも、この日記に書いたことはあるが、悪意を持って書いたことはない。それは、明さんに限らず、この日記に登場するすべての人に言えることだけど。わかってもらえるよね。
11時過ぎに、大原港に到着したものの、次に乗る船の出発時刻は12時半の予定。しばらく、昨年できた立派な待合所「なかまりん」で、本でも読みながら待つことにする。しかし、なぜかBGMが、エンニオ・モリコーネや加古隆。オムニバス・アルバム「イマージュ」らしきCDがかけられているのだ。西表島の玄関口に似つかわしくない音楽が、待合所のスピーカから流れている。でも、なぜ暖かい南国で、NHK「人間ドキュメント」のテーマ曲「黄昏のワルツ」を聞かなければならないんだろう。全然淋しくないのに、そういう気持ちになってきてしまう。そういえば、昨日、カンピラ荘の前にあるスーパー川満で買い物をしたときには、ザ・スミスの初期のナンバーが流れていた。僕はファンだから良いけれど、あれも西表島らしくない音楽だった。もちろん、僕が西表島に似つかわしい音楽を強要することはできない。これ以上書き続けると、ちょっと文化研究っぽくなってしまいそうだから、この辺でやめとこ。
12時40分、小浜島に向かうチャーター船に便乗させてもらう。これは、西表島東部での観光を終えて、はいむるぶしで昼食をとるツアー客のための船だが、客席に空きがあったので、1,000円という安い値段で乗せてもらえた。ラッキー。
1時10分、小浜港に到着。桟橋近くにある、「小浜島観光案内センター」という「うふだき荘」の出先機関みたいなところに入る。すぐに、昨年から発売し始めた黒胡麻油に目がゆく。小浜島産の黒ゴマから絞った油を、そのまま瓶に詰めただけというシンプルなものだ。値段は、150mlで1,500円、300mlで3,000円とけっして安くないが、清おじぃの力作だからと思い、小さい方を1つ購入する。早く東京で試食してみたいものだ。
2時半にならないと、集落に上がるバスがないので、昨年末に完成した待合所「ちゅらさんばし・旅ぬかろい」で待ってみる。しかし、誰1人いない淋しくて静かなところで気味が悪くなり、歩いて集落まで行くことにする。煙突から甘い香りを漂わせている製糖工場を横目に見ながら、坂道を登って行くと、前方から近づいてきたトラクターには、知った顔が。マサさんだった。マサさんもすぐに気付いたらしく、急ブレーキをかける。ずずずーと3メートルほど滑って、トラクターが止まり、マサさんに近づき握手する。仕事中だったので、一言二言交わし、夕方、事務所に行くことを約束して別れる。
2時過ぎ、カヤマ荘に到着。部屋に荷物を置き、節子おばぁの手作りのサータアンダギーをいただいてから、集落を散歩する。2時半頃、昭おばぁを訪ね、1時間ほどユンタクする。昨年の春から体の具合を悪くしていたため、夏にお会いしたときは、まだ調子が悪そうだったけれど、今は、藍染めができるほど復調して、かなり元気そうで良かった。4時からは、宮良荘にチカさんを訪ね、榕樹書林の本をお見せした。チカさんは興味深そうに頁を繰っていたが、昨年の秋に息子さんが生まれたばかりで、ゆっくり本を読む暇もないという。それでも、時間のあるときに読んでくださいと、ツーリズムについて書いた論文の草稿をお渡しした。
5時、島内をサイクリングするため、うふだき荘で自転車を借用するが、製糖工場で写真を撮影していたら研にぃと出会ったので、小浜島ファームの事務所に行く。事務所内では、まり子ねぇとナオがいて、今晩のパーティーの準備が進められていた。聞けば、今日はキビ刈り400トン突破を記念して、事務所の外でバーベキューを楽しむとのこと。今日の時点で収穫量400トンを突破したこのペースでゆけば、900トン突破も可能で、1,000トンも夢ではないようだ。昨年が350トンほどだったので、今年は倍以上の収穫になりそう。このため、キビ刈りの終わりは、昨年よりも1ヶ月ほど遅い4月10日を予定しているらしい。ファームが軌道に乗ってきて、研にぃのパワーが、そのまま収穫量につながっているように思う。
研にぃに論文の抜刷を差し上げてから、まり子ねぇの準備を手伝いながら事務所でファームのメンバーの到着を待っていると、6時頃、マサさんやナリちゃんをはじめ、1日の仕事を終えて戻ってきた。しかし、シャワーを浴びるなどに時間がかかり、なかなかパーティーが始まらないので、7時前に夕食をとりにカヤマ荘に戻った。夕食後、8時半頃に事務所に行くと、すでにバーベキューは終了していて、事務所内での飲みモードになっていた。今年は14名体制なので、2年前に僕が関わったときよりも大所帯だ。メンバーの年齢も若いし、女性も4名含まれている。だいぶ雰囲気が違うけれど、馴染みの顔がるためか、あまり違和感なくとけ込めた。ナリちゃんには、リクエストされていた抜刷をあげた。飲みの席では、ナリちゃん、イモやん、ホタル、コーキチらと話をした。それぞれ魅力的で、もっと話をしてみたいと思わせてくれた。宴の間に研にぃから、「マツ、キビ刈りやっていくんだろ」と、いつもの調子で言われ、半ば予定通り、明日キビ刈りをやることになった。12時過ぎ、宴会終了。ファームのメンバーは、事務所の上と、大久家の屋敷にあるプレハブで寝泊まりしているので、プレハブに帰る車に乗せてもらい、カヤマ荘に戻る。1時頃、就寝。
2月21日(金)
朝食を済ませてから、8時に、カヤマ荘の屋上で待っていると、カッちゃんが軽トラで迎えに来てくれた。荷台には、女性4名とナリちゃんが乗っていた。すぐに、荷台に乗り込み、サトウキビ畑に行く。
2年ぶりに脱葉鎌を持ち、仕事する現場に向かうと、これまで見たことがなかったキビの姿に驚いた。キビの穂先の部分がカットされていたのだ。後でナリちゃんから聞いたところによると、今年からキビ刈りのやり方を変えたとのこと。従来は、キビの根元を手斧でぶった切る「タオシ」の後、脱葉鎌で余分な葉を落とす「サラシ」をおこなうという2段階だったのだが、今年からは、「タオシ」「サラシ」の前に、脱葉鎌で穂先を切る「トップ」と呼ばれる工程を踏むことになった。この方法は、うふだき荘のキビ刈り援農塾では、以前から採っていたやり方だ。島では、トップ派と反トップ派があり、トップ派が優位らしい。ナリちゃんは、旧「サラシ」を「トップ」+「サラシ」の2回に分けると効率が悪くなると考え、昨年までは、反トップ派として信念を曲げず頑張ってきた。しかし、今年はサトウキビの成長が良くて長いため、穂先を付けたままキビを畑から引っ張り出すのが一苦労なので、トップ派に転向したという。
こういうわけで、まずトップを始めたのだが、最初は慣れないので、切った穂先を効率よく束ねておくことに苦労した。10時にチャウキ。肉体労働していると、2時間がとても長く感じる。サラシを専門にやる島のおばぁがいないので、この時間に島人の言葉が聞けないのがさびしい。チャウキの後、サラシに入る。ナリちゃんの指示では、倒したキビのヤマ2つをサラして、1つの大きなヤマを作ることにしているという。これは、ヤマをきれいに積んで、運搬しやすいようにしているのだと思う。このように、経験を生かしてシステマティックに仕事を進めようと姿勢が、随所に感じられた。
12時、昼食の時間になり、いったん事務所に戻る。大久のお母さんが作った食事をいただき、1時に畑に戻る。午後からトップに入ったときは、ユミちゃんのそばにいたので、彼女が黙々とハイスピードで仕事する様子を参考にしながら作業を進めた。タオシと違って、トップやサラシは体力よりも技術力が重要なので、女性の方が上手なことも多い。
3時のチャウキを挟み、5時になる。前なら仕事が終わる時間だけれど、今年は終わらない。今年からは歩合制になったので、5時に終わるという決まりは特にないようだ。これまでは1日5,000円の日給で、5時以降は残業代が付くことになっていたが、今は1トンあたり5,200円という計算。だから、1日1トンのペースで刈っていきたいところだ。まだ夏植ならば、この数字もクリアできるが、春植や株出しだと反収が落ちるので、1日に1トン刈るのは難しい。その辺りは、調整してもらえるらしいが、いずれにせよ、毎日、効率的にサトウキビを収穫していくことがファームの至上命題である。
6時頃、今日の仕事は終了。幸い、雨も降らず、太陽が照りつけるような快晴でもなかったので、気持ちよくキビ刈りを体験することができた。しかし、ファームのメンバーは、雨にも負けず、風にも負けず、雪はないけど、暑さにも負けず、100日にも及ぶキビ刈りをおこなう。共同生活しながらで大変だろうけど、ケガと病気に気を付けて頑張って下さい。
事務所から、カッちゃんの車でカヤマ荘に送ってもらう。島に来ていたマリちゃんと連絡して、民宿の庭で少しユンタクし、7時から夕食。カヤマ荘の食事は、量が多いのが良い。美味しいサータアンダギーも食べられるし。食後、集落内を散歩しようと外に出ようとすると、節子おばぁから呼び止められ、「松村さん、大嵩のおばさんから電話あったよー」と言う。節子おばぁの話によれば、「明後日、島を出る」と昭おばぁに伝えていたのに、今日1日訪ねなかったので、もう島を離れたのかと昭おばぁは思って、僕の所在を確かめにカヤマ荘に電話してきたのだという。それを聞いて、昭あばぁに心配をかけちゃったなと思い、すぐに家を訪ねてみた。そして、キビ刈りを1日体験したので顔が黒くなったことなどを話し、また明朝に訪ねることを約束して別れた。
8時、マリちゃんと一緒に英光おじぃを訪ねる。おじぃに抜刷を差し上げてから、ビールをいただく。おじぃに勧められるままに飲んでいたら、いい気持ちに酔ってきたので、9時半頃にお暇する。それからマリちゃんと別れて、大久家のプレハブに行く。そこには、プレハブで寝泊まりしているファームのメンバーを中心に、10人近くが飲んでいた。その輪に加わり11時半頃まで飲んでから、カヤマ荘に戻る。
2月22日(土)
朝食を済ませ、8時半頃にチェックアウト。荷物をカヤマ荘に置いたまま、公民館長の家を訪ね、娘さんに抜刷を渡す。9時頃、昭おばぁを訪ね、1時間ほどユンタク。別れ際、今年の小浜島産黒糖をいただく。どうもありがとうございました。おばぁ、お元気で。
宿に戻り、新聞を読むなどしてまったりし、12時過ぎに、宿泊していた海洋薬局の方に車で港まで乗せてもらう。待合所で船を待っていると、すぐに、この場所を管理しているまり子ねぇがやって来たので、石垣行きのチケットを購入する。1時ちょうど発の船で、まり子ねぇに見送ってもらいながら小浜島を出る。
1時半、石垣島に到着。カッちゃんから、沖縄銀行で電話代を振り込むように頼まれていたので、まず銀行に向かう。しかし、今日が土曜日だったので、現金での振込はできず、東京に戻ってからの作業となる。
2時頃、市立図書館に飯田さんを訪ねる。ここでも、すでに『開発と環境の文化学』は購入済みだったが、抜刷を1部差し上げる。最近の新聞記事のうち、面白そうなものをピックアップしてコピーしようと思っていたのだが、誰かが古新聞をまとめて持っていっていたらしく、当初の希望は断念。ならば長居は無用と思って、図書館を出ようとしていたら、「松村さん」と呼びかけられた。声のした方を向くと、西表島在住でアトクの河合さんだった。河合さんとは、昨年、月ヶ浜のリゾート問題について相談されたのをきっかけにお付き合いが始まった。しかし最近は、問題がより厳しいものとなっており、ユニマットの意向通りに事業が進捗している。石垣金星さんら「西表の未来を創る会」は、反対運動を展開しているが、残念ながら大きな抵抗とはなっていない。法的には問題がないように立ち回られているので、いかんともしがたい状況なのだ。
河合さんは、現在の問題の状況と運動の戦略などについて説明された。僕は、この問題を一地域の生活者の問題だけにしてしないこと、単に西表島に自然が残ればいいとだけ考えている人びとと安易に連携しないこと、現在、地元住民が不安に思っていることを深く問い、問題を公共的なものとしてとらえる道を探ることなど、私見を述べた。個人的には、「創る会」も主張しているようにアセスメントの必要性を訴えるか、または、エコツーリズムを推進する島として環境権を主張するかの方法が、有効な手段のように思われるのだが。昨年中、知人を通じて反対署名するように連絡があったが、署名活動が有効に思えなかったので遠慮した経緯もあるので、今後は、なんらかのアクションを起こしたいと思う。
3時半に図書館を出て、お気に入りの店「ゆうくぬみ」でコーヒーぜんざいを食べる。2月にかき氷を食べるのは、美味しくて楽しい。4時、石垣港発の船で竹富島へ。宿に連絡を入れていたので、正聖さんの車で内盛荘まで運んでいただき、部屋に荷物を置いて一息入れる。正玄さんから、かつての木製船の話をうかがった後、5時に喜宝院を訪ねる。すでに、武蔵野美大の船川さん夫妻が芳徳さんとユンタクしていたので、そこに混ぜていただいた。芳徳さんのところには、岡部伊都子さんから図書が届いていたが、やはり抜刷を1部差し上げる。市町合併、役場移転の問題などを中心に6時過ぎまで議論してから、船川さん夫妻とともにお暇する。
6時半、夕食をいただいてから、公民館長を訪ねるが留守。副館長のトモちゃんと飲もうと思って、携帯に電話をするが、あいにく風邪でダウンしていた。お大事に。
夜は寒いので、庭で宴会といういつものパターンではなく、船川さんらと泡盛を飲み、テレビを見ながら正玄おじぃとユンタク。11時頃、就寝。
2月23日(日)
朝から内盛荘は忙しそうだ。なにしろ、今日は石垣島一周駅伝が開かれ、佳美さんの長男・正基が、第1区を走るのである。家族揃って応援に行くというので、そわそわしている。8時過ぎ、正玄さんはスミさんを後ろ座席に乗せて、オートバイで港に行ってしまった。正聖さんらも石垣に渡ったため、内盛の人はみんな出払ってしまい、9時過ぎ、丸八の人に港まで送ってもらった。
9時15分、竹富発の船で石垣島へ。すぐにタクシーに乗って、石垣空港まで。10時35分発のJTA606便で11時半頃に那覇空港に到着。めずらしく、土産物を買い込んだ後、12時40分発のJAL902便に搭乗。桑子敏雄『わたしがわたしであるための哲学』を読むが、全然、面白くない。配置と履歴という概念はユニークだと思うのだけれど。3時前、羽田空港に到着したが、預けた手荷物がなかなか出てこなかったので、京急に乗ったのが3時半。それから、横浜の友だちの家に直行し、4時半に到着。
荷物を置いて、すぐに今回の八重山の旅で買った土産物を出す。西表青烽窯のマグカップと小浜島産黒胡麻油を島で買ったほかは、ジーマミ豆腐、島らっきょう、石垣島産の塩、石敢富のミニチュアは空港で購入した。ほかに、カンピラ荘では星の砂、チエおばぁからはパイナップル、昭おばぁからは小浜島産の黒糖、節子オバァからはサータアンダギーをいただいた(旅行中の荷物になるから、パイナップルはファームのメンバーに、サータアンダギーは船川さん夫妻に差し上げたが)。マグカップと石敢富は自分のものとして、ほかは友だちにお土産としてあげた。
7時から、夕食をとり、8時からは「武蔵」を見る。9時半から、メイル・マガジン「らびっとにゅうず」の編集・発行。11時過ぎから、「アリー・マイ・ラブ」を見て就寝。
2月24日(月)
9時頃、起床。朝食後、10時前に友だちの部屋を出て、11時にいったん帰宅。メイルを書いたり、巡回しているサイトをチェックしたりしていたら、体が寒くなってきた。手がかじかんで、キーボードをうまく叩けなくなってきたので、風呂に入ることにする。お湯を沸かし、1時間ほどゆったりと昼風呂に入る。
体が温まったので、3時に家を出て大学に向かう。4時頃、研究室に到着。さっそく、来年度のことについて、土場先生と相談。在学期間延長願と休学願の2つの書類に署名していただいてから、専攻主任の中井先生を訪ねる。書類を提出してから、次に厚生課を訪ね、5時ぎりぎりに日本育英会奨学金の返済誓約書を提出する。
研究室に戻り、木質バイオマスに関する書類をまとめてプリントアウトする。明日と明後日は、大学の2次試験があるので、今日は7時までしか、研究室に残ることはできない。というわけで、7時、粒来さんとイコマロとともに研究室を出る。
自由が丘の青山ブックセンターで立ち寄り、地元のスーパー三和で買い物をしてから9時に帰宅。オヲツヤのみつ豆に舌鼓を打ってから、8日ぶりに自分の布団で寝る。
2月25日(火)
9時半に起床。今日は大学に入講できないので、昨夜の段階ではNORAに行こうかと考えていたけれど、電車賃がもったいないので、自宅で作業することに決める。
軽く朝食をとり、午前中はネットサーフィンに没頭。午後、風呂に入ってからは、1週間以上たまってしまった日記を書くのに2時間半もかけてしまう。いやー、典型的な引きこもりモードである。
3時頃、神奈川県の白浜さんと連絡を取って、近日中に発刊予定のメイルマガジン「かながわ環境インフォメーション(KEI)」と、新たに開設予定のKEI-netのことで、少し込み入った話をする。沖縄に行っている間に気になっていた問題について、解決の方向性が見えてきたので良かった。
夕方にがちゃがちゃとメイルを書いたりして、6時半、やっと家を出て、八百屋のオーオカヤマとスーパー三和で買い物をする。最近、気付いたことだが、やはり野菜は八百屋で買った方が美味しいみたいだ。7時過ぎに帰宅して夕食をとり、ネットサーフィンして、西表島におけるユニマットのリゾート問題について情報を整理する。この問題は、役場移転の問題などと複雑に絡んでいるので、分かりやすく人に伝えられるようにしておかないといけないなあ。
橋本和也・佐藤幸男『観光開発と文化』を読了。観光文化/ツーリスト文化という分類は、広く適用できそうだ。副題にある「南からの問いかけ」には、ちょっとうんざり。観光開発を文化研究の視点で捉える方法は、もう新しくない。観光人類学の次の一手はなんでしょう。
2月26日(水)
松井先生から、3月1日までに、『開発と環境の文化学』に収めた論文の原稿を、大塚プロジェクトの事務局に送付するよう指示されている。しかし、1校を入稿してからは、編集者との間で電子ファイルを介さずに校正を進めたので、最終稿(4校)のファイルは手元にない。そこで、完成版をもとにして、1校を修正しようと作業を始めたが、やはり効率が悪い。明日になれば、大学に入ることができ、編集者とのやり取りを記した原稿を見ながら、最終稿ファイルの作成ができるので、途中で作業を放り出すことにした。
11時半、自宅を出て、郵便局で図書を郵送し、銀行では預金を下ろす。12時頃、玉川学園前駅発の電車に乗って、12時40分過ぎ、横浜駅に到着。駅近くの郵便局で、榕樹書林にお金を振り込み、1時にかながわ県民活動サポートセンターへ。環境情報コーディネーターのアルバイトである。
今日は、相談者の来訪がなかったので、情報発信のための仕事に集中した。すなわち、KEI-netのファイル構成について素案をつくり、メールマガジンの創刊準備第2号の原稿を書いた。さっさと仕事を片付けたいのだけど、神奈川県と協働して進めているので機動性に乏しい。この辺りが、情報発信の仕事が発展していかない1つの理由になっているように思う。
6時にアルバイトは終了。いったん外に出て軽食をとり、6時半過ぎに再びサポートセンターへ戻る。今晩は、「よこはまの森フォーラム」の会合があるのだ。長椅子に腰掛けてメンバーを待っていると、最初に福島さんが現れ、それから、松田さん、河合さん、戸塚さん、山口さんが集まった。かつての盛り上がっていた状況からすれば、非常にさびしい参加人数だが、昨年9月に会合をもったときは、3人しか集まらなかったので、6人でもよしとしなければ。
7時過ぎから、打合せが始まる。今日は、しばらく休眠させていた「よこはまの森フォーラム」を解散するため、お金、モノ、情報などをどのように清算するのか話し合った。自分とフォーラムとのかかわりは、個人的な心情としては強くても、歴史的には、今日集まったメンバーの中でもっとも浅い。だから、なぜ、この話し合いの進行役を務めているのか、不思議な感じがした。僕よりもフォーラムに深く関わっていた人びとはたくさんいたのに、関係ない素振りをしている人もいる。もう10年近く前になるが、劇団「どどど企画」を解散させたときも、僕はメンバーの中心にいた。「よこはまの森フォーラム」の解散について話し合っている間、ふと当時のことを思い出してしまった。
波乱も予想されたが、意外なほどスピーディーに、8時半、フォーラムの清算案は合意に達した。これで、「よこはまの森フォーラム」が無くなるかと思うと少し残念ではあるが、もし、同じようなことを目的としたネットワークが必要ならば、新たに作ればいいだけのことだ。定常的に運営することが難しい組織ならば、やはり解散するのが適当なのだろう。
打合せ終了後、戸塚さん、河合さん、山口さんと4人で、近くの居酒屋で飲む。地域通貨の話や、公園づくりの話など、まじめな話もあったけれど、僕は「○○さんが、6月に結婚する」とか「○○さんに彼氏ができた」とか、下世話な話題が楽しかった。愛がなくっちゃね。
12時、帰宅。アルコールが入っていたせいか、ちょっと横になったら、うたた寝してしまう。3時過ぎ、まともに布団もかけずに寝ていたので、寒くて起きてしまう。それから、メイルを書くなどして、就寝は5時。
2月27日(木)
9時半、起床。12時、自宅を出て、1時過ぎ、研究室に到着。メイルをチェックすると、先日、提出した休学願に書類の上で不備があるので受け取れないというメイルが事務から届いていた。来年度、休学するのは、「経済上の理由」なのだが、その理由を記した理由書を提出せよ、ということらしい。そこで、もっともらしい理由書を作成する。奨学金もなくなるし、貯金もないから、学費なんて払えっこないだろー、ということを、それらしく書くわけである。あー、ばかばかしい。
3時過ぎ、理由書を携え、中井研に事務の安藤さんを訪ねる。これで書類は全部揃ったことになるはずだと言われ、預けていた在学期間延長願と休学願とともに、教務課に書類一式を提出する。これで、手続きは終了したので、来年度は休学することに決まった。
生協で注文しておいた本を受け取り、研究室に戻る。それから2時間ほどかけて、昨日、途中で断念した論文の最終稿を作る作業を終える。また、昨日の打合せの議事録を作成し、7時過ぎに研究室を出る。武蔵小杉で買い物をして、うどんを食べてから、9時に帰宅。
夕飯は、具だくさんの味噌汁。油揚げを多めに入れてみたら、思いのほか美味しくできた。自分は、油を美味しく感じる生き物だなあと、あらためて思う。夕食後、日本の竹ファンクラブが新たに立ち上げるウェブサイトのリンク集づくりにいそしむ。リンクを貼るに相応しい良質なサイトを探し、そこへリンク許可願いのメールを送る。
11時頃、見覚えのない名前の人から、「沖縄はどうでした?」というタイトルのメイルが届く。一瞬、この日記を読んでいる、どこの誰とも分からない変人から届いたメイルかと緊張したが、内容を読み始めてすぐに誰と分かった。会社員時代の友だちであった。最近、結婚して姓を変えたので、全然分からなかったのだ。僕もいい年なので、周囲には結婚して、姓が変わった人が少なくない。ところが、30歳を過ぎて、インプット能力が衰えたのか、それとも、かつての呼び名に愛着があって覚えようとしないのか定かではないのだが、新しい姓というのは、なかなか覚えられない。ほかの人は、どうなんだろう。3時、就寝。
2月28日(金)
来月15-16日、かながわ県民活動サポートセンターで「市民活動フェア2003」が開催される。これは、言ってみれば、サポセンの利用団体によるお祭りみたいなものだ。このイベントで「もっかな探検隊」は、『もっともっともーっと神奈川!!』を作ったときにこしらえた借金を返済するために、古着として回収されたジーンズを販売することになっている。今日の午前中は、その準備として、(株)ナカノの金沢工場に行って、ジーンズの仕分け作業をおこなった。
7時半、起床。予定では、6時半に起きて、8時に海老名駅で川嶋さんと待ち合わせし、車で工場に向かうはずだったのが、寝坊したので電車でシーサイドラインの福浦駅へ直行することになる。ジョルダンで乗り継ぎ案内をチェックすると、小田急線で江ノ島方面に向かい、藤沢・大船経由で新杉田駅に行くのが早いとわかる。横浜経由で行くのがベストだと思っていたので、意外なルートを発見し、ジョルダンの有り難さを思い知る。
予定通り、10時前に福浦駅に到着。改札口には、先に来ていた川嶋さんが立っていた。僕と同じ電車で飯盛さんが到着し、1本遅れて石田さんもやって来たので、川嶋さんの車に乗り込み工場に向かう。鉄くずの回収工場など、リサイクル系の工場が並んでいるのを横目に見ながら、古着の回収工場に着く。
工場の人に挨拶し、古着が山積みになっている工場内に入る。ジーンズの山へ案内されると、先に来ていた川嶋さんの娘さんがすでに仕分けを始めていた。川嶋さんから、後ろにメーカーのタグがついており、そこそこ綺麗で、ジッパーが機能するジーンズを、20本ずつ束ねるよう指示され、飯盛さんと石田さんと僕は、それぞれ古着の山の中に入り、仕分けに取りかかる。12時まで作業を続けると、車に積みきれないほどの量がたまったので、仕分けはおしまい。午後、用事が入っているという石田さんを除いた4人は、イベントまでの保管場所となるNORAへと向かう。
12時半、NORAに到着。NORAのスタッフ3人と合わせて7人で、近くの中華料理店でランチを食べる。土屋さんと前田くんは、報告書の提出のために横浜市役所に向かい、残りのメンバーはNORAに戻ってフリートーク。3時前、川嶋さん親娘と飯盛さんはアリスセンターに向かったが、自分は残って、神奈川森林エネルギー工房関係の資料を整理する。4時前だったか、市役所に行っていた2人が戻る。とりあえず、報告書の完成、お疲れさまでした。
5時過ぎ、帰宅しようと荷物を整理しながら、前田くんと会話をし始めたらずるずると話が長引き、2時間ほど話し込んでしまった。里山をフィールドとして、どのように儲けていくのか、話の内容は、ほとんどこの話題に終始した。バイオマスの利用、環境学習、癒しの場など、大して新しくもないアイデアしか浮かばない。個人的には、海外支援と連携して、東アジア全体を視野に入れた里山ネットワークなどに関心があるのだが。
9時、帰宅。日本の竹ファンクラブのリンク集のこと、よこはまの森フォーラムの清算についてなど、関連するメンバーにいくつかメイルを出す。また、ユウタには受験の苦労をねぎらい、東工大生協で書籍をネット注文する。12時頃から、キーマカレーを作りだし、2時半頃、就寝。